時間は遡り、クリスマスの朝。サラは甘ったるい匂いに包まれて、薄暗い教室にいた。
 サラの眼の前には、祖母の水晶玉。水晶玉には、正面に座る女性の眼鏡で拡大された瞳が写り込んでいる。
 彼女は、演出を意識したような重々しい口調で話していた。
「ええ、間も無く参りますわ……死は、直ぐそこに……貴女は親愛なるご友人達と喧嘩をしますの……そして、仲直りをする事もなくハリー・ポッターは――悲惨な死に見舞われる事になりますわ」
 ガシャンと、彼女の背後で金属製の物が複数落ちる音がした。
 部屋の棚が一つ外れ、上に乗っていた物が床へと飛散していた。
「まあ……お待ちあそばせ。きっと、あたくしの発する神秘の力に当てられたんですわ……」
 トレローニーは散らかったカップを片付けに席を立った。
 サラは即座に後ろを振り返る。
「アクシオ」
 小さく囁き、目的の物を少し拝借する。ほんの、四回分程度。
 トレローニーは机の向こうへ回り込み、屈んで物を拾い上げる。サラは席を立った。
「先生、大丈夫ですか?」
 サラも机の向こう側へ回り込む。そして、軽く杖を振った。
 落とした時と逆の要領で、棚やその上にあった物は元通りに直っていく。そして、さり気なく言った。
「すみません、先生。そろそろ、朝食の時間なので……」
 物惜し気なトレローニーと分かれ、サラは占い学の教室を出て行く。
 梯子を下りきって大広間へと向かいながら、サラはポケットの小さな巾着を取り出した。中に入っているのは、トレローニーの暖炉からこっそり盗んだ煙突飛行粉。
 全て順調だ。
 チャンスは一度きり。今夜、皆がパーティーに出払っている時間。





No.19





 パーティーも終盤。深夜が近づき、スローテンポな曲が大広間に流れる。パンジーに強請られて、ドラコは再び踊りに行った。
 ドラコがサラではなくパンジーと行くと知った時、どんなに驚いた事か。パンジーはとうにドラコの事を諦め、友達としてそばにいるのだと思っていたのに。サラとドラコの仲を邪魔なんてしないだろうと思っていたのに。
 どう聞いて良いか分からなかった。パーティーの約束を取り付けてからと言うもの、パンジーはまたドラコと一緒にいるようになった。ドラコに聞こうにも、学年が違えば会えるのは朝と放課後。しかし、いつも横にはパンジーがいる。まさか、パンジーの前でサラの話を聞く訳にはいくまい。彼の本音が聞けるとも思えない。そして何が起こったのかわからないまま、クリスマスが訪れた。
『彼への好意は、もう無いわ』
 冷たい声で、サラは淡々と言った。愛情どころか、憎悪さえも伺えるような声色。
 別れたのかという問いに、彼女ははっきりと頷いた。
 サラとドラコは両想いだった。アリスが割って入れるような隙間など無く、横恋慕だと思うと気後れがした。最愛の祖母を失ってからと言うもの、愛に触れる事の無かったサラ。人の憎しみや嘘には敏感でも、恋愛や好意については人並み以上に鈍感で不器用になる程。
 アリス自身、そんな彼女が照れたり戸惑ったりする様を見るのは、微笑ましく嬉しかった。それをアリス自信が壊すなんて、絶対にしたくなかった。
 ――でも、サラとドラコは別れた。
 もう、アリスが気を使う必要は無い。パーティーはパンジーと来たが、付き合い始めたと言うほどではないらしい。今なら、まだ間に合う。
「――アリスも、そう思うだろう?」
「えっ?」
 アリスはハッと我に返る。ダフネが、ザビニに呆れたように言った。
「ほーら。アリスも、そんな馬鹿馬鹿しい話には興味が無いそうよ」
「ごめんなさい。ちょっと、疲れて来ちゃったみたい。なあに?」
「気にしなくていいわ。大した話じゃないから」
「大丈夫か? ぼーっとしているみたいだけど」
 気遣うように言ってきたのは、ノットだ。アリスはにっこりと笑った。
「ええ。ちょっと何か飲んで、目でも覚ましてくるわ」
 言って、アリスは席を立った。背後では、ザビニがまたアストリアに何か言ったらしく、ダフネが怒っているのが聞こえた。
 クラッブとゴイルは、ご馳走が出てからと言うもの帰って来ない。エリが何処かへ行ってしまったアリス、パンジーの親友のダフネ、その妹アストリア、相手に求めるハードルの高いザビニ、ドラコとパンジーに無理矢理引っ張って来られたノットの五人は、少なくともアリスが来てからは踊る事も無くずっとだべっていた。ザビニについては、彼のお眼鏡に適うほどの女の子が来れば何度か一緒に踊りに行っていたが。
