蝋燭の明かりに、走る影が揺れる。アリスは腕いっぱいに本を抱え、大広間へと急いでいた。
(すっかり遅くなっちゃった……! デザートぐらいなら、まだ残ってるかなあ……)
新学期が始まって三週間が経った。授業はすっかりいつもの調子になり、去年より多くそして難しくなった宿題が出されていた。とは言っても、OWLを控えている五年生に比べればまだマシな部類だろう。図書館へ行くと参考書漬けでゲッソリとした顔の五年生を見かける事も少なくない。九月からそんな状態に陥っている生徒は、果たして試験まで一年間持つのだろうかと心配にさえ思ってしまう。
しかし、いくらOWLの年ではないとは言え、アリスも他人の心配をしている場合ではなかった。
アリスは、魔法が使えない。当然、呪文学や変身術など魔法が必要不可欠な科目の実技試験は、毎年ゼロ点だ。その分を勉強で補わなければならない。実技のゼロ点を補い落第を免れるには、宿題も試験も百点以上でなければならないのだ。並外れた記憶力も突飛な発案力も持たないアリスが年々複雑化していく授業でその成績を保つには、それ相応の努力が必要だった。
三階の廊下で、アリスはふと足を止めた。声が、聞こえた気がしたのだ。
少し先に、部屋の扉があった。アリスが一年生の頃に、ロックハートの部屋になっていた場所だ。部屋の中でも何かやらかしたのか、今は闇の魔術に対する防衛術の教授の部屋は四階に移り、この部屋は空き部屋になっていた。
誰もいないはずの部屋から幽かに、女の子の声が聞こえていた。
「ご……ゴーストなんて、そこら中にいるじゃない。そうよ、ホグワーツでは珍しくないわ。それか、部屋の中に肖像画があるのかも……」
アリスは、扉の前を通り過ぎる。
扉を開けて、もし何もなかったら。誰もいなかったら。それを思うと、開ける気にはなれなかった。
十歩と離れぬ内に、アリスはぴたりと足を止めた。そのままビデオテープを巻き戻すかのように、扉の前まで後退する。
やはり、声ははっきりと聞こえている。女の子の声だ。何か呪文を唱えている。
誰もいなかったら? いや、そんな事あるはずがない。このまま嫌な可能性を残しておくよりも、扉を開けて人がいるのをこの目で確かめた方がずっと良いのではないか。
アリスは恐々と扉に手を掛ける。そして、一気に開いた。
「プロテ……えっ!? アリス!?」
杖を構えた少女が、目を丸くして振り返った。
直後、紙で作られた大量の鳥が彼女を襲った。
「きゃあああああっ」
「パンジー!?」
アリスは慌ててパンジーに駆け寄ると、手持ちの小瓶のコルクを抜き中身を振りまいた。パンジーに襲い掛かっていた紙の鳥は水に濡れ、しおしおと床に落ちた。
「えっ、ちょ、な、何を掛けたの!?」
「大丈夫。ただの傷薬だから。塗り薬だから、もし顔にかかっちゃってたら舐めたりしないように気を付けてね。一応、直ぐ洗った方がいいかも。
こんな所で、何をしていたの? 誰かに襲われた……って訳じゃ、ないわよね?」
アリスは部屋を見回す。部屋に扉は二つ。アリスが入って来た廊下への扉と、奥の部屋に繋がる扉だ。しかし二つ目の扉は閉まっていたし、鳥が襲って来たのとは逆方向にあった。
パンジーはバツが悪そうな顔をして立ち上がった。
「……何でもないわ」
そう言って、髪を手で払う。
よく見ると、パンジーの手や足には、小さな傷がたくさんあった。今し方ついたものではない。
「もしかして、自主練習でもしていたの? OWLだから? でも、アンブリッジ先生はよく思わないんじゃないかしら。どうしても心配なら、ダフネやドラコ達も誘えば――」
「私とあなたは、会わなかった」
「……え?」
アリスは目をパチクリさせる。
パンジーはじっと、アリスを見下ろしていた。
「私達はここで、会わなかった。あなたは何も見なかった。いいわね?」
「え……ええ……」
アリスは気圧されたようにうなずく。
パンジーは部屋の隅に置いた鞄を抱えると、廊下へと向かう。部屋を出る間際、彼女は立ち止まり振り返った。
「今夜の事、誰かに言ったりしたら、もうスリザリンに居場所はなくなると思いなさい」
念を押すように言い、パンジーは部屋を出て行った。
後には、きょとんとした表情のアリスが、ぽつねんと残されていた。
No.42
「……闇の魔術に対する防衛術を教わる? ハリーに?」
