学期末の宴会――夏休み前最後の夜とあって、例年皆いつも以上によく話し、よく食べる日だ。しかし、今年のホグワーツはボーバトンとダームストラングという客人が加わっているにも関わらず、神妙な空気に包まれていた。共に寮へと帰るハッフルパフの生徒達の中には、涙を目に浮かべている者もいる。
『セドリック・ディゴリーを忘れるな』
 ダンブルドアの言葉が、エリの脳裏に蘇る。
 忘れない。忘れてなるものか。本来ならこの場にいて、エリ達と一緒に学期最後の晩を過ごしていた筈のセドリック。決して、忘れたりしない。
 ダンブルドアの話では、彼はヴォルデモートに殺されたのだとか。その現場にハリーとサラも直面している筈だが、彼らは何も語ろうとはせず、ダンブルドアもまた彼らにしつこく尋ねる事を禁じた。
 聞き出すつもりなど無い。聞いたところで、どうにもならない。
 それよりも重要なのは――ヴォルデモートが、蘇ったと言う事。
 トム・リドル。祖母の従兄。エリ達と、同じ血を引く者。
 ぴたりとエリは足を止める。一緒に歩いていたハンナ、アーニー、スーザン、ジャスティンが立ち止まり振り返った。
「どうしたの? エリ」
 ハンナがきょとんと首を傾げる。
 エリは、キッと四人を見据えて言った。
「あのさ……皆に、話しておきたい事があるんだ」





No.33





 一つのコンパートメントに座る、ドラコと、クラッブと、ゴイルと、パンジーと。一年生の頃サラがいたのであろう場所に、アリスは座っていた。
 サラが何処のコンパートメントにいるのか、アリスは知らない。ただ、ハリー達と一緒でない事は確かだった。
 三大魔法学校対抗試合最終戦の翌々日、医務室を退院し朝食の席に姿を見せた時から、サラは一人だった。前の晩に聞かされた血筋の話が、関係しているのだろうか? サラは、自分達がスリザリンの末裔である事を随分と気にしている様子だった。とは言え、ハリー達が血筋だけでサラを除け者にするとは考え難いのだが。
 ――スリザリンが向いていると言われた、ね……。
 ダンブルドアは「大切なのは何を選ぶか」だと言ったと、サラは言った。
 では、アリスは? サラやエリと比べられるのを恐れ、スリザリンに選ばれそれを自らも受け入れたアリスは、どうなるのだろう。
 アリスは蛇語が分からない。けれどもそれは、ただ力を封じられているから。
 いつか選択の必要に迫られた時、アリスは何を選ぶのだろうか? 世渡り上手と言えば聞こえは良いが、ただ貶められるのを恐れて八方美人を演じて来たアリスに、運命に抗えるだけの力があるのだろうか。アリスにはサラのような才能も無ければ、エリのような強さも持ち合わせていない。「あれ」を破壊しない限りは、魔法も使えない。そんなアリスに、何が出来ると言うのか。
「ねえ、ドラコ。夏休み、あなたの家を訪れてもいいかしら。お父様達も、久しぶりに会いたがっているみたいで……」
「ああ。父上に聞いてみるよ。アリスも、一度ダイアゴン横丁辺りで会えるといいな。手紙を書くよ」
「ありがとう。私も書くわ」
 アリスはにこにこと返す。ドラコとの手紙。恐らくその殆どは、サラの話になるのだろう。
「アリスは日本へ帰ってしまうから、なかなか会えないものね」
 アリスは、苦笑するだけ。
 恐らく、日本へは帰らない。ヴォルデモートは、ナミが愛する者と彼女を奪った憎き相手との子である事を知った。ナミは既に、古い友人の元に身を潜めている。アリス達がそこへ行くのかどうかは分からないが、日本の家は危険が伴うためもう使えないと言っていたのだ。戻る事は無いだろう。数日前にも、自宅から持ち出したい物があれば圭太へリストを送るようにと、誰かの守護霊で明らかにナミからと思われる伝言があった。
 もう、家には帰らないと言う事だろう。その推測をエリに話すと、彼女は校外学習の記念写真を初めとする持ち出したい物のリストと同時に手紙を何通も同封していた。アリスは主にマグルの衣類やナミに料理を教わっていた頃のノートなど捨てるには惜しい物、サラは特に何も書かなかった。
 アリスは、窓際に置いたトランクへと目をやる。中に入っているのは、休日に必要な程度の衣類と、教科書と、身の回りの物――そして、祖母の家から持ち出した日記。もう、あれからひと月も経つのだ。

