翌朝、大広間へと降りて来たアリスは同室の子達と別れて真っ直ぐにドラコの所へと向かった。ドラコの両隣は相変わらず、クラッブとゴイル。正面の席にはパンジーが親友のダフネと一緒に座っている。サラとドラコが別れた事を知ったパンジーは、ドラコへのアタックを再開していた。
「おはよう、ドラコ。パンジーとダフネも、おはよう」
アリスは言って、笑いかける。パンジーとダフネは普段通りに返したが、ドラコは戸惑う素振りだった。
……ダンスパーティーで話して以来、アリスとドラコは直接会話を交わしていない。
アリスは構わず、パンジーの隣に座る。パンジーとダフネの会話に混じりながら、時折ドラコにも話を振りながら、普段と変わらず過ごしていた。
No.21
朝食を終え大広間を出て行くと、後からドラコが追って来た。
「アリス!」
雑踏の中、アリスは足を止める。ドラコは一人だった。アリスの所まで追い付くものの、何も言葉が出てこない。
アリスは囁くような声で言った。
「聞いたわ。サラからの話」
青灰色の瞳が揺れる。アリスは真っ直ぐに、ドラコを見つめていた。
そして、ふっと微笑う。
「安心して。だからって、私は貴方や貴方のお父様をどうこうってつもりは無い。――来て」
辺りに視線を走らせ、アリスは踵を返す。大広間の隣、がらんとした空き部屋にドラコを誘った。
ドラコは異を唱える事無く、アリスの後に続く。
喧騒を扉の外に閉め出し、アリスはドラコを振り返る。ドラコはまだ、困惑の表情だった。
「人を一人殺しているんだもの……確かに、酷い話だと思うわ。でも、それを言えば親を死喰人に持つ子がどれだけスリザリンにいるのかしら」
「……」
「親と子は別よ。親が死喰人だからって子供も憎むなんて、馬鹿げてる」
「サラも、初めて会った頃はそう言ってたよ」
呼び止める以外で初めて、ドラコは口を開いた。
「そう言ってたんだ……。でも、被害者はサラの養母だった――君の祖母だろう?」
「義理のね」
「ああ……シャノンは、君の父上の継母だっけ。でも、一緒に暮らしていたんだろう」
「確かに一緒に暮らしてはいたけど、会話も殆ど無かったわ。お父さんとお母さん、シャノンのおばあさんとは仲が悪かったから」
これには、ドラコも目を丸くした。
「そうだったのか……」
「ええ。シャノンのおばあさんはサラばかり構っていたし、私達にはそれが面白くなかった。今思えば、サラも彼女も除け者だったからなのでしょうけど……でも、子供にはそれって関係無いのよね。一人だけが可愛がられてると、『なんでサラだけ』って思う。養女とか、継母とか、『本当のお母さんじゃない』『本当のおばあちゃんじゃない』って理解はしていても、それによって愛情が変わるなんて思いも寄らないのよ。
一緒に暮らしていても、関わりが無いんじゃ存在感も薄れちゃう。……その上小学校にも入ってない頃に亡くなっちゃったから、シャノンのおばあさんの事は殆ど覚えてないわ。
――でも、サラは別」
アリスは、真っ直ぐにドラコを見据える。
「お母さんもお父さんも、サラに対して冷たかった。サラは、シャノンのおばあさんが養女にしたから。シャノンのおばあさん、サラを引き取った後におじいちゃんと籍を外しているのよね。多分、シャノンのおばあさんが勝手に引き取ったとか何とかでごたごたがあったんだと思う。
何にせよ、サラを無条件で愛しているのはシャノンのおばあさんしかいなかった。彼女が生きていた頃は、サラも今よりずっと丸かったように思うわ……今も、小学生の頃に比べれば随分と丸くなったけど。でも、普通の子供だった。それは確かよ。小学校二年生頃――要するに、シャノンのおばあさんが亡くなってからね。一つ年が違う事を差し引いても、サラが凄く大人びて――それでいて、何だか少し怖く感じられるようになったのは」
「報復、か……?」
