天井には、星空が輝いている。美しい夜空とは対照的に、サラの心は曇り切っていた。
腕を引かれるままに、サラはふらふらと前に出る。全校生徒の視線が、サラに集中していた。丸椅子に腰掛けたサラの頭に古びた帽子が被せられ、何百と言う顔が闇の向こうに消える。
「ふーむ……」
低い声が、頭の中で唸る。
「君は偉大になれる可能性がある。いや、確実になれるだろう。スリザリンに入れば、間違いなくその道が開ける。君の場合、確かに他の寮にも見合ったものを持っている。勇気もある。頭も良いし、今までは毎日苦痛に耐えてきた。だが、君は是非スリザリンに行くべきだ。君ほどスリザリン向きの子は、今までに一人しかいなかった……」
そして、帽子は大広間中へと叫んだ。
「スリザリン!」
広間はしんと静まり返っていた。
帽子を取り除けられ、生徒達の視線が否が応でもサラに突き刺さる。
「まさか、サラがスリザリンの血を引いていたなんて……」
声は、ハーマイオニーのものだった。ロンが冷たく吐き捨てる。
「当然の結果さ。清々したよ。スリザリンの継承者なんかがグリフィンドールに潜り込んでるなんて、耐えられないからね」
ハリー、ロン、ハーマイオニーが、サラの目の前に立っていた。疑念に満ちた眼差しを向けるロンとハーマイオニー。サラは、最後の期待に縋るようにハリーの肩を掴んだ。
「ハリー……! 私……私だって、好きでこの血を引いている訳じゃないわ。ハリーなら、解ってくれるわよね……?」
サラの手は、バシッと強い音を立て払われた。じん……と手の甲が痛む。
サラを見据えたハリーの目は、後の二人よりもずっと冷ややかだった。
「僕の父さんと母さんは、ヴォルデモートに殺されたんだ――君のおばあさんの、従兄に」
言葉を失うサラを残し、ハリー、ロン、ハーマイオニーは背を向け去って行く。後には暗闇だけが残った。
闇の中、サラはただ独り。
ふっと肩に何かが置かれた。それは、手だった。人外のものであるかのように白く長い指。その手は、サラの両肩に重くのしかかる。
「だから、言っただろう」
ヴォルデモートは背後から顔を寄せるようにして、サラの耳元で囁くように言った。
「我々のような力を持つものは、弱い者とは相容れない。そこにお前の居場所は無い。こちら側に来るべきなのだと」
振り返ったサラに、ヴォルデモートは手を差し伸べていた。
よく似た境遇。サラと同じく、スリザリンの血を引いている者。サラと同じく、祖母を失った痛みを抱える者。
サラはゆっくりと、腕を上げた。
No.34
そこで、目が覚めた。
――嫌な夢。
薄暗い部屋。古いが、立派なベッド。壁際の本棚に並ぶ背表紙に、日本語の物は無い。
階下から、ナミの声が聞こえてきた。
「いつまで寝てるの。いい加減、起きて来なさい! 朝食片付かないでしょう!」
サラは思わず、笑みを漏らす。数年前までは、サラが起きなければ朝食なんて迷わず片付けてしまっていただろうに。
壁に掛けられた時計に目をやる。初めてこの家を訪れた時には埃を被っていた時計も今や、くすんでいるとは言え時間がくっきりと判別出来る程度には磨かれていた。
時計や高い位置にある絵画は埃が溜まっていたものの、この部屋はグリモード・プレイス12番地の中でも比較的きれいな方だった。スリザリンや純血主義を主張する色合いや家訓には辟易したが、それを差し引いても他のおどろおどろしい程に汚れた部屋よりはマシだった。そもそも、スリザリンや闇の魔法使いのような部屋の様相については、この家ではどの部屋も同じようなものだ。名前らしき文字と共にあった「許可なき者の入室禁止」と言う一文も、今のサラの部屋とするにはぴったりだった。
整えられた机やベッドと言った家具の類。扉に貼られていた掲示からも、元々部屋の主がいた事は明らかだ。シリウスが渋面を作ったが、彼の部屋はまた別だったようだ。扉にあった名前も、小さく汚れていてよく読めなかったが「シリウス」ではない事は確かだった。どうにも、シリウスは家族――彼の両親や兄弟を嫌っているらしい。この家に戻る事も不本意な様子だ。サラが部屋を使う事で、実家の思い出が更に思い起こされる事が嫌なのかも知れない。
