朝食をとりに大広間へ来たエリは、ピタリと戸口の所で足を止めた。ハンナが怪訝気に振り向く。
「どうしたの? エリ」
 エリは一点を凝視していた。その顔は、みるみると赤くなっていく。
 ロボットのようなぎこちない動きで背を向けたかと思うと、脱兎の如く駆け去って行った。
 教職員席に座るセブルスは、何事も無かったかのように食事へと視線を戻していた。





No.20





 冬休みはあっと言う間に過ぎて行った。
 クリスマスの翌日、サラとハーマイオニーはハリーからハグリッドが半巨人であった事を聞かされた。この事実は、サラやハーマイオニーを驚かせはしなかった。ロンは何か言いたげではあったが、結局何も言わなかった。尚、クラムとの事については、ロンもハーマイオニーもお互いに触れない事にしたようだった。
 年末にはハッフルパフ生の主催で三校合同のクィディッチ大会が行われた。ハッフルパフが主催すると言う事に誰もが驚いたが、主催グループの中心にエリがいるのを見て誰しも納得顔になった。
 驚くべき事に、今年はナミや圭太からも誕生日プレゼントが送られて来た。お年玉も初の紙幣が入れられていた。「良かったじゃない」と喜ぶハーマイオニーの前では冷めた態度を示したが、あけましておめでとうの一言と猪のイラストが印刷された年賀はがきを、サラは丁寧にクリアファイルに挟んでしまいこんだ。
 ハリーの第二の課題への取り組みは難航していた。毎晩のように男子寮の方から甲高い叫び声が聞こえてきたが、休暇中に卵の謎を解けなかったようだった。

 新学期最初の魔法生物飼育学の授業、そこにハグリッドの姿は無かった。
「さあ、お急ぎ。鐘はもう五分前に鳴ってるよ」
 短い白髪の老女が、雪道に難航する生徒達を急かす。ロンが名前を問うと、彼女はグラブリー−プランクと名乗った。ハグリッドは何処なのかと言うハリーの問い掛けには、体調不良だとしか答えなかった。スリザリン生達の間から、不愉快な笑い声が上がった。その中心には、ドラコがいるのが見えた。
 グラブリー−プランクは、禁じられた森の端へと生徒達を引率して行った。道中、根気良くハリーがハグリッドの事を尋ねたが、グラブリー−プランクは頑として答えようとはしなかった。
 ハグリッドは一体どうしたのか、サラとハーマイオニーは授業後に知る事となった。
「あの女の先生にずっといて欲しいわ!」
 授業終了後、城へと向かいながらパーバティが言った。
「『魔法生物飼育学』はこんな感じだろうって、私が思っていたのに近いわ……一角獣のようなちゃんとした生物で、怪物なんかじゃなくって……」
「スクリュートが怪物だって言うの? あんなに面白いのに!」
 即座にサラが食って掛かった。
「一角獣は大人しいもの。誰だって授業出来るわ。スクリュートを扱えるのなんて、ハグリッドくらいよ」
 パーバティはぴくりと眉を動かす。
「扱えてるって言うの? 生徒達と追いかけっこさせるのが?
 悪いけど、あの怪物を面白いなんて思ってるの、貴女とハグリッドぐらいよ。ねえ?」
 パーバティはハリーへと話を振ったが、ハリーは肯定も否定もしなかった。代わりに、別の反論をパーバティに投げかけた。
「ハグリッドはどうなるんだい?」
 ロンが賛同するように大きく頷く。
「どうなるかですって? 森番に変わりないでしょう?」
 パーバティはロンの方に視線をやり、やけに冷たく言った。ダンスパーティーの一件で、彼女はロンに大して冷たかった。声を掛けたのはハリーらしく、パーバティの冷淡な態度はハリーに対してまで広がっていた。とは言っても、彼女もパーティーを楽しく過ごした事は確かだ。次のホグズミードはボーバトンの男の子と行くのだと、何度彼女に聞かされた事か。
 ハグリッドの事は心配だが、グラブリー−プランクの授業が面白い物であった事は確かだ。ハーマイオニーも同じように感じたらしい。大広間に入りながら彼女の授業を褒め称えるハーマイオニーに、ハリーが「日刊予言者新聞」を突きつけた。
 ハーマイオニーはきょとんとして新聞を受け取る。彼女が広げた新聞記事を、サラは横から覗き込んだ。「ダンブルドアの『巨大な』過ち」――そんなタイトルが、記事の冒頭にでかでかと書かれていた。
 サラは言葉を失う。
 記事を読み終え、ハーマイオニーが言った。
「あのスキーターって嫌な女、どうして分かったのかしら? ハグリッドがあの女に話したと思う?」
「思わない」
 ハリーが即答した。グリフィンドールの席にどすんと腰を下ろす。
「僕達にだって、一度も話さなかったろ? 散々僕の悪口を聞きたかったのにハグリッドが言わなかったから腹を立てて、ハグリッドに仕返しするつもりで嗅ぎ回っていたんだろうな」
「――あの女、ダンスパーティーの日に知ったんだわ」
 クリスマスの夜を思い出し、サラは言った。
「三本の箒で彼女を見かけたのよ。その時に、大きなネタを掴んだって、このタイトルを仲間に話してたわ」
「なら、ダンスパーティーでハグリッドがマダム・マクシームに話しているのを聞いたのかも知れない」
 ハーマイオニーが静かに言った。
 ロンが反論する。
「それだったら、僕達があの庭でスキーターを見てる筈だよ!
