「ああ、もう、腹が立つ! どうしてああも、上から目線なのかしら!」
五年生の授業が終わったところらしい。お昼時で開きっぱなしになった扉から、魔法生物飼育額の授業を終えたスリザリン生とグリフィンドール生がばらばらと大広間へと入って来る。
アリスを見つけたパンジーは、真っ直ぐにこちらへとやって来た。ダフネもその後について来る。
「またサラとやり合ったの?」
隣へと座るパンジーに、アリスは問う。パンジーはフンと軽く鼻を鳴らしただけだった。
ダフネが、パンジーの向こう側から心配そうにのぞき込む。
「でもパンジー、あまり無茶しないでよ? シャノンってほら、何をしでかすか分からないんだから。この前だって、もし彼女が魔法を使っていたら……」
「平気よ。シャノンなんて大した事ないわ。皆、彼女を過大評価し過ぎなのよ」
テーブルの中央に置かれた籠からパンを取りながら、パンジーはアリスを振り返った。
「ねえ、アリス。今度のホグズミード、予定ある? 一緒に行きましょう。ドラコ達も一緒なの」
アリスは、申し訳なさそうに微笑った。
「ごめんなさい。今度の週末は、もう他の人と約束しているの。次は、一緒に行きましょう」
パンジーはピクリと眉を動かす。
「まさか――シャノン達じゃないでしょうね?」
アリスは肯定も否定もせず曖昧に笑っただけだったが、彼女はそれを是と捉えたようだった。
「言ったはずよ。どちらにつくつもりなのか、決めなさいって。いくら家族だからって、あなたも彼女達とつるんでいるってアンブリッジ先生に知れたら――」
「家族だって時点で、夏休みには一緒に過ごしているのだから同じようなものだわ。それに、家族と敵対して、夏に帰る家が無くなっても困るもの」
「その時は、うちへ来るといい」
ドラコが、パンジーとアリスの後ろに立っていた。ゴイルとクラッブが凄みを利かせ、一年生に席を空けさせる。何事もなかったように平然と空いた席に着きながら、ドラコは言った。
「もし君がこちらにつくつもりで、その事で家にいられなくなるようなら、僕から父上に話を通してやる。部屋ならいくらでも空いてる」
「――駄目よ!」
咄嗟にパンジーが叫んだ。
ドラコはきょとんとパンジーを見やる。パンジーは慌てて咳払いして取り繕い、言った。
「だって、ほら――アリスは、女の子なのよ? ドラコの家は広いって言ったって、やっぱり、男の子の家に住むなんて色々大変でしょう? その時は、私がアリスを泊めるわ。親も説得してみせる。だからドラコは心配しないで」
パンジーはアリスを抱き寄せて話す。
――アリスがサラやハリー達を選べば、彼らはもう、こうして目を掛けてくれる事はなくなるだろう。
アンブリッジも、サラの妹という事で目を光らせている。授業では品行方正、教師に従順で素直な生徒を装っているが、それでも彼女の事だ。警戒は解いていないだろう。
そんな中、これからまさにアンブリッジの意に介さないだろう事を彼らと共に企んでいるだなんて、口が裂けても言えなかった。
No.43
「アリス! こっちよ、こっち!」
生徒達であふれ返るメインストリートをそれ、横道をずっと進んで行った突き当りに、ハーマイオニーに指定されたパブはあった。
入口の扉の上にはボロボロの看板が掛かっていて、猪の生首が周囲の布を血に染めている絵が描かれている。看板を提げる腕木は錆び付いていて、風が吹く度にキーキーと嫌な音を立てた。
いかにも陰気な雰囲気の店の前には、四人の少年少女の姿があった。その内の一人、明るい赤毛の女の子がアリスに手を振っていた。
「ジニー! ――やっぱり、あなた達もだったのね」
ジニーと一緒にいる三人を見回して、アリスは言った。ルーナはまるで迷い込んだかのようにぼんやりとした瞳で宙を見つめていて、サラは居心地が悪そうにそわそわとパブの窓へと目をやっていた。窓は煤けていている上に中も暗く、到底見えそうにはなかった。
会話をする気のない二人に代わって、ネビルがうなずいた。
「僕も、ハーマイオニーに声を掛けられたんだ。良かったよ、アリスも来られたみたいで。ジニーが、誘ってみたけどスリザリンの仲間から抜け出して来るのは難しいかも知れないって心配していたから」
