夏の日差しが照りつける空へ、ふくろうが一羽、羽ばたいて行った。
 今日は七月三十一日。ハリーの誕生日プレゼントだ。イギリスとは時差がある。まさか、ずっと飛んで行っている訳ではあるまい。向こうでの三十一日中には着くだろう。
 エリもアリスも、プレゼントは手作りのケーキだった。あの家にいて、十分に食べさせてもらっている可能性は低い。少しでも食料になれば、と思っての事だった。それを考え、アリスは甘さを控えようと何やら計算していた。エリが作ったのは、ロールケーキだ。箒の形に作り上げ、スニッチの形をした砂糖菓子を飾り付けた。自信作だ。
 アリスが誘っていたが、サラはケーキ作りに参加しなかった。まあ、懸命な判断だろう。何を買ったのかは知らないが、イギリスに着いてから贈るつもりらしい。
 ――セブルスの誕生日は、いつなんだろう。
 ふと、エリは思いアリスの横顔を見つめる。
 アリスなら、知っているだろうか。生徒に教えそうな人ではないが、誰かが聞き出し、寮生の間で広まっているという可能性もある。
 知っている可能性としてはナミの方が確率が高いが、変に勘ぐられるのも嫌だ。
 今なら、そう不自然でも無いはず。
 自然に、可能な限り自然にさり気なく尋ねるのだ。
「そう言えばさー、アリス。スネイプは、アー、いつが誕生日なのかな? アリス、知ってる?」
 アリスは振り返り、目を瞬いた。唐突な質問に、ぽかんとした表情。
 ……勘付かれたか。
「知らないわよ」
 アリスはにっこりと笑った。
「気になるなら、お母さんに聞いてみたら? 私に聞くより、確かだと思うわよ。お母さん、先生と同期だったんでしょう?」
「えっ、いや、別に気になるって程じゃあ……いつなのかなーって、ちょっと思っただけで。あ、あた……別に、スネイプの事なんて……」
 アリスはにこにこしているだけだ。何か言って来る訳でもない。
 気付かれたのか、ただのいつもの笑顔なのか、エリには判断出来なかった。





No.2





 サラとドラコは、ダイアゴン横丁へと来ていた。思えば、昨年の夏はサラが約束の直前にハリーと会っていた事で喧嘩になってしまった。次に行ったホグズミードは、ビンセントやグレゴリーが一緒。その上、ドラコは途中でパンジーを追って行ってしまった。実際、デートらしいデートはこれが初めてになるのだ。
 一年に一度、毎年歩いている道を、グリンゴッツに向かって連れ立って歩く。子鬼に鍵を預け、二人は案内の子鬼について行った。
 洞窟を走り抜けるトロッコから、サラは身を乗り出す。一箇所、必ず炎が見える所がある。サラはそれがドラゴンなのではないか、一度確認したいと思っていた。
「サラ、そんなに乗り出すと危ないよ」
「何よ。ドラコだってさっきからずっと身を乗り出してウロチョロしてるじゃない。貴方の方が、ずっと危ないわ」
「う……」
 ドラコは言葉に詰まる。
 サラはくすりと笑った。
「まるで初めて乗ったみたい。毎年来てるでしょう?」
「いや……大抵、誰かに準備させていた。来ても、父上や母上と一緒だから――」
「あまりはしゃぐ事は出来ないって?」
 ドラコは罰が悪そうに頷いた。ドラコの両親は厳しい。特にマルフォイ氏は厳格だ。トロッコの上ではしゃごうものなら、見っとも無いと一喝されてしまう事だろう。
「それじゃあ、あまり風景覚えてもいないのね」
「ああ、まあ……風景も何も、直ぐ通り過ぎるだろう?」
「あのね、こっちに火が見えるのよ。多分、ドラゴンなんじゃないかと思うの……ほら、こっち」
「ちょっ、うわっ」
 突然サラに手を引かれ、ドラコは体勢を崩した。咄嗟に傍の縁にしがみ付く。
 ドラコがしがみ付いたのは、サラの両脇の縁だった。
