競技場は、大混乱だった。
迷路は無くなり、サラ、ハリー、そして亡骸となったセドリック・ディゴリーの三人はまっさらな地面の中央に出現した。辺りに転がるのは優勝杯と、飛び降りたが故に置いて行った箒のみ。
セドリックの死に気付いた人々は、選手でもないのに渦中へと飛び込んで行ったサラを詰問した。何があったのか。何故飛び込んで行ったのか。こうなった原因について、何か知っていたのか。ディゴリー氏は、我が子の遺体に泣き縋っていた。夫人は、その場に泣き崩れた。
誰の問いにも答えず、サラはその場を駆け去った。
一目散に、城へと走る。サラが大人達に捕まっている間に、ムーディがハリーを連れ出した。彼らを二人にしてはいけない。
階段を上っていると、突然背後から呼び止める声があった。杖を握り締め、弾かれたように振り返る。
階下にいるのはムーディでも死喰人でもなく、アリスだった。興奮し、やや頬を紅潮させている。
「サラ! ちょうど良かった! あなたを探そうとしていたところなの。第三の課題は終わったの?
ねえ、サラ。私、シャノンのおばあさんの家に行って……ねえ、そこで何を見つけたと思う!?
……サラ?」
マシンガンのように話し続けていたアリスは、ふとサラの様子に気付いて首を傾げた。
「何か……あったの?」
サラは、無言でアリスを見つめる。
唐突に言って、受け入れられる話だろうか。目の前で無垢に小首を傾げるこの子に、恐怖の再来を今教える必要があるだろうか。
だが、迷っている暇が無いのも事実。
キッと、アリスを見据える。
「ダンブルドアを呼んで。ハリーがムーディに連れて行かれた。彼、ハリーを殺す気だわ」
「え!? ――あ、サラ! 待っ……」
サラは再び駆け出していた。
一気に階段を駆け上り、真っ直ぐにムーディの部屋へと向かう。扉を吹き飛ばさん程の勢いで、サラは部屋へと飛び込んだ。
硬直した表情のハリーが振り返る。ムーディの魔法の目がサラを捉えるか捉えないかの間に、サラは杖をムーディへと振り下ろしていた。
呪文はあっさりと相殺される。けれども、ハリーの所まで駆け寄るには十分だった。
「サラ……!?」
「あなたが私に向けていた視線の意味、今なら解るわ」
ハリーを後ろ手に庇いながら、サラは目の前で杖を突きつけている人物を見据えた。
「一生徒でしかない私に向けていた、崇めるかのような視線。あなたは知っていたんだわ。私が、ヴォルデモートの血縁者だって――スリザリンの血を、引いているって。あなたはヴォルデモートから、その話を聞いていた。
――あなたが、ハリーの名前をゴブレットに入れた死喰人だったのよ!」
No.31
わっと競技場の方から、湧き上がるような歓声が聞こえた。誰かが――セドリックかハリーが、優勝杯に辿り着いたのだろう。ファンファーレが吹き荒れる。
「……馬鹿な」
足元に転がるエリから視線を外し、ムーディは呟いた。
ムーディの杖先から飛び出した縄が、エリを縛り上げる。
「お前には、もう暫くここでじっとしていてもらおう。何、直ぐにポッターを片付けて来るさ」
言い残して、ムーディは競技場の方へと去って行った。
――動きたくても、動けねぇっつの……。
試しにもがいてみるが、縄は解けそうに無い。刺された左足がズキリと痛み、エリは顔を歪める。
「クソ……っ」
血を失い過ぎた。視界がぼやけてくる。彼が視線を外すと同時に磔の呪いは解かれたものの、まだ動悸が激しい。
――あんにゃろ、訳の解らない事ぬかしやがって……。
ヴォルデモートと同じ血を引く? エリ達が? 祖母が、ヴォルデモートの従妹?
