「あの子、モリイさんちの子じゃないんだって」
 悪意の無い、ただ聞いた事実を述べたまでなのであろう言葉。
「なんで?」
 そう言われても、答えられなかった。どう答えて良いのか判らなかった。
「家族いないの?」
 これには答えられた。
「おばあちゃんがいるよ」
 祖母であり、母親だった。いつも、学校から帰って来たサラを優しく迎えてくれた。休日には、よく海や森へ連れて行ってくれた。
 七歳の、誕生日までは。
 祖母が亡くなって数日の事は覚えていない。気が付いたら、新学期が始まっていた。
「家族いないの?」
 答えられなくなった。
「なんであの家にいるの?」
「お父さんとお母さんはどうしたの?」
「なんでみょうじが違うの?」
 悪意の無い問い掛け。――何故。何故、サラはここにいるのだろう。
 尋ねられるのが、嫌だった。答える事が、出来なかった。
「サラちゃん、本ばかり読んでいないでお友達と外で遊びなさい」
「聞こえないぞ、シャノン。もっと大きな声で言ったらどうだ」
「シャノンさん、また図書室行ってたの? 昼休みに、話し合いあったのに」
「家族がいないから、きょーちょーせいがないんだよ」
 教師やクラスメイトが、よく休むようになった。担任は風邪だと言った。季節が冬だった事もあり、そうなのだろうと思った。
 サラはまだ、何もしていなかった。それでも、回が重なる毎に勘付いてはいたのかも知れない。些細な事は、もう覚えていない。
 やがてサラは、己の持つ力に気付いた。サラの周りで何が起こっていたのかを悟った。
 もう、サラの周りに人はいなくなっていた。

『じゃあ、その印が上がっていたから、死喰人って分かっただけなの? 犯人は捕まっていないの?』
『捕まっていない』
『そんな……!』
 ならば、やはりスリザリンに入るのは嫌だ。そう、サラは言った。
 万一にも、祖母を殺した犯人の子なんかと親しくなったら嫌だから。そう、思ったのだ。

『憎いわよ……私は絶対に、犯人を許さない……私が仇を取るわ……』
 祖母が殺されたあの日から、ずっと。ずっと、胸に秘めていた事。
 祖母を殺した死喰人……誰であろうと、サラが殺すのだと。





