土曜日の朝、大広間へと向かいながら、ハリーはシリウスから来た手紙の内容をサラに話した。シリウスが持ちかけてきた約束に、サラは尋常ならざる反応を示した。
「二十二? 十一月二十二日にって、シリウスはそう書いていたのね?」
「うん。談話室にって――」
「……ねえ、ハリー。覚えてる? 九月にあった占い学……私、十一月二十二日ばかり出て来たわ」
「あ……」
ハリーは絶句する。
「まさか、城に入って来るなんて馬鹿な真似はしないと思うけど……。私も、人払いに協力するわ。女子寮の方はハリーじゃ確認出来ないでしょう?」
「ウン、助かるよ」
大広間へ入ると、嫌な笑い声がハリーに投げかけられた。首謀者はやはり、ドラコだった。
「おーい、ポッター! ハンカチは要るかい? 変身術のクラスで泣き出した時の為に!」
ビンセントとグレゴリー、その他スリザリン生達がげらげらと大声で笑う。
パンジーがサラに言った。
「シャノン、貴女も大変ねえ。寂しがりやのポッティちゃんのお守りだなんて」
「勝手な事を言わないで。誰が寂しがりだって言うの?」
「勝手かい?
ほーら、ポッター。今朝の日刊予言者新聞だ。昨日のインタビューは涙で大変だったみたいだな?」
ドラコは筒状に丸めた新聞を放り投げた。ハリーは思わずキャッチする。
彼らの前で読む気にはなれず、サラはハリーを引っ張ってグリフィンドールの席へと足早に去って行った。
「昨日のインタビューで何かあったの?」
「僕は何も言ってないよ。僕が入れたんじゃないって、そう言っただけだ」
なるべく目立たぬように端の席に着き、ハリーは新聞を広げた。代表選手のインタビュー記事は、探すまでも無かった。大きなマダム・マクシームを取り囲むように撮った写真が、一面を飾っている。ハリーはクラムやマダム・マクシームの巨体の後ろに隠れようとし、その度にスキーターが写りこんで来て引っ張り出していた。
「……大変だったみたいね」
ハリーは答えなかった。スキーターの書いた記事に、眼を通していた。
直ぐにサラも記事を読み始める。記事には、ハリーが今も両親を思って泣くだとか、選手になった事を誇りに思っているだとか、まるで悲劇のヒーローであるかのように書き連ねられていた。
「……僕、こんな事言ってない」
ハリーは、やっとの思いでそう言った。
「でしょうね」
サラは頷く。到底、ハリーが言いそうもない話だ。
「気にする事無いわよ、ハリー。こんな馬鹿馬鹿しい記事も、それを山車にからかおうとする人達も。この記者、話題が欲しいだけなんだわ」
けれどもこのインタビュー記事は、無視で済むような代物ではなかった。
この記事をロンも読み、彼はハリーが目立とうとしていると意見を固めたらしい。その夜の罰則は、ハリーとロンの板ばさみで非常に気まずい空気の中、スネイプのいびりから耐えねばならなかった。
No.13
新学期第一回目のホグズミードは、第三土曜日に訪れた。当然ドラコに誘われたが、サラはそれを断った。今回のホグズミードは、エリと一緒に行く事になっていたのだ。誘いに来たのはアリスだったが、見つけたのがエリならば彼女がいた方が早い。
しかし、ハーマイオニーと、透明マントを被ったハリーと一緒に玄関ホールへ降りて行くと、待っているのはアリスとジニーだけだった。
「エリは?」
「用事が入っていたみたい。大丈夫。地図を預かって来たから、道は分かると思うわ」
アリスは、乱雑な太い線で書かれた地図をひらりと掲げた。
「そっちこそ、ハリーは?」
「ロンと遭遇したくないんですって」
ハーマイオニーがハリーのいるであろう辺りをじろりと睨み、呆れたように言った。
吸魂鬼無しのホグズミード行きは、快適だった。地図を広げたアリスとジニーが先に立ち、メインストリートを歩いて行く。真っ直ぐにメインストリートを抜け、叫びの屋敷に向かう小道を通り過ぎた所で、前を行く二人は曲がった。
ジニーが振り返る。
「えっと……さっき、一本前の道が『叫びの屋敷』へ向かう道?」
「ええ、そうよ」