サラは、枕元に置いていた日記を引き寄せる。暗い赤色の表紙。中には、日付だけでどのページにも本文が無い。
表紙を開いた最初のページに、サラは羽ペンで一言書き込んだ。
「おはよう」
黒インクは、すうっと吸い込まれるように消えて行く。ややあって、新たに文字が浮き上がった。
「おはよう、サラ」
サラは微笑むと、羽ペンを置いた。再びナミに怒鳴られる前に、服を着替え階下へ向かう。
ホグワーツ特急で学校を去った日、アリスから祖母に会わないかと持ち掛けられた時は何の冗談かと思った。
祖母は今から八年半前、サラが七歳になる誕生日に死んでしまった。殺されたのだ。ヴォルデモートを支持する死喰人の残党、ルシウス・マルフォイに。既にヴォルデモートは失脚し、死喰人も堂々と主張する者達はアズカバンに投獄されていた。「服従の呪文で無理矢理従わされていた」とのたまい己が主を裏切った彼が祖母を手にかけた理由は、ただ、万一ヴォルデモートが戻って来た時に忠誠心の証拠とすると言う保険のため。
サラは彼を憎んだ。今でも、憎んでいる。しかしサラが彼の息子ドラコに決別を言い渡し、決意を固めて復讐に臨んだ時には、既にルシウス・マルフォイは自らの家に防御呪文を施してしまっていた。
ホグワーツに入学するまで、サラは家族の中で爪弾き者だった。生前の祖母も同様で、エリもアリスも彼女の事は祖母としての親しみどころか記憶も定かではない。サラには祖母しかいなかったように、祖母にはサラしかいないのだ。彼女の死をサラほど悼む者はいなかった。――昨年度の学期末に力を取り戻した、ヴォルデモート卿その人を除いては。
彼は、サラに協力を求めた。同じスリザリンの血を引く者同士、手を取り合おうと。「そこに居場所は無い」と言った彼の言葉は事実で、ハリー、ロン、ハーマイオニーに血筋が知れた途端サラは居場所を失った。
そこへ現れた、祖母の日記。それは、サラの心の支えとなった。
三大魔法学校対抗試合の最終日、アリスは課題の観覧を蹴ってホグワーツを抜け出していた。ホグズミードにある、祖母の家へと行っていたのだ。何でも、以前に訪れた時に落し物をしたらしい。そして貸していた鍵と共に、アリスは一冊の古びた日記を差し出した。
中に日記らしき記述は無く、インクを垂らすと吸い込まれるようにして消える。それは、二年生の頃に遭遇したトム・リドルの日記を髣髴とさせた。もしかすると、同じ類の物かも知れない。それに、「祖母の存在がまだこの世に残っているかもしれない」可能性を示唆した時のダンブルドアの態度。それは望まれない形であるかのようだった。ウィーズリー氏も、件のリドルの日記の時に「考える頭も見えないのに自分の意志で話すものを信じてはいけない」と言っていたではないか。これは、まさにその類だった。何より、リドルの日記と全く同じ形式を取っているのだ。
しかし、これはリドルの日記ではない。祖母の日記だ。アリスの目の前で実体化した祖母も、「害意は無い」と言っていたそうではないか。
それでも日記の事を誰にも話さずアリスと二人の秘密としたのは、「リドルと同じような日記」を持つと言う後ろめたさがあったのかも知れない。
「ああ、やっと起きたのか。おはよう、サラ」
階段を降りきると、厨房の方から圭太が出て来たところだった。サラは無言のまま、こくりと頷く。
「皆、待っていたんだよ。それじゃあ、行って来ます」
サラは特に返事もせず、玄関扉の向こうへ消える圭太の背中を見送った。
圭太は、週末だけグリモード・プレイスを訪れていた。否、彼の荷物も全てこちらに移動させているようだから、週末のみとは言え「帰って来ている」と言うべきか。平日は、実家や職場に近い同僚の家に身を寄せているらしい。