 祖母の部屋に現れた、一人の少女。ナミと同じような金髪に、サラのカチューシャと同じようなラベンダー色の瞳。それらの色以外は、全くサラと同じ顔。ただしその頭にカチューシャは無く、長い髪をポニーテールに結っていた。
 幼かったアリスは、祖母の顔をよく覚えていない。そうでなくとも、彼女の若い頃の姿など見た事が無かった。それでも、目の前に現れた少女が誰なのかはっきりと分かった。
 祖母によく似ていると言われるサラ。そして、ここは祖母の家。それを踏まえれば、自ずと答えは導き出された。
「……シャノンの、おばあさん?」
 アリスの問いかけに、彼女は微笑み頷いた。
「君は……サラかい……?」
 一瞬、アリスは言葉を詰まらせた。
 ここでアリスがその問いを肯定すれば、この先何が待っているのだろう。いつも、事件の渦中はサラばかり。サラに訪れる運命の道を、アリスが歩き出したら? サラが行くべき道、その先には何が待っているのだろう? きっともう、アリスだけ取り残されると言う事は無くなるだろう。
 しかしアリスは、首を振った。
「私は、サラじゃないわ。探し物があって、サラに鍵を借りて入っただけ」
 サラの名を騙ったところで、アリスはサラにはなれない。彼女のお零れに預かっても、惨めなだけだ。
「なんだ、そうか。道理で、前に会ったのと雰囲気が違うわけだ。もう二年も経つし、前に会ったときは日記の中だったから、多少の相違はあるものなのかと思ってね」
「日記……」
 二年前の日記と言えば。
 彼女は頷いた。
「トム・リドルの日記に、サラが取り込まれかかった事があってね。その時に会ったんだ。この日記と彼の日記は繋がっていた。こちらの日記を経由させて、サラを帰したんだ」
 秘密の部屋での事は、学校中に知れ渡っている。リドルがいかに取り入るのが上手いかも、アリスは知っている。あれは、二年生になる夏の夜だったか。ジニーがナミに話すのを図らずも聞いてしまったのだ。
「あなたは一体、何? リドルと同じなの?」
「同じだとも言えるし、そうでないとも言える」
 彼女は奇妙な答え方をした。
「記憶に魔法をかけ、日記と言う形で閉じ込めた。その点においては、彼の日記と同じだ。この日記も、彼が作ったものだしね。
 ただ、私の場合は、この部屋に限り、書き込み者から魔力を吸収せずとも実体化する事が出来る。そしてこれが最大の相違点だけど、私は君達に危害を加える気は一切無い」
 初めてこの家を見つけた時、アリスとジニーは窓際に人影を見た。ちょうど、この部屋だ。あれは、彼女が実体化していたのだろう。数年越しの来訪者に、興味を示したのかもしれない。
 記憶とは言え、動いて話す祖母。サラが知ったら、どんなに喜ぶ事だろう。
 アリスはその日記を、家から持ち出した。

