「やっぱり彼ら、アンブリッジ先生の授業に不満が溜まっているみたい」
 時計の針は九時を回っていた。地下の談話室は帰って来た生徒達で溢れ返り、その中でもドラコ達は暖炉のそばの特等席を監督生権限とクラッブとゴイルの睨みで獲得し、大量に出たOWL学年の宿題を片付けていた。
「魔法省は、例のあの人に対抗するための術を奪っている。そう思っているみたいね。闇の魔術に対抗する防衛術の授業で、魔法を使わないなんてって。ハリーは懲りずに、例のあの人の復活を主張しているわ」
 淡々とした口調で話しながら、アリスはパンジーの隣に座る。
「それだけ? わざわざ呼び出して、ただの愚痴大会だったって事?」
 パンジーは拍子抜けしたように問う。
「いや、『ただの』とは言い切れないだろうな」
 ドラコはそう言って、読んでいた教科書をパタンと閉じた。
「ホグズミードの日の妙な集合だってある。顔ぶれからして、どうせポッターも絡んでいたんだろう。そうやって、自分の味方になりそうな人を少しずつ集めているのかも知れない。だとすれば、ポッターは退学処分だ」
 ライバルの弱みを握り、ドラコは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「チームやクラブの結成には、アンブリッジ先生の許可が必要だ。ポッターが許可されているはずがない。今夜は、ポッター達三人の他にも、アリスみたいに呼ばれた生徒はいたのか?」
 ドラコの青灰色の瞳が、アリスを見つめる。
 緊張に息が詰まりそうになりながらも、アリスはそんな素振りは表に出さないように細心の注意を払って答えた。
「ごめんなさい。答えられないわ」
 パンジーが眉を顰める。
「答えられない? あなた、ポッター達の情報を持って来てくれるんじゃなかったの? まさか、本当に向こうに寝返ったなんて言うんじゃ……」
 アリスは、静かに首を左右に振る。
「答えられない。話したら、私はスパイを続ける事が出来なくなる」
「肝心な事を話せないなんて、それじゃ、何のために――」
 なおも問い詰めるパンジーを、ドラコが片手を上げて制した。
「『答える事が出来ない』んだな? ……グレンジャーか」
 アリスは縦にも横にも首を動かさなかった。ただ、無言でドラコを見つめ返す。それだけで、ドラコには十分な回答になったようだった。
「そうか、分かった。まあ、こっちには魔法省がついてるんだ。泳がせておけば、いずれ尻尾を出すだろう」
 パンジーは、困惑顔でドラコとアリスとを交互に見る。アリスは、にっこりと微笑った。
「ありがとう。ああ、そうだわ、水曜日も『用事』が入ったから、また帰りが遅くなると思うわ」
「水曜日か……もっと遅くなれば、門限破りとして捕まえる事も出来るんだけどな……」
「あら。それだと、私も捕まってしまうわ」
「アリスが捕まっても、僕らが事情を説明するさ」
 ドラコは軽く肩をすくめる。アリスは静かに微笑んでいた。
 ――「ダンブルドア軍団」自体の事は、目的も、メンバーも、集合場所も、何も話していない。ハーマイオニーの呪いの対象にはならない。
 ハリー達が不穏な動きを見せている事、口外を防ぐ呪いがかけられている事、次は水曜日に動きがある事は話した。可能な限り最大の情報の横流しだ。ドラコ達は、アリスを信じて疑わないだろう。
 ハリー達にも嘘をつき。ドラコ達にも嘘をつき。
 ……本当のアリスは、何処にいるのだろう。





No.46





「こんにちは、皆さん」
「こんにちは、アンブリッジ先生」
 アンブリッジの挨拶に、ハッフルパフ生達の生気のない声が返答する。アンブリッジは満足気に微笑み、続けた。
「それでは、今日は、教科書の三十五ページをお読みなさい。私語は厳禁。さあ、始めなさい」
 パラパラとページをめくる音が教室に満ちる。エリも、ただ黙って教科書のページをめくっていた。
