――絶望的ね。
 サラは、談話室へと持って来た最後の本を閉じた。
 サラとハリーの周りに、堆く積まれた本の山。残り十分もしない内に、第二の課題当日になる。ロンとハーマイオニーはマクゴナガルに呼ばれたまま、まだ帰って来ていなかった。
 ハリーも、手元に広げていた本を閉じる。
「……あった?」
 サラの問いかけに、ハリーは無言で首を振った。
 二人は無言で、座り込んでいた。ロンとハーマイオニーが帰ってくる気配は無い。
 サラが、席を立った。
「ハリー……貴方、もう寝ないと。明日に備えないといけないわ。また明日の朝、探しましょう。課題は九時半だもの……それまでにも、時間はあるわ。きっと何か、方法は見付かるはず」
 言いながらも、それは絶望的だと思われた。
 これまで、何日も何週間も探し続けていて見つけられなかったのだ。ハリーがもう少し上の学年ならば、魚か何かに変身するという手段もある。しかし、ハリーは四年生。課題は、十七歳以上を対象に設定された。その時点で、ハリーに手段は無かったのだ。
 二人はその場で無言で別れ、それぞれ寮への階段を上がって行った。
 寝室に戻りパジャマに着替えながら、サラはじっと考え込む。
『僕、シリウスみたいにアニメーガスになる方法を習えば良かった』
 アニメーガス。サラも独学で学んではいるが、習得にはまだ程遠い。他人を変身させる魔法も、人間に対して実験した事も無く心許無かった。成功するかも分からない。けれども、ここまで来たら最終手段として考慮に入れた方が良いかも知れない。
 ――そう、最終手段。
 成功が怪しいのも原因の一つだが、それ以前にサラがアニメーガスを学んでいるという事を誰にも悟られたくない。
 サラは静かに、棚の上の水晶玉に歩み寄る。手をかざすと、崖の上の情景が浮かび上がった。
 水晶玉に何かを視るには、時間と集中力が必要だった。しかし一度目にした情景は、記憶の視覚化という形で直ぐに再生する事ができた。祖母が殺された情景と――もう一つ。
 場面は切り替わり、暗雲垂れ込める暗い島が映し出される。これを視る事が出来たのは、新学期になってから。ハグリッドが小屋に閉じこもり最初に会いに行った、その晩だ。
 調べた結果、そこはアズカバンの可能性が高いと分かった。何故そこに、彼がいるのかは分からない。過去の逮捕歴に、彼の名前は無かった。現在はもちろん、のうのうと自宅で暮らしている。そうすると、未来の事なのだろうか。
 マルフォイ家には、サラを避ける呪文が施されてしまった。恐らく、防御呪文を破っても何らかの対策は取られている事だろう。
 ――だが、未来の事なんて彼らは知らない。
 アズカバンは鉄壁の監獄。そう、信じられている。そして彼が囚人としてそこに入るのならば、防御呪文なんて施しようが無い。
 鉄壁の監獄。しかし、そこから脱獄した前例はある。――そして、その手段をサラは知っていた。





No.23





 翌朝、待てども待てどもハリーは談話室に降りてこなかった。昨晩遅かった分、眠り込んでしまっているのかも知れない。ハーマイオニーも結局、夜の内に寝室へ戻って来る事は無かった。恐らく、ロンもだろう。サラは仕方なく、一人で朝食をとりに大広間へ降りて行った。
 大広間へ入り、サラはふとスリザリンの席に目を留めた。