サラは目を瞬いた。
闇の魔術に対する防衛術の授業は相変わらず、教科書を読むばかりで杖を使う気配は微塵も感じられなかった。アンブリッジはホグワーツ高等尋問官の肩書を得て他の教授の授業まで査察し出したりとやりたい放題だった。
どの授業に出てもガマガエルのような顔を見る事になる日々を経て、九月も終わろうと言う日の夕方、そろそろ夕食に向かおうと図書館を出たサラに、ハーマイオニーが声を掛けた。そして持ち掛けられた話題は、思いもよらないものだった。
「サラだって、あんな授業じゃ何も学べないと思っているでしょう? 私達に、身を守る術を学ばせないなんて。ヴォ……ヴォルデモートが、復活したって言うのに」
サラはまじまじとハーマイオニーを見る。
ハーマイオニーは、今、確かにヴォルデモートの名前を言った。サラの心中を悟ったらしく、ハーマイオニーはツンと澄まして言った。
「私達は、ヴォルデモートに対抗しようとしているのよ? 名前を呼ぶのを恐れている場合じゃないわ。あなたやハリーの言う通り、名前を呼ぶ事を恐れるなんて、そのものへの恐怖を無駄に煽るだけだわ」
「……それは、私達の言葉じゃないわ。ダンブルドアが、私達にそう言ったのよ」
サラは静かに答える。
その時、ハーマイオニーの後方にある扉が開いて、レイブンクローの上級生達が出て来た。サラとハーマイオニーは口をつぐんで、彼女達が通り過ぎていくのを見送る。
彼女達が十分に離れてから、サラはハーマイオニーを振り返った。
「悪いけど、私、パス」
短く言って、サラはスタスタと廊下を歩いて行く。
ハーマイオニーはめげずに、後をついて来た。
「でも、今の授業じゃ何も身につけられないわ。私達には今何が必要なのか、あなたなら解っているはずよ」
「それをあなた達とつるんで練習する必要性を感じないわね。私は今、忙しいの。そんな事に費やしている時間なんて無いのよ」
サラは、図書館で借りた本の入った鞄の紐を、ぎゅっと強く握る。OWLに向けて、難易度の上がった授業。大量に出される宿題。クィディッチの練習。更に、スネイプから課される追加課題。通常の勉強だけに追われる毎日。この上、ハリー達と闇の魔術に対する防衛術の訓練なんてしていたら、アニメーガスの勉強をする時間なんて全く取れなくなってしまう。
ハーマイオニーはぴたりと足を止めた。サラは遅れて立ち止まり、ハーマイオニーを振り返る。彼女は拳を握り締め、俯いていた。
「……最近、あなたが解らないわ」
「……そう」
「どうして冷たいの? どうして避けるの? ……私は、今まで通りサラと仲良くしたいのに」
ハーマイオニーは潤む瞳で、サラを見据える。
サラは視線を逸らし、背を向けた。
「無理する事無いわ……。私とあなたが親しくなんて出来るはずないって事、あなた程の人なら解っているはずよ」
立ち去るサラを、ハーマイオニーはもう追っては来なかった。
ただ、すすり泣くような声が、幽かに聞こえた気がした。
背後から聞こえたすすり泣くような声は、大広間に着いてもサラの耳に残っていた。
サラは、陰鬱な気持ちだった。毎回、毎回。ハーマイオニーと言葉を交わせば、必ず泣かせてしまう。彼女も、こんなにも何度も泣きながら、どうしてサラに構おうとするのか理解に苦しむ。
ハーマイオニーはきっと、サラに悪意を持っていない。だからこそ、サラに声を掛ける。仲良くしたいとまで言う。
しかし、その根底には疑心と怯えがある。
日本にいた頃に、小学校で何度も見て来た目だ。サラがスリザリンの血を引くと知ったあの時から、全ては変わってしまった。サラだって、今までのように何事もなくそばにいられたらと、どんなに思う事か。けれども、そうはいかない。彼女達は知ってしまったのだ。砕けたガラス玉は、もう元には戻らない。
友達に疑心を抱かれて、怯えを含んだ目で見られて平気でいられる程、サラは強くない。
『だから言っただろう。お前の居場所はそこではない。こちら側へ来るべきなのだと』
ヴォルデモートの言葉が聞こえて来るかのようだった。
ここに、サラの居場所はない。結局のところ、彼の言う通りだったのだ。サラはただ、祖母の仇である死喰人を拒絶して、スリザリンを拒んだに過ぎない。帽子も、サラほどスリザリンに向いた生徒はトム・リドル以来だと言っていた。
