ひょこっと開いた扉から頭がのぞく。部屋の主は、振り返りもせずに言った。
「ノックぐらいしろといつも言っているだろう」
「へっへー、ごめんごめん」
エリはへらへらと笑いながら、研究室へと入る。
「よくあたしだって分かったな。愛の力って奴!?」
「ノックもせずに入って来るのは貴様だけだ」
「ウィッス。……紅茶いれるね」
エリは誤魔化すように言って、慣れた手つきで棚から茶葉を取り、湯を温める。沸騰ぐらいならハーマイオニーやサラでなくとも使えるレベルの魔法だが、マグル式で温めた時の方が好評だったのだ。とは言っても、「マシになったな」と言う素っ気ない感想だったが。
「……マグルの淹れ方をしていたのか」
まだ授業一日目。嫌がらせのように出した宿題の提出もなく手の空いているセブルスは、エリの方を見て言った。
「そうだよー。前にこれやった時、美味しそうに飲んでくれたから」
「……昔よく飲んだ味に似ていたんだ」
エリはセブルスを振り返る。彼が自分の昔話をするのは、非常に珍しかった。もちろん、エリ達やハリーの父親への悪口を除いての話だが。
「へぇ。もしかして、うちの母さん?」
「いや……」
セブルスは言葉を濁す。
「ところで、ドローレス・アンブリッジ上級次官の事だが、彼女には気をつけたまえ」
「ん? その台詞、何かデジャビュ……」
「笑い事ではない。一度言い聞かせておかねばならんと思っていたから、ちょうど良かった。彼女の前では特に、向こう見ずな言動は慎むように」
「えー……別にあたし、そんないっつも問題起こしてる訳じゃ……」
エリは口を尖らせる。
「そう言う話ではない。……彼女は、君達を失墜させるチャンスがあれば、逃しはしないだろう」
「失墜って。子供相手にそんな失わせるようなものなんて何も……」
「新聞は読んでいないか? ポッターの扱いは。シャノンへの誹謗中傷は。
日刊予言者新聞は明らかに魔法省の干渉を受けている。ミス・アンブリッジがホグワーツの教職に就いたと言う事は、その干渉がホグワーツ校内にも波及すると言う事だ」
「お、おう?」
「まだ分からんか。授業やその他学校での生活で魔法省の意にそぐわぬ事をすれば、社会全体から白い目を向けられる事になる。そうなるように仕向けられると言う事だ。
中傷を受ける程度ならばまだいい。万一にも、退学、あるいはポッターのように裁かれるような事になったら……」
「セブルスは本当、心配性だなあ」
セブルスの前にカップを置きながら、エリは笑った。
「大丈夫。心配しなくても、あたしもそこまで無茶はしないよ」
その日の夜、アンブリッジの部屋には罰則を受けるエリの姿があった。
No.41
「あンの鬼ばば! セドリックの死は不幸な事故? 大会の課題ぐらいでセドリックが死ぬ訳ねーだろ!」
温室へと向かう道すがら、エリは吐き捨てるように叫んだ。
「あんまり大声で言わない方がいいですよ。どこで目を光らせているか分かりませんし……」
「大丈夫、大丈夫。次はグリフィンドールの七年生がアンブリッジの授業だって言ってたから。いくら教科書しか用意のない授業って言ったって、こんな時間に外をほっつき歩いたりはしてないだろ」
「大丈夫、エリ? 昨日の罰則で、何かされたりしなかった?」
ハンナが心配そうに問う。
「へーき、へーき。ただの書き取り罰だったよ」
エリはそれとなく手をポケットの中に入れながら言った。
温室の前には、ちょっとした人だかりが出来ていた。入れ替わりに四年生の生徒達が出て来ている所のようだが、それだけが理由と言う訳ではなかった。レイブンクローの女子生徒が、ハリーに自分は彼の話を信じると声高らかに宣言していた。
「誰だろ、あの子」
「……ルーナ・ラブグッドよ」
そう答えたのは、ハンナだった。