「知っているのね。その噂が出始めたのは、もう少し後。でも、そうね……。妙な事は多かったみたい。それから一人になって、噂が立ち始めて、サラは更に冷たい雰囲気になった。多分、唯一の味方を亡くして気を張ってたんだと思うわ」
ドラコは俯いてしまう。
アリスは続けた。
「それだけ、サラにとって彼女は大切な存在だったのよ。彼女を亡くしてからホグワーツに入るまでの四年間、サラは本当に辛い状況にあったから。周りが皆、敵意しか向けて来ない――考えられる?」
「アリスも……だったのか?」
予想外の問いかけに、アリスは目を瞬く。そして、頷いた。
「……私も、サラの味方になろうとはしなかった。それは、認めるわ」
ドラコは顔を上げる。キッとアリスを睨んでいた。
「どうして……っ! 血は繋がっていなくても、君達は家族だろう!? 姉妹だろう!? 本当なら、一番に味方になってやるべきじゃなかったのか!?」
「貴方、それを責められる立場?」
「……っ」
再び、ドラコは俯いてしまう。
アリスは短く、溜息を吐いた。
「……ごめんなさい。それを言うのは、ずるいわよね。
貴方の言う事は正論だわ。サラに着せられたのが、無実の罪だったならね。――いえ、これも結果論だからやっぱりずるいわね。ダンブルドアが訪れる前日、あの夏の日まで証拠なんて無かったのだから。
――怖かったのよ。サラを庇って、『化け物の味方だ』って言われるのが怖かった。サラはきっとそんな事していない、出来る筈ない、そうは思ってもサラに都合の良い人物ばかりが原因不明の事故に遭うのも確かで、サラの事も怖かった」
「化け物の味方だなんて、そんな事言われる訳――」
「言われていたのよ、エリは」
「エリ――? エリ・モリイが?」
ドラコは意外そうに目を見開く。
アリスは肩を竦めた。
「驚くのも無理ないわ……。最初の頃はね、エリが庇っていたみたいなのよ。学年が違うしエリも家ではそんな話しなかったから、噂でしか聞いてないんだけど。クラスメイトがよく話していたわ。アリスちゃんのお姉ちゃんは化け物の味方をしている、何を考えてるんだ、って。私の安全まで心配される始末。エリ、怪我をして帰ってくる事もあったわ。多分、いじめもあったんだと思う」
「それが、どうして……」
「サラの報復が事実だったからでしょう」
恐らく、エリは知っていたのだろう。アリスが現場を目撃するあの夏の日よりも、ずっと前に。
正義感の強いエリは、サラの所業を許せなかった。だから、二人は決別した。
「サラが憎悪の渦の中を生きる事になったのは、報復を始めたから。報復を始めたのは、一人になったから。一人になってしまったのは、シャノンのおばあさんが死んでしまったから。シャノンのおばあさんが死んだのは――ドラコ、貴方のお父様が彼女を殺したからよ」
ドラコは何も、答えない。俯いたまま。
「彼女が死喰人に殺されたのだと知ってから、サラの犯人への憎悪は尋常ではなかったわ。私もエリも、それに気付いていた。絶対に、止めなきゃって」
視線を上げたドラコに、アリスは苦笑する。
「サラが犯人を憎むのは尤もだわ。でも、それは決して正しい事じゃないのよ。私とエリは、それが解ってる。
殺した犯人を野放しにする訳にはいかないのも確か。でも、だからって憎んで仇討ちなんてしていい筈が無い」
「アリス……それじゃ……」
「サラが危険な事をしそうだったら、止める。貴方に言われなくても、元々そのつもりよ。望むなら、貴方にも伝えるわ。
相手は死喰人。いくらサラが成績優秀で力のある魔女だと言ったって、危険には変わりないもの。――それに」
アリスはドラコに微笑いかける――微笑えている筈。本心を隠して明るく振舞うのは、得意だ。
「例えサラと別れたって、ドラコは私のお兄ちゃんみたいな存在だもの。お父様の事だって、心配なのでしょう? 私も、ドラコが悲しむ姿は見たくないわ」
ドラコはがばっとアリスに抱き付いた。
突然の事に、アリスは息を詰める。
「ごめん……ありがとう……アリス……ありがとう……」
ドラコの声は震えていた。