ナミと圭太の間の相談は、籍まで外す事はせず別居と言う事で一度は纏まったらしい。夏休みに入る前、ナミはシリウスと共にルーピンの家を隠れ家としていたようだ。サラ達がホグワーツ特急に乗る数日前、シリウスが実家を「不死鳥の騎士団」の本部として提供した。そこでサラ達の帰宅先はこちらとなり、同時にナミとシリウスもルーピンの家から移動して来た。圭太が別居を撤回し国境を越える通勤などと言う無茶を始めたのも、ちょうどその頃からだった。サラ達が――ナミがシリウスの実家に住むと言う話が、耳に入ったらしい。
「なーんだ。サラ、起きてんじゃん」
厨房への扉が開き、エリが飛び出して来て拍子抜けたように立ち止まった。
「早く来いよ、皆待ってるぜ」
エリの後に続き、サラは厨房へと入る。中央に置かれた長テーブルを囲むようにして、アリス、ナミ、シリウス、ルーピンが座っていた。サラが起きて来たのを見て、ナミが席を立つ。
「ご飯は自分でよそってね」
サラは、ぽつんと一つだけ残された食器を取る。日本で使っていた茶碗は、「必要最低限には含まれない」として置いて来た物の一つだった。この家に来た最初の日、それを後悔する事になった。家の物はどれも――つまりは食器類も埃を被っていて、埃だけならまだしもドクシーが巣くっていたりもして、急遽エリとアリスが紙皿や紙コップを買いに行った。クリーチャーは、主のいない家であまり家事に精を出さなかったらしい。指示する者がいなかったのだ。責められる事ではないだろう。
米びつを引き寄せるサラに、ルーピンが微笑いかけた。
「おはよう、サラ」
「おはようございます、先生。こんな早い時間から、どうしたんですか?」
「早いって言っても、もう十時を過ぎてるけどね」
ルーピンは軽く苦笑して続けた。
「今日は、ウィーズリー一家やハーマイオニーがこの家に来る日だろう。私が迎えに行く事になっているんだ」
騎士団の本部となるこの家は、忠誠の術によって守られていた。ダンブルドアが秘密の守人だ。彼自身は多忙のため、この場所が記載されたメモが作られている。本部の場所は重要機密。ふくろう便で飛ばす訳にはいかない。誰かがメモを見せるため、迎えに行かねばならなかった。お尋ね者のシリウスはもちろん、サラやナミも不用意に外へ出る事は出来ない。となれば、彼らの迎えは限られている。
「皆が来たら、賑やかになるねぇ。ウィーズリーさんのところは子供が多いから、掃除も大助かりだよ」
目玉焼きと温め直した味噌汁をサラの前に出し、ナミは再び椅子に座った。
「人手の話か。お前、随分とつまらない奴になってしまったなあ」
「そりゃあ、現実的な事も考えなくちゃ。いくらあなたが家を提供したと言ったって、今のこの状態じゃまだ本部としてよそ様を迎え入れる事なんて到底出来ないじゃない」
祖母がナミを突き放していたのは、ナミを守るためだった。つまりは、ホグワーツから行方をくらましたナミの居場所を祖母に伝えたシリウスの判断は、決してナミへの裏切りではなかったと言う事。ルーピンの家にいた間に、二人の間のわだかまりも無くなったようだ。それも、圭太が別居を撤回した理由の一つなのかも知れない。
五人の会話を聞きながら、サラは黙々と朝食を平らげていた。
ロンとハーマイオニーに会える。少し前までなら、どんなに喜ばしく心待ちにした事だろう。しかし今では、彼らの来訪は憂鬱でしかなかった。
今朝見た夢は、あくまでも夢であり実際に起こった事ではない。けれども、当たらずとも遠からずと言ったところだ。サラがスリザリンの血を引くと知ったハリー、ロン、ハーマイオニーの三人は、サラから離れてしまった。ロンに至っては、元々持っていたスリザリンへの反発感も相まって、サラを強く糾弾した。
同じ血を引く家族や、ナミの血筋を知りながらそれでも変わらず付き合っていたらしいシリウスやルーピンとならば、気は楽だった。――けれども、彼らは。
親しい仲だったからこそ、彼らにまた冷たい態度を取られるのが辛い。彼らと会うのが怖い。
「サラ。今日は皆の迎え準備もあるんだし、良かったら午前中も……」
「午前中は勉強に充てたいの。宿題も片付けなきゃいけないから。午後には、ちゃんと手伝うわ」
