エリは、息を切らして階段を駆け下りていた。朝のジョギングも後半にかかり、ふくろう小屋への急な階段を上り下りする。数回の往復を終えて最後に階段を降りていくと、階段の下にくしゃくしゃの黒髪の少年が姿を現した。
「あれっ。ハリーじゃんか」
ハリーはギョッと階段を見上げ、声の主がエリだと判るとホッとした表情になった。
「おはよう、ハリー。誰かに手紙?」
「うん。シリウスに送ろうと思って」
言いながら、ハリーは階段を上って来た。
「親父に? そう言えば、ハリーはどうだ? 八月ぐらいから、全然連絡が取れなくって……」
「多分それ、僕の所為だ。七月の末に、僕が手紙を送ったんだ。あいつの夢を見て、傷跡が痛んだから……」
「あいつって、ヴォルデモートの?」
エリは目を見開く。
「それで、親父は何て?」
「……こっちに、来るって」
何故か、ハリーは不本意だとでも言いたげな様子だった。
エリはハリーとは対照的に顔を輝かせる。
「それじゃ、一安心だな! それで、暫く手紙出せなかったのか。いつ頃こっちに着くって? もう向かってるんだろ? また会えるかな」
しかし、ハリーはムスッとした顔で言った。
「冗談じゃないよ! また戻って来たりして捕まったら、僕の所為だ。そんな大した事じゃないのに! それで、手紙を出しに来たんだ。何でも無いから、来なくていいって」
ハリーは憤慨しながら、エリの横をすり抜けて階段を上って行く。エリはその後を追いかけた。
「何でも無いってこた無いだろ。傷って、ヴォルデモートから生き残ったって時に付いたあれだろ? 夢ってのも、何を見たんだよ。親父に連絡したって事は、ただの悪夢って訳じゃなかったんだろ?」
「ただの悪夢だよ、本当に。あれが現実に起こった事なのかどうかも判らないし……」
言ってから、ハリーは「しまった」と言うように口を閉ざした。
エリの眉がピクリと動いた。
「現実に起こった事かどうかって、そういう夢だったのか? 昔を思い出すような感じじゃなく? それって、『大した事』じゃないか! 親父が来るって言うのも当たり前だよ!」
「君達の父さんがまた捕まるかも知れないんだ!!」
振り返り、ハリーは怒鳴った。
エリは驚いて足を止める。ハリーはエリの一段上に仁王立ちになって見据え、それからふいと視線を外した。
「せっかく父親が生きていて、それに無罪だって分かって逃げおおせたんだ……僕だって、シリウスがまた捕まるなんて嫌だ。それに今度は、捕まったら吸魂鬼の接吻が待ってる」
「……」
吸魂鬼の接吻。それを受けた者は魂を抜かれ、抜け殻の人形みたいになってしまう。生きながらの死だ。シリウスがそんな状況になってしまうのは、エリだって嫌だ。――それでも。
「それでも……親父は来るよ。ハリーがどんなに手紙で否定したって、無駄だと
思う」
ハリーはエリに視線を戻し口を開いたが、何も言わずにつぐんだ。
「あたしなら――親父なら、来るなって言われても来るさ。それがどんなに危険な事だろうと、な」
ハリーは何も言わなかった。
エリは「じゃあね」と軽く手を挙げ、階段を降りて行った。階段を降りきった所でふと立ち止まり、背後を振り返る。ハリーは階段を上りきり、ふくろう小屋へと姿を消して行ってしまう。
――まあ、大丈夫そうか……。
グリフィンドールの『闇の魔術に対する防衛術』は、木曜日が最初だとフレッドとジョージから聞いた。ムーディの授業にエリ達は興奮してさざめき合ったが、サラやハリーにとってはそうではないだろう。二人は、その呪文が人に対して使われた場を見ている。その呪文によって愛する人を失っている。
けれど例えその話を持ち出したとして、エリは何を言おうとしたのだろう。