 誰も、何も話す生徒などいなかった。ただ、死んだような目で教科書の文字を追うだけの日々。かつて、最も刺激的で最も魔法学校らしいとさえ思っていた授業は、今や、ビンズの授業と一、二を争う睡魔との激闘タイムと化していた。
 睡魔に襲われる度に、セドリックの死に対するアンブリッジの態度を思い出し、怒りに腸を煮えくり返す事で眠気を退け、授業は終了した。
「終わったー! この後は、どうする? また図書室?」
 ハンナ、スーザン、アーニー、ジャスティンと共に教室を出ながら、エリは問う。
「雨だから、図書室も混んでそうよねぇ……。談話室の方がまだ空いてるかしら」
 窓の外を眺めながら、ハンナが答える。
「今日は、クィディッチの練習はないのかい?」
「この雨だからな。それに、初戦はグリフィンドール対スリザリンだろ? 練習場も、そのどちらかが押さえてばかりで、全然予約取れないんだよ。ま、その辺は試合前だから仕方ないし、お互い様だけど……」
「最近、フレッドやウィーズリーとも遊んでないようですが……」
「あいつらは試合前で、忙しいからなー。それに、やめたんだ。悪戯はさ」
 エリの回答に、ジャスティンとアーニーは顔を見合わせる。スーザンが、おずおずと尋ねた。
「……エリは、それで本当にいいの?」
「ん?」
「校則を破れって言う訳じゃないけど……でも、最近のエリ、おかしいわ。クィディッチ・チームの申請が通らなかったあの日から。クィディッチ・チーム一つのために、やりたい事全部諦めて、やろうとしていた事も逃げて、自分の意見も押し殺して、本当に、それでいいの?」
「あたしは、キャプテンなんだ。チームを守らなきゃ」
「責任感があるのはいい事だと思うわ。セドリックの支えていたものを守りたいって気持ちも、分からなくもない。――でも、そんなの、エリらしくない」
 エリは目を瞬き、スーザンを見下ろす。普段、おっとりとしていて大人しいスーザンが、ここまで強く出るのは珍しい事だった。
「あた、し、は……」
「エリ!」
 授業が終了し、廊下に溢れる人波に逆らって、エリ達の方へと向かって来る三人組がいた。顔ぶれを見れば、何の話だか容易に検討がついた。
「この人数で固まってたら目立っちまうな。先に戻っててよ。後から行くからさ」
 ハンナ達を先に寮へ帰し、エリは廊下の端に寄って立ち止まる。間もなく、グリフィンドールの三人はエリの元へと辿り着いた。
「明日の薬草学の授業の前後でもいいかと思ってたんだけど、姿が見えたから――アーニー達から話を聞いたよ。話を降りるって、本当かい?」
 エリの前まで来るなり、ハリーは急き込んで尋ねた。エリは軽い調子でうなずく。
「うん。ああ、でも、大丈夫。アンブリッジに告げ口とかする気は、全くないから」
「どうして? あなた、あんなに乗り気だったじゃない」
 ハーマイオニーが問う。会合の話は、ハーマイオニーから監督生の集まりで会ったハンナ伝いに聞いたものだった。ハーマイオニーの言う通り、エリは大乗り気で、第一回の会合ではフレッドやジョージと競い合って我先にと名簿に名前を書いた。
「ごめんなー。でも、状況が変わっちまったからさ。チーム禁止令が出ちまったろ? あたし、ちょっとはっちゃけ過ぎてたから、ハッフルパフも解散の危機にあって……」
「それは、グリフィンドールだって同じだよ。こっちはチーム全員いるし、アンジェリーナもキャプテンだけど参加してる」
 ロンが反論する。
「エリらしくないよ。アンブリッジの顔色をうかがうなんてさ」
「……あたしだって、嫌だよ。こんなの」
 エリはぼそりと呟く。それから顔を上げ、苦笑した。
「でも、セドリックが守ってたもんをあたしが壊しちまうのは、もっと嫌なんだ」
「エリ……」
 ハーマイオニーが心配げに呟く。エリは、ハリーへと視線を向けた。