「学年も違うし、話にしか聞いた事はないんだけど……ちょっと、変わり者みたい」
「『ちょっと』だって? あのイヤリングが見えないのかい、ハンナ?」
ルーナは、大きなカブのイヤリングを耳につけていた。グリフィンドールのラベンダー・ブラウンとパーバティ・パチルの二人なんかは、そのイヤリングを見て指を指しクスクスと笑っていた。ルーナはそれを、ハリーを信じると言った事について笑われたと思ったようだった。
「笑ってもいいよ。だけど、ブリバリング・ハムディンガーとか、しわしわ角のスノーカックがいるなんて、昔は誰も信じていなかったんだから!」
「へえ、いい奴じゃん。それに、面白いし」
エリは、ハンナ達を振り返る。四人は、困惑気味の表情だった。
「まあ……個性的な子よね」
スーザンが、困ったように笑って言った。
エリが「面白い」と思った彼女の話は、現実味と論理性を尊ぶハーマイオニーとは、ソリが合わなかったらしい。ルーナは怒ったように去って行き、後には更に大きな爆笑の渦とムッとした様子のハリーが取り残された。
ふと、アーニーがその輪の中へと進み出た。エリは目をパチクリさせる。
「アーニー?」
アーニーは、ピリピリとした様子で話すハリーとハーマイオニーの前に立つと、きっぱりとした大きな声で言った。
「言っておきたいんだけど、君を支持しているのは変なのばかりじゃない。僕も君を百パーセント信じる。僕の家族はいつもダンブルドアを強く支持してきたし、僕もそうだ」
アーニーの突然の介入に不意を突かれたのは、ハリーだけではなかった。ラベンダーの顔からは笑いが消え、シェーマスは混乱したようにハリーを見たりディーンの様子を伺ったりしていた。
「え――ありがとう、アーニー」
ハリーは少し照れくさそうな、それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべていた。案の定、学校は日刊予言者新聞に毒された生徒ばかりだった。昨日と一昨日だけでも、相当、嫌な目にばかり合っていたのだろう。
「あたしも、あたしも!」
エリも駆け寄り、アーニー肩に手を回した。
「あの子だけが唯一信じてくれる人なんて、そんな寂しい事言うなよ。あたしも、アーニーも、もちろんロンやハーマイオニーだってハリーを信じてる。あたし達の事、忘れないでくれよ?」
エリはおどけるように言って、ニッと笑った。
五年生――OWL試験の年となり、どの教師も開口一番OWL試験について語った。スプラウト先生も例に漏れず、まずはOWL試験についての演説で始まり、それからいつものごとく生徒達にテーブルごとで組んで作業をするように言った。
各机に用意された道具は四つ。エリ達のグループは五人だ。エリはきょろきょろと教室内を見回し、アーニー、ハンナ、スーザン、ジャスティンの四人に手を振った。
「じゃ、あたしはあっちでやるから」
軽い調子で言って、エリは一番後ろのテーブルへと駆けて行った。
「サラ! ここ、空いてるか?」
「ご覧の通り」
サラはドラゴンの糞を原料とする肥料をかき混ぜながら、顔も上げずに言った。
ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人は、別の机で作業を行っていた。エリは、空いた三つのスコップの一つを取る。
「……手、どうしたの?」
「え、あ、ああ、ちょっと今朝、階段から落ちちゃって」
エリはへらりと笑って手を振る。手の甲にはみみずばれのようになった引っ掻き傷があった。
サラは、呆れたように溜息を吐く。
「階段なんて走るからよ。早朝ランニングはいいけど、廊下と階段はやめた方がいいわ。一人で怪我をするなら知った事じゃないけど、他の生徒とぶつかったら危ないでしょう」
「大丈夫、大丈夫。人の通らない道を選んでるし。
