「私達、お土産をたくさん買って来るわ」
「エリが大好きなクリームケーキ、あれ、買って来てあげる」
「何なら、ゾンコの悪戯専門店も行って来るよ。何が欲しい?」
「持ち帰れそうなら、バタービールだって買って来ます。だから、だから、その――スネイプの罰則、頑張ってください」
ハンナ、スーザン、アーニー、ジャスティンは、口々にエリを励ましてホグズミードへと出掛けて行った。
ホグズミードに行けない。その事自体は、大した問題ではなかった。毎週土曜日にはムーディとの磔の呪文対抗訓練で、ホグズミード休暇もそれは変わらない。尤も、ムーディの場合はホグズミードの日は考慮して早めに終わらせてくれるが。
ホグズミードよりも――問題は、罰則そのもの。セブルスと二人きりで過ごすと言う事。
いっそ、すっぽかしてしまいたい。しかしそれをすれば、先が怖い。
「行くしか……ないか……」
エリは重い足を動かし、研究室へと向かった。
No.22
硬く閉ざされた扉。十二月までならば、ノックもせずに飛び込んで行っていた。「セブルスー」なんて明るく話しかけて。あの頃に戻れたら、どんなに良いか。
何と言って入れば良いのか、どんな顔をして入れば良いのか、全く判らない。
ここで逃げたら、どうなるだろう。きっと、再度改めて罰則を言い渡されるだろう。内容も重くなるかもしれない。でも、それも逃げおおせたら? ――無理だ。卒業まで三年以上も逃げ続けるなんて、非現実的過ぎる。
――と、兎に角心を落ち着かせてだな……。
エリは、深く息を吸う。吐こうとしたその時、目の前の扉が開いた。
エリは勢い良く飛び上がる。
「なんだ、来ていたのか。逃げたのかと思ったぞ。さっさと入らんか」
「……」
顔が上げられない。セブルスとの間に十分距離を取って、エリは研究室に入る。
「鍵の無い棚にある鍋、全てだ。魔法の使用は禁止。終わるまで帰さん」
「う……」
エリは室内を見回し、呻き声を漏らす。四方の壁はぐるりと棚で埋められていて、そこには鍋やら薬品やらが所狭しと並べられている。棚で埋められてないと言えば、奥の部屋に続く扉のある部分ぐらいなものだ。これを魔法無しで磨き上げるとなれば、半日はかかるだろう。
セブルスはエリを気にする様子も無く、椅子に座って何やら書いている。薄情な態度だが、今のエリにはその方がありがたかった。
なるべくセブルスを視界に入れないようにして、物音を聞かないようにして、エリは鍋磨きに専念する。
セブルスの方から何か話しかけてくる様子は無かった。ダンスパーティーの話さえも持ち出さず、黙々と作業をしている。もう、気にしていないのだろうか。だとすれば、どんなに良い事か。
――でも、あたしはこんなに気にして悩んだのに。
ダンスパーティーの事は忘れて欲しい。忘れて欲しいとは思うが、本当に忘れて気にしていないのならばそれはそれで腹の立つ話だった。エリは心?き乱され徹底的に避けていたというのに、セブルスにとっては何でもない事だと言うのか。
気にされたくないのに、気にされないと腹が立つ。理不尽だ。それはエリ自身、重々承知していた。やり場の無い感情をぶつけるように、エリは鍋を磨く腕に力を込める。
ひたすら無言の罰則だった。今にも逃げ出したい気持ちを押し殺しながら、長い時間をエリは耐えた。
漸く最後の鍋を磨き終えた時、腕時計の針は夕飯の時間が近付いている事を示していた。
エリは振り返る。するとセブルスもこちらを見ていて、眼が合ってしまった。どぎまぎと視線を外すエリに、セブルスは淡々とした声で聞いた。
「終わったか」
無言で、エリは頷く。
セブルスは棚を覗き込み、磨き終えた鍋をチェックして行く。
「ふむ……貴様にしては、丁寧に磨いたようだな……」
エリは答えず、俯いたままだ。
相変わらずの、馬鹿真面目。一つ一つ、ゆっくりと確認していく。早く帰らせて欲しい。
最後の棚の端まで見て終わり、セブルスは振り返った。