「悪いな、ほんと。ハリー達の考えに、反対って訳じゃないんだ。ハリーの話はもちろん信じてるし、応援もしたいと思ってる。だけど、あたしも守りたいモンがあるからさ。本当に、ごめん。――じゃあな」
 エリは深々と頭を下げると、そのまま目を合わせず逃げるようにその場を去った。

 アンブリッジや魔法省の言いなりになるつもりなんてない。ハーマイオニーの考えには賛成だ。このままではいけない。OWL試験の実技はもちろんだが、いざという時、ヴォルデモートに対抗する事も出来なくなってしまう。
 エリだって、皆と一緒に防衛術の練習をしたい。
 でも、クィディッチ・チームを失う訳にはいかない。セドリックから受け継いだ、このチームを。
 視界の端に台座が映り、エリは顔を上げた。蝋燭の灯りが揺れる暗い廊下。冷たい石の壁が連なる廊下の傍らには、酷く腰の曲がった老人の像があった。
「ここって……」
 辺りに果物籠の描かれた絵画はない。どうやら、降りて来る間違えてしまったらしい。
「考え事なんて慣れない事するもんじゃないな……」
 少し先に進めば、直ぐに見慣れた廊下に出た。木戸に書かれているのは、魔法薬学の文字。
 そっと扉を押し開ければ、いつものごとく教卓で採点をする姿があった。
「相変わらず、ノックはしないんだな」
 机から顔を上げず、セブルスは言った。エリはへらりと笑いながら、後ろ手に扉を閉める。
「えへへ……ちょっと寮に戻る道間違えて、近くに来たからさ」
「寮に戻る道? いったい何年生になって言っているんだ」
「うっさいなー。ちょっと考え事してたんだよ。紅茶、飲む?」
 セブルスは答えない。必要ないと言われなければ、淹れれば飲むという合図だ。エリは慣れた手つきで、教室の端の棚を漁る。
「そう言やいつもの事だから気にしてなかったけど、教室に紅茶のセットがあるってのも珍しい話だよな。なんかここがセブルスの部屋みたいになっちゃってるけど、自室では採点しないの?」
 最前列の机を使って用意しながら、エリは問う。
「さすがに、自室に女子生徒を招き入れる訳にはいくまい」
 ピタリと手を止め、エリは目を見張る。セブルスの視線は手元のレポートに注がれたまま、何の気ない返事だった。
 視線を感じてか、はたまたカチャカチャという音が止まった事に気付いてか、セブルスの黒い瞳がレポートを離れ、エリへと向けられる。
「どうした?」
「えっ、あ、いや……さ、砂糖はどこだったかなーっ」
 エリは誤魔化すように言って、背を向け奥の棚へと舞い戻る。
 自室に女子生徒を入れる訳にはいかない。お堅いセブルスらしい台詞だ。でも、つまり、それは。
 ――あたしが来るから……あたしに合わせて、いつも教室にいたって事……?
 顔が熱い。セブルスにとっては、何気ない一言。でも、たったそれだけで、こんなにも嬉しい。
「あ、そ、そう言えばさ! クィディッチ・チームの再結成申請、セブルスが口添えしてくれたんだってな」
「別に、ハッフルパフのためではない。戦う相手がレイブンクローの一寮だけでは、スリザリンとしても張り合いがない。ただそれだけだ」
「でも、ありがとう」
 エリは笑いかける。セブルスはふいとそっぽを向いた。
「そんな事より、魔法薬学の補習の件はどうした。チームの許可が通ったのだから、いい加減、予定も組めるようになっただろう」
「ああ、そうだ。こっちは、今週は割といつでも大丈夫だよ。クィディッチも、誰かさんが競技場のスケジュールを占領しているおかげで、なかなか練習出来ないんでねー」
「試合前のチームが練習を増やすのは当然だろう」
 エリの軽い嫌味に、セブルスはすまし顔で答える。
「それはそうだけど。でも、もうちょっと他の寮の事も考えてよ。グリフィンドールだって、まともに競技場使えてないだろ」
「今日はスリザリンは入れていないぞ」
「雨が降ったからだろー」