あまり考え込む事は出来なかった。何しろ、傷口が痛む。応急処置をしようにも、縛られているこの状態ではどうしようもない。人を呼ぼうと叫んだ声は、掠れていた。視界は霞み、頭がぼうっとして来る。
――いよいよやばくなって来たな……。
まどろみの中に落ち掛けていたエリを、誰かが強く揺すった。
「エリ――エリ!!」
「ん……」
白んだ視界に色彩が戻る。
つんと薬の匂いが鼻をつく。ただでさえ身なりを気にしない髪を振り乱して、いつにも増して眉間に皺の寄った顔がエリを覗き込んでいた。
「セブ……ルス……?」
「まったく、心配させおって……!」
「へへっ。お前の動揺してる顔なんて、貴重だな」
「茶化すな」
言いながらも、セブルスは安堵した様子だった。
聴覚が戻って来て、エリは競技場の方から聞こえる喧騒が勝利の祝いとは程遠い類である事に気がつく。
「一体何が……」
セブルスの表情からあっという間に安堵などと言う物は消え失せ、真一文字に口をつむぐ。
「セブルス……?」
黒い瞳が揺れ動く。静かに紡がれた言葉は、エリから再び聴覚を奪った。
「……ディゴリーが、亡くなった」
何も、言葉は出て来なかった。
セブルスが何を言ったのか分からなかった。
今朝まで、最終決戦に緊張しつつも目前の勝利に闘志を燃やしていたセドリック。危うくもドラゴンの手を逃れて金の卵を獲得し、湖からは一番に生還を果たした。今まで日の目を見なかったハッフルパフの篝火だった。
「嘘……だろ……?」
セブルスは答えず、ただ目を伏せる。
エリはその肩を強く掴んだ。
「嘘だと言ってくれよ!! なあ!?」
「……そんな嘘を吐いて、何になる」
エリは言葉を失う。
彼はこんな嘘を吐くような人ではなかった。祝福のファンファーレが恐怖の悲鳴に変わっていた理由も、説明がつく。
クラムの脱落。そして、セドリックが――
ハッとエリは目を見開く。クラムが脱落した時、ムーディは何をしていた? そして、エリを打ち捨てて行ったムーディは、何と言っていた?
「……ハリーが危ない」
「エリ?」
エリは再び、セブルスの腕を強く掴む。
「ムーディだ! あいつ、ハリーを殺す気だ! ゴブレットにハリーの名前を入れたのは奴だったんだ……ハリーを、殺すために! クラムもセドリックも、あいつがやったんだ!」
「やはり、奴にやられたのか」
セブルスの視線が、エリの足へと下がる。
エリは頷いた。
「あいつ、ハリーを片付けるって言ってた。ヴォルデモートが……その、何とかって……あいつ、死喰人だったんだ」
「ムーディが死喰人だと? まさか。奴が何を企んでいるにせよ、それだけはあり得ん」
「あいつが死喰人かどうかは今はいいよ。ハリーは今、どこ?」
「ポッターなら、セドリック・ディゴリーの亡骸を連れてシャノンと共に帰って来た……。競技場に――」
セブルスの言葉が途切れる。
「しまった」
エリを抱き起こすようにしていたセブルスは、不意に立ち上がる。突然の掛かった荷重に、左足がズキンと痛んだ。麻痺し忘れていた痛みが、じわじわと戻って来る。
競技場の方へ行きかけたセブルスは、慌てて立ち止まる。
「あたしの事はいい! ハリーを助けて!!」
「馬鹿者! そんな状態で放って行けるか!」
「ほっとけって言ってんだよ!」
「ポッターなんぞより、君を優先すると言っている。君も仮にも恋人なのだから、強がったりせず大人しく――」
「……ふざけんな!!」
己の身体を支えるセブルスの手を、エリはぐっと押し返す。
「あたしは……っ、お前にただ守られるだけのお荷物になんかなりたくない……!」
当惑する黒い瞳を、エリは真正面から見つめ返す。
「今にも殺されかねないハリーより、ただの怪我人のあたしを優先するなんて嘘までつかせて……嘘だろ、そんなの。お前がそんな奴じゃないって事ぐらい、知ってる。そんな嘘、吐かせたくないよ……!」
セブルスの目に見えるのは、迷い。
「あたしは大丈夫。元々怪我も多いんだから、応急処置ぐらい知ってる。ハリーの所へ行ってよ。
あたしに合わせて立ち止まろうとしないで。セブルスが前に進むなら、あたしはいつだって直ぐに追いついて隣に並んでみせるから」
エリは、ニッと笑ってみせる。
「あたし、体力としぶとさだけは自信があるんだぜ?」
ぐしゃりとぶっきらぼうな手つきでエリの頭が撫でられる。そしてセブルスは、杖を高く上げた。上空に放たれる、赤い光。
