その日の晩、グリフィンドール寮は宴会騒ぎだった。ハリーは無事、第一の課題を突破。それどころか、四人の選手の中で最も短い時間で課題を達成したのだ。
 シリウスへの手紙を出してから、サラ、ハリー、ロン、ハーマイオニーの四人もその宴会に加わった。ハリーとロンも仲直りし、少なくとも二月二十四日までは何の心配も無くなった。
 ……水晶玉に見た、あの情景を除いては。
 第一の課題が終わると、ルシウス・マルフォイの祖母殺し疑惑が否応無しに思い出された。気付いたら時間が飛んでいる、と言う現象が頻繁に起こった。魔法薬学と魔法生物飼育学はスリザリンの合同だが、ドラコと一緒にいる事は無かった。スネイプは毒殺未遂の一件以来、ドラコがサラのフォローをする事を阻止していたし、スクリュートが大きくなって来ると、スリザリン生達はハグリッドの小屋に逃げ込みバリケードを築いていた。
 決定的証拠が無い。確認出来ない。
 明らかに言い訳だが、事実だった。そのままずるずると十二月が訪れ、ある月曜日、占い学を終えたサラ、ハリー、ロンの所へと、ハーマイオニーが駆けて来た。ハーマイオニーが三人を連れて行ったのは、厨房だった。サラも一昨年、去年と、バレンタインの前に何度も出入りした場所だ。
 そしてそこに、予期せぬ者がいた。





No.15





「ハリー・ポッター様! ハリー・ポッター!」
 サラ達四人が厨房に入るなり、屋敷僕妖精特有の高い声が叫んだ。声と同時に小さな生き物が駆け寄って来て、ハリーに抱きつく。
 サラの腰より少し高い程度の、低い身長。手足ばかりが長く、耳は蝙蝠のよう。感動の涙を溢れさせている瞳は、テニスボール大もある。
 ドビー。マルフォイ家に仕えていた、屋敷僕妖精。
 二年前と変わらぬ姿、ただ着ている物だけが変わっていた。汚い枕カバーではなく、趣味の悪い組み合わせの衣服を着ている。ハリーによって自由の身となった彼は、サラが前に出会った以上にハリーに懐いている様子だった。
「ドビー、どうしてここに?」
「ドビーはホグワーツに働きに来たのでございます! ダンブルドア校長が、ドビーとウィンキーに仕事をくださったのでございます!」
「ウィンキー? ウィンキーもここにいるの?」
「さようでございますとも!」
 ドビーはハリーの手を引き、厨房の奥へと誘った。彼らの後について歩く間も、サラはドビーをじっと見つめていた。
 思いも寄らないチャンスだった。彼になら、真実を確認出来る。初めてドビーと出会った時、サラは何処かで出会った気がした。それが何処だったのか――あの崖の上だったのか。それさえ聞ければ、それで良いのだ。
 厨房の奥には、ドビーと同じように衣服を身に着けた屋敷僕妖精がいた。サラは、この僕妖精に見覚えがあった。クィディチ・ワールドカップの日、エリに謝り倒していたあの僕妖精だ。確か、ウィンキーと言ったか。解雇された話はハリー達から聞いていたが、彼女もホグワーツで働いていたらしい。
 ハリーが挨拶すると、ウィンキーは泣き出した。ウィンキーの服装はドビーに比べてずっとセンスが良かったが、手入れを全くしていないようだった。それが一層、ウィンキーを惨めに見せた。
 ドビーは構わず、ハリーに嬉しそうに笑いかけた。
「ハリー・ポッターは紅茶をお飲みになりますか?」
「あ――うん」
 ハリーが頷いた途端、六人ほどの屋敷僕妖精が小走りにやって来た。彼らの持つ銀盆には、ティーポットと四人分のティーカップ、ミルク入れ、大皿に盛ったビスケットが乗っていた。
「サービスがいいなあ!」
 ロンが感心したように言う。
 ハリーはドビーに話しかけていた。
「いつからここにいるの?」
「ほんの一週間前でございます。ハリー・ポッター様!」
 なるほど、道理で今まで出会わなかった訳だ。一昨年はもちろん、マルフォイ家。去年もまだ、ホグワーツには来ていなかったのだから。
 ウィンキーは自由の身になり、ホグワーツに務め始めた事を喜ばしく思っているようだが、ウィンキーは正反対の様子だった。ドビーが嬉しそうに声を張り上げるのに従って、ウィンキーの嘆く様子もより一層酷くなっていった。クラウチ家からの解雇が、まだ身に堪えているらしい。それどころか、ウィンキーはそれを恥じてもいるとの事だった。
 ――クリーチャーは、どっちなのだろう?
