クリスマスの朝、ハリーとロンが談話室で待っていると、直ぐにハーマイオニーが女子寮から出て来た。ロンが和やかに挨拶する。
「メリー・クリスマス、ハーマイオニー。サラは、いつもの如く寝坊かい?」
「それじゃあ、貴方達も会ってないのね?」
 ハーマイオニーは不安げな表情だった。
 ハリーは、首を捻る。
「女子寮にいなかったの?」
「ええ。コートがあるから、城内にはいるのだと思うけれど……」
「それじゃ、図書室じゃないか?」
 しかし、図書室にもサラの姿は無かった。ふくろう小屋にも、大広間にもいない。それから再び談話室に戻ったが、やはりサラは戻って来ていなかった。
 ハーマイオニーはやや心配気だったが、三人は朝食を取りに大広間へと向かった。
「そんなに心配する事ないだろう。その内戻って来るさ。今夜はパーティーがあるんだし――」
 突如、ハリーの胸に一抹の不安が押し寄せてきた。
 パーティーの参加自体を嫌がっていた彼女。
「……まさか、それに出るのが嫌で逃げ出した……なんて事は無いよね?」
「まさか! だって、他の学校や寮含めた大勢の前で恥掻くよりは寮内だけの方がマシだって言ってダンスの練習始めたのは、サラの方だぜ? 出ないつもりなら、あんな事しないよ」
「それでも当日になって、って可能性はゼロとも言えないわね」
 ハーマイオニーが、何の慰めにもならない事を言う。
「ハーマイオニー、君は誰と参加するんだい?」
「でも、パーティーへの参加よりも他に用があってその予定を早めたって可能性の方が大きいと思うわ」
 ロンの質問を完全無視して、ハーマイオニーは言った。
「他の用?」
「水晶玉が無くなっていたのよ。――おばあ様の仇へのサラの執着っぷりは、シリウスの件でよく解ってるじゃない?」
 ハリーとロンはさっと青くなる。
「まさか――だって、何もクリスマスにそんな!」
「でも、コートは寮にあったんだよね?」
 ハリーの問いに、ハーマイオニーは頷く。
「ええ。単なる杞憂なら良いのだけど……」
 朝食を取っていると、間も無くサラが姿を現した。
 ハーマイオニーの杞憂だったらしい。三人は思わず、安堵の息を吐く。
「メリー・クリスマス」
 サラは何事も無かったかのように、ハーマイオニーの隣に座る。
「メリー・クリスマス、サラ。一体、何処へ行っていたの?」
「トレローニーの所よ」
「トレローニー?」
「ええ。どなたかが、私がおばあちゃんの水晶玉を持っているって事、トレローニーにお話申し上げたみたいで」
 言いながら、サラは冷たい視線をテーブルの向こうへとやった。パーバティとラベンダーはサラの視線に気付く様子も無く、今夜のパーティーの話で盛り上がっていた。
「本当は無視しても良かったのだけど。でも万が一、去年みたいにクリスマスだけ大広間に来てある事無い事言われちゃ嫌じゃない? それで、朝の内に行って来たのよ」
 ハリーは妙な違和感を覚えつつも、それ以上サラに話を聞こうとはしなかった。
 何はともあれ、何事も無かったのだ。サラが戻って来て良かった。
 サラはシリアルを受け皿に装いながら、ハリーの方を振り返った。
「ハリー。どうせ今日も、卵に取り掛かる気は無いのでしょう? この後、また練習しましょう」
 戻って来ない方が良かったかも知れない。





No.18





 サラは、むすっとした表情でハリー達を待っていた。談話室にいる生徒達はいつもの黒いローブではなく、色とりどりのドレスローブを身に纏っている。サラも赤と紺のパーティードレスを着て、軽いウェーブをかけた髪には赤いリボンを付けていた。ドラコから贈られたネックレスによく合いそうだと、選んだドレス。しかし今、サラの胸元には何も無い。
 パーバティ・パチルはショッキングピンクのドレスを纏い、サラの隣に座っている。ロンと一緒に行くらしい。長い黒髪は三つ編みにし、金色の糸を編み込んでいた。両の手首にある金のブレスレッドとよく合っている。
「流石、代表選手のお相手ね。凄く綺麗だわ……!」
 ハーマイオニーと共に談話室へ降りて来たサラに、パーバティはそう言った。けれども、そう言う彼女も元々の美しさが化粧で尚の事際立ち、例えフラー・デラクールと並んでも見劣りしないだろうと思われた。
 間も無く、ハリー、ロン、ディーン、シェーマスが連れ立って男子寮から出て来た。ラベンダーはシェーマスと共に、談話室を出て行く。
 ロンはやって来るなり、談話室をきょろきょろと見回した。
「ハーマイオニーは何処だろう?」
