結局のところ、月曜日の夜に捕まったDAメンバーは一人もいなかった。グリフィンドールの寮を張っていたクラッブとゴイルはその場で待ちぼうけ、ハッフルパフの入口があると思われる廊下は混雑と混乱によりノット一人で人を見つける事など叶わず、パンジーとダフネも遭遇したのはフィルチを困らせてやろうと各教室から黒板消しをかき集めているピーブズだけだった。
 誰も、会合に向かうと思しき生徒には会えなかった。――ただ一人を除いては。
「本当に偶然だったのかしら?」
 談話室で互いの報告を終え、パンジーが疑るように言った。
「ホグズミードでは大人数だったみたいなのに、一人も見付けられないなんて。誰かが事前に知らせていたって可能性はない?」
 言いながら、パンジーは横目でアリスを見る。ダフネも、ノットも、クラッブとゴイルさえも、疑惑の視線をアリスへと向ける。
 アリスはショックを受けて――と見えるような表情を作り、叫んだ。
「そんな……! 私、誰にも言っていないわ。本当に? 本当に、誰も会わなかったの? そんな事って――」
「――僕は、会った。アリスは情報を漏らしてなんかいない。向こうも、僕との遭遇は予想外だったみたいで驚いていたから」
 ドラコがぽつりと言った。アリスに集中していた視線は、ドラコへと移る。
「誰を捕まえたの? アンブリッジに引き渡したの?」
 ダフネが問う。ドラコは言葉を詰まらせ、気まずげに答えた。
「アー……逃げられたんだ。ウィーズリーの双子だった。ほら、あいつら、隠し通路に詳しいから」
「俺達がそこにいれば、殴り返してやったのに」
「クラッブ。あいつらと同じリスクは負わない。アンブリッジに突き出すって言っただろう」
 上手く誤魔化せた事に安堵しながら、ドラコはクラッブをたしなめる。周りに合わせて苦笑しながら、アリスの胸中には暗い靄が渦巻いていた。
(――やっぱり、かばうのね)
 ドラコは、サラと会っていた。他の誰も知らなくても、アリスは知っている。……アリスが、会わせたのだから。
 DAを裏切る事は出来ない。今ここでスリザリンに捕まれば、何も警告しなかったアリスは裏切者と見なされるだろう。
 かと言って、ドラコ達の企みをそのままDAのメンバーに伝える事は出来ない。そんなあからさまな事をすれば、スリザリンへの裏切り行為だ。アリスは居場所を失ってしまう。
 最善なのは、「偶然にも」誰も捕まらない事。
 アンブリッジを誘導し、クィディッチの練習予定を狂わせた。ハリー達は反省している。自分たちのせいでチームが練習できない事が、一番こたえる事だろうから。同情しかばうふりをしてそう話せば、アンブリッジはアリスの思惑通り、競技場の予約に人数制限をかけた。
 ジニーとルーナには、一緒に必要の部屋へ行こうと約束し、ドタキャンした。アリスがいなくても、あの二人は親友同士だ。約束通り二人で向かうだろう。寮が違うのだから、自然、寮以外の所で待ち合わせて向かう事になる。
 ネビルがミンビュラス・ミンブルトミアの世話をしている話は、汽車で聞いていた。あの植物は、育成が難しい。貴重な肥料も必要だ。スプラウトの手を借りている可能性は、十分に考えられた。案の定、必要な時は彼女に手を借りていて、代わりにネビルは温室の世話を手伝っていた。アリスは授業で聞きたい事があると言ってスプラウトを引き止め、ネビルが訪れるのをDAの集まりの前にずれこませた。
 ハーマイオニー・グレンジャーが図書室に出没しやすい事、クィディッチの練習がなくなった今、ハリーとロンも彼女に付き添う可能性が高い事は、アリスが言い出さずとも誰でも予想した事だった。一方で彼らは、サラが図書室に入り浸っている事も、ハーマイオニーが屋敷僕妖精の事になると熱くなる事も知らなかった。ハッフルパフの寮は、厨房の近くだ。厨房で騒ぎを起こせば、廊下はごった返して人を探す事は困難になるし、ハーマイオニー達をそちらへ誘導する事も出来た。
