八月二十五日の朝。サラは、マルフォイ一家に別れを告げていた。
「お世話になりました。……本当に、ご迷惑をおかけしました」
 マルフォイ氏は、渋面で頷く。
 あの後、当然、クリーチャーの姿現しは魔法省にキャッチされた。何があったのか――街灯破壊は仕方が無かったと言う事、どうしても魔法を使わねばならない状況だったと言う事、使用したのは屋敷僕妖精である事、よって、サラもドラコも規則を破っていない事、マルフォイ氏がそう弁護してくれたのだった。
「済んだ事はもういい。ただし以前にも言ったが、若し再びこのような事があったら、ドラコと距離を置いてもらわねばならない」
「……はい」
 サラは硬い表情で頷く。
 事が起こったのは、マグルの町中。当然、サラがドラコを連れ出したのだとばれてしまった。元々、純血主義でマグルなんてもっての外と言う様な家。その上面倒を起こしてしまったのだから、心象が良い筈が無い。
「そこまで送るよ」
 言って、ドラコは出て来た。
「ドラコ、貴方も夜に行くのだから準備は――」
「終わらせてます。サラ、行こう」
 ドラコはサラの手を取り、玄関を出て行った。
 学校に必要な荷物は、陰山寺へ運んでおいた。キャンプの荷物だけを背負って、サラはポートキーの場所へと向かう。
 茨と生垣の間を歩きながら、ドラコはぽつりと言った。
「父上はああ仰るけど……僕は、別れるつもりなんて無いからな。その……知らない町をサラと歩くのも、面白かったし」
 サラはこくりと頷き、握った手に力を込めた。
 マルフォイ夫人の方も、サラへの見方が大きく変わった様子だった。
『やっぱり、あの男の娘ね』
 ロンドンから帰った日、マルフォイ夫人はそう言った。シリウスに似て、変わり者だと。
 ドラコの両親の、マグルへの嫌悪。そしてサラへの視線。グリフィンドールとスリザリン――寮なんて関係無い。何を言われようとそう思っていたが、この溝は二人が思った以上に深かった。
「でも、おば様はあの一言っきりだったわね」
 サラは、隣を歩くドラコを見上げる。
「その後も、服が汚れていたのを世話してくださったり……怒ってらっしゃると思うのだけど……」
「そりゃ、あれだけずぶ濡れで泥まみれなのを放置する訳にはいかないだろ」
 ドラコは笑って言う。
 野原には、既に何人かの魔法使いや魔女が集まっていた。二人は、繋いでいた手を離す。
「じゃあまたね、ドラコ。向こうで会えるといいわね」
「ああ」
 サラはひらりと手を振ると、ドラコに背を向けた。





No.4





 エリとアリスは、人ごみに逆らいながら改札を抜けた。直ぐ近くにある海から、潮風が吹いてきている。
「すっげー人だなあ……。こんな所で、何があったんだ?」
「さあ……。でも何にせよ、人が多いからこそここが選ばれたんでしょ。これだけ人がいれば、何人かが突然消えたって判らないわ。大きな荷物を持っている人も多いから、紛れられるし……」
 トランクを転がして行く女の子達の一団を眺めながら、アリスは言う。トランクや、パンパンに膨れた手提げ、大きな紙袋。キャンプの荷物を持っているエリ達が紛れるには、実に都合が良かった。人数も尋常ではない。切符の販売は券売機だけでは間に合わず、コンビニの横に机が設けられていた。
「海の方なのよね?」
「ああ。この建物の横にある駐車場だって」
 エリは、特徴的な形をした大きなゲートの写真を見せる。
 二人は、人の流れに逆らって歩き出した。
 エリ達がいるのは、まだ日本。ここから、ツアーの人達と一緒に試合会場へ行く事になっていた。何でも、国境を越える移動は魔法でも制限がかかるらしい。陰山寺は、特別だそうだ。
 横断歩道を渡り、左へ曲がる。暫く歩くと、広い駐車場が右手にあった。その向こうは、海だ。