 トロッコの走る轟音も、激しい揺れも、全てが突然に無くなったかのようだった。息がかかりそうな程近い位置に、ドラコがいる。鼓動の音が聞こえてしまいそうだ。一瞬、赤い灯りがドラコの白い肌を照らした。彼の青灰色の瞳に、自分の顔が映っているのが分かる。
「もう直ぐ着きますよ」
 小鬼の声で、ドラコは我に返ってパッとサラから離れた。
 サラは、頬に手を当てた。――熱い。

 グリンゴッツを出た二人は、マダム・マルキンの洋装店へと向かった。ドラコは制服ローブの新調が必要だったし、今年は必要な物リストにもう一つ加わっていた。
「どうしてドレスローブなんて必要なのかしら」
 新学期の案内に入っていた紙を見ながら、サラはぽつりと言った。
 ドラコは台に立ち、丈を計ってもらっている。
「ああ、それなら知ってる。今年は、三大魔法学校対抗試合があるんだ。他校を招くから、交流を深める目的でダンス・パーティーもある。父上が教えてくださった」
 ドラコは誇らしげに言った。
 サラは目を瞬く。ホグワーツの歴史ぐらいでしか、見た事の無い単語。
「嘘――でもそれって、禁止になったんじゃないの? すっごく危険だからって――」
「ああ。でも、再開が決まったんだ。当然、その為に色々と準備している。昔のに比べれば、いくらか安全が保障されていると思うぞ。まあ、僕にしてみれば、多少スリルがあった方が面白いと思うけどね」
「見る方はそうかも知れないけど、命の危険なんてやる方は大変よ」
「他人事で言ってる訳じゃないさ。僕なら、多少危険だろうと物怖じしたりしないね。何たって、学校の代表だ」
 丈を計り終え、ドラコは台から降りる。制服ローブはマダムに預け、ドレスローブの所へ案内してもらう。
「若しかして、候補するつもり?」
「当然さ。今回ばかりは、ダンブルドアが贔屓で決める訳にはいかない筈だ。委員会の監視もあるからな。ポッターばかり、いい気にさせてたまるものか」
「確かに参加するのも面白そうよね……私も、立候補してみようかな」
 後半はスルーして、サラは言った。
 途端に、ドラコは血相を変えた。
「何言ってるんだ! いくら昔に比べて安全には気をつけていると言ったって、危険な事には――」
「あら。危険だって言うなら、貴方が参加しようと同じはずよ」
「でも――だけど――」
「まあ、心配しなくてもどうせ選ばれるのは上級生でしょうよ。私達がどんなに足掻こうと、OWLやNEWTレベルの人達には敵わないでしょう」
 そう言って、サラは肩を竦めた。

 洋装店を出た頃には、もうお昼を回っていた。近くのカフェに入り、ドレスローブの入った紙袋を降ろす。
「ねえ、ダンス・パーティーって事は……踊るの?」
「ああ。若しかして、経験無いか?」
 サラは無言で頷いた。
 小学校の運動会にダンスという競技はあったが、あれとは違う事ぐらい明らかである。林間学校のキャンプファイヤー恒例のダンスの一つは、割と近いのかもしれない。けれどサラ達の学年は、安全上の問題でキャンプファイヤー自体を行わなかった。結局、翌年アリスの学年では再開したらしいが。
「ドラコは、やっぱり家の関係でダンス・パーティーとかって行った事あるの? でもクリスマス・パーティーに呼んでもらったけど、あの時踊ったりなんて無かったわよね?」
「ああ。あの時はね。学校に入学してからは、参加数も減ったかな……でも、基礎として学んでる。心配しなくても、僕がリードするよ」
「ありがとう」
 サラはホッと胸を撫で下ろす。
「綺麗だろうなあ……」
「え?」
「あ、いや……」
 ドラコは言葉を濁して、グラスに口をつける。
 何の事を言ったのか大体想像がつき、サラは頬を染めて俯いた。
「そうだ。サラは、贔屓のクィディッチ・チームはあるのか?」
 誤魔化すように、ドラコはがらりと話題を変えた。
 サラは届いた料理皿を引き寄せながら、首を振る。