同じテーブル、同じ長椅子に着いているグリフィンドール生達が、遠い存在のようだった。実際、グリフィンドール生達の中でも、日刊予言者新聞に情報操作されてサラを遠ざけている者は少なくない。しかしそれも、然るべき扱いなのだろう。
サラは、ここにいるべきではない。音も光も、遠ざかっていく。まるで、闇の中にただ一人、ぽつねんと座っているような、空虚な感覚。
突如、頭から首、そして背へと伝ったひやりとした感覚に、サラは我に返った。
ぽたぽたと、サラの長い黒髪から水が滴り落ちる。周囲の生徒達はざわつき、ギョッとした表情でこちらを見ていた。
「いい加減、鬱陶しいのよね。いかにも悲劇のヒロインぶった顔して」
「ちょ、ちょっと、パンジー!?」
振り返れば、パンジー・パーキンソンがグラスを手にサラの後ろに立っていた。どうやら、彼女がサラに水を引っ掛けたらしい。さすがのスリザリン生も、これには慌てふためいた様子でパンジーを呼び戻そうとする。
パンジーは友人の咎める声を無視して、腕を組みサラを見下ろしていた。
「生き残った女の子も、ずいぶんと腑抜けたものね。これだけ誹謗中傷を浴びても一言も返さず、ただただ暗い顔でうつむくばかりで。可哀想なふりをして、いったい何を企んでいるのかしら? あなた、悪口を言われて黙って傷付くような、か弱い女の子じゃないでしょう。いつものあなたは、上から目線で、傲慢で、人を小馬鹿にしたような嫌味な態度。冷たい口調でクールな優等生を気取ってる割に、短気で単純で、作業も雑で魔法薬学は落第ギリギリ。ほんと、滑稽――」
スッとサラは席を立つ。睨み上げるサラを見下ろし、パンジーは鼻で笑い懐から杖を出した。
「なあに? やる気? いいわよ、そっちがその気なら――」
皆まで言わせず、サラの拳がパンジーの顔を襲った。寸でのところで避け、勢いついてパンジーはその場に転ぶ。サラは、その上に馬乗りになって拳を握った。
「人が大人しく黙ってれば、言ってくれるじゃない……!」
「何するのよ!」
パンジーは滅茶苦茶に腕を伸ばし、サラの顔を鷲掴みにする。
その後は、組んず解れつの大乱闘だった。掴み掴まれ、引っ掻き引っ掻かれ、床の上を転げながら二人は魔法なんてそっちのけで殴り合う。
周囲から悲鳴が上がる。サラ達が当たったのか、野次馬の誰かが当たったのか、テーブルの上にあった皿が落ち、ガシャンと割れる音がした。パンジーの友達も声は聞こえるものの、自分も巻き込まれる事を恐れてか、あるいはサラそのものを恐れてか、加勢する様子はない。
バチンと互いに弾き飛ばされて、サラとパンジーの取っ組み合いは終わった。
「何をしているのですか!!」
生徒達の輪を掻き分け、マクゴナガルが足早にこちらへとやって来る。綺麗に肩に流していたパンジーの髪は今やぼさぼさに乱れ、唇からは血が出ていた。サラも似たような状態なのだろう。ずれて落ちかけたカチューシャを直し、サラはパンジーを睨み付ける。
二人の所まで辿り着くなり、マクゴナガルはぴしゃりと言い放った。
「グリフィンドールとスリザリンから、それぞれ十点減点します! いったい、何事ですか。五年生にもなって、みっともない――」
「あら。一年生なら、お咎めなしだったのかしら」
パンジーが、無謀にも茶々を入れる。マクゴナガルの目が更に吊り上がった。
「そういう問題ではありません! こんな所で周囲の迷惑も顧みず、恥ずかしいと思わないのですか。そんな判断もできないほど、あなた方が幼稚だとは思いませんでした」
パンジーはしゅんと萎んだように黙り込む。
マクゴナガルは、テーブルの方へと杖を振った。割れた皿の欠片と零れた料理が消え去る。
「さあさあ、席に着いて、食事をお続けなさい。ミス・シャノンとミス・パーキンソンは、私と一緒にいらっしゃい」
サラとパンジーは一言も口答えせず、静々とマクゴナガルの後に従って大広間を出て行った。
懇々と説教を聞かされながら連れて行かれたのは、医務室だった。
何も、サラとパンジーは、腕の骨を折ったり、顔中おできまみれになったりした訳ではない。それでも、今のマクゴナガルに反論する気にはなれず、大人しく従った。
「ポピー、手当をしてやってちょうだい。喧嘩です」
「あらあら、女の子が顔に怪我なんて作って……そこに座って。今、薬を用意します」