ハーマイオニーが頷いた。
「そう言えば、貴女達はホグズミード初めてなのよね。どうせ地図なら、私達が直接見た方が良いかしら」
「大丈夫よ」
ジニーが急いで言った。アリスが口添えする。
「エリから、詳細説明も聞いてるの。この地図だけじゃ、分かりにくい部分もあるからね」
五人は、人気の無い道を進んで行った。メインストリートと同じ村の中だとは思えない程だった。途中、パブの前を通り過ぎたが、『三本の箒』の方がずっと暖かそうだし食べ物も美味しいだろうと思えた。
パブの少し先、村のはずれに一軒の家があった。
「あれだわ」
ジニーが呟く。
「エリの話だと、直ぐ傍にお墓があるみたいなんだけど……」
祖母の墓は、直ぐに見つかった。家の左右は、どちらも空き地になっていた。その向こうも畑が続き、見通しが良い。近くの家からも、森からも、随分と離れている。
向かって右側の空き地の中心に、墓石があった。卒塔婆の立てられた、日本式の墓。
ゆっくりと、サラは空き地の中心へ歩いて行った。定期的に参っている者がいるのだろう、墓は綺麗に整えられている。ハグリッドだろうか。
ここへ向かう途中、買って来た花を左右に生ける。水は無い。成人した魔法使いならば、杖で事足りるからだろう。この墓を造ったのがイギリス人ならば、井戸は念頭から抜けていたのかも知れない。
「おばあちゃん……」
墓石の前に膝をつき、サラは祖母の名前が刻まれた石をそっと撫でた。
何だか不思議な心地だった。長年、参る事の無かった祖母の墓。この下に、祖母の骨が埋まっている。頭では理解しても、実感が沸いて来ない。そもそも、何故今まで墓を探そうとしなかったのだろう? サラには、己が不思議でならなかった。
「ごめんね、おばあちゃん……水もお線香も無いけれど」
言って、サラは立ち上がった。振り向いた先には、ハーマイオニー、アリス、ジニーがいる。眼で見る事は出来ないが、ハリーも。
「行きましょう」
空き地から一度、通りに出る。それから、隣に立つ小さな家の門の前に立った。サラはハーマイオニーの手を掴む。
「アリスは、ジニーの手を繋いで」
アリスとジニーは眼をパチクリさせた。
「ハグリッドに聞いてみたの、ここの事。てっきり、私は知っているものと思っていたみたい……。強い魔法によって守られてるって言ってたわ。血が重要なんだって――私達三姉妹と手を繋ぐなり、腕に捕まるなり、何かしら繋がっていないと入れないの」
「あっ!」
ジニーは声を上げて、アリスを振り返った。しかし、何も言わずに口を噤む。それから、怪訝気に言った。
「血って……でも、アリスはサラと血が繋がっていないのでしょう? 違う?」
「繋がってるのよ、半分ね」
アリスが説明した。サラ、エリ、アリスの母は同じ。アリスだけが、今の父親の子なのだと。
「え……?」
「本当はあまり広めたくないのだけど。でも、ジニーなら誰にも言わないって約束してくれるわよね? サラとエリは正真正銘、本当の双子。誕生日が違うのは、ただ深夜を跨いだだけ。でも世間的には、サラとシャノンのおばあさんは血の繋がりが無いって事になってる」
ジニーは眼を丸くして、サラとアリスを交互に見る。
そして、アリスに言った。
「それじゃあ、母親が同じって事は――シャノンにいたのは、娘なのね? そしたら、若しかして……えっと……」
「父親は、シリウス・ブラック」
サラが静かに告げた。
「でも私は、それを汚点になんて思ってないわ。エリもそう。彼は、無実だったんだもの」
「どう言う事?」
「こんな外で話す事じゃないわね」
遮ったのは、ハーマイオニーだった。門の方へと眼をやる。
「とりあえず、中に入らない? それからだって、問題無いでしょう?」
サラは、ハリーのいる辺りに手を伸ばす。眼で確認出来ず乱雑に掴んだので、ハリーはマントが落ちないよう押さえ付けなければならなかった。
門を抜け、一行は真っ直ぐに石畳の上を歩いて行く。アリスとジニーは、じっと二階の窓の辺りを見つめていた。
「何かあるの?」