エリには想像の及ばない範疇だ。エリにとってあれらの呪文は、蜘蛛を容易く手玉に取るものでしかなかった。凄いと、そう思うものでしかなかった。だから授業が終わったとき、エリはアーニー達と授業の話で盛り上がった。そんなエリが掛けられる言葉など、ありようも無い。それに、思い出させるのも気が引ける。話題を持ち出さなくて良かったのかも知れない。
「おはよう、エリ。相変わらず早いね」
物思いに耽っていたエリは、声を聞いて初めてセドリックが正面から歩いて来る事に気付いた。玄関ホールまで辿り着いたところだった。
セドリックは、エリの降りて来た大理石の階段を見上げる。
「何処へ行っていたんだい? まさか、図書館って訳じゃないだろう?」
「ふくろう小屋。あそこの階段、人気少ないし急だしで、筋トレにはちょうどいいんだよ」
「へえ……今年はクィディッチが無いのに、頑張るね」
「クィディッチ無いからって一年もサボったら、身体鈍っちまうからな」
二人は連れ立って、地下への階段を降りて行った。大きな果物籠の絵画の前を横切りながら、エリは言った。
「そう言えば、セドリックって誕生日いつ? 十七来てたりするのか?」
「ああ、年齢制限の事? 僕は大丈夫そうだよ。決めるのが新学期初日じゃなくて、本当に良かったよ」
「って事は、立候補するんだ? セドリックならきっとなれるよ! 楽しみだな〜。三大魔法学校対抗試合って、どんな事するんだろうな。十四歳も参加許してくれりゃ良いのに」
「仕方ないよ。危険だからって、ずっと中止になって来たんだ。せめてもの安全策として年齢制限をつけたって、そう言ってたろう?」
「それにしたってさー……。フレッドとジョージが、掻い潜ってやるって息巻いてたんだ。方法見つけたら、あたしも便乗してやる!」
「ダンブルドアが目を光らせてるんだから、無理だと思うけどなあ」
「んじゃ、賭けようぜ。セドリックは、あたしが立候補出来ないのに十ガリオン、あたしは立候補出来るに十クヌートな」
「単位が違うじゃないか」
セドリックは苦笑する。
エリは駆け出した。
「決まりーっ。よっしゃあ! 方法探すぞーっ!」
「僕は賭けるなんて言ってないよ!」
ハッフルパフ談話室へと駆けるエリの後を、セドリックは慌てて追い駆けて行った。
No.10
闇の魔術に対する防衛術。ハッフルパフ生達は、ムーディの言った言葉が信じられず言葉を失っていた。
服従の呪文を一人一人に掛け、抵抗出来るかを試す――ムーディは、そう言ったのだ。
「でも、そんな――そんな!」
ハンナが声を上げたが、続きは言葉にならなかった。
我に返ったアーニーが、後を引き継いだ。
「人にかけるのは、禁止されてるんじゃ……」
「ダンブルドアが決めた事だ。実際、悪意を持ってこの呪文を掛けられる時に知りたいと言うならば、わしは止めん。この教室から出て行くが良い」
誰も、教室を出て行こうとはしなかった。
ムーディは生徒を一人ずつ呼び、順々に服従の呪文を掛けていく。呪文を掛けられた生徒は、机に飛び乗ったり、タップダンスを踊ったり、まるで初授業の時に見せられたあの蜘蛛のように可笑しな動きをした。中には、普段なら到底出来ないような見事な体操を繰り広げる者もいた。
「あたしだったら、何になるんだろうな」
ジャスティンがバック転を繰り返すのを見ながら、エリは隣に座るアーニーに言った。
「さあ……バック転ぐらいなら、ふざけてやっていても判らないからな。突然踊り出すのもやりそうだし。机に乗るとか、そっちのタイプじゃないかな」
「突然踊ったりはしねーよ」
「モリイ」
ムーディが唸るような声で呼んだ。
「んじゃ、行って来まーす」
エリは二カッと笑い、アーニー、ハンナ、スーザンに手を振って前へ出て行った。教室の中央は机が片付けられ、ぽっかりとスペースが出来ていた。
ムーディは杖をエリに向かって振り下ろし、唱えた。
「インペリオ!」
ふわりと身体が浮いたような心地だった。何も意識する事も無く、ぼんやりと正面を眺める。ただそれだけで良い。何か言っている。視界が低くなる。