マダム・ポンフリーはテキパキと言って、壁の棚を開ける。
入口のそばに置かれた長椅子に座ろうとしたサラを、マクゴナガルが呼び止めた。
「ミス・シャノン。来なさい」
サラだけまだ説教が続くのか。少し優越感を漂わせた笑みを見せるパンジーにムッとしながらも、サラはマクゴナガルの後について廊下へと出た。
「サラ。いったい、どういう事ですか。こんな騒ぎを起こすだなんて。今回の事はもちろん、あなたのご両親に報告します。良いですね?」
「……先に手を出して来たのは、彼女の方です。何もしていないのに、急に水を掛けられて――」
「水ごときが何ですか。アンブリッジ先生がいらっしゃらない間で、幸運でした。今、自分がどのような立場に置かれているのか、理解していない訳ではないでしょう」
サラは口をつぐむ。
マクゴナガルの言葉は、もっともだった。サラも決して嘘は言っていないが、結局、やり返してしまったのだから、彼女と同罪だ。何を言おうと言い訳にしかならない。
「魔法省は、あなた達を貶めようとしています。彼女達に体の良い口実を与えるような行動は、慎みなさい」
「……はい」
マクゴナガルと分かれ、医務室に戻れば、今度はマダム・ポンフリーの小言が待っていた。
「まったく、女の子が顔に傷を作るなんて。呪いや魔法薬以外の怪我をして来るなんて、クィディッチを除けばあなた達ぐらいですよ」
「私だって取っ組み合いなんてする気、なかったわ」
不服気に言ったのは、パンジーだった。
「呪いを一、二発ぶつけ合うぐらいで済むはずだったのに……何のために練習したんだか……」
「練習?」
「な、何でもないわ!」
きょとんと尋ねるサラに、パンジーは慌てて答える。
「ああ、もう無いわ」
棚の奥から出した壺を覗き込んだポンフリーが言った。
「隣の部屋から薬を取って来ます。その間、あなた達はその場に座って大人しく待っているように。――返事!」
「はい!!」
互いと睨み合っていた二人は、ポンフリーの叱責に慌てて前を向き、答えた。
「……それで? いったい、どう言うつもり? あなたが、大勢の目の前であんなあからさまに吹っかけてくるなんて」
ポンフリーが医務室を出て行き、サラは横目で隣のパンジーを見上げながら問うた。
パンジーは決してハーマイオニーのような賢い生徒ではないが、それでも、あんな大勢の前で他人に水なんて掛けて、どんな目で見られるか分からないほど馬鹿ではない。リータ・スキーターに協力して悪口を吹き込んだり、教師の目につかないところでドラコに便乗して挑発台詞を吐いたり。それが、パンジーのいつものやり方だ。今日の一件は、あまりにも彼女らしくなかった。
「別に。ただ、あなたにムカついただけよ。あなたこそ、お得意の魔法を使って来ないなんて。手加減したつもり?」
「まさか。正面からぶつかって来た相手には、こちらも正面から受けて立つのが礼儀ってものでしょう」
「あなたって本当、大人しそうな顔して結構、体育会系よねぇ……ハッフルパフにいる妹と、実は血が繋がってるんじゃないの?」
サラはただ、苦笑する。エリとアリスは、圭太の連れ子だと言う事になっている。当然、パンジーも本当にサラとエリが血縁関係のあるれっきとした双子だと言う事は知らない。
パンジーは、手のひらを広げ、目の前にかざした。
「あーあ……ネイルも剥がれちゃったし、マクゴナガル先生には怒られるし、散々だわ……。自分が取っ組み合いなんかする日が来るなんて、思いもしなかったわ」
サラは目を瞬く。
「無いの? 今までに、一度も?」
「当り前でしょう。あなたはあるって言うの?」
「あるわよ。姉妹喧嘩に魔法は使わないもの」
サラは当然だとばかりに答える。
「お互い大きくなって、最近は全く無いけれどね。――こんな風に思うがままに暴れたのなんて、いつぶりかしら」
静かに言って、サラは目を伏せる。
子供の頃は、よくエリと喧嘩をしていた。当時よりも今の方が関係は良好だが、今は、サラの方がエリを避けてばかりだ。軽口を叩きあう事さえもなくなってしまった。
「馬鹿みたい。人の顔色なんて見てないで、思うようにすればいいじゃない。俯いて黙っていたところで、皆のあなたに対する評価なんて、変わりやしないんだから」
サラは顔を上げ、パンジーの横顔を見つめる。パンジーは、つまらなそうに言った。
