人気の無い海沿いの崖。そこに現れた、一人の魔法使い。
「後ろに何か隠しているな?」
 死の呪文と、追い払い呪文と。伸ばした手は、空を掻く。祖母の姿が、崖の向こうに消えて行く。
 サラは二つの影を見た。
 フードをすっぽりと被り、佇む人物。その顔にある、冷たい仮面。
『待って……じゃあ、その印が上がっていたから、死喰人って分かっただけなの? 犯人は捕まってないの?』
『捕まってない』
『そんな……!』
 祖母を殺し、今ものうのうと生きている死喰人。今、魔法省の手を逃れた者達が目と鼻の先にいる。
 この中に、祖母を殺した犯人がいる――





No.5





 人々は悲鳴を上げ、森へと駆けて行く。遠くから近づく集団と、放たれた火。逃げ惑う人の波に逆らい、サラはふらふらと引き寄せられるように死喰人の集団へと向かっていた。
 ついに――ついに、この日が来たのだ。
 終わらせてやる。サラ自身が、この手で仇を取ってやる。
 祖母を殺したのだ。他にも沢山の人を殺しているのだ。生かされていて良い訳が無い。
 背後の物陰から素早く影が駆け寄り、サラにタックルを食らわせた。しかし、サラはそれをひょいと避ける。襲い掛かって来た者は、そのままつんのめって正面から転んだ。サラの腕がゆっくりと上がり、足元に転んだ者に杖の照準が合わされる。
「邪魔するなら容赦しないわよ――エリ」
 エリは身体を起こし、サラを睨み上げる。ゆっくりと立ち上がる彼女の動作を、サラは杖で追う。
 エリは、サラの目の前で両腕を広げた。
 サラは眉をぴくりと動かす。
「……どう言うつもり?」
「見てわかんねえか? 通せんぼだよ。この先には行かせない」
 サラの瞳を紅い光が過ぎる。
 サラの声色は、あくまでも静かで淡々としていた。
「死喰人を――人殺しを、庇うと言うの?」
「それじゃ、お前はどうなんだよ!? お前もそいつらと同じ、人殺しになるつもりか!?」
「――ええ」
「……っ」
 サラは、何の躊躇いも無く肯定した。
 躊躇う筈も無い。祖母を殺した犯人がいるのだ。こんなチャンス、滅多に無い。
 ――この子は、それが分からないのか。
 結局、そう言う事なのだ。サラに祖母しかいなかったのと同じように、祖母にもサラしかいなかった。
 スリザリンに入れられた事に衝撃を受けないアリス、サラの邪魔をしようとするエリ。彼女達にとって、祖母の仇など大した問題ではない。だから、平然としていられる。
「……させねーよ」
 エリは、キッとサラを睨みつける。
「殺しなんて、絶対にさせねー」
「下がらないなら、貴女も殺すわよ」
「上等だ! 死んでも邪魔してやらぁ!!」
 途端に、サラの目の前に火柱が上がった。エリの姿は無かった――彼女は、火の中だ。
「馬鹿な子……」
 サラはすいっと業火から視線を外し、横をすり抜けていく。
 邪魔さえしなければ、こんな事にはならなかったのに。何も、エリが命を張る必要など無かったのに。
 ――邪魔した貴女が悪いのよ。
 集団は直ぐそこまで近付いてきている。ほんの三つほど向こうの列のテントが崩されている。間も無く、サラの目の前に現れるだろう。
 不意に、背後から肩を掴まれた。
 飛び退き、振り返る。そこに立っているのは、死喰人でも無ければ駆けつけた魔法省の役人でもなかった。
 炎は消え、払われた右腕を宙にやったままのエリがそこに佇んでいた。頬や手の甲は焼け爛れ、上着も所々燃え落ちていた。
 他に人影は無い。まさか、エリ自身が炎を消したと言うのか。
 動揺しながらも、杖を振る。エリも杖を掲げた。
「プロテゴ!!」
 サラの呪文とエリの防護呪文がぶつかり合う。
 呪文は真っ直ぐ跳ね返らず、辺りに飛散した。四方のテントが切り裂かれ、あるテントは支柱をやられたのかその場に崩れ落ちた。
