『レギュラス・アークタラス・ブラック』
扉に書かれた手書きの文字は、軽く埃を払うと問題なく読み取る事が出来た。シリウスの弟。一度はヴォルデモートの配下に下り、そして思い改め袂を分かとうとして殺された人物。
サラはそっと、扉の文字を指でなぞる。生前の彼は、クリーチャーを可愛がっていた。クリーチャーのブツブツに幾度と無く登場している「坊ちゃま」とは、彼の事だったのだろう。彼の話をする時のクリーチャーの声色には、シリウスへの態度とは対照的に心からの尊敬の念が込められていた。
サラは部屋に入ると、屋敷僕妖精の名を呼ばわった。
「クリーチャー」
バチンと音がして、ベッドと机の間のスペースに年老いた屋敷僕妖精が姿を現した。
シリウスに罵られ怒りと悲嘆で惨めな表情をしていたクリーチャーは、サラがポケットから取り出した物を見てその大きな目を瞬かせた。
それは、金のロケットだった。シリウスがゴミとして分別した中から、こっそりくすねて来たのだ。
装飾品の類には疎く、さして興味もないと思っていたサラだが、このロケットは随分と魅力的な物に思えた。
よく見る一般的なロケットと比べると一回りほど大きい。小さな緑色の宝石が蛇のように連なり、Sと言う文字を象っていた。見た目は実にシンプルで、ずっと屋敷で埃を被っていた事もあってか酷く古めかしい。別段好みの装飾と言う訳でもないのに、何故かこれを手放すのは酷く惜しく感じられた。
「ご主人様?」
クリーチャーの声で、サラはハッと我に返った。
微笑み、クリーチャーの視線の高さに合わせてしゃがみ込む。
「……先に確認したいのだけど、アクセサリーは衣服には含まれないわよね?」
「はい。屋敷僕妖精を解雇する手段の事でしたら、上着やズボンや靴下など、布やそれに類する服でなければなりません」
「じゃあ、私がこれをあげても問題はないわね」
クリーチャーは、大きな瞳を更に大きく見開き、再びパチパチと瞬かせた。
「そのロケットを――クリーチャーめに、ですか?」
「他に誰がいる?」
クリーチャーの反応は、予想を遥かに上回るものだった。サラからロケットを受け取ったかと思うと、胸に強く抱きワッと泣き出したのだ。サラはぎょっとして廊下の方に耳をそばだて、床に泣き伏すクリーチャーを抱き起こした。ロケットを渡す際に感じたもの惜しさなど、すっかり吹き飛んでしまっていた。
「お願い――泣かないで――静かにして、お願いだから。これを私があなたに渡した事、誰にも悟られたくないのよ。特にシリウスには」
クリーチャーはピタリと泣き止み、こくこくとうなずいた。落ち着いたと言うよりも、サラの命令によって強制的に泣き止んでしまったようだった。
それでも、また泣き叫ばれる訳にはいかない。どうしてやる事も出来ずに、サラは続けた。
「シリウスにとっては忌まわしい品々でも、あなたにとっては大切な家族の思い出だものね。でもね、全てを残す訳にはいかないのよ。ここは、新しい目的で使われようとしているし、そのためには場所を空けなくちゃいけない。分かってくれるわね?」
クリーチャーは恨みがましそうにサラを見つめていたが、渋々と言うように首を縦に振った。まるで、悪戯が見付かって叱られた子供のようだった。
うな垂れる彼の頭に、サラはポンと優しく手を置いた。
「いい子ね。でも、全て何もかも捨てる必要はないと、私も思うの。だから、これからも掃除の合間に残せそうな物は取って来るわ。あなたの寝床に収まる範囲で、噛み付いたりして来ない安全な物をね」
クリーチャーは目いっぱいに涙を溜めたかと思うと、再び床に伏した。
「何ともありがたき――高潔なるご主人様のご厚情に感謝を――」
「顔を挙げて、クリーチャー。その代わりね、一つ約束して欲しいの。もう二度と、私の前で『穢れた血』なんて言葉を使わないで。ハーマイオニーをそんな風に呼ばないで。彼女は、私の大切な――」
その先は、出て来なかった。
友達――だと、思っていた。しかし今、彼女達は友達だと言えるのだろうか。
コンコンと戸を叩く音に、サラは我に返った。
「夕飯が出来たよ」