「――罰則はこれで終わりだ」
エリは真っ黒になった雑巾を放り投げ、素早く荷物に手を掛ける。
「誰も帰って良いとは言っておらん」
言われて、エリは動作を止める。
「……まだ、何か」
「――君が逃げ回っている、先日のダンスパーティーの話だが」
エリは咄嗟に踵を返す。即座に扉に飛びついたが、取っ手が回らない。ポケットから杖を引っ張り出す。
「アロホモ――」
パチンと言う軽い音と共に、エリの手から杖が跳ね飛んだ。エリは振り返る。
二本の杖を手にしたセブルスは、落ち着き払った表情でエリを見据えていた。
「また逃げるつもりか」
何の同様も無い、無表情。
いつもだ。あの日以来、ずっとそうだった。ふと眼が合っても、戸惑うのはエリばかり。セブルスの方は何の反応も無くて、何も気にしていなくて。
沸々と怒りが湧いてくる。
「なんで……そんな平然としてんだよ」
エリはかーっと顔が熱くなって来るのを感じた。
セブルスの表情は、変わらない。
「あたし一人だけ気にして、気まずく思って、馬鹿みたじゃないか……! もう、ほっといてくれよ! 答えなんて分かってんだよ。蒸し返す事も無いだろ。お前に取っちゃこんな子供眼中に無いだろうけど、それでも、好きだったんだ……! 一緒にいたいってだけだったんだ……! なのに、あたし……自分でそれ壊すような事をして……」
熱い雫が、頬を伝った。
押し寄せる後悔の念。あんな事、言わなければ。そうすれば、こんなに気まずく思う事なんて、無かったのに。魔法薬学の度に気が重くなる事なんて、無かったのに。セブルスに会いたい。セブルスと一緒にいたい。傍にいられれば、それだけで幸せでいられたのに。
――今は、それが辛いだけ。
「馬鹿だ、あたし……ほんとに馬鹿だよ……」
一度溢れ出した涙は、止め処無く流れていく。
ローブの袖でごしごしと眼を擦っていると、頭に手が置かれた。その手は不器用に、エリの頭を撫でる。
「貴様の思い込みは、相当なものだな。あんな事を聞いて、そのまま流す訳にもいかんだろう。返事ぐらいさせんか」
エリはパシリとセブルスの手を払う。
「そんなの無くても分かって――」
「解っていない」
セブルスはエリの手首を捕まえる。
本気で振り払えば、恐らくエリの力ならば振り払えるだろう。しかしセブルスの漆黒の瞳に見つめられたエリは立ち竦んでしまい、それが出来なかった。真剣な瞳。真っ直ぐに、エリを見つめている。
――嫌だ。聞きたくないのに。
「……あれから我輩も、真剣に考えた。君ばかりが気にしていた訳ではない。我輩とて、どうして良いか判らなかった。あの夜、君が口を滑らせたその瞬間からだ。我輩は教師、エリは生徒だ。年齢も、親子と言っても差し支えない程に離れている。君にはもっと、他の良い人と出会うチャンスもあるだろう。この先の事を考えれば、当然断るべきだと思った。君を危険に巻き込む事もしたくない――」
セブルスの瞳が揺れる。彼の視線が捕らえるのは、自身の左腕。
「一時の感情で危険に巻き込むなど、愚かしい事だ。いつか必ず、後悔する日が来る……。そう、何度も自分に言い聞かせた。――しかし、駄目だった。
エリ。我輩は、君の笑顔が傍にある事に慣れ過ぎてしまったようだ」
エリは涙に濡れた瞳で、きょとんと見つめる。
セブルスは仏頂面で、エリに視線を戻した。
「我輩も、エリに傍にいて欲しい。教師と生徒ではなく、一人の女性として。――つまり、そう言う事だ」
エリはぽかんとセブルスを見つめる。セブルスはじっとエリを見据え続けていたが、耐え切れなくなり視線を外した。その頬は、紅い。
「……ほんとに?」
「嘘を吐いてどうする」
「じゃあ、えっと……あたし、彼女? セブルスが、彼氏?」
「……エリが、良いのなら」
「いい! 全然いい!! ほんとにほんとだね! 嘘じゃないんだよな!? あたしが泣いちゃったからとか、慰めようととか、そういう事じゃないんだよな!?」
