森は夕闇に沈もうとしていた。辺り一帯から、ばさばさと鳥が飛び立つ。
左足はズキズキと痛み、力が入らない。地面に座り込んだまま、エリはムーディを見上げる。目の前には、突きつけられた杖。
「……仲良くしようぜって態度には見えないけどな」
「お前の回答次第だ」
冷たい声。
エリは口を真一文字に結んで、彼を睨めつける。
「あんたがヴォルデモートの仲間だって言うなら、あたしを迎え入れた所で奴は喜ばないと思うけど」
「白を切っても無駄な事だ。裏切り者の卑しい下部がお前達の事は話した……お前達の母ナミは、苗字こそ違えどあのシャノンの娘だそうじゃないか。サラのみならず、お前達も彼女の血を引いていたとはな。闇の帝王と等しい、高潔なる血を」
エリは眉根を寄せる。
「は……? あんた、一体何を……」
「以前闇がイギリスを覆っていた頃、我が君が絶大なる力を示していた頃、我々死喰人にお教えくださった。
我が君の母上とシャノンの父上はご兄妹で、崇高なるサラザール・スリザリンの血を継ぐ家系なのだと」
No.30
「嘘だ!!」
叫んだのは、ハリーだった。彼は、キッとヴォルデモートを睨みつける。
サラは口を噤んでいた。嘘だ。そう思いたい。しかし、自信を持って否定する事が出来ない。
「勝手な事を言うな!! 何の証拠があってそんな事を言うんだ? サラはお前なんかとは違う!」
「今はお前に話していない、ハリー・ポッター。本人が最も解っている筈だ。類稀な能力、己の敵に抱く感情――サラ・シャノン、お前は薄々気づいていたのではないか? お前の居場所はそこではない。こちら側へ来るべきなのだと」
サラは答えなかった。
答えられなかった。ただ目を見開き、俯いていた。
自分は、スリザリンの子孫なのだろうか? ヴォルデモートと同じなのだろうか?
ハリーとは異なり説明が付かないパーセルマウス、サラの命令に従ったバジリスク、スリザリンが向いていると言った組分け帽子、思い当たる節は幾つかあった。
『柱の模様……絡み合っている……これは……二匹の蛇……。蛇が何の象徴か、皆様もお分かりでしょう……』
茶の葉は、真実を映し出していたと言うのか。
サラは、スリザリンの継承者なのか。
「丘の上の館が見えるか? 私の父親はあそこに住んでいた」
ヴォルデモートの父親は、魔女だと知るなり身重であった彼の母親を捨てたらしい。母親は死に、ヴォルデモートは孤児院で育った――親に育てられなかったのだ。
「お前の祖母も同じだ、サラ。彼女は魔力を抑えきれず、しばしば問題を起こしていたらしい……。幾つもの孤児院を盥回しにされた末、辿り着いたのが私のいた孤児院だった。運命的とも言えよう、まさか全く別の孤児院に預けられた従兄妹の二人が巡り逢おうとは……。
私は、父を見つけると誓っていた……復讐したのだ。私に自分の名をつけた、あの愚か者に……トム・リドル……。
サラ、お前も同じではないか?」
どきりと、鼓動が鳴る。
孤児院に預けられ、親の愛を受けずに育った。そして、仇を討つと誓った。何があったかを知ってから、ずっと、ずっと胸に秘めていたのだ。
「サラ……サラ、何か言ってくれ……!」
「否定など出来まい。サラ自身も勘付いていた筈だ。グリフィンドールなどと言う相対する中に入ってしまったばかりに、自分は異質な存在なのではないかと。
あいつは私との血縁関係をひた隠しにしていたようだが、無駄な事だ。私は当時忠実であると思っていた下部達に一度話しているし、彼らもお前達が私と同じ血を引く者である事を疑っていない。ブラックなんぞは、勘当した長男の子だと言うのにお前をブラック家の娘として呼び戻そうとした程だ。大方、私の下にいた次男から話を聞いたのだろう」