ナミの声だ。返事を待たず、足音は遠ざかる。部屋にいる子供達に順々に声を掛けて回っているようだ。
「……とにかく、その言葉を使わないでね」
伏目がちに呟くと、サラは部屋を出て行った。
No.38
その日、シャワールームを出て来たエリは厨房の前でハリーとかち合った。
「あれ? 今日はやけに早いんだな、ハリー。どうしたんだ?」
「おはよう、エリ。エリこそ早いんだね。シャワー浴びてたの?」
珍しく髪を下ろし、肩にタオルを掛けている姿を見てハリーは問い返した。エリはうなずく。
「汗掻いたからなー」
「昨日の晩、そんなに暑かったっけ?」
ハリーの疑問はもっともだった。昼間ならば夏ともなればこちらも暑いが、日本とは違い、夜になると涼しい事が多い。
「筋トレしてたんだ。本当なら、外走りたいんだけどな。あんまりこの辺りで外ほっつき歩く訳にいかないし。ホグワーツなら城内で階段使ったりも出来るけど、この屋敷でそれやるとばあちゃんが五月蝿いだろ?」
玄関ホールや階段では物音を立てない事。それが、この屋敷内における決まりだった。今はブラック夫人の肖像画にカーテンがかかり彼女も静まり返っているが、一度物音を立てようものなら、彼女は叫び出し屋敷中の人の眠りを妨げる事となるだろう。
厨房には、ウィーズリー夫妻、ナミ、シリウス、ルーピン、トンクスが既に集まっていた。エリとハリーが入って来たのを見ると、ウィーズリー夫人とナミが立ち上がって朝食の準備に取り掛かった。
「おはよう。皆、早いんだな」
シリウスの隣に腰掛けながら、エリはぐるりと食卓を囲む面々を見回した。
「おはよう、エリ、ハリー。今朝はよく眠れた?」
トンクスが欠伸をしながら答えた。
「私、ずっと起きてたの。ほら、ハリー、ここに座りなさいよ……」
トンクスが隣の椅子を引く。つられて倒れたその隣の椅子を元に戻して、ハリーはトンクスの隣に座った。
「何を食べる?」
キッチンの方から、ウィーズリー夫人が呼びかけた。
「オートミール? マフィン? ニシンの燻製? ベーコンエッグ? トースト?」
「あの――トーストだけ、お願いします」
「あたしも。後、ベーコンエッグも。黄身は固めでな」
遠慮の無い注文はナミの方へと、エリはハリーの後に続けて言った。
トンクスらが魔法省の誰かについて話すのを、エリは話半分に聞いていた。どうせ詳しい事は分からないし、聞いても答えてくれない。肝心な事は、子供達を締め出した会議の場でしか話さない。エリ達の関心が消え失せておらず伸び耳がまだ残っていると悟られないためにも、普段はあまり首を突っ込まない事に決まっていた。
ウィーズリー夫人が置いてくれたトーストの間に、ナミが焼いたベーコンエッグを挟んで食べる。ウィーズリー夫人はトーストを置いた後、ハリーの隣に座って服の皺を伸ばしたり、Tシャツのラベルを内側に入れたり、身なりを整えようとしていた。
トンクスとの話を終え、ウィーズリー氏はハリーに向き直った。彼は仕事ではなさそうだが、身なりの整った格好をしていた。
「気分はどうかね?」
ハリーは肩をすくめた。その顔色は、あまり良いとは言えないものだった。
「すぐ終わるよ。数時間後には無罪放免だ」
そこまで聞いて、ようやくエリは思い出し、「あっ」と声を上げた。
「そっか。今日って、尋問の日か。そういや、昨日、そんな事言ってたな」
ハリーは何も答えなかった。
ハリー自身は、あまりこの後の事を考えたくないのかもしれない。だから、朝早い理由をエリが問うた時も、答えずに質問を返したのだろう。
「尋問は私の事務所と同じ階で、アメリア・ボーンズの部屋だ。魔法法執行部の部長で、君の尋問を担当する魔女だがね」
「アメリア・ボーンズは大丈夫よ、ハリー。公平な魔女だから。ちゃんと聞いてくれるわよ」
トンクスが真剣な顔で言った。エリも、その後に続ける。
「ボーンズさんなら、きっと大丈夫だよ! スーザンの叔母さんだ。ほら、あたしと同じ寮のスーザン・ボーンズ。ハリーの事だって、よく知ってるはずだ」
「カッとなるなよ。礼儀正しくして、事実だけを言うんだ」