「課題でリタイアする選手の合図になっていたものだ。直ぐ、審査員なり何なり駆けつけて来るだろう」
言って、セブルスはマントを翻し足早に去って行った。
左足に体重を掛けないように慎重に、エリは右足だけでしゃがみそのまま尻餅をつく。
――ちょっと、かっこつけすぎたかな……。
痛みが復活したせいか、セブルスに揺り起こされ覚醒した頭は再びぼうっとして来ていた。視界には靄が掛かり、上手く見えない。
セブルスが解いてくれたのだろう。切れた縄を手探りで掴み、左の太ももに巻きつける。いくら誰か駆けつけて来るだろうと言っても、競技場から森まで来る間ずっと流血しっぱなしと言う訳にはいかない。
――やべ……力入んね……。
意識は朦朧とし、止血出切るだけきつく縛る事が出来ない。何か板か枝でもあれば良いのだが。見回してみるが、小枝こそ落ちているものの縛るのに使えそうなほど頑丈なものは無い。
知識があって慣れていても、実行する腕力が無いのではどうにもならない。
諦めるしかないのか。一刻も早く、助けが来る事を信じて。
そのまま目を閉じようとしたエリを、呼び止める声があった。
「エリ! おい、エリ!!」
「しっかりして!!」
アーニーとハンナだった。傍まで駆け寄り、アーニーは怯んだようにたたらを踏む。
「うわっ……エリ、血が!」
起き上がろうとするエリを、ハンナが支えた。
「ちょーど良かった……止血……ここ、きつく縛ってくんね……?」
何とか意識を保ちながら、エリはローブを捲り上げる。ぎょっと動揺するアーニーに、エリは軽く笑う。
「心配しなくても、見苦しいもん見せやしねーって」
太ももまでローブを捲り、傷口が露になる。まごつきながらも、アーニーは縄切れで傷口の上辺りをきつく縛り上げる。
「スーザンとジャスティンが、先生方を呼びに行っているわ。エリ、何があったの? ここへ来る途中、スネイプ先生と会って――エリが怪我をしているから急げって、それだけ言われて……」
「こんな大怪我してるエリを放置して、一体何処へ行ったんだ? ましてや、あんな事があった後なのに……」
「あたしが行けって言ったんだ……ハリーが殺されそうだから……」
二人はどう言う事なのか尋ねようとしたが、駆けて来た足音でそれは叶わなかった。
駆けて来たのはマダム・ポンフリーと、彼女を呼びに行った二人。
スプラウトは――とそこまで考え、当然だと思い直す。セドリック・ディゴリーが命を落としたのだ。寮監のスプラウトも、三大魔法学校対抗試合の審査員達も、そちらの対応が最優先だろう。
セドリックが死んだ。
ポンフリーに酷くしみる薬を塗られる間も、いまいち実感としては沸かなかった。それを初めて認識せざるを得なくなったのは、皆に連れられて仮設診察所のある競技場まで戻った時。
競技場の中央と言う注目の場から運び出される身体と、泣きすがる父親と思しき魔法使い。彼の陰から、強張った横顔がちらりと覗いた。ガラス球のような瞳。血の気が無く真っ白な肌。そしてその顔にあるのは、驚きと僅かな恐怖――不意をつかれ、はっきりと恐怖を認識する前に事切れたかのような、そんな表情。
あの顔で、彼は笑っていたのだ。彼の肌は確かに欧米人特有の白さがあったが、あんな不健康な白ではなかったのに。
「また抜かれた」と、早朝既に談話室にいるエリを見て驚き笑っていた彼。エリがクィディッチ選手となってからは先輩として、去年からはキャプテンとして、エリをそしてチームを支え奮い立たせてくれた。エリがチームのメンバーと諍いを起こし、取り持とうとしてくれた事もあった。自分の試験勉強だってあるだろうに、エリの頼みを快く聞き入れ勉強を見てくれた。チョウとダンスパーティーに行ける事になって、どんなに喜んでいた事か。ハッフルパフ寮生の期待を一身に受け、必ず優勝杯をハッフルパフに持ち帰ると胸を張っていた。
――なのに。
競技場を離れていく一団を凝視し立ち尽くすエリを、気遣うようにハンナが覗き込む。
「あ……あのね……セドリックは……」
「……知ってる。聞いた」
ハンナの声も、エリの声も、震えていた。
「畜生……!」
ぎゅっと、爪が掌に食い込むほどにエリは拳を握る。
