――教育令第二十四号。
 学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブなどは全て解散とし、再結成はホグワーツ高等尋問官の許可を要するものとなる。
 承認なき集会を行った者、それに属する者は、ホグワーツ魔法魔術学校を退学とする。

 月曜日の朝、談話室に張り出された掲示を見てアリスはその場に硬直した。すーっと全身の血の気が引いていくようだった。
 なぜ、トム・リドルはドラコを乗っ取る事が出来たのか。ドラコが日記に書き込んだのがたった五、六個の質問だけだったなら、リドルはそれだけの力をどこから手に入れたのか。
 この週末は日記の事にとらわれて、ホグズミードでの会合の事はすっかり忘れてしまっていた。
 張り出された掲示。新たなる規則。
 土曜日にホグワーツで集まってから、まだ二日も経っていない。あまりにもタイミングが合い過ぎている。
 誰かが裏切った? リストに記名した事に怯え、リストが明るみになる前に全てを打ち明けてしまおうとする者がいても、不思議はない。
 それとも、あの店にアンブリッジの息のかかった者がいた?
 いずれにせよ、アンブリッジが何らかの気配を察知している事は明らかだった。魔法省は今、ハリーやサラ、そしてダンブルドアを陥れる事に躍起になっている。当然、彼らの周辺には目を光らせているはずだ。
 ドラコの言う通り、もう一刻の猶予もない。このまま彼らとの関係を続ければ、アンブリッジはアリスもハリー達の仲間であると見なすだろう。
『君は、どちらに付くつもりなのか自分の道を選択しなきゃいけない』
 新学期初日に、ドラコから言われた言葉。
「おはよう、アリス」
 パンジーが、親友のダフネと共に女子寮から出て来た。パンジーは掲示をちらりと見たが、何のクラブにも属していない彼女にはとりたて気になるような物ではなく、そのまま過ぎ去ろうとする。
 談話室を出て行こうとする背中に、アリスは呼びかけた。
「待って、パンジー。話があるの。――ドラコも、来て」
 ちょうど男子寮から出て来たドラコにも、アリスは声を掛ける。
「新学期の馬車の中での話……私、決めたわ。その答えを」





No.44





 月曜日の魔法史の授業の後、サラはロンとハーマイオニーの後を追うようにして教室を出た。
 魔法史の授業中、ハリーに手紙が届いた。手紙を届けに来たヘドウィグは、負傷していた。――恐らく、何者かに襲われた。
 リータ・スキーターの記事によるハーマイオニーへの誹謗中傷は時と共に減っていき、今はサラもふくろうの検閲は行っていない。他の誰かが、荒々しい方法でヘドウィグを捕らえようとしたのだ。
 ハリーは体調不良を訴え、ヘドウィグを連れて教室を出て行った。
 ハリーは間違いなく、ロンとハーマイオニーの所へ戻って来るだろう。教室を出た二人は冷たくなって来た風を避けるようにして、中庭の隅に立っていた。中庭は四方を渡り廊下で囲まれているから、どの教室から移動するにしても通りかかる。他の階からでも見通しが利く。
 サラの予想通り、人ごみに流されるようにしてハリーが中庭へと出て来て、真っ直ぐにロンとハーマイオニーの所へと向かった。その肩にヘドウィグはもう、いなかった。
 三人が合流したのを見計らって、サラはそちらへと歩いて行く。酷く緊張していた。自ら彼らの元へと声を掛けに行くのは、いったいいつぶりだろう。
 三人は、手紙の内容について話しているようだった。
「――それに、誰かが読んだって、僕たちがこの前どこで話したかを知らなければ、この意味が分からないだろ?」
「……ヘドウィグの様子は?」
 出て来た声はよそ行きのような高い声で、サラは自分でもびっくりした。
 ハリー達の方も、振り返り、声を掛けて来たのがサラだと知って驚いたような顔をしていた。
「ヘドウィグ、大丈夫だった?」
 再度、サラは尋ねる。今度は、いつもの声で話せた。
「あ、ああ……うん。グラブリー−プランク先生に診てもらってる」
「そう……」
 ホッとサラは安堵の息を吐く。
「それじゃ……」
「言うべきよ、サラの親の事なんだから」
 用が済み、立ち去ろうとしたサラは、ハーマイオニーの言葉で留まった。
 ハリーは何かを問うようにロンとハーマイオニーに視線を向けていて、ハーマイオニーがそれに答えたらしい。きょとんとするサラに、ハリーは手に持っている巻き跡のついた羊皮紙の切れ端を差し出した。
「ヘドウィグが運んで来た手紙だ――スナッフルズからだよ」
 サラは、丸まった手紙を広げる。そこには、五つの言葉が短く書かれていた。――今日、同じ、時間、同じ、場所。
「これって……三校対抗試合の時の……?」
「たぶん、そうだと思う」
「止めなきゃ。だって、ふくろうだって捕まえようとした人がいるのでしょう? 煙突飛行ネットワークだって見張られているかも――」
「伝えようがないわ。その手紙も、途中で奪われるかも知れないもの」
 ハーマイオニーが首を振り、却下する。
「手紙が駄目なら、直接……」
「どうやって行く気だよ? 煙突飛行ネットワークは見張られてる可能性があるかも知れないって話してるのに。それにまず、学校を抜け出そうなんてアンブリッジが黙っちゃいないぜ」
「アンブリッジでなくても、そんな事させられないわ。サラ、ハリーが夏休みに吸魂鬼の襲撃にあった事、まさか忘れた訳じゃないでしょう? あなた達が学校をこっそり抜け出すなんて、絶対に駄目」
 八方ふさがりだ。シリウスを止める手段がない。
「……行きましょう。さっき、ベルが鳴ったわ。授業に遅れちゃう」