発案者はハーマイオニーだと聞いていたが、アリスに話を持ち掛けたのはジニーだった。魔法薬学の授業の後に、声を掛けられたのだ。
「あたし達も今、来たところなの」
「ジニー!」
やって来たのは、知らない三人組の男子生徒だった。マフラーの色で、かろうじてレイブンクロー生だと言う事は分かった。
三人の先頭に立つ男子生徒は、サラもその場にいる事に気付き、一瞬、ぎょっとした顔を見せた。しかし直ぐに何食わぬ顔をして、ジニーへと駆け寄った。
「紹介するわ、アリス。彼は、マイケル・コーナー。あちらの二人は、アンソニーにテリー。マイケルの友達よ」
「君の事は知ってるよ。アリス・モリイ。サラ・シャノンが暮らしているマグルの家の子だよね」
「ええ。よろしく」
アリスは愛想良く笑って握手に応じる。
マイケルは少し照れくさそうに笑いながら、ジニーに声を掛けた。
「ごめん、もしかして待ってた?」
「いいえ。ちょうど今来たところだったの。中で集合なのに、わざわざこんな所で待たないわよ」
アリスは目を瞬く。マイケル・コーナーがジニーに話しかける様子。それに、ジニーが彼を中心にアリスに紹介したと言う事。
アリスが口を開く前に、直ぐにまた次の一団がパブの前へと到着した。グリフィンドールの、サラやハリー達と同じ学年やクィディッチ・チームの一団だ。ただしシェーマス・フィネガンの姿はなく、代わりにパーバティ・パチルと双子のパドマ・パチルが一緒にいた。
グリフィンドールの集団が辿り着く前に、クリービー兄弟が角を曲がって姿を現した。
「ねえ、見て! ほら、見て! サラだ! サラもいるよ!」
弟のデニスが叫び、先輩集団を追い抜かして一目散にサラへと駆けて行く。コリンも慌ててその後を追って行った。
「やったあ。サラも参加するんだね! 最近、ハリー達と一緒にいないみたいだったから……。どうして? 喧嘩でもしたの?」
「あなたには関係無いわ」
「あ、そっか。ごめんね。でも、良かった! こんな所で会えるなんて……授業の後とかも、全然見つけられないから。ハリー達とも一緒じゃないし、ご飯の時も直ぐ終わっていなくなっちゃうし、談話室でも見かけないし。いつもどこで何やってるの?」
素っ気無い返答もものともしないデニスの無邪気な問いに、サラはたじたじの様子だった。
その後にやって来たのは、レイブンクローの女子生徒が二人。一人は確か、クィディッチでシーカーをやっている子だ。去年のダンス・パーティーではセドリック・ディゴリーの相手だったから、よく覚えている。確か名前は、チョウ・チャンと言ったか。
ほとんど間を空けずに、ハッフルパフでエリといつも一緒につるんでいる四人組も来た。ハンナ、スーザン、アーニー、ジャスティン。それからもう一人、よく知らない男子生徒も一緒だった。彼も確か、クィディッチ選手だ。名前は覚えていないが、苗字がスミスだかブラウンだか、とにかくよく聞くものだったのは覚えている。
「こんな所に溜まっていないで、中に入ろう。ハリー達も中だろうし」
アンジェリーナの一言で、扉の近くにいたネビル、ディーンと順番に中へと入って行った。デニス・クリービーから解放され、サラは溜息をつきながらアリスの後ろに並んだ。
最後にサラが店に入った時、閉じかけた扉が開いて、フレッド、ジョージ、リー、エリの四人が駆け込んで来た。四人とも、パンパンに膨らんだゾンコの紙袋を両腕で抱えていた。
ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人は、カウンターから一番離れた席に座っていた。唖然とするバーテンに、フレッドが二十八本のバタービールを注文する。二シックルを財布から出しながら、アリスは店内を見回した。
ハリーやアリス達以外の客は、三組。首から上を包帯でぐるぐる巻きにして酒を煽り続ける男と、鼻先だけベールからのぞかせた魔女、それから窓際に座るフードを目深にかぶった二人組。二人組は英語で話していたが訛りが強く、アリスには何を言っているのか聞き取れなかった。