彼は知らない。好きなひとに抱き締められて、アリスの心臓がどんなに波打っている事か。サラの話をする度に自分の失恋を思い知って、アリスの胸がどんなに締め付けられる想いか。
――知らないままでいい。
ずっと、知らないままで。妹のような存在である限り、アリスはドラコの「特別」でいられるから。それは決して、恋人として眼中に入れられる事は無い対象。それでも、彼の隣にいられるのであれば。
――やっぱり私、ずるいなあ……。
ずるくても、構わない。どんな手段であっても、「特別」でいられるならば。
土曜日、ホグズミードへ向かう道中、ロンは無言だった。校門へ向かう途中に湖を泳ぐクラムを目撃し、彼の話になったのだ。クリスマス以来ロンはクラムの名前を出さないようにしていたが、この寒空の下海水パンツ一枚で湖に飛び込む姿を見ればそうもいかない。ハーマイオニーが彼を庇う言葉を口にしたのが、不味かった。
ハイストリート通りに着いたが、ハリーはどの店にも入ろうとしなかった。ハグリッドの姿を捜しているのだと直ぐに思い当たったが、彼がこんな人の多い賑やかな所へ来るとは思えなかった。それでも一軒一軒、人ごみを見て周る。街中を少し離れて、祖母の墓へも行ってみた。しかしそこにもハグリッドの姿は見付からず、ハリーの提案で四人は三本の箒へと向かった。
ホグズミード休暇の三本の箒は、いつでも生徒であふれ返っている。当然ここにもハグリッドはおらず、ハリーはがっくりと肩を落としていた。
落ち込むハリーを引っ張って、サラ達はカウンターへ行く。マダム・ロスメルタにバタービールを注文してから、ハーマイオニーが声を潜めて言った。
「あの人、一体いつ、お役所で仕事をしているの?」
ハーマイオニーが指を差す前に、サラはルード・バグマンの事を言っているのだと気が付いた。カウンターの鏡に映っている。彼はパブの隅の席に座り、大勢のゴブリンと何やら揉めている様子だった。
ホグワーツやホグズミードがあるのは、恐らくイギリスの北の方だ。少なくとも、ロンドンの魔法省からは程遠い。魔法界には煙突飛行があるとは言え、態々ここまで来るような理由も無い筈だ。第二の課題までは、まだ一ヶ月ある。
鏡の中のバグマンがこちらを一瞥し、そして立ち上がった。ゴブリン達に言い訳をしながら、急いでこちらへとやって来る。
ゴブリンの元を離れたバグマンは、晴れやかな表情をしていた。
「ハリー! 元気か? 君にばったり会えるといいと思っていたよ! 全て順調かね?」
どうやらお目当ては、ハリーだったらしい。そう言えば、第一の課題で助言しようとしていたと、ハリーから聞いたような気がする。
一方でハリーは、バグマンと会ったからと言って気分が高揚する様子は無かった。毎度の事ながら、フレンドリーなお偉いさんに対し淡白に返答する。
「はい。ありがとうございます」
「ちょっと、二人だけで話したいんだが、どうかね、ハリー?」
バグマンはハリーの返答も聞かず、サラ達に言った。
「君達、ちょっとだけ外してくれるかな?」
「あ――オッケー」
ロンが頷き、サラ達は先にテーブルを探している事にした。
運良くレイブンクローの三年生達が席を立ち、サラ達は直ぐに席を取る事が出来た。ロンは憐れむようにちらりとハリーとバグマンを振り返る。
「有名なのも考え物だよな。遊びに来てるのに引き止められちゃ、敵わないよ」
「代表選手になって、拍車が掛かった感じよね。お陰で私は逃れる事が多くなって、助かってるけど」
言って、サラは肩を竦める。誰が何の目的で、ハリーの名前をゴブレットに入れたのか。相当深刻な問題だが、その点についてだけは助かっている事は確かだ。
ロンはバタービールを一口飲み、首を傾げる。
「ハリーに一体、何の用だろう?」
「第二の課題への助言だったりしてね。彼、ハリーの事気に入ってるみたいだもの」
「冗談じゃないわ。そんなの、ルール違反じゃない! 彼は審査員の一人なのよ!」
ハーマイオニーがまくし立てる。ロンが「まあまあ」と彼女を宥めた。