視線を追い、サラも二階に眼をやる。そこには、暗幕の敷かれた窓があるだけだった。
二人は慌てて首を振った。
「何でも無いわ。
でも、どうするの? エリから聞いたんだけど、鍵が掛かっていたみたいよ。もちろん、中には誰もいないでしょうし……」
「ハリー!」
サラの背後を見て、ジニーが飛び上がった。真っ赤になり俯く。
振り返ると、ハリーが畳んだマントを鞄に詰め込んでいる所だった。ここなら、ロンや他面倒な人々と会う事も無いと考えたのだろう。
アリスも目を丸くして、ハリーを見つめていた。
「ハリー……いつの間に?」
「うん、今来た所なんだ。それで、鍵が掛かってるんだっけ? ハーマイオニー、鍵を開ける魔法ってあるよね?」
「ええ。でも、門から入るのにも防衛呪文が必要なら、当然、反対呪文が掛けられているんじゃないかしら……もちろん、やってみても良いけど……」
「鍵ならあるわ」
サラは言い、鞄の内ポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは、小さな銀色の鍵――一年生のクリスマス、差出人不明で届けられたあの鍵だ。
アリスは、少し不服そうだった。
「サラ、鍵の事言わなかったわよね」
「僕達も聞いてないよ」
「ごめんなさい。すっかり忘れてたの、ただそれだけ……。この鍵が来たの、クリスマスだったんだもの。差出人不明で届けられたのよ」
「クリスマス? 差出人不明? サラ、貴女、ハリーには言っておきながら――」
今度は、ハーマイオニーが噛み付くように言った。サラは慌てて言う。
「去年じゃないわ。一年生の時よ。ハグリッドにも聞いてみたんだけど、違うみたい。嘘は吐いていないと思うわ。吐く理由も見当たらないし……」
「それじゃあ、その鍵が本当にここの鍵かも分からないのね?」
ジニーの質問に、サラは頷いた。
「ええ。でも、アロホモラよりも試す価値はあると思うわ」
サラは鍵を持ち、扉の前に立った。
七年間、誰も入る事の無かった祖母の家。否、若しかしたら十三年間かも知れない。ヴォルデモートに襲われて以降、サラと祖母は日本のあの家で暮らしていたのだから。
この鍵が違ったら、どうしよう? サラには、この家に入る権利がある筈だ。十三年前も、一人この家に帰る事が多かったと言う。仕事の道具は全てここに置いていたと。祖母の足跡が、ここにあるのだ。
そっと鍵を差し込む。鍵は、ピタリと穴に一致した。ゆっくりと捻ると、カチャリと小さな音を立てる。
「開いたわ」
アリスが、囁くように言った。
鍵を抜き、取っ手に手を掛ける。扉を開けた途端、誇りっぽい臭いが鼻を突いた。
「中は、手入れって訳にいかなかったみたいね」
扉を開け放ち、サラは言った。
それでも、言うほど酷い状況ではなかった。開けた瞬間は外の新鮮な空気との差を感じたが、少なくとも歩くのを躊躇うような事は無い。蜘蛛の巣も見つけられなければ、鼠が齧った後も無い。薄っすらと誇りが降りていて、人の気配を感じさせない。それくらいだ。入って直ぐの玄関先に、箒が一本置かれている。
扉を閉め切り、アリスがジニーにシリウスの無実について説明し始めた。時折、ハーマイオニーが口添えする。説明は二人に任せ、サラは家の中を見回した。
中は、何の変哲も無い小さな家だった。日本の住宅街にある家と同程度の広さだ。見た目そのままの大きさで、魔法で広げられている事もなかった。
少し奥に進むと、ダイニングと思しき部屋があった。台所との間にあるカウンターに、そのまま椅子が一つ置かれている。近くの壁沿いに、三つほど椅子が重ねて置かれていた。その内、一番下の一つは後の二つの三倍はある丸椅子だ。ハグリッド用なのだと直ぐに判った。
部屋の一角には、正面から見えた大きな窓があった。一方はサラ達の入って来た扉、一方はカウンター、残る一方の壁は、大きな棚で埋め尽くされていた。校長室によく似ている、とサラは想った。棚には、銀色をした未知の道具が数置かれていたのだ。それから、小瓶に入った魔法薬。様々な色が並べられている所を見ると、自作の物だろうか。