エリはセブルスの手をぎゅっと握る。
「エリは、そんな理由で我輩が生徒と付き合うことを良しとすると思うか」
「……思わない」
フルフルと首を振る。
そして、勢い良くセブルスに飛びついた。
「やったーっ!! セブルス、大好きー!」
「えっ、なっ!? や、やめんか!」
「いいじゃん。カレカノなんだろー?」
セブルスは言葉を詰まらせる。やや間があって、渋々言った。
「……人目のある所では、決して表に出さない事。誰にも言わない事。悟られない事」
「うん。解ってる解ってるー」
「本当に解っているのか……」
セブルスは、呆れたように呟く。
ただただ、嬉しかった。幸せだった。
生徒と教師と言う関係である事。彼が背負っているもの。難しい事を考えるのは苦手だ。だから、深く考えようとはしなかった。セブルスが答えに悩んだその理由も、エリには解っていなかった。
金曜日の朝、呪文学の授業中にハリーは昨晩漸く金の卵の謎を解いたと告げた。監督生の浴場まで忍び込みに行ったらしい。
ハリーが話し始めて間もない内に、ハーマイオニーが憤慨した。
「卵の謎はもう解いたって言ったじゃない!」
「大きな声を出さないで! ちょっと――仕上げが必要なだけなんだから。わかった?」
「はいはい、仕上げね。で、態々真夜中に危険な冒険をしたんだから、それは終わったんでしょうね?」
飛んで来たフリットウィックを避け、サラは尋ねる。これで何度目になる事か。フリットウィックに謝ろうと不用意に教室を横切ったネビルは、クッションの弾幕に襲われる。
「頼むよ。卵の事はちょっと忘れて。スネイプとムーディの事を話そうとしてるんだから……」
フリットウィックはネビルの「追い払い呪文」に遭い、生徒達はそれに気を取られるか自分の演習に集中しているかで、サラ達四人の会話を気にする者などいない。それでもハリーは、声を潜めて話していた。監督生の浴場に潜入した帰り道、スネイプ、ムーディ、フィルチと遭遇したらしい。
危うくスネイプに捕まりかねなかったハリーは災難だったが、スネイプとムーディの諍いはハリーやロンにとって小気味良いものだった。スネイプはムーディを避けようとしている。そしてそのムーディは、独特の雰囲気はあるがどうもハリーを気に入ってくれている節がある。尤も、サラの方はムーディもいまいち信用出来ずにいたが。
「スネイプは、ムーディも研究室を捜索したって言ったのかい?」
「どうなんだろう……ムーディは、カルカロフだけじゃなく、スネイプも監視するためにここにいるのかな?」
「ダンブルドアがそれを頼んだかどうか判らない。だけど、ムーディは絶対そうしてるな」
「ムーディが言ったけど、ダンブルドアがスネイプをここに置いているのは、やり直すチャンスを与えるためだとか何とか……」
「何だって? ハリー……若しかしたら、君の名前を『炎のゴブレット』に入れたのはスネイプだって、ムーディはそう思ってるんじゃないか」
「でもねえ、ロン」
ハリーとロンばかりが話す中に、ハーマイオニーが割って入った。
「前にもスネイプがハリーを殺そうとしてるって思った事があったけど、その時、スネイプはハリーの命を救おうとしていたのよ。憶えてる?」
ハーマイオニーは言って、杖を振る。クッションは、見事な軌道を描いて箱に収まった。その後に、サラが「追い払い」したクッションが続く。
「でも、『やり直すチャンス』って事は前科があったって言い回しにならない? 『やり直し』の必要性がある訳でしょう? ムーディは死喰人を毛嫌いしてるって、有名だわ。だったら、スネイプも若しかしたら――」
「ムーディが何を言おうが、私は気にしないわ」
ハーマイオニーはきっぱりと言った。
「ダンブルドアは馬鹿じゃないもの。ハグリッドやルーピン先生を信用なさったのも正しかった。あの人達を雇おうとはしない人は山ほどいるけど。だから、ダンブルドアはスネイプについても間違っていない筈だわ。例え、スネイプが少し、その――」