「何を言われても、黙って俯いて。あなた、いつからそんなか弱い女の子になったの? そんな態度をとられたら、まるでこっちが虐めているみたいじゃない」
パンジーは振り返る。彼女は真っ直ぐにサラを見据え、言い放った。
「私はあなたが嫌いよ、サラ・シャノン」
大真面目な顔をして吐かれる暴言に、サラはぽかんと彼女を見つめ返す。
「嫌い。大嫌いだわ。あなたとドラコの間に何があったかなんて聞く気もないし、例えあなたがドラコをもう何とも思っていないのだとしても、あなたと馴れ合う気になんてなれない。あなたがどんなに陰湿でキツイ性格をしているか、よく分かっているもの」
パンジーの言わんとしている事が分からず、サラは困惑する。言っている事は相当酷いが、彼女の表情は、サラを挑発しようとしているようには見えなかった。
「――絶対に馴れ合う事のない私にまで、取り繕う必要なんてないのよ。イライラするだけだわ」
サラはようやく、パンジーの言いたい事を理解した。
「それを言うために、私に喧嘩を仕掛けたの?」
パンジーは答えなかった。ふいとそっぽを向き、席を立つ。
「……あなたが大人しいと、調子狂うのよ」
パンジーの背中を見つめ、そして、サラはふっと微笑んだ。
「……ありがとう」
「別に、お礼を言われるような事なんてしてないわ。ただ私がイラついたから、喧嘩を吹っ掛けただけなんだから」
パンジーは、スタスタと医務室の出口へと向かう。
「帰るの? マダム・ポンフリーは、待つように言っていたのに」
「別に、大した傷じゃないもの。ノットにでも、直してもらうわ」
振り返らずに言い、パンジーは扉に手を掛ける。
「私も嫌い」
ぴたりとパンジーは動きを止め、振り返る。その目を真っ直ぐに見つめ返し、サラは言い放った。
「私もあなたのことが大嫌いだわ、パンジー・パーキンソン」
きっぱりと告げ、サラは微笑う。パンジーも、微笑っていた。
「今更、教えてもらうまでもないわ」
言って、パンジーは扉を開ける。
そこには、真新しい壺を手に抱えたマダム・ポンフリーが立っていた。
「あ……」
「座って待っていなさいと言ったでしょう。さあ、さあ、戻りなさい」
パンジーは再び、サラの隣へと座らされる。
ポンフリーは相変わらず小言を言いながらサラ達を手当していたが、その顔はニコニコと笑っていた。
「――え?」
シャッと軽い音を立て、赤いカーテンが開かれる。ベッドの上に座り込むハーマイオニーの目は赤く、夕食も取らずに眠っていた訳ではない事は明白だった。
サラは気まずい思いで視線をそらしながらも、言葉を続ける。
「だから、誘いに乗ると言ったのよ。闇の魔術に対する防衛術の、自主訓練に。確かにあの授業では、今、私達に必要な事が身につかないもの」
「サラ……!」
「でも、だからって別に、あなた達とまたいつも一緒にいようと言う訳じゃないわ。訓練も、予定が合わなければ休ませてもらう。忙しいのは、本当なの。だから、訓練以外で私に構わないで。それが、条件」
「……ええ、分かったわ」
ハーマイオニーは少し寂しそうな表情だったが、泣き出しはしなかった。
「また話せる場があるってだけでも、嬉しいもの。サラってば、いつも私達を避けてばかりで、話もさせてくれなかったから」
「時間と場所が決まったら、連絡してちょうだい」
早口でまくしたて、サラは自分のベッドへと戻った。カーテンを閉め、バタンとベッドに倒れ込む。
課題に追われて、一刻でも時間が惜しい。それは確かだ。
ハーマイオニー達に、疑惑に満ちた目を向けられるのもつらい。それも、確か。
でも、もうこれ以上悪くなりようがないのだ。そう思えば、彼女達の態度もいくらか耐えられそうな気がした。
――今更、取り繕う意味もない。
それなら、自分に素直に動こう。逃げるのはやめよう。
企みを悟られないためにも、今までほどずっと一緒にいる訳にはいかない。それでも、少しでも彼らと一緒にいたい。
それが、サラの素直な気持ちだった。
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The Blood
第2部
真実の扉開かれて
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2016/01/10