 お洒落をしたパートナーを前に真っ先に出て来たのが別の女の子の事で、パーバティはやや気分を害したようだった。知らないと言う様に、肩を竦める。
「彼女なら、パートナーとの待ち合わせがあるから先に行ったわ」
 サラが答えた。
「サラ、君は知ってるんだろう? ハーマイオニーは誰と行くんだ?」
 サラは答えず、無言でロンを睨んだだけだった。そして、ロンのドレスローブに目を留めた。襟や袖口がボロボロだ。
「どうしたのよ、それ」
 ロンは答えない。決まり悪そうに隠すのを、サラは止めた。杖を出し、襟と袖をそれぞれ軽く叩く。
 みるみるとほつれた糸は整い、ミシン目のようになった。ロンが感心して口笛を吹く。
「応急処置だけど、さっきよりはマシでしょう?」
「意外だな。料理や魔法薬はあんなに酷いのに」
「失礼ね。ぼろぼろになった物を直すのには慣れているのよ」
 玄関ホールは談話室以上に人がひしめいていた。ロンは人ごみに目を凝らし、きょろきょろし続ける。フラーを見つけると、膝を曲げてハリーの影に隠れた。フラー・デラクールはシルバーグレーのサテンのパーティーローブを着て、レイブンクローのクィディッチ・キャプテンであるロジャー・デイビースを従えていた。
 フラーとロジャーの二人組みが通り過ぎると、ロンは再びサラ達の頭上から人ごみを眺め渡す作業に戻った。
「ハーマイオニーは一体何処だろう?」
 ロンが再び言った時、スリザリン生の群れが地下の階段を上がって玄関ホールに現れた。
 今度はサラが、ハリーの陰に隠れる番だった。先頭はドラコで、隣にはフリルのひらひらとした薄桃色のパーティードレスを着た女の子がいた。――パンジー・パーキンソンだ。
 サラの顔が強張る。視線をそらすまでもなく、樫の扉が開いてダームストラングの一団が玄関ホールに入って来た。先頭はクラム。その隣にいる女の子が誰なのか、ハリーもロンも気付いていなかった。

 一曲が終わると、代表選手以外の生徒達も大勢ダンスフロアへと出て来て踊り出した。サラとハリーは早々にその場を抜け、ロンの座るテーブルへと向かった。この頃にはもう、ハリーもロンもハーマイオニーが何処にいるのかとうに気付いていた。パーバティは既にロンの隣にはおらず、ボーバトンの男子生徒と踊っていた。ロンは全く構う様子もなく、ハーマイオニーとクラムのペアを睨みつけていた。
 ハリーがバタービールの瓶を開けたが、誰も飲もうとはしなかった。三人三様、特定のペアに気を取られていた。
 ハリーとサラは最初に踊ったのだ。ドラコが気付かなかった筈が無い。しかしドラコがこちらを気にする様子は無く、テンポの速い曲をパンジーと楽しそうに踊っていた。
 ――ルシウス・マルフォイの息子。
 その笑顔が憎い。腹立たしい。けれど同時に、胸中に沸き起こるこの寂しさは何なのだろう。ロンが言っていたような未練などない。彼は祖母の仇の息子だ。憎むべき相手。
「サラ――サラってば!」
 声をかけられ、サラはハッと我に返った。
 青緑色のドレスに身を包んだ少女が、サラの傍らに立っていた。髪は二つのお団子に纏めて、緑色のリボンで結っている。いつもと違う髪形だが、誰なのかは直ぐに解った。
「アリス?」
 アリスはにっこりと笑う。隣には、さらさらとした黒髪のハンサムな男子生徒を従えていた。
「見てたわよ、踊っていた所。もう踊らないの?」
「ええ、まあ……。踊らないわよね?」
 語調強くサラに尋ねられ、ハリーはダンスフロアから視線を外し振り返った。そして、もちろんだとばかりに頷く。
 そして、アリスの隣に立つ生徒を凝視した。男子生徒は、決まり悪そうにそっぽを向く。
 サラも彼に目をやって、そして唖然とした。男性用のドレスローブを着た、背の高い少年――少年と思われるその顔には、見覚えがあった。
「……エリ?」
 エリは不貞腐れたように俯く。
「エリ、どうしたのよそんな格好で――」
「サラは気付いてくれたわね」
 アリスはクスクスと笑う。
「あたし、パーティーがあるって知ったの、遅かったんだよ。そしたらもう、相手いなくて――いないと思って――そしたら、アリスに話持ちかけられて――まあ、面白そうだしいいかなと思ってたんだけどさ――」
「誰も気付いてくれなかったのよね。ハンナ達も、セドリックも、ロンのお兄さん達も」
 アリスが後を続けて言う。
「でも、ハリーも気付いたんじゃない?」
 サラが言って、ハリーを見た。ハリーは頷く。
「えーと――ごめん、エリだとは……。その――僕、シリウスの若い頃の写真見た事あるんだ。それにあまりにもそっくりだったから――」
