サラ・シャノンは、ここ数時間白い便箋と睨めっこを続けていた。扇風機の首が、明後日の方向を向いて止まる。リモコンを後ろに向けたが、何の反応も無い。仕方なく立ち上がり、椅子の方へと向きを直した。もう十年以上も使われている扇風機は、そろそろガタが来ているらしい。
 再び席に着いたが、直ぐに筆を置いてしまった。本棚に手を伸ばし、占い学の教科書を手に取る。
 毎日、この繰り返しだった。漸く出会う事の出来た、実の父親。シリウス・ブラック。彼は毎日のように手紙を送ってくれる。返事を書こうとは思うのだが、何を書いて良いのか判らない。何時間も便箋の前で固まっては、諦めて読書に戻ってしまっていた。
 読書も、今までに買った教科書ばかり。もう何回も読んでいて、主要な文章は空で言える程になってしまった。久しぶりにマグルの本を読もうかと、昨日は三年ぶりに地域の図書館へ行ってみた。しかし、運の悪い事に小学生の頃のクラスメイトと鉢合わせしてしまったのだ。かと言って、何か言われた訳ではない。元々、普段はそうだった。直接何かを言われる訳ではなかった。最後の、あの日が例外的だったのだ。サラに気づいたクラスメイトは、血相を変えて逃げ出した。
 ……ただ、それだけ。





No.1





 ナミの呼ぶ声に、サラは夕飯へと階段を下りていった。ダイニングに入るなり、アリスが食卓に皿を並べながら振り返る。
「シリウスに手紙、出した?」
「……出してないわ」
「また? 彼、待ってると思うわよ。サラからも手紙来ないかって」
 サラは答えなかった。
 折り良く、エリが外から帰って来る。そのまま席に着こうとしたエリに、アリスの叱責が飛んだ。
「まず手洗い!」
「はーい……」
 エリは渋々と席を立つ。
 エリは双子の妹、アリスは異父妹だった。けれど実際のところ、エリとアリスの方がまるで本当の姉妹のように仲が良い。――実際、ほんの三年前までは、エリとアリスが同一の両親なのだと信じて疑わなかった。
 サラは、孤児院から引き取られた身の上だった。この家の子供はエリとアリス、親はナミと圭太。小学六年生の夏まで、ずっとそう思い込んでいた。
 サラを引き取った女性は、圭太の継母だった。――そして、ナミの実の母親だったのだ。生まれて直ぐに捨てられてしまった孫を、彼女は引き取った。それが、サラである。サラの実母は、ナミだった。
 同年齢なのだから当然、エリは同時に生まれてきた双子となる。サラとエリの実父が判ったのは、ほんの数ヶ月前。無実の罪で囚われ、脱獄囚として追われていた彼の逃走を、サラ達は手伝った。ホグワーツで出会った、かけがえの無い仲間達と一緒に。
 シリウスの無罪は判明したが、それでもナミと彼の間には蟠りが残っている様子だった。彼らの破局の原因は、別の所にあるのだ。当時ナミは、サラ達の祖母を避けていた。それをシリウスは、引き合わせようとしたらしい。シリウスは良かれと思ってした事だが、ナミにそれは伝わらなかった。ナミは、彼女を嫌っている――嫌いに、なる事にしたのだ。彼女が、自分を認めてくれなかったから。
 スクイブが、自分の子供なんてあり得ない。
 そう言って、祖母はナミの心に深い傷を負わせた。けれど、ナミがスクイブである筈がない。スクイブは、ホグワーツには通えない事になっている。劣等性を揶揄して言う事もあるが、サラは祖母がそんな人だったとは思いたくなかった。
「おい、サラ」
 洗面所から戻ってきたエリが、まだ湿った手で封筒を差し出した。
「ポストに入ってた。いい加減、親父に返事書いてやれよ」
「だって、何書けば良いのか判らないんだもの」
「何だっていいじゃんか、そんなのさ。今日何した、とか。クィディッチ・ワールドカップを見に行く予定だ、とか。サラだったら、日刊預言者新聞の記事とかも話題に出来るんじゃね? 親父どっかに隠れ住んでるんだろうから、そう言う外の事分かる話は大歓迎なんじゃないかな」
 サラは、食卓に置かれた新聞の束から英語の物を引っ張り出す。
「それじゃ……マチルダ・バグショットの新刊初動?」
「それはハーマイオニー向けだろ」
「魚どれがいい?」
 台所からナミの声がする。エリが真っ先に身を乗り出した。
「お、あ、あた……えっと、尻尾の方」
「私、頭ー。サラは?」
「残ったので良いわ」
「選びなさい。私はどちらでもいいんだから」
 言ったのは、ナミだった。サラは目を瞬く。