「なんでだよ……! なんでセドリックなんだよ……! 優勝杯を持ち帰るって、そう言ってたじゃんかよ……お前自身が帰って来ないでどうすんだよ……!! 卒業しても、またクィディッチやろうって、そう言ってたじゃんかよ……!!」
答える声は、辺りから聞こえる嗚咽だけだった。
ダンブルドア、マクゴナガル、スネイプの三人の乱入により、ムーディは取り押さえられた。――否、バーティ・クラウチと言った方が正しいか。行方不明になっていたクラウチの、その息子。スネイプがサラに嫌疑をかけていたポリジュース薬の材料を盗んだ真犯人は、彼だったのだ。
スネイプの持って来た真実薬を飲まされた彼は、アズカバンの脱獄から今夜に向けて仕掛けた罠まで全て洗いざらい話した。
ダンブルドアはクラウチを縛り上げると、マクゴナガルを見張りに残し、スネイプを遣いに向かわせ、ハリーとサラを校長室へと誘った。校長室には、シリウスが佇んでいた。二人の姿が目に入るなり、彼は真っ直ぐに部屋を横切って来た。
「サラ、ハリー、大丈夫か? 私が心配していた通りだ――こんな事になるのではないかと思っていた――一体、何があった?」
ハリーとサラを椅子に座らせ、ダンブルドアがムーディの部屋での一部始終をシリウスに説明した。ハリーは動きがぎこちなく、椅子に座るのにもシリウスが手を貸していた。
一通りの話を終えると、ダンブルドアはハリーとサラに視線を移した。今度は、サラ達が話をせねばならない番だった。
「ダンブルドア、明日の朝まで待てませんか? 眠らせてやりましょう。休ませてやりましょう」
シリウスの大きな手のひらが、サラの肩に乗せられていた。
しかし、ダンブルドアが頷かないだろう事は明白だった。
「それで救えるのなら」
ダンブルドアの声色は決して詰問するでもなく、優しげだった。
「君達を魔法の眠りに就かせ、今夜の出来事を考えるのを先延ばしにする事で君達を救えるなら、わしはそうするじゃろう。しかし、そうではないのじゃ。一時的に痛みを麻痺させれば、あとになって感じる痛みは、もっと酷い。君達は、わしの期待を遥かに超える勇気を示した。もう一度その勇気を示して欲しい。何が起きたか、わしらに聞かせておくれ」
ちらりと横に視線を向けると、ハリーと目があった。どちらからとも無く、頷き合う。
そしてまず、サラが口を開いた。
「私は、ルール違反だとは分かっていたけれど、箒で迷路に侵入しました。まずは、その事についてお詫び申し上げます。
私、視たんです。今夜起こる事を。視た時には一体いつの事か分からなかったけれども、あの時、何度も見たあの風景は迷路を指しているのだと気付いて――」
その続きはほとんど、ハリーが語っていた。ハリーは一度口を開くと、まるで流れが止まる事を恐れているかのように話し続けた。ハリーの腕が刺された話になると、シリウスは酷くペティグリューを罵った。ダンブルドアが素早く立ち上がり、ハリーの腕を確認した。サラが目を覚ましたのは、この辺りからだった。ヴォルデモートの復活、そして、そこでハリーは初めて言葉を詰まらせた。
「ヴォルデモートが……サラに――」
戸惑うような視線を、サラに向ける。サラは、能面のような無表情だった。
「構わないわ。――ヴォルデモートは、私を勧誘しようとしました。祖母のよしみ――彼と同じ、サラザール・スリザリンの血を引く者として」
ダンブルドアの顔に、僅かに表情が表れた。シリウスは、ハッと息を呑む。
彼らのこの反応は、サラの血筋に対するものではない。
「……先生、もしかしてご存知だったのではありませんか? その様子では、シリウスも? 私の祖母とトム・リドルが、従兄妹であった事を」
シリウスは口を真一文字に結び、黙り込む。答え方を思案しているようにも見えた。
ダンブルドアは、ゆっくりと頷いた。
「確かに、わしはその事実を知っておった。君達のおばあさん本人から聞いたのでな。知ったからには、もう隠し立てはせん……その件については、近い内にまた改めて話をしようぞ。
続けてくれるかの?」
「それじゃ……事実、なんですか……?」
震える声で問うたのは、サラではなくハリーだった。ダンブルドアは再度、頷いた。
「サラのおばあさんがヴォルデモートと従兄妹であり、彼女達もまたスリザリンの子孫に当たると言う話ならば、何ら否定すべき点は無い。
じゃが、ハリー。わしは以前にも言ったはずじゃ。何処に選ばれたかではなく、自身が何を選ぶのかが、重要なのじゃと」