なあ、そう言えばさ、グリフィンドールってウッドが卒業しただろ? 新しいキーパーって、もう決まってんの? ってか、新しいキャプテンって、結局誰だった?」
「あら、敵情視察? 同情かと思ったら、そのためにわざわざ私の所へ来たの?」
「別にどっちのつもりもないよ。あたし達って、五人だろ? だから、どうしても一人余るんだよ。クィディッチは、単純に気になるじゃん?」
サラは軽くため息を吐いた。
「チーム・キャプテンはアンジェリーナよ。キーパーについては、オーディションをやるみたい。ライバルチームのキャプテンに偵察に来られても困るから、いつだかは言わないけれど」
「えー、別にあたし、見に行ったりしないよー」
「物凄く棒読みなんだけど……」
サラは、あきれたような視線でエリを見る。どこか冷めた態度をとるその様子は、いつもと何ら変わりなかった。
「さっそく、闇の魔術に対する防衛術の授業で罰則を受けたようだな」
セブルスの言葉に、エリはぎくりと肩を揺らす。
放課後、エリは今日もセブルスの研究室を訪れていた。
「な、なんでそれを……」
「君の行動は目立つ。朝食を食べている間だけでも、たくさんの生徒が話しておったわ。我輩が気を付けろと言ったのを、覚えていないのか?」
「だって……あいつ、セドリックの事を……」
「それが彼女の罠だ。一々反応していたら、きりがないぞ。それに、魔法省は確実に君達の信頼を落とそうと仕掛けてくるだろう。ただでさえ、君達の血筋は世間体が良くない。闇の帝王は、より最悪なタイミングでその事実を公表する事だろう。人々に不信感を与えかねない要素は、可能な限り排除しておいた方が良い」
セブルスの厳しい口調に、エリは渋々と黙り込む。口を尖らせて、ミルクと砂糖がたっぷり入った紅茶を啜り、それから正面に座るセブルスを見上げた。
「……あのさ。ずっと聞こうと思ってたんだけど……セブルスって、いつからあたし達の血筋の事を知ってたの?」
マクゴナガルとハグリッドから祖母の血筋についての真実を知らされた翌日、研究室を訪ねたエリに対してセブルスは言った。「マクゴナガル教授から、話を聞いたそうだな」と。そして、試験の採点が忙しいからと追い返された。いつもと何ら変わらない態度だった。
つまり、彼自身も知っていたと言う事。元々、セブルスは何かを知っていると思わせる言動が度々あった。それはエリとサラの父親がシリウスだと言う事についてかと思っていたが、どうやらそれだけではなかったらしい。
カチャン、とカップを置く音が石の壁に冷たく響いた。
「いつだったか……学生の頃だ。シャノンが落とした調合のメモを拾った」
「調合?」
セブルスは、静かに頷いた。黒い袖口からのぞく白い指が、机の上で組まれる。
「シャノンは、ナミの魔力を封印した。闇の帝王の目から彼女を隠すために。しかし、我が子とは言え他者の魔法を封じるなど、並大抵の事ではない。その血筋故か、君達は元々強い力を持っている。ナミも、普段は魔法を使えないが命の危険にさらされた時などは本能的に魔法を発現する事があった」
「えっ。母さん、魔法、使えるの?」
「本人も覚えているか定かではないがな。封印を押し破るほどの力……言わば、暴走状態だ。人の身体には負担が大きく、力を使った後は気を失っていた。しかし、眠ったからと言って力の暴走状態が収まる訳ではない。落ち着かせるための魔法薬を彼女は独自に開発していた」
「そのメモをシャノンのばあちゃんが落として、それをセブルスが拾った……と?」
「左様。珍しい薬だったものだから我輩はその薬を調べ、そしてナミに掛けられた魔法に気が付いた。シャノンに問い質したところ、彼女は我輩の記憶を消すでもなく、それどころか我輩にその薬の調合を仕込んだ。この薬は、二人で調合した方が効率が良いのだと……そう言いつつも、我輩一人に任せる事も多かったが。今思えば、いずれ自分は作る事ができなくなると、分かっていたのかもしれんな。あるいは……」