 サラの脳裏にふと、年老いた屋敷僕妖精の姿が浮かんだ。普段、どうしているのかも分からない屋敷僕妖精。解放なんて、考えた事もなかった。若しもサラが彼に衣服を与えたら、彼はドビーのように喜んでそれを受け入れるのだろうか。それともウィンキーのように恥じ入り、ボロボロになるまで嘆き続ける事になるのだろうか。
 ドビーは、ウィンキーの方が異質だと思っているようだった。
「ウィンキーはなかなか適応出来ないのでございます、ハリー・ポッター。ウィンキーは、もうクラウチさんに縛られていないと言う事を忘れるのでございます。何でも言いたい事を言っても良いのに、ウィンキーはそうしないのでございます」
「それじゃ、屋敷僕妖精はご主人様の事で言いたい事が言えないの?」
「言えませんとも。とんでもございません」
 ドビーは急に真顔になった。決して秘密を他言出来ない。決して悪口を話せない。
 けれどもダンブルドアは、蔑称で呼ばれようとも辞さないと言ってのけたらしい。
「でも、ドビーはそんな事はしたくないのでございます、ハリー・ポッター。ドビーはダンブルドア校長先生がとても好きでございます。校長先生のために秘密を守るのは誇りでございます」
「でも、マルフォイ一家については、もう何を言ってもいいんだね?」
 サラは、ハッとハリーを見る。ハリーは、笑みを浮かべていた。
 まさか、知っているのか。否、そんな筈は無い。サラは水晶玉で見た事を、誰にも話していなかった。ハリーが開心術でも使えない限り、祖母を殺した真犯人を知り得る事は無い。
 ドビーは、話しても良いものか否か自身が無い様子だった。それでも、はっきりと言った。
「ドビーはハリー・ポッターにい、この事をお話し出来ます。ドビーの昔のご主人様たちは――ご主人様たちは――悪い闇の魔法使いでした!」
 ドビーは自分自身の言った言葉に恐れをなし、震え上がった。かと思うと、突然傍のテーブルに駆けて行き、思いっきり頭を打ち付けた。
「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」
 ハリーが直ぐにドビーの首根っこを掴み、引き止めた。
「ちょっと練習する必要があるね」
「練習ですって?」
 咄嗟に、ウィンキーが口を挟んだ。彼女は非常に怒っていた。
「ご主人様の事をあんな風に言うなんて、ドビー。貴方は恥をお知りにならなければなりません!」
 ドビーとはうってかわって、ウィンキーの方はまだクラウチの秘密を明かす事は出来ないらしい。ルード・バグマンを悪く言っていたと言う事は行っても、それ以上語ろうとはしなかった。そしてまた、泣き出すのだった。

 ウィンキーが泣き続ける横で、サラ達は紅茶を飲んだ。ドビーは自由になった時間や給与の使い道の計画を、楽しそうに話していた。
 ふと、ドビーは話をやめてサラの手元を見た。そして、心配そうにサラを見上げる。
「お口に合いませんか? サラ・シャノン」
 サラは、一口も紅茶を飲んでいなかった。ただ、暗い目でドビーを見つめていた。
「……いいえ」
 サラは一口飲み、カップを置く。
「美味しいわ、ありがとう」
 ドビーはホッとしたように笑った。ドビーが再び話に戻ろうとする前に、サラは言った。
「ねぇ、ドビー。少し聞きたい事があるの」
 ハリーも、ロンも、ハーマイオニーも、怪訝気にサラを見ていた。サラの声には抑揚が無く、何処か様子がおかしい。
 マルフォイ一家が死喰人だった。それに関する話かと思ったが、サラの口から出たのは全く関係無いと思われる質問だった。
「貴方、私と会った事があるわね? 二年生のクリスマスよりも、ずっと前に」
 ドビーはハッとした顔つきになった。
 もう、秘密を守る必要は無い。けれども先程の様子を見る限り、まだ躊躇はあるようだ。
 一時の間の後、ドビーは頷いた。
「はい。ございます――サラ・シャノン」
「貴方と一緒にいたのは、ルシウス・マルフォイで間違いないわね?」
 ドビーの瞳が恐れ戦くように見開かれた。大きな緑の瞳が揺れる。この質問の答えは、殺人犯の肯定だ。
「――はい」
 ドビーは再び駆け出したが、今度はテーブルに辿り着く前にハリーが引き止めた。
「サラ? 一体、それはどう言う――?」
「少し、気になる事があっただけ。入学前にも、魔法使いに会った事があったのよ」
「それが、マルフォイの父親だった?」
「そうね」
 サラは淡々と頷き、紅茶を啜った。
 ――もう、何も迷いは無い。