「――アリス!」
 妹の名前を呼び、振り返ったアリスを手招きする。アリスはパンジー達スリザリンの仲間達に一言二言話すと、席を離れてやって来た。
「おはよう、サラ。どうしたの?」
「水の中で息が出来るような魔法薬って、持ってない?」
 ハリーが知ったら、嫌がるかも知れない。サラ達三人以外には力を借りず、何とかしようとしていたのだ。
 しかしもう、そんな事を言っている場合ではない。
 アリスは目をパチクリさせていた。
「持ってないわ」
 サラは眩暈がするのを感じた。絶望的だ。もう、手段は無い――
「いつまでなの? 無くても、作る事は出来るかもしれない。液体を弾く魔法薬なら既にあるのよ。それを改良して、酸素を取り込めれば良い訳だから――」
 サラは力無く首を振った。
「それじゃ、遅いわ」
 それで、アリスはピンと来たようだった。辺りに視線を走らせ、声を低くする。
「三大魔法学校対抗試合ね? ハリーの課題なのね?」
 サラは口を噤み、けれども観念して頷いた。
「マーピープルに奪われた物を、取り返さなきゃいけないんですって……。当然、水中だわ。でもハリーは、そんなに泳ぐ事は出来ない、って」
「それじゃ、別に息をするのが目的って訳じゃないのね?」
「ええ、まあ……」
「それなら手段はあるわ。魔法薬の材料にそんな物があったのよ――鰓昆布が」
「鰓昆布?」
「ええ。それを食べれば、一時間の間、鰓呼吸をする事が出来る。問題は、どうやって課題までに入手するかだけど――」
 皆まで聞かぬ内に、サラは駆け出していた。
 大広間を飛び出し、地下へと階段を下りる。直ぐに使えるよう、杖をポケットから引っ張り出す。
 スネイプの研究室の前まで来た所で、サラは立ち止まった。どうして、ここにいる。
 エリの方も、現れたサラの姿にぎょっとしていた。
「な、なんでここに――!?」
 二人の声は重なった。エリはおどおどと目を泳がせている。
 サラは出していた杖を再びしまいながら、扉に目をやる。
「……スネイプの研究室に、何か用でも?」
「あたしは、別に……たまたま、通りかかっただけで……そ、そっちこそ、何の用だよ?」
「私も同じ。通りかかっただけよ」
「グリフィンドールの寮は上の方の階だろ」
「ハッフルパフだって、こちら側では無かったと思うけど?」
 二人は無言で、睨み合う。
 先に身を引いたのは、サラだった。こんな所で下手に長居して、当の本人にでも見付かったら面倒だ。透明マントを持って、出直して来た方が良い。
 立ち去ろうと振り返ったちょうどその時、廊下の向こうから「当の本人」が歩いて来た。彼はサラ達を目に留め、真っ直ぐに歩いて来る。
「犯人は現場に戻って来るというのは、事実のようだな? シャノン」
 スネイプは冷たい瞳で、サラを見下ろしていた。
「……何のお話ですか?」
「白々しい事よ。昨晩からつい先程までの間に、我輩の研究棚から鰓昆布が盗まれた。鰓昆布だ。食せば、一定時間の鰓呼吸を可能にする。見え透いた事よ。貴様は恐らく、友人のハリー・ポッターを手伝い――」
「私はたった今、ここを通りかかったばかりです!」
 スネイプの話は、実際、サラが実行しようとしていた事だった。しかし、既に盗まれている? ハリーも気付いたのだろうか。先に、ここへ来たのだろうか。それとも、他の選手が?