 地下へと降りて行くと、グリフィンドール生とスリザリン生がそれぞれ列になって教室が空くのを待っていた。
「サラ! 良かった、ハリー達と仲直りしたんだね」
 列の後ろにいたネビルが、一緒に来た四人を見て言った。サラはふいと目をそらす。
「別に……喧嘩している訳じゃ……それに、たまたま一緒になっただけで……」
「ああ、アンブリッジがスリザリンのクィディッチ・チームに、プレイを続けて良いという許可を直ぐに出してくれたよ」
 待ってましたとばかりに、ドラコの大きな声が聞こえて来た。彼は列の一番前で、正式書類のようなものを周りに見せびらかしていた。
「――グリフィンドールがプレイを続ける許可を貰えるかどうか、見物だねえ」
「抑えて」
 ハーマイオニーが囁く。ハリーもロンも、今にもドラコに飛びかからんばかりの形相でドラコを睨んでいた。
 ドラコはなおも、煽るように話していた。
「父上がおっしゃるには、魔法省は、アーサー・ウィーズリーをクビにする口実を長年探しているし……それにポッターだが、父上は、魔法省があいつを聖マンゴ病院に送り込むのはもう時間の問題だっておっしゃるんだ……どうやら、魔法で頭がいかれちゃった人の特別病棟があるらしいよ」
 ――また、『父上』。
 サラはそっぽを向き、無表情で佇んでいた。
 祖母の命を奪った、ルシウス・マルフォイ。その事実を知ってもなお、彼の父親への敬愛の念が費える事はなかった。だから、サラ達は――
「ネビル、やめろ!」
 ハリーの声でサラは振り返った。サラの隣にいたはずのネビルが、ドラコの方へと突進していた。ハリーが慌ててその後を追い駆ける。
 サラは杖を取り出し、ネビルの方へと振る。見えない手に足首を引っ張られるようにして、ネビルはその場に転倒した。ハリー、そしてロンが追いつき、倒れたネビルを抑え込む。
 ビンセントとグレゴリーが腕を鳴らしながら、ドラコの前へと進み出る。ハリーとロンは引きずるようにして、ネビルをグリフィンドールの列まで引き戻した。
「おかしく……ない……マンゴ……やっつける……あいつめ……」
 地下牢の扉が開いた。
 スネイプは廊下を見渡し、そして揉み合うハリー、ロン、ネビルの三人と杖を持ったサラへと目を止めた。
「喧嘩か? シャノン、廊下で魔法を使ったな?」
 スネイプの声は、どこまでも冷たかった。
「グリフィンドール、十点減点。ポッター、ロングボトムを放せ。さもないと罰則だ。全員、中へ」
 解放されたネビルは何も言わず、ただサラ達を睨んで、鞄を乱暴に掴み教室へと入って行った。
「いったい、何だったんだ?」
 ロンは唖然とネビルの後ろ姿を見送っていた。
 サラには一つ、思い当たる事があった。磔の呪いをかけられたという、ネビルの両親。会う事は出来る。ネビルは、そう言っていた。しかしネビルの送迎に来るのは、いつも彼の祖母ばかり。
 聖マンゴ病院の患者への嘲笑に憤慨したネビル。彼の両親は、もしかしたら……。