 これだけ広い駐車場なのに、車が少ない。端の方に点々と派手な装飾の車が置かれているぐらいだった。駐車場の横の建物の中では、たくさんのマグルがひしめいていた。
 駐車場の奥に、丸く集まっている一団があった。丸々とした女性が、目印の旗を持っている。エリとアリスは、真っ直ぐにそちらへと向かった。
「モリイさん姉妹ですか?」
「はい」
「これで、あと一人だわ。笹谷さん、間に合うのかしら……」
 旗を持ったガイドの女性はひとりごちる。
 傍にいた女の子が、エリ達を振り返った。
「良かった。他に子供いないんだもの。私、寺川春子って言うの。着くまでの短い間だけど、よろしくね」
「あ、た……えーと、エリ。よろしくな! こっちは、妹のアリスだよ」
「よろしく」
 アリスはにっこりと笑う。
 春子の家は、元々は魔法使いよりも陰陽道に傾倒していたらしい。陽林寺という寺で生まれ育ったとの事だった。
「寺なのに、陰陽師?」
「神仏習合って奴よ。まあ、ようするに神も仏もどっちも一緒――なんて解釈言ったら、ばっちゃに怒られるんだけど。似たような家が、もう一つあった筈よ。今はもう、寺じゃなくなっちゃったそうだけど……空襲で全滅しちゃったんですって。長男だけ生き残ったそうだけど、それも陰陽師としては才能無くて、魔法使いの学校に行っていたからって話みたいだしね。空襲の後、仏具は全部売っ払っちゃったみたい。今は廃屋になってるって噂よ」
「へえ……詳しいんだな」
 春子は肩を竦めた。
「陰陽道派生の魔法族としては、有名な家柄なのよ。奥さん――って言っても、今生きていたらひいばあちゃんぐらいの年齢だけど、その人が有能な魔法使いだったそうでね。イギリスで学んだんですって。確か、ホーツク……ホグ……」
「ホグワーツ!」
 エリは口を挟んだ。
「そうそう、そんな名前。そこに通ってたそうよ」
「私達もそこに通ってるのよ」
「へぇっ。欧州の三大魔法学校じゃない!」
「そうなのか?」
 エリはきょとんと尋ね返す。春子は頷いた。
「ホグワーツとあと二つ……ちょっと名前は覚えてないんだけど、一つはフランスだったと思うわ。その三つが有名校なのよ。昔は、その三校で対抗試合とかも行われてたんですって」
 実際に通っているエリよりも、春子の方がホグワーツについて詳しそうだった。
 春子は話を戻す。
「まあ、そう言う訳で……。私の名前も、その奥さんから貰ったんですって」
「ふぅん……」
 そこへ、一人の男性が駆けて来た。日本人には見えない。若しかしたら、イギリスへ帰省するのかも知れない。
「すみません、遅くなりました!」
「ああ、笹谷さんですね。間に合わないかと思いましたよ。この後の電車もバスも、時間に来るものはありませんから……」
「いや、こっちには来てたんですよ。ただ、宅配便が混んでいて……まあ、いいや。それで、どうやって行くんです?」
「ポートキーですよ」
 女性は旗を軽く挙げて言った。
 それから点呼を取り、旗を棒引きのように横向きにする。そして時計を見た。
「あと五分です。皆さん、これに掴まってください」
 エリは旗に手を伸ばす。両隣には、アリスと春子がいた。
「ねえ、ホグワーツってどんな感じ? やっぱり、難しいの? 規則とか厳しい? 生活態度に点数がつけられるって聞いたんだけど……」
「生活態度に点数っつーか、何かまずい事やったら寮から減点。そりゃ勉強は難しいけど、それは小学校も一緒だったしなあ……」
「君達、ホグワーツなのかい?」
 遅れて来た男性が、エリに尋ねた。エリとアリスは頷く。
「おっどろいたなあ。まさか、こんな所で後輩に会えるとは思わなかったよ。僕も、ホグワーツ出身なんだ。こっちには、マグルの大学に進学したくてね。今、留学――」