 ダンブルドアがマダム・ロスメルタから蜂蜜酒を八百樽買い込んだと言う噂があったが、それほどあってもおかしくはないと思われるほどの量が準備されていた。どの飲み物も、ご馳走も、尽きる様子が無い。
 アリスはカボチャジュースのグラスを取る。そこへ、声がかかった。
「アリス、一人かい?」
 やけにぎこちない様子で話しかけてきたのは、ハーパーだった。アリスに並んで歩くが、右手と右足が同時に出ている。
「今は、皆と一緒よ。眠くなってきちゃったから、飲み物を取りに来たの。貴方は? パートナーはどうしたの?」
 三年生以下は、上級生の誘いが無い限り参加出来ない。当然、ハーパーもここにいるからには誰か一緒に来た女の子がいる筈だ。
「……ミリセント・ブルスロードと一緒に来た。大変だったよ。踊ってるって言うより格闘技だったな……」
「それはご愁傷様」
「あのさ、どどないか?」
「は?」
「僕と、踊らないか?」
 ハーパーは慌てて言い直した。
 アリスは、ちょっと困った風な愛想笑いを浮かべた。
「ごめんなさい。もう遅い時間でしょう? 疲れちゃって」
 ハーパーががっくりと肩を落とすのが分かった。やけにアリスに世話を焼いてくる彼。薄々、勘付いてはいた。
 でも、アリスが好きなのは彼ではない。
 それでも彼の落ち込む様子があまりにも憐れで、アリスは言った。
「何なら、ハーパーも一緒に来る?」
 ハーパーは、パッと顔を上げた。
「ザビニやノット達と一緒よ。ドラコはパンジーと一緒に踊りに行っているし、ビンセントとグレゴリーも食べに行ったまま帰って来ないけど」
「彼、シャノンと付き合ってるんじゃなかったのか?」
「別れたそうよ。サラに聞いてみたけど、一時的な喧嘩って風でもないみたい」
 思わず声が明るくなる。もう、アリスはサラに気を使わなくて良いのだ。

 皆の所へ着く前に、人ごみの中からドラコが姿を現した。アリスは目を丸くする。ドラコの視線が、ハーパーに向けられた。そして、申し訳なさそうな顔をする。
「ごめん。アリス、ちょっと良いかな。もちろん、直ぐに帰すから……」
「ハーパー、先に行っていて」
 アリスは早々に彼を追い払う。どうしてこう、いつもタイミングが悪いのか。先程感じた彼への同情も、一瞬で消え失せていた。
 ハーパーはやけに大人しく、人ごみの中へと消えて行った。
「飲み物を取りに行っていたら、会ったの。彼も一人だったみたいだから。ミリセントと来たんですって」
「ああ……」
 ドラコはあまり関心の無い様子で適当に相槌を打つ。
 アリスは小首を傾げた。
「パンジーは? 踊ってたんじゃなかったの?」
「うん、一旦休もうって事になって。飲み物を取りに来たんだ。バタービールって、何処にあるかな」
「こっちよ」
 アリスは元来た道を引き返す。思いがけずドラコと二人きりになれた。出来る限り、この時間を長く延ばしたかった。
 ドラコは、何か言いたげだった。けれども何も言わず、アリスについてテーブルまでやって来てしまった。ドラコが二人分のバタービールを持ったのを確認し、アリスが引き返そうとすると、なんとドラコの方から遠回りな道を提案して来た。
「そっちは人が多いから……ぶつかってこぼれたりしたら嫌だからな」
 そう言ってドラコが指し示したのは、人ごみとは少し離れた、壁沿いのルートだった。もちろん、アリスは大歓迎だ。
「いいわよ」
 笑って言って、ドラコの隣に並んで歩く。
 こうして隣を歩くのは、初めてかも知れない。いつも、彼の隣はサラだった。サラやパンジー、彼女たちがいなければクラッブやゴイル。アリスはいつでも、傍から眺めるだけだったのだ。
 最高のクリスマスだ。豪華なパーティーがあって、飲み物を取りに行く短い時間とは言えドラコと二人で過ごせて。思わず、頬が緩んでしまう。
「……アリス」
 不意に、ドラコが低い声で囁いた。アリスはどきりと彼の横顔を見上げる。彼は、周りに聞こえやしないかと辺りに視線を走らせていた。
「僕、サラと別れたんだ」
「知っているわ」
 アリスの胸中で、期待と不安とが渦巻く。
 彼は、一体何を言おうとしている?