「――ワルでも」
言葉に詰まったハーマイオニーに代わり、ロンが言った。
「だけどさあ、ハーマイオニー。それならどうして、『闇の魔法使い捕獲人』達が、揃いも揃ってあいつの研究室を捜索するんだい?」
「クラウチさんはどうして仮病なんか使うのかしら?」
ロンの疑問を完全に無視して、ハーマイオニーは言った。
「ちょっと変よね。クリスマス・ダンスパーティには来られないのに、来たいと思えば、真夜中にここに来られるなんて、おかしくない?」
「君はクラウチが嫌いなんだろう? 屋敷僕妖精のウィンキーの事で」
「あなたこそ、スネイプに難癖をつけたいんじゃない」
「僕はサラと一緒さ。ただ、スネイプがやり直すチャンスをもらう前に、何をやったのか知りたいんだ」
ハリーが言って、杖を振った。クッションは真っ直ぐに教室を横切り、サラのクッションの上に着地する。飛ばした本人も、驚いていた。
サラは、ハリーを仰ぎ見る。
「それで? 忍びの地図を、渡してしまったの? ムーディに?」
「うん。でも、没収って訳でもないみたいだった。『貸してくれ』って言われたから。真夜中に出歩いて、更にスネイプに捕まりそうだったのを庇ってくれたんだ。断る理由も無いだろう?」
「そうかも知れないけど……」
「ムーディが持ってると、何か不都合な事でもあるの?」
ハーマイオニーが鋭い口調で問うた。サラは淡々と言う。
「別に。ただ……私は、ハリーほどあの先生を信用は出来ないってだけよ」
「なんでだい? まあ、苦手って言うなら解るさ。ムーディって、ちょっと怖いよな――でも、現役の闇払いってだけあってイカす先生じゃないか」
ロンの言葉に、サラは首を振る。
「そうじゃないわ……そうじゃないのよ」
ムーディがサラを見るときの、奇妙な感覚。まるで、崇めるかのような。
その正体は、未だ分からなかった。
それからは、ハリーが湖で一時間を過ごす方法を調べる事に時間を費やした。第二の課題は、湖で何かを取り返すこと。一時間、水の中に潜り続けなければならないのだ。朝、昼、晩と授業の無い時間はずっと図書館に入り浸ったが、目ぼしい手段は見付からなかった。
ある日の夕方。サラは借りていた本の返却期限が今日までだと言う事に気付き、一人、図書館へ期限延長に向かった。寮の門限が差し迫った時刻。人気の無い廊下を、サラは走る。
そして、嬉しくない人物と遭遇してしまった。
「シャノン。そこで何をしている」
「廊下を歩いています。寮へ帰るところです」
「今、廊下を走っていただろう。グリフィンドール、十点減点。更に嘘を吐いた事で、グリフィンドール五点減点」
サラはきゅっと口を真一文字に結ぶ。
スネイプは他にも減点出来る言いがかりが無いか、サラをじろじろと見下ろす。嫌な相手に捕まった。早く寮に帰って、ハリーの調べ物を手伝いたいのに。今夜も恐らく、三人は談話室の片隅に本を積み上げ寄り集まっている事だろう。
「近頃、ポッター共々こそこそと集まって何かしているようだな? 一体何をしている?」
「図書館で予習をしています、スネイプ先生」
「ほう、予習か。それは、夜中に歩き回って我輩の研究室に忍び込む必要があるものなのかね?」
「仰る意味が解りませんが」
恐らく、ハリーが言っていたあの晩の話だろう。だが、その晩スネイプの研究室に忍び込んだのはクラウチだ。ハリーでもなければ、サラでもない。
「貴様らは往々にして、勘違いをしているようだ。自分達なら、何をしても許されると。特別扱いをしてもらえると……。だが、他の誰が何と言おうと、我輩は貴様らを特別扱いするつもりは無い。父親によく似た高慢な奴よ。いずれ、父親と同じ道を辿るだろう――」
「それは、もっとよくお似合いの方々にお譲りしますわ。――死喰人の方々に」
スネイプは怯んだような表情を見せた。高揚感が沸き起こる。
「教師に対する侮辱で、グリフィンドール――」