 何にせよ、サラはまだ盗んではいない。スネイプの話の犯人は、別にいるのだ。
「見え透いた嘘を――!」
 スネイプはサラの腕を乱暴に掴む。
「貴様も終わりだ、シャノン! 我輩の研究室から盗みを働いたな!? 早々に荷物をまとめるが良い。我輩には分かっているぞ! 以前にも貴様らは、我輩の研究室に忍び込んだだろう。バイコーンの角と毒ツルヘビの皮だ。そして、つい先日も同じ物を盗みに入った! ポッターが夜中に出歩いていたのを、我輩は知っている! あれはポッターに違いない! ポッター自身が盗みに入ったのか? ポッターを囮に、貴様が盗みに入ったのか?」
「言いがかりです!」
 誰が好き好んで、何度もスネイプの研究室なんかに来るものか。いっその事、そう怒鳴りつけてやろうか。
「おい、スネイプ。やめろって」
 エリが、サラの腕を掴むスネイプの手を解いた。そしてサラの両肩に手を置き、目を真っ直ぐに覗き込む。
「サラ。お前、スネイプの研究棚から盗ったりしたか?」
「……いいえ」
 忍び込んだのはサラではない。しかし、二年生のときの事については、厳密には白とは言えなかった。
 だがもちろん、白状する気など毛頭無い。
「本当だな?」
「本当よ」
 今度はきっぱりと、サラは言い放った。
 エリの手が離れる一瞬、腕時計が目に入った。――八時半。
 せっかく早く起きたのに。後一時間で、他の手段なんて見つけられそうに無い。鰓昆布を盗みに入ったのがハリーである事を祈るしかなかった。
「どうも、真実を全て話しているとは思えんな」
 再びスネイプがサラの腕を掴んだ。黒い瞳が、サラの灰色の瞳を捕らえる。
 ふっと先程のアリスとの会話が脳裏に浮かんだ。駆け出すサラ。しかし、そこにはエリがいて。時間は巻き戻され、昨晩の事が思い出される。談話室に積み重ねられた本の山。課題とは別に、寝室に置かれた本。そして棚の上の水晶玉。落ちて行く祖母。そして、暗い島に囚われたルシウス・マルフォイ――
 サラは力任せに、スネイプの腕を振り払った。ふいっと視線を逸らし、一目散に駆け出す。
 ――不味い。
 今のは、開心術だ。本でしか読んだ事が無いが、間違いない。
 サラによる盗難を疑ったスネイプは、その真意を探ろうとした。
 しかし当然、サラはまだ盗んでいない。代わりに彼が見たのは――
 息を切らして、談話室への階段を駆け上がる。
 気付かれてしまっただろうか。サラの企てに。ルシウス・マルフォイへの執念に。

 談話室にいる生徒達は、そろそろ競技場へ向かおうといった雰囲気だった。それでも無人ではない。サラは、談話室を出て行こうとするネビルを捕まえて言った。
「ネビル。ハリー、寝室にいるか分かる? 若しまだ寝てるようなら、叩き起こしてくれない?」
 ネビルは頷くと、男子寮への階段を上がって行った。
 サラは、近くで談笑しているパーバティに時間を尋ねる。もう、九時になろうとしていた。時間を見て、彼女達もそろそろ行こうかと立ち上がる。
 間も無く、ネビルは戻って来た。
「ハリー、いなかったよ。もう九時だし、選手は早めに集合したんじゃないかな」
 ネビルの言う事も、尤もかも知れない。
 スネイプの研究室から、鰓昆布が盗まれていたのだ。その犯人がハリーである可能性が高くなった。
 若干の不安を抱きつつも、サラはネビルと共に湖へと向かった。
 ……しかし、ハリーはまだ来ていなかった。
「どう言う事……!? ハリーだけまだ、来てないなんて!」
 湖の淵に立ち並ぶ、三人の選手。審査員席は騒然としていた。後十五分もすれば、第二の課題は始まってしまう。
「ハリー、どうしたんだろう……」
「本当に、寝室にはいなかったのよね?」
「本当だよ。カーテンを開けて確認したんだ――サラ?」
 サラは城へ向かって駆け出していた。