 アンブリッジの授業査察は、スネイプの番だった。容赦ないアンブリッジの質問にすっと胸のすくような気持になったが、それも一時的なものだった。前回の授業で提出した四年生の授業の復習レポートは難癖をつけて突き返され、授業の調合は相変わらずの失敗でパンジー・パーキンソンに馬鹿笑いされ、更に強化薬の失敗についてもレポートを課され、魔法薬学の授業は終了した。もちろん、他の生徒達と同じ課題も提示された上での、この追加課題だ。今日も、変身術の自習は手をつけられそうにはなかった。
 授業を終え、昼食へと向かうサラをハーマイオニーが追って来た。
「サラ! サラ、待って!」
 大広間へと流れ込む人ごみの中、サラは玄関ホールの隅へと寄り、立ち止まった。
「ねえ、サラ。今夜、一緒に宿題をしない? 魔法薬の課題、たくさん出されていたでしょう。一緒にやった方が、捗ると思うの」
 サラは黙りこくる。ハーマイオニーに出されたのは、皆と同じ通常の課題だけだ。それは、ハーマイオニーがサラの課題を手伝うと申し出ているに等しかった。
「……平気よ。宿題は、自分でやるものだもの。それに、今日はクィディッチの練習があるの。何時に終わるか分からないから……」
「あら。それなら、ハリーやロンだって一緒だわ。……それに、スナッフルズの事があるでしょう? 最初から一緒に談話室にいた方が、時間になって集合するよりも自然だと思うの」
 ハーマイオニーは辺りを警戒しながら、ヒソヒソ声で言った。
「それは……まあ、そうね……」
 ハーマイオニーの言う事も、一理ある。寝室を出て行くところをラベンダーやパーバティに見咎められても「忘れ物を取りに行く」とでも言えば済む事だが、深夜にわざわざ寝室を出て行くよりは、ずっと談話室にいた方が不自然さはないだろう。
 それに、あの課題の量だ。一人で寝室にこもったところで、どの道今夜は、秘密の特訓に割けるような時間はない。
「……分かったわ。ハリーやロンが、嫌がらないようなら」
「良かった! 大丈夫。二人の事は、何とかするわ。二人も別に、サラの事を嫌いな訳じゃないのよ。きっと大丈夫だわ」
 ハーマイオニーは嬉しそうに話す。
 サラには、不可解だった。ハーマイオニーは確かに、サラに怯えていた。あれから、何かあった訳でもない。サラへの感情が変わるようなきっかけなど何もなかったはずだ。サラの事が理解できないとも言っていた。なのに、どうしてこうもサラに関わりを持とうとするのか。
「……ねえ、ハーマイオニー。あなたはいったい、私の事をどう思っているの?」
「え?」
 ハーマイオニーはきょとんと眼を瞬く。
「あなたは、私の事が怖くないの?」
「それは――」
「いた! ハーマイオニー!」
 ハーマイオニーの答えを聞く事は出来なかった。
 ハーマイオニーを呼んだのは、アリスだった。人ごみを掻き分け、こちらへと走って来る。
「サラも一緒なのね。ちょうどいいわ。少し、話したい事があるの。土曜日の事で……」
 サラとハーマイオニーは、顔を見合わせる。
 ハーマイオニーが、困ったように言った。
「アリス。その話は後でもいい? ここではまずいわ。アンブリッジも魔法薬学の授業にいたから、間違いなくここを通るでしょうし……。ジニーに伝言を頼むから――」
「私から、ハーマイオニーに話したい事があるの。急ぎなのよ」
 アリス自身も、聞かれてはまずい話だという自覚はあるようだった。チラチラと辺りを気にしながら話す。
 ハーマイオニーはうなずいた。
「分かったわ。場所を変えましょう」