アリスの誘いを遮るように跳ね返し、サラは味噌汁を一気に飲み干すと席を立った。真っ直ぐに、寝室へと向かう。
宿題など、既に終わらせてしまっていた。サラが黙々と進めているのは、自主勉強だ。
アニメーガスに、なるための。
お昼頃になって、ざわざわとした話し声が階下から聞こえて来た。
――少し、顔を見るだけなら。
そっとサラは部屋を出た。足音を忍ばせ、階段の踊り場から一階を覗き込む。燃えるような赤毛の集団と、ふわふわした栗色の髪の女の子が目に入る。どっと懐かしさが胸に押し寄せて来る。
子供達がきょろきょろと辺りを見回す一方、ナミとウィーズリー夫妻は大人同士の挨拶を交わしていた。
「お久しぶりです、ウィーズリーさん。いつも子供達がお世話になってます」
「いいえ。こちらこそ――」
「二年前以来だね」
マグルのレンタルカーでも借りたのだろう。家の中よりも車のキーに興味を示していたウィーズリー氏も、挨拶に加わる。
「人数が足りないわね」
訪れた人達を数え、アリスが言った。ジニーが頷く。
「ビルは今日、仕事なの。夜に来るわ。チャーリーも、ルーマニアだし……」
「ん? ビルも、エジプトじゃないのか?」
エリの質問に答えたのは、フレッドだった。
「事務職に移ったのさ。本人としては、墓が恋しいみたいだけどな」
「恋しい人なら、今の職場にもいるから十分だろ」
ジョージが口を挟み、エリとアリスに言った。
「フラーっていただろ? ボーバトンの選手。彼女がグリンゴッツに勤め始めたみたいなんだよな。ビルが手取り足取り教えてる。えいーごが、うまーくなるよーうに」
フラーの訛った英語を真似して、ニヤッと笑う。
次にエリが口にした疑問は当然の流れであって、彼女自身も何の意図も無かっただろう。しかしその名前は、ウィーズリー家にとって大きな爆弾だった。
「それじゃ、パーシーは?」
パキンと音を立て、ウィーズリー氏の手の中にあった鍵が折れた。家中に泣き声を木霊させ、ウィーズリー夫人が膝から崩れ落ちた。一つ下の踊り場の壁に掛かったカーテンが独りでに開き、肖像画が罵りの言葉を叫び出す。
シリウスが母親の肖像画を黙らせに駆け上がって来て、サラは身を引き手すりの内側へと隠れる。ルーピンとナミが、ウィーズリー夫妻をなだめていた。
ウィーズリー氏の怒りを押し殺した震え声や興奮した怒鳴り声と、ウィーズリー夫人の泣きじゃくりながらの掠れ声による話を統合すると、パーシーは端的に言えば一家と決別したらしい。夏休みに入って直ぐ、彼は急に昇進した。異例な人事。ファッジはパーシーをパイプとして騎士団を探ろうとしているのだろう。ウィーズリー氏のその考えを、パーシーが喜ぶはずもなかった。パーシーとしては、喜んでくれるだろうと疑いもせずに話したに違いない。それを後ろ向きに捕らえられ、あまつさえ実力さえ否定されたパーシーは怒り狂った。ウィーズリー氏の野心の無さ、そして家計が苦しい事への責任までも追及した。
「なんか……やだな……。ヴォルデモートが復活して、あたし達、今こそ協力しなきゃいけない時だろーにさ……」
エリのぼやきに、サラは、手すりを握る手にぎゅっと力をこめた。
今こそ、力を合わせるとき。昨年末、ダンブルドアも言っていた事だ。
しかし、サラはスリザリンの血を引いているのだ。ヴォルデモートと血が繋がっているのだ。
サラは、ここにいるべき人間ではないのではないか。
「そうだ。あなた達の部屋を案内しないとね。この通り埃っぽい家だけど、あなた達の泊まる部屋は先に掃除しておいたから。女は二階、男は三階に……」
「エリ達は先にここに来ていたのよね。もしかして、夏休みに入った時から?」
そう尋ねたのは、ハーマイオニーだった。彼女がエリに話しかける様子はいつもと何ら変わりなくて、何の遺恨も感じられなかった。
「うん。母さんがシャノンのばあさんの娘だって事がばれちゃって、日本の家は危なくなっちゃったからさ。この家、親父の実家なんだ。だから、あたし達も」
「広い家だから、掃除しなくちゃいけない所はまだまだ残ってるわ。皆にも手伝ってもらう事になると思う。よろしくね」