「あるいは?」
セブルスは首を振り、言葉を濁した。
「いや……ただ、彼女も君やナミによく似てお節介なところがあったと言う事だ」
「何だそれ?」
エリは目をパチクリさせる。セブルスは立ち上がり、話題をそらすように切り出した。
「ところで、君の姉の事だが」
「サラ?」
「彼女を、一人にするな」
エリはニンマリと笑みを浮かべる。
「お、なになに? 珍しいな。セブルス、サラの事、心配してるの? あいつも不器用だからなー。でもまあ、ハリー達も悪いやつじゃないし、その内……」
「そう言う話をしている訳ではない」
セブルスは厳しい声で言い放つ。そして、低い声で囁くように言った。
「――監視の目は、少しでも多い方が良い」
エリはただ、彼の険しい横顔をきょとんと見上げるばかりだった。
図書館の奥、本に囲まれた一角。授業内容とも重ならない古い本の並ぶ棚を、所狭しと書庫のように敷き詰め、座席もせいぜい二人分しか無いそこは、サラのお気に入りのスペースだった。細い通路の双方までもふさぐように白い壁に囲まれたそこで、サラは魔法薬学のレポートを片付けていた。
「……そろそろ時間かしら」
ふと、サラは顔を上げた。図書館内の人の気配が減って来た。読んでいた本を閉じ、軽く杖を振る。白い壁と化していた本が、元の姿に戻り通路の端へと積まれて行く。
通路から出て来たサラの姿に、近くにいた生徒達がぎょっと顔色を変えて避けるように去っていく。サラはそれらに構う事もなく、読みかけの本の貸出手続きを行う。
時計を見れば、授業開始五分前。次の授業は魔法生物飼育学で外まで行かねばならないから、ややギリギリだ。外へと向かう間も、道行く生徒達はサラを見るなり怯えたように遠巻きにする。
――何も気にするほどのものではない。昔に、戻っただけの事。
少しの間、夢を見ていたのだ。これまでと違う環境で、これまでと違う場所で、これまでの事を誰も知らない地で。「報復」をする厄介者から一転、「生き残った女の子」なんて祭り上げられて。
希望は虚構。真実の扉が開かれて、全て崩れ去った。一時の幻に追い縋るほど、馬鹿馬鹿しい事はない。
ただでさえ、今年はOWLの年と言う事もあってどの教科も宿題がいつにも増して多い。その上、スネイプに出された追加課題もあり、アニメーガスの勉強をする時間も、水晶玉を覗く時間も、まともに取れない状況だった。周りになんて構っている暇はない。
ハグリッドの小屋は、まだ無人のようだった。教師が変わっても授業の場所は変わらず、生徒達は小屋の前に集合していた。
「あらシャノン、お一人?」
甲高い声にうんざりしつつも視線を向ける。パンジー・パーキンソンが、取り巻きの女子生徒達と一緒にクスクスと笑っていた。
「いつものお仲間はどうしたのかしら? もしかして、愛想をつかされちゃったの? これまでのツケが回って来たのね」
サラは、ふいと視線を外す。そしてただ一言、静かに呟いた。
「ええ、そうなのかも知れないわね……」
当然何かしら反論して来るだろうと思っていたパンジーは、ポカンとサラを見つめていた。クスクス役の取り巻きは、一層馬鹿にするように笑う。
グランプリー−プランク先生がやって来て、それ以上パンジーがサラに何か言う事はなかったが、スリザリンの女子生徒達はまだサラを見てクスクスと笑い続けていた。
――そう、これはツケだ。
与えられた環境に胡坐をかいて、不幸のヒロインを気取り続けていた。自分の罪には向き合わず、気付きさえせずに。
言い返せる言葉など無い。あるはずもない。