「クィディッチは好きだけど、観戦はした事がないから……ワールドカップだけど、今回の試合に日本はいないしね……。ドラコは、何処か応援してるの?」
「今回はチームに対する入れ込みは無いなあ……でも、ビクトール・クラムがブルガリアにいるんだ。凄腕のシーカーだ。彼、ダームストラングだから、若しかしたら三大魔法学校対抗試合でホグワーツに来るかも知れないな」
「まだ学生なの?」
「ああ。十七歳。僕達とたった三つ違うだけだ」
 十七歳で、クィディッチ選手。それも、良いかも知れない。闇祓いや予見者と天秤にかけると、やはり祖母の後を追いたいという気持ちが強いのだが。

 昼食の後に行ったクィディッチ専門店は、ワールドカップ一色だった。様々な国の旗が翻り、それぞれのチームカラーに彩られている。壁には所狭しと勝ち残っているチームのポスターが貼られていた。
 二人とも大いに盛り上がり、最後に本屋へと向かった。まだ、日が暮れるまで時間がある。サラはおずおずと切り出した。
「……ねえ、ドラコ。私、行ってみたい所があるんだけど……いいかしら?」
「ああ、もちろん。何処だ?」
「えーと、その、マグルの町……なんだけど」
 途端に、ドラコが渋い顔になったのが分かった。純血主義の家に生まれ、マグルを見下して育ってきたドラコ。やはり、彼に持ちかけるべきではなかったか。
「ごめんなさい。やっぱり――」
「いいよ」
「……え?」
 サラは目を瞬く。
 ドラコは心なしか、そわそわしているように見えた。
「ただし、少しだけだぞ。父上に知られる訳にはいかないし――」
 そう言う事か。
 サラの部屋と言い、トロッコと言い、ドラコは今まで子供としての興味や楽しみを制限されてきたのだ。サラを理由に、初めて親の監視の元からこっそり抜け出そうとしている。
 けれど、彼がマグルを見下している事も事実。それなのにマグルの世界の観光に興味があるなんて、絶対に認めようとはしないだろう。
「ありがとう」
 サラは、小さく微笑んだ。
 魔法史、呪文学、魔法薬学――新しい教科書を、二人は次々に腕の中で重ねていく。闇の魔術に対する防衛術の教科書を手に取りながら、ふとサラは言った。
「そう言えば今年は誰が来るのかしらね、闇の魔術に対する防衛術」
「さあ――僕もまだ聞いてないな。これだけ担当教師が色々な目にあってる教科だ。若しかしたら、まだ見つかってないのかも知れない。とうとう、スネイプ先生にならないかなあ……先生があの教科を教えたがってるって、有名じゃないか。確かに、魔法薬学に先生以上の適任者はいないかも知れないけど……」
 そうかしら、と言いたいのをサラはグッと堪える。
「まあ、誰にせよ、一年でしょうね。ルーピン先生が、お辞めにならなければ良かったのに。彼は今まで最高の先生だったわ」
「でも人狼だったんだろ? そんな危ない奴、置けるものか。君だって、若しかしたら噛まれていたかも知れないんだぞ」
「でも、噛まれなかった。そんな仮定の話で危険を排除するなら、周りの森を全て伐採して、城を一度壊して抜け穴を全て埋め立てなきゃいけなくなるわ」
 あの夜、ルーピンは薬も飲まずに狼と化し、森で野放しとなってしまった。あの日、ルーピンが薬さえ飲んでいれば。満月が雲に隠れたままだったなら。
 そうであれば、ルーピンは辞職せず、ピーター・ペティグリューを逃す事も無かっただろうに。
 逃げ出したペティグリューは、何処へ向かったのだろう。裏切り者の彼に、行くあてなど無い。あるとすれば、十三年前と同じく力への屈服――ヴォルデモートの元。
 サラの脳裏に、先学期の暮れに見た水晶玉の光景が浮かび上がる。蘇ったヴォルでモート、一人になったサラ、そしてあろう事かヴォルデモート側に寝返る姿――
「サラ?」