 競技場の予約は、基本的にはチームのキャプテンが行っている。しかしスリザリン・チームだけは、慣例に沿わずセブルスが予約を入れているようだった。生徒よりも、教師の方が早い時期に予約を入れられる。おかげで向こう二週間はスリザリンで予約が埋められ、他のチームはまともに練習出来ない状況だった。天候の悪い日だけは当日にキャンセルしているらしい。しかし、そのキャンセルも予約状況を血眼で張っているアンジェリーナに持って行かれ、ハッフルパフは校庭や、あるいは温室と森の間のスペースで木の枝をゴールに見立てて練習していた。
 戸を叩く音がし、思わずエリは身構えた。授業には、アンブリッジによる監査が入っていた。そろそろ、結果が伝えられる頃だ。
 セブルスもそう思ったのだろう。ぶっきらぼうに答えるのではなく、戸口まで行って、扉を開ける。しかし、扉の外に立っていたのは、アンブリッジではなかった。
「こんにちは、スネイプ先生。――あら? エリ?」
 教室の中にいるエリを見つけ、アリスは首を傾げる。セブルスはさらりと答えた。
「彼女は魔法薬学の補習に来ている」
「補習……鍋や教科書ではなく、紅茶を用意しながら?」
 最前列の机の上に用意されたカップを見て、アリスは問う。
「ちょうど休憩をしていたところだ。ところで、何の用だね?」
「スネイプ先生にお尋ねしたい事があって来たんです」
 アリスは淡々と言った。
「アンブリッジ先生の監査の結果って、もう受け取ってますか?」
「君が気にするような事ではない。我輩の評価を心配しているようなら、無用な――」
「スネイプ先生なら、もちろん問題ないだろうと思っています。そうじゃなくて……魔法省高等尋問官が、不意にこの教室を訪れる可能性があるかどうか」
 エリは目をパチクリさせる。セブルスの眉間に、皺が増える。廊下に顔を出し左右を確認すると、扉を閉じ、鍵を掛けた。更に、杖を無言で扉に向け、サッと呪文を掛ける。テキパキと警戒態勢を敷くセブルスを、エリはぽかんと眺めていた。
 セブルスは杖を下すと、アリスに向き直った。
「何かあったのか?」
「いえ、そう言う訳では。ただ、例のあの人に関する話題なので、彼女の耳に入ったら快くは思わないだろうし、私も遮られて先生の見解が聞けなくなるのは嫌だったので」
 淡々とした口調で、アリスは言った。
「ジニーを操った、リドルの日記……ジニーは、長い事、そして内面の深い事まで書き込んでいた事で、操られてしまったと言っていました。五、六個の質問をしただけの相手を乗っ取るなんて可能性はありますか?」
 セブルスは怪訝気な顔をしたが、それでもアリスの質問に答えた。
「我輩は現物を調べた訳ではないが、あるかないかで言えば、あり得るだろう。例えば、その質問をした者が書き込んだ以前に、何者かが日記の中の闇の帝王に力を与えていた場合だ」
「あ、それあたしだ」
 アリスはパッとエリを振り返る。
「秘密の部屋でさ。ジニー、力吸われてめちゃくちゃ弱ってたから、これ以上ジニーから吸わせたらヤバイと思って。結果的にはあいつに力を与える事になるんだから、止められればそれが一番良かったんだろうけど、どうすればいいか分からなかったからさ……」
「なんだ……秘密の部屋の時の事ね……」
「え?」
「それじゃあ、その人自身が書き込んで力を与えた訳じゃなくても、その前に長時間書き込んだ人がいれば、その後の人を乗っ取れる可能性があるんですね? でも、そうすると、ハリーは……」
「ジニー・ウィーズリーが一年間与えた程度の力では、他者を乗っ取るには至らなかったのだろう。力の持ち主と憑依の対象を別にするならば、書き込んだ本人を憑依するのに比べ、より強い力が必要になる」
「より強い力……」
 アリスはセブルスの言葉を反芻し、考え込む。
「ジニーの手に渡る前、リドルの日記はずっとルシウス・マルフォイの手元にあったんですよね?」
「我輩の知るところではない」
「先生、死喰人の中に入ってスパイをしていたのでしょう? 日記を作ったのは当然、ドラコのお父様ではなく例のあの人でしょうし、何かそう言う話は耳にされませんでしたか?」