 フレッドとジョージとリー・ジョーダンは空き教室にいるのを見つけたので、フィルチに適当な吹聴をして追いかけさせ、隠し通路に逃げ込んでもらった。ドラコ達以上に隠し通路に精通しているフィルチとの鬼ごっこだ。ドラコ達では見つけられないだろう。例えフィルチには捕まったとしても、今回はDAの事さえばれなければ目的は達成だ。
 レイブンクロー生については、誰もメンバーを把握しておらず、ノーマークだった。アリスも彼らの行動範囲は詳しくないが、調べる必要も手を回す必要もなかった。
 血気盛んなグリフィンドールの見張りは、クラッブとゴイルが配置された。誰かとの対立を避けたがっていたダフネは、確実性の低い廊下の見回りを振ると嬉々として受け入れた。図書室はハリーがいる可能性が高いと改めて指摘すれば、ドラコが乗った。消去法で、余るハッフルパフはノットが一人で見張る事になった。
 必然的に、ドラコはハリー達ではなく、サラと遭遇する事になった。
 ――黒い靄が渦巻く。
 アリスは、利用したのだ。彼のサラへの負い目と優しさを。
 実際、彼がサラを見逃すかどうかは確信がなかった。アリスは階段の上に隠れ、一部始終を見守っていた。
 別れて以来、言葉を交わす事のなかった二人。話し合う事で、ドラコの自責の念も晴れ、場合によっては寄りを戻す事もあるかも知れない。あるいは逆に、決定的な別れとなり、ドラコも彼女に見切りをつけるかも知れない。
 どうなって欲しかったのか、何かを望んでいたのか、アリス自身も自分の気持ちが分からなかった。
(――ごめんなさい)
 結局、後に残ったのは煮え切らないモヤモヤ感と、二人の関係を利用してしまった事への罪悪感だけだった。





No.49





 火曜日の午後、ハリー、ロン、ハーマイオニーと一緒にいるサラを見て、ハグリッドは満面の笑みを浮かべた。土曜の夜にも見た傷痕は一向に良くなる気配はなく、笑った事によって引っ張られた傷口が裂け血が流れた。しかしハグリッドは全く気にしない様子で、むしろ満足気だった。
「やっぱりお前さん達は、そうでねぇとな。さあ、今日はあそこで授業だ!」
 そう言って指し示したのは、ハグリッドの声の明るさとは対照的に、どんよりと薄暗い木立だった。
「少しは寒さしのぎになるぞ! あいつらは、暗い所が好きなんだ」
「何が暗い所が好きだって?」
 怯えたように口を挟んだのは、いつものごとくドラコだった。それからドラコは、ハグリッドが何か話す度に冷やかしを入れるように文句を言っていた。顔の傷に言及されたハグリッドは誤魔化すように怒鳴った。
「お前さんにゃ、関係ねえ! さあ、バカな質問が終わったら、俺について来い!」
 ハグリッドは背を向け、森へと入って行ったが、皆尻込みし、誰もが不安げな様子だった。サラはローブの上からそっと杖を確認すると、迷わずハグリッドの後に続いた。ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人も直ぐ後に続いた。
 サラはそっと後ろを確認する。怖々と、木々の間を警戒しながら、グリフィンドールの面々がサラ達の後を少し開けてついて来る。更にその後ろから、スリザリンの集団が気が進まないという顔でついて来ていた。ドラコは集団の真ん中に陣取り、左右をビンセントとグレゴリーでガッチリと固めていた。
 ――絶対に、怪我人は出させない。
 サラは堅い意志を胸に、前へと顔を向ける。
 バックビークの時と同じミスは起こさせない。ハグリッドを追放する口実を与えさせはしない、絶対に。

 ハグリッドが用意していた「とっておき」は、セストラルの事だった。サラは安堵の息を吐く。セストラルは、大人しい生き物だ。一般的には危険指定されているためもっと荒々しいのかも知れないが、少なくともホグワーツのセストラルは大人しく馬車を牽く仕事に従事するぐらいには飼い馴らされている。目に見えなければ、ドラコが不必要に挑発する心配もなかった。