 何にしたって、スキーターはもう学校には入れない事になってる筈だ。ハグリッドが言ってた。ダンブルドアが禁止したって……」
「スキーターは『透明マント』を持ってるのかも知れない」
 言いながら、ハリーは怒りで手が震えチキン・キャセロールをそこら中に零していた。
「あの女のやりそうな事だ。草むらに隠れて盗み聞きするなんて」
「貴方やロンがやったのと同じように?」
「僕らは盗み聞きしようと思った訳じゃない!」
 ロンが憤慨した。
「他にどうしようも無かっただけだ! 馬鹿だよ、まったく。誰が聞いているか判らないのに、自分の母親が巨人だって話すなんて!」
「ハグリッドに会いに行かなくちゃ! 今夜、『占い学』の後だ。戻って来て欲しいって、ハグリッドに言うんだ……。君達もハグリッドに戻って来て欲しいって、そう思うだろう?」
「もちろんだわ」
 サラは即答した。このままハグリッドと会えないなんて嫌だ。グラブリー−プランクの授業は、確かに面白い。けれども彼女は決して、スクリュートやヒッポグリフを扱いはしないだろう。
 ハーマイオニーは、即答とはいかなかった。
「私――そりゃ、初めてきちんとした『魔法生物飼育学』らしい授業を受けて、新鮮に感じた事は確かだわ――でも、ハグリッドに戻って欲しい。もちろん、そう思うわ!」
 ハリーの視線に気付き、ハーマイオニーは慌てて最後の一言を付け加えた。
 夕食後、サラ達四人は凍てつくような寒さの中をハグリッドの小屋へと向かった。しかし、何度呼びかけても返答は無く、ハグリッドは小屋から出て来なかった。





 新学期最初の魔法薬学。地下牢教室へと赴くエリの足は、重かった。ダンスパーティーでの一件以来、顔を合わせる度に回れ右だ。食事は時間をずらし、酷い時には大広間へも行かず厨房で屋敷僕妖精たちの世話になっていた。当然、セブルスの研究室には行っていない。
 エリの不審な挙動には、ハンナ達も訝り始めていた。大広間へ入る度、顔を真っ赤にして脱兎の如く逃げ出すのだ。それで、変に思うなと言う方が難しい。
 これ以上あからさまな行動をとって、挙動不審の要因をセブルスと結び付けられる訳にはいかなかった。どうすれば、不審に思われずに魔法薬学をサボる事が出来るか。昨日から丸一晩考えたが結局良案は思いつかず、エリは仲間たちと共に教室へと向かっていた。
「エリ!」
 玄関ホールを横切っているところで呼ばれ、振り返る。行き来する大勢の生徒達の間を掻き分けながら、アリスがこちらへ来ていた。
 エリはハンナ、スーザン、アーニー、ジャスティンの四人を先に行かせる。もしかしたら、次の授業をサボれるかもしれない。
「エリ達は、魔法生物飼育学あった?」
 エリの所まで駆け寄るなり、アリスは尋ねた。
 エリは目をパチクリさせる。
「いや、まだ。スクリュート、やっぱでかくなってたか?」
 恐々とエリは尋ねる。
 アリスは首を振った。スクリュートが成長していないのではなく、「知らない」の意だった。