No.14





 翌朝、サラが目を覚ました時にはもう寝室にハーマイオニーの姿は無かった。ラベンダーやパーバティもいない。ハーマイオニーは、昨夜サラが遅くまで水晶玉を覗いていた事を知っている。朝寝坊は予想の内だったのだろう。
 ベッドの上で身体を起こしたまま、サラはぼうっと部屋を見つめていた。赤を基調とした部屋。床に転がっていた筈の水晶玉は、丁寧にクッションの上に載せて棚の上に置かれていた。ハーマイオニーは拾ってくれても、ここまで仰々しい扱いはしないだろう。ラベンダーかパーバティかも知れない。
 談話室へ降りて行くと、ちょうどハリーも男子寮から出て来た所だった。
「おはよう、サラ」
「ええ……」
「ハーマイオニーは一緒じゃないの?」
「起きたらもう、いなかったわ。先に行ったんじゃないかしら」
 ハリーは大広間への道を急いだ。サラは殆ど小走りになって、その後をついて行った。
 ハリーもハリーで、何か気に掛かる事がある様子だ。大広間に着いてジニーと一緒に朝食をとるハーマイオニーを見つけても、ハリーは何も食べようとはしなかった。何も食べないのは、サラもだった。
「おはよう、サラ!」
 サラとハリーがハーマイオニーの横に並んで座るなり、声が掛かった。ラベンダーとパーバティが、サラ達から少し離れた位置に座っていた。
「ねえ、サラ。あの水晶玉が貴女のだって、本当?」
「何処で買ったの? 何か、見た?」
 サラが起きて来るのをずっと待っていたのだろう。二人の皿は既に空っぽだった。
「まだ、何も……見る前に寝ちゃったみたいで……。おばあちゃんが使っていた物みたいで……」
「シャノンが? 凄い! それじゃあ、本物の……」
 ラベンダーは歓声を上げる。一方、パーバティは複雑な表情だった。
 トレローニーは『内なる眼』とは無縁な世界を俗世と呼び、利益や命令に従って予知する事を嫌う。サラの祖母は魔法省に務めて力を使っていた。トレローニー信仰派としては、いまいち相容れないのかも知れない。
 一方でラベンダーは、トレローニー個人のみならず「凄い占い師」なら何でも良いようだ。
「ねえ、サラ。後で私にも見せてくれる? パーバティ、貴女、先学期のテストで色々見えていたわよね? 貴女が使えば、何か見えるかも……」
 水晶玉に見えたモノ。あれは、確かな事なのだろうか。
 けれども今なら、キングズ・クロス駅でサラが何に怯えたのか分かった。――あの場に……ドラコと共に、ルシウス・マルフォイがいたからだ。
 サラは気付く事に怯えた。クィディッチ・ワールドカップで真犯人と再会して、奴だと直感した。男だと分かった。きっと、解っていたのだ。ただそれに、気付くまいとしていただけで。
「サラ?」
 ラベンダーの声で、サラはハッと我に返った。ラベンダーは、怪訝気にサラの顔を見つめていた。
「駄目かしら……。水晶玉、見せてもらっちゃ」
「ごめんなさい。別にそう言う訳じゃ……まだ、ちょっと眠くて」
「それじゃあ、見せてくれる?」
 しかし、サラが答える前にハリーが席を立った。
「ハーマイオニー、サラ、ちょっと来てくれ」
 サラはラベンダーとパーバティに曖昧に手を振って、ハリーの後について行った。ハリーについて湖の方へ行きながら、サラは猶も思いを巡らせていた。
 サラが気付く事を怯えていたのは、この事だったのだ。水晶玉には、ドビーがいた。全て筋が通る。けれども、確信は無かった。もう七年以上も昔の事だ。ドビーに会って、確認でも出来れば話は早いのだが。しかし、ドビーはマルフォイ家から解放された。今は何処で暮らしているのやら、検討もつかない。
 不意に、ハリーが口を開いた。
「昨日の晩、ハグリッドは僕を森に案内したんだ……第一の課題を見せてくれた。課題は……ドラゴンだ」
 ハーマイオニーがハッと息を呑んだ。サラも、僅かに眼を開いてハリーを見つめる。
 ハリーは、ハグリッドが見せてくれたもの、その場にいた人々、そしてシリウスが話した事をサラとハーマイオニーに説明した。
「カルカロフが死喰人だった? なのにあの人、校長なんてやってるの?」
「確かにそれなら、シリウスの言う通り警戒した方が良いのかも知れないわ……。なるほどね、それでマルフォイは、ダームストラングは闇の魔術に特化しているなんて言っていたのね。闇の魔術に詳しいはずだわ、校長が元死喰人なんだもの」
 サラは、きゅうと胸の奥が締め付けられるような気がした。若しロンがこの場にいたならば、「そりゃ、マルフォイの父親がカルカロフを知っているはずさ。これで解った。奴ら、死喰人だった頃に知り合ったんだ」と意気揚々と言う事だろう。
 ハーマイオニーはカルカロフよりもドラゴンが最優先事項だと述べ、図書館にハリーとサラを引っ張って行った。サラもハーマイオニー同様、図書館での調べ物は慣れている。その筈なのに、調査は一向に捗らなかった。気がつくと、ページを捲る手が止まっていた。視線は固定され、活字を追わずただ見つめているだけだった。
 当然、ハリーとハーマイオニーがサラの挙動に気付かない訳がなかった。しかし二人は、サラはドラゴンの話にショックを受けているのだと考えたらしい。元々ハリーの命を狙う人物がいる事にピリピリしていたのだから、これは尤もらしい理由だった。そして、第一の課題は二日後に迫っている。二人共、特にハリー本人は、サラの事なんて心配している余裕は無かった。

