十二月になり、ふくろう学年の宿題は更に量を増した。スネイプに至っては、今やクラス全員への課題とは別にサラには特別課題を追加で出すのが毎回の授業の恒例となっていた。クィディッチの練習がなくなっても、空いた時間は全て魔法薬に持って行かれ、変身術の勉強をするには睡眠時間を削り、夜中にこっそり誰もいない談話室へ降りて行くしかなかった。
監督生もクリスマスに向けて仕事が増え、忙しそうにしていたが、それでもハーマイオニーは魔法薬の追加課題で瀕死状態のサラを手伝ってくれた。彼女達と仲直りしていなければ、変身術に割く時間はゼロになった上で徹夜しても終わらなかった事だろう。
クリスマス休暇が近付いて来たが、今年は初めて自宅へ帰る事を楽しみにしていた。今のサラ達の自宅は、グリモード・プレイス十二番地だ。ナミも、圭太も、そこにいる。当然、サラ達が帰る事を選択するなら、その行先はグリモード・プレイスになった。
ただ、グリモード・プレイスにはシリウスやサラ達一家以外にも、不死鳥の騎士団が出入りする。騎士団の者達の中にはサラを警戒する者も少なからずいたし、ハリーもロンもハーマイオニーもいない。ハーマイオニーは両親とスキー旅行に行く事になっていたし、ロンは隠れ穴に帰り、ハリーもロンと同じく隠れ穴で休暇を過ごす事になっていた。
「でも、ずっと家にいなきゃいけない訳じゃないでしょう? ねえ、どうせ皆、学校外にいるなら、休暇中に会えないかしら? クリスマスは、どちらかの家でパーティーをするとか。ハーマイオニーも、ずっと旅行に行っている訳じゃないのでしょう?」
期待を込めてサラは三人に提案してみたが、二つ返事で乗ったのはロンだけだった。ハリーは黙り込み、ハーマイオニーは難しそうな顔をした。
「あのね、よく考えてもみて? サラ、ハリー、あなた達には護衛が必要なのよ。そりゃあ、私もそうしたいのは山々だけど。でも、実際のところ、難しいと思うわ。あなた達がどちらかへ移動するなら、騎士団の準備が必要になるでしょうし……」
「じゃあ、サラもうちに来ればいいよ! 何なら、エリやアリスやナミやシリウスも呼ぼう。ハーマイオニー、君はいつまで板で山を滑ってるの?」
「ダンブルドアは、シリウスがあの家を離れるのを良く思わないでしょうね」
「シリウスだけクリスマスにひとりぼっちには出来ないよ」
ハーマイオニーとハリーに反論され、ロンは渋々と引き下がった。
「手紙を書くわ」
肩を落とすサラを励ますように、ハーマイオニーが言った。
「それに、もし許されるようなら遊びに行くわ、グリモード・プレイスに。クリーチャーとも、仲良くなりたいし」
サラは顔を上げる。そして、微笑った。
「うん、待ってる」
「ハーマイオニー」
パーバティーとラベンダーが、談話室に入るなりこちらへとやって来た。
「マクゴナガル先生が呼んでいたわ。ロンも。クリスマスの飾りつけをするみたい」
「分かったわ。行きましょう、ロン。それじゃあ、また後でね。サラ、魔法薬の宿題をするなら私のベッドの所にある本を使うといいわ。652ページからの章に、生ける屍の水薬についての記載があったから」
「ありがとう。借りるかも知れないわ」
ロンとハーマイオニーは、連れ立って談話室を出て行った。二人の背中が肖像画の裏の扉から消えるのを見送って、サラはハリーへと視線を向けた。
「それじゃあ、宿題を片付ける?」
「アー……僕、行かないと」
ハリーはしどろもどろに言った。サラは首を傾げる。
「行く? どこへ?」
「えーっと……職員室。グラブリー-プランク先生に呼ばれてたんだ。ヘドウィグの事で、経過を看てもらっていて」
「ヘドウィグ、まだどこか悪いの? 後遺症とか――?」