 突然強く引っ張られる感覚がして、男の言葉は途切れた。

 一行が到着したのは、森の傍。ガイドの女性についてぞろぞろと歩いて行き、キャンプ場で散会した。
 キャンプ場には、既に多くのテントが張られていた。通りで、受付のマグルが訝っていた訳だ。これだけ大量の魔法使い達。加えて、クィディッチ・ワールドカップへの興奮。奇抜な格好やテントの者も多い。
 この中から、皆を探し出さなくてはならない。
 きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていると、聞き慣れた声がエリの名前を呼んだ。振り返ると、セドリック・ディゴリーが手を振りながらこちらへ歩いて来ていた。
「やあ、エリ。久しぶり。そっちは、妹さんかな」
「アリス・モリイです。初めまして」
 アリスはにっこりと笑って言う。
「貴方の事は知ってるわ。ハッフルパフのクィディッチ・キャプテンだものね。エリがいつもお世話になってます」
「おいおい、母さんじゃないんだから。
なあ、セド。フレッド達見なかったか? ウィーズリー一家と、ハリーと、ハーマイオニー。サラも、若しかしたら着いてるかも……」
「ああ、うん。見たよ。ウィーズリー家は同じ地区だからね。一緒のポートキーで来たんだ。確か、向こうの方にテントを張りに行ったと思う。
二人だけで来たのかい?」
「ああ。ポートキーはツアーと一緒だったけどな。
セドは? 彼女は一緒じゃないのか?」
 エリはニヤニヤと尋ねる。昨年の末、頻繁に会っていたセドリックとチョウ。セドリックは否定していたが、まんざらでもない様子だった。
 やはり、セドリックは苦笑し否定の言葉を口にした。
「チョウは彼女じゃないよ。父と来たんだ」
「おやあ? チョウなんて言ってないのになあ」
 セドリックは一瞬、ぎくりとした表情になった。頬が紅いのは、気のせいではないだろう。
「チョウって、レイブンクローのシーカーの? セドリック、彼女の事が好きなの?」
 アリスがきょとんとした表情で尋ねる。
 エリがからかう前に、セドリックが言った。
「そうだよ。尤も、恋人になるかどうかは彼女の気持ち次第だけど……。
人の事をからかってばかりで、エリの方はどうなんだい?」
「へっ?」
 思わず声が裏返った。
 一人の男性が脳裏に浮かび上がったが、慌てて掻き消す。まさか。でも、最近彼を意識してばかりいるのは確かだ。
 エリは、彼の事が好きなのだろうか……?
 好き、と文字にしてしまうと、違和感が生じて仕方が無かった。果たして彼は、そう言う対象にしても良いものだろうか。エリと彼では、あまりにも違和感がありはしないか。
「エリ?」
「えっ、あっ、や、あの、いる訳ないだろ! そもそも、女として見てくれるような奴がいるかどうか……」
「そうかな。エリも十分、魅力的な女の子だと思うけど……」
 不意打ちの言葉に、エリもアリスも固まった。セドリックはきょとんとしている。
 一時の後、エリは我に返って大声を出した。
「ばっ、バカヤロ! そう言う事は、チョウにだけ言えよ!」
「え?」
 全く自覚が無いらしい。エリはこめかみを押さえる。
「そんなんだとお前、自分でも気付かない内にチョウに告白済みかも知れねーぞ」
「まさか」
 あり得ないと言うようにセドリックは笑うが、アリスもエリと同じ意見のようだった。
「二人っきりでいてそんな事ばかり言われちゃうと、付き合っているような気がしちゃうわよ。そこまで行かなくても、若しかしてって期待しちゃう。
……好きな子以外に、言うべきじゃないわ。若しそれを言われた子が貴方に片想いしていたら、本当に辛いんだから……一瞬期待して、でもそうだ違うんだって我に返って……」
「……ああ、うん。気をつけるよ」
 妙な雰囲気を感じ取り、エリはアリスの横顔を見た。