アリスは、窓際に座る魔女に目をやる。それから、サラとエリの方を見た。エリはゾンコで買った物をハッフルパフの仲間に自慢するのに夢中になっていたが、サラはアリスと同じく魔女の方を見つめていた。
「ねえ、サラ。分かる?」
アリスは、こそこそとサラに尋ねる。サラは左右に小さく首を振った。
「はっきり誰かとは……。たぶん、あのベールが気配を隠すような類の魔法でも掛かってるんだと思う。でも、アンブリッジではないわ。彼女が背丈を変える魔法に長けていたりしなければね。もっとも、彼女が変身術の達人だったとしても、自らこんな所に来ようとはしないでしょうけど」
スリザリンの血筋故なのか、サラ達には個々人が所有する魔力の気配が分かる。それは、魔法を封じられているアリスも同様だった。
ベールをかぶっている魔女は、どこかで覚えのあるような気がしたのだ。
「それに、例えアンブリッジの手下の誰かだったとしても、この集まりは校則違反でも法律違反でもないはずよ」
バタービールを受け取った者から順に、バラバラとハリー達のいる奥のテーブルへと向かう。サラは、そそくさと一番隅の席へと座った。
全員が座り、会話が途絶えると、ハーマイオニーがぐるりと皆を見回して口を開いた。
「えー――それでは、えっと――こんにちは」
ハーマイオニーの声は、酷く上ずっていた。さすがのハーマイオニーも、この人数を相手に演説をした事はないだろう。
「さて……えーと……じゃあ、皆さん、なぜここに集まったか、分かってるでしょう。えーと……」
闇の魔術に対する防衛術の新教師となったドローレス・アンブリッジは、生徒達に杖を使わせようとはしなかった。理論さえきちんと学んでいれば、実技も問題なく使えるはず。魔法省は、生徒が授業で魔法を使う事を望んでいない。それが、アンブリッジの言い分だった。
飛んでもない話だ。ヴォルデモートが復活した今、自分の身を守る術を学ぶ事が出来ないだなんて。教師が教えてくれないならば、自分達で学ぼう。実際にヴォルデモートとの闘いを幾度となく潜り抜けてきたハリーに、その術を学ぼう。
それが、ハーマイオニーの提案であり、アリス達がこの場に集った目的だった。
「『例のあの人』が戻って来たって言う証拠が、どこにあるんだ?」
ハーマイオニーの話を遮るようにして、一人の男子生徒が声を上げた。ハッフルパフの、一人だけ名前が分からないクィディッチ選手の生徒だ。
「証拠も何も、ダンブルドアが言ってたじゃん」
答えたのはハーマイオニーではなく、エリだった。男子生徒はエリを振り返り、それからハリーを顎で指した。
「ダンブルドアがその人を信じるって話だろ」
ハリーは、彼の態度に酷くムッとした様子だった。どこか棘のある声音で、ハリーは聞いた。
「君、誰?」
「ザカリアス・スミス」
男子生徒は短く答えた。
「僕たちは、その人がなぜ『例のあの人』が戻って来たなんて言うのか、正確に知る権利があると思うな」
「ちょっと待って。この会合の目的は、そういう事じゃないはずよ」
「構わないよ、ハーマイオニー」
遮ろうとするハーマイオニーを制止し、ハリーはアリス達を見回した。そして、ザカリアスを見据えて答えた。
「僕がなぜ『例のあの人』が戻って来たと言うのかって? 僕は奴を見たんだ。だけど、何が起きたかは、先学期、ダンブルドアが全校生徒に話した。その時、君がダンブルドアを信じなかったなら、僕の言う事も信じないだろう。僕は誰かを信用させるために、午後いっぱいを無駄にするつもりはない」
「ダンブルドアが先学期話したのは、セドリック・ディゴリーが『例のあの人』に殺された事と、君達がホグワーツまでディゴリーの亡骸を運んで来た事だ。詳しい事は話さなかった。ディゴリーがどんなふうに殺されたのかは話してくれなかった。僕たち、皆、それが知りたいんだと思うな――」
「ヴォルデモートがどんなふうに人を殺すのかをはっきり聞きたいからここに来たなら、生憎だったな」
ハリーの声はピリピリしていた。まずい、とアリスは思った。ハーマイオニーと、ロンさえも察したらしく、ハリーがいつ癇癪を起こしやしないかと冷や冷やした様子でハリーを見ていた。
「僕は、セドリック・ディゴリーの事を話したくない。分かったか! だから、もし皆がそのためにここに来たなら、すぐ出て行った方がいい」