 ハリーが逃げ出すなんて、考えられない。まさか、誰かに何かされて来られない状況にでも陥っているのだろうか。スリザリン生、他の選手、年齢制限を無視しての参加を未だ快く思っていないハッフルパフ生やレイブンクロー生、敵は幾らでも考えられる。
 まずは、ハリー本人を探し出さないと。
 玄関ホールには、遅い生徒達がうろちょろしていた。皆、湖へと向かいつつある。サラは傍の空き教室に潜り込むと、玄関ホールの方に気を配りながら呼ばった。
「クリーチャー!」
 パチンと音がして、襤褸を腰に纏った姿がその場に現れた。恭しく挨拶するクリーチャーに、サラは言い放つ。
「お願い。ハリーを探して。大至急。見つけたら、教えてちょうだい」
「かしこまりました」
 クリーチャーは再び音を響かせ、その場から掻き消えた。サラは空き教室を飛び出し、大理石の階段を一気に八階まで駆け上がる。
 真っ直ぐに向かったのは、男子寮だった。ハリーの寝室は、階段をずっと昇った所にあった。確かに、誰もいない。息を整え、神経を尖らせるが、辺りに魔法使いの気配は無かった。
 談話室まで降りた所へ、クリーチャーが姿を現した。
「見つけました、ご主人様。図書館です」
「ありがとう、クリーチャー」
 クリーチャーは一礼する。そうして姿くらまししようとするのを、慌てて呼び止めた。
「――ねえ。一つ、質問しても良いかしら?」
「何なりと」
「クリーチャーは……若し、私が貴方に衣服をプレゼントしたら、どう思う?」
 クリーチャーは大きく丸い目を更に丸くしていた。
「滅相もありません。衣服だなどと……屋敷僕妖精にとってそれは、解雇を示します。非常に屈辱的な事で――」
「主に対して『自由になりたい』なんて言えないから、って言うのは無しよ。貴方の本心を聞かせて。これは、命令」
 クリーチャーは驚いたように、目を瞬く。
 そして、言った。
「クリーチャーめは、あの家を離れとうございません。奥様に、お仕えなさっていたいのです。坊ちゃまとの約束でもありますから。もちろん、その約束が無くても奥様は素晴らしいお方です。ブラック家にお仕えなさっている事は、クリーチャーめの誇りなのです」
「シリウスとの約束?」
 クリーチャーは激しく首を振った。
「あんな裏切り者の事ではございません! 奥様を嘆かせる――穢れた――」
「シリウスは私の父よ」
 サラの冷たい声色に、クリーチャーは口を噤んだ。
「……もういいわ。私も、急がなきゃ。ハリーを見つけてくれて、ありがとう」
 サラはポンとクリーチャーの頭に手をやり、その横を通り抜けて行く。
 肖像画裏の扉を出て行く間際、背後でクリーチャーが呟いた。
「奥様はサラ様をたいそう目にかけておられました……。サラ様は良いご主人様なのだと、坊ちゃまのような素晴らしい方なのだと、クリーチャーめは信じたいです……」
「え?」
 振り返ったそこに、もうクリーチャーの姿は無かった。





 九時半まで、あと十分も無い。図書館へ飛び込もうとしたその時、扉が大きく開き中からハリーが飛び出してきた。
「サラ!」
「ハリー! こんな所で何してるのよ!? もう始まるわよ!? 方法が見付かったの。鰓昆布って言う魔法薬の材料になるような物があるらしくて――」
「大丈夫。それを手に入れたよ。話は後だ。早くロンを助けなきゃ」
 言って、ハリーは駆けて行く。サラは慌ててその後を追った。
「ロン?」
「マーピープルの歌は、大切な物を奪い返せって言ってた――それが何なのか、さっきドビーが教えてくれたんだ――ロンだ」
「嘘――そんな――」
「大丈夫。必ず、助け出す」
 階段を三段飛ばしで駆け下りて、玄関ホールを突っ切って行く。
 湖まで近付き、サラはハリーの背中を軽く叩いた。
「それじゃ、頑張って!」
「うん」
 ハリーと分かれ、サラは一人、観客席へと向かう。
 観客席は既に満員だった。先程ネビルと一緒にいたのがどの辺りかも分からない。きょろきょろと辺りを見回していると、人ごみからぽんと頭の飛び出た人物が大きく手を振った。