 けれどアリスはいつものにこにこ顔で、何ら変わったところなど無かった。エリの思い違いだったのだろうか。

 セドリックと別れ、エリ達はなだらかな傾斜を彼が教えてくれた方へと向かった。どのテントも、何処かしらおかしな箇所があった。一見普通のテントのようだが、煙突やベルを鳴らす引き紐、風見鶏などが付いている。魔法使いは、テントを家か何かと間違えているのだろうか。酷い物になると、庭に噴水があり三階建てという、とてもテントのスケールとは思えない物もあった。
 程なくエリは、シートのような物の周りで右往左往する赤毛の集団を見つけた。駆け寄ってみると、ハリーやハーマイオニーも一緒だった。サラも、既に到着している。ハリーとハーマイオニーが細長いポールのような物を掴んでいて、サラとロンがその傍らに立ち尽くしていた。
 エリ達の到着に真っ先に気付いたのは、毎度の事ながらサラだった。
「……人手になる人達のご到着だわ」
「エリ! アリス!」
 ジニーが声を弾ませる。
 アリスが、ぺこりとウィーズリー氏に頭を下げた。それを見て、エリも慌てて一礼する。
「こんにちは、ウィーズリーさん。よろしくお願いします」
「こんにちは……」
 ウィーズリー氏は顔をほころばせ、エリとアリスを迎えた。
「ちょうど良い所に来てくれた。今、テントを張っている最中でね……」
 そう言う事か、とエリはマグルの中で育った三人を見た。かと言って、ホグワーツ入学前の年齢なんてテントは大体親任せだ。ハリーはそもそもあの家にいてキャンプをした事があるかどうか怪しいし、サラは当然した事が無い。尤も、例えしていたとしてもサラの不器用っぷりでは邪魔にしかならないだろう。否、既に何かやらかした後なのかも知れない。だから、ロンと一緒に手を出さず見ているだけなのかも。
 エリとアリスも二人に加わり、四人を中心に四苦八苦して何とかテントを完成させた。完成後にウィーズリー氏が細工を施し、テントの中は古めのアパートのようになっていた。どういう訳か、家具もきちんと揃っている――やや猫の臭いが強いが。
「同僚のパーキンズから借りたのだがね。やっこさん、気の毒にもうキャンプはやらないんだ。腰痛で」
 それから水汲みや薪拾いに分担し、火を点けるのにまた四苦八苦してなんとか昼食にありついた。





 日が落ち、辺りに行商人が現れ始めた。エリは、アリスやジニーと共に土産を見て回った。フレッドとジョージはバグマンとの賭けで一文無しになっていたのだ。テントに戻った時、ちょうど森の向こうから鐘のような音が聞こえ、木々の間に赤と緑の明かりがいっせいに灯った。開場の合図だ。
 ランタンに照らされた小道を二十分ほど歩いて行くと、そこには巨大なスタジアムが建設されていた。
 エリ達は貴賓席だった。左右へちらほらといなくなっていく列に紛れて登りながら、エリはウィーズリー氏に問うた。
「席ってどの辺なんだ?」
「最上階だよ。ほら――あの辺りだ」
 列から少し横に顔を覗かせ、ウィーズリー氏は上の方を指差した。観客席の最上階、ゴールポストの中間地点に位置する小さなボックス席だ。
「すっげぇ! 最高の席じゃねーか!」
 エリは人の合間を縫って、一気に残りの階段を駆け上がった。
 やがて列は途切れた。列と言うほどでもなく、点々と人が行き来しているのみ。大分上がった所で、エリは何かにぶつかってもんどりうった。慌てて踏ん張って、階段を転げ落ちるのを防ぐ。サラ、ハリー、フレッド、ジョージが駆け寄って来る。少し遅れて他のウィーズリー兄弟妹。ハーマイオニーとアリスは息を切らしながら駆け上がってきた。ウィーズリー氏は途中で諦め歩いている。その後ろを、パーシーがぶつくさ言いながら歩いて来ていた。
「大丈夫? エリ――」