「はい。でも……ハイ」
ハリーは頷く。話を始めた時のように横目で彼を確認したが、ハリーの方は俯き加減で目が合う事は無かった。
その後は、交互に墓場での出来事を話した。
ヴォルデモートがハリーに決闘を申し込んだこと。互いの杖が繋がり、かけようとした呪文が発動しなかった事。
「僕……僕、何が起こったのかよく分かりませんでした。ただ、その時――」
「死者の蘇生よ!!」
ハリーの言葉を引き継ぐようにして、サラが叫んだ。爛々と輝いた眼で、ハリーを見つめる。
「ハリーとヴォルでモートの杖が糸みたいなもので繋がって……ヴォルデモートに殺された犠牲者達が、彼の杖先から出て来たんです。死んだはずの彼らが、立って歩いて、ハリーに何か話しかけていました……セドリック・ディゴリーに、恐らくバーサ・ジョーキンズと思われる魔女に、マグルの男性に、そして、ハリーのご両親が……」
ハリーは俯いていた。
その肩をサラはがしっと掴み、覗き込む。
「ねえ? 彼ら、あなたに何を話していたの? 一体あれは、どうやったの? 他の犠牲者も呼び出せる? お願い……」
「やめなさい、サラ」
シリウスがサラの肩を強く引く。
サラはその手を振り払い、高ぶる気持ちを抑えながら彼を見上げた。
「だって。シリウスも会いたいでしょう? ハリーのお父さんと、仲が良かったのでしょう?」
シリウスは、奇妙な視線をサラに向けていた。何故、そんな眼で見下ろす。
「僕……」
サラに話を遮られ黙り込んでいたハリーが、ぽつりと震える声で言った。
「僕、どうやったのか分からない。何が起こったのか分からない。でも……でも、あれは蘇生なんかじゃなかった」
サラの灰色の瞳を、緑の瞳が見つめ返す。
「ゴーストよりもはっきりしているようで、彼らよりも脆かった……僕とヴォルデモートの杖が離れたら、長く形を保つ事は出来ないって……そう言って……」
「もう良い。もう良いぞ、ハリー」
ダンブルドアが片手を挙げ、ハリーの言葉を制した。
「恐らく、直前呪文じゃな」
「呪文逆戻し効果?」
鋭い声で、シリウスが問う。サラは、大きくかぶりを振った。
「そんな――そんなはず無いです。だって、直前呪文は直前に掛けた呪文を逆戻しに再発動するものであって――魔法自体は判明しても、その対象が出てくるなんて――あまつさえ、死した人々が歩き回り、言葉を発するなんて――そんなの、聞いた事がありません」
「通常の直前呪文ならば、そうじゃろう。じゃが、ハリーの杖とヴォルデモートの杖には、共通の芯が使ってある。それぞれに同じ不死鳥の尾羽根が一枚ずつ入っている。実は、この不死鳥なのじゃ」
ダンブルドアは、ハリーの膝上で羽根を休めている深紅と金色の鳥を指し示した。
ダンブルドアの理屈では、兄弟杖ゆえに互いに対して正常に作動しなかったのだろうとの事だ。それでも無理に戦わせようとすると、一方がもう一方の杖に過去に掛けた呪文を吐き出させる――まるで、直前呪文のように。そのようにして現れた姿はあくまでも「木霊」であり、生前の外見や性格をそっくりそのまま保っているものの決して生き返った訳ではない。
「――そんなの! そんなの嘘よ!!」
サラは再びハリーの両肩を掴み、今度は強く揺する。ハリーは、顔を上げようとはしなかった。
「ねえ、ハリー! ハリーも否定してよ! だってハリー、あなた、彼らと話をしていたじゃない!! 彼らと――あなたのご両親と!! ただの直前呪文で、そんな事出来るはず無いわ!」
「やめろ、サラ……!!」
シリウスは力任せに、サラをハリーから引き剥がす。
「放してよ! ハリーは親と話をしたのに! どうしてハリーだけなの!? 兄弟杖故の直前呪文なんて……それじゃ、それじゃあ、おばあちゃんは無理じゃない!! ずるいわよ!! 私だって、おばあちゃんと会いたい……話をしたい……!」
泣き崩れるサラを抱きかかえ、シリウスの筋張った手があやすようにサラの背を撫でていた。
シリウスは黒犬の姿に変身して、ハリーとサラに付き添い医務室まで来てくれた。医務室には、ウィーズリー夫人、ビル、ロン、ハーマイオニーがいて、マダム・ポンフリーを取り囲んでいた。よく躾けられた犬だから、とダンブルドアはマダム・ポンフリーに説明する。
並べられたベッドには本物のムーディの他にもう一人、先客がいた。