 背後の喧騒は、近付いて来る。……今、エリよりもサラの方が集団に近い位置にいる。
「馬鹿な真似はやめろよ、サラ! お前、言ってたじゃねぇか。『殺そうとなんてしてない』って。いっつも言ってたじゃねえかよ! 殺しはしないんだろ!? 死の辛さを知ってるからって、お前そう言ってたじゃないか……!」
「そうね……死より残酷な物なんて無い。私はそれを知っているわ。
……だから、奴らにもお見舞いしてやるのよ」
「駄目だよ、サラ。そんな事、しちゃ駄目だ。そんなの、誰も幸せになんてなれない……!」
 フッとサラは身を屈めた。
 紅い光が頭上を過ぎる。エリも飛び退き、呪文は逸れた。
 身構え、振り返る。炎の中から現れた人影と、目が合った。
 黒いマントに実を包み、頭まですっぽりとフードを被った姿。顔に付けられた冷たい仮面。手に携えた長い杖。
 記憶が一気にフラッシュバックする。七年前の崖の上。祖母を失ったあの日。
 知っている。サラは、この男を知っている。
「やっと……見つけた……!」
 思わず口元が綻んだ。
 こいつだ。こいつが、祖母を殺した死喰人。
 サラは杖を振りかぶる。死喰人も、同様に杖を振り上げていた。同じ構え、恐らく同じ呪文。
「やめろおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 エリの叫び声に、大量の悲鳴が重なった。
 サラも死喰人も、ふと動きを止める。死喰人の視線は、サラの背後遥か頭上に釘付けだった。
 振り返り、サラも森の上にある物を見る。緑に輝く髑髏。舌のように這い出す蛇。漆黒の闇の中に、おどろおどろしいその印はよく映えた。
 急いでまた死喰人を振り返る。
 死喰人は、姿くらましをしようとしているところだった。
「あっ、待っ――」
 腕も、呪文も、間に合わなかった。伸ばした腕は、空しく宙を掴む。
 つい今まで死喰人が立っていた箇所に駆け寄り、四方を見回す。
「出てきなさい、人殺し! 逃げるなんて卑怯よ!! やっと見つけたのに……やっと……やっと……ッ!!」
 絶望に叫ぶ声は、喧騒の無くなったキャンプ場に空しく響いた。





 テントまで帰ると、焼け爛れたエリを見てジニーが悲鳴を上げた。フレッドとジョージが駆け寄り、両側からエリを支える。
「どうしたんだ!? 死喰人にやられたのか!?」
「皆! 無事かい?」
 チャーリー、ビル、パーシーの三人が戻って来た。チャーリーのシャツは大きく裂け、ビルは腕から、パーシーは鼻から血を流している。それでもやはり、エリの様子を見て目を丸くする。
 サラは腕を組み、気まずげに視線を逸らした。
 直前呪文を使えば、サラが犯人だという裏付けは取れる。運良く生き延びたが、炎を消せなければエリは死んでいたか、もっと重傷を負っていただろう。傷害。殺人未遂。未成年魔法使いに関する条例の違反。様々な罪状がサラの脳裏に浮かぶ。
「……いやあ、あたし、迷子になっちゃってさ。間違って火の中入っちゃったのを、サラに助けられたんだ」
「……!?」
 サラはエリを振り返る。
 エリは、サラに笑いかけていた。
「ありがとな、サラ」
 ――この子は何を言っているのだろう。
 サラがエリを助けた? とんでもない。全くの逆ではないか。サラが、怪我を負わせたのだ。殺そうとしたのだ。
 サラを追って来たのは、エリの方だろうに。
「まったく、何やってんだよエリは……」
「無事で良かったよ。いつの間にいなくなっていたんだい? 火のある方なんて完全に逆方向じゃないか。僕らと一緒にいれば、こんな事には……」
「兎に角、皆手当てをしないと。サラは大丈夫かい?」
 チャーリーに問われ、サラは無表情のまま頷く。