「法律は君に有利だ。未成年魔法使いでも、命を脅かされる状況では魔法を使う事が許される」
「魔法省だって、状況を把握していないんだよ。それを確認するために行くだけなんだから、何も焦ったり萎縮する必要なんて無い。いつも通りにして、きちんと何があったか伝えればそれでいいんだよ」
シリウス、ルーピン、ナミも口々にハリーに励ましの言葉を掛けていた。
ウィーズリー夫人は濡れた櫛を持って来て、ハリーの頑固なくせっ毛を何とかしようとしていた。しかし、ピョンピョンと自由に跳ねた髪が大人しくする様子はなく、ぎゅっと頭のてっぺんを押さえながら絶望的な声を出した。
「真っ直ぐにはならないのかしら?」
ハリーはとうの昔に諦めがついているといった様子で、黙って首を左右に振った。
ウィーズリー氏が時計を確認し、席を立った。
「そろそろ出かけよう。少し早いが、ここでぐずぐずしているより、魔法省に行っていた方がいいだろう」
「オーケー」
ハリーは大して食べていないトーストを皿に置き、立ち上がった。
「いってらっしゃい。いい報せを待ってるぜ!」
「大丈夫よ、ハリー」
「頑張れ。必ず上手く行くと思うよ」
「そうじゃなかったら、私が君のためにアメリア・ボーンズに一泡吹かせてやる……」
シリウスは、本当に何か仕出かしかねないと思わせる形相だ。
「ファイト!」
ナミは、ハリーの背中をポンと軽く叩いて言った。
ウィーズリー夫人が、ハリーを強く抱きしめる。
「皆でお祈りしていますよ」
「それじゃ、あの……行って来ます」
ハリーはウィーズリー氏の後に続いて、厨房を出て行った。
彼らが出て行った後、ちょうど入れ替わるようにしてサラが厨房へと姿を現した。厨房にいる面子を見て、ホッと息を吐く。この屋敷を出入りしている者達は皆エリ達の血筋を知っていたが、皆が皆気にしないと言う訳ではなかった。特にサラについては、先日のマンダンガスの一件で不信感を抱いている者も少なからずいるようだ。しかしここにいるメンバーについては、もちろんサラを疑ってなどいなかった。
「おはよう、サラ」
「おはよう、トンクス」
サラは、先ほどまでハリーが座っていた椅子に腰掛けた。
「サラもトーストとベーコンエッグ?」
ナミが声を掛ける。ウィーズリー夫人は、櫛を片付けに行っていた。
「マフィンの方がいいわ」
「はいはい」
サラは、そわそわと時計を確認しているようだった。時計と、扉の方とを、交互に見ている。見かねたルーピンが、声を掛けた。
「どうかしたのかい?」
「いえ、あの……今日って、ハリーの懲戒尋問よね? まだ時間はたっぷりあるけど、そろそろ起きていた方が……」
「ハリーならもう行きましたよ」
櫛を片付けて来たウィーズリー夫人が、サラに言った。
トンクスが苦笑する。
「ちょうどさっきね。もう少し早ければ、サラも見送れたのだろうけど。励ましたかったんでしょ?」
「え――あ――そう。それなら良いの。問題ないわ。別に、励まそうなんて……私が何か言って、どうなるものでもないのだから……」
もごもごと言って、サラは誤魔化すようにマフィンにかぶりついた。
その日の午前の掃除は、いつも以上に長く感じられた。誰もが作業に身が入らず、そわそわと時間を気にしていた。
お昼が近付き、ハリーの帰って来るだろう時間が迫って来ると、自然と皆厨房に集まった。三階の客間の掃除が中途半端な状態で切り上げられていたが、珍しくウィーズリー夫人は何も言わなかった。
帰宅したハリーはテーブルを囲む一同をぐるっと見回し、無罪放免を告げた。
「思ったとおりだ!」
一番に声を上げたのは、ロンだった。
「君はいつだってちゃんと乗り切るのさ」
「無罪で当然なのよ。あなたには、何の罪も無かったんだから。本当に、何も」
ハーマイオニーが続けて話した。エリはフレッド、ジョージ、ジニーと一緒になってハリーの無罪放免を祝い歌い踊っていた。
「僕が許されると思っていた割には、皆随分ホッとしているみたいだけど」
そう言いながらも、ハリーは笑顔だった。肩の荷が降りたのだろう。