「まさか本当にそう言ってる訳じゃあるまいし」
しかしバグマンは、本当にハリーに援助を申し出ていた。
ハリーが戻って来て話を聞くなり、ハーマイオニーは憤慨した。
「そんな事しちゃいけないのに! 審査員の一人じゃない! どっちにしろ、ハリー、貴方もう解ったんでしょう? そうでしょう?」
「あ……まあね」
ハリーは歯切れ悪く頷いた。
嘘だ。サラは即座にそう思った。ハリーはサラと目が合うと、すっと視線を逸らした。
ハーマイオニーは憤慨のあまり、ハリーの嘘には気付いていなかった。
「バグマンが貴方に八百長を勧めたなんてダンブルドアが知ったら、きっと気に入らないと思うわ! バグマンが、セドリックも同じように助けたいって思っているならまだマシだけど!」
「違うみたいだよ。僕も質問した」
「ディゴリーが援助を受けているかいないかなんて、どうでもいいだろ?」
ロンが言った。
サラは、パブの出入口を見やった。ハリーと話し終え、そそくさと出て行ったバグマン。その後に続く大勢のゴブリンと言う、奇妙な団体。
「ゴブリン達とは何を話していたのか、聞いた? 彼、まるでハリーの方に逃げて来たみたいだったけど」
「とても和気藹々とは言えない感じだったわね」
バタービールを啜りながら、ハーマイオニーが同調する。
ハリーは、ゴブリン達はクラウチを探しているらしいと話した。クラウチは病気で、まだ仕事に来ていないのだと。少なくともバグマンは、そう言ったらしい。
パーシーが昇進のために上の席を空けようと一服盛ったのではないかと言うロンの冗談は、ハーマイオニーのひと睨みで黙らされた。
「変ね。ゴブリンがクラウチさんを探すなんて……。普通なら、彼らは『魔法生物規制管理部』の管轄でしょうに」
「でも、クラウチは色んな言葉が喋れるし。多分、通訳が必要なんだろう」
ハリーは軽い調子で言った。
ロンが冷やかす。
「今度は『可哀想な小鬼ちゃん』の心配かい? S.P.U.G.でも始めるのかい? 『醜い小鬼を守る会』って」
「お生憎様」
ハーマイオニーは皮肉たっぷりに返した。
「ゴブリンには保護は要りません。ビンズ先生の仰った事を聞いていなかったの? ゴブリンの反乱の事」
「聞いてない」
ロンだけでなく、ハリーも同時に答えた。
サラは溜息を一つ吐き――そして、顔を強張らせた。外。ハグリッド。新聞。ハーマイオニー。――唐突に脳裏を過ぎる、イメージの断片。
ハーマイオニーはゴブリンに人権主張の手助けは必要ないのだと、ハリーとロンに説明していた。
「サラ? どうし――お、わ」
腰を浮かせたサラを訝り、ロンはサラの視線の先を追って声を上げた。
入って来たのは、リータ・スキーター。ハグリッドが引きこもる事になった、元凶。ハリーもハーマイオニーもそれに気付き、彼女を冷たい視線で眺めていた。
四人の会話は途絶える。自然、スキーターが早口で話す声がよく聞こえてきた。
「――あたし達とあんまり話したくないようだったわねえ、ボゾ? さーて、どうしてか、あんた、分かる? あんなにゾロゾロとゴブリンを引き連れて、何してたんざんしょ? 観光案内だとさ……馬鹿にしてるわ……あいつはまったく嘘が下手なんだから。何か臭わない? ちょっと掘り返してみようか? 『魔法ゲーム・スポーツ部、失脚した元部長、ルード・バグマンの不名誉』……なかなか切れの良い見出しじゃない、ボゾ――後は、見出しに合う話を見付けるだけざんす――」
「また誰かを破滅させるつもりか?」
耐え切れなくなったのだろう。ハリーが大声を出した。
周りの視線がハリーへと集中する。当然、スキーター本人も振り返った。目を見開き、そして、にっこりと胡散臭く笑いかける。同じ愛想笑いでも、アリスとは大違いだ。
「ハリー! 素敵ざんすわ! こっちに来て、一緒に――あら! そこにいるのは、サラ・シャノンじゃない? 君達は仲が良いのね? いつも一緒にいるの? 良かったら、君も――」