 火傷に対する応急処置はチャーリーが慣れているようで、エリはウィーズリー兄弟妹に囲まれて男子用のテントへと運び込まれた。ビルとパーシーは、自分で怪我の処置をする。フレッド、ジョージはチャーリーにエリを預け、そのまま呆然と立ち尽くしていた。ジニーはショックで椅子に座り込んだままだ。
 サラは、テント内を見回した。
「……アリス達は?」
「まだ帰って来てない。……アリスとは、会わなかったのかい?」
 答えたのはフレッドだった。
「……どう言う事?」
「ロン、ハリー、ハーマイオニーは途中ではぐれちまったんだ。でも、アリスは俺達と一緒にいて――君がキャンプ場に向かって行ったって言って走って行っちゃったんだけど――」
「何ですって!?」
 出入り口へと振り返ったサラの腕を、ジョージが咄嗟に掴んだ。
「どうするつもりだよ」
「決まってるじゃない! 捜しに行くのよ!」
「行き違いになるだけだ! ここで待ってた方が――」
「だって、さっきの印! 貴方達だって見たでしょう!? それに、キャンプ場には死喰人が――」
「キャンプ場の死喰人なら、印を見て逃げ出したよ。アリスがキャンプ場にいるなら、これ以降に襲われる事は無いさ。今、キャンプ場には死喰人よりも魔法省の役人の方が多いんだから。
それに、君も見たんだろう? 印が上がったのは、森の上だ」
 パーシーが口を挟んだ。
 サラは一瞬、言葉に詰まる。再び口を開きかけたが、パーシーの方が早かった。
「何処かで怪我をしているかも、って言うならサラが今から捜すより誰かに見つけられる方が早いと思うよ。さっきも言ったけどキャンプ場には今至る所に魔法省の役人がいるし、森に逃げ込んだ人達は自分のテントに戻って来ているんだ」
 魔法省の役人がいる、と言う部分はやや誇らしげに彼は言った。
 彼の言い分は尤もだった。それでも、サラは心配げにチラチラと外を見る。見かねて、フレッドが言った。
「ロン達も、森に向かう途中までは一緒だったよ。暗がりではぐれちゃっただけだ。ハリーが一緒なんだし、何処かでまた誰かに捕まって話し込んでるんじゃないか?」
「うん……」
 サラは大人しく、近くの椅子を引き寄せ座った。
 エリが軽く口笛を吹いた。
「サラを言い負かすなんて、さっすがパース。屁理屈じゃ負けてないな」
「褒められてる気が全くしないんだけど」
 パーシーはじとっとした視線をエリに向ける。
 エリはパシっと口を押さえた。
「ヤベ、口笛染みた!」
「バッカだなあ」
 フレッドが笑う。ジョージも笑っていた。
 他の兄弟妹達も、幾らか表情が柔らかくなる。ジニーでさえも、エリや怪我をした兄達を見られるようになっていた。
「ほら、動かないで。まだ全部は終わってないんだから」
 チャーリーは、エリの顔を自分の方に向かせる。エリの手は、火傷の痕が分かる程度に治っていた。

 エリの応急処置が終わって間も無く、ハリー、ロン、ハーマイオニー、アリスもテントに戻って来た。ウィーズリー氏が一緒だった。
「捕まえたのかい、父さん?」
 五人がテントに入ってくるなり、ビルが強い語調で尋ねた。
「あの印を創った奴を?」
「いや。バーティ・クラウチの僕妖精がハリーの杖を持っているのを見つけたが、あの印を実際に創り出したのが誰かは、皆目判らない」
「えぇっ!?」
 ビル、チャーリー、パーシーが同時に叫んだ。
「ハリーの杖?」
「クラウチさんのしもべ?」
 前者はフレッド、後者はパーシーだ。
 サラ達は、森の中で何があったのかウィーズリー氏から聞いた。途中途中、ハリー、ロン、ハーマイオニー、アリスの四人が補足を加えていた。
 話を聞きながらも、度々四人がサラを見ている気がしてならなかった。
 彼らと一緒だったと言う事は、アリスは森の中でハリー達と合流したのだ。アリスは、サラが死喰人の所へ行く可能性に気付いた。合流したハリー達も、気付いていても不思議ではない。