「……理由は、聞いたか?」
「聞いてないわ。何かあったの? 喧嘩?」
 喧嘩ではないだろう。サラが、ドラコに向けていた視線。別れたことを肯定した声色。
「理由は……サラから聞いてくれ。僕には話せない」
 アリスは突然、とある可能性に思い当たった。
 二人が別れたからと言って、アリスに可能性が回ってくるとは限らなくなる、一つのシチュエーション。
「他に好きな人が出来たとか……?」
「いや、違う。サラから聞いてくれ」
 恐る恐る尋ねた言葉は、あっさりと否定された。ドラコからは話せない。頑なに彼はそう話す。
「……サラは、どうだった?」
 胸中に残ったのは、不安のみ。二人っきりの高揚感も、僅かな期待も、みるみる内に萎んでしまった。
 ただその一言で、彼が何のために遠回りをしたのか、彼が何を言おうとしているのか、アリスは悟ってしまった。
「詳しくは聞かなかったけど……別れたのって聞いたら、肯定したわ。『もう好意は無い』って……」
「そうか……」
 そう呟いたドラコの表情。ただふられて落ち込む少年の顔ではなかった。バレンタインデーに、サラがチョコを贈れる機会を作った事があった。告白かと思って喜び勇んだドラコは、義理だと言って渡された。その時の落ち込み方とは、まるで違う。
 何があったのかは知らない。けれども一つだけ、確かな事があった。
 ドラコはまだ、サラを気にかけている。
「……何か、サラを怒らせちゃったりでもした……の……?」
「ああ、うん……怒らせた……怒ってたな、確かに……。情けないけど、ちょっと、怖かった」
 咄嗟に脳裏に蘇ったのは、小学校での日々。クラスメイト達を魔法で浮かせ、四階のベランダから次々に落としていたサラ。
 けれども今のサラは、もうそんな事はしない筈だ。ドラコがそれほどにサラを傷付ける事をするとも思えない。
「もしサラが危ない事をするようだったら、止めて欲しいんだ。君だって関係あるんだから、こんな事頼める義理じゃないのは解っているけど……」
「私も関係ある? どう言う事なの?」
「サラから聞いて、それで判断してくれ。それで若し、君が僕達を憎まないでくれるなら、力になって欲しい。そして君にも危険が及ぶなら、僕を頼ってくれていい。君自身に敵意が無いなら、僕も守る事が出来るから」
「なんだか、穏やかな話じゃないわね」
「真面目に言ってるんだ。サラとは別れてしまったけど、それでも僕にとって君は妹みたいなものなんだ。君を失いたくない。サラも、危険な目に遭って欲しくない……」
「……」
 その後、皆の所へ戻るまで二人は終始無言だった。
 待ち侘びたパンジーに腕を組まれ、ドラコはバタービールをこぼしそうになりながらも手渡す。ザビニはニヤリと笑って言った。
「遅かったな、ドラコ。パンジーの次はアリスか? シャノンと別れたばかりなのに、なかなかやるな」
「そんなんじゃない!」
「あら、私は構わないわよ?」
 パンジーは上目遣いにドラコを見上げる。ドラコはどぎまぎしながら、パンジーの腕を逃れていた。
 アリスは椅子に座り、持ってきたカボチャジュースに口を付ける。注いでから時間の経ったジュースは、すっかり温くなってしまっていた。
 サラの妹。
 二人が別れても、アリスの立場は変わらなかった。そして、だからこそ、アリスはドラコにとって大切な存在でいられているのだ。





 大広間を抜け出したサラは、暴れ柳の所へと来ていた。一度寮へと戻り、服は着替えている。持ち物は、握り締めた杖とポケットの煙突飛行粉と透明マントのみ。サラは杖を、暴れ柳のこぶへと向ける。クルックシャンクスが柳の動きを止めた、あのこぶだ。杖から出た光は、真っ直ぐにこぶを直撃した。暴れ柳の動きが止まる。サラは迷わず、木の根元の穴に潜り込んで行った。
 静かな道のりだった。城での盛り上がりが嘘のようだ。
 杖明かりをかざし、真っ直ぐに正面の闇を見つめて、サラは突き進んでいく。