「ハグリッドと会ってないもの。今朝の新聞は見た?」
「新聞?」
 アリスは深刻な顔で頷く。
「ハグリッドが……その……、半巨人だった、って」
「ハンキョジン?」
「巨人とのハーフよ。その事で、凄く叩かれてる。ハグリッド、それを気に病んだみたいで、授業休んじゃって……」
「ああ、だからあんなにでかいのか」
「そんな暢気な話じゃないわ。純血の子達の話だと、巨人って凶暴で危険な種族らしくって……」
 エリはきょとんとする。
「でも、ハグリッドは違うだろ?」
「もちろんだわ! でも、私達はハグリッドを知ってるからそう言えるのよ」
 人ごみの中から、アリスを呼ぶ声が聞こえた。アリスはちらりとそちらを振り返り、エリに向き直った。
「とりあえず、そう言う事があったって話。授業が始まっちゃうから、私、もう行くわね」
 アリスは、スリザリンの友達の所へと去って行った。
 エリは踵を返すと、地下牢教室へと駆けて行った。ちょうど教室が開いたところで、ハッフルパフ生とレイブンクロー生がぞろぞろと教室に入って行く。その中からハンナ達を見つけ出し、駆け寄った。
 ハンナが気付き、振り返る。
「良かった。エリ、間に合ったのね」
「なあ、誰か日刊予言者新聞持ってねーか?」
「僕、持ってるよ」
 アーニーが、鞄の中から教科書と共に新聞を取り出した。エリは、引っ手繰るようにして受け取る。
「クィディッチ大会の記事は、もう無いよ」
 アーニーは見当違いな報告をする。
 特に大きな事件も無く、新聞の一面は国際魔法協力部とルーマニアの会談記事が飾っていた。席に着きながら、新聞の頁を捲っていく。幾つか捲った所で、エリは手を止めた。
 大きく書かれた題字。記事の冒頭には、写りの悪いハグリッドの写真。
 記事はムーディが闇の魔術に対する防衛術の教師に選ばれた事への懸念に始まり、更に大きな過ちとしてハグリッドの事を取りあげていた。スリザリンの連中によって誇張された不祥事について述べ、そしてハグリッドが巨人の子であると記されている。アリスの言う「純血の子達」の話は嘘ではないらしい。巨人は凶暴な性格故に互いに殺し合い、絶滅寸前――こう書かれていると、まるで人ではないみたいだ。生き残った僅かな巨人たちも、ヴォルデモートの仲間となったと言う。記事では、ハグリッドもその性質を受け継いでいるに違いないと叩いていた。
「酷い――こんな記事、気にする事ねぇよ」
 仲間達からの返答は無かった。
 代わりに頭上から降って来たのは、ねっとりとした低い声。
「記事は兎も角、今が授業中だと言う事は気にして欲しいものですな」
「……っ」
 エリはびくりと肩を揺らして振り返る。
 セブルスが冷たい眼で、エリを見下ろしていた。周りを見れば、生徒は皆、教科書を広げ羊皮紙に必死に板書を写している。
「ハッフルパフ、一点減点」
 セブルスは辛辣に言い放った。
「更に、ミス・モリイには罰則を与える。授業後、残りたまえ」
 ――嫌だ!