 だが、選択権を与えられたところで本当にどうでも良い。
「頭の方がおいしいわよ。内臓避けるの面倒だけど」
「じゃあ、そっち……」
「お母さん、サラも私と一緒ー」
 結局アリスが選んだようなものだが、何だか嬉しかった。今までサラは自分で物を選ぶ事など無くて、それが当然なのだと思っていた。祖母が亡くなってしまってからと言うもの、サラは厄介者でしかなかったのだから。
 たまにだが、妹達と買い物に出掛けるようにもなった。シリウスに出そうとしていた手紙の便箋も、アリスに選んでもらった物だ。
 何気ない会話や日常だが、三年前と比べると何かが確実に変わっていた。





 夕飯を終え、サラは真っ直ぐに部屋へと帰る。少ない荷物は全てトランクや大鍋の中に纏められ、部屋はすっきりとしていた。
 開け放されているエリの部屋をそわそわと覗き、時間を確認する。七時半まで、あと十分。
 部屋に戻り、上を切り取ったティッシュ箱、その一番上に入れられた封筒を手に取る。切られた封蝋は、マルフォイ家の物。
 本日何度目か便箋を出そうとしたその時、外から大きな物音が聞こえた。重い銃声のような、バーンと言う音。サラはパッと立ち上がる。封筒を手紙箱に戻し、部屋を出た。
 階段を降りている所で、再び音が聞こえた。バチンと言う、何かを弾くような音。姿現しの音とは、少し違う。
 首を傾げながらも居間を通り抜け、玄関の扉を開ける。
 門の前に、人はいなかった。家の前に車が停められているだけだ。少し先に目を向けると、向かいの家の塀の下で二人の人物が見知らぬ男に助け起こされていた。
「どうしたの!?」
 サラは玄関を飛び出し、二人に駆け寄る。
 ドラコは慌てて居住まいを正した。見知らぬ男は、一礼して車へと戻った。どうやら、運転手らしい。
「ドラコ、一体何があったの? 大丈夫?」
「あ、ああ――入ろうとしたら、弾かれたんだ。何か防御魔法を掛けていたんだな」
 思慮深そうに言うが、髪や服は弾かれた衝撃で乱れている。
 それからサラは、ドラコの隣に立つ男を見上げた。ドラコと同じ、プラチナ・ブロンド――ルシウス・マルフォイ。無言でサラを見つめるマルフォイ氏に、サラは頭を下げた。
「お久しぶりです、おじ様。お世話になります」
「……ああ」
 マルフォイ氏は、拍子抜けたように頷いた。
 サラが彼と会うのは、バックビークの裁判以来だ。けれど、最終的にバックビークの命は助かった。シリウスと一緒に何処かで隠れ住んでいると、サラは知っている。
 マルフォイ氏は怪訝気に続けた。
「しかし、君は今何処から――」
「え?」
 マルフォイ氏が何を尋ねたかったのか、聞き返す事は出来なかった。
 歩いて来た人物に、サラ達は振り返る。
 圭太が仕事から帰って来たところだった。圭太も、マルフォイ親子に気がつき足を止める。
「お客様か、サラ――」
「ええ……マルフォイさんよ」
 サラは日本語で答え、すっと彼から視線を外す。そして、親子二人に英語で言った。
「……父です」
 ドラコがハッと息を呑み、サラを見つめた。
「ああ、なるほど。貴方が……」
 高慢な話し方に、サラはマルフォイ氏の横顔を見つめる。
 彼は前へと一歩出たが、握手を求めようとはしなかった。
「ルシウス・マルフォイです。こちらは、息子のドラコ。息子が、お宅のお嬢さんと親しくさせて貰っていましてね……お噂はかねがね」
 言葉こそ丁寧なものの、その声色には明らかな侮蔑が含まれていた。予想はしていた事だ。圭太は、マグルだ。
 ドラコは、自分の父親とサラをきょろきょろと見ていた。
 サラは口を真一文字に結び、圭太へと視線を移す。圭太はなんと、微笑っていた。慣れない英語で、彼に話し掛ける。
「ケイタ・モリイです。初めまして。不甲斐無い者ですが、サラの養父をやっています。上がっていかれますか?」
「いや、結構。直ぐに出発しますのでね」
 ドラコは、チラチラとサラの顔色を伺っている。
 ガチャリと戸の開く音がして、エリが外へと出てきた。ドラコを見て、顔を顰める。
「げっ、お前かよ。何しに来たんだ?」
「お前なんかに用は無い。引っ込んでいろ」
「何だと!?」
「エリ、お客様にそんな言い方しないの。――あら、ドラコじゃない」
 エリの後ろから出て来たのは、アリスだった。アリスは、ニコニコと手を振りながら門から出て来る。
「こんばんは、ドラコ。そちら、お父さん?