我に返ったとき、エリは教室の周りをうさぎ跳びしていた。立ち上がり、ぼうっと教室の中央を見つめる。ハンナが怯えながら、ムーディの方へと歩いて行っていた。
「インペリオ」
呪文が唱えられる。ハンナは鳥の羽のように手を羽ばたかせ、走り出した。
ハンナ、そしてスーザンが服従の呪文を掛けられているのを見る内に、徐々に意識が覚醒して来た。エリは頭を振り、アーニーとジャスティンの所へ戻る。
「お疲れ、エリ。ムーディが呪文やめてからも、ちょっと影響受けてたみたいだけど」
「抵抗なんて、無理無理。アーニーは順番まだ?」
エリが言った途端、ムーディが「マクミラン」と唸った。アーニーは渋々とそちらへ歩いて行く。
「普通、笑いながらなんて行けないわよねぇ」
ハンナがエリを見て言う。自分の番が終わって、緊張が解けたようだ。
他にも、自分の番が終わった生徒達は何処か安堵していた。可笑しな動きをする仲間を笑う余裕さえあった。
『森に行かなきゃいけないんだ』
ふと、脳裏に声が蘇った。森へ行け。攻撃しろ。三年前、エリはいとも簡単に操られてしまった。
『お前には関係ない。首を突っ込むな』
エリは、隣にいるハンナに目をやる。ハンナもエリを見ていたらしく、目が合った。
エリはきょとんと首を傾げた。
「ん? 何だ?」
「いいえ、何も……」
ハンナはついと視線を教室の中央へと戻す。アーニーがバレエのような回転をやめ、ふらふらとよたついていた。
ムーディは『服従の呪文』について何か本を読むように宿題を出し、授業を終わらせた。生徒達は一刻も早く教室から離れようと出て行く。急かすアーニーに、エリは言った。
「先行っといてくれよ。あたし、ちょっとムーディに用があるんだ」
教師に用があると言って残るのは、魔法薬学の授業で既に珍しくない事となっていた。エリがサラの両親について調べている事はアーニー達も知っていたし、今回もその事だろうと思ったようだった。
同級生達が教室からいなくなると、エリは机を戻すムーディの所へと歩み寄って行った。
「ムーディ先生。お願いがあるんです」
机が戻り、ムーディは杖を降ろしてエリを見る。エリは、その目を真っ直ぐに見返した。
「私に、補習をしてくれませんか。服従の呪文に、抵抗出来るようになりたいんです」
ムーディは暫く、無言でエリを見つめていた。まるで、補習するだけの価値があるかどうか品定めしているようだった。
やがて、彼は言った。
「ふむ……常に最悪の事態を想定し、備える事は実に良い事だ……。だが、理由を聞いても良いか? わしも、そう暇ではないのでな」
「……一年生の時、服従の呪文――多分、そうだったんだと思う――それを、掛けられた事があるんだ。あたし、全然抵抗出来なくて……命令のままに、相手を傷つけて……このままじゃいけないんだ。もう、二度とあんな事になっちゃいけない」
エリは、ムーディの目をじっと見据えた。
ムーディの普通の目と、魔法の目、その両方がエリを見つめていた。ふと、ムーディは言った。
「モリイ、確かお前は、シャノンと暮らしているのだったな? 三年生のアリス・モリイは、お前の妹だったか」
エリはこくりと頷いた。
「妹は、どうやら魔法が使えんようだが――」
「ああ……はい。スクイブ――だと思ってたんだけど、サラが言うにはあり得ないそうです。スクイブだったらホグワーツに入学出来る筈無い、って」
「確かにその通りだ。スクイブは入学が許可されない。それに、確かお前達は両親双方がマグルだったな?」
「え――あ――はい」
ナミはマグル。世間一般的には、そう言う事になっている。サラは、圭太の継母の実孫。引き取っただけの子であり、エリとアリスが完全な姉妹なのだと。
「しかし、珍しいな。親はマグルなのに、子は両方魔法使いとは……。それに、その状況なら魔法が使えなければマグルなのだと判断され、やはり入学は出来ない筈だが……」