「あ、いや、大丈夫――たぶん、大丈夫。元気に飛んでるから。一応の報告で」
「そう、良かった。それじゃ、職員室に――」
立ち上がるサラを、ハリーは制止した。
「僕一人で大丈夫だよ。サラは宿題をやってて。サラは古代ルーン語の授業も取っている上に、魔法薬学の宿題も増やされていて、僕より時間がかかるだろ?」
早口に言うと、ハリーは談話室を出て行った。
サラは無言でハリーを見送り、一人になったソファにストンと腰を下ろした。
No.50
DA最後の会合では、「妨害の呪い」と「失神術」の練習をした。一緒に組んでいるネビルのみならず、皆、練習を始めた頃に比べて見違えるほど上達していた。これまで、サラも既に習得している呪文ばかりだったが、休暇が明けてからは「守護霊の呪文」に取り掛かれるだろうとハリーは話した。
興奮しさざめき合いながら皆が部屋を出て行く中、サラ、ハリー、ロン、ハーマイオニーの四人は練習に使ったクッションを集め、部屋の端に積み上げた。クッションを片付け終わっても、ハリーは部屋を出ようとせず、そわそわと飾りつけを見上げたり、本棚に並ぶ背表紙を眺めたりしていた。
「まだ何か片付けがあるの? この飾り付け? 手が必要なら――」
「サラ!」
困惑気味に尋ねるサラの腕を、ハーマイオニーが強く引っ張った。
「それじゃあ、ハリー、私達は先に戻っているわ」
「え? でも――」
「いいから、黙って帰るの!」
ハーマイオニーはぴしゃりと言い放ち、サラを引きずるようにして必要の部屋を後にした。
「いったいどうしたのよ、ハーマイオニー」
「何を急いでるんだ? もうどの授業も宿題はないだろ?」
早歩きするハーマイオニーを、少し小走りになりながら追い、横に並ぶ。困惑するサラとロンを順に見て、ハーマイオニーは盛大に溜息を吐いた。
ハーマイオニーがサラとロンの退室を急かした理由は、三十分後に明らかとなった。
ぼーっとした様子で帰って来たハリーはハーマイオニーに何があったかそのものズバリ言い当てられ、チョウとキスした事を明かした。
その事をハリーが肯定した時の、ロンの反応たるや激しいものだった。「ひゃっほう!」と大声で叫んだかと思うと、マットの上を転げ回って笑い、その勢いは近くにいた下級生が数人驚いて飛び上がるほどだった。
サラは初めて聞く友達の具体的な恋愛話に、興味と冷やかしと恥じらいが入り交じり、どうして良いかわからず、無意味に談話室を見回していた。
「それで? どうだった?」
ようやく人並みの落ち着きを取り戻したロンが、ハリーに尋ねた。ハリーは少し考えて、答えた。
「濡れてた」
ハリーの報告がよくわからず、サラはきょとんと目を瞬いた。潤いのある唇だったと言う事だろうか。しかしそれにしては、ロンの反応がいまいち噛み合わなかった。
「だって、泣いてたんだ」
ハリーは付け加えるように言った。
「へえ。君、そんなにキスが下手くそなのか?」
「さあ。……たぶん、そうなんだ」
ハリーは本気で落ち込んでいるようだった。否定して励ますべきだろうか。しかし、サラはハリーのキスが本当に下手なのかどうかなど知らない――サラが迷っている間に、ハーマイオニーがきっぱりと否定した。
「そんな事ないわよ、もちろん」
「どうして分かるんだ?」
「だって、チョウったらこの頃半分は泣いてばっかり。食事の時とか、トイレとか、あちこちでよ」
「情緒不安定なの?」
黙って聞いているのも居心地悪く、何か言おうと冗談のつもりで口を挟んでから、これはあまり良くない質問だったとサラは気付いた。
続けてロンも冷やかしたおかげで、ハーマイオニーの冷たい視線は二分された。
「ちょっとキスしてやったら、元気になるんじゃないのかい?」
「あなた達って、私がお目にかかる光栄に浴した鈍感な方達の中でも、とびきり最高だわ」