「緑の光と轟音。ディゴリーはぱたんと死んで、そのまんま。あっけないものだったわ。皆も、去年、ムーディの――偽物だったけど――授業は受けたでしょう? そこで見たものと同じよ」
淡々とした口調に全員の視線が、輪の一番外側に座っているサラへと向けられた。サラは、挑発的な笑みを浮かべてザカリアスを見ていた。
「ハリーは話したくないそうだから。お忘れのようですけど、私もその場にいたのだから、セドリック・ディゴリーの死も、ヴォルデモートの復活も、この目で見ているわ。――もっと聞きたい? 人が死んだ時の話を」
「――やめて!」
チョウ・チャンが、悲鳴のような声で叫んだ。
「もう、やめて……私達は、ハリーの話を聞きに来たのよ」
チョウの声は、震えていた。
しんとその場が静まり返る。バーテンがコップを拭くきゅっきゅっという音だけが、パブの中にやけに大きく響いているようだった。
それ以上は、ヴォルデモート復活の真偽について誰も触れようとはしなかった。会合の頻度、かち合わないよう考慮して欲しい予定、使う場所――やや話が脱線しつつも何とか必要な話し合いを終え、最後にハーマイオニーは羊皮紙と羽ペンを取り出した。そして、やや躊躇いがちに述べた。
「私――私、考えたんだけど、ここに全員名前を書いてほしいの。誰が来たか分かるように。それと、私達のしている事を言いふらさないと、全員が約束するべきだわ。名前を書けば、私達の考えている事をアンブリッジにも誰にも知らせないと約束した事になります」
ぞっと一気に血の気が引いていくかのようだった。
――名前を書く。証拠を残す。この場で。アンブリッジに、スリザリンに反抗する集団に属すという証拠を。
フレッド、ジョージ、エリが迷わず我先にと名前を書き込む。他のメンバーも、躊躇いつつも、名前を書き連ねて行く。
もう直ぐだ。間もなく、アリスの所へもリストが回って来てしまう。
『君は、どちらに付くつもりなのか自分の道を選択しなきゃいけない』
ドラコの言葉が、脳裏に蘇る。
考える時間が欲しい。そう言って、答えを先延ばしにしていた。どちらを選ぶ事も出来なかった。どちらを切る事も出来なかった。――誰かに敵視されるのは、怖い。
一人、また一人と羊皮紙に書かれた名前が増えて行く。羊皮紙がアリスの座る席へと近付いて来る。
「はい、アリス」
迷いなく自分の名前を書いたコリンが、振り返り、羊皮紙を差し出した。アリスは、重い手をやっとの事で動かし、それを受け取る。
「……ありがとう、コリン」
――来てしまった。
白い羊皮紙に連なる名前。頭が真っ白になり、読めるはずの英語も何が書いてあるのか認識できなかった。ただ、名前という記号としてそこに存在していた。
トイレに立つ? 転んだふりをして破る? 駄目だ、不自然さしかないし、何も根本的な解決にならない。戻って来てから、あるいはまた書き直しになるだけだ。ただ、無駄に不信感を抱かせるだけ。
どうしよう。早く書かなければ。不信に思われてしまう。エリは躊躇わなかった。サラもきっと、躊躇わない。ここで渋ったりすれば、これまで積み上げてきた信頼が崩れ去ってしまう。
――アリス・モリイ。
リストの下に、アリスは自分の名前を連ねる。そして、紙は次の人へと回されて行った。
……書いた。書いてしまった。
もう、後戻りは出来ない。
全員が署名を終え、第一回の会合はその場でお開きとなった。メンバーは、三々五々思い思いの方向へと散って行く。
メインストリートの方へと戻る道すがら、ジニーがアリスを呼び止めた。
「アリス!」
アリスは立ち止まり、ジニーを待つ。ジニーは軽やかな足取りでアリスの所まで駆けて来た。
「大丈夫? さっき、リストに名前を書いた辺りから、顔色が悪いから……」
「……大丈夫よ、ありがとう」
アリスは微笑む。
リストに名前を書くのを躊躇ったのは、アリスだけではなかった。しかし、エリ達のように躊躇わず署名した者たちもいた。ジニーは、その一人だ。
不信感を抱かせてはいけない。
「アリス、スリザリンでしょう? 監督生のアーニー・マクミランだって、躊躇していたわ……スリザリン生だって、ばれるとまずいのは一緒でしょう。アリスはアーニーみたいに文句を言ったりしなかったけど、でも本当は、凄く怖がってるんじゃないかと思ったの」