紅い双眸が、すっと細められる。
「ペティグリューについては相当な怒りを抱いているそうだな。こちら側に来ると言うならシャノン、お前に彼の処分は一任しても良いだろう」
サラは顔を上げる。正面に立ち、サラとハリーを見下ろすヴォルデモート。その向こうには、怯え震え上がる醜い男の姿。祖母とサラを日本へと追放し、祖母を死へと追いやった一因。
今し方告げられた真実への驚愕はいつしか薄れ、怒りの情が沸き起こっていた。
裏切り者。許さない。許してなるものか。
サラの瞳に、紅い光が過ぎる。
「駄目だ……駄目だ、サラ……! そんなの、迷う事じゃないだろ……!!」
ヴォルデモートは返事を聞かず、サラ達に背を向けた。墓から墓へと視線を走らせ、足を踏み出す。
「どうやら、私の真の家族が戻ってきたようだ……」
マントを翻す音が当たりに満ちた。墓の横、イチイの木の陰、闇の中から溶け出すようにして、人影が姿現しする。誰もが仮面を付け、フードを被っていた。
崖の上、そしてキャンプ場で見たあの姿。
彼らはヴォルデモートの前に跪き、一人、一人と這い寄って己が主のローブの裾にキスしていた。忠誠の挨拶を終えた死喰人から順に下がり、彼らは輪になってヴォルデモート、ハリー、サラ、ペティグリューを取り囲んだ。
輪に出来た穴も、ヴォルデモートの怒りと失望も、サラの目には映っていなかった。サラはただ一人、ワームテールから近い位置にいる魔法使いを見据えていた。
ルシウス・マルフォイ。祖母を殺した張本人。
ヴォルデモートに許しを請うた死喰人の悲鳴が、墓場に響き渡る。マルフォイも飛び出せば良い……磔の呪いを掛けられれば良い……。
しかし、彼が杖先を向けられる事は無かった。それどころかヴォルデモートは、未だ泣き続けていたペティグリューに銀色の義手を与えた。復活の手助けへの褒美だと、そう言って。
「ご主人様……素晴らしい……ありがとうございます……ありがとうございます……」
掠れた声で囁き、ペティグリューも他の死喰人達がしていたのと同じように彼のローブにキスする。
ペティグリューは輪へと向かい、ルシウス・マルフォイの左隣に立った。ヴォルデモートが、彼へと近付く。
「ルシウス、抜け目の無い友よ」
ヴォルデモートの冷たい声が囁く。
「世間的には立派な体面を保ちながら、お前は昔のやり方を捨ててはいないと聞き及ぶ。今でも先頭に立って、マグルいじめを楽しんでいるようだが? しかし、ルシウス、お前は一度たりとも私を探そうとはしなかった……。クィディッチワールドカップでのお前の企みは、さぞかし面白かっただろうな……しかし、そのエネルギーをお前のご主人様を探し、助ける方に向けた方が良かったのではないか?」
「我が君、私は常に準備しておりました」
ルシウス・マルフォイは、素早く答えた。
「あなた様の何らかの印があれば、あなた様のご消息がちらとでも耳に入れば、私は直ぐにお側に馳せ参じるつもりでございました。何物も、私を止める事は出来なかったでしょう。
あなた様は必ずお戻りになると信じておりました。だからこそ、歯向かう刃は一つでも減らしておこうとシャノンを手に掛けたのです」
しんとその場が静まり返る。
サラは怒りに震えていた。熱いものがこみ上げて来て、頬を雫が濡らす。
彼は確かに言った。サラの祖母の命を奪ったのだと、確かに認めたのだ。そしてそれは、この時のために彼が備えた保険だった。ただ、それだけのために。
「この殺――」
「お前が殺しただと? あいつを?」