前回の授業に引き続きグランプリー−プランクがボウトラックルの説明をするのを、サラは暗い瞳で見つめていた。
どんなにハリー達を避けていても、金曜日にあるクィディッチは避けようがない。そう思っていたが、新メンバーの選抜も含む第一回練習を、ハリーはアンブリッジの罰則のため休んだ。アンジェリーナは怒り心頭だったが、サラは少しホッとしていた。
しかし、それもほんのつかの間だった。
競技場に出て、選抜を受けに来たメンバーを見てサラは足を止めた。フレッドとジョージが、一斉に声を上げた。
「ロン! おい相棒、見ろよ、ロンがいるぜ!」
「どうしたんだ? まさか、クィディッチのテストを受けに来たのか!?」
「うるさい!」
ロンは噛みつくように返す。サラはふいと視線を外し、ケイティの隣に並んだ。
「兄弟喧嘩なら、後にしてくれよ。時間は限られてるんだから」
アンジェリーナがきびきびと言って、フレッドとジョージをロンから引き剥がす。フレッドとジョージはサラ達の方へ戻りながらも、まだ笑い続けていた。ロンは髪の色と見分けがつかないほど顔を真っ赤にして、使い込まれた様子のクリーンスイープの柄を握りしめていた。
選抜を受けに来た生徒は、ロンの他に六人いた。アンジェリーナはまず、彼らに競技場を一周させ、それから順番にゴールを守るように言った。
一人目は駄目だった。くじ引きで引き当ててしまった順番に緊張しているのだとしても、彼にゴールを任せるぐらいなら、サラがキーパーに転向した方がずっと良い。ブラッジャーへの警戒にばかり気を取られて、真っ直ぐに投げられたクァッフルを三回とも取り損ねていた。
「次、アンドリュー、ゴール前に行って。サラ、ケイティと交代して」
「オーケー」
目の前に上昇して来たサラに、二人目の選手は「ひっ」と短い悲鳴を上げて身を引いた。大方、新聞記事を鵜呑みにしている輩なのだろう。
「安心して。あなたが私のゴールを防いだからって、呪いをかけたりする気はないから」
うんざりしたように言って、サラはクァッフルを構える。力をこめ真っ直ぐに右へと投げたクァッフルは、何とか追いついた彼の箒に防がれた。
弾き返されたクァッフルに飛びつき、身体の向きも変えずに手首のスナップだけでゴールへと投げる。まだ投げて来ないだろうと油断していた彼は追いつかず、クァッフルは中央のリングを通り抜けて行った。
まあまあ、と言うのが二人目の感想だった。さっぱり防げない下手くそではないが、チェイサーやビーターが少し捻った動きをすればてんで歯が立たない。実際の試合でこれでは、話にならない。経験を積めば使い物になるかもしれないが、選抜でわざわざ選ぶレベルでもないだろう。
三人目の選手で、確実に二人目の選択肢は消えた。アンジェリーナの豪速球を三発連続で弾き返し、頭上から飛んで来たブラッジャーも、危やと言うところで避けてみせた。
順番を待つキーパー候補達の方へ飛んで行ったブラッジャーを打ち返しながら、フレッドがピューっと軽く口笛を吹く。
「君、上手いね。何かやってたの?」
アンジェリーナが尋ねた。三人目のキーパー候補、フロビシャーは得意げになるでもなく、軽く肩をすくめて言った。
「クィディッチ・チームじゃないけど、飛行系のクラブに入ってた事なら」
「飛ぶのが好きなんだ?」
アンジェリーナは少し嬉しそうに問う。良い選手を見つけたと思っているのが明白だった。
サラは、そっと視界の端でロンを盗み見る。選抜を勝ち抜くためのハードルが上がり、彼の顔は蒼白だった。
「まあ、嫌いじゃないけど」
フロビシャーは微妙な言い方をした。
「飛ぶ事そのものより、クラブとかチームとかが好きなんだ。大勢で遊ぶのって、楽しいだろう?」
「遊ぶ」と言う言葉に、アンジェリーナはムッとしたような表情になった。フロビシャーは、そんなアンジェリーナの変化に気づく様子もなく続けた。