「まったく、こんな所で走るなんて非常識だわ!」
 フレッドとジョージの意識は、既に席の方へ向いていた。
 ハリーはふと少し先に目をやった。
「……ドビー?」
 エリは立ち上がり、振り返った。
 少し先に、申し訳無さそうにこちらの様子を伺っている生き物がいた。心配気に見ようとしたり、目を覆ったりと、忙しそうだ。
「旦那様はあたしの事、ドビーってお呼びになりましたか?」
「……別の屋敷僕妖精みたいね」
 サラがぽつりと呟いた。小さな身体、大きな目や鼻。服の代わりにキッチン・タオルを被っている姿は、エリが初めて見る物だった。ロンとハーマイオニーが、興味深げにそちらを見上げる。
 屋敷僕妖精は、ウィンキーと名乗った。ドビーと言う屋敷僕妖精とも、知り合いらしい。
 ハリーと話し込むウィンキーの横を通り抜け、エリはフレッドとジョージの後に続こうとした。
「お嬢様、さっきは申し訳ございませんでした――」
「え?」
 エリはきょとんとして立ち止まる。
「ウィンキーめのせいで、転んでしまわれて……」
「なんで、ウィンキーが謝るんだ? 離れた所にいただろ?」
 近くは近くだが、何の接触もしていない事は確かだ。何かにぶつかったような感覚はあったが、少なくともウィンキーではない。
「それは……はい……」
 エリは怪訝に思いながらも、席に着いた。
 その後話を終えたハリー達も席に着き、徐々に人が集まり始めた。ウィーズリー氏は度々立って、握手をしていた。パーシーも、ひっきりなしに椅子から飛び上がっては直立不動の姿勢を取っていた。これが固定されていない椅子ならば、ちょっと引いてみたというのに。
 ファッジが来た時などは、あまりに深々と頭を下げすぎて、眼鏡を落とし割ってしまった。堪えきれず笑うエリ、フレッド、ジョージを睨みながら、パーシーは眼鏡を直して着席した。
 ファッジがブルガリアの魔法大臣を紹介している所へ、マルフォイ一家がやって来た。親達が剣呑な空気を醸し出す中、サラとドラコは視線を交わして笑っていたが、エリがニヤニヤ見ているのに気付くとふいっとサラは俯いてしまった。ドラコが睨んで来たが、変わらずエリがニヤニヤ笑っているのを見ると、彼もふいっとそっぽを向いた。
 マルフォイ一家が離れて行ったのと入れ替わりに、ルード・バグマンが貴賓席に飛び込んで来た。
「皆さん、よろしいかな? 大臣、ご準備は?」
「君さえ良ければ、ルード、いつでも良い」
 バグマンは杖を取り出し、自分の喉に当てて呪文を唱えた。彼の声が拡大され、スタジアム中に響き渡る。
「レディーズ・アンド・ジェントルメン……ようこそ!」
 第四百二十二回、クィディッチ・ワールドカップ決勝戦の幕開けだ。

 試合が終わっても、暫く興奮は冷めやらなかった。男子用テントに皆で集まり、アイルランドとブルガリアの激しい試合について語り合った。ウィーズリー氏自身もこのまま眠るのは物足りないらしく、皆でもう一杯ココアを飲むことを許した。ジニーがテーブルに突っ伏して眠り込み、その弾みにココアを床に零してしまったので、漸くウィーズリー氏は子供達に眠るように促した。
 エリはジニー達と隣のテントに行き、スウェットに着替えた。ジニーはさっさとネグリジェに着替え、ベッドに潜り込んでいた。
「でもまさか、フレッドとジョージが賭けに勝つとは思わなかったなあ。アイルランドが勝つけど、クラムがスニッチを取るって……まるっきり、その通りになったじゃねーか。なあ?」
「そうね……あの二人、何か知ってたのかしら」
 サラがパジャマのボタンをはめながら言った。
「それで、一人そっちの一段ベッドになる訳だけど……」
「あ、それならあた――えっと……」
「言えばいいじゃない、『あたし』って」
 サラが言った。