 しかしそれも、アンブリッジが来るまでの事だったが。
「今朝、あなたの小屋に送ったメモは、受け取りましたか? あなたの授業を査察しますと書きましたが?」
 アンブリッジは、まるでハグリッドが知能の低いトロールか何かであるかのように、ゆっくりと大きな声で話していた。ハグリッドは気付かず、明るくうなずいた。
「この場所が分かって良かった! ほーれ、見ての通り――はて、どうかな――見えるか? 今日はセストラルをやっちょる――」
「え、何? 何て言いましたか?」
 アンブリッジは顔をしかめ、大げさに耳に手を当てる仕草をする。ハグリッドも、大声で返した。
「あー――セストラル! 大っきな――あー――翼のある馬だ。ほれ!」
 そう言って、巨大な腕を上下にパタパタさせる。アンブリッジは答えず、クリップボードへのメモを開始した。
「原始的な……身振りによる……言葉に……頼らなければ……ならない」
「さて……とにかく……む、俺は何を言いかけてた?」
「記憶力が……弱く……直前の事も……覚えて……いないらしい」
 アンブリッジは明らかに、わざと全員に聞かせるように呟いていた。ドラコやパンジーは大喜びで、アンブリッジの質問には嬉々としてハグリッドにとって不利な回答をしていた。
 欲しい回答を集め終えると、アンブリッジは再びハグリッドを見上げ、一言ずつ区切りながらゆっくりと話しかけた。
「これで私の方は何とかなります。査察の結果をあなたが受け取るのは、十日後です」
 大げさな身振り手振りを加えながら話すと、アンブリッジは底意地の悪い笑みを浮かべ、背を向けた。――今だ。
「サラ!」
 どう仕掛けてやろうかとアンブリッジを目で追っていたサラを、突然ハグリッドが呼んだ。
「こっちへ来て、手伝ってくれ。何せ、見えるのはお前さん達ぐらいだからな」
「ええ……」
 うなずき、それから背後を振り返る。アンブリッジはもう、木立の向こうに姿を消してしまっていた。
 サラが前に出ると、ハグリッドは肉の塊が入ったバケツを差し出した。
「こいつを、そっちで食いっぱぐれちまってるセストラルに、分けてやってくれ」
 そう言うとハグリッドは腰を屈め、声を低くした。
「――ええか。あんまり無茶な真似はしようとするな。お前さんが手出ししちゃなんねぇ」
 セストラルの話ではないという事は、直ぐに分かった。
「……でも、あの人、ハグリッドを馬鹿にしたのよ。あなたを追い出そうと考えてる。ダンブルドアの味方だからじゃないわ。スネイプには聞いていた勤務年数やダンブルドアとの信頼関係を、全く聞かなかったもの。あなたが半巨人だって言う、ただそれだけで――」
「言わせておけ。ええか、絶対に相手にするな。俺の事なら、心配しなくていい」
 サラは、しゅんと項垂れる。
「……私、何も出来ないの?」
 魔法には自信がある。成績だって魔法薬以外は優秀だと自負している。
 なのに、アンブリッジに対抗できる術は何もない。友達がコケにされても、見ているしか出来ないなんて。
 ハグリッドは、大きな手をサラの頭にポンと乗せた。勢いづいて、サラの膝がガクンと曲がった。
「お前さん達は、俺が半巨人だと知っても離れたりせんかった。小屋に引きこもっていた俺を引っ張り出してくれた。授業もよく協力してくれちょる。それで、十分だ」

 アンブリッジに怒り心頭なのはサラだけではなかった。授業を終え、城へと戻る道を辿りながら、ハーマイオニーはアンブリッジへの罵詈雑言を吐き出していた。
「ああ、不当だわ。授業は悪くなかったのに――そりゃ、またスクリュートだったりしたら――でも、セストラルは大丈夫。本当に、ハグリッドにしては、とってもいい授業だったわ!」
「アンブリッジはあいつらが危険生物だって言ったけど」
「危険なものですか」
 不安げに言うロンに、サラは答えた。
「ハグリッドだって言っていたじゃない。あの馬たち、いつもホグワーツへ向かう馬車を引っ張っているのよ? これまでに誰か一人でも、ホグズミードから城まで行く馬車で見えない何かに襲われたなんて人、いた? あなた達には、見えていなかったかも知れないけど……」