 火傷の応急処置を受けたエリは、特にサラを気にする様子は見せなかった。闇の印やら、死喰人とは何かやら、話の方に聞き入っている。
 死喰人の話になった時、ロンが突然口を挟んだ。
「パパ、僕達、森の中でドラコ・マルフォイに会ったんだ。そしたら、あいつ、父親があの狂った仮面の群れの中にいるって認めたも同然の言い方をしたんだ! それに、マルフォイ一家が『例のあの人』の腹心だったって、僕達皆が知ってる!」
 どくんと心臓が脈打った気がした。
 そうだ。ドラコの父親も、死喰人だったと言われている――そして、リドルの日記の出所からしても、噂が事実である可能性は高い。
 ……でも、親と子は違う。
 父親が何であろうと、家柄がどうであろうと、ドラコはドラコだ。祖母を殺したのが死喰人だと判った時から、そこは割り切っている。スリザリン生全てを憎む必要なんて無い。彼らはまだ子供で、彼ら自身が死喰人だと言う訳でもないのだから。
 話が終わり、サラ達は女子用テントへと戻って行った。エリは、ボロボロになった上着を脱ぎ捨てそのままベッドに倒れ込む。アリスとジニーは、ベッドの上段と下段で話をしていた。二人とは少し離れた位置に置いているベッドの下段に、サラは入る。ハーマイオニーは梯子を登らず、ベッドの横に立ってサラを見つめていた。
「……ねえ、サラ。話があるの」
「……」
 布団の上に座ったまま、サラは動きを止める。ハーマイオニーの方は、見なかった。
「貴女、若しかして死喰人の方へ行ったんじゃないの……? おばあさんの仇を討とうと……?
エリの火傷は、本当に彼女の迷子? 本当は――」
「邪魔だったから、殺そうとしました――これで満足?」
 サラはツンケンした態度で言い、挑発的にハーマイオニーを見上げる。
 ハーマイオニーはショックを受けた表情だった。流石に、それは想定していなかったらしい。
「……どうして、そんな事」
「言ったでしょう。邪魔をしに来たのよ。まあ、『間違った』って言うのも強ち嘘じゃないかもね。道じゃなくて、選択をだけど」
「エリは何も間違っちゃいないわ!」
 ハーマイオニーはぴしゃりと言った。ひそひそ声で捲くし立てる。
「エリに対してそれだけの事をしたって事は、貴女、本気で『その』つもりだったのね!? そんなの、誰だって止めるわ!
ねえ、お願いよ。馬鹿な真似はしないで! そんな事をしたって、何にもならないじゃない! 復讐したからって、貴女のおばあさんが還って来る訳じゃないのよ!
死んだ人なんかの為に、今度はサラが人を殺すって言うの!?」
「おばあちゃんは、おばあちゃんよ!!」
 突然のサラの怒鳴り声に、ハーマイオニーは黙り込む。アリスとジニーのベッドからの話し声も、ピタリとやんでいた。
「死んだから何!? 死んだらもう、その人の為に何かしちゃいけないって言うの!? 怒ったり悲しんだりする必要は無いって言うの!? おばあちゃんにだって、人としての権利はあるわ!! 死んだからって奪われる筋合い無い!!」
「サラ――私、何もそんなつもりじゃ――」
 震える声でハーマイオニーは言う。
 サラは寝転がり、壁を向いた。
「サラ。ごめんなさい。そんなつもりじゃ無かったのよ。ねえ――」
「寝かせてちょうだい。疲れてるのよ」
 サラは冷ややかに言い放った。
 少しして、ハーマイオニーは梯子を登って行った。布団に潜り込む音が聞こえる。
 ベッドの上段から聞えて来るすすり泣く声を遮断するように、サラは頭まで布団を引っ張り上げた。
 ――ずるいわよ、泣くなんて……。
 居心地の悪さを感じながら、サラは浅い眠りに堕ちて行った。


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2010/06/20