「サラだけじゃ、姉妹だからノーカンじゃねーか」
「じゃあ、ロンは?」
 サラはロンを振り返る。しかしロンは、こちらには目もくれずハーマイオニー達を見据えていた。ハリーが小突いて振り返らせる。
「ハーイ、ロン」
 ロンは目をぱちくりさせていた。
「えーと……?」
「アリスだよ」
 ハリーが言う。そして、感想を促すかのようにアリスとエリを視線で示した。
 ロンはよく解らない様子で、言った。
「あー、うん――美男美女でお似合いだね。見ない顔だな――ボーバトンかダームストラングの生徒?」
 しかし返答も聞かず、再びダンスフロアへと視線を戻す。サラ達の会話も聞いていなかったらしい。
 ロンは今、とあるペアに気を取られているのだから無理も無い。だが、そんな事情も知らないエリは、打ちのめされた様子でふらふらと去って行った。
 アリスは近くの席を引き寄せ、サラの隣に座った。会話が途切れて、サラもハリーもダンスフロアに視線を戻す。
「ねえ、サラ……。ドラコ――」
 ちょうど今し方目で追っていた人物の名前が出て、サラはどきりとアリスを振り返る。
 アリスはサラを見てはいなかった。彼女の視線の先は、サラと同じ。ドラコ・マルフォイとパンジー・パーキンソンのペア。
「――ドラコと、別れたの?」
 言って、アリスは俯き加減にサラを見上げる。
 その表情に、サラはざわりと胸騒ぎを感じた。胸騒ぎの正体は、解らずに。
「……ええ」
「本当に? それじゃ、もう好きじゃないの?」
『好きじゃない』
 そう、サラは彼を憎んでいるのだ――憎んでいる筈なのだ。彼は仇。ルシウス・マルフォイが、祖母を殺した。ドラコ・マルフォイを愛する訳にはいかない。
 サラは、頷いた。
「ええ――彼への好意は、もう無いわ」
 抑揚の無い声色で、サラは言う。
 アリスの表情が、みるみると明るくなっていく。――まさか、この子は。
「……そっか」
 小さく呟いた声は、弾んでいた。
 サラは愕然とした。間違いない。アリスは――
「アリス!」
 少し離れた所から、スリザリンの色黒の生徒が呼ばわった。
「来いよ。パンジー達も、そろそろ休むって」
「待って、ブレーズ。今行くわ。
じゃあね、サラ。ハリーとロンも――」
 しかし、ハリーとロンは気付く素振りを見せない。アリスは苦笑して、サラにだけ手を振ってスリザリンの仲間達の所へ向かった。
 サラは呆然としていた。
 間違いない。アリスは、ドラコを好きなのだ。いつから? ドラコとサラが一緒にいるのを、どんな思いで見ていたのだろう。アリスは度々、サラを応援してくれていた。バレンタインには、チョコレート作りを教えてくれた。渡すきっかけを作ってくれたのも、アリスだった。どんな思いで、サラとドラコの仲を取り持っていたのか。
 そして、サラはドラコと別れた。
 ドラコはパンジーと踊っている。アリスではない。二人とも笑顔で、楽しそうで――
 サラは視線を落とし、ぎゅっと膝の上で拳を握り締めた。
 マルフォイは仇。サラにとって、それは変わる事の無い事実。――例え、アリスが想いを寄せているひとだとしても。

 曲が一区切りすると、ダンスで頬を紅潮させたハーマイオニーがやって来た。
「やあ」
 ハリーが言った。サラも軽く手を振る。
 ロンは、何の反応も示さなかった。
「暑くない?」
 ずっと座っていた三人から、賛同の言葉は出なかった。
「ビクトールが何か飲み物を取りに言った所なの」
「ビクトールだって?」
 ロンが即座に反応した。
「ビッキーって呼んでくれって、まだ言ってくれないのか?」
 あからさまに突っかかるような言い方だった。この対応は、サラにも、ハリーにも予想外だった。
 驚くハーマイオニーに、ロンはまくし立てる。
「あいつは、ダームストラングだ! ハリーと張り合ってる! ホグワーツの敵だ! 君――君は――敵とベタベタしている。君のやっている事は、これなんだ!!」
 ハーマイオニーは、直ぐには言葉が出てこなかった。ぽかんと口を開けて、一時の後彼女も声を荒げた。
「馬鹿言わないで! 敵ですって? まったく――あの人が到着した時、あんなに大騒ぎしていたのは何処のどなた? サインを欲しがったのは誰なの? 寮にあの人のミニチュア人形を持っている人は誰!?」
 ロンは聞こえなかったふりをした。
「二人で図書館にいる時にでも、お誘いがあったんだろうね?」
「ええ、誘われたわ。それがどうしたって言うの?」