「ハリー!」
二人の姿を認めるなり、エリは大声で呼ばわった。
「無事だったんだな、良かった……! そっか、サラが一緒だったんだな」
エリは、にっこりとサラに笑いかける。
サラはふいと視線を外し、無言のまま与えられたベッドへと這い登った。どうしてエリがここにいるのか。何があったのか気にはなったが、問うとすればこちらも何があったのか話さなくてはならなくなる。それは、ハリーと再び話をする事を意味した。
ダンブルドアは、明日自分が学校中に話をするまでここにいるようにとハリーとサラに言い聞かせ、医務室を出て行った。
こちらへ駆け寄ろうとするロンやハーマイオニーにも構わず黙ってカーテンを閉めようとしたサラに、紫色の薬が入ったゴブレットが素早く差し出される。サラは大人しく受け取り、一息に飲んだ。途端に眠気が襲い、サラはカーテンを閉める事も無くそのままベッドに横たわった。
色々な事が一度に起こって、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
墓場で聞いた話を、ハリーはロンとハーマイオニーに話してしまうだろうか? ハリーは両親に会ったのに、サラは祖母に会えないなんて理不尽だ。そう思うのは、悪い事だろうか? ヴォルデモートは、祖母の死を望んでいなかった……彼なら、サラと同じように祖母に会いたいと思っているのだろうか? 元凶である、あの彼が? サラは、スリザリンの血を引いていた。それではやはり、スリザリンに入るべきだったのだろうか? 彼と同じように――
様々な不安と疑問が渦巻いていたが、襲い来る睡魔に抗う事は出来ず、サラは安息に身を委ねた。
どれほど眠っていたのか、まだ夜も明けぬ内にサラは廊下の方から聞こえる喧騒で目を覚ました。
部屋にはほんのりと灯りが点っていて、シリウスらは皆まだ室内にいた。そう遅い時間でも無いのかも知れない。
何かを入れる入れないだのと怒鳴り合いながら医務室に入ってきたのは、魔法省大臣コーネリウス・ファッジと、マクゴナガルと、スネイプ。
部屋に入って来たファッジは、ダンブルドアは何処かとウィーズリー夫人に詰め寄る。
「ここにはいらっしゃいませんわ」
答えた夫人の声は、やや怒っているように聞こえた。
「大臣、ここは病室です。少しお静かに――」
「何事じゃ」
扉の開き入って来たのは、ダンブルドア。
「病人達に迷惑じゃろう? ミネルバ、あなたらしくもない――バーティ・クラウチを監視するようにお願いしたはずじゃが――」
「もう見張る必要がなくなりました、ダンブルドア! 大臣がその必要が無いようになさったのです!」
サラは驚いて、目をぱちりと開けた。誰にも気づかれないように僅かに身体を捻り、足元の方で話す大人達を盗み見る。マクゴナガルは、今まで見た事が無いほどに取り乱していた。
「今夜の事件を引き起こした死喰人を捕らえたと、ファッジ大臣にご報告したのですが」
スネイプが低い声で話す。
「すると、大臣はご自分の身が危険だと思われたらしく、城に入るのに吸魂鬼を一人呼んで自分に付き添わせると主張なさったのです。大臣は、バーティ・クラウチのいる部屋に、吸魂鬼を連れて入った――」
サラは壁の方へと顔を戻す。その目は、大きく見開かれていた。
――まさか……まさか。
「ダンブルドア、私はあなたが反対なさるだろうと大臣に申し上げました!
申し上げましたとも。吸魂鬼が一歩たりとも城内に入る事は、あなたがお許しになりませんと。それなのに――」
「失礼だが!」
ファッジもまた、いきり立っていた。大声で喚き出す。
「魔法省大臣として、護衛を連れて行くかどうかは私が決める事だ。尋問する相手が危険性のある者であれば――」
「あの――」
マクゴナガルはさらに声を張り上げる。
「あの物が部屋に入った瞬間……クラウチに覆い被さって、そして……そして……」
マクゴナガルは後の言葉を捜しているようだったが、続きを聞くまでも無かった。
吸魂鬼の本能。去年、サラ達も襲われそうになった惨い所業。
クラウチはもう、何も話す事も無いし、何も感じる事も無い。文字通り、魂の抜け殻と成り果ててしまったのだ。
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2012/05/20