「何だ、そんな話か」
 ロンが拍子抜けして言った。
「マルフォイの悪事で、何か掴んでる事があるのかと思ったよ。家にだって行った事あるんだしさ」
 サラは微笑んだだけだった。
 サラ達が帰り支度を始めると、屋敷僕妖精はこぞってお土産を手渡してきた。ハーマイオニーは心苦しそうにそれを断っていたが、サラ、ハリー、ロンはありがたくケーキやパイを受け取った。
「ありがとう。ねえ、リクエストしても良いかしら。ハロウィンの日、一品でもいいから甘さ控えめの物も出して欲しいの」
「わかりました、サラ・シャノン様!」
 ハーマイオニーが突き刺さるような視線をサラに向けていたが、サラは満足だった。
 屋敷僕妖精たちにお礼を言い、一行は厨房を後にした。





「ポッター! ウィーズリー! こちらに注目なさい!」
 木曜日の変身術で、マクゴナガルの怒号が飛んだ。見れば、ハリーとロンは課題を終え、だまし杖を使いちゃんばらごっこをしていた。サラとハーマイオニーは呆れた目で二人を見たが、何も言わなかった。マクゴナガルが話を続けたからだ。
「さあ、ポッターもウィーズリーも、歳相応な振舞いをしていただきたいものです。
皆さんにお話があります。クリスマス・ダンスパーティーが近付きました――三大魔法学校対抗試合の伝統でもあり、外国からのお客様と知り合う機会でもあります。さて、ダンスパーティは四年生以上が参加を許されます――下級生を招待する事は可能ですが――」
 ラベンダーとパーバティが、クスクスと笑っていた。そして二人は、真後ろに座るサラをちらりと振り返った。サラは当然、ドラコと行くものだと思われているのだろう。
「パーティー用のドレスローブを着用なさい。ダンスパーティーは大広間で、クリスマスの夜八時から始まり、夜中の十二時に終わります。ところで――」
 その後のマクゴナガルの言葉は、軽い説教だった。羽目を外し過ぎないよう。節度を守り、ホグワーツの名に恥じない行動を取るよう。
 更にハリーは、帰り際に選手とそのパートナーは最初に踊るのだと告げられた。これはハリーにとって、拷問宣告のようなものだった。サラ達に追いついたハリーは、絶望的な声でこの事を三人に話した。
「別にいいじゃない、それぐらい。ドラゴンと戦うのに比べれば、どうって事ないでしょう?」
 ハーマイオニーは平然と言ったが、ハリーの意見は違うようだった。
「ドラゴンと戦う方がマシだ」
 ロンは、ハリーに賛同するように頷いた。仲直りして以来、それまでの償いなのか、ロンはハリーの肩を持つ事がやたらと多い。
 サラは、ハーマイオニー寄りの意見だった。
「踊るだけでしょう? なかなか無い、良い機会じゃない。これを機に、色んな子に告白されるかも知れないわね」
「パートナーが既にいる奴は気楽で良いよな」
 ロンの言葉に、サラはすっと無表情になった。
「私、行かないわ」
 三人とも、ぽかんとサラを見つめていた。ハリーがおずおずと尋ねる。
「皆の前で踊るのが恥ずかしいとか? でも、一年生の時だってマルフォイの家のパーティーに行ってただろう」
「そうだよ。今更じゃないか。既に皆の前でいちゃいちゃしてて、君達がつき合ってるのも知れ渡っているんだし――」
「いちゃいちゃなんてしてないわ」
 サラは心外だと言う風にロンを見る。
 ふと、ハーマイオニーが前方に目を向けた。
「噂をすれば、だわ」
 地下牢教室の前には既にスリザリン生達が集まっていて、その中からドラコがこちらへ向かって来ていた。奮然とした表情なのは、ハリーやロンの冷やかしを予想しての事だろう。案の定、二人は面白そうにニヤリと笑った。
「サラ、私達先に行ってるわね」
 ハーマイオニーが咄嗟に言い、二人を無理矢理引きずって行った。去り際に、ちらりとサラに心配気な視線を向けていた。
 サラはその場に立ち止まり、ドラコを迎えた。
 いつもの青白い顔は、頬に僅かに赤みが差している。動作も何処か、そわそわした様子だった。
 サラもきっと、こんな様子だったのだろう。――真実を知る前までは。
「おはよう、サラ。アー……グリフィンドールは聞いたかい? クリスマスの話。当然、残るんだろう? 僕も、今年は残るつもりさ」
「……そう」
 サラの声には、抑揚が無い。
 ドラコは初めて、不安げな表情を見せた。
「――サラも、学校に残るんだよな?」
「ええ。でも、貴方とパーティーに出る事は出来ないわ」