「当然じゃない。法律上はあなたは何も問題ないわ。でも、ここ最近の日刊預言者新聞や魔法省の態度を見ていると不安にもなるわよ。サラも、ずっと心配していたのよね?」
アリスがサラに話を振り、ハリーが彼女を見た。エリは、この夏休み、ハリーとサラが話しているのを見た事がなかった。二人の視線が合う。サラは今朝のように誤魔化しこそしなかったが、戸惑うように視線をそらした。
「……私、バックビークに餌をやって来るわ」
シリウスがナミとの言い合いで気まずかったり怒ったりしている時に使うお決まりの台詞を残し、サラは席を立った。
「やめなさい!」
ウィーズリー氏は、エリ達に怒鳴りながらも笑っていた。
「ところでシリウス、ルシウス・マルフォイが魔法省にいた――」
エリは思わず歌うのをやめ、戸口を振り返った。厨房を出ようとしていたサラはピタリと立ち止まり、背を向けたままその場に佇んでいた。
まだ歌い続けるフレッド、ジョージ、ジニーを再度叱り飛ばし、ウィーズリー氏は真剣な面持ちで続けた。
「そうなんだ。地下九階でファッジと話しているのを、私達が目撃した。それから二人は大臣室に行った。ダンブルドアに知らせておかないと」
「その通りだ。知らせておく。心配いらない」
「さあ、私は出かけないと。ベスナル・グリーンで逆流トイレが私を待っている。モリー、帰りが遅くなるよ。トンクスに代わってあげるからね。それから、キングズリーが夕食に寄るかもしれない――サラ、ちょっと失礼するよ」
戸口の所に立ったままのサラに声を掛け、ウィーズリー氏はその横を通り抜けようとした。
「……ルシウス・マルフォイは、何の話をしていたんですか?」
厨房を出て行こうとしたウィーズリー氏に、サラは尋ねた。
「さあ……。話の内容までは聞こえなかった。何しろ、人目をはばかるように小声で話していたものだからね。我々に声を掛けて来たから、あの場にいた事自体を隠す気はないのだろうが――」
ウィーズリー氏は今度こそ、厨房を出て行った。サラはちらりとこちらを振り返り、シリウスの母親――エリ達にとっては祖母の部屋へと向かった。
それからの数日間、特に新しい情報は得られなかった。ウィーズリー夫人だけでなく、ナミやウィーズリー氏、ルーピン、シリウスまでもがハリーが来た日に話してくれた以外は子供達に知らせる必要がないと考えているようだった。
いつも遅くても八月の半ばには来るホグワーツからの手紙は、夏休み最終日になってようやくグリモード・プレイスに運ばれて来た。
エリは散らかった私物を片付ける手を中断し、アリスが持って来た封筒を開けた。
「今年は随分と遅いわよね。教科書は買いに行かなきゃいけないのに、前日だなんて。間に合わない人もいるんじゃないかしら……」
「闇の魔術に対する防衛術の教科書が決まらなかったからじゃないか? ほら、今年は特に先生を見つけるのにダンブルドアが苦労しているみたいだったし」
「……それだけなら、いいんだけど」
「どう言う事だ?」
「この手紙が、真っ直ぐグリモード・プレイスへ来たとは限らないって事」
「まさか。ここの事は騎士団とあたし達以外しか知らないんだぜ? 検閲なんてしようがないだろ」
「まあ、そうなんだけどね……。私、ハーマイオニーとジニーの分を渡して来るわね」
そう言って、アリスは部屋を出て行った。アリスのベッドの周りは何も散らかっておらず、新学期の準備も残るは新しい教科書と選択中の衣類だけになっていた。
エリはざっと教科書リストに目を通し、封筒をベッドの上に放った。封筒の中から何か小さい物が飛び出して、小さな音を立てて床に転がった。
それは、バッジだった。骨組みが三本しかない傘マークを逆さにしたような形で、黒い縁に黄色が囲まれている。穴熊を象った絵が描かれ、たすきのように斜めにキャプテンの文字が入っていた。
エリは慌てて封筒を確認する。ホグワーツから送られて来た封筒の中には教科書リストの他にもう一枚、クィディッチ・キャプテンへの任命を知らせる手紙が入っていた。