 サラはそちらへと駆け寄る。
「ハグリッド!」
 傍まで行くと、ネビルも一緒にいた。ハグリッドはきょとんとした表情でサラに尋ねる。
「ロンやハーマイオニーは一緒じゃねぇのか?」
「この課題、大切なものを取り返すって説明あったでしょう? それが……大切な人、だったのよ……。それで、ハリーの助ける相手にロンが……」
「ええっ!?」
 ネビルが声を上げる。
 下方では、バグマンの合図により課題が開始されていた。他の選手達が次々に湖へ飛び込んで行く中、ハリーは水中に佇んでいる。
「まさか……ハリー……」
 失敗したのだろうか。昨晩まで手段を探していたのだから、ハリー自身も鰓昆布に気付いたのは今日になってからの筈だ。当然、一度も試せてはいない。
 若しハリーが助けに行けないのだとしたら、ロンは――
「大丈夫だ」
 ハグリッドの大きな手が、サラとネビルの頭に載せられていた。
「ハリーなら出来る。ハリーなら、やってくれる」
 周囲からは、笑い声が上がっていた。スリザリン生が野次を飛ばしている。
 サラはハグリッドを見上げる。もじゃもじゃの髭の向こうで、黄金虫のような小さな瞳が温かく微笑っていた。その目を見つめ、サラは頷く。
 ――そうだ。ハリーなら、やってくれる。ましてや、さらわれたのはロンだ。彼が、親友を諦める筈が無い。
 その時、ハリーが行動を起こした。
 バシャッと水飛沫を上げて、ハリーは水中へと潜って行った。
「ポッター選手、遅れて飛び出しました! 果たして、他の選手達に追いつく事が出来るのでしょうか――」
 バグマンの実況が入る。
「追いつくわよ! ハリーなら、絶対!」
 サラは拳を握り締め、叫んだ。
 ネビルが、ハグリッドの向こうから顔を覗かせる。
「ところで、ハーマイオニーは?」
「それが、私も分からなくて……。昨日、ロンと一緒に呼び出されたまま、戻って来なくて――」
 サラは、ハッと顔色を変える。
「――まさか!」
 静かな湖面。ハリー、セドリック、フラー、クラムの四人は今、この水中にいる。さらわれた大切な人を、救い出すために。
「ハーマイオニーも……マーピープルにさらわれたんじゃ……」
「ハーマイオニーも!? でも、ハリーの人質はロンなんだろう?」
「クラムよ!」
 サラは歯噛みした。
「ビクトール・クラム。きっと彼の人質にされたんだわ」
 苛々とした感情が募るのをサラは感じた。
 彼は、本気なのだ。本当に、ハーマイオニーを大切に思っている。たった一人の人質に、彼女が選ばれるほどに。
 ――絶対に助け出さなきゃ、承知しないんだから……!

 三十分が経った時、湖面に異変が現れた。
 ごぼごぼと激しい勢いで、水泡が浮かんでくる。客席がざわめいた。水面に波紋が広がる。
 そして、ざわめきの中から悲鳴が上がった。
「人だ!!」
 観客席は騒然とする。バグマンがざわめく生徒達を制した。マダム・マクシームが真っ先に駆け出して行った。ダンブルドアとバグマン、パーシーの三人が、浮かんできた身体を岸まで運び上げる。
 フラー・デラクールだった。
 綺麗なシルバーブロンドの髪は、水にぐっしょりと濡れ彼女の白い肌に張り付いていた。その顔は、寒さの所為か青ざめている。
 彼女はマダム・ポンフリーの待ち構えるテント下へと連れて行かれた。意識はあるらしい。地面に座らされ、すぐさま毛布に包まれる。人質の安否を嘆くフラーを、マクシームがなだめていた。
 観客席に緊張が走る。フラー・デラクールの脱落。彼女の人質は、どうなるのだろう。
 そして選手の一人が脱落した今、他の選手達の安否も危ぶまれた。彼らは無事、戻って来る事が出来るのだろうか。
 いても立ってもいられなくなり、サラは席を立った。
 湖の畔に佇み、じりじりと選手の帰りを待つ。