アリスがにっこりと笑いかける。ロンも、平然と会話に加わった。
「夏中に終わるのか? ……気が遠くなりそう。まさか、ひたすら退屈な掃除で夏休みをつぶす事にはならないだろうな」
エリがニヤリと笑って言った。
「いやー、ロンにとってはなかなかスリルのある夏になるんじゃないかな。これだけ汚ければ、ドクシーみたいな魔法生物もだけど、蜘蛛の巣も至る所にあるからな」
「やめてくれよ」
ロンが顔を蒼くする。
「良かったじゃないか、ロン」
「さてと。部屋は三階だよな? それじゃ、俺達は一足お先に……」
「フレッド! ジョージ! また――」
サラは、ふいと背を向けた。間も無く、皆がここへ上がって来る。その前に、部屋に戻らなくては。
足を踏み出しかけ、サラはびくりと肩を震わせ動きを止めた。バーンと言う大きな音と共に、先程まで階段下にいたフレッドとジョージが目の前に「姿現し」したのだ。
階下からは、無駄に姿現しを使うなとウィーズリー夫人が怒鳴っていた。
「やあ、サラ。こんな所にいたんだね。てっきり、いないのかと思ったよ。皆と一緒に降りて来ればいいのに」
「もっとも、もう直ぐ皆の方がこっちに来るけどな。ロンとハーマイオニーも……あれ? おい、サラ?」
サラは二人の間をすり抜け、駆け去っていた。そのまま、「許可無き者の入室禁止」の掲示が掲げられた部屋に飛び込む。
お昼はウィーズリー一家とハーマイオニーも交えた皆で厨房の長テーブルを囲み、ナミとモリーによって軽くご馳走とも呼べるだけの食事が振舞われたが、結局最後までサラは姿を現さなかった。
午後の掃除も、サラは徹底的に皆を避けた。誰もサラが部屋から出て来るのを見ていないが、気が付くと取り掛かっていたのとはサラの部屋を挟んで反対に位置する所がピカピカになっていた。一人だけサボっているのならば文句も言えようが、きちんと皆と同じだけ――もしかしたらその数倍働いているのであれば、何も言えまい。尤も、一室を全てサラ一人で掃除など出来よう筈も無く、少なからずクリーチャーの力を借りてはいるのだが。
夕飯時になってナミが様子を見に来たが、やはりサラは部屋を出ようとはしなかった。
灯りも点けず、サラは膝を抱えてベッドに座り込んでいた。
七月も、そろそろ中旬と呼べるようになろうかと言うところ。これから一ヵ月半以上も、夏休みがあるのだ。
――長い……。
今までも毎年、夏休みは長く感じられた。日本での二ヶ月間は退屈で、うだるような暑さも加わり気力が失われていくかのようだった。それでも、夏休みが終われば新学期が始まる。またホグワーツ城に帰れる。皆に会える。それだけを楽しみに毎日を過ごしていた。
今は、新学期が待ち遠しいなんて全く思えない。
夏休みが終わって、新学期が始まれば、ホグワーツで毎日を暮らす事になる。こうして引き篭もれるような一人部屋もなく、談話室、大広間、授業と、毎日彼らと顔を合わさなければならない。ハーマイオニーに至っては、部屋まで同じなのだ。
バチンと大きな音がして、サラはびくりと顔を上げた。ベッドの脇に姿現ししたのは成人して魔法が使い放題になったウィーズリーの双子ではなく、食事を乗せた銀盆を抱えたクリーチャーだった。
「ずっと食事を抜かれては、お身体に障ります」
「……ありがとう」
サラはベッドから這い降り、中央に置かれた丸テーブルに腰掛ける。クリーチャーが、ハンバーグや白米、サラダ、ポテトサラダなどを並べていく。
「これって、皆と同じ夕食?」
ハンバーグに口をつけ、サラは尋ねた。てっきりクリーチャーが用意してくれたものと思ったが、甘めに味付けされたデミグラスソースはナミが普段作るものと同じ味だった。
「ご主人様が、サラ様の所へ運ぶようにと」
言って、クリーチャーは顔を歪ませ、口をパクパクさせていた。以前にサラが叱ったシリウスへの暴言を、声を出さずに言っているに違いない。クリーチャーはシリウスとサラをご主人様と呼ぶが、どう言う訳かエリには従わなかった。