廊下に戻り、階段下の扉は小さな物置だった。扉にごく近い位置に、一本の箒が置かれていた。
「ここにも箒があるのね」
アリスが眼をパチクリさせて言った。
「他にも住んでいた人がいたのかしら?」
「ううん、買い換えたんだと思うわ。これは、多分コメットね。さっき玄関で見たのは、ニンバス1000だったもの」
答えたのはジニーだった。兄達の影響で覚えたのだろうか。彼女の言う通り、柄にはコメット180と書かれていた。
「コメット180は38年、ニンバス1000は67年……おばあちゃんは学生時代にクィディッチ選手だったそうだから、年代的にもちょうど合うわね」
「そんな昔の年数までよく知ってるね」
「『クィディッチ今昔』に書いてあったもの。ハリー、貴方もハーマイオニーに借りて読んだでしょう?」
二階で一番目に開けた部屋は、寝室だった。奥にベッドがあり、その直ぐ向こうの壁に窓がある。後は、化粧台と洋服箪笥が一つずつ置かれているだけの、シンプルな部屋だった。
次に開けたのは、書庫だった。幾多の本に、ハーマイオニーが歓声を上げた。
「凄いわ! ねえ、サラ。少し読んでも良いかしら……。見て、『数秘占術総論』があるわ。四十年以上前に絶版になった本よ……。『飛行術と科学』に、『魔法力理論』……ここの本、ホグワーツにも負けない品揃えよ。もちろん、数や種類ではホグワーツの方が多いでしょうけど……」
サラには聞こえていなかった。既に本を一冊手に取り、読み耽っていた。
書庫には様々な本が置かれていた。『精神干渉術の賛否』のような小難しい専門書や『東洋における怨霊封印』と言った古い本もあれば、『魅惑の出会い』シリーズのようなライトな女性向けレーベルもあった。
ハリー、アリス、ジニーの三人は、サラとハーマイオニーを何とかその場からひっぺはがした。それでも二人が部屋を出る時には、何冊か本を鞄に積めていた。
「僕達、せっかくのホグズミード休暇をずっと図書室で過ごすなんてごめんだよ」
「ごめんなさい。でも、なかなかお目にかかれない本が沢山あったのよ。奥にあった本棚、きっとホグワーツでは禁書扱いになる本だったんじゃないかしら……。ねえ、ハーマイオニーが取った本、私も後で読ませてちょうだい」
「ええ、もちろんよ。元々は貴女が受け継いでる物だもの」
残る部屋は、廊下の一番奥にあった。正面の通りに面する部屋。暗幕の引かれた窓があった部屋だ。
扉を開けた途端、サラはここが他とは何か違うのを悟った。まるで、自分がもう一人いるかのような気配。アリスも感じたのだろう。サラを振り返り、確かにそこにいるのを確認していた。
ハリー、ハーマイオニー、ジニーも、細微までは察せずとも何らかを感じ取ったらしい。押し黙り、戸口に立ち尽くしていた。ジニーは、竦んだように一歩後退した。
サラが最初に動いた。部屋に入ろうとしたサラの腕を、ジニーが咄嗟に掴んだ。サラはきょとんとして振り返る。
「どうしたの、ジニー?」
「あっ……別に……」
ジニーは我に返り、手を離した。
サラは怪訝に思いながらも、部屋へと足を踏み入れる。窓が暗幕で覆われている事、棚が水晶玉や星座図などで埋め尽くされている点は、トレローニーの教室とよく似ていた。けれどもここはあの甘ったるい匂いもしないし、無駄に暖炉を炊いてもいない。日光が入らない代わりに、部屋の中央に浮いた緑色の石が淡い光を放っていた。ここにも、本棚はあった。窓を両脇から挟むようにして天井まで埋め尽くしている。
サラはゆっくりと水晶玉の数々が置かれている所へ歩み寄って行った。複数の水晶玉だと思っていた珠は、ガラス玉だった。水晶玉よりも一回りか二回り小さい。石の明かりを受け、鈍く光っている。そのどれもが、暗い色をしていた。一番多いのは、くすんだ金色の光だった。まるで、遠い記憶にある祖母の髪のような。
一つずつ安置されたガラス玉に、サラはそっと手を伸ばした。手前の淡い紫色の珠に触れようとしたが、電流が走るかのような痛みにサラは咄嗟に手を引っ込めた。