エリは部屋を飛び出した。直ぐ隣の部屋では、同じようにハーマイオニーとジニーとアリスがホグワーツからの手紙を確認していた。
「アリス! ジニー! ハーマイオニー!」
「あら、エリ――あなたも貰ったのね?」
ハーマイオニーは、やや興奮して頬を紅潮させていた。エリの手にあるバッジに目を留め、嬉しそうに話す。
「私もなのよ! 監督生だわ!」
「監督生?」
エリは目を瞬く。
ハーマイオニーも、よく似たバッジを持っていた。ただし、ハーマイオニーのバッジは赤と金だ。描かれた動物もライオンだ。
「すげーや、おめでとう! あたしは違うよ――クィディッチのキャプテンだって」
エリは、バッジを差し出した。そこに書かれた文字は、ハーマイオニーの物とは異なっていた。
「どうしよう?」
「どうしようって?」
ジニーが目をパチクリさせてオウム返しに尋ね返した。
「だって、あたしがキャプテンなんて……リーダーなんて柄じゃないよ」
「あら。エリ、学級委員だってやっていたじゃない」
「小学校の学級委員なんて、実際のところ朝礼で皆を並ばせたり、たまの学級会で仕切るぐらいしか仕事無いだろ。全然規模が違うよ」
「規模を問題にするならエリ、あなたもっと大きな事を既にやっているじゃない!」
ハーマイオニーが驚いたように言った。
「去年のクリスマスに、クィディッチ大会を催していたでしょう? あれでエリしかいないって事になったんじゃないかしら」
「大会って――あれは元々、仲間内で遊ぶつもりがクラム誘ったら一緒にやりたいって生徒が続出したりとか、観客がたくさん来たりとか、色々ついて来ただけで――それに、アーニー達だって一緒だったよ」
「でもその中心にいたのはエリでしょう? 謙遜する事なんてないわよ。エリなら出来るって判断されたから、選ばれたんだから」
「あ、ありがとう」
エリはぽりぽりと頬を掻く。実のところ、嬉しくない訳ではなかった。クィディッチは好きだし、チームのリーダーになれるならこれほど誇り高い事はない。ただ、戦力のバランスや試合の作戦など、難しい事を考えるのはどうにも苦手だ。一時期練ってみた事もあったが、頭が痛くなりそうな作業だった。その辺りは、チームの皆に協力してもらうしかない。
「そ、そうだ。ハリーも貰ったかな?」
確か、グリフィンドールもウッドの卒業でキャプテンの席が空いているはずだ。それに、監督生の方もきっと。
ハーマイオニーは、目を輝かせてうなずいた。
「行ってみましょう」
「私、お母さんに教科書について相談して来るわ。今日中に買わなくちゃいけないもの」
「あたしも行くわ」
アリスとジニーは連れ立って、階下へと降りて行った。
エリとハーマイオニーは、男子部屋へと向かった。ハーマイオニーはノックする事もなく、扉を勢い良く開いた。
「ねえ――貰った――?」
エリは、ハーマイオニーの後ろから部屋を覗き込む。部屋には、ハリーとロンの他にフレッドとジョージもいた。そしてハリーも、ハーマイオニーと同じ赤と金のバッジを手に持っていた。
ハーマイオニーは歓声を上げた。
「そうだと思った! 私もよ、ハリー、私も! それにエリも、クィディッチのキャプテンですって!」
ハーマイオニーは真っ直ぐにハリーへと向かう。エリも、その後に続いて部屋に入った。ハリーとロンは、どちらかと言うとエリと同じタイプのようだ。荷物の散らかった部屋に、エリは自分だけではなかったのだとこっそり安堵の息を吐いた。
「違うんだ。ロンだよ、僕じゃない」
ハリーは慌てて言って、手に持っていたバッジをロンにつき返した。エリも、ハーマイオニーも、ぽかんと立ち尽くす。
「だれ――え?」
「ロンが監督生。僕じゃない」
「ロン? でも……確かなの? だって……」
ロンは、ムッとしたように言った。
「手紙に書いてあるのは僕の名前だ」
「私……私……えーと……わーっ! ロン、おめでとう! ほんとに――」
「予想外だった」
ジョージが感慨深そうにうなずいて言った。
「違うわ。ううん、そうじゃない……ロンはいろんな事を……ロンは本当に……」
「あたしは、ハリーだろうと思ってた」