 ドラコはショックを受けたような表情をしていた。問い詰めようと口を開いたが、背後数メートル先にいる同級生達の存在に気付き、サラの腕を掴んだ。
「ちょっと来い」
 サラはドラコの腕を振り払う。それでも、ドラコの後にはついて行った。
 サラとて、こんな所で話すつもりは無い。

 直ぐ傍の角を曲がり、少し歩く。声が皆に届かない所まで来ると、ドラコはくるりと振り返った。
「――どう言う意味だ? パーティーに出られないって……まさか、ポッターか? 相手がいないからって、君が出てやる事になったんじゃないだろうな?」
「心当たりは無い?」
「何の事だ?」
 ドラコは本気で理由が解らない様子だった。
 サラは視線を落とし、ぽつりと呟くように言った。
「ねえ、ドラコ――ルシウス・マルフォイはお元気?」
「ああ。一体――」
「それじゃあ、逃げおおせたのね。クィディッチ・ワールドカップのあの場から……。まあ、現場で捕まらなかったのだから、難しいだろうとは思っていたけれど」
「何の事だ?」
 ドラコはすっとぼける。
 サラは、彼を睨み上げた。
「――庇うのね。死喰人である父親を。彼の咎を」
 二人の間に沈黙が流れる。
 ややあって、ドラコは口を開いた。
「過去にそう言う事があったのは、認める。でも、それは『例のあの人』の服従の呪文で――」
 ドラコの言葉は、サラの笑い声に遮られた。いつものような、何処かはにかんだ控えめな笑い声ではない。冷たい、背筋の凍るような笑い声。
「なあに? それじゃあ貴方は、ヴォルデモートが失脚した後も父親が操られていたって言うの? そう言うように、言われたの?
知っているのよ、私は! ルシウス・マルフォイは死喰人だった! 自らの意思で! そして……そして、奴が失脚したその後も死喰人として動いていた!! 闇払いを一人、殺したのよ!」
 ドラコは言葉を失う。
 憎しみの篭ったサラの瞳が、ドラコを捉えて放さない。
「どうして? どうしてよ……! どうして、ルシウス・マルフォイみたいな殺人鬼が家族と共にのうのうと幸せに暮らしているの? 制裁を受ける事も無く……! どうして、おばあちゃんが殺されなくちゃいけないのよ……!!」
 サラは、目の前の少年の胸倉に掴みかかった。
 左手は彼を壁に押し付け、もう一方の手で杖を取り出す。そしてゆっくりと、それをルシウスの息子の喉元に突きつけた。
「ここで貴方が死んだら……ルシウス・マルフォイはどう思うかしらね……」
 彼の顔色は青い。ただ驚愕に見開かれた目で、サラを見つめていた。初めて会った時に比べ、随分と成長したと思う。きっと、父親そっくりの青年になるのだろう。
 サラの喉から、クスクスと笑いが漏れる。
「私は、貴方が憎い。殺してしまいたいぐらい憎い……! だって、おかしいじゃない! 加害者の子は、ちやほやされて家族に恵まれて生きてきて……! おばあちゃんが殺されて七年間、私がどんな生活をして来たか!! 返してよ……! おばあちゃんといる筈だった、七年間を返してよ……!」
 ぽたりと、サラの足元に雫が落ちた。
「おばあちゃんを返して……!!」
 再び静寂が訪れる。
 喉元に突きつけた杖は、震えていた。
 ややあって、ドラコは口を開いた。何とか、搾り出すような声だった。
「……む、無理だよ……死んだ人は、戻らない」
 その言葉が、サラの逆鱗に触れた。
 大きな破裂音が、冷たい廊下に響き渡った。
 ドラコは息も出来ず、身を硬くして視線を横に向けた。ドラコの横の壁は凹み、細い煙が燻っていた。
 サラはぎり、と歯噛みする。
 ――どうして。
 サラはふいと背を向けると、その場を立ち去った。階段を駆け上り、驚く婦人に合言葉を告げてグリフィンドール寮へと駆け込む。
 寝室に着くと、その場にぺたりと座り込んだ。
 ――出来なかった。ドラコを攻撃する事は、出来なかった。
 どうして。
 どうして彼ばかり、幸せでいられる。どうして彼ばかり、家族に恵まれる。どうして彼ばかり、愛される。
 そしてサラも、その一人になってしまった。それが、許せなかった。ルシウス・マルフォイは、祖母の仇なのに。彼の息子が、憎いのに。
「おばあちゃん……私は、おばあちゃんの味方よ……! おばあちゃんの仇を取るんだから……!」
 サラには、祖母しかいなかったのだから。
 祖母には、サラしかいないのだから。


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2010/10/24