川沿い、洋装店の並ぶ通り、公園の周辺、共に見て回った観光地――風に傘が煽られながらも、ドラコは町中を走り回る。日は暮れ、辺りは闇に包まれたが、サラは一向に見つからなかった。
逃げ出したと言う事は、あのマグルの女達が言っていた事は事実だったのだろうか。確かに以前、サラは日本にいた頃にクラスメイトを襲撃していたと噂が広まった事があった。
他にどうしようも無かった。
そう言って、あの子は泣いていた。けれどもまさか、あれ程の事をしていたとは。「コクバン」や「ケイコウトウ」はよく解らなかったが、他の話のように危険な所業であったに違いない。
ほんの一時、ドラコは迷ってしまった。彼女は敏感だ。ドラコが怖気づいた事に気付いてしまったのだろう。
相手の様子を伺うような、不安気な瞳。時折見せていたあの表情には、こんな意味があったのだ。
ずっと、三年間ずっと、気付きもしなかった。
彼女は恐れ続けていた。ホグワーツに入ってからの三年間は、あの子にとって本当にかけがえの無いものだったに違いない。その居場所を、その仲間を失う事を、ずっと恐れ続けていたのだ。
「おーい、そこの兄ちゃん。余所から来たモンかい?」
ドラコは僅かに眉を動かしながらも、振り返る。今は、マグルなんかの相手をしている暇などないのに。
けれど、ずっと黙って探し回る訳にもいかないのも事実。
声を掛けてきたマグルが話し出す前に、ドラコは早口で尋ねた。
「紫のカチューシャを付けた、長い黒髪の女の子を見なかったか?」
「さあ、見てないねぇ……連れかい? 兎に角、直ぐにこの辺りから離れな。ここらは最近、性質の悪い奴らの溜り場になってる。その子も、態々こんな所には来ないだろう」
「おおい」
また別のマグルが登場だ。
彼は、ドラコ達の所へやって来た。どうやら、二人のマグルは知り合いらしい。
「さっさと帰った方がいいぞ。直ぐそこでもめてやがる」
「そうか、ありがとう。さ、兄ちゃんも早くここから――」
しかしドラコは、彼が指差したそちらへと駆け出していた。マグルの止める声など、聞くものか。
嫌な予感がしてならなかった。
「サラ……!」
どうか、無事であってくれ。
No.3
日はとうに暮れた。薄手のワンピースは濡れて肌に貼り付き、サラの身体から体温を奪って行った。
足音が、サラの周りで止まった。怪訝に思い、サラは顔を上げる。四人の男達が、サラを取り囲んでいた。
一人がサラの直ぐ隣に腰掛けた。ぴったりとくっつくように座られ、僅かに座る位置をずらす。
「どうしたの? 雨に降られちゃった? 一人?」
隣に座った男の手が、肩へと伸びてくる。
その手が触れる前に、サラはすっくと立ち上がった。そのまま行こうとしたサラの肩を、男が掴む。
「おいおい、少し遊ぼうぜ」
「急いでるの」
手を強く払う。
しかし男は、サラの前へと回り込んだ。背後の男も立ち上がる。
「急いでなかっただろ。大丈夫、何も怖くないって」
男はサラの腕を掴む。
途端、男の足は宙に浮いた。一回転して、地面に背中を打つ。
掴み返した男の腕を離し、サラは涼しい顔で残りの三人に視線を向ける。ぽかんと呆気に取られていた男達の顔に、徐々に怒りが表れる。
「このアマ……!」
一斉に襲い掛かって来た。
一番近い男にこちらから向かい、足を払う。後ろから肩を掴まれ、振り返る。男は体重を乗せてくる。体勢を立て直すべく足を踏み込もうとしたが、別の男がその場に立っている。そちらからも頭を掴まれ、サラは地面に倒れこんだ。倒れた勢いで、覆いかぶさる男の顎を蹴り上げる。上から覗き込んで来た男には頭突きを食らわせた。髪を引かれ、再び仰向けに転がる。腕を押さえつけられ、開いた足の間に男が膝を突いた。そのまま男は、サラの上に覆いかぶさって来る。
突然、激しい音を立てて傍の街灯が割れた。
男達の動きが止まる。
「何だ?」
「あの街灯が割れた」
「どうして突然」
サラは足を引き、覆いかぶさる男の腹を強く蹴った。腹を抱えて、男は横に転がる。
起き上がったサラの腕を、別の男が掴む。他の男に蹴りを入れられ、再び地面に転がる。
駄目だ。多少体術が出来ようとも、男四人には敵わない。
街灯を割った時点で、もう規則は破ってしまった。去年のハリーと同じ事。癇癪で魔法を使ってしまったのだ。けれど、未成年魔法使いに関する条例によれば、これは正当防衛の内に入る筈。去年だって、ハリーは見逃された。
――これは、正当防衛だ。
サラは、鞄から引き抜いた杖を掴みかかろうとした男に向けた。一瞬停止した男は、きょとんとした表情になる。
例え正当防衛とならなくても、不正使用として追われる事になろうとも、もう構わない。シリウスという行く当てだってある。
サラは冷たく笑った。
「立ち去りなさい……怪我をするのが嫌ならね。加減をする気は無いわよ」
きょとんとしていた男達は、一斉に笑い出した。
「何だ? 何か取り出してきたかと思えば……そいつでチチンプイってか?」
げらげらと品の無い笑い声を上げる。警告は、無意味だったようだ。
正面の男が腕を大きく振りかぶる。サラは彼に照準を合わせた。
「ステュー……」