「何があったんだ? あいつを『反吐』に入れようとでもしたのか?」
「そんな事しないわ! 本当に知りたいなら、あの人――あの人、毎日図書館に来ていたのは、私と話がしたいからだったって言ったの。だけど、その勇気が無かったって!」
 サラはむっつりと黙り込み、一人でバタービールをあおっていた。
 ロンは猶も、突っかかる。
「へー、そうかい――それが奴の言い方って訳だ」
 ロンはあろう事か、クラムはハーマイオニーをスパイとして利用しているのだと言い出した。当然、ハーマイオニーが怒らない筈が無い。
「私、あの人が卵の謎を解く手助けなんか、絶対にしないわ! 絶対によ! よくもそんな事が言えるわね――私、ハリーに試合に勝って欲しいのよ。その事は、ハリーも知っているわ。そうでしょう、ハリー?」
「それにしちゃ、おかしなやり方で応援してるじゃないか」
「そもそも、この試合は、外国の魔法使いと知り合いになって、友達になる事が目的の筈よ!」
「違うね! 勝つ事が目的さ!」
 二人の論争に、周囲の視線が集まり始めていた。ハリーが慌ててロンをいさめる。
「僕、ハーマイオニーがクラムと一緒に来た事、何とも思っちゃいないよ――」
 ロンは聞く耳も持たずに怒鳴った。
「行けよ。ビッキーを探しにさ。君が何処にいるのか、あいつ、探してるだろうぜ」
「あの人をビッキーなんて呼ばないで!」
 ハーマイオニーはすっくと立ち上がると、憤然と人ごみの中に消えて行った。
 サラは、冷たい視線をロンに向ける。
「何も、あんな言い方する事は無かったんじゃない?」
「僕は本当の事を指摘しただけだ」
「貴方のさっきの言葉の中に真実なんて、塵一つも見当たらなかったけど?」
「どうせ君はハーマイオニーの肩を持つんだろう」
「どちらの味方をするとかしないとか、そんなつもり全く無いわ。私だって、ハーマイオニーがクラムと行くのは気に入らなかったぐらいだもの」
「へー。そりゃ、おっどろき」
 ロンは冷たく言う。
「それじゃ君は、何が言いたいんだ?」
「私――私、ハーマイオニーは、ロン、貴方と行くだろうと思ってたわ。貴方とハーマイオニーは、好き合ってるんだと思っていたのに!」
 ハリーが飲みかけのバタービールを噴き出した。
 ロンはあんぐりと口を開けて言葉を失い、ややあってしどろもどろに言った。
「僕が――? ハーマイオニーを? ハッ、そりゃ、飛んだお笑いだ――」
「そうやってムキになるから、クラムに取られちゃうんじゃない!」
「ムキになんて、なってない」
 ロンは毅然と言い放つ。
「じゃあ、何だって言うのよ!」
「言っただろう。ハーマイオニーは――『裏切り』だ――」
「言い訳よ! ハリーはそんな事気にしてないし、ハーマイオニーの言う通り、この試合の目的は魔法使いの国際交流で――」
「自分が失恋して苛立っているからって、他も一緒だと思わないでくれるか?」
 サラは、昂揚した気分がみるみると落ち着いていくのを感じた。怒りを通り越した静けさ。能面のような無表情。その瞳には、紅い光が宿っていた。
「――そう。まだ、余計なご心配をしてくださってる訳ね」
 サラは立ち上がる。
「ドラコ・マルフォイへの未練なんて無いわ。――私は、おばあちゃんを裏切ったりなんてしない」
 冷たく言い放つと、大広間を出て行った。





 テーブルを離れたエリは、そのまま大広間を出て行った。先程まで大勢の生徒でごった返していた玄関ホールは、今や一つや二つのカップルが行き来する程度だった。その中に一人、男女連れでない人物がいた。
 彼は真っ直ぐに、エリの方へと歩み寄って来た。
「君、スネイプ教授を見なかったかね?」
 エリは目を瞬く。
「さあ……」
「あー……若しかして、ボーバトンだったか?」
「いや、ホグワーツです。でも、何処にいるかは……」
「そうか……そうか。もし見つけたら、是非教えてくれ……カルカロフが探していると、伝えておいてくれ……」
 カルカロフは神経質に辺りを気にしながら、地下へと探しに行った。
 エリは開け放された樫の扉を出て、正面階段を下りて行った。下りた所は薔薇の茂みが植わり、いくつもの散歩道が作られていた。大きな石の彫刻が並ぶ間を、エリは一人で歩いて行く。
 茂みの陰からは、時折、話し声や人がいる物音が聞こえた。
 ――あたし、何やってんだろうなあ……。
 女の子らしく着飾った同級生達。普段なら、例え気付かれなくてもその状況を面白がった。どうして今日に限って、こうも惨めな気分になるのか。
 誰もエリだと気付かないから?