「侮辱? どちらの教授に対してでしょうか?」
すかさずサラは口を挟む。
スネイプは口を噤む。サラが説き伏せた訳ではなかった。コツ、コツという足音が、廊下の向こうから聞こえてきていた。
直ぐ傍の角から姿を現したのは、マッド−アイ・ムーディ。
「これは、これは……スネイプ、このところ君とは奇妙な所で落ち合うものだな。シャノンに何か、用かね? まさか、昨晩の事について彼女達をまだ疑ってはおるまいな」
「我輩がシャノンと何の話をしようと、ムーディ、君には関係無い」
「そうかね? 先日も言ったと思うが。ダンブルドアは、誰がハリーに恨みを持っているのか大変興味があると……もちろん、サラに対しても同様だ。
スネイプ、君はハリーとその姉妹に随分と熱心なようだな? 妹達の方も頻りに教室や研究室に招き入れているようだが――」
「アリス・モリイは我輩の寮の生徒だ。何の疑問もあるまい」
「しかしエリは違うだろう。君は、彼女をわしと接触させまいとしているようだが?」
「齟齬があるな。先日の罰則がそちらの補講と重なったのは、あくまでも偶然だ。生徒の予定に合わせるようでは、それは罰則とは言えまい」
「そうか。わしはてっきり、モリイが防衛術を身につけたら何か困る事でもあるのかと思ってな」
「君は我輩を疑っているようだが」
スネイプの語調が荒々しくなる。
「何度も申し上げている通り、ダンブルドアは我輩の事を信用してくださっている」
「では、わしも再度申し上げておこう」
ムーディが言った。
「ダンブルドアがどうであろうと、わしはわしの持論を元に人を判断する。そして例えダンブルドアが君を信用しているのが事実だとしても、ハリーやサラを恨む人物に興味を持っているのもまた事実であるとな」
スネイプは忌々しげにムーディを見ると、フイと背を向け去って行った。
ムーディはサラに向き直る。魔法の眼が、サラの鞄を捉えた。
「変身術かね?」
「……ええ、まあ」
サラは思わず、鞄を抱きかかえるようにする。腕に包み隠したところで、鞄の中の本を当ててしまう魔法の眼に効果は無いのだが。
ムーディの普通の眼の方は、サラに向けられていた。
「しかし、その内容は四年生には随分と早い気がするが」
「興味があったので……」
「ふむ……君は、アニメーガスになりたいと考えているのかね?」
「特に、そこまでは……あくまでも、学術的興味です」
「しかし、君は優秀だ。もしなりたいと考えているのなら、不可能ではないだろう」
また、あの眼だ。まるで、崇めるかのような。
「しかし、奇遇だな。こんな所で君と会うとは――君とは一度、話をしたいと思っていた」
「何を仰るんですか。『忍びの地図』をハリーから預かったのでは?」
「聞いていたか。では、その晩の会話も?」
「……はい」
バーテミウス・クラウチが、スネイプの研究室を探っていた。彼も、ムーディも、かつて死喰人だった者達を信用してはいない。
そして、はたとサラは気付く。
「先生――先生は以前、私にマルフォイの父親が何をしたか知っているのかとお尋ねになりました。若しかして、ご存知だったのですか? ルシウス・マルフォイが、祖母を――」
「知っていた、とまで断定はできないが、検討はついていたと言えるだろう」
「……証拠が、無かった?」
「その通りだ。闇の印が上がった。だから犯人は死喰人に違いない。しかし、その頃には闇の帝王も失脚した後で、ルシウス・マルフォイは無理矢理従わされていたと弁明していた。己が主を裏切った奴が、六年も経って死喰人として活動する理由も見付からない。直前呪文も杖を紛失していたと言われれば、証拠不十分。そもそも奴とシャノンが同時に日本のあの近辺にいたのは全くの偶然であり、計画犯罪の立証は出来なかった。だが、あの場でシャノンを殺し闇の印をあげられた人物など、彼を置いて他にいない」