サラの叫び声を、ヴォルデモートの低い声が遮った。
「お前ごときにあいつが仕留められるとは思えないが?」
「彼女は、孫娘と一緒にいましたから。彼女を助けるために、自分の防御はしませんでした。――そこにいるサラ・シャノンが、その場にいました。シャノンは確かに死んだと、証言してくれましょう」
「クルーシオ!」
ルシウス・マルフォイの悲鳴が迸る。
「この愚か者が! あいつを殺しただと? 私は言った筈だ。彼女は私の半身とも言うべき人物だと。いずれ我々と志を共にするはずだと話したと言うのに……貴様は、理解していなかったのか!?」
「わ、私は……」
息も絶え絶えの彼を、ヴォルデモートは無理矢理立たせる。
「か、彼女は我々に敵意しか向けませんし……我が君の再興を妨げる障害になりかねないと……あなた様に等しい力を持つのならば、尚更――」
「全ては私が戻った時のためだと、そう言うのか。それなのにお前は、この夏、忠実なる死喰人が空に打ち上げた私の印を見て、逃げたと言うのか?」
ルシウス・マルフォイは口を噤む。
「そうだ。ルシウスよ、私は全て知っている……お前には失望した……。しかし、シャノンの殺害が私への忠誠心からだと言うならば、これからはその忠誠心を証明してもらおう……もちろん、私の意図を誤らずに受け取った上でだ……」
「もちろんでございます。我が君、もちろんですとも……お慈悲を感謝致します……」
サラは、唖然とその光景を見つめていた。
祖母の従兄だと言うヴォルデモート。彼は、祖母の死を望んでいなかった。
一年生の頃に対峙した時も、彼は祖母の死を信じていなかった。否定しようとした。日記の中にいたりドルは、祖母がサラ・シャノンとして生き続けていると信じようとした。
祖母の死に苦しむのは、サラだけではなかった。
唐突に沸き起こった情に、サラは戸惑いを隠せなかった。ヴォルデモートは、敵なのだ。祖母の死も、元凶を辿れば彼の存在。彼による恐怖。
しかし、当の彼は――サラと、こんなにも似通っている。
『リドルって、初めて会ったような気がしないわ』
日記の中で彼と会ったとき、サラはそう言った。あの時は、彼が開心術を使い、意図的にそう演じていたからなのだと思っていた。
――でも、違った。
ヴォルデモートは既に、別の死喰人達の方へと歩を進めていた。この場にはいないレストレンジ夫妻に思いを馳せ、マクネア、クラッブ、ゴイル、ノット……そして、最も広く空いている切れ目の前に立った。
「そしてここには、六人の死喰人が欠けている……。三人は任務で死んだ。一人は臆病風に吹かれて戻らぬ……思い知る事になるだろう。一人は永遠に私の下を去った……もちろん、死あるのみ……。そしてもう一人、最も忠実なる下僕であり続けた者は、既に任務に就いている。その忠実なる下僕はホグワーツにあり、その者の尽力により今夜は我らが若き友人をお迎えした……」
不意にサラは自我を取り戻し、キッと彼を睨んだ。
既に任務に就いている死喰人。ホグワーツに潜り込み、ハリーの命を狙う者。
しかし、彼はその名を口にはしなかった。沈黙が流れ、死喰人らの視線がハリーとサラへと集まる。
ヴォルデモートは力を失ってからの十余年を語り、そして如何にして復活を遂げたかを話した。復活にはハリーが必要不可欠であった事。バーサ・ジョーキンズの失踪の真実。彼女の持つ情報の利用……。
「この通り、小僧はここにいる……私の凋落の元になったと信じられている、その小僧が……」
ゆっくりと、ヴォルデモートは歩み寄る。
そして、杖を上げた。
「クルーシオ!」
「ハリー!」