 やがて、古びた屋敷に出た。実の父親と再会した屋敷。全てがあの時のまま、床には埃が積もっている。内側から板を打ち付けられた扉や窓。サラはその一枚に、杖を向けた。
「ディフィンド」
 バリバリと激しい音がして、板の端が真っ直ぐに裂けた。サラは動きを止め、耳を澄ます。屋敷の外から、幽かにふくろうの鳴く声が聞こえるのみ。
 もう一箇所対称な位置を魔法で切り裂き、板は釘で打たれた部分を残してバタンと内側に倒れた。
 板の向こうから姿を現した窓に身を寄せ、サラはそっと外を伺い見る。暗闇に人影は無い。気配を探るも、やはり誰もいない。物音は、ふくろうの鳴く声だけ。
 鍵の位置は直ぐに解ったが、使うつもりは無かった。外からかける手段が無い。
 サラは二、三歩後退し、窓へと杖を向けた。
「レダクト」
 窓ガラスが弾け散る。ぽっかりと穴の開いた窓から外へと抜け出す。
「……っ」
 手を突いた所に、ガラスの破片があったらしい。親指の付け根から、じわりと赤い鮮血が滲み出る。
 サラは軽く舌打ちし、粉々になった窓ガラスを振り返った。
「レパロ」
 ゆっくりと杖を動かし、窓を修復する。暗闇から更なる暗闇を見ても、内側の板の有無は判らない。夜が明ける前に、戻って来なければならない。
 サラはフードを深く被り、その上から透明マントを羽織った。毅然とした足取りで、三本の箒へと向かう。
 遅い時間にも関わらず、クリスマスのホグズミードは人で溢れ返っていた。生徒以外の人々でひしめくホグズミードを見るのは、初めての事だ。ホグズミードは、魔法使いのみが住まう村。恐らく、地元の人々以外も訪れているのだろう。
 予想通り三本の箒はホグワーツのホグズミード休暇並みに混雑していて、扉が開いたのに誰も入って来なくても、誰も気付く様子は無かった。
 マントを外そうとしたが、扉が開いてサラはそれを押し留まった。入って来たのは、リータ・スキーターだった。彼女は仲間のカメラマンを見つけ、真っ直ぐにそちらへ歩いて行く。彼女らのテーブルの横を通る際、少しだけ会話の内容が聞こえた。
「特ダネざんすわ……『ダンブルドアの「巨大な」過ち』……見出しはこれで決まりね……彼の写真を撮っていなかったのが、惜しいざんす……」
 サラは暖炉の前に立つと、ポケットから煙突飛行粉の入った巾着を取り出した。透明マントを被りながら煙突飛行粉を暖炉にくべるのは、なかなか骨だった。
 暖炉の炎が緑色に変わる。サラはその中に立つと、小さく、だがはっきりと行き先を告げた。
「漏れ鍋」
 視界が歪み、色の渦へと変わる。引っ張られるような感覚。渦の中を潜り抜け、次の瞬間サラは似た景色を目にしていた。あまりにも似通っていて、失敗したかと思った程だ。こちらもクリスマスで、店内は混み合っていた。
 サラはフードが外れないように注意して透明マントを脱ぎ、畳んでポケットにしまい込む。パブの裏手に出て、ダイアゴン横丁へのゲートを開く。
 薄暗いパブとは対照的に、ダイアゴン横丁はクリスマスの装飾で輝いていた。どの店も遅くまで開き、通りには大きなツリーが置かれている。マグルのイルミネーションとはまた違っていて、けれども光と雪を利用した飾りつけだという点では同じだった。幻想的な装飾の間を、小さな子供のいる家族連れや、カップルが往来する。
 幸せそうな二人組から視線をそらし、サラはグリンゴッツへと真っ直ぐに歩いて行く。
 二年生の時、ハリーがハグリッドに連れられて出て来たのはこの辺り。グリンゴッツの横を通り抜け、路地裏に入る。表の明るさとは一転、そこは陰気な通りだった。人々は皆、サラと同じようにフードを目深に被っている。看板には、「ノクターン横丁」と書かれているのが見えた。
 サラは、一店一店、看板を見て行く。ハリーが落ちた暖炉がある筈だ。煙突飛行ネットワークに組み込まれた暖炉が、ここにもある筈。三本の箒から飛んだ漏れ鍋から直接行くなんて、足のつきそうな真似はしない。マルフォイ親子はその店を訪れていた。ならば、彼らの家との行き来があっても何ら不思議ではない。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」