アリスは口を噤む。無言は肯定だった。
言葉にせずとも返答を読み取ったらしく、ジニーは微笑んだ。
「大丈夫よ、心配いらないわ。ハーマイオニーが、あのリストを他の誰かに見つかるなんてヘマ、する訳ないもの」
「……そうね」
アリスは微笑む。
ハーマイオニーの事だ。ジニーの言う通り、迂闊な扱いはしないだろう。それでも、万が一と言う事もある。
もしその時が来たら、アリスは寮に居場所を失う事になるのだ。友達も家族も皆、グリフィンドール、ダンブルドア側であるジニーとは訳が違う。
でも、それを言う訳にはいかない。不満を引きずっている事を悟られれば、こちらでの居場所を失ってしまう。
話題を変えようと、アリスは切り出した。
「それはそうと、ジニー。さっき紹介してくれたマイケル・コーナーって、もしかして……」
「ええ。あたし達、付き合っているの」
少しはにかみがちに笑いながら、ジニーは言った。
「去年のダンスパーティーで知り合って。付き合い始めたのは、先学期の終わり頃から」
「……ハリーは?」
思わず、そう尋ねていた。
ジニーは、ハリーの事が好きだったはずだ。最初は「生き残った男の子」であるハリー・ポッターへの憧れもあったかも知れないが、ロンと言う繋がりが出来てその人となりも知るようになって、一年生の時には「秘密の部屋」から救い出されて、憧れは恋へと着実に変化していた。
「別に、ハリーの事を嫌いになった訳じゃないわ」
「じゃあ、どうして」
「ハリーの事は好きよ。でも、いつまでも叶わない恋に憧れて、肝心の本人とは話も出来ないんじゃ、どうしようもないでしょ?」
アリスは口を噤む。
ハリーにとってのジニーは、ロンの妹だ。それ以上でもそれ以下でもない。それは、アリスから見ても明らかだった。それに、ハリーは今、他に女の子に夢中になっている。……きっと、ジニーも気付いているのだろう。
「ハーマイオニーがね、他の男の子と付き合ってみるのもいいんじゃないかって。ハリーとまともに話す事さえ出来ないなら、告白を受けて、他の人で異性に慣れてみたらどうかって」
「……好きでもないのに、告白を受けたの?」
「あら、好きよ。マイケルの事だって。確かに、告白される前は友達として……だったけれど。でも、別に結婚するって訳じゃないんだから。そんなに重く考えなくてもいいじゃない?」
アリスは、釈然としない気持ちだった。
――いつまでも叶わない恋に憧れて。
アリスも、同じだ。会話こそ出来るものの、彼がアリスを妹のようにしか思っていない事は変わらない。彼の眼中に、アリスはいない。
諦めるべきなのだろうか。それが、正解なのだろうか。
「ハリーを嫌いになった訳じゃないし、助けてもらった恩も感じているわ。日記の中のあの人の事を信じちゃって、長い時間に渡って何度も何度も書き込んで、そのせいで取りつかれちゃって。そんなあたしを、ハリーは助けてくれた。
そんな彼だからこそ、ただ憧れて顔もまともに見られないよりは、彼とまともに話せて笑い合える方がずっといい。彼の眼中にあたしがいないなら、遠回りになってもその視界に入りに行くわ。無理にこっちを向かせて、困らせるような事はしたくないしね」
そう話すジニーは、晴れ晴れとした明るい笑顔だった。
ジニーと別れたアリスは、まっすぐに城へと向かった。まだ門限まで時間はあるが、誰かと落ち合って買物をするような気分にはなれなかった。
リストに書いた名前。万が一見つかった時に、どうやって誤魔化すか考えなくては。スリザリンにも、グリフィンドールにも、波風を立てない方法を。
『無理にこっちを向かせて、困らせるような事はしたくないしね』
耳に残る、ジニーの言葉。
ドラコもきっと、アリスが想いを告げたら困惑する事だろう。彼はアリスを何とも思っていないのに、だからこそ信用して他の人には出来ないような相談していたのに、アリスからは恋心を抱かれていたなんて。アリスと言う相談相手を失わせる事もしたくない。
そこまで考え、ハッとアリスは我に返る。
――違う! そうじゃなくて!