「命令を受けなければ、もっと良いものをご用意するつもりでした。あんな、出来損ないと血を裏切る者の作った食事など……。
煩い餓鬼どもが増えた。穢れた血まで進入を許すんて。奥様が今のこのお屋敷をご覧になったら、どんなにお嘆きになるか……。それに奴らは、サラ様を深く傷つける……」
「ハーマイオニーの事をそんな風に言わないで」
クリーチャーはサラの命令を受け、言葉を詰まらせる。
サラは席を立ち、クリーチャーの前にしゃがみ込んだ。ぽん、とその頭に手を乗せる。
「心配してくれて、ありがとう。でもね、彼らは何も悪くないの。何も……」
ふと、サラはクリーチャーを抱き寄せた。灰色の瞳から、ぽろぽろと雫が零れ落ちる。
「あの……ご主人様……? お食事は……」
「ごめんね、ちゃんと食べるから。だから、少しの間、こうしていさせて……」
サラの震える声にクリーチャーは更に驚いた様子だったが、そのままサラが泣き止むまでじっとその腕に抱かれていた。
どんなに皆を避けて部屋に引き篭もろうとしても、洗面や排泄、そして風呂はどうしても部屋から出ざるを得なかった。扉の前に立って廊下に耳を澄ませ、そっと押し開く。
廊下に人影は無く、灯りの届ききらないそこかしこを闇が包むのみ。サラはバスタオルと着替えを抱えると、慎重に廊下へと滑り出た。
話し声は、全て階下から聞こえていた。皆、まだ厨房に集まっているらしい。
もしも、学期末にあんな事が無ければ――サラがヴォルデモートと同じ血を引いていなければ、サラも、その中にいたのだろうか。その場合も変身術の勉強のために一人の時間を確保していた可能性はあれども、こんなに沈んだ気持ちでは無かったはずだ。
ぼんやりと佇んでいたサラは、階段を上がって来る人物に気付くのが遅れてしまった。
「あ……」
ハーマイオニーは目を丸く開き、立ち止まる。
サラはぎくりとハーマイオニーを見つめ返した。皆とは――特にロンとハーマイオニーとは、会いたくなかったのに。
「あの……サラ……えっと……」
口篭りながらも懸命に何か話そうとするハーマイオニーの横を、サラは無言で通り抜けた。サラの無視に、ハーマイオニーは黙り込んでしまう。
何も聞きたくない。非難の言葉も、怯えている事実を隠そうとする偽りの言葉も。
ハーマイオニーが上って来たという事は、皆寝室へと解散しつつあると言う事。階段を降りきる前に、今度はロンが踊り場に姿を現した。
思いがけない対向者に、ロンは一瞬目を見開き立ち止まる。それからサラと上の段で立ち尽くすハーマイオニーを交互に見て、キッとサラを睨んだ。
「ハーマイオニーに何を言ったんだ?」
「何も。あなた達に構うほど私も暇じゃないから、ご心配なく」
冷たく言って、サラは彼の横も通り過ぎようとした。
しかし、強い力で腕を掴まれ、それは叶わなかった。
「サラザール・スリザリンは、狂った純血主義だ」
「狂っていたかどうかの事実は主観的判断だから歴史書に載っていないけれど、後者については有名な話しね」
「君はその血を引いている」
「……そうね」
「君の行動は、スリザリン……いや、それ以上に酷いと思う事が何度もあった」
「……」
「……君も、『例のあの人』みたいに先祖を支持するのか……?」
青い双眸が、サラを見つめていた。ドラコよりも濃く、夏の空のようなその色。
サラはふいと視線を外し、小さく呟いた。
「聞かなきゃいけないような事……?」
「え?」
「――答える必要性を感じないわ」
ロンの腕を強く払い、サラは足早にその場を去る。背後から、ロンがハーマイオニーに話しかける声が聞こえて来た。
「あいつに言われた事なんて、気にする事ないさ……」
声を振り切るように、サラは駆け出していた。
逃げ場所を、求めるように。
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The Blood
第2部
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2012/07/28