ハリーは首を振り、足をバタつかせ、縛られた身体を捩じらせて身悶える。割って入ろうにも、サラは身動きが取れない。
「やめて!! やめなさいって言ってるのよ!!」
ヴォルデモートは薄ら笑いを浮かべ、杖を下ろした。
ハリーはぐったりとしたまま、動かない。ぞっと悪寒が這い上がってくる。
「ハリー! ねえ、ハリー! 返事して……!!」
「見たか! この小僧がただの一度でも私より強かったなどと考えるのは、なんと愚かしい事か。
もう誰も間違えぬようにしておきたい。ハリー・ポッターが我が手を逃れたのは、単なる幸運だったのだ。今ここで、お前たち全員の前でこやつを殺す事で、私の力を示そう。ダンブルドアの助けもなく、この小僧のために死んでゆく母親もない。だが、私はこやつにチャンスをやろう。戦う事を許そう。そうすれば、どちらが強いのか、お前たちの心に一点の疑いも残るまい。もう少し待つのだ、ナギニ」
近くまで寄って来ていた大蛇が、するすると草むらの中へと消えて行った。ハリーは目を開け、ヴォルデモートを見上げる。
「さあ、ハリー・ポッターの縄目を解け、ワームテール。そして、こやつの杖を返してやれ。サラ、お前もそこでよく見ていると良い。どちらにつくのが賢いか、解るだろう……」
縄が解かれ、ハリーは立ち上がった。しかし上手く立ち上がる事は叶わず、ハリーの身体がぐらりと傾く。
「ハリー!」
死喰人達が間合いを詰め、輪に出来ていた空白が無くなる。逃げ道は絶たれた。
ペティグリューが、輪の外に横たわるセドリック・ディゴリーの亡骸の方へと歩いて行った。地面に放られていたハリーの杖を手に、輪の中へと戻って来る。サラの杖も、同じくディゴリーの横に残されているのが見えた。
ペティグリューは杖をハリーの手に押し付けると、逃げるようにして死喰人の輪の中へと下がった。
「ハリー・ポッター、決闘の方法は学んでいるな?」
ハリーは答えない。ただ固く、杖を握るばかり。
ヴォルデモートは優雅に手を胸に添え、軽く腰を折った。
「ハリー、互いにお辞儀をするのだ」
ハリーは佇んだままだ。ヴォルデモートは薄ら笑いを浮かべる。
「さあ、儀式の手順には従わねばならぬ……ダンブルドアはお前に礼儀を守って欲しかろう……死にお辞儀するのだ、ハリー」
死喰人達がげらげらと哂う。
ハリーは動かなかった。ヴォルデモートが、杖を上げた。
「お辞儀しろと言ったはずだ」
不意に、ハリーの腰が九十度折れ曲がった。死喰人達の笑い声が大きくなる。
「よろしい」
ヴォルデモートは満足気に頷く。
ハリーと彼との間には、圧倒的な力の差があった。敵いっこない。
案の定、ハリーが身を守る間も無く、ヴォルデモートは再び磔の呪いを掛けた。片足でバランスを取っていたハリーは、呆気なく地面に倒れ伏した。閑散とした墓場に、悲鳴が響き渡る。
「やめてええぇぇぇぇ!!」
ハリーに負けずとも劣らない金切り声で、サラも叫んでいた。
「やめて!! お願い!! もうやめて……!」
紅い瞳が、サラへと向けられる。
そしてふっと悲鳴が止んだ。立ち上がったハリーはよろめき、死喰人の輪へと倒れ押し返される。
「ひと休みだ。ご友人に感謝するんだな、ハリー。しかし、ほんのひと休みに過ぎない……ハリー、痛かっただろう? もう二度として欲しくないだろう?」
ハリーは答えない。
やめてくれと言ったところで、ヴォルデモートがハリーを見逃すとは思えない。磔の呪いをやめたのも、ほんの気まぐれ。恐らく、こうしてハリーに懇願させプライドを引き裂くため。