「アリスが魔法使えないのに入学出来たのはよく分からないけど、両親マグルで子供皆魔法使いは珍しくないんじゃないですか? コリン・クリービーだって、弟が今年入学したそうだし」
エリは内心首を捻る。ムーディが何を言いたいのか、よく解らなかった。
「シャノンは多くの闇の魔法使いが狙うだろう。お前達も巻き込まれかねん。妹は、魔法が使えない。なるほど、危機感を持つのは悪くないな」
「じゃあ……」
「良かろう。土曜の午後は空いているか? 夜は、何かと警戒が必要なのでな」
「大丈夫です! ありがとうございます!」
エリはぱあっと顔を輝かせて頭を下げた。
放課後、エリはウキウキと弾むような足取りで地下牢教室へと向かった。服従の呪文に抵抗する方法を学べる。もう、操られてセブルスを攻撃する事は二度と無くなるのだ。それを思うと、心が軽くなった。
しかし、当のセブルスはムーディを快く思っていないようだった。
「アラスター・ムーディには、気をつけたまえ」
エリが補習の話を持ち出す前に、セブルスはそう言った。
エリは目をパチクリさせる。セブルスがムーディを良く思っていないのは、新学期の宴会から何となく分かっていた。セブルスが闇の魔術に対する防衛術の教職に就きたいと思っているのは、有名な話だ。去年は学生時代同期だったリーマス・ルーピンがその職に就き、それまで以上に闘争心を燃やしていた。それでも、「気をつけろ」なんて警戒するような態度を取るのは初めての事だった。
「なんで……」
「あやつは、一時でも死喰人だった者を憎んでいる。今監獄に入っていない者達を、尚更な……今の信用など、奴にとっては何ら関係無い。そして、そやつらを嵌める為なら、奴は何でもするだろう。近しい者がどう利用されるか、分かったものではない」
エリはぽかんとセブルスを見上げる。
今、余りにも呆気なく、重大な事を告白された気がする。
「一時でも死喰人だったって……お前、死喰人だったの?」
「どの道、お前の耳にも入るだろうからな。誤解されんように言っておくが、ダンブルドアの信頼の元、スパイをしていた」
「何だ。こっち側だったって事か。でもそれなら、ムーディだって信じてくれるんじゃねーの? 言えば良いじゃんか、スパイしてただけだって。ダンブルドアだって、口添えしてくれるだろ?」
「言っているとも。それでも奴は、人の信用などお構いなしと言う事だ。自分で判断する、そう言う事らしい」
セブルスは苦々しげに言った。エリは、先週玄関ホールで起こったドラコのケナガイタチ騒動を思い出す。ムーディはドラコを連れて、セブルスの所へと向かった。あの後、何かあったのかも知れない。
セブルスが杖を振り、エリが座る前に紅茶が置かれた。次に自分の分を注ぐ。その横顔に、エリは話し掛けた。
「あたし、服従の呪文に抵抗出来るよう、ムーディに補習してもらう事になったんだ」
カチャンと音を立ててカップが床で割れた。
セブルスは直ぐにまた杖を振り、カップを直し床を綺麗にする。紅茶も手元の採点も後回しにして、エリの座る机の方に身を乗り出した。
「ムーディに? それは、本当かね?」
これ程驚くセブルスは珍しい。
エリは飄々と言った。
「うん。今日の授業で、ムーディが生徒一人一人に服従の呪文を掛けたんだよ。当然だけど、全然抵抗出来なくてさ――このままじゃいけない、って思って」
「貴様が態々補習を頼むとは、一体何事だ? 明日は雨どころか槍が降りそうだな……」
「失礼な奴だなー。
ほら、一年生の時にあったろ? あたしが服従の呪文に掛かっちゃって、セブルスの邪魔するような事になっちまって。またあんな事があったら、嫌じゃんか」
「……知っているのか?」
そう尋ねるセブルスは、左腕を押さえるようにしていた。エリはきょとんとする。
「知ってるって、何が?」
逆にエリは尋ね返す。セブルスは、何処か安堵したように見えた。