 けれども、反論出来るような立場ではない。
 作業が始まって辺りが騒がしくなり、ハンナが責めるように言った。
「私達皆、エリを突いてたのよ。なのに貴女、新聞に夢中になっちゃって全然気付かないんだもの!」
「何の記事だったの?」
 スーザンが毒ツルヘビの皮を刻みながら尋ねる。アーニーとジャスティンも、耳を傾けていた。
 エリは、ハグリッドの記事について話した。ハグリッドが半巨人であるという事実に、ジャスティン以外の三人がぎょっとした表情を見せた。
「あの――巨人って、そんなに酷いんですか?」
 マグル出身のジャスティンが、きょとんとした様子で尋ねる。アーニーが説明した巨人の凶暴性は、記事とさして変わらなかった。
「でも――ハグリッドって、そんな危険な人には見えないわ。ねえ?」
 ハンナが、皆の顔色を伺うように同意を求める。エリは大きく頷いた。
「当然だ。ハグリッド自身には、何の問題も無い。最近、この新聞おかしいよ。ハリーのインタビュー記事も、何か変だったしさ。スリザリンの連中の言う事を真に受けるなんて」
「まあ、授業は危険が無かったって言ったら嘘になるけど――でも、そうだな。この記事は許せない」
 エリの視線を受け、アーニーは慌てて言葉をつけ加えた。
 セブルスが生徒の間を徘徊し始め、会話はそこで区切られた。会話が無くなると、この後に待ち受ける居残りが重くエリの心にのしかかった。
 罰則が嫌だ。もちろん、それもある。けれどもそれよりも、生徒が出払った状況でセブルスと話をしなければならないと言うのが苦痛だった。クリスマスより前ならば、そんな事無かったのに。他の皆がセブルスを最も陰険な教師として嫌っていても、エリにとってはからかうのが面白い相手でしかなかった。
 ――そう、最初はただ面白がっていただけだったのだ。呆れながらも、何だかんだ相手をしてくれる。それが楽しかった。最初は単に、フィルチから逃げるときの隠れ家としてしか寄り付かなかったのだ。
 いつからだろう。彼に会う事が目的になったのは。
 いつからか、彼の傍にいたいと思うようになった。いざと言う時に助けてくれて、過去の弱さを支えてくれて――けれどもきっと、それらは彼を想うようになった理由ではない。少なくとも、小学校での事を話す前から彼を信頼するようにはなっていた筈だ。でなければ、あの話はしない。
 どうして、セブルスなのだろう。
 どうして、教師である彼を好きになってしまったのだろう。
 休暇中も、ふと気がつくと同じ事を考えこんでいた。何度も何度も、堂々巡り。答えに辿り着く事は無かった。
 生徒が相手なら、どんなに楽だった事だろう。

 授業終了後、気まずいながらもエリは教室に残った。ハンナ達は励ますようにエリの背中を叩き、教室を出て行った。
 セブルスは、鍋磨きを罰則として言い渡した。研究室にある鍋、全てだ。当然、魔法の使用は禁止。
 話している内に、最後の生徒も教室を出て行った。
「土曜日、我輩の研究室へ来たまえ。いかなる理由があろうとも、遅刻欠席は許さんし、期日は変えん」
「土曜!?」
 エリは思わず声を上げた。
「土曜は、ムーディとの訓練が――」
「聞こえなかったかね? 『いかなる理由があろうとも、期日は変えん』と」
 エリは歯噛みする。
 セブルスは開きっぱなしになっている扉を閉める。
「――それから、ダンスパーティーの事だが」
「!」
 エリの行動は素早かった。
 荷物を纏めた鞄と大なべを引っ掴むと、脱兎の如く教室を飛び出して行った。





 夕食を手早く済ませると、エリは凍てつくような寒さの中をハグリッドの小屋へと向かった。戸を叩くが、何の反応も無い。ファングの戸を引っかくような音が聞こえるだけだ。
「ハグリッド! 開けてくれよ! あたしだよ、エリだよ!」
 しかし、扉は開かない。
 暫くノックを続けていると、城の方から五人の人影が近づいて来た。
「エリ?」
 やってきた五人は、ハリー、ロン、ハーマイオニー、それにサラとアリスだった。アリスとは、来る途中で会ったらしい。
「ハグリッドは?」
 ハリーの問い掛けに、エリは首を振った。
「駄目だ。全然、出て来ねぇ。返事さえしやしない」
 ハリーが短い階段を上ってくる。エリは端に避け、ハリーと交代した。ハリーはさっきまでエリがしていたのと同じように、戸をドンドンと叩く。
「ハグリッド、僕達だよ! 開けてよ!」
 やはり、返事はファングの鳴き声と戸を引っ掻く音のみ。
 サラ、ロン、ハーマイオニーも上がって来て、戸を叩き始めた。口々に声を掛けるも、応答は無い。
「駄目。暗くて何も見えないわ」
 アリスが窓から中を覗き、言った。ロンがそちらへ行って、窓をバンバンと叩く。やはり、何の反応も無い。
 六人は遂に諦め、城へと帰路を辿っていった。