「そうね。あの馬、本当に面白いと思わない? 見える人と見えない人がいるなんて! 私にも見えたらいいのに」
「そう思う?」
 ハリーの静かな問いに、ハーマイオニーはハッとして口をつぐんだ。
「ああ、ハリー――ごめんなさい――サラも――ううん、もちろんそうは思わない――何て馬鹿な事を言ったんでしょう」
「いいんだ」
 ハリーは慌てて言った。
「気にするなよ」
「でも、ちゃんと見える人が多かったのには驚いたな。クラスに四人も――」
「そうだよ、ウィーズリー」
 すぐ後ろから声がした。振り返らずとも分かった。ドラコの声だ。
 ドラコは、いつものごとくビンセントとグレゴリーを従えて、すぐ後ろを歩いていた。意地の悪い笑みを浮かべ、ロンを見やる。
「今、ちょうど話してたんだけど、君が誰か死ぬところを見たら、少しはクァッフルが見えるようになるかな?」
「そうね。あなたの家にお呼ばれした時に私がルシウス・マルフォイを殺しておけば、あなたも直ぐ頭の上にあるスニッチが見えたかしら?」
 ドラコの表情が強張った。サラはふいと背を向け、雪道を大股で進んで行く。
 ハリー、ロン、ハーマイオニーは、慌ててサラの後を追って来た。
「君があんなジョークを言うとは思わなかったけど、ブラック過ぎて、笑っていいのか戸惑うな」
 ロンが肩をすくめて言う。サラはすまし顔で答えた。
「そりゃあ私、半分はブラックだもの」





 大量の宿題に、クィディッチの練習、DAの会合。合間にはフレッドとジョージの発明品を手伝い、加えて魔法薬学の補習授業。忙しい毎日を送っている内にあっと言う間に月日は過ぎ去り、クリスマス休暇が近付いて来ていた。
「ねえ、エリ。あなた、最近、何処へ行っているの?」
 十二月に入ったある日、補習に向かおうと寝室で鞄の中身を入れ替えているエリに、ハンナが尋ねた。
「え? 何処って? ハンナ達といない時なら、フレッドとジョージを手伝ったり、クィディッチの練習だったり――」
「悪戯グッズって、魔法薬で出来ているの?」
 鞄からはみ出たサラマンダーの尻尾の瓶詰を指差し、スーザンが問う。エリは慌てて瓶を鞄の底に押し込んだ。
「あのね、あなたが授業の後に魔法薬学教室に入って行くのを見たって人がいるの」
 ハンナは大真面目な顔をして話す。エリは床の上に正座していた。真冬だと言うのに、背中を汗が伝って行く。
「だ、誰が……?」
「パンジー・パーキンソンよ」
 ハンナが答えた。
「彼女も監督生でしょう。この前、お風呂の前で会って、ご丁寧に教えてくれたのよ。ほら、私、監督生の集まりではハーマイオニーと話をするし、私達がハリーやダンブルドア先生の話を信じているのは彼女達も分かっているでしょう。それで、スネイプ先生は何か掴んでエリを呼び出したんじゃないかって……」
「ねえ、そうなの? スネイプ先生にバレたの? エリだけが、処罰を受けているの?」
 ハンナとスーザンは、心配そうにエリを見つめていた。
「違うよ! DAとは何も関係ないって!」
 セブルスとの関係がばれた訳ではない事に安堵しつつ、エリは慌てて答えた。ハンナ達はまだ、疑りの視線を向けていた。
「本当に? でもそれじゃあ、どうして――」
「えーっと。補習だよ、魔法薬学の」
 嘘ではない。
「スネイプの奴、試験でO以上の成績を採った生徒にしか来年以降の授業を教えないって言ってただろ? 今のあたしの成績じゃ、厳しいから、それで……」
「エリって、そんなに魔法薬学好きだったっけ?」
「好きだよ、大好きだよ。ほら、その――食べ物系の悪戯グッズ作るのに、役に立つし」
「それって、いもりレベルの授業も必要なの?」
「必要ありありだよ。知識はあるに越した事はないのである。より高度な頭脳をもってしてこそ、至高の悪戯は達成されるのだ」