サラは無視して、バタービールを啜る。ハリーが言い返した。
「お前なんか、一切関わりたくない。三メートルの箒を間に挟んだって嫌だ。一体何のために、ハグリッドにあんな事をしたんだ!?」
スキーターの顔から笑顔が消えた。眉を吊り上げ、言い放つ。
「読者には真実を知る権利があるのよ。ハリー、あたくしはただ自分の役目を――」
「ハグリッドが半巨人だって、それがどうだって言うんだ? ハグリッドは何にも悪くないのに!」
三本の箒はしんと静まり返る。
今や、パブ中の顔がハリーの方を向いていた。サラは無表情でスキーターを見つめる。
スキーターは直ぐに、元の笑顔に戻った。わに革のバッグを素早く開き、黄緑色の長い羽根ペンを取り出した。続けて取り出した羊皮紙の上に、垂直に立たせる。スキーターが手を離しても、ペンは僅かに震えながら立ったままだった。
「ハリー、君の知っているハグリッドについてインタビューさせてくれない? 『筋肉隆々に隠された顔』ってのはどうざんす? 君の意外な友情とその裏の事情についてざんすけど。君はハグリッドが親代わりだと思う?」
ハーマイオニーがパッと立ち上がった。
「あなたって、最低の女よ」
辛辣な口調で言い捨てる。
「記事のためなら、何も気にしないのね。誰がどうなろうと。例えルード・バグマンだって――」
「お座り。無知な小娘の癖して。分かりもしないのに、分かったような口を利くんじゃないよ。ルード・バグマンについちゃ、あたしゃね、あんたの髪の毛が縮み上がるような事実を掴んでいるんだ……尤も、もう縮み上がっているようざんすけど――」
ハーマイオニーの髪の毛を一瞥して、スキーターは吐き捨てるように言った。
ハーマイオニーはそれ以上彼女に構いはしなかった。
「行きましょう。さあ、サラ――ハリー――ロン……」
三本の箒を出て行く四人を、大勢の目が見つめていた。出口に近付いた時、前を行くハリーがちらりとスキーターの方を振り返った。サラもつられたように振り返る。黄緑色の羽根ペンが、羊皮紙の上を高速で行き来していた。スキーターは食い入るように羊皮紙を見つめている。
そのスキーターの座る椅子が、突然後ろに大きく傾いた。派手な音を立てて、スキーターはひっくり返る。パブの端々から、くすくす笑いが漏れた。スキーターはきょろきょろと辺りを見回す。
サラは既に前を向き、物音に振り返ったハリーとロンの背を両手で押した。
「ほら、さっさと行きましょう」
口元に笑みを湛えて、サラは言った。
三本の箒から出るなり、ハリーはサラを振り返った。
「僕、一番にサラが切れるだろうと思ったよ。君があれだけで済ますなんて――」
「私だって、吊り上げてあの汚らわしい言葉を発する喉を絞めてやりたいと思ったわ。でも、あんな低俗な奴のためにこんな所で目立つのは良くないと思ったの」
「その通りだよ」
頷いたのは、驚いた事にロンだった。
「ハーマイオニー。あいつ、きっと次は君を狙うぜ」
前を行くハーマイオニーに、心配そうに低い声で言う。
ハーマイオニーは城への道を大股で進み、その声は怒りに震えていた。
「やれるものならやってみろってのよ! 目にもの見せてやる! 無知な小娘? 私が? 絶対にやっつけてやる。最初はハリー、次にハグリッド……」
「リータ・スキーターを刺激するなよ。ハーマイオニー、僕、本気で言ってるんだ。あの女、君の弱みを突いて来るぜ――」
「私の両親は『日刊預言者新聞』を読まないから、私はあんな女に脅されて隠れる事なんて無いわ!」
ハーマイオニーは憤然と言い返したが、サラはロンの言葉に息を呑んでいた。
怖いのは、記事そのものではない。ハリーの記事が書かれた時、ハグリッドの記事が書かれた時――多くの人は、それを鵜呑みにした。
これから何が始まるのか、何が起こる可能性があるのか、サラはそれを知っている。嫌と言うほど、経験してきたのだから。