男の腕は振り下ろされ、ガツンと鈍い音が通りに響いた。
サラは呆然とする。サラの右腕は後ろ手に押し退けられ、杖は地面を向いていた。サラの前には、広い背中。
殴られたのは、ドラコだった。
彼はサラの手を引いて立ち上がる。男達は我に返り、後を追って来る。曲がり角に辿り着く事もなく、また追いつかれる事だろう。
「サラ! クリーチャーを呼べ!」
「ク、クリーチャー?」
「屋敷僕妖精だ! 持ってるだろ? 呼べば来る!」
サラは戸惑いながらも、何も無い暗闇に向かって叫んだ。
「クリーチャー! 来なさい!」
バチンと大きな音が通りに響いた。
現れたのは、一昨年出会った、薄汚れ年老いた屋敷僕妖精。サラは彼の腕を掴む。
男達は、直ぐ後ろまで追いついていた。手が伸ばされる。
「家へ!」
ドラコが叫んだ。
サラが目で合図をすると同時に、足元が消えた。
降り立った場所も闇に包まれてはいたが、路地裏のような寒々しい風貌ではなかった。突然現れた二人に、孔雀が驚いて離れていく。噴水の直ぐ脇に立った街灯が、庭をほんのりと照らしていた。
「帰れ」
ドラコは、クリーチャーにぞんざいな態度で言う。
クリーチャーは伺うようにサラを見ていた。サラは頷く。
「もういいわ……ありがとう」
クリーチャーは一礼すると、姿くらましの大きな音と共に姿を消した。
「母上がよく呼び出していたんだ。ほら、君の……アー……父親の件で……知らない方が幸せだと思って……」
どうでも良い説明をするドラコの手を、サラは振り払った。ふいっと背を向ける。
「……どうして、来たのよ」
「どうして、って……」
「私はドラコを騙していたのよ!? 自分が過去に何をしたのか、ずっと隠し続けてた!!」
殺すつもりなんて、全く無かった。実際、殺してもいない。
けれど、傍から見れば死にかねない事故ばかりだと言う事も、事実。
他に方法は無かった。そうする事でしか、生きていけなかった。そう、思っていた。報復が許されないのならば、サラはどうすれば良かったのだろうと。
けれど、違ったのだ。他に方法など、幾らでもあった。サラが、手段を選ばなかっただけ。目的の為には手段を選ばず――組分け帽子の選択は、正しかった。だから、不安になるのだ。確かにサラはグリフィンドールを選んだが、それは祖母の仇と同じ寮は嫌だというだけの話だったのだから。
話を聞いた時のドラコの表情。怯えた目。あれが、本来の反応なのだ。そんな反応をしておきながら、どうして。
「勘違いしているようなら言っておくけど、僕はマグルなんかに同情しない」
思いもよらない、そして聞きたくもない返答だった。
……すると、サラは一緒なのか。マグルを見下し、純血主義を掲げる彼らと。そんな見方で賛同なんて、されたくない。
「だから、その……マグルが何か言ったところで、サラの事を嫌いになったりする筈無いだろう。
それに昔はどうだか知らないけど、今のサラはもうそんな事しない筈だ」
「……そんなの、分からないわよ」
ひんやりとした夜風に、サラは腕をさする。けれどこの鳥肌は、寒さだけのものではない。
「私にだって分からないんだもの。するかも知れない。……去年も、シリウスをこの手で殺そうとした。その前は、エリを見捨てて逃げようとするロックハート……まあ、彼は殺そうとまでは考えてなかったけど。これからだって、分からない。
私……狂っているのかも知れないわ。時々、憎しみに全て支配されてしまうの。記憶が飛んでいるとか、別人格だとか、そう言う訳じゃない。我を忘れている訳でもないのよ。全て、私の意志。許せないの。報いを受けさせなきゃ、気が済まない。
けれど、周りを見ると誰もそんな事しないのよね……殆ど私と同じ境遇にあったって、憎んでいたって、相手を傷つける事が出来ない。すんでのところで、躊躇ってしまう。本当に憎むべき相手でも、いざその人が殺される段階になると止めてしまう。……ショックだったわ」
あの場で、サラだけだった。
どうして皆、堪えられるのだろう。どうして皆、止めるのだろう。どうして。
「攻撃されれば、仕返す。そのままやられているなんて、私には出来ない。痛めつけてやらなきゃ、後悔させてやらなきゃ、気が済まない。
ホグワーツへ来て、もう私は報復しない。誰も私を攻撃なんてしないから。そう、思っていたけれど――」
すっと肩に上着が掛けられた。その上から腕が回ってきて、サラを抱きしめる。
「しないよ。僕がいる限り、させない」
「……悪いけど、貴方が私を止められるかしら」
「止められる止められない以前に、サラは報復する必要なんて無いんだ」
サラは、後ろから抱きしめているドラコを振り返る。
ドラコの真っ直ぐな瞳と、視線がぶつかった。
「サラはもう、報復をする必要は無い。例え誰かが攻撃しても、僕がサラを守るから」
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The Blood
第2部
真実の扉開かれて
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2010/06/05