「今も、他にもいくつかクラブに入ってる。それで、これは先に言っておかなきゃいけないと思ってたんだけど、呪文クラブとこっちの練習が重なった場合は、呪文クラブを優先したい。もちろん、分かる限り、早めに呪文クラブの予定を伝えるつもりだけど」
「その呪文クラブってのに合わせて、練習を組めって言うの?」
「何も、そこまで言うつもりはないよ」
フロビシャーは慌てて言った。
「他のメンバーだって予定があるだろうし、僕一人に合わせてくれなんて言うつもりない。今日だって、ハリー・ポッターが欠席してるだろう? 重なれば練習を欠席するから、先に伝えた方がいいだろなと思って」
全く悪びれる様子もなく言って、フロビシャーは他の選抜に来た生徒達の中に戻って行った。
アンジェリーナは口を真一文字に結んで黙り込み、ケイティに次の候補生の相手をするよう、無言で親指を後ろに指して合図した。
四人目の生徒は、問題外だった。ゴールは一つも守れない。正面から飛んで来たブラッジャーも、どちらへ逃げようか迷って固まってしまい、もろに食らう。どうして選抜を受けようと思ったのか、不思議なほどだった。
五人目の選手は、なかなか良かった。フェイントには素直に釣られかけるが、反射神経が良い。クァッフルが投げられたのがサラの見ていたリングと逆だと気付くと、直ぐ様方向転換して見事にゴールを防いだ。ブラッジャーも、リングから離れ過ぎずに最小限の動きで避ける。しかしそれで慢心したのか、特にフェイントもかけていない簡単なシュートを二度も防ぎ損ねてしまった。
「もう一度やらせてくれ」
次の生徒との交代を告げられ、ジェフリー・フーパーは言った。
「こんなの、フェアじゃない。暗くて、クァッフルがよく見えなかったんだ。最初の人達はまだ明るかったじゃないか」
「駄目だ、実際の試合だって、いつでも明るい晴天の日だって訳じゃない。もちろん、暗さによる差は考慮するから」
アンジェリーナは、なだめるようにそう言った。
六人目の相手をアンジェリーナがやっている間にも、陽はぐんぐんと西に傾いていった。
「もう夕飯の時間だ」
六人目の生徒がアンジェリーナのシュートを三球目にして何とか間一髪のところで防いだ時、フーパーがぼそりと呟いた。
「終わった選手は帰っちゃ駄目なのか? 同じ寮なんだから、寮に戻ってから結果を伝える事だってできるじゃないか。そもそも、どうせ順番にしか出来ないなら、一人ずつ呼べばいいのに。効率悪過ぎるよ」
「……あんまり、一緒にプレーしたくはないタイプだな」
こっそりと耳打ちしてきたジョージに、サラはうなずいた。
「……同感」
アンジェリーナは、フーパーのブツクサを無視してクァッフルを投げる。クァッフルは中央のリングを真っ直ぐに突き抜けて行った。
いよいよロンの番が来た。日はとっぷりと暮れていたが、ロンの顔が髪とは正反対に真っ青であるだろう事は間違いなかった。
フレッドがジョージと交代して下がりながら、囃すように手を叩いた。
「よっ、我らがロニー坊やのお出ましだ!」
ロンは何も言い返さなかった。ケイティの手にあるクァッフルを見つめるその表情は、昨年、フラーをダンスパーティーに誘った後の表情を思い起こさせた。
ケイティの手から、クァッフルが放たれる。右下に飛んで行ったそれを、ロンはきっちりと箒の尾で跳ね返した。
ホッとサラは安堵の息を吐く。ロンは、感情に左右されやすい。簡単なシュートとは言え一球目を防ぐ事が出来れば、後はそう酷い事にはならないだろう。
反対側のリングへ投げられたクァッフルに、ロンは飛びつく。しかし、ちょうどブラッジャーも同時に襲い来てしまい、ロンは避けるのに精いっぱいでゴールを防ぎ切れなかった。