初めまして、アリス・モリイです。サラの妹で、ドラコ先輩とは同じ寮です」
 マルフォイ氏に話しかけ、それからまたドラコに目を向ける。
「若しかして、サラと出掛ける約束でもしてたの?」
「言ってなかったのか?」
 ドラコが、目を丸くしてサラを見た。
「……だって、態々伝える必要も無いと思ったから」
「一体、何の騒ぎ? どうしたの?」
 次に出て来たのは、ナミだった。客人の姿に気付き、エプロンを外して門から出て来る。エリも、その後に続いて出て来た。
 マルフォイ氏は、門の辺りを凝視していた。
「忠誠の術か――否――」
 微かに呟き、ドラコや運転手に視線を走らす。その表情は、怪訝気だった。
「こんばんは。若しかして、ルシウス・マルフォイさんですか?」
 ドラコを見て、ナミはマルフォイ氏に言った。ドラコの方は知らないだろうが、ナミは昨年何度も彼と会ったのだ。
 ナミはやや、緊張しているように見えた。
「エリとアリスの母です。――サラも、うちで預かっています。アリスやサラが、お宅の息子さんにお世話になっているようで……」
「いや――こちらこそ」
 マルフォイ氏の声には、やはりマグルに対する軽蔑の意が含まれていた。
 すっと圭太が動いた。ナミの肩にそっと手を乗せる。
「すみません、マルフォイさん――妻は、体調が優れないようです」
 ――え?
 圭太は、ナミを家の中へと促した。特に、普段と変わったようには見えなかったのに。
 マルフォイ氏は気にせず、サラに言った。
「荷物は何処にある?」
「あっ、部屋に――今、取って来ます」
 マルフォイ氏は、早くここから――マグルの世界から離れたいとでも言いたげだった。
「手伝うよ」
「ありがとう」
 ドラコの前に立って、サラは家へと入って行く。
 門を入るとき、横に立っているエリがニヤニヤしているのが見えた。何か言おうとしたエリはアリスに叩かれ、サラも何も言えずにそのまま通り過ぎた。

 家に入ったドラコは、物珍しそうに家の中を見回していた。恐らく、マグルの家は初めてなのだろう。
 居間を通り過ぎて直ぐ、階段に突き当たる。その手前にある扉は、風呂とトイレの物のみ。
「中の広さは、見た目のままなのか?」
 驚いたように、ドラコが言った。サラは肩を竦める。
「当然。だって、魔法使えるのは未成年ばかりよ? マグルの建てた家を買っただけだろうしね」
「え……アー……綺麗な家だしな。広さなんて、関係無い――」
「……」
 普段ロンの家庭を馬鹿にしている分、勝手に気まずく思っているのだろう。ドラコがロンの家を知っているかは分からないが、交通の便が良い住宅街に建つこの家は、隠れ穴よりも狭い。
 階段を上って直ぐ、右手がサラの部屋だった。部屋に入って直ぐの所に、荷物は纏まっている。
「サラ、あれは何だ?」
 ドラコは、天井の一角を指差して尋ねる。
「エアコンよ。あれで室内を温かくしたり、涼しくしたり出来るの。使用禁止にされるばかりで、あまり使えなかったけれどね――」
 言ってから、初めて気がついた。
 ――ハリーの部屋には、エアコンなんて無かった。
 サラは自分の部屋を見渡す。過去の教科書や、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店で買った本が、所狭しと並べられている本棚。赤いランドセルが横に掛かったままの勉強机。足元に敷かれたカーペット。どれも、ハリーの部屋には無かった物だ。若しも彼が日本に住んでいたら、ベッドさえも無かったかも知れない。