「闇の帝王が、厳選した忠実なる配下に託したものがあるようだという噂はあった。あくまでも噂の範疇を出ず、誰に何を託したのかまでは、我輩も知らぬが」
「じゃあやっぱり、例のあの人がハリーに敗れる前から、マルフォイ家に……」
「何か、気になる事でもあるのかね?」
 セブルスは、アリスの目をじっと見据え、尋ねた。二人の視線が交差する。
 セブルスを真っ直ぐに見つめ返し、アリスはにっこりと微笑った。
「いいえ、何も」
 アリスは一礼すると、くるりと背を向けた。
 戸口でふと立ち止まり、セブルスを振り返る。
「扉、触れても大丈夫ですか?」
「問題ない。耳ふさぎの呪文を掛けただけだ。――本当に何もないのだな? これは、子供のいざこざとは規模が違う。もし、何か得た情報があって意図的に伏せているようなら……」
「必要があれば話します。プライベートな事の干渉はされたくないでしょう? 先生とエリも」
 セブルスの鋭い視線が、エリに向けられる。エリはブンブンと首を左右に振った。
 セブルスとの関係は、誰にも口外していない。当然、アリスにも。
「それじゃあ、お邪魔しました」
 意味ありげに言って、アリスは教室を出て行った。
 セブルスはよろよろと教卓の方へと戻り、座り込んだ。そのまま机上に肘をつき、頭を抱え込む。
「セ、セブルス? 大丈夫? 紅茶飲む?」
 珍しく疲れを態度に表すセブルスに、エリは戸惑いながらもそっと紅茶を置く。セブルスは、カップを掴むと一気に中身を飲み干した。
 机の前にしゃがみ、セブルスの顔を覗き込みながら、エリは恐る恐る問う。
「お、おかわりいる?」
「要らん」
 セブルスは顔を上げる。その表情は厳しく、アリスが出て行った教室の扉を睨んでいた。
「君の妹、最近、何か変わった事は?」
「え。いや、別に何も……。まあ、あいつが目敏いのは昔からだし……。アリスなら大丈夫だと思うよ。誰にも話したりしないって」
「まさか、生徒に脅されようとはな」
「脅すって、そんな大げさな……」
「アリスは、何か隠している。警戒すべきは、シャノンだけかと思っていたが……まったく、君の姉妹は次々と問題を増やしてくれるな」
「そういやそのサラへの警戒って何なの? 一人にするなって言うから、とりあえず見かけたら声掛けて付きまとってみたりはしてるけど……」
「言えば、君は隠し通せないだろう。現に、アリスに見抜かれていたように」
「あ、そっスね……」
 返す言葉もなく、エリはポリポリと頬をかく。
「説明もなしに協力を求めるのは理不尽だと言う事は、理解している。我輩の方でも、彼女の課題を増やして時間を奪ってみてはいるが……」
「いや、それはいいよ! あたしも嘘苦手だってのは自覚してるし、あたしにも出来る事があるなら、協力したいしさ。ただ、セブルスも一人で抱え込んでるの苦しそうだったら、相談ぐらいは乗れたらなって……」
 セブルスの黒い瞳が、エリをじっと見つめる。
 そして、セブルスは手を伸ばしてきたかと思うと、教卓の淵を掴み覗き込むエリの頭に、ポンと手を乗せた。
「……へっ!?」
「アリスも、君やシャノンのように単純であれば、せめて何を隠しているのか掴めたのだがな……」
 そうぼやくセブルスの声には、疲れが滲み出ていた。
「悪かったな、単純でー」
 おどけるように、エリは言う。セブルスは、至極真面目な表情だった。
「素直なところは、君の美徳だ」





 アリスは何か、隠し事をしている。
 セブルスがそう言うのだから、何かそう思う根拠があったのだろう。エリとセブルスの関係について言及した事を、脅しだと言っていた。何か得ている情報があるなら提示するように言ったセブルスに対して、エリとセブルスも干渉されたくないだろうと返した。アリスも、恋愛絡みだと言う事だろうか。
 ――アリスに、好きな人が……?