運の悪い事に三球目もブラッジャーと同時になってしまったが、ロンはギリギリのところでブラッジャーをかわし、ゴールを守り切った。四球目はミス。五球目もミス、六球目はキープ。
全体的に、まずまずと言ったレベルだった。ロンの箒は、確か今年の夏に監督生になったお祝いとして買ってもらったばかりだ。それがあれだけ使い込まれていると言う事は、相当練習したのだろう。他の生徒達より不利かと思われた暗さについては、大して問題とせず慣れた様子だった。これくらいの時間に練習をしていたのかも知れない。
純粋な技術力で言えば、ロンよりももっと上手い者達はいた。しかし、彼らはクィディッチの技能以外の面で何かしら問題があった。後は、アンジェリーナの裁量次第だろう。
正直なところ、ロンに選手になって欲しいのか、なって欲しくないのか、サラは自分でもよく分からなかった。
去年までのサラなら、迷わずロンを応援しただろう。選手になって一緒にクィディッチの試合に出られたらどんなに素晴らしい事かと思っただろう。
しかし今は、純粋にロンを応援する事が出来ない。落ちてしまえとまでは思わないが、彼がクィディッチ選手になれば、その分、否応なく一緒にいざるを得ない時間が多くなる。ハリーが休んだ事にさえ安堵した自分が、その事に耐えられるだろうか。
「サラ、サラってば」
ケイティの声に、サラはハッと我に返った。
暗い空に浮かぶ人影は消え、サラとケイティはぽつんと闇の中に浮かんでいた。
「終わったわよ。大丈夫?」
「ええ。ちょっと、ぼーっとしてただけ」
選手も、選抜に来た生徒達も皆、ピッチに降り立っていた。サラとケイティは、選手達が輪になっているところへと下降する。
サラとケイティが到着すると、アンジェリーナはぐるりとメンバーを見回して言った。
「さて、あの中からキーパーを決める訳だけど、皆の意見も聞きたいと思う。この人が良いって人がいたら、意見を述べて」
「そんな改まらなくても、一目瞭然だったろ」
フレッドが、軽く肩をすくめて言った。
「上手かったのは、ビッキー・フロビシャーとジェフリー・フーパーだ。アンジェリーナだって、そう思ってるんだろう?」
「まあね……」
「でも、フロビシャーはどれだけ練習に出て来るか分からないし、フーパーも不平不満が多過ぎ。そう思っているのでしょう?」
ケイティが問う。アンジェリーナは頷いた。
「試合前になれば、練習時間は増えて来るからね。遅くなる事だって多くなる。もちろん、練習に来ないなんて問題外だ」
言ってから、アンジェリーナは思い出したようにちらりと城の方を見る。この場には既に一人、練習に来ていない選手がいた。
「ハリーはアンブリッジの罰則のせいで来られないだけよ。彼自身にはどうしようもない事だわ。アンジェリーナはあの場にいなかったから分からないでしょうけど、彼女、明らかに意図的にハリーをはめに来ていたもの」
「分かってるよ」
サラの言葉にアンジェリーナは不愛想に言い、それからフレッドとジョージに目を向けた。
「私は、君達の弟のロンも悪くなかったと思ってる。今夜は随分上がっていたようだけど、普段はもっと上手いの?」
フレッドとジョージは顔を見合わせる。返答に困り、無言で互いに押し付け合った結果、ジョージが口を開いた。
「まあ、下手くそではないかもな、ウン」
ここで貶すほど彼らも鬼ではなく、かと言って身内を褒めるのも気まずいと言うような複雑な様子だった。
「夏休みとかに家で俺達がクィディッチの練習をする時は、あいつがキーパーをやってた。ほら、俺達、キーパーはいないだろ? でも、まあ、そうだなあ……ウッドのレベルをあいつに求めるのは、酷かな」
ジョージは、「お前も何か言え」と言うようにフレッドを見る。フレッドは軽く肩をすくめた。
「まあ、普通だと思うよ。緊張してた割には、上手かった方じゃないかな。俺は正直、もっと酷い事になるかと思ってた」