 月曜日の午前中は、あっと言う間に過ぎ去った。気がつくと昼休みになっていて、ハリーの呼び寄せ呪文の練習に付き合っていた。競技場で、ドラゴンの前で、ファイアボルトを呼べば良い。その戦い方は理解していたが、いつの間にその案が出たのか、誰がどうやって気付いたのか、全く思い出せなかった。
「集中して。ハリー、集中して……」
「これでも集中してるんだ。何故だか、頭の中に恐ろしいドラゴンが次々思い浮かんで来るんだ……。よし、もう一回――」
 ハリーの「呼び寄せ呪文」練習は、順調とは言い難かった。杖を向けた物体は反応してハリーの方へは飛ぶが、途中でぽとりと床に落ちた。
 午後の授業の時間が近づき、ハーマイオニーは言った。
「いったん、この辺で切り上げましょう。授業に遅れちゃうわ。ハリー、サラ、貴方達は北棟まで行かなきゃいけないでしょう?」
「あー……駄目かな? つまり、もう少し――」
 ハリーは言ったが、答えは解っているようだった。案の定、ハーマイオニーはきっぱりと言った。
「駄目。数占いを休む訳にはいかないわ。サラだって、占い学を外したくないでしょう」
「私、このまま続けてもいいわ」
 空き部屋はしんと静まり返っていた。ハリーもハーマイオニーも、あんぐりと口を開けてサラを見つめていた。
「天文図と睨めっこする気には、到底なれないのよ。体調が悪かったから、翌日に備えて休んだ。私はそれに付き添った。そう言う事にしておきましょう」
 昨晩は、眼を閉じる度に祖母の死に際を瞼の裏に見て、まともに寝られなかった。水晶玉ではないと言えども、到底、占いをする気になどなれなかった。
 ハーマイオニーが数占いの授業に向かい、サラとハリーは猶も練習を続けた。ハーマイオニーがいないと、サラしか指導する者がいない。練習に集中していれば、水晶玉の事は幾らか忘れていられた。
「ハーマイオニーも言っていたけど、要は集中力が足りないだけなのよ。魔法には反応しているんだもの。『ここまで来い』って、ちゃんとこっちに届くまで念じ続けるの……」
「集中してるよ!」
 何度続けても、結果は同じだった。次第に苛立ちが募るのをサラは感じた。どうやらサラは、先生には向いていないようだ。ハーマイオニーの根気の良さに感心すら覚えた。
「ハリー。もう少しのところまで来ているのよ。集中を繋げば良いだけなの。ファイアボルトを呼べないと、徒歩でドラゴンから逃げ回る事になるのよ!」
「アクシオ!!」
「解っている」「集中している」などの口答えもとうとう無くなり、ハリーはただ唱えた。心なしか、青ざめているようにさえ見えた。
 絶望的だ。徒歩でドラゴンから逃げ回る。それが何を意味するか――当然、手ぶらで逃げる小さな人間を逃すほど、ドラゴンは愚鈍ではないだろう。怪我では済まないかも知れない。
 ところが、どうだろう。ハリーの呪文で浮かんだ丸椅子は、落ちる事無くハリーの足元まで到達した。
 サラも、ハリーも、驚いてその丸椅子を見つめていた。そして、顔を見合わせる。みるみると二人の表情が明るくなった。
「やったわ! 出来たのよ、ハリー! 出来たわ!」
「うん」
 ハリーは信じられないような様子だった。
 もう一度、今度はサラの鞄に杖を向けてみたが、やはりまた途中で落ちてしまった。
「大丈夫よ。さっきは出来たんだもの。あれで、全く出来ない訳じゃないって判ったでしょう? さっきの感じを思い出して――」
 もう数回繰り返したが、そう直ぐには出来るようにならなかった。それでも、最初の頃に比べれば何度か手元まで呼び寄せられる事があった。
 夕食の時間になり、サラとハリーはハーマイオニーと合流するべく大広間へ降りて行った。夕食を終えると、透明マントを被って再び空き教室へ向かった。
「私、このマントを被っていて気付いた事があるわ」
 教室に着き、祖母の家にあったマントを脱ぎながらサラは言った。
「ハリーのマントの方が物が良いわよ、絶対。このマントはどう見ても一人――何とか二人入れるかって程度で、ハリーのみたいに見た目や畳んだ時以上の大きさにはならないもの」
「贅沢よ、サラ。透明マントって、そうそうある物じゃないんだから」
「解ってるわ。私も、文句を言ってる訳じゃないわよ。ただ、純粋にそう思っただけ」
 練習は、日付が変わるまで続いた。ハリーの成功率が高くなって来た頃にピーブズが現れ、三人はフィルチが来る前に急いで談話室へ戻らねばならなかった。談話室へ戻ってからも練習は続いた。一時間後には、ハリーは椅子や羽ペン、ゴブストーン・ゲーム一式など、色々な物に囲まれて暖炉の前に立っていた。
「良くなったわ、ハリー。随分と良くなった」
 ハーマイオニーが言った。三人共疲れた顔をしていたが、満足気だった。
「うん、これからは呪文を上手く使えないときにどうすればいいのか分かったよ。ドラゴンが来るって、僕自身を脅せばいいのさ」
 ハリーはサラに辞書を投げ渡し、その辞書に向かって杖を振った。辞書はサラの手を離れ、談話室を横切って行ってハリーの手に収まった。
「やるじゃない」
「サラの叱咤で気付けたんだ」
「ハリー、貴方、出来たわよ。本当!」
「明日上手くいけば、だけど。ファイアボルトはここにある物より、ずっと遠い所にあるんだ。城の中に。僕は外で、競技場にいる……」
「関係無いわ。本当に集中すれば、ファイアボルトは飛んで来るわ」
 ハーマイオニーはきっぱりと言った。サラは頷く。
「ほら、ダンブルドアだって言っていたじゃない? 二年前、追放された時に。求める者には必ず与えられるって……そして、本当に助けは来た。それと同じよ。強く願えば良いの」
「ハリー、私達、少しは寝た方が良いわ……貴方、睡眠が必要よ」
 ハーマイオニーの言葉に、サラは一気に気持ちが落ち込んでいくのを感じた。