「そうだ……どうして、ルシウス・マルフォイは六年も経って、祖母を殺したのでしょう? 庇ってもらえるご主人様もいないのにそんなリスクを犯して、彼に一体何の得が?」
どうして、祖母は殺されねばならなかったのか。
よくよく考えれば、不可解だ。ムーディも、難しげに唸った。
「それは、わしにもよく解らん。だからこそ、奴を捕まえられなかった訳だしな。大方、裏切り者として制裁されるのを恐れての保険と言ったところだろうとは思うが……」
「それでは、ルシウス・マルフォイはヴォルデモートが何れ復活すると予期していると?」
「死喰人の残党が恐れるのは、主だけではない」
ムーディの眼は暗い。
「今も監獄に入っている死喰人――最後まで主を崇め続けた者達は、主の失踪後に言い逃れをして裏切った者達を、決して許しはしないだろう」
確かに、そうかも知れない。だが、それでもやはり理由としては弱い気がしてならなかった。現在獄中にいるかつての仲間。彼らは、アズカバンにいるのだ。恐らく、永久に出る事などあるまい。――ヴォルデモートが、復活しない限りは。
やはり行き着く先は、ヴォルデモートそのものへの恐怖。だが、何故? ダンブルドアはいつの日かヴォルデモートが復活する日が来ると言っている。しかし、彼の言葉をルシウス・マルフォイが信じるとは思えない。
「シャノンは、奴らをどう思っている?」
不意に、ムーディは言った。
「死喰人の残党だ。特に、君の祖母を殺害した犯人――ルシウス・マルフォイを、どう思うか」
「憎いですよ」
サラは間髪入れずに、さらりと言った。
「当然です。――でも、私にはどうしようもありませんから。だから、先生――いえ、これは闇祓いのマッド−アイ・ムーディ氏にお願いです。必ず、彼らを捕まえてください」
言って、サラはにっこりと微笑う。
「君自身が、捕まえる立場になりたいと思った事はないか?」
「……と、仰いますと」
「闇祓いだ。君の祖母も、優秀な闇祓いだった。将来の就業先として、考えた事はないかね?」
サラは、内心ホッと安堵の息を吐く。見抜かれた訳ではなかったらしい。
「実を言うと、考えてはいます。闇祓いと、予見者と。祖母は、私の憧れですから。
ただ、そのためには魔法薬の成績を何とかしないといけませんけど」
「魔法薬学が苦手なのかね?」
「はい……暗記項目は平気なんですけど、調合がどうにも苦手で」
「材料の効果や調合法を覚えられるのならば、後は加減と慣れだ。君なら、大丈夫だろう。魔法薬学の基本は、薬草学にも通じるものがある。材料の事となると、そちらとも内容が重なるからな。そちらで伸ばして行くと言う手もあるだろう」
「え……あ……はい」
これは、アドバイスと受け取って良いのだろうか。
どうにも、彼と話すのは慣れない。
「シャノン――君は、我々の仲間になる素質がある」
仲間。もちろんそれは、闇祓いの事だろう。
だが、サラは素直に礼を述べることは出来なかった。居心地の悪い――あの、視線。
「――貴方は、私をどなたと重ねて見ているのですか?」
思わず、口にしていた。
ムーディの眼が僅かに見開かれる。サラは急いで、ぺこりと頭を下げた。
「失礼します」
早口に言って、小走りにその場を去る。
嫌だった。
自分でも、はっきりとした理由は解らない。ただ、彼の視線から逃れたかった。
彼は、サラを通して誰かを見ている。――祖母と言う可能性もある。むしろ十分にその可能性は高い。ハグリッドの話ではサラと祖母の若い頃はよく似ていて、そして祖母は闇祓いだった。同じ闇祓い同士、見知った関係であっても何ら不思議ではない。
だが、彼の見ている相手が祖母だとは思えなかった。
サラは、鞄を抱いたままの腕に、ぎゅっと力を入れる。変身術の参考書。アニメーガスに関する物。
この計画は、誰にも悟られてはならない。特に、彼には。――そんな、気がした。
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2011/05/22