 エリはもったいぶって大仰に話す。ハンナとスーザンは、顔を見合わせていた。
「まあ、本当に罰則とかじゃないなら、いいんだけど……。補習って、他には誰がいるの?」
「へっ!? ほ、他に?」
 思わず声が裏返る。ハンナは僅かに眉をひそめた。
「もしかして、エリ一人だけ?」
「あー……まあ……」
「男性教師と女子生徒が二人っきりで補習授業って……それ、大丈夫なの?」
「いやいや、何言ってるんだよ! 相手はあのスネイプだよ? 何があるって言うんだよ!?」
「それもそうね」
 ハンナはあっさりと引き下がった。
「でも、よく引き受けてくれたわよね。スリザリン生相手ならともかく、あのスネイプ先生が一人の生徒のために補習なんて」
 エリは、笑って誤魔化すしかなかった。

 ぐつぐつと泡立つ大鍋から、エメラルド色の煙が上がる。エリは、次の材料へと手を伸ばす。萎びた豆の皮はナイフの刃を柔らかく受け止め、なかなか切れてくれなかった。
「催眠豆は、刃で切るよりも平たい面で砕いた方が多く汁が出る」
 背後に立つセブルスが、淡々と言った。エリは言われた通り、ナイフを横倒しにして催眠豆を押し潰す。たちまち、まるでテレビで見た肉汁たっぷりのステーキのように、汁があふれ出た。
「君の性格だから先に言っておくが、誤って砕いた皮を混入してしまわないように」
「はい」
 エリは汁を集め、鍋へと入れる。薬は鮮やかなオレンジ色へと変わった。
 ――本当に、見事なまでに、何もなかった。
 二人っきりの補習授業。ハンナに指摘されて改めて意識してしまったが、今日もセブルスはいつもと同じ調子だった。
 授業と同じように課題を与え、調合する。授業では教室中をあちこち見て回るが、エリ一人なので付きっ切りで見てくれて、苦戦していると助言をくれる。誤った手順によるミスの場合は、止めてくれる場合と止めてくれない場合と、五分五分だった。修正方法がある場合はそこからの修復を学べるので良いが、一から作り直しになる場合には辟易だった。調合が終わると、反省会。ミスやより効率の良い手順を羊皮紙を広げた状態で復習し、次の補習課題を告げられる。次の補習までに指定された魔法薬について調べるのが課題となる。
 生徒はエリしかいないとは言え、完全に授業と同じ流れだった。ただ授業ではないので予定を考慮すると言っていた通り、課題に対しては甘く、どうしても忙しく予習をして来られなかった場合も叱られはしなかった。その日の補習はなくなり、課題をこなして来いと追い出されてしまうが。
(まあ、セブルスらしいよな)
 エリは杖で大鍋をかき混ぜながら、ちらりと横目でセブルスを見る。セブルスは真剣な表情で、じっとエリの手元を見つめていた。
 元々、補習がなくてもエリはセブルスの所に入り浸っていた。やる事もなしにだべっていたのが、魔法薬学のふくろう試験に向けた補習と言う実用的なものに変わっただけの話だ。
 実際のところ、エリは自分が魔法薬学を好きなのか、魔法薬のいもりレベルの内容を学びたいと思っているのか、よく分からなかった。むしろ、勉強自体はそんなに好きな方ではない。
 でもただ一つ、セブルスとは一緒にいたかった。彼といられる時間が増えるなら補習でも何でも良かったし、彼に教わるからには落ちたくないと言う気持ちも少なからずあった。
 不意に、強く肩を引かれた。そのまま後ろに引き倒され、セブルスがかばうように覆い被さる。混乱するエリの目の前で大鍋が爆発したが、セブルスの「盾の呪文」により、エリ達が魔法薬を被る事はなかった。
「何回かき混ぜた?」
 片手で身体を支えた体制のまま杖を振りこぼれた魔法薬や割れた小瓶を片付けながら、セブルスは問うた。エリの返答はなかった。
「聞いているのか? 睡眠豆の汁を入れた後、何度――」
 セブルスは振り返る。互いの息がかかるほど近くに、セブルスの顔があった。もっとも、エリは息を止めていたが。
「……すまない」
 セブルスはぶっきらぼうに言うと、起き上がり、黒板の方へと離れて行った。