 恐らく、違う。理由は――
「――エリか?」
 エリは、振り返る。
 薔薇の茂みという背景がとてつもなく似合わない人物が、ほのかな明かりに照らされ佇んでいた。エリは目を瞬く。
「……セブルス」
「やはり、君か。どうした、そんな格好をして」
「……分かったの? あたしだって」
 セブルスは眉を顰める。
「何をおかしな事を言ってるんだ」
「いや、別に」
 エリはへらっと笑い、セブルスの隣に並んだ。彼は特に何とも言わないので、そのまま並んで歩く。
「セブルスは、巡回?」
「こういう場では、羽目を外しすぎる生徒も出て来るのでな」
「そう言えばね、カルカロフっておっさんが探してた」
「……まるで、奴を知らんとでも言うような言い方だな」
「だって知らないもん」
「そんな筈あるまい。ダームストラングの校長だぞ?」
「マジ? 覚えてなかった」
 エリはけろりと言う。セブルスは、呆れたように溜息を吐いただけだった。
 静寂の中、何処からか噴水の音がする。
「大広間に戻らなくていいのか?」
「いいよ、別に」
「……何かあったのか?」
 エリの大人しい様子を訝ったらしく、セブルスは言った。
 エリはムッと口を尖らす。
「別に、何もねーよ。あっ、でも、誰もあたしだって気付いてくれなかったのはちょっとショック受けてたかも。……セブルスは、気付いてくれたんだな」
「まあ、奴がいる筈無いからな……」
「え?」
「いや……それより、パートナーは良いのか? 放置していて」
「パートナーつっても、アリスだもん」
「……は?」
「パーティーの事知ったの遅かったから、もうパートナー見つからないかなって思って。それに……やっぱ、誤解が嫌だったんだと思う」
「誤解?」
「……お前、あたしとアーニーが二人でデートしてたって誤解しただろ」
 ――ああ、そうか。あたし――
「誤解されるのが嫌だった。本当なら、好きな人と行きたかったよ。でも、セブルスは無理みたいだからさ……」
 ――こいつの事、好きなんだ。
 二人は立ち止まっていた。
 静寂が訪れる。聞こえるのは、水の音だけ。
 セブルスは、驚いた表情をしていた。彼の驚いた表情は珍しい。そして、ふと思う。――彼は、何に驚いているのだろうか。
 そして、エリはハッと我に返った。
『好きな人と行きたかったよ。でも、セブルスは無理みたいだからさ……』
 顔が火照って来るのが分かる。
 何を言っているのだ、自分は。これでは、本人に告白しているも同然ではないか。
 セブルスは、驚きの次に困惑の表情を浮かべていた。――当然だ。告白なんてされても、困るだけだ。それぐらい、エリにだって解る。
「嘘! い、今の無し! 無し! えっと……あぅ……じゃあな!」
 エリはぐるりと背を向け、もと来た道を駆け出した。
 ――何言ってるんだ何言ってるんだ何いってるんだ!!
 セブルスの困惑した表情が瞼の裏に焼きつく。生徒に告白なんてされても困る。そう、表情で物語っていた。
 エリは、自覚と同時に失恋したのだ。
 自分の愚かさに腹が立つ。そして、悔しかった。気がつけば、温室の裏へと来ていた。エリは暗がりの中、温室の扉にもたれる。
 月が、朧だ。
「なーにやってんだ、あたし……」
 何も言わなければ、傍にいられたのに。
 今までの関係を、壊さずにいられたのに。


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2011/01/01