 エリはまじまじと彼女を見る。サラの表情にはからかいの笑みも何も無く、ただ無関心に淡々とした話し方だった。
「……今更、変じゃないかな?」
「別に。だいたい貴女、元々の一人称は『あたし』だったじゃない」
「うん……」
 小さく頷き、そのままエリは俯く。
 何だか、むず痒かった。
「どうしたの?」
 ハーマイオニーが尋ね、サラは何を話していたか説明する。ハーマイオニーは、何か合点が行ったようだった。
「なるほどね。そう言えばエリ、最近随分と女の子らしくなったものねえ……」
「そうよね。服装も、前は男女兼用みたいな服ばかりだったのに」
 ジニーが、ひょこっとアリスの上の段のベッドから顔を覗かせた。まだ眠っていなかったらしい。
 二人共、何か勘繰っているような嫌な笑顔だった。
「別にっ、言葉遣いとかはただ前に戻しただけだって! 服は、子供服が入らなくなっちゃったからってだけで……そしたらほら、レディースになるだろ?」
 けれども二人は、聞いていない。
「今まで男勝りだった子の可愛い一面なんて見たら、男の人はころっといっちゃいそうよね」
「アリスから聞いたわよ。最近、料理もよくやってるんですって?」
「好きな人でも出来たのかしらね」
 サラまでもが話に加わった。
 エリはムッとして言った。
「何だよ、サラまで。そんなに気になるのか?」
 これは、効果覿面だった。
 サラはツンとそっぽを向いた。
「馬鹿馬鹿しい。貴女が誰を好きだろうと、私の知った事じゃないわ。そんな事を、私が気にするとでも?」
「ああ、そうかい」
 エリはふいと背を向け、一人布団に潜り込んだ。





 パシパシと額を叩かれ、アリスは目を覚ました。眠った気がしない。ぼーっとした頭で辺りを見回す。ジニーが上の段から降りてきて、アリスのベッドを覗き込んでいた。
「アリス、早く支度をして! 上着だけ着て――」
「な、何があったの?」
 切羽詰った様子のジニーに、アリスは気圧されながら尋ねる。
 テントの外から聞えて来る騒音が、眠る前とは違っていた。歌声は聞こえず、叫び声や足音が聞えて来る。ハーマイオニーがテントの入口を開けていたが、日はまだ昇っていない。
 突然の状況に戸惑いながらも、アリスはパーカーを来てテントの外に出た。
 皆、一斉に森へと駆け込んでいた。大砲のような音、そして緑の光があたりを照らした。
 行進する人影があった。仮面を付けた一団が、宙に浮かんだ四つの影を操っている。徐々に、行進に魔法使いが加わっていく。火の点いたテントや、押し潰されたテント――
「アリス、こっち!」
 ジニーに手を引かれ、アリスはハリー、ロン、フレッド、ジョージの方へと駆け寄った。ウィーズリー氏が、ハーマイオニーとエリの後ろからやって来た。アリス達のテントの入口にいたらしい。アリス達が四人の所へ辿り着くと同時に、ビル、チャーリー、パーシーもテントから出て来た。
「わたしらは魔法省を助太刀する。お前達――森へ入りなさい。バラバラになるんじゃないぞ。片がついたら迎えに行くから!」
 ウィーズリー家の上三人は、既に一団の方へと駆け出していた。ウィーズリー氏もその後に続く。他にも魔法省の役人が四方八方から飛び出し、そちらへ集まって行っていた。
 集団は、浮かんでいる影が誰なのかはっきり判る所まで来ていた。ロバーツ一家――キャンプ場の管理をしていたマグル達だ。
「アリス!」
 ジニーが、フレッドに手を引かれながら振り返った。アリスは集団から目を離し、皆の後に続いて駆け出した。
 どれほど走り続けただろう。森に入って暫くして、アリス達は歩を緩めた。道端に立ち止まり、膝に手をついて肩で息をする。
「ロン達がいないわ!」
 ジニーの声に、アリスは顔を上げた。
 アリスの前に立つのは、ジニー、ウィーズリーの双子の三人。背後を振り返ったが、誰もいない。