だが、今となってはもう遅い。ハーマイオニーが言葉を撤回し、スキーターに謝るなんて有り得ないし、サラもそんな事をする必要性を感じない。サラには、日刊預言者新聞に圧力を掛けてスキーターの記事を止めるような伝手も無い。
――私が、守らなきゃ。
ハーマイオニーは怒り、怒鳴り散らしていた。そして、突然駆け出す。
サラ、ハリー、ロンの三人は、慌ててハーマイオニーの後をついて行った。坂道を登り、校門を通り抜け、校庭を横切る。向かった先は、ハグリッドの小屋だった。
硬く閉ざされた玄関扉を、ハーマイオニーは強く叩く。
「ハグリッド! ハグリッド、いい加減にして! そこにいる事は分かってるわ! 貴方のお母さんが巨人だろうと何だろうと、誰も気にしてないわ、ハグリッド! リータみたいな腐った女にやられてちゃダメ! ハグリッド、ここから出るのよ。こんな事してちゃ――」
扉が開いた。サラは目を丸くする。ハーマイオニーは安堵の言葉を漏らしかけ、口を噤んだ。
中から出て来たのは、ダンブルドアだった。
ハーマイオニーはたじたじと後ずさる。ダンブルドアは気にする様子もなく、四人に微笑んだ。
「こんにちは」
「私達――あの――ハグリッドに会いたくて……」
ハーマイオニーの声は尻すぼみになって消えて行く。
「おお、わしもそうじゃろうと思っておったぞ。さあ、お入り」
「あ……あの……はい」
ハーマイオニーの後に続き、サラ達も小屋の中に入って行った。途端に、ファングがハリーに突進して行った。
ハグリッドは、テーブルの前に座っていた。テーブルには大きなマグカップが二つ。ハグリッドとダンブルドアの分だ。ハグリッドの様子は、酷かった。泣き腫らした目は腫れ上がり、顔にも涙の後が斑になって残っている。マダム・マクシームのために過剰なほど撫で付けていた髪は、今やぼさぼさに絡み合っていた。顔の前や横に掛かる髪は涙で濡れ、張り付いている。
ハリーが挨拶したが、返答したハグリッドの声はしわがれた物だった。ずっと泣き続けていたのだと分かった。
「もっと紅茶が必要じゃの」
ダンブルドアは扉を閉め、杖を回すように振る。空中に紅茶やケーキが現れ、ダンブルドアはそれらをテーブルに載せる。サラ達は促されるままに、テーブルに着いた。
一時の沈黙。ダンブルドアが、ゆっくりと口を開いた。
「ハグリッド、ミス・グレンジャーが叫んでいた事が聞こえたかね?」
ハーマイオニーは僅かに紅くなる。ダンブルドアは彼女に微笑いかけ、後を続けた。
「ハーマイオニーもハリーもサラもロンも、ドアを破りそうなあの勢いから察するに、今でもお前と仲良くしたいと思っているようじゃ」
「もちろん、僕達、今でもハグリッドと友達でいたいと思ってるよ!」
ハリーが即座に言った。
「あんなブスのスキーターばばあの言う事なんか――すみません、先生」
ハリーは慌ててダンブルドアを振り返る。しかし、ダンブルドアは天井を見つめ言った。
「急に耳が遠くなってのう。ハリー、今何と言ったか、さっぱり分からん」
「あの――えーと――僕が言いたかったのは――ハグリッド、あんな――女が――ハグリッドの事を何て書こうと、僕達が気にする訳無いだろう?」
ハグリッドの目から、涙がこぼれた。大粒の涙はもじゃもじゃな髭を伝い、ゆっくりと床に落ちて行った。
「わしが言った事の生きた証じゃな、ハグリッド。生徒達の親から届いた、数え切れないほどの手紙を見せたじゃろう? 自分達が学校にいた頃のお前の事をちゃんと覚えていて、若しわしがお前を首にしたら、一言言わせてもらうとはっきりそう書いてよこした――」
「全部が全部じゃねえです。皆が皆、俺が残る事を望んではいねえです」
ハグリッドは掠れた声で言う。
それに対するダンブルドアの声色は、やや厳しさがあった。全ての人に好かれんとするなら、ずっと小屋に閉じこもっているしかない。そう、ダンブルドアは言い聞かせる。ダンブルドア自身も、少なくとも週に一度は苦情の手紙を受け取ると。けれども、だからと言って閉じこもる訳にはいかない。