 背格好を見れば、女と言うところまではわかるだろう。サラの事を言っているのだと判ったが、サラは無視した。
「アクセサリーや皿はいらないかい? 呪い避けや、懲らしめたい相手へのプレゼント――」
「結構よ」
 背の低い、チンピラのような服を着た男だった。彼は諦めたように、他のターゲットを捕まえに行った。
 薄暗い通りを、サラは闊歩する。ウィーズリー夫人の反応で、一体どんな恐ろしい場所なのかと思っていた。実際のところ、特に酷い所だとも思えなかった。店や往来する人々を見れば、表には出られない類なのだと言う事は明白だ。しかし特別忌み嫌う程の場所とは思えなかったし、寧ろショーウィンドウに並ぶ商品の中には興味深い物も幾つかあった。
「あった……」
 少し大きめの店の前で、サラは立ち止まった。ボージン・アンド・バークス。二年生の時、ハリーが迷い込んだ店。
 窓から中を覗き込む。店内に人はいないようだった。他の店も同様だが、どうもこの通りにクリスマスは関係無いらしい。
 中に入ると、扉に付けられた鈴が大きな音を立てた。案の定、直ぐに店長と思しき人物がやって来た。サラは構わず、店内を見回す。
「ご入用は」
「暖炉を借りたいだけよ。構わないわね?」
 彼は怪訝気な表情を見せたが、関わり合いにならない事に決めたらしい。これは、サラにとって都合が良かった。
 サラは三本の箒でやったのと同じように、暖炉に煙突飛行粉をまく。炎は緑色に変化した。サラはポケットから杖を出し、握り締めると炎の中へと足を踏み入れた。
 告げたのは、マルフォイ家の家号。
 色が渦巻く。まるでスロットマシーンのように、幾つもの家庭のクリスマスを祝う景色が流れて行った。間も無く、マルフォイ家の屋敷だ。もう直ぐ――もう直ぐ――
 そして、サラは弾かれた。
 何が起こったのか、解らなかった。強い衝撃。そして次の瞬間、サラは地面に放り出されていた。
 咄嗟に身体を起こし、杖を上げて辺りを見回す。周囲は闇一色。何の物音もしない。
 サラは適当な位置に杖を向け、軽く振った。離れた位置に、炎が灯る。
 光源への攻撃は、無かった。
「ルーモス」
 杖先に灯かりが灯る。サラはそれを掲げた。
 何処かの森の中にいるようだった。木々の葉は落ち、足元には雪が積もっている。サラはゆっくりと、慎重に辺りの様子を伺いながら、歩を進めた。
 少し行くと、直ぐに森が途切れている事が解った。森の終わりには、荒れた茨の潅木。その向こうには、細い小道。ここが何処なのか、サラは知っていた。一年生の頃、そして今年の夏。何度も訪れている。マルフォイ家の屋敷の前だ。
 しかし、小道の向こうにある筈の生垣が見当たらない。
 サラは茨へと駆け寄った。炎で一部を焼き切り、間を通り抜ける。
 やはり、無い。ここにあった筈なのだ。生垣沿いに歩くと馬車道に曲がりこみ、その先に鉄製の黒い門扉がある。そこが、屋敷の正面口。はっきりと覚えている。
 ここに、あった筈なのに。
「防御呪文って訳……?」
 ここまで来たのに。サラはここまで来た。後は、屋敷に忍び込んでルシウス・マルフォイを探すだけ。
 未練なんて、冗談ではない。祖母を裏切ったりなんてするものか。実際、サラはこうして行動に移した。ここまで来た。この手を汚す覚悟は出来ている。
「出て来なさいよ、ルシウス・マルフォイ! 正々堂々と戦おうじゃない。私は仇を討ちに来たわ!!」
 答える声は無い。
 誰も、姿を現す者はいない。
「出てきなさい! 隠れるなんて卑怯よ!! 出て来い、人殺し!! 人殺し……!」
 サラの声は、空しく虚空に響いていた。

 どれ程、その場に佇んでいただろう。やがて、雪が降り出した。闇に舞い散る白い結晶は、サラの肩やフードを被った頭に積もって行く。