 ジニーは真っ青になっていた。
「どうしよう……! 皆、大丈夫かしら……!?」
「森には一緒に向かってたんだから、大丈夫さ。ほとぼりが冷めれば、皆テントで合流出来るだろうし――」
「サラなんて、俺達が覗いた時にはもういなかったぜ」
 ぞわり、と背中を冷たい物が走った。
 踵を返し駆け出そうとしたアリスの腕を、ジョージが掴む。
「おいおい、どうするつもりだよ。離れちゃ駄目だ!」
 フレッドも頷く。
「闇雲に探し回ったら、余計に危ないだけだろ。皆で森を――」
「サラは森の中じゃないわ! あの人、きっと逆に向かった!」
「何を、馬鹿な――」
「放して!!」
 バキッと頭上で大きな音がした。
 朽ちた細長い小枝が、二人の間に落下してくる。ジョージは、思わずアリスの腕を放した。その隙に、アリスは駆け出す。背後からの静止の声なんて、全く聞く気は無かった。
 遠くから、喧騒が聞こえる。死喰人の騒ぐ声。逃げ惑う人達の声。燃え盛る炎の音。
 ――怖い。
 若し、サラより先に死喰人に見つかったら、どうなるのだろう。
 ぞっと血の気が引く。アリスには、対抗の手段が無い。例え先にサラを見つけられても、アリスに何が出来ると言うのか。
 ……はぐれたのは、エリ、ハリー、ロン、ハーマイオニーも同じ。
 彼らが既に止めてくれてはいないかと期待してしまう。アリスが辿り着いた頃には、全てが終わっていれば良いのに。
 関わりたくないなら、何故戻って行く? これは、矛盾だ。自覚していたが、それでも戻らずにはいられなかった。
 木々の間を駆け抜け、少し開けた所に出た。そこに立つ人物を見て、アリスは足を止める。
 ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人は、突然飛び出して来たアリスに息を呑んでいた。現れたのがアリスだと判り、ホッと息を吐く。
「なんだ、アリスか……脅かすなよ」
「サラは!? 一緒じゃないの?」
 尋ねながら、辺りを見回す。
 この場にいるのは、アリスを含めて四人だけだった。気配を探っても、他人の物ばかり。
 アリスの問いかけに、三人の顔も青くなっていくのが分かった。
「サラはって……アリスは、一緒じゃなかったのかい?」
「私、他の皆と一緒だったの……でも、貴方達やサラ達とははぐれて……。フレッドが、私達が出て行く時には既にサラはテントにいなかった、って……」
 三人は顔を見合わせる。
 きっと、彼らもその可能性に気付いた事だろう。
「戻ろう」
 ハリーが言った。
 行きかけたハリーを、ロンが呼び止める。
「でも、サラがそっちにいるって決まった訳じゃないんだ」
「それに、森にいるように言われたわ。若しいなかったら、返ってサラをそちらへ引き寄せる事になってしまいかねないわ」
 アリスは、すっと身を引いた。
 しかし気付かれ、ロンがアリスの腕を掴む。
「一人になっちゃ駄目だ!
そうだ。それじゃあ、こうしよう。僕とハリーで、ちょっと見てくる。君達二人は、ここで――」
「私も行くわ! サラは私のお姉ちゃんなのよ!?」
「誰も行っちゃ駄目よ!」
「ハーマイオニーはサラが心配じゃないの!?」
「心配に決まってるじゃない!!」
 ハーマイオニーの声は、今にも泣き出しそうだった。
 更に何か言おうとしたハーマイオニーの言葉を、冷たく低い声が遮った。
「モースモードル」
 緑の光が空へと走った。
 その先を見て、アリスは目を瞬く。緑色に輝く、巨大な髑髏。その口から、舌のように蛇が這い出して来る。
 森の至るところから、悲鳴が迸った。


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2010/06/12