「そんでも――先生は、半巨人じゃねえ!」
「ハグリッド。じゃ、僕の親戚はどうなんだい!? ダーズリー一家なんだよ!!」
ハリーが怒鳴った。
ハグリッドは驚いて、ハリーを見た。そして――一瞬、サラにも目を向けた気がした。
「良いところに気付いた」
ダンブルドアが穏やかな口調で言った。
「わしの兄弟のアバーフォースは、ヤギに不適切な呪文をかけた咎で起訴されての。あらゆる新聞に大きく出た。しかしアバーフォースが逃げ隠れしたかの? いや、しなかった。頭をしゃんと上げ、いつものとおり仕事をした! もっとも、字が読めるのかどうか定かではない。したがって、勇気があったという事にはならんかも知れんがのう……」
「戻って来て、教えてよ、ハグリッド」
ハリーが静かに言った。サラも頷く。
「ハグリッドじゃないと、授業もつまらないわ。気にする事なんて無いのよ。それに、あんな女に負けて自分が引き下がるなんて、悔しいじゃない」
「お願いだから、戻って来て。ハグリッドがいないと、私達本当に寂しいわ」
ハグリッドは喉を鳴らした。大粒の涙が、ぼろぼろと溢れ出す。
ダンブルドアは立ち上がった。
「辞表は受け取れぬぞ、ハグリッド。月曜日に授業に出るのじゃ。明日の朝八時半に、大広間でわしと一緒に朝食じゃ。言い訳は許さぬぞ。
それでは皆、元気での」
ダンブルドアの青い瞳が、サラを見た。何でも見透かしてしまいそうな、その瞳。
サラは口を真一文字に結んで、その双眸を見つめ返す。
ダンブルドアはファングの相手をするのに一度立ち止まり、それから小屋を出て行った。サラに何か言うでも無かった。
ハグリッドはと言うと、両腕に顔を埋めてすすり泣く。ハーマイオニーがその腕を叩き、慰めていた。
暫くするとハグリッドは顔を上げた。その目は真っ赤に腫れていたが、もう泣きはしなかった。後ろ向きな考えも捨てていた。
ハグリッドは四人に父親の写真を見せ、彼の話を聞かせてくれた。ハグリッドの父親は普通の人間サイズで、それどこか寧ろ小柄な部類に入る男性だった。
うっかりマダム・マクシームの事も口を滑らせたが、ハグリッドはそれに気付いていない風だった。
「――本当に馬鹿だった。ずっと前に、サラ、お前のおばあさんにも言われた事があったのになあ。血筋が何だ。親が何だ。人の価値ってのは、そんなもんでは決まらねえんだ。俺は、あいつの事も貶す事になるところだった……」
「え?」
「ハリー、あのなあ」
サラが小さく上げた声には気付かず、ハグリッドはハリーに言った。
「お前さんに初めて会った時なあ、昔の俺に似てると思った。父ちゃんも母ちゃんも死んで、お前さんはホグワーツなんかでやっていけねえと思っちょった。覚えとるか? そんな資格があるのかどうか、お前さんは自信が無かったなあ……。ところが、ハリー、どうだ! 学校の代表選手だ!」
ハグリッドは急に真剣な顔つきになって、真っ直ぐにハリーを見つめる。
「ハリーよ、俺が今心から願っちょるのが何だか分かるか? お前さんに勝って欲しい。皆に見せてやれ……純血じゃなくても出来るんだってな。自分の生まれを恥じる事はねえんだ。ダンブルドアが正しいんだっちゅう事を、皆に見せてやれる。魔法が出来る者なら誰でも入学させるのが正しいってな。ハリー、あの卵はどうなってる?」
「大丈夫」
ハリーは言った。サラはハリーを見たが、ハリーはハグリッドだけを一心不乱に見ていた。
「ほんとに大丈夫」
「それでこそ、俺のハリーだ……。目にもの見せてやれ。ハリー、皆に見せてやれ。皆を負かしっちまえ」
ハグリッドは嬉しそうに笑った。ハリーは良心が傷ついたような顔をしていた。
結局、ハグリッドが零した祖母の事について聞くようなタイミングは無く、サラ達四人はグリフィンドール談話室へと帰って行った。
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2011/03/31