「どうして私達を避けるの? まさかハグリッドったら、彼が半巨人だって事を私達が気にしてると思ってる訳じゃ無いでしょうね?」
「その可能性は高いわね」
 そう言ったのは、アリスだった。
「自分が周りの皆とは違うのって、やっぱり気になるもの。それが世間一般から白い眼で見られるような存在なら、尚更」
「でも、僕達はそんなの気にしない」
「ええ。それでも、怖いものは怖いのよ。事実、それをネタに貶める人達がいる。気にしていないのではなく、友達だから気を使ってるんじゃないかってね」
 そう話すアリスの横顔は、自嘲するような笑みを浮かべていた。
 エリは、アリスの頭をぐしゃりと乱暴に撫でた。
「気を使ってるんじゃなく、必死なんだよ。自分で壁作って引きこもられちゃ、寂しいからさ。そいつがどんなだって友達でいたいんだ。周りがどうだろうと、友達を貶したりなんかするもんか。そんな奴じゃないって、知ってるんだから。なっ?」
 エリは同意を求めて、ハリー、ロン、ハーマイオニー、サラを振り返る。彼らは互いに視線を交わし、大きく頷いた。
 知ったかぶりと嫌われても。
 入学前に報復の事実があっても。
 スリザリンの継承者と噂されても。
 スクイブだと広められても。
 規則を破り立候補したと思われていても。
 そして、半巨人であったとしても。
 決して見放したりはしない。ぶつかる事はあっても、必ず最後は打ち解ける。どんな噂があろうと、気にする事は無い。ただ、友を信じるのみ。ここにいるのは、そう言う者達だ。だから、ハグリッドに声を掛けに来た。
 ……ハグリッドは、出て来なかったが。

 それから城まで、一行は無言で歩いて行った。
 城の前の階段まで来て、アリスが不意に口を開いた。
「ねえ、サラ……こんな時に悪いとは思うけど……ドラコと何があったのか、聞いてもいい? ドラコが、私にも関係のある事だけど自分では話せないからサラから聞いてくれって」
 エリはきょとんとアリスを見る。
 ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人がハッと息を呑んだのが分かった。三人は、緊張した面持ちでサラを見る。
 サラは、無表情だった。
「――おばあちゃんを殺したのが、ルシウス・マルフォイだったの。ただそれだけよ」
 アリスは言葉を失っていた。
 エリも同様だった。クィディッチ・ワールドカップで、死喰人と対峙したサラ。あの時、サラは恋人の父親と殺し合いをしようとしていたのだ。どちらも躊躇無く、杖を振り上げて――
 若し、あの時闇の印が打ち上げられなかったら。サラはきっと、一生後悔した事だろう。
 サラに、敵討ちをさせてはならない。
 エリは改めて心に誓った。誰が祖母を殺した犯人であっても、復讐させる訳にはいかない。それがマルフォイとなれば、尚更だ。きっと、取り返しのつかない事になる。そんな予感がした。
 アリスが不安げにサラを見つめる。
「サラ……何を考えているの?」
「何って?」
「まさか、ドラコの父親なのに殺そうなんて言うんじゃ――」
 そこで、アリスは何かを思い出したように目を見開いた。
「――待って。まさか、サラ、貴女既に『ドラコを』手にかけようとしたんじゃ……」
 サラは否定しなかった。能面のような表情で、アリスを見つめ返す。
「サラ!」
 ハーマイオニーが悲鳴のような声を上げた。これは、三人も知らなかったらしい。
「サラ、そんな、貴女、まさか――」
「ご存知の通り、マルフォイは殺されていないからご安心を」
 エリは押し黙り、ただサラを見つめていた。ハーマイオニーも、アリスも、ハリーも、ロンも、誰も何も言わなかった。何を言って良いのか、判らなかった。
 玄関ホールまで来て、グリフィンドールの四人と分かれる。彼らは、大理石の階段を上って行って見えなくなった。
 その後姿を見送り、アリスはぽつりと呟いた。
「私――エリは食って掛かると思ったわ。今殺されていないとかそう言う問題じゃない、そんな事するなって……」
「言わなくても……多分、サラはもうマルフォイには手を出さないと思ったからさ……。一度やっつけようとしたのに、結局しなかった――出来なかったんだ。だったら、これからも多分、無理だ」
 アリスは意外そうにエリを見上げる。エリがそこまで考えているとは思わなかったらしい。
 エリはアリスを振り返り、苦笑する。
「それに、何言って良いか分かんなかった。迷っちまって」
「そうね……私も、同じだわ」
 アリスは再び、サラ達の消えて言った階段へと眼をやる。
「でもきっと、一番迷っているのはサラでしょうね……」
 アリスの呟いた声は、暗闇の中へと吸い込まれて行った。


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2011/02/23