 黙り込んだサラの顔を、ドラコが心配そうに覗き込んでいた。
 サラは、ぽつりと呟いた。
「ねえ、若しヴォルデモートが復活し戻ってきたら――ドラコは、どうする?」
「え……」
 ヴォルデモートの名にぎょっとしながらも、ドラコは唐突な質問に目を瞬く。
「どうしたんだい、サラ? 何を突然――そんな、縁起でもない――」
 サラは真剣な瞳で、ドラコを見つめる。
「アー……僕は……」
 ドラコはサラの視線から逃れるように、目を泳がせる。
 ふい、とサラは彼に背を向けた。
「……変な事を聞いたわ。気にしないで」





 ロンドン、テムズ川のほとり。ビッグ・ベンの鐘の音が、四時を告げる。
 ドラコが、雲の広がる空を仰ぎ見た。
「降って来そうだな……早めに切り上げた方が良さそうだな」
「ええ。傘も持ってないし……」
「傘ならあるよ。出で来る時に、母上が渡してくださったんだ」
 言って、ドラコはぽんと鞄を叩いた。
 バッキンガム宮殿、ピカデリー・サーカス、大英博物館、セント・ポール大聖堂、ロンドン塔、タワーブリッジ――マグルの有名観光地を、二人は見て回った。改札や料金の支払いに戸惑うドラコを、サラは手伝う。けれど、サラとてイギリスの町は不慣れだ。その手には、しっかりと地図が握り締められていた。

 やがて、二人は公園のベンチに座った。サラはパンフレットを閉じ、時計を見上げる。
「そろそろ帰った方がいいかしら……雲行きも、本格的に怪しくなって来たし」
「そうだな。後は、また今度――」
「あら? まだ見足りなかった?」
 サラはくすりと笑い、ドラコを見上げる。
「えっ、な……っ。まさか! 誰が、マグルの町なんか――」
「また付き合ってね」
 サラは遮り、言った。ドラコは言葉を詰まらせ、罰が悪そうに頷いた。
 サラは立ち上がり、くるりとドラコに向き直る。
「それじゃ、帰りましょうか」
「ああ」
「……シャノン?」
 掛けられた声に、サラは思わず振り返った。
 そこに立つのは、二人のマグルの女の子。日本人だが、見覚えが無い。
 ドラコが立ち上がり、サラに尋ねた。
「知り合いか?」
「えっと……?」
「春川綾なら、知ってるでしょう」
 背の高い方の子が、言った。知らないとは言わせない。彼女の言葉には、そんな響きがあった。
 サラの顔から、表情が消える。
「……元六年一組、出席番号二十九番の子ね」
「あんたのクラスメイトだよ」
 日本語で成される会話に、ドラコはきょとんとしている。けれども、彼女達との間に流れる剣呑な空気には勘付いているようだ。
「綾、あの後不登校になったんだよ」
「何の話? 変に難癖をつけるのは、やめて欲しいわね。彼女とは何の関わりも無かったわ」
 言った途端、背の低い二つ結びの女の子がサラに掴みかかった。動こうとしたドラコを制し、彼女の腕を掴む。
「本気で言ってるの!? あれだけ目立った事やっといて! 貴女がやってたじゃない! この化け物がっ!!」
「みぃ」
 背の高い子に言い咎められ、彼女はサラの胸倉から手を離した。その瞳は濡れていた。
 背の高い女の子は、キッとサラを睨み付ける。
「……本当に、覚えていないの?」
「覚えていないも何も……」
「あんたが皆を落とした後、学校がどんな状況だったか! あんた、何も聞いてない訳!?
そりゃ、あんたみたいな化け物には関係無いよねぇ! 被害者の人達がその後どうなったかも、被害に遭わせた子達の名前と顔さえも!!」
「止めろ!」
 ドラコが間に割って入った。
 彼女達は、冷たい瞳でドラコを見上げる。
「……彼氏?」
「いいご身分ね。あの事件の後、何人が不登校になった事か! 綾もその一人よ! あれ以来、病院通いになっちゃった子だっている! 転校した人もいた! 先生の異動だって、きっと貴女と関係してる!