ハーマイオニーがフォローしようとする傍ら、エリはズバリと言った。
「だって、そうだろ? もちろん、ロンだって向いてはいるだろうさ。だけど、グリフィンドールにはハリーがいるんだから――」
再び扉が開き、今度はウィーズリー夫人が洗濯したてのローブを山のように抱えて入って来た。
「ジニーとアリスが、教科書リストがやっと届いたって言ってたわ。皆、封筒を私にちょうだい。午後からダイアゴン横丁に行って、皆が荷造りしている間に教科書を買って来てあげましょう。ロン、あなたのパジャマも買わなきゃ。全部二十センチ近く短くなっちゃって。おまえったら、なんて背が伸びるのが早いの……どんな色がいい?」
「赤と金にすればいい。バッジに似合う」
ジョージがニヤニヤして言った。
「何にですって?」
「バッジだよ。新品ピッカピカの素敵な監督生バッジさ」
フレッドが言った。どうやら双子の兄達は、ロンが監督生になった事を歓迎していない様子だった。思えば、パーシーに対してもいつもからかってばかりだった。同じか――あるいは、パーシーが道を違った今となっては、監督生さえも忌む対象なのかも知れない。
ウィーズリー夫人は、我が家の六男が長男から三男までに続いて監督生になったと知って、大層喜んでいた。ご褒美を買わなくてはと意気込む母親に、ロンは箒をねだっていた。
「キャプテンの方は、誰もならなかったの?」
エリは、ハリー、フレッド、ジョージに尋ねた。フレッドが軽く肩をすくめた。
「お生憎。多分、アンジェリーナじゃないかな。纏め上げる役割となれば俺達より彼女の方が向いてるだろうし、残る七年生は彼女だけだ」
「ハッフルパフはエリがキャプテンか……チーム編成は?」
「まだ決まってないし、決まってもグリフィンドールに教える訳ないだろ。試合でのお楽しみ!
でも、そうだよなあ……。キャプテンって、大体が七年生だよな。うわー、ほんとにあたし、出来るのかなあ」
「エリなら大丈夫だよ。ウッドだって、僕達が入学した時、五年生でキャプテンをやっていたじゃないか」
ハリーは、やけに明るい声だった。ハーマイオニーと同じように、親友の監督生着任で興奮しているのだろうか。
「まあ、頑張れよ。セドリックだって、エリになら任せられるだろうさ」
フレッドの言葉に、エリはぎゅうっと胃を鷲掴みにされたかのようだった。高揚していた気持ちが嘘のように静まる。
――そうだ。今年、クィディッチのキャプテンになると言う事は、セドリックの後任になると言う事なのだ。
当たり前の事なのに、そんな事も忘れていただなんて。ただ、キャプテンになったと言う事実だけに浮き足立って。
セドリックは七年生だったのだから、例え生きていたのだとしても今年新しいキャプテンが選ばれる事には変わりない。しかしエリは、まるでセドリックから肩書きを奪ってしまったような気がしてならなかった。
「エリ?」
突然黙り込んだエリに、フレッドとジョージが怪訝そうにする。エリは慌てて、笑顔を取り繕った。
「あの――あたし、部屋を片付けなきゃ。まだ、荷物が散らかってるんだ。じゃあ、またな」
エリはその場から逃げるように去った。
アリスとの相部屋に戻り、バタンと扉を閉める。そしてそのまま、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
目を閉じると、今も瞼の裏に彼の笑顔を思い浮かべる事が出来る。そして、石のように動かなくなった表情とガラス玉のような瞳も。
ヴォルデモートに殺されてしまったセドリック。たまたま偶然、奴の復活に居合わせてしまったばかりに。
「セドリック……あたし、頑張るよ。お前のチーム、しっかり引っ張って行く」
グイと袖で目元を拭うと、エリは立ち上がった。
クィディッチ・チームのキャプテン。それは今やエリにとって、ただ好きなスポーツでのリーダーと言うだけではなく、強い意味を持つものとなっていた。
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2013/08/19