「これで全部か? ――どうしたんだい?」
 ぼうっと立ち尽くしているサラに、ドラコが尋ねる。サラはハッと我に返った。
「別に、ちょっと……私、若しかしたら思っていたほど不幸じゃなかったのかも知れないと思って」
「え?」
「だって、机やエアコンってそれなりに値段がする物よ。本当に私の事がどうでも良いなら、買わなかったんじゃないかって……尤も、おばあちゃんが買ったって可能性もあるけれどね」
「ふうん……」
 ドラコは、彼にとっては未知である白い機械を見上げる。
「それでも、おばあちゃんが亡くなった時に私はまだ七歳。窓やエアコンの掃除をしてくれてたのって、あの人達なのよね……。
貴方に聞かれて、そう言えばハリーの部屋にはエアコン――はそもそも必要な地域なのか分からないけど、本棚とかこう言うしっかりした机とかって、無かったなあって思って」
「……ポッターの部屋?」
 サラは「しまった」とドラコを見た。また、ドラコの変なスイッチが入れられてしまったらしい。
「ポッターの部屋に行った事があるのか? 去年、僕の誘いは断ったのに? まさか、一人じゃないだろうな?」
「去年じゃなくて、二年生になる時だわ。ハリーが親戚夫婦に閉じ込められちゃって、助けに行ったってだけよ。大丈夫、ロン達も来たわ」
 後からだったが、嘘は言っていない。図らずも一晩泊まる事になってしまったのは、言わない方が良いだろう。
「でも、誰かの家に招かれたのは、ドラコが初めてだったわ。自分の部屋に招くのも、初めて。嬉しいの、誰かを家に招く日が来るなんて、昔は思いもしなかったもの」
「え……」
 ドラコはふいと、顔を背けた。
「そ、そうか」
 青白い頬に、僅かに赤みが差している。先程までの機嫌とは一転、口元は笑い出しそうなのを抑えているようだ。
「これだよな?」
 ドラコは大鍋を抱え上げ、トランクを立たせる。声がやや弾んでいる。機嫌が変わり過ぎだ。ドラコ自身、そう思っているのだろう。精一杯、隠そうとしていた。
 ――バレバレだけどね……。
 サラはエフィーの籠を机から取り上げながら、ふっと微笑む。
 彼を可愛いと思う。彼を愛おしいと思う。どんな言葉でも、今のこの温かな気持ちを言い表せそうには無かった。ただ、ドラコが大切だ。ずっと、彼の隣にいたい。
「あ、家の中では引きずらないでね。怒られちゃうから……」
 そのままトランクを転がしていこうとしたドラコに、サラは慌てて言う。
「軽くしようか?」
 ポケットから杖を取り出す。本当は禁止だが、ナミがいる限りこの家での使用はばれない。
 けれど、ドラコは首を振った。
「禁止されているだろう。マグルの家なんだから、面倒な事になる」
 言われて、サラは気がつく。ドラコは、ナミが魔法使いだと言う事を知らない。
 横向きにし、持ち上げて部屋を出る。片手にはトランク、片手には入り切らなかった本やタオルを入れた大鍋。細い腕で、ふらふらと運んで行く。サラは鳥籠を抱え、その後に続いた。
「……大丈夫?」
「余裕さ」
 言葉通りには到底見えない。
 最大関門は階段だ。流石のドラコも、ここで意地を張ろうとはしなかった。一段一段、トランクを下ろして行く。それでもやはり、大鍋をサラに預けようとはしなかった。
 そして案の定、それは起こった。
 上の段にあるトランクを片手で持ち上げた途端、ドラコの身体が後ろに大きく傾いた。サラは咄嗟に手を伸ばす。
「ドラコ――」
 ぐるんと視界が回転した。ドンガラガッシャン――大きな音が響き渡る。