「ダメだ、全っ然、わからねー……」
 サラにアリス。騎士団の任務に加えて、エリの姉妹の事でセブルスは頭を悩ませている。なのに、エリ自身は、二人が何を隠しているのかも分からなければ、そもそもセブルスに言われなければ隠し事がある事自体にも気付けなかった。
 エリの頭を撫でたり率直に褒めたりするなど、普段のセブルスからは到底考えられない言動だ。相当、疲れが溜まっているのだろう。下手したら、本人も、何をしたのか理解していなかったかも知れない。
「情けないなあ……」
 せめて、セブルスの荷をエリがいくらか分担する事が出来たら。
 しかしエリにはそんな能力などなく、それどころか補習と言う形で彼の負担を増やしてさえいる。
 ……焦る。
 セブルスは大人だ。教授と言う職に就いている立派な大人で、魔法や調合の腕も確か。不死鳥の騎士団員として、死喰人へ潜入していたし、今回もその任務に就いているのだろうと言われている。エリには話せないような任務を幾つも抱え、こなしている。
 対してエリは、まだまだ子供だ。魔法薬学のNEWTレベルに進められるかどうかも怪しく、不死鳥の騎士団には未成年だからと会議への同席さえ許されない。ただただ、セドリックのチームを守る事に精一杯な始末。
 ――本当に、このままで良いのだろうか?
 このままアンブリッジの顔色をうかがって。皆が騎士団に入れないながらもヴォルデモートに対抗する準備をする中、一人だけ身動きを取れずにいて。
 大人だけではない。皆にも、取り残されて。
『……エリは、それで本当にいいの?』
『エリらしくないよ。アンブリッジの顔色をうかがうなんてさ』
 仲間達の言葉が、胸の中で渦巻く。

 外は雨と言うだけあって、ハッフルパフの談話室はそれなりに人が多かった。課題を片付けたり、チェスを過ごしたり、思い思いに過ごしている。
「エリ! こっちだよ、こっち!」
 部屋の奥で、アーニーが大きく手を振っていた。ジャスティン、ハンナ、スーザンも一緒だ。
「随分と遅かったわね」
「考えは変わりましたか? DAの事だったのでしょう?」
「DA?」
「会合の名前よ。そう決まったの。ディフェンス・アソシエーション。または、ダンブルドア軍団」
「へぇっ。何それ、かっけぇ! いいな!」
 スーザンの説明に、思わずエリは身を乗り出す。四人の表情が、明るくなった。
「それじゃ、エリ……」
「え、あ、いや……ハリー達には、断ったよ。ちゃんと理由も説明して……」
「もう一度聞くけど、エリは本当にそれでいいの?」
 スーザンが問う。エリは言葉を濁らせた。
「それは……」
「あのさ、エリが降りるって話を聞いた時、サラが言ったんだ。セドリックが支えてきたチームを守っても、それが足枷になってセドリックの仇を討てなくなるんじゃ、本末転倒なんじゃないかって」
「アーニー」
 ハンナが制止しようとする。しかし、アーニーは続けた。
「サラほど極端に復讐が第一目的だとは思わないけど、でも、彼女の言葉も一理あると思うんだ。いいかい。セドリックは、例のあの人に殺された。例のあの人に殺されたんだ。クィディッチとか、いつも通りの日常だって、もちろん大事だと思う。でも、それを守るために例のあの人への対抗を諦める事が、本当に正しい事なのか? 僕には、エリが目的を見失ってるように見える」
 エリは言葉を失う。
 正論だった。セドリックならば、迷わずヴォルデモートに対抗する道を選んだ事だろう。エリだって、そうだったではないか。
「でも、クィディッチ・チームが……」
「そうやってクィディッチを引き合いに出すの、止めてくれないか?」
 背後から声を掛けられて、エリは振り返る。ザカリアス・スミスが、ソファの後ろに立っていた。
「エリがクィディッチを理由に参加をやめるなんて言ったら、選手なのに参加し続けている僕が自分勝手みたいじゃないか」
「そんなつもりは……。あたしは、キャプテンなんだ。それに、サラとの関係とか、これまでの行動とかで、アンブリッジにも目を付けられてる。だから……」