 翌日、ハリーは心ここにあらずといった様子だった。スリザリンの生徒達が憎まれ口を叩いて来ようとも、ハッフルパフやレイブンクローの生徒が冷たく蔑もうとも、気にしていない――聞こえているかどうかも怪しかった。次の授業へと教室を移動する際にスリザリンの集団とすれ違ったが、ハリーは今までに無いほど完璧な無視を達成した。ワリントンらは詰まらなそうに舌打ちをして去って行った。ロンがちらちらとこちらを見ていたが、サラやハーマイオニーがそれに気付くとすーっと人ごみの中に消えて行った。
 昼食の前、サラは教室から出ようとした所で後ろから肩を叩かれた。ハリーとハーマイオニーは人ごみに流され、廊下へ出てしまっていた。
 サラを引き止めたのは、ロンだった。
「えーと……様子は、どう?」
「ハリーの?」
 ロンは首を縦にも横にも振らなかった。気にはなっても、まだ意地を張る気らしい。
 サラは、ふーっと溜息を吐いた。
「気になるなら、自分でハリーに言えばいいじゃない。『頑張れ』って。貴方が言うだけで、ハリーの気分も随分と和らぐと思うわよ」
「別に、気になんかしてない。元々、やりたかったから候補したんだろ」
 ロンは不貞腐れて言った。
 サラは背を向け、ひらりと手を振った。
「まあ、私はふくろうになるつもりは無いから。言いたい事は自分で言うのね」
 昼食の間に、ハリーはマクゴナガルに呼ばれて大広間を出て行った。サラとハーマイオニーは遅れて、他の生徒達の群れに紛れて競技場へと向かった。
 周囲が笑い合い、興奮してさざめき合う中、サラとハーマイオニーの二人は深刻な表情だった。
「ハリーは大丈夫よ……。ちゃんと練習したもの……きっと出来るわ、大丈夫……」
 ハーマイオニーはサラに話しかけると言うよりも、自分に言い聞かせるように繰り返していた。
 サラ達が座った直ぐ近くの席に、ロンがフレッドやジョージと一緒にいた。フレッドとジョージがわくわくと話す中、ロンはやはりまた不貞腐れていた。ハリーが注目を集めているのが、気に入らない様子だ。
 ハーマイオニーは祈るように手を固く組み、選手達がいるのであろうテントを見つめている。
 そのテントから、一人の男性が出て来た。障害を切り抜け、金色の卵を奪う。司会者は、そう説明した。そして、地響き。
「障害とはこちら――まず最初は、スウェーデン・ショート-スナウト!」
 観客席の随所から悲鳴と歓声が上がる。ロンは、口をあんぐりと開けて今し方森から現れたドラゴンを見つめていた。
 男の解説は続く。
「これに対峙する選手は――ホグワーツ校、セドリック・ディゴリー!」
 わっと歓声が上がる。テントから、ハッフルパフのセドリック・ディゴリーが出て来た。ホイッスルが鳴り、試合開始の合図を告げる。
 ハーマイオニーはまだ、テントを見つめ続けていた。
 サラはそっと、席を離れた。少し歩き、赤毛の三人の後ろまで行く。
「一人ずつ、ドラゴン一体と戦うそうよ?」
 サラはロンの後ろから覗き込み、囁くように言った。
 振り返ったロンの顔は、真っ青だった。
「冗談じゃないよ……ドラゴンだって? 他の選手は兎も角、僕達まだ十四歳なのに!」
「ハリーは、『例のあの人』が憑依したクィレルと戦った経験があるわ。二年生の時には、スリザリンの怪物を倒した。去年も、渦中で騒がれたのはハリー……」
「だから何だ!? ハリーが望んだ事じゃない!」
 ロンは言って、ハッとする。サラは、口の端を上げて微笑った。
「代表選手へのエントリーは?」
 ロンは罰が悪そうにそっぽを向く。
 そして、ぽつりと言った。周囲の歓声に掻き消され何と言ったかは聞き取れなかったが、大体の予想はついた。
「今は、ハリーを全力で応援するの。そして、終わったら一番にハリーに会いに行きましょう」
 ロンは口を固く結んでサラを見据え、強く頷いた。


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2010/10/13