「ねえ。これ、透明マントじゃない?」
ハリーの声に、サラは振り返った。ハリーは、扉の横にあるガラス棚を指差していた。
サラは歩み寄り、棚を開ける。小さく畳まれたそれは、確かにハリーの持つマントとよく似ていた。柔らかい灰色の布。広げた大きさの割りに、重さは感じられない。試しに手に巻くと、手首から先はすっかり見えなくなった。
「凄い……!」
ジニーが感嘆の声を上げる。アリスは口を尖らせた。
「透明マントって、なかなか無いんでしょう? さっきの部屋も、珍しい本がいっぱいあるって。シャノンのおばあさん、私達にも遺してくれれば良かったのに」
「仕方ないわ。ナミが放棄したって、ダンブルドアが言っていたじゃない」
サラは部屋を見回す。
祖母の遺した物。サラは養女となったから、これらを受け継ぐ事になった。祖母の形見が増える事は嬉しいし、便利な物も多々あるが、経緯を思うと胸が疼いた。祖母が孤児院から引き取ったから。祖母が亡くなってしまったから。
ハリーが見つけた透明マントと、同じガラス棚の中にあった水晶玉を鞄の中に押し込み、サラ達は祖母の家を後にした。
メインストリートでアリス、ジニーと別れるなり、ハリーは再び透明マントを被った。ハーマイオニーが呆れたように言う。
「またなの? ハリー。こんな所で、貴方を構う人なんていないわよ」
突然、何も無い空間から手が伸びて来た。サラをマントの中に引っ張り込み、ハリーは言った。
「後ろを見てごらんよ」
ハーマイオニーが振り返る。
サラはマントの中で起き上がりながら、通りの向こう側を見た。かっちりとセットされたカールと派手な眼鏡が特徴的な女性が、カメラを提げた男と「三本の箒」から出て来た所だった。二人は真っ直ぐにこちらへ歩いて来て、立ち止まりもせずハーマイオニーの横を通り過ぎて行った。
二人の姿が人ごみに消えてから、やっとハリーは口を開いた。
「あの人、この村に泊まってるんだ。第一の課題を見に来たに違いない」
どうやら彼女がリータ・スキーターらしい。
「でも、私まで引っ張り込む事無かったんじゃない?」
「いいや。サラも気をつけた方がいいよ。あの人、君に興味津々だったから」
「それにしたって、もう少し丁寧にマントをかぶせて欲しいわね」
言いながら、サラはマントの外に出る。ハリーは、止めようとはしなかった。
ハーマイオニーの提案で、三人は「三本の箒」に入って行った。中は生徒達で混み合っている。ロンの姿もあったが、ハリーは話しかけようとはしなかった。
ハリーと一緒に席を取ってハーマイオニーを待ちながら、サラはそっと鞄に触れた。この中に、祖母の水晶玉が入っている。明日、何があるのか。ハリーが選手になったのは、どう言う訳なのか。試験の日に見た数々の予兆は一体、どう言う事なのか。それらが判るかも知れないのだ。
早く城に帰り、水晶玉を覗き込みたい。サラは、逸る気持ちを精一杯抑えていた。
サラ達が祖母の家を訪れている頃、エリは闇の魔術に対する防衛術の教室でバック転を繰り返していた。ぐるぐると二転、三転し――そして、こけた。
ムーディが手を叩く。
「よーし、モリイ! やったぞ! よくやった!」
「痛てて……。先生、今、あたし――抗えた?」
エリは顔を輝かせてムーディを見上げる。ムーディは頷いた。
「完璧ではないがな。よし、モリイ、今日はここまでだ」
「先生、もう一回! どうかもう一回だけ――」
「最後の一回と言う約束だったろう。お前は今日一日で、十分に成長した。何も焦る事は無い」
エリは口を尖らせながら、立ち上がった。ローブを叩く。転んだ拍子に打ったらしく、膝がじんと痛んだ。
土曜の午後は、ムーディと約束した服従呪文対抗の練習だった。練習は決して順調ではなく、僅かなりとも抵抗を見せたのは今日が初めてだった。
ムーディは杖を振り、脇に追いやっていた机と椅子を戻す。整然と並んでいく机と椅子を眺めながら、ムーディは言った。
「今日はホグズミードだったそうだな。良かったのか、行かないで」