「ハリー・ポッターの友達も言ってたけど、それを言ったらグリフィンドールのキャプテンやウィーズリーの双子だって同じなんだよ。それに、君はもう名簿に名前を書いてる。今更練習に参加しないところで、万が一ばれた場合に、逃れられると本気で思ってるのかい?」
 ザカリアスは、心底不愉快だという表情をしていた。
「それで逃れられるなら、名簿の意味がない。途中抜けでエリだけ難を逃れるような事があったら、僕は君を恨むね」
「そうだ、名簿だ」
 アーニーは膝を叩いた。
「あれに名前を書いた以上、エリも僕達と一蓮托生なんだ。今更アンブリッジを気にしたって意味がないんだから、エリも素直に参加したらいいのさ。本当は、迷ってるんだろう?」
「素直に……」
「そうよ。スーザンも言っていたけど、自分の意志を捻じ曲げるなんて、エリらしくないわ」
 エリは、膝の上に置いた両手を見つめる。
『素直なところは、君の美徳だ』
 ――エリは、どうしたいのか。
 そんなの、決まっている。DAに参加したい。皆と共に、ヴォルデモートや死喰人に戦えるだけの力をつけていきたい。セドリックもきっと、そうしただろう。
 このままアンブリッジの顔色をうかがってDAへの参加を控えたところで、ヴォルデモートに対抗する手段を学ぶ術を失うだけ。何も生み出されはしない。
 本当に大切なものは何なのか、少し考えれば分かる事だったのに。
「……あたし、参加するよ」
 アーニー、ジャスティン、ハンナ、スーザンの表情がぱあっと明るくなる。
「よし! じゃあ、次は水曜日だってさ」
「アーニー、声が大きいですよ」
 ジャスティンに咎められ、アーニーは慌てて声を潜める。
「場所は、僕らが案内するよ。一緒に行こう」
「良かった。正直、最近のエリ、なんだかしょんぼりしていて見てられなかったのよね」
 ハンナはホッと胸を撫で下ろす。
 ザカリアスはやれやれと言うように肩をすくめると、男子寮へと帰って行った。
「自分に正直に行動する事にするよ。素直なところが、あたしの長所だって言われたし」
 セブルスの言葉を思い出し、エリは少し照れくさく思いながらも話す。
 アーニーが、まじまじとエリを見つめた。
「――え? 誰に?」
「えっ。えーと、誰だったかなー」
「なんで誤魔化すんだよ。絶対忘れてないだろう、今の言い方。誰に言われたんだ?」
「アーニー、焦ってる」
 スーザンがぽつりと呟く。エリはきょとんと首を傾げた。
「え? なんで?」
「別に、焦ってなんか……! ただ、エリが珍しい表情するから、ちょっと気になったってだけで……」
「あたし、何か変な表情してた?」
「まあ……恋する乙女って感じだったかしら」
「うっそ、マジで?」
 エリはパンパンと頬を両手で強く叩く。気を引き締めねば。これ以上、誰かにセブルスとの関係を見抜かれる訳にはいかない。
 スーザンが、またぽつりと言った。
「否定しない」
「まさか、本当に? エリ、好きな人がいるのかい?」
「……秘密!」
 人差し指を立て、一言短く言うと、エリは女子寮への階段を駆け上がって行った。これ以上、彼らと一緒にいると、誘導尋問に引っかかってしまいそうだった。
 ――セブルスには、まだまだ遠く及ばないかもしれない。
 エリは学生だ。不死鳥の騎士団には入れてもらえないし、勉強も特別得意と言う訳ではない。
 それでもせめて、ヴォルデモートや死喰人に対抗出来るようになりたい。彼の隣に、立てるようになりたい。
 自分に合わせて彼を立ち止まらせたりなんてしたくない。必ず追いついて隣に並んで見せる。そう、宣言したのだから。
 そうして少しでも、彼の抱えるものを分かち合う事が出来たら。苦しい任務を背負う彼を、支える事が出来たら。
 闇に屈したりしない。チームも、セブルスも、友達も、大切なものは皆、守って見せる。守れるようになって見せる。もう、二度と失ったりしない――絶対に。
 エリは胸元のキャプテン・バッジを握りしめ、固く心に誓った。


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2016/08/07