 自分も選手だったなら。サラも選手だったなら、この湖に潜り皆の無事を確認する事が出来たのに。ハーマイオニーの救出をクラムに任せたりなんかしなかったのに。
 やがて、バグマンが声を拡大して告げた。
「――開始から六十分が経ちました」
 サラは絶望的な表情でバグマンを振り仰ぐ。
 一時間。制限時間を過ぎてしまった。
 ――一時間のその後は――もはや望みはありえない。
 ハリーから聞いた、卵に入っていた歌だ。望みはありえない――それでは、人質達は――
 その時、水面から人影が飛び出した。サラはハッとそちらに目を向ける。
 セドリック・ディゴリーとチョウ・チャンだった。彼らもまたマダム・ポンフリーの所へと連れて行かれる。
 それから少しして、再び湖面に人影が現れた。その片方が誰なのかを見て取り、サラは水際まで駆け寄った。
「ハーマイオニー!!」
 ローブが濡れるのも構わず、パシャパシャと水飛沫を上げて駆け寄る。ハーマイオニーはクラムから離れ、サラの胸に飛び込んだ。
「大丈夫、ハーマイオニー!? 私……もう、駄目かと……」
「平気よ。大げさねえ」
 そう言って、ハーマイオニーは笑う。
「だって。フラーが脱落したの。制限時間を過ぎてやっとディゴリーとチョウが戻って来ただけで……」
「ハリーはまだなの?」
「ええ」
 ハーマイオニーの表情が翳った。
 クラムとハーマイオニーは、フラーのいる所へと案内されて行った。マダム・ポンフリーの手によって、毛布に包まれる。
 それからの時間は、長く感じられた。残るは、ハリーとロンのみ。それに、フラーの人質はどうなったのだろう。このままハリーが戻って来られなかった場合、彼らはどうなるのだろう。
 ただ祈るしか出来なかった。手を組み、一心不乱に湖面を見つめる。

 どれ程経っただろうか。ふと、湖面が揺れた気がした。
 水上の酸素を求めるように、眼鏡をかけた少年の頭が水面から飛び出した。続いてその周りに、二つの頭が引っ張り上げられる。ロンと、もう一人はフラーと同じシルバーブロンドの女の子だった。三人とも湖の泥やら苔やらを頭から被ってしまっている。
「ハリー! ロン!」
 驚いた事に、パーシーが真っ先に三人に駆け寄って行った。半狂乱になって叫ぶフラーは、マダム・マクシームに抑えられていた。
 岸まで引っ張ろうとするパーシーの手を、ロンは照れくさがって拒絶する。ダンブルドアとバグマンが、ハリーに手を貸して立たせる。もう一人の少女は、マクシームの制止を振り切ったフラーに抱きしめられていた。
「グリンデローなの……私、襲われて……ああ、ガブリエル、もう駄目かと……駄目かと……」
「良かったわ、ハリー。心配したのよ。貴方だけ全然戻って来ないんだもの……」
 ハリーはちらりとロンを見て、不機嫌気に口を結んだ。
 ハリーもまた、毛布に包まれ煎じ薬を飲まされる。ロンは未だ、パーシーに捕まっていた。先に毛布に包まっていたハーマイオニーがハリーに話しかけた。
「よくやったわ、ハリー! 出来たのね。自分一人でやり方を見つけたのね!」
「えーと――うん、そうさ」
「髪にゲンゴロウが付いているよ、ハーマイオニー」
 クラムが言って、手を伸ばす。彼の手が毛布から抜け出す前に、ハーマイオニーは自分でゲンゴロウを払い落とした。
「でも貴方、制限時間を随分オーバーしたのよ、ハリー……私達を見付けるのに、そんなに長くかかったの?」
「出発が他の皆より遅れたわよね。やっぱり、それが響いたのかしら」
「ううん……ちゃんと見つけたんだけど……」
 やはり、ハリーはムスッと黙り込む。
 ダンブルドアの一声で審査員達が会議に入り、ロンは漸く解放された。ポンフリーは続けて、フラーとガブリエルを迎えに行く。
「まったく、やんなっちゃうよ。パーシーの奴、大げさなんだ」