 ハーマイオニーがサラとアリスを連れて向かったのは、三階の女子トイレだった。二年生の時以来、全く来ていなかったあのトイレ。
 幸い、この場所に棲みついているゴーストは、今日は機嫌が良かった。
「あら。随分と久しぶりじゃない。ハリーは一緒じゃないの?」
「ええ。だって、ここは女子トイレだもの」
「そんな事、全然気にしてなかったくせに。……そっちの子は、見ない顔ね?」
 アリスを見て警戒するようにマートルは言った。
 さすがはアリス、マートル相手でもお馴染みの人好きのする笑顔で会釈した。
「初めまして、マートルさん。アリス・モリイ。サラの妹です」
「え、ええ……そんな風に呼ばれたの、初めてだわ」
 アリスの丁寧な態度に、マートルは面食らったようだった。居心地悪そうに目を泳がせ、それからスイーッと奥の個室へと飛んで行った。
「あまり荒らさないでちょうだいね」
 ぼちゃんと便器へと飛び込むようにして、マートルは消え去った。ハーマイオニーは、見た事のないマートルの様子にぽかんとしていた。
「……あれってもしかして、照れたのかしら?」
「荒らしているのは、どちらかしらね」
 便器から跳ね、床に飛び散った水を見下ろしてサラは呆れたように言う。
「それでアリス、話って?」
 嘆きのマートルのトイレ。女子生徒が連れ添って女子トイレに行く事は決しておかしな事ではないし、マートルの存在がある限り、他の生徒が寄り付く事はない。アンブリッジも、決してマートルと関わろうとはしないだろう。確かにここは、内緒話をするには最適だった。
 アリスは真剣な顔でうなずくと、口を開いた。
「ホグズミードの一般住民に、魔法省の人がいたみたい。メインストリートから一本裏に入った通りに住んでいて、ホッグズ・ヘッドへ行く途中には、その家の前を通るわ。生徒は皆メインストリートばかりだからいつもは静かなのに、あの日はいくつもの集団があの道を通って……それで、警戒されたみたい。店にいた訳じゃないから、ハリーがいた事や、会合の内容まではバレてないそうよ」
 サラも、ハーマイオニーも、唖然としてアリスを見つめていた。
「アリス、あなた……そんな話、どうやって?」
「あら。私は、スリザリン生よ?」
 アリスは少し得意げに笑って見せる。それから再び、真顔になった。
「――ドラコとパンジーに、『どちら側につくか選択しろ』って言われたの」
 サラは息をのむ。
 決して忘れていた訳ではなかった。アリスは、スリザリン生だ。グリフィンドール生の、それも生き残った女の子のサラやハリーと親しくしている事をよく思わない生徒は、決して少なくないだろう。三年生の時にも、その事でアリスがスリザリン生にいじめられていた事があった。
 少し考えればわかるはずなのに、気付かなかった。自分の事で精一杯になってしまっていた。
「アリス、まさかあなた、またスリザリンでいじめにあっているの? ドラコにまで……? まさか、私のせいで……?」
「違うわ、サラ。あなたとドラコの事は関係ない。あなた達が別れた後も、ドラコは私の事を妹のように可愛がってくれてる。それに私、他の皆にもいじめられてなんかいないわ。ドラコやパンジーと親しいからと言うのもあるけれど……」
「でも、それって要するに、私達の方を選択したらもうその後ろ盾がなくなるって事よね?」
 ハーマイオニーが厳しい表情で問う。アリスはうなずいた。
「ええ。それが、この話の本題。私、今朝、返答したわ。――私は、スリザリン生。これからも、あなた達と親しくしたい。それが、賢い選択でしょうって」
「な……本心で言ってる訳じゃないわよね? 大丈夫よ、私がアリスを守るわ。ドラコやパンジーが脅すようなら、私が――」
「サラ、落ち着いて。――アリス。そう、彼らには『答えた』だけなのね?」
 ハーマイオニーの意味ありげな言い方に、サラは当惑して二人を交互に見る。
「え……?」
「冷静になれば、あなたにだって分かるはずよ、サラ。本当にスリザリンの側につく気で、私達に離別を言い渡すつもりなら、人目なんて気にする必要はないし、今朝の掲示に至った経緯を教えてくれたりなんてするはずない」
 サラはようやく、ハーマイオニーの言わんとするところ、そしてアリスの考えを理解した。
「アリス、あなた……!」
 アリスはうなずく。
「私、続けてこう言ったの。『でも、ハリー・ポッターの動きを把握できるルートを潰してしまうのはもったいないんじゃない?』って。スリザリン側では、私はあなた達をスパイするって事になったわ。だから、スパイを口実にあなた達と行動を共にする事が出来る。実際は、あなた達の味方で、スリザリンをスパイする事になるんだけどね」
 アリスはにっこりと微笑う。ナミによく似た笑顔だった。
「つまり、アリスは二重スパイをするって事ね?」
「ええ。せっかく、私だけスリザリンなんだもの。この立場を活用しない手はないでしょう? それでね。土曜日に書いたリストの事で一つ、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「ええ。呪いをかけて、あのリストに名前を書いた人は絶対にその事を外部には漏らせないようにして欲しいの。スリザリン側でスパイになると宣言した以上、ある程度はあなた達の行動を伝える必要があるわ。でも、誰がメンバーなのか、どこで行われているのか、出来る事なら何をしようとしているかも、この件については一切、話さない方がいいと思うの。でも、万が一ばれた時にあのリストに私の名前があったら、私が意図的に黙っていた事がバレちゃう。魔法で、『話さなかった』のではなく『話せなかった』事にできないかしら?」
「あら、それならもう対処済みよ」
 ハーマイオニーは答えた。
「すでに、あのリストには呪いが掛かっているの。アンブリッジに告げ口なんてした人は、すっごく後悔する事になるし、はたから見てもその人が裏切り者だって分かるようになるわ」
 アリスは目をパチパチと瞬き、それから安堵の笑みを零した。
「さすが、ハーマイオニー。頼りになるプレーンだわ」
「お褒めの言葉をどうも」
 ハーマイオニーも、小さく肩をすくめて微笑った。


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2016/06/05