なのに貴女は、外国で彼氏作って、悠々と暮らしていたって訳ね」
「だから、止めろと――」
「貴方、サラが日本で何をしていたのか知らないんだね? 教えてあげるよ」
 サラは頬を引きつらせる。
 背の高い女の子の口から出て来たのは、英語だった片言だが、十分に通じるレベル。
「待っ――」
「彼女は、私達を殺そうとしたの」
 沈黙が流れる。
 ドラコは何も言葉を返さなかった。
「こ……殺そうとなんて、一度もしてないわ!」
「嘘! 殺そうとしてない? 四階から人を落とすのが!? 車に轢かせるのが!? ストーブを爆発させるのが!? ブランコで首を吊らせるのが!?」
「高い所から、クラスメイトを落とした。自動車事故に遭わせた。ストーブを爆破した。ブランコで……首を、こう……」
 最後は英訳が分からなかったのか、彼女は自分の手で首を軽く絞めて見せた。
「それだけじゃない。窓を割った。黒板を前に倒した。蛍光灯を頭に落とした。電どこを暴走させた。ミシンで人の手を縫った。コンロやアルコールランプも、爆発――」
 恐らく、窓の後からドラコは殆ど分かっていないだろう。それでも、何らかの危害を加えたと言う事は、語調から分かるかも知れない。
「ねえ、シャノン。気付いてた? 私達の学年、キャンプファイヤーとか、修学旅行の鍋とか、外で火を使う行事が全部取り消されてたでしょ?
――あんたが、いたからだよ」
「え……?」
「家庭科とか理科の実験とか、火や薬品使う時はいっつも何か起きた! 先生達がどんなにピリピリしてたか、気付いてた? それでも、あんたがいる限り防ぎようがない――学年主任の先生とあんたの担任、一学期で辞職させられたんだよ。あんたの所為で、何人が人生を滅茶苦茶にされたか――
ねえ、貴方知ってた? こいつがこう言う事してたって――」
 サラは恐々とドラコを見上げる。そして、凍りついた。
 ドラコは、引きつった表情でサラを見下ろしていた。青灰色の瞳に見えるのは、驚愕と怯え。
「まさか――嘘だよな? サラは、そんな事する奴じゃないよな?」
 否定、だった。
 サラの過去は、拒絶された。
「……っ」
 サラは、じりじりと後ずさる。ドラコは、訴えかけるような瞳でサラを見つめている。
 耐え切れなくなって、サラはその場を逃げ出した。
 地図を握り締めて歩いた町を、サラは脇目も振らずに走って行く。何処をどう走っているかなんて、てんで頭に無かった。
 暗い空から、雫が落ちる。通りの街灯は、ぼうっと水に滲んだ。雨音だけが聴覚を奪い、サラを外界から遮断する。
 サラは、ずっと騙していた。
 ドラコの驚いた表情が脳裏に浮かぶ。驚愕に見開かれた目。その奥に見える怯えの色。嘘だと否定する。そんな化け物は、己の理解の範疇を超えているから。
 それが、普通の反応だ。過去の事でこれからの事なんて決めないと言ってくれた、ハーマイオニー。サラのお陰で助かったのだからと許してくれた、ハリーとロン。彼らはたまたまお人好しだっただけだ。否、彼らにはサラ自身が話した。その話には、何処かしら自己弁護があったかも知れない。
 でも、それならサラはどうすれば良かった?
 ――どうすれば良かったかなんて、もう、知ってる。
 サラは、ゆっくりと立ち止まった。何処かの暗い路地裏だった。冷たい雨に手足がかじかみ、痛みさえも感じなくなっていた。
 雨は降りしきるが、屋根の下に入る気にはなれない。
 人を、信じれば良かったのだ。
 全ての教師やクラスメイトをひと括りにしないで、一人一人を見れば良かった。小学校最後のあの日。クラスメイトが言った言葉は、正しかった。
 道路と歩道を区切るブロックに、サラはペタンと座り込んだ。膝を抱え、俯く。
 サラは、取り返しの付かない事をしていたのだ。やり直しのチャンスを与えられる資格なんて、サラには無い。知らなかった。その後、周囲がどうなっていたかなんて。
 知ろうともしなかった。
「ごめんなさい……」
 弁明の言葉は、自己満足でしかなく。通りには、誰の人影も無い。ただ、近くの街灯が明暗を繰り返すだけ。
 サラの頬を濡らした雫は、抱えた膝の上へと落ちて行った。


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2010/05/29