けれども、嫌だと言えば油断させる事はできるかもしれない。思惑が叶ったという余裕から、隙が生まれるかもしれない。
「もう一度やって欲しいかどうか聞いているのだが? ――答えるのだ! インペリオ!」
沈黙が流れた。
授業で一度、見た光景だった。耐えているのだ。そして――
「僕は言わないぞ!」
ハリーの怒鳴り声に、死喰人達の笑いがぴたりと止んだ。
ヴォルデモートはもう、笑みを浮かべてはいなかった。冷たい瞳が、ハリーを見据える。
「言わないだと?」
ヴォルデモートは怒りと警戒を露にしていた。彼の服従の呪文を破った者は、今までいなかったに違いない。
ハリーは横っ飛びになって、地面に伏せた。そのまま、サラが縛られている墓石の裏に転がり込む。ハリーを捕らえ損ねた呪文が当たり、サラの顔のすぐ横に亀裂が走った。
「かくれんぼじゃないぞ、ハリー」
ヴォルデモートは小馬鹿にするような猫撫で声で話しながら、ゆっくりと歩み寄って来る。
サラの縄が僅かに引っ張られ、食い込む。背中の方から、ひそひそと早口で囁く声が聞こえた。
「分かるかい? セドリックの直ぐ傍に、君の杖もあった……。
僕が立ち上がったら、そちらへ走るんだ――杖を拾うんだ。僕には構わないで――君だけでも逃げるんだ。ダンブルドア先生に伝えて――」
「ハ――」
はらりと縄が落ちた。
足音が、墓石の裏から回り込んで来る。
迷っている暇など無かった。赤か、緑か。閃光の下を掻い潜り、サラは駆け出した。
いつも。いつもだ。サラは守られるばかり。何も出来ないままに、大切な人が傷つけられる。失ってしまう。
『アバダ ケダブラ』その呪文の結果が出るのは一瞬の事。サラはそれを知っている。この目で、見たのだから。
伝えなければ。この場を逃げ出さなければ。ハリーの犠牲を、無駄にしてはいけない。
犠牲――本当に、ハリーは犠牲になってしまったのだろうか? それにしては周囲の様子がおかしくはないか? 死喰人達が喜ぶ様子は無い。駆け出した瞬間はともかく、輪を抜け出した今もサラを追う様子は無い。
振り返ったその場に、ハリーの姿は無かった。ヴォルデモートもいない。死喰人達が狼狽した声を上げながら、星一つ無い夜空を振り仰いでいた。
サラは目を瞬き、その視線の先を仰ぎ見る。そこには、ハリーとヴォルデモートがいた。互いに向けられた二人の杖は、金色の糸のようなもので結ばれているように見えた。二人の身体はゆっくりと虚空を移動し、墓石から離れたまっさらな地に降り立った。
サラは素早く杖を拾うと、死喰人達の後からそちらへと駆けつけた。何が起こっているのか知らないが、ハリーは持ちこたえている。助太刀は間に合う。
しかし、たどり着いたサラの目の前で二人は金色の網でドーム状に囲われてしまった。ヴォルデモートが、自らの下僕達に手を出すなと叫ぶ。
サラが彼の命令を聞く筋合いは無い。囲んでいるのは、糸のような細い線。引き裂こうと触れたサラは、バチンと激しく弾かれた。
皆己が主の戦闘に気を取られているとは言え、ここは敵陣。慌てて身を起こし、死喰人の動きに警戒しながらハリーらを見つめる。そこにたゆたう糸は穏やかに彼らを取り巻いている。殺傷能力こそ無いものの、何人たりともその中に入れそうには無かった。
ハリーとヴォルデモートは、根競べをしているように見えた。ハリーの杖が激しく震えている。ハリーが押し負かされようとしている――
「ハリー! 負けちゃ駄目! 一緒に帰るのよ!!」
サラだけでは駄目なのだ。ハリーも、サラも帰る――ホグワーツへ。
ハリーの杖の震えが弱まり、やがて止まった。今度は、ヴォルデモートの杖が震え出していた。
それは、突然の事だった。