 最初はそのまま、サラに会わせるつもりだった。きっと喜ぶだろうと、そう思って。
 しかし持ち帰ったその日には、サラやエリの周りでやはり大事件が起こっていて――そしてその翌日の晩、アリスは彼女の存在がどういう意味を持つのか知ってしまった。
『封印が解かれるは、かけた本人が解くか、もしくはかけた本人がこの世からいなくなった時じゃからの』
 ダンブルドアらが、何処まで気付いているのかは分からない。ただ少なくとも彼らは、「シャノンがどのようなな形であれこの世に存在している」と言う事には気付いている様子だった。
 その理屈なら生きているのでは、と期待を抱くサラに掛けていた牽制。彼女は死んだ。それでも「いる」とすれば、それは望ましくない姿。それでもサラは、彼女に縋り付こうとするだろうから。
 この日記も、サラに知らせてしまったらもう二度と破壊するチャンスを失うだろう。「これ」さえ無くなれば、アリスは魔法を使えるようになるかも知れないのに。
 そう思うと渡すに渡せず、かと言って自分で破壊する事も出来ず、一ヶ月もの間ずるずると持ち続けていた。たまに鞄から出して眺めてはみるものの、書き込む勇気さえ持てなかった。あの部屋でしか実体化出来ないと言う彼女の言葉は事実らしく、あれ以来一度も彼女とは会っていない。
 汽車は、プラットホームへと滑り込む。
 荷物を纏め降りる準備をしている内に、車体は完全に停止した。ホームを出る障壁の前に連なる行列。汽車からホームへとざわめきが溢れ出て行く様は、去年までと何ら変わらない。
 ヴォルデモートの恐怖は、話にだけ聞いている。彼の復活で世界はどんなに暗くなるのかと思っていたが、敵に動きは見られず存外に呆気無いものであった。ヴォルデモート達も動かず、魔法省も警告せずとなると、自然と危機感は失われて行く。あるいは、この状況がダンブルドア達が恐れているものなのかも知れない。闇の陣営の準備さえ整えば、何の警戒もしていない一般人達は逃げ惑う間も無く支配されるだろう。
「アリス」
 突然耳元で囁かれ、アリスは跳ね上がる。
 ドラコの方も、アリスの反応にビクッと肩を震わせていた。
「ご、ごめん。驚かせるつもりじゃなかったんだ。――言っておきたい事があって」
「なあに?」
 平静を取り繕って、アリスは問い返す。
 パンジーは、ちょうど少し後ろに並んでいた親友と最後の挨拶を交わしていた。ドラコはちらりとそちらの様子を伺うと、声を低くした。
「ポッターには、あまり関わらないようにしろ」
 アリスは目をパチクリさせる。そして、ふふっと笑った。
「やだ、ドラコったら。心配しなくても、彼はあくまでもサラの友達としての関わり程度よ。あなたとハリーの諍いに首を突っ込む気は無いし、その辺は弁えてるわ」
「そうじゃない。それもあるけど……そうじゃなくて」
 ドラコは真剣な眼差しで、アリスを見つめる。
「彼はもう、『英雄』じゃないんだ。もちろん、元々ただ額に傷があるだけの鼻持ちならない奴さ。それでも、奴を持ち上げる信者は多かった。でも、それももう無くなったんだ。アリス、君だって第三の課題の日の新聞を見ただろう?
 ポッターと、それからダンブルドアも。『例のあの人』が蘇ったなんて法螺を吹いて注目を集めようとするような狂った奴らなんか、もう誰も相手にしない。する筈が無い。奴らなんかに関わったら、君まで狂ってると思われる事になるぞ」
 ヴォルデモートの復活が事実である事は、彼の父親も知っているのではないのだろうか。かつて腹心の部下だったと言う話が、真実であるならば。そして祖母との事を考える限り、その可能性は限りなく高い。ドラコは聞かされていないのか、それともただ白を切っているだけなのか。
 どちらにしても、それは重要ではない。彼がわざわざ警告するからには、事実、そうなる可能性があるのだろう。
「そうは言っても、完全に避けるなんて不可能よ。少なくとも私の友人にはハリーの味方をするであろう人達もいるし、私自身も彼には人として好意を持ってるもの。『あの人』が何らかの手でハリーを社会的に厳しい立場に追いやったとしても、見捨てる事は出来ない」
「アリス!」
「心配してくれてありがとう。ハリーを裏切ったりは出来ないけど、その忠告を無駄にはしないわ」
 ドラコは厳しい表情でアリスを見据えていたが、ふっと頼りなさげに俯いた。
「……それから、サラも。……サラも、ポッターとはなるべく引き離しておいてくれないか。彼女自身も追い詰められるかも知れないけど、でもサラは一人ならわざわざ触れ回って目立つような真似はしない筈だ。ポッターといるよりは、周囲の視線をかわせるだろうから」
「サラ……ね」
「無理に引き裂けとは言わない。でも……」
「それこそ、何の心配も要らないわよ。私達が手出ししなくても、彼女達、ここ最近一緒にいないじゃない」
 ドラコは黙り込む。彼とて、気付いていないわけではないだろう。食事の席、教室の移動、放課後――真実を告げられたあったあの日からずっと、サラはハリー達とは行動を別にして一人でいる。今日も、エリはハッフルパフの仲間達と乗り込むのを見かけたが、ハリー、ロン、ハーマイオニーの方は三人しかいなかった。
「何があったのか……知らないか?」
「さあ……。色々な事があったもの。サラの事だから、また何か不器用起こしてるんだろうとは思うけど……」
 ドラコとの話は、そこで終わった。パンジーが戻って来たのだ。障壁も近付き、アリス達の番だった。
「ドラコ、絶対に連絡するわね。近い内にまた会いましょう」
 何度も振り返り、手を振って、パンジーは両親の所へと去って行った。クラッブ、ゴイルも親の元へと去って行く。ドラコは、母親だけが来ているようだった。ルシウス・マルフォイはもう、サラの前に『ドラコの父親』としては姿を現さないだろう。
 ドラコは、不安げな顔をしていた。
「じゃあ……アリス、新学期にまた会おう」
「ええ。またね」
 アリスは笑顔を返す。
 少し離れた壁際に、赤毛の一団があった。ウィーズリー一家だ。エリは双子と戯れ、ジニーはレイブンクロー生の友達と、ロンはハリーやハーマイオニーと話していた。
 そして少し離れた所に、ぽつねん佇む少女がいた。通り過ぎざまにジニー達と挨拶をかわし、アリスは彼女の方へと歩み寄る。まだ、圭太は来ていないようだ。
「サラ」
 サラは、少し顔を上げた。
 生気の無い暗い瞳。何の感慨も無い無表情。――まるで、小学生の頃のような。
「サラはいいの? 皆と話さなくて」
「別に。エリを待っているだけよ。纏まっていた方が、あちらも見つけやすいだろうから」
『彼女自身も追い詰められるかも知れない』
 サラもヴォルデモートの復活を目撃し、そしてその事実を偽り隠蔽する事はないであろうから、ドラコの予想は至極当然のものだ。ヴォルデモートとしても、サラやハリーは可能な限り孤独であってくれた方がやりやすいはず。
 これから、厳しい境遇に立たされる事だろう。なのに、このタイミングで味方を失うなんて。アリスはぎゅ、とトランクを引く手に力を入れる。
 サラにこそ、「これ」は必要なのだ。「これ」は、アリスの魔法を阻害する要因であるけれども、でも。
「ねえ、サラ……」
 無表情で視線を向けるサラに、アリスは微笑んだ。
「おばあちゃんに、会ってみる?」


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2012/06/05