「うん。そりゃあ行きたかったけど……でも、こっちが一回分無くなるのも嫌だったし。先週も、ずっと操られてばっかだったから。それに、ほら、ホグズミードは行こうと思えばいつでも行けるからな」
エリはニヤリと笑う。ここ数回の練習で、ムーディは危険に対して厳しいが、校則についてそこまで厳格ではないと知った。寧ろ、エリだけが自ら対抗呪文を教えてくれと申し出た事で、ムーディは僅かなりともエリを気に入っているようだった。
「楽しみを我慢した分の成果はあったと言う事だな」
「本当。ありがとうございます」
エリはおどけたように言って、深々と頭を下げる。
「危険に備えて損する事はない――特に、お前達はな。狙われやすい。油断大敵!」
エリはびくっと肩を揺らす。突然の大声は、いつまで経っても慣れない。
「お前はシャノンと一緒に暮らしていたな……どうだった、彼女は」
「サラ? ばあさん?」
「継祖母の方だ」
「んー……あんまよく覚えてないんだよなあ……小さい頃に亡くなっちゃったし。それに、いつもサラとばかり出掛けてたから」
「出掛けていた? 何処へ?」
「さあ、そこまでは」
エリは軽く肩を竦める。
「でも、あの頃は二人共あたしらと仲悪かったし。家にい辛かったんじゃねーの。ばあさんと父さんが夜中によく口喧嘩していて、母さんは完全無視だったのは覚えてるよ」
「そうか、二人はよく……では、サラは何か形見のような物も持っているのか?」
「ああ、あるある。サラがいっつも付けてるカチューシャ。それ、サラが誕生日プレゼントに貰ったらしいよ。小さい頃、ほんの数日だけサラと仲良かったんだ。その時に聞いた。七歳になる大晦日に――」
「年暮れだと? 七年前のか?」
「うん。そう言や、その後からだったかな。サラの周りで妙な事が起き始めたのは……」
入学前、身の周りで妙な事が起こらなかったかとダンブルドアは尋ねた。あれは、そう言う事だったのだろう。サラは特別、力が強かった。祖母が亡くなる前は、彼女が抑えたり誤魔化していたりしたに違いない。ストッパーの消えたサラの力は暴走し、サラを孤立させた。やがてサラはコントロールを覚え、「報復」の噂が広まって行った――
ムーディは黙り込んでいた。エリは、きょとんとムーディの顔を覗き込む。
「あの――ムーディ先生?」
「――サラは、スリザリンの連中とも親しいようだな」
「え――あ、ああ」
唐突な質問に、エリは目をパチクリさせる。ムーディは続けた。
「グリフィンドールとスリザリンは年々仲違いが常だと思っていたが。何しろ、スリザリンには死喰人の子が多い……マグルやマグル出身者を穢れたものとして扱う輩がな。まさか、それを知らない訳ではなかろう? サラ・シャノンも、マグルについては良く思っていないのか?」
「いや、純血主義ではないと思う。ハーマイオニーと仲良いんだし。マグルは、嫌な思い出ばかりかも知れないけど」
「ふむ……」
再び、ムーディは考え込む。
それからふと思い出したように、魔法の目をエリに向けた。
「帰って構わん。今から行けば、ホグズミードも少しは楽しめるだろう。わしも少し覗いて来ようと思っている」
エリはぺこりと頭を下げ、礼を言って教室を出た。まだ、夕飯まで三時間ある。確かに、今から行ってもいくらか遊べそうだ。サラとアリスはもう解散しているかも知れないが。
エリは上着と荷物を取りに、ハッフルパフ寮へと階段を駆け下りて行った。
談話室の生徒達が一人残らず寝室へと上がり、サラとハーマイオニーは漸く自分達の寝室へと戻って行った。ハリーはまだ、帰って来ない。ホグズミードで、ハグリッドに誘われたのだ。ハーマイオニーは神経質に時計をチェックする。
「ハリー、シリウスとの約束に間に合うかしら……。まったく、ハグリッドってば門限を破らせる約束をするなんてどういうつもり?」
「でも、糞爆弾を爆発させる事にはならずに済んで良かったじゃない。誰かが忘れ物を取りに降りていったりしなければ良いけど」
「やめてよ。でも、シリウスもどういうつもりかしら。まさか、談話室に来る訳じゃ……」