紅茶を再び注ぎ直し、新学期も早々に出し始めた宿題の採点をしながら一口啜る。
「とりあえず、ムーディの補習は断りたまえ」
「は!?」
今度は、エリが驚く番だった。勢いそのまま立ち上がる。
「んな事、出来る訳無いだろ!? あたしから頼んだのに!」
「都合がつかなくなったとでも言えば良い。思いの外宿題が多かった、とかな」
「何、無茶苦茶言ってんだよ。今、言っただろ。服従の呪文に抵抗出来るようになりたいから、補習を頼んだって……このままじゃ駄目なんだよ」
「それなら、我輩がやってやろう。そうすれば、態々ムーディなんぞに頼む必要もあるまい」
エリはぽかんと呆気に取られる。
こんなにも頑なに他の教師を避けようとするなんて、今までに無い事だった。余程、ムーディの事がが苦手らしい。
「でも実際、お前が教えてくれるには無理があるだろ。本来人に向けちゃいけない魔法なんだから、許可とか何とかでさ。ムーディなら、授業の補習って事で何とかなるだろうけど」
「……」
セブルスの眉間に、皺が増える。エリは笑った。
「でも、ありがとな。心配してくれて。大丈夫だよ、そんな悪い先生じゃなさそうだからさ」
一方、サラの方は服従の呪文をあっさりと跳ね返した。ハリーも完全には呪文に掛からず、抵抗を見せた。ムーディは「流石だ」と褒め称え、ハリーには完全に抵抗出来るまで何度も呪文を繰り返した。
サラは、ムーディが自分を見るときの恍惚としたような表情が、どうにも嫌で仕方が無かった。ほんの一瞬見せる、崇めるような眼差し。サラは魔法力が強く成績も優秀だと自負してはいるが、流石に教師から崇められるようなレベルではない。それにどうも、ムーディが見ているのはサラの実力とは別の所にあるように思えて仕方が無かった。
ハリー達はその視線について気付いていないのか、何も言わない。教師が自分を崇めているようだなんて、とても自らは言い出せなかった。誰にも何も言えず、闇の魔術に対する防衛術の授業は不快感が募るばかりだった。
また、宿題が激増したのもサラのストレスを更に加速させた。変身術の授業の時、マクゴナガルがその理由を説明した。
「皆さんは今、魔法教育の中で最も大切な段階の一つに来ています。O・W・L――一般に『ふくろう』と呼ばれる『普通魔法レベル試験』が近づいています――」
「『O・W・L』を受けるのは五年生になってからです!」
「そうかも知れません、トーマス。しかし、良いですか。皆さんは十二分に準備をしないといけません。このクラスでハリネズミをまともな針山に変える事が出来たのは、ミス・グレンジャーとミス・シャノンの二人だけです。お忘れではないでしょうね、トーマス、貴方の針山は何度やっても、誰かが針を持って近づくと怖がって丸まってばかりいたでしょう!」
次の授業は占い学だった。授業が始まるなり、トレローニーは言った。
「先日出して頂いた課題は、ミスター・ポッターとミスター・ウィーズリーが最高点でした。これ程にも素晴らしい予言を見た事がありませんわ……。二人は待ち受ける数奇な運命を、怯む事無く受け入れているのです」
サラは唖然として二人を見た。
クラス全体の視線がハリーとロンに集中する。前の方の席では、ラベンダーとパーバティがぐるんと身体ごと振り返り、ギラギラと二人を睨みつけて。二人は、顔を見合わせてにやっと笑った。
「何をしたの?」
サラは声をひそめてハリーとロンに尋ねた。ロンが、サラの声色を真似て言った。
「そんなに難しい宿題でもないだろう。ただ、授業で調べた天文図を元に一週間分調べ上げるだけなんだから」
「今から分かるさ」
ハリーが言った。トレローニーが、二人の予言を読み上げると言ったところだった。
月曜日、ハリーは火傷をし、ロンは大切な物を失くす。火曜日、水曜日、木曜日……その後も延々と、決して楽しいとは言えない一週間が続いていた。
「明らかにでっち上げじゃない?」