今考えなければならないのは、自分の立場だ。色恋沙汰に現を抜かしている場合ではない。そう思うのに、気付けばジニーとハリーの事、そして自分とドラコの事を考えてしまう。
こんな事では、いけないのに。
「アリスも、帰るところかい?」
突然かけられた声に、びくりとアリスは立ち止まる。
振り返れば、アリスの思考回路を乱していた当の本人が立っていた。
「クラッブとゴイルは、一緒じゃないの?」
「ハニーデュークスで二人が迷子になったんだ。あの人ごみの中で探すのは無理だろうから、先に帰ってようと思って」
「二人が」という部分に力を込めて、ドラコは言った。
「アリスは、今日は一人で来ていたのか?」
「いいえ。友達と会っていたわ」
名前を出さない事で、ドラコはその「友達」がどの寮の生徒であるか察したようだった。
「アリス。新学期の始まりに僕達がした話を、覚えてるか? よく考えればいい、僕は確かにそう言った。でも、アンブリッジ先生だってそろそろ判断を下すだろう。ずっとこのままと言う訳には――」
「分かってる。……分かってるわ」
ドラコと並んで城の門を潜りながら、アリスは答える。
スリザリンか、グリフィンドールか。ドラコか、サラか。愛する人か、家族か。
決めなくてはならない。自分の進むべき道を。
「……そう言えば、ドラコも『例のあの人』と話した事があるって事になるのよね」
ふと思い出し、アリスは言った。ジニーとの会話で秘密の部屋の話題が上がったから、思い出したのかもしれない。
日記を媒介し、ジニーを操ったトム・リドル。学生時代の「例のあの人」。
そして、今、サラの手元にある「日記」。その日記は、リドルではなく祖母の物だけれども。
「どんな感じの人だった? ドラコも、それなりに親密な仲になったのでしょう?」
「いや、別に。あまり覚えてないんだ。父上から聞いて、初めて知ったぐらいだしな。名前を聞いてみたりとか、人間なのかと聞いてみたりとか、五、六個の質問をして直ぐ、乗っ取られたみたいで――」
「――え?」
ぴたりとアリスは立ち止まった。ドラコも立ち止まり、きょとんとした表情でアリスを見下ろす。
『長い時間に渡って何度も何度も書き込んで、そのせいで取りつかれちゃって』
リドルを信用したせいで、長い時間彼と話したせいで取りつかれたのだと、ジニーは言った。日記がジニーの手に渡ったのは、夏休み。秘密の部屋が開かれたのが新学期が始まってすぐではなく、十月の終わりだったのも、ジニーの意思を奪うまでにそれだけの時間を要したのだろう。
つまり、あの日記はそう言うものなのだ。書き込んですぐに乗っ取られる訳ではない。もしそれが可能なら、ハリーが書き込んだ時点でリドルはハリー自身に直接手を出す事が出来たはずだ。
「アリス、どうしたんだ?」
「それじゃ、ドラコがその日記を見つけたのって、一年生――じゃなくて、えっとドラコだと……六歳の時の、十二月?」
「ああ。クリスマスプレゼントにもらったおもちゃで、遊んでいる時だったから」
おかしい。辻褄が合わない。
五、六個の質問なんて、とてもリドルを信用し頼っている状態とは言えない。時間も、祖母が殺された日まで、一週間もない。
リドルはどうして、そんな力を持っていた? どうして、ドラコを乗っ取る事が出来た?
アリスは振り返り、ホグズミードの方を仰ぎ見た。ホグズミード村の外れにある、祖母の家。そこに、封じるかのようにしまい込まれていた日記。
――祖母の死には、まだ、何か裏がある。
一陣の風が吹き抜け、森の木々がざわざわと音を立てて揺れていた。
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第2部
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2016/05/01