突然、ヴォルデモートの杖先から何やら濃い煙が噴出した。それは、手の形をしているように見えた――続けて出て来たのは、明らかに人の姿。
ハリーも、ヴォルデモート自身も、驚愕の表情でそれを見つめていた。それは、セドリック・ディゴリーだった。その姿は、ゴーストよりも朧だった。ハリーが作り出したと言うのか? 蘇生した? 死喰人達はどよめいていた。ヴォルデモートの杖からは、まだ何か――誰か出て来る。
年老いた男、女性――ヴォルデモートの杖から出て来た彼らは、ハリーに向かって何か話しているように見えた。どうやら、網の中ではこちらよりもずっとしっかりと彼らの姿や声を認識出来るらしい。彼らと一本の手は、網の直ぐ内側まで近付いて来た。死喰人達は右往左往するばかりだ。
サラは、ヴォルデモートの杖先に目が釘付けだった。次に出て来たのは、若い女性の姿。ハリーの様子で、それが誰かなのは直ぐに判った。影は励ますように、ハリーを取り囲む。己の犠牲者達の復活に、ヴォルデモートは脅えていた。震える杖先から、ハリーそっくりな――やや大人びた姿が出て来る。恐らく、ハリーの父親。彼がハリーの傍へと歩み寄り、言葉を交わす。
そして、ハリーが叫んだ。
「行くぞ!」
不意に彼らを取り囲んでいた網も、杖同士を繋いでいた糸も消え失せた。犠牲者の影が、一斉にヴォルデモートへと向かう。
「サラ! 走れ!」
言われるままに、サラは駆け出す。
背後で、呪文が墓石を砕く音がした。
「奴を失神させろ!」
振り返ると、死喰人達は死者への恐怖と困惑から立ち直りハリーの背後に迫っていた。その更に後ろから、影を振り払ったヴォルデモートが追跡を開始しようとしている。
「ステューピファイ!」
死喰人が、その後に続いていた一人を巻き添えにして吹っ飛んだ。
呪文を唱えるなり、サラは脇の木陰に飛び込む。何も無い虚空を、紅い閃光が過ぎ去って行った。
墓石の影に隠れていたハリーが飛び出し、彼らに背中を向けたまま手当たり次第に呪文を唱える。
「インペディメンタ! ――セドリックの所へ!」
言って、サラの横を駆け抜けて行く。もう一発呪文を放ち、サラもその後に続いた。
ヴォルデモートが怒り叫ぶ声がする。死喰人が逃走を妨害せんと呪文を放つ声。――死喰人。
サラは振り返る。残る死喰人は三人。彼らを掻き分け、追って来るヴォルデモート。
マルフォイも、ここに。
ハリーはセドリック・ディゴリーの遺体に辿り着き、その腕を握っていた。死体を運ぼうと言うのか。
死喰人とヴォルデモートは迫って来る。サラを祖母と重ね合わせているヴォルデモートは、サラを殺させはしないだろう。ここには、マルフォイが。祖母の仇が。
ヴォルデモートが杖を上げた。血走った眼が捕らえるのは、ハリーの姿。
「サラ!」
伸ばされたハリーの手を、サラは掴んだ。もう一方の手で、ハリーはセドリック・ディゴリーの遺体を引き寄せる。サラは杖を優勝杯へと向けた。
「アクシオ!」
杖を握ったまま、飛んで来た杯に腕を伸ばす。
視界の端で、ヴォルデモートが杖を振り上げるのが見えた。同じく杖を向けている、死喰人の面々。サラはキッと、そちらを睨む。
次の瞬間、その姿は色の渦の中へと飲み込まれて行った。
――次に会う時は、仇を討つ時。
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The Blood
第2部
真実の扉開かれて
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2012/04/08