「トレローニーはそれがお気に入りなのさ」
眉を顰めたサラに、ハリーは得意気に言った。ロンが畳み掛ける。
「いいか、サラ。この授業に必要なのは、内なる眼とやらじゃないんだ。どれだけネタを持っているかなんだよ」
「馬鹿馬鹿しいわね」
サラはツンとそっぽを向く。二時間も掛けて複雑な計算を繰り返していたのが、馬鹿みたいだ。
トレローニーが二人の予言を長々と読み終えた後は、またも天文図との睨めっこだった。この授業は、まだ暫く続きそうだ。
「この先様々な試練や恐怖が皆さんを待ち受けているでしょう……それを予め知り、彼らのように受け止める事はとても大切な事ですわ……。一体何が皆さんを待ち受けているのか、いつ待ち受けているのか、どうかお調べあそばせ……。何も完全に分からなくても構いませんわ。その兆しだけでも、見つける事が出来れば……何か見えた方、あたくしの助言が必要な方は、どうぞ呼んでくださいまし……」
今日のハリーとロンは大乗り気だった。人生の一大事とあれば、一つ考えるだけで良い。死なない程度のネタを一週間分考えるよりも、ずっと楽だったのだ。
「なるべく命に関わるのが良いな……天文台から落ちるとか、大イカに引きずり込まれるとか……」
「いつ頃にする? 湖は、冬にした方がより危険度が増して良いかも……凍傷とかも加わるしさ」
大々的な事故をでっち上げる二人の横で、サラは黙々と表を見ながら計算して行く。何通りにも取れる参照が何箇所かあった。サラは唸る。どのパターンを取るかによって、結果が全く違って来てしまうのだ。
「サラもいい加減諦めろよ。こんなのやって、何になる? サラは……そうだな、マルフォイとの大破局なんてどうだ?」
「馬鹿言わないで」
ロンの提案を、サラはあっさりと却下する。四通り目の計算に取り掛かっていた。
ハリーは真冬に湖で溺れ、ロンはドラゴンで火傷する事にしていた。終わったと余裕綽々でだべる二人に、サラは口を挟んだ。
「湖はともかく、ドラゴンなんて現実味が無いと思わない?」
「休暇に、チャーリーの仕事場に行った時って事にするんだ。チャーリー自身も、直ぐ会えるとか何とか言ってたからな……」
「サラはどう? 何か判った? それとも、こっちの方法やる?」
サラはお手上げと言うように手をひらひらと振る。
「表の見方が二通りってのが複数あって、全部で八パターンも結果が出てきちゃうのよ。それにどれも、何だか曖昧……ねえ、この星の位置って、どう繋げば良いと思う? S字と見るか、渦巻きと見るか――」
サラは「あ」と出て来た結果に眼を留めた。
てんでバラバラな予言。けれど、どれにも共通するものがあった。
「十一月二十二日……」
「え?」
ハリーとロンは首を傾げる。サラは、計算式で埋められた羊皮紙を二人の方へと寄せた。
「ほら、この丸でぐるぐる囲んでるのが最終結果なんだけど……どれも、十一月二十二日だわ。こんなに全部で出るなんて、何かあると思わない? 何の日かしら」
「二十二? 一週間後なら、ビルの誕生日だよ」
「何曜日だろう。スネイプに毒薬を飲まされるのかも知れないよ」
「それか、あれだな。ムーディが『アバダ ケダブラ』を試す気になるとか」
「もういいわ」
サラは羊皮紙を自分の前へと引き寄せる。
トレローニーが一ヵ月分の出来事を調べる宿題を出し、ハリーとロンが声にならない呻き声を上げている間も、サラの意識は十一月二十二日にあった。一体何が、その日に起こると言うのだろう。
ずっと占い学の事ばかり考えていると言う訳にはいかなかった。どの授業も宿題が大量に出され、毎晩それに追われる事となった。大体の科目においてサラは他人より短い時間で片付ける事が出来たが、魔法薬学は大変足を引っ張ってくれた。その上占い学は、どう足掻いても速さに限度がある。三十日分も調べるとなると、殊更負担は大きかった。エリなんかは、図書館で参考書に埋もれ瀕死状態になっていた。