 サラは目を開き、硬直した。サラの回した腕で、ドラコは頭を打たなかった――当然、至近距離にドラコの顔がある。
 バタバタと足音がして、居間の扉が開いた。駆けつけた四人――エリ、アリス、ナミ、圭太は、その場で固まる。
 ドラコの上にサラが馬乗りになり、頭に手を回していると言う誤解を招く体勢。
 二人は慌てて離れ立ち上がる。
「ちっ、違うんだ――これは、たまたま――」
「事故で――別に私、そんなつもりじゃ――」
 ドラコもサラも真っ赤になって弁明していた。
 エリが、ニヤリと笑った。
「サラー、こんな所でマルフォイ襲うなよー」
「ばっ、馬鹿! 違うって言ってるでしょう!!」
 殴りかかったサラを、エリはひょいとかわす。
 エリのあまりにもストレートな言葉に、笑いが起こった。アリスが、足元のタオルを拾い畳み直す。
「大丈夫? 怪我は無い?」
「え、ええ」
「君も、大丈夫かい」
 圭太が、ドラコに話しかけた。ドラコは驚きながらも頷く。

 飛び散った荷物は、七人がかりであっと言う間に元通りになった。トランクが開かなかったのが、幸いだ。
 大鍋の中の荷物を纏め直し、ナミや圭太を見る。彼らも、手伝ってくれたのだ。
「あの……」
「勘違いするんじゃないよ。さっさと行って欲しいだけだ」
「そう。お望み通り、直ぐに出て行くわ。行きましょう、ドラコ」
「え――でも――」
「早く!」
 トランクとエフィーの籠を抱え、荒々しく玄関を出て行く。ドラコは大鍋を抱え、慌ててサラの後をついて来る。
 マルフォイ氏は、門の外で待っていた。
「すみません、遅くなりました」
 ドラコは、ちらちらと玄関扉を振り返っていた。
 その扉が開き、アリスが出て来た。ナミらを気にするドラコに、アリスはにっこりと笑って言った。
「大丈夫、気にしないで。サラもお母さんも、ただ意地を張って素直になれないだけなんだから」
「ちょっとアリス! 何、勝ってな事言ってるのよ!?」
 マルフォイ氏は、やはり門の辺りを見つめている。
「君の家族が急に家に駆け込んで行ったが、一体……?」
「階段から落ちてしまって」
 運転手にトランクを預けながら、サラは答えた。
「『急に』って、音は父上も聞こえていたのでは?」
「ん――ああ――何があったのかと思ってな」
「上がっていらしても良かったのに。ここでは暑かったでしょうし――」
「魔法を使っているから平気だ。――行くぞ、ドラコ」
 アリスと話し込むドラコを呼び、マルフォイ氏は助手席に乗り込んだ。
 サラとドラコも、後部座席に乗る。窓を開け、アリスに手を振りながら、車は発車した。
 昨年の駅への道のりを思わせる車だった。一見、普通の車と大差無いのだが、明らかに通れる筈の無い道を通っている。そして、マグルが車の通行に気付く気配は無い。
「父上が魔法省に出させたんだ。今、この国の魔法省に向かってる。そこから、イギリスへ煙突飛行さ。この国は、暖炉が無いみたいだからな」
「おじ様、日本にも伝手があるの?」
 サラの問いに答えたのは、マルフォイ氏本人だった。
「七年前に仕事で日本に来た事があってね……」
「へぇ……」
 それっきり、マルフォイ氏は黙り込んだ。ドラコが、サラに出掛ける予定を持ちかける。クィディッチワールドカップまで、あと半月以上ある。その間ずっと、ドラコの家に泊まる事になっていた。
 車は、夜の闇の中をすり抜けて行く。途中、海沿いを走った事にも、サラは気付かなかった。


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2010/05/19