「自分の弟がマーピープルにさらわれたまま、なかなか帰って来ないんだもの。そりゃあ、心配にもなるわよ。ロンだって、自分が待つ立場でジニーがさらわれたりでもすれば、心配するでしょう?」
「どうかな」
 ロンは肩を竦めて言ったが、心配し取り乱すであろう事は間違いなかった。
 フラーはこちらへやって来ると、ガブリエルをポンフリーに預けてハリーに向き直った。
「貴方、妹を助けました――あの子が貴方のいとじちではなかったのに」
「うん」
 ハリーの声は、沈み切っている。制限時間を大幅に遅れた事を、悔いている様子だった。
 完全に意気消沈していたハリーの目が、大きく見開かれた。フラーが、ハリーの両頬にキスをしたのだ。サラは目をパチクリさせる。直視するのも気が引けて、頬を僅かに染めながら視線を外した。
 フラーのキスは煎じ薬なんかよりもずっと特効性があるらしく、青ざめていたハリーの顔は真っ赤になっていた。
 フラーは、ロンにも続けて言った。
「それに、あなたもです――手を貸してくれました――」
「うん。まあ――ちょっとだけね――」
 フラーは、ロンにもキスをした。
 ハーマイオニーがフンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。クラムの事など、まるで眼中に無い。サラは少し、気分が良くなるのを感じた。
 どうやら、会議が終わったらしい。魔法で拡大されたバグマンの声が辺り一帯に轟いた。
「レディース・アンド・ジェントルメン! 審査結果が出ました。マーピープルの女長、マーカスが、湖底で何があったのかを仔細に話してくれました。それを踏まえ、五十点満点で各代表選手は次のような得点となりました――」
 フラー・デラクール、二十五点。セドリック・ディゴリー、四十七点。ビクトール・クラム、四十点。
 バグマンはそう、述べた。人質を助ける事が出来たか否か、そしていかに早く戻って来られたかを総合した点数だ。
「ハリー・ポッター君の『鰓昆布』は、特に効果が大きい。戻って来たのは最後でしたし、一時間の制限時間を大きくオーバーしていました」
 サラは肩を落とす。やはり、最後だと言うのは大きな痛手か。せっかく、第一の課題では首位に立ったというのに。
「しかし――」
 バグマンは続けて言った。
「マーピープルの長の報告によれば、ポッター君は最初に人質に到着したとの事です。遅れたのは、自分の人質だけではなく、全部の人質の安全に戻らせようと決意したせいだとの事です」
 サラはハリーに目を向ける。
 ハリーらしいと言えば、ハリーらしかった。無理も無い判断だ。しかし、その為に自分の点数を犠牲にしてしまうなんて。
「殆どの審査員が、これこそ道徳的な力を示すものであり、五十点満点に値するとの意見でした。しかしながら……ポッター君の得点は、四十五点です」
 サラは、ぽかんとハリーを見つめる。
 ハリーらしい損な役回り。しかしそれは決して、損では無かった。道徳的な力として、認められたのだ。
 観衆の拍手と共に、サラ達は強く手を叩いた。ハリーは唖然としている。
 ロンが、拍手の音に負けじと声を張り上げた。
「やったぜ、ハリー! 結局、君は間抜けじゃなかったんだ――道徳的な力を見せたんだ!」
「第三の課題――最終課題は、六月二十四日の夕暮れ時に行われます」
 割れんばかりの拍手の中、バグマンの声がした。
「代表選手は、そのきっかり一ヶ月前に、課題の内容を知らされる事になります。諸君、代表選手の応援をありがとう」
 全てが終わり、ポンフリーは選手と人質だった生徒達を立ち上がらせる。着替えの為に城へ連れて行かれるようだ。
 サラも立ち上がり観客席へと戻りながら、ハリーに手を振った。
「おめでとう、ハリー! 今夜はきっと、宴会よ!」
 サラは満面の笑みで言った。


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2011/06/06