サラは黙り込む。
寝室に着くなり、サラは鞄から水晶玉を取り出した。祖母の家にあった、あの水晶玉だ。ベッドの上に座り、真剣な瞳でそれを覗き込む。
ハーマイオニーは僅かに呻くような声を上げたが、何も言わずにパジャマに着替えて床についた。
「……おやすみ、サラ。明日は授業があるわよ」
「ええ、分かってるわ。おやすみなさい」
サラは水晶玉から目を離さずに答えた。ハーマイオニーがビロードのカーテンを閉める音がした。
水晶玉は、白い靄が渦巻くだけだった。授業で初めて触れた時と同じだ。何の手応えも無く、見つめ続けているのが馬鹿馬鹿しくさえ感じてしまう。
狭い範囲をじっと見つめ続けていると、まるで視界が霧で塞がれたかのような感覚に陥る。ふとラベンダーの棚にある時計を見ると、深夜をとうに回っていた。もう直ぐ、シリウスとの約束の時間だ。サラが水晶玉を見つめ続けてから、一時間が過ぎていた。
サラは再び水晶玉に視線を落とす。途端、ぐっと水晶玉に吸い込まれたかのように情景が現れた。
二人の人物が、崖の上にいた。一人は金髪を団子に結った老女。もう一人は、肩まである黒髪の少女。
波の音が響く。まるで、サラ自身がその場にいるかのようだった。崖に波が打ち寄せる。少女は、手にした紙袋の中からラベンダー色のカチューシャを取り出した。
「サラは、ピンク色よりもこの色の方が好きだろう?」
老女が微笑む。懐かしい、暖かい笑み。
純粋に、嬉しかった。サラはぱあっと顔を輝かせた。
「うんっ。だって、おばあちゃんの目と同じだもん! 綺麗でいいなぁって思うの」
彼女は少し、驚いたような顔をした。そして、また微笑む。
サラはカチューシャを付け、彼女を見上げた。
「どう? にあう?」
ぞわりと、寒気がした気がした。
少女――サラが、老女の向こう側を見ようとする。けれども見られずに、老女の背中の後ろに隠される。
「何の用だ。どうしてお前がここにいる」
「こちらへ来たのは私用でしてね。でもまさか、貴女に会えるとは思っていませんでしたよ」
聞き覚えのある声。常に皮肉気で、誇り高い様子の。
「どうやら、私に久々に仕事をさせるチャンスを持ってきたようだな。ここは日本だが――まあ、事情を話せば後で申請しても何とかなるだろう」
「私を捕まえると?」
「ああ。もちろんだとも」
サラに背を向けた老女は、杖を抜いた。そして、振る。けれども、術は相殺されたらしい。相手の声が聞こえた。
「――何か、後ろに隠しているな?」
相手が動き、二つの影が見える。サラは、目を見開いた。
老女は振り返り、サラに向かって杖を振る。何が起こるのか、サラにはもう解っていた。
小さな少女の身体が、その場から浮き上がる。祖母の背中に緑色の光が当たる。轟音は、波の音に掻き消されてあまり分からなかった。
開けた景色は直ぐ、見えなくなった。崖のそばにあった防風林を、サラは一直線に飛んで行く。
「いやだよ……おばあちゃん……!」
叫んだ声は、林の木々に吸い込まれて行った。
ふっと視界が暗くなった。
周りは木々でもなければ、波の音も聞こえない。聞こえるのはハーマイオニー達の静かな寝息と、遠くでふくろうが鳴く声。
「……」
サラはきょろきょろと左右を見回す。
寝室だった。日付はとうに変わり、明かりはついていない。水晶玉は取り落とし、ベッドの下に転がり落ちていた。
まだ鼓動が波打っていた。サラは、キュッと唇を真一文字に結んで俯く。
見てしまった。
知ってしまった。
崖に現れた、二つの影。冷たい仮面をつけた魔法使い。そして、その魔法使いに付き従っていた小さな生き物――彼を、サラは知っていた。
小さく、その名を呟く。掠れた声は、まるで自分のものではないかのようだった。
「……ドビー」
サラの祖母を殺したのは、ルシウス・マルフォイ――ドラコの父親だったのだ。
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2010/10/03