忙しい中でも、魔法生物飼育学で身体を動かしたりスクリュートの世話をしたりするのは面白かった。けれども、授業外で時間を取られるとなると話は別だった。
ハグリッドは、生徒が一晩置きにハグリッドの小屋へ来て、スクリュートの観察日記をつけようと言い出したのだ。案の定、ドラコが真っ先に反対した。
「僕はやらない。こんな汚らしいもの、授業だけで沢山だ。お断りだ」
「言われた通りにしろ」
にこにこと笑顔で提案したハグリッドは、スッと真顔になって唸った。
「じゃねえと、ムーディ先生のしなさった事を俺もやるぞ……お前さん、なかなか良いケナガイタチになるって言うでねえか、マルフォイ」
グリフィンドール生達の間から、ワッと笑い声が上がった。サラは僅かに眉を動かす。
ドラコは真っ赤になって怯み、それから食い下がるように言った。
「それじゃあ、グループにしろ」
「そうね。良い考えかも。面白いけど、危険な事には変わりないんだし。複数人で取り掛かった方が、お互いに注意出来て安全だと思うわ」
ドラコの提案にハグリッドは眉を顰めたが、サラの言葉を聞いて渋々頷いた。
「……そうだな。サラの言う通りかもしんねぇ。そんじゃ、二人ずつだ。別に、他のグループの時に一緒に来るのは構わねぇ。ただ、担当になった日はちゃーんと来るんだ。いいな?」
ハグリッドは、ドラコを疑り深げに見ながら言った。ドラコはハグリッドの話も皆まで聞かず、サラにグループを組もうと話しかけていた。
授業が終わった後、ハグリッドがドラコを言い負かした事でハリー、ロン、ハーマイオニーは意気揚々としていた。
「でも、サラがあいつと組んだりしなければもっと良かったのに。マルフォイの奴、絶対全部サラに押し付けるぞ」
懸念するロンに、サラは肩を竦めた。
「あら。私が彼に使いっぱしりになんてされると思う? 引きずってでも連れて行くわよ」
「そう言う風に考えると、若しかしたら良かったのかも知れないな。サラならマルフォイも真っ向から逆らったりしないだろ?」
玄関ホールは生徒でごった返していた。大理石の階段の下にある掲示板に、皆群がるようにして集まっている。
人垣の後ろまで行き、ロンが爪先立ちになって読み上げた。
「三大魔法学校対抗試合。ボーバトンとダームストラングの代表団が十月三十日、金曜日、午後六時に到着する。授業は三十分早く終了し――」
「いいぞ!」
ハリーが声を上げた。
「金曜の最後の授業は、魔法薬学だ。スネイプは、僕達全員に毒を飲ませたりする時間が無い!」
ロンが続きを読み終えたところへ、ハッフルパフのアーニー・マクミランがやって来た。
「たった一週間後だ! セドリックの奴、知ってるかな? 僕、知らせてやろう……」
「セドリック?」
アーニーが立ち去ってから、ロンがぽかんとして言った。
「ディゴリーだ。きっと、対抗試合に名乗りを上げるんだ」
「あのウスノロが、ホグワーツの代表選手?」
「あの人はウスノロじゃないわ。クィディッチでグリフィンドールを破ったものだから、貴方があの人を嫌いなだけよ」
「クィディッチのキャプテンをやるくらいだもの。運動神経とかリーダーシップには優れているでしょうし……」
サラの口添えに、ハーマイオニーは大きく頷く。
「あの人、とっても優秀な学生だそうよ――その上、監督生です!」
「君は、あいつがハンサムだから好きなだけだろ」
「お言葉ですが、私、誰かがハンサムだと言うだけで好きになったり致しませんわ」
ハーマイオニーはムッとして言い返した。ロンは咳をしたが、サラにはそれが「ロックハート!」と言ったように聞こえた。
それから一週間、三大魔法学校対抗試合の話で学校中もちきりになったのは言うまでも無い。
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2010/09/02