「それはどういう意味でございましょう?」
流石にこれにはロンもムッとして聞き返した。
「キスされながら泣くなんて、どういう奴なんだ?」
「まったくだ。泣く人なんているかい?」
ハリーも困り果てて尋ねる。ロンがちらりとサラを見た。
「どうして私を見るの?」
「いや、別に――怒るなよ? 経験者のお言葉は、何かないかなーっと……」
「経験者? 私が?」
「だって、ほら。サラは付き合っていた事がある訳だし、チョウと同じ女子だし――キスされながら泣く事って、どんな時なんだ?」
「私が、ドラコ・マルフォイとキスした事があるだろうって言うの?」
「他にいないだろ?」
ロンは、サラが今にも怒り出さないかと冷や冷やしているようだった。ハリーが、期待を込めるような目でサラを見た。
サラは怒ったりなどせず、少し不愉快気に顔をしかめただけだった。
「私、彼とキスをした事なんてないわ」
「またまた……」
「本当よ。あのね、考えてもみて? 私達、十四歳で別れたのよ? キスなんて早いわ」
「今より一つしか違わないじゃないか。本当に何もなかったの? マルフォイの奴、恋人にキスの一つもしようと思わなかったのか?」
ロンは、本気で驚いたような、それでいて面白いネタを見つけたかのような顔をしていた。サラはぷいと顔をそむける。
「今は、ハリーとチョウの話でしょう。私達の事は関係ないわ。残念ながら、私もチョウがどうして泣くのかなんて想像のしようがないもの」
「サラも分からないの?」
ハーマイオニーは、完全に呆れ返っていた。
「それではグレンジャー先生、答えを」
ロンが茶化して言う。ハーマイオニーは溜息を吐くと、それまで羊皮紙の上を滑らし続けていた羽ペンを置いた。
「あのね、チョウは当然、とっても悲しんでいるわ。セドリックが死んだんだもの。でも、混乱してると思うわね。だって、チョウはセドリックが好きだったけど、今はハリーが好きなんだもの。それで、どちらを本当に好きなのか分からないんだわ。
それに、そもそもハリーにキスするなんて、セドリックの思い出に対する冒涜だと思って、自分を責めてるわね。それと、もしハリーと付き合い始めたら、皆がどう思うだろうって心配して。
その上、そもそもハリーに対する気持ちが何なのか、たぶん分からないのよ。だって、ハリーはセドリックが死んだ時にそばにいた人間ですもの。だから、何もかもごっちゃになって辛いのよ。
ああ、それに、この頃酷い飛び方だから、レイブンクローのクィディッチ・チームから放り出されるんじゃないかって恐れてるみたい」
ハーマイオニーは一息に説明を終えた。一時の沈黙が下りる。サラは思わず、小さくパチパチと拍手していた。拍手の音に我に返ったように、ロンが口を開いた。
「そんなに色々一度に感じてたら、その人、爆発しちゃうぜ」
「誰かさんの感情が茶匙一杯分しかないからと言って、皆がそうだとは限りませんわ」
ハーマイオニーは辛らつに言い放つと、再び羽ペンをとった。
「彼女の方が仕掛けて来たんだ」
ハリーは言った。
「僕なら出来なかった――チョウがなんだか、僕の方に近付いて来て――それで、その次は僕にしがみついて泣いてた――僕、どうしていいか分からなかった――」
「そりゃそうだろう、なあ、おい」
「ただ優しくしてあげれば良かったのよ。そうしてあげたんでしょ?」
ハーマイオニーが心配そうに問う。ハリーは、バツが悪そうに答えた。
「僕、なんて言うか――ちょっと背中をポンポンて叩いてあげた」
雨の音が、聞こえるようだった。
噴水のある大きな庭。雨に濡れ、張り付く髪。自分も濡れてしまうのも構わず、抱きしめてくれた温かい腕。サラを真っ直ぐに見つめる、青灰色の瞳。