 ――解っている。ここで待っていたって、ルシウス・マルフォイが姿を現す事は無い。
 煙突飛行だって、姿現しだってある。サラがここにいる限り、ルシウス・マルフォイが正面口から出て来る事はないだろう。
 帰り道は、マグルの交通機関に頼るしか無かった。一度だけ、鉄道を使って屋敷へ戻った事があったのが幸いした。三年前の記憶を頼りに電車を乗り継ぎ、ロンドンまで戻る。人気の無い電車の中、サラは魂が抜けたように窓の外を眺めていた。
 チャリング・クロス駅に降り立ち、漏れ鍋へと歩く。クリスマスでいつにも増して人通りの多いロンドンも、この時簡にはもう人通りが少なくなっていた。三本の箒まで戻れば、当然リータ・スキーターはおらず、客もすっかり減っていた。時計を見れば、真夜中を回っている。
 人のいなくなった通りを、とぼとぼと歩く。叫びの屋敷へ向かう路地を通り過ぎ、村の外れまで歩いて行った。やがて見えて来たのは、小さな家と隣の空き地。雪に覆われた空き地に、サラは踏みこむ。中央にある墓は、墓石の下まで雪に埋もれていた。
 杖を振り、墓の周りの雪を溶かしていく。やがて、ぽっかりとくりぬかれたように墓の周りだけ除雪された。
 サラは、墓の前にしゃがみ込む。凍りついた墓石の表面を、手で払った。
「ごめんね、おばあちゃん……会えなかった……」
 祖母を殺した犯人。やっと、やっと突き止める事が出来たのに。やっと、思い出せたのに。
 水晶玉で真実を目にしてから、サラは一ヶ月間ずるずるとドラコと恋人のままでいた。ドラコと分かれた後、直ぐに行動に移すことをしなかった。あの場で寮ではなくマルフォイ家に向かっていれば、彼らがサラを避ける為の呪文なんて掛ける間は無かったろうに。
 これは、サラの迷いが招いた失敗だ。
「ごめんなさい……おばあちゃん、ごめんなさい……」
 頬を涙が伝う。涙が伝った跡は凍りつき痛かったが、止められなかった。
 その場に蹲っていると、雪を踏みしめる複数の足音が聞こえてきた。足音は速くなり、真っ直ぐにこちらへ向かって来る。
 誰だろう。ホグワーツの生徒だとばれてしまったろうか。罰則で済むなら、軽いものだ。
 足音の主は、サラの傍まで来て立ち止まった。一人がサラの隣にしゃがみ込み、サラを抱き寄せる。――ハーマイオニーだ。
「やっぱりここにいた。家の中だったら、判らなかったよ……」
 声は、ハリーのもの。
「ハリーの勘の方があっていて良かったよ。ハーマイオニーってば、ルシウス・マルフォイの所へ敵討ちに行ったんじゃないかなんて、とんでもない事を――」
「……マルフォイの屋敷は、もう防御呪文が掛けられていたわ」
「本当に行ったのか!?」
 ロンが驚いたように声を上げる。
「私がその猶予を与えてしまったのよ……未練なんて無いわ。おばあちゃんの仇は、私が取るんだから……っ」
 何か言おうとしていたロンは、押し黙った。未練がある。そう指摘したのは、彼だった。
 ハーマイオニーは、なだめるようにサラの背中を撫ぜる。
「そんな事言わないで、サラ。貴女が手を汚す事なんて無いのよ。彼にだって必ず、しっぺ返しは来るはずなんだから……。
 ねえ、ダンブルドアに言いましょう。きっと先生もそれを望んでいるわ」
「ダンブルドアに言って、何になるって言うの!? 何も証拠が無いのよ! 当時の私は七歳になったばかり! 当然、証言としても弱いわ!! 直前呪文で調べたって、そんな昔の呪文、何だって言い逃れ出来る……真実を確かめる術なんて無いんだもの!!
 どうしてよ、どうして……! どうして、おばあちゃんが殺されなきゃいけなかったのよ……!」
 サラは大声でしゃくりあげ、泣き喚く。
 ハリーが、ぽつりと言った。
「帰ろう、サラ。――ホグワーツに」
 サラはハーマイオニーに支えられるようにして立ち上がり、暗闇の中を帰って行った。三人の、仲間達と共に。


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2011/01/09