「そのようなつもりはなかった。分かるだろう? 手順を誤るとどうなるか、身をもって体験した方が良いと思った。特にこの薬は少しの手違いで、大きな事故を引き起こす――これだけの結果になると分かれば、もう間違えんだろう。今なら、間違えても我輩が対処出来る――」
 エリはこくんとうなずく。そしてセブルスが背中を向けたままなのに気付き、慌てて声を出した。
「わ、分かってる。ただ――ちょっと、ビックリして――」
「それで、何度かき混ぜていた?」
 セブルスは振り返る。既に、いつもの教師モードだった。
「えっ。えーっと……」
「覚えていないのか。君の問題はそこだな。長時間に渡る調合になると、注意力が散漫する。本来、睡眠豆を入れた後にかき混ぜる回数は?」
 エリが目を向ける前に、セブルスは黒板に杖を向けた。解答の部分が消え、ブランクになる。
「えっと、確か……四回?」
「正解だ」
 セブルスは杖を振る。元の文字が、再び黒板に浮き出てきた。
「記憶力は悪くないのだから、手元に集中したまえ。魔法薬によっては、正式な手順に回数を加えた方が上手くいくものもある。しかし今は、そんなものは気にしなくて良い。我輩から少しずつ助言していく。君は、基本の手順通りに調合する事を心掛けるよう」
「……はい」
 答えた拍子に、セブルスと目が合う。エリは慌ててそらした。
 魔法薬の爆発からかばっただけ。セブルスは何も気にしていない。分かっていても、気恥ずかしかった。
「今日はここまでにしよう。次回、またこの薬の調合を行う。本日失敗した部分について、復習しておくよう」
「えっ……」
 エリは顔を上げる。セブルスは杖を一振りし、エリの持ち物を一瞬できれいにし、まとめた。
「初めからやり直しじゃないの?」
「この調合は時間が掛かる。また初めから調合し直すと、遅くなってしまう。――あまり、遅くまで出歩くのは感心しない」
 DAの事を言われたような気がして、ギクリとエリは身をすくませる。――いや、大丈夫だ。セブルスには何も話していない。彼が知るはずはない。
「……この補習に限らずな」
(あれ? やっぱり知ってる? DAの事、バレてる?)
 しかし、セブルスはそれ以上言及しなかった。
 表情を伺おうとして、再びセブルスと目が合う。エリはまとめられた荷物を鞄に詰め込むと、慌てて教室を出て行った。
 廊下を駆け抜け、階段を二段飛ばしに上がって行く。魔法薬学の教室から十分に離れた所でエリは立ち止った。
 顔が熱い。鼓動が早鐘のように打つのは、走ったせいだけではない。
 エリは両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込む。セブルスはただ、爆発から守っただけ。分かっている。これまで何度も二人きりで過ごして、ロマンスのロの字もなかったのだ。今日もいつもと同じ。彼に、そういうつもりは一切なかった。
(別にあたしは、そう言うつもりでもいいけど……)
 思ってから、ハッと我に返る。直ぐ横の石壁に、ガンガンと頭をぶつけ出す。近くの肖像画が、ギョッとしたように身をすくませていた。
「ちがっ……そう言う事じゃなくて! そうじゃなくて……!」
 ――あいつは、いつも通りだったなあ。
 ピタリとエリは頭をぶつけるのを止める。冷たい石壁にピタリと額を付けたまま、座り込んでいた。
 何事も無かったように、授業に戻ったセブルス。エリのような動揺は、微塵も見せなかった。いつも、から回るのはエリばかり。
(大人の余裕ってやつ……? それとも……)
 エリの告白を、セブルスは受け入れた。エリが逃げ回っていたから。口も利かなくなってしまったから。
 ……セブルスは、本当にエリの事を好きなのだろうか?
 ゆっくりと、エリは立ち上がる。陽は沈み、窓の外には薄暗闇が広がっていた。


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2016/11/26