アンジェリーナは考え込む。しかし、そう長くはかからなかった。
「――よし、決めた」
そう呟くと、少し離れた所で並んで待っている七人の生徒達を呼ばわった。フーパーは、「もうデザートもなくなってるかもしれない」「宿題がたくさん出たのに」とブツブツ文句を言っていた。
集まった七人のキーパー候補を見回すと、アンジェリーナは声高らかに言った。
「お待たせ。まずは、遅い時間までお疲れ様。キーパーをやってもらう選手が決まった。新しいキーパーは――ロン・ウィーズリー。君にやってもらおうと思う」
落ちた生徒たちから落胆の声が上がる。ロン以外の生徒達は解散となり、肩を落としながら城へと戻って行く。
「なんだよ、結局コネかよ。兄弟も友達もいるもんな」
フーパーが去り際に聞こえよがしに言ったが、当のロンは聞こえていない様子で呆然と立ち尽くしていた。フロビシャーの方はケロリとした様子で、ただ時計を確認していた。彼は、面白そうなクラブに入れればそれでいいと言う軽い気持ちだったのだろう。
「私達も、今日はここまで。練習は明日から、午後二時に競技場を抑えてある。午前は、ハッフルパフが使うみたいだったから。あそこも、新しいメンバーを選抜しなきゃならないからね。――ロン、聞いてる?」
ロンはまだ心ここにあらずと言った様子だった。フレッドが口を挟んだ。
「大丈夫。万が一寝てたりチェスをやってたりしたら、俺達が引きずって行くよ」
サラ達選手も解散し、城へと戻って行った。ロンは、フレッドとジョージが両脇から腕を抱えるようにして、まるで連行されているかのように運ばれていた。
明るい玄関ホールに着いて、ようやくロンは意識を取り戻した。
「僕――僕、本当? やったのか? 夢じゃなくて?」
ロンは不安げに、両隣で自分を抱えている双子を交互に見て言った。フレッドがニヤリと笑った。
「どうした? 何か夢でも見たのか?」
「お前、ブラッジャーを頭に食らって、気絶してたんだよ。ここまで運んで来るの、大変だったぜ。選抜ならもう、終わったよ」
ロンの顔が、さーっと蒼ざめていく。直ぐ後ろを歩いていたケイティが、口を挟んだ。
「やめなさいよ。大丈夫よ、ロン。あなたがキーパーに決まったのは、夢でも何でもないわ。これから、よろしくね」
ケイティは優しく微笑みかけ、アンジェリーナと共に大広間へと入って行った。
「まあ、そう言う事だ。気絶してたってのは、ジョークさ」
「お祝いだな。バタービールを持って行ってやるから、先に戻ってろよ。もう、自分で歩けるだろ?」
フレッドとジョージは、大広間の隣の扉へ去って行った。屋敷僕妖精達の働いている厨房へ向かったのだろう。
玄関ホールに残っているのは、サラとロンだけになった。早くハリーやハーマイオニーに伝えようと階段を一段飛ばしに駆け上がるロンを、サラは呼び止めた。
「――ロン!」
ロンは階段を半分ほど上がった所で立ち止まり、振り返る。
「えっと、あの……」
サラは口ごもりながらも、続けた。
「あなたが選抜に参加するとは思わなかったわ……まさか、キーパーになるなんて……」
「何だよ、嫌味か? そりゃ、一年生の頃から選手をやってる君やハリーに比べれば劣るだろうけど、今はそう言うの、やめてくれないか?」
「違うわ、私、そんなつもりじゃ……」
「じゃあ、どう言うつもりだよ? 僕がキーパーになれるなんて思ってなかったんだろ。せっかくいい気分なのに、水を差さないでくれ」
ロンはふいと背を向け、階段を駆け上って行く。
サラは誰もいなくなった玄関ホールに、ただただ立ち尽くしていた。
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2015/07/31