思い起こされる記憶を、サラは振り払う。関係ない――もう、何も関係ない。彼の父親が、祖母を殺したのだ。
『それに、そもそもハリーにキスするなんて、セドリックの思い出に対する冒涜だと思って、自分を責めてるわね――』
違う。サラは好きではない。彼は真実を知っても、父親をかばった。祖母への冒涜だと思って引いた訳ではない。本当に、好きではなくなったのだ。
サラは、脳裏に浮かぶ光景を片隅に追いやる。ハリーとチョウの話を、かつての自分達に重ねるなんて、馬鹿げている。
「また彼女に会うの?」
「会わなきゃならないだろう? だって、DAの会合があるだろ?」
「そうじゃないでしょ」
ハリーは、チョウをデートに誘いはしなかったらしい。ますますバツの悪そうな表情になるハリーを見て、ハーマイオニーは話を打ち切った。
「まあ、いいでしょう。彼女を誘うチャンスはたくさんあるわよ」
「ハリーが誘いたくなかったらどうする?」
ロンが茶化して言った。
「バカな事言わないで。ハリーはずっと前から、チョウが好きだったのよ。そうでしょ? ハリー?」
「え、そうなの?」
ずっと黙っていたサラは、驚いて声を上げた。てっきり、最近、三人を避けていた間に何かきっかけがあったのだと思っていた。サラもいた頃に、そんな兆候があっただろうか。
「いつから?」
「そうね。三年生の時には、大勢が見ているピッチの上で彼女に見惚れていたわ」
あっさりとバラすハーマイオニーに、ハリーが抗議の視線を向ける。しかしハーマイオニーの視線は手元の手紙に注がれていて、ハリーの無言の抗議は通じなかった。
「全然気が付かなかった……彼女もクィディッチの選手よね? 私、いつもハリーと一緒に試合に出ていて近くで見ていたのに」
「でしょうね」
ハーマイオニーは上の空で答える。
「ところで、その小説、誰に書いてるんだ?」
ロンが、ハーマイオニーに尋ねた。
「ビクトール」
「クラム?」
ロンとサラの声が重なった。ロンとサラは顔を見合わせ、それからハーマイオニーへと視線を戻した。
「他に何人ビクトールがいるって言うの?」
サラも、ロンも、黙り込む。
サラはただ手元で開いているだけになっていた本を閉じると、席を立った。
「私、先に戻るわ。久しぶりに宿題がなくてたっぷり眠れるんだもの。おやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい」
ハーマイオニーは上の空で答える。サラは本を抱え、女子寮への階段を昇って行った。
まるでムーディの魔法の目が備わっているかのように、サラの姿が女子寮へと消えたと同時に、ハーマイオニーはハリーとロンに尋ねた。
「……サラとマルフォイの事、どう思う?」
「どう思うって? もう別れたんだから関係ないだろ。未練があるなんて指摘したら、またサラを怒らせるよ」
ロンが即答した。ハリーはハーマイオニーが突然何の話を始めたのか分からず、困惑していた。
「サラは、マルフォイの事を嫌いになった訳じゃないわ。それは確かよ。……確かだった」
「だった?」
「この前の事。ほら、セストラルの授業の後、マルフォイが私達に突っかかって来たじゃない? それで、サラが言い返したけど……その時に彼女が言った事、何か感じなかった?」
ロンは腕を組み、首をひねる。
「うーん、そうだな……慣れないジョークを言おうとして、じゃっかん滑っていた感じは否めないかな……」
「誰もサラのジョークのセンスの話なんてしていないわ。……サラが言った頭の直ぐ上にあるスニッチって、二年生の頃のグリフィンドール対スリザリン戦の事でしょう?」
「そんな大昔の試合、覚えてると思うか?」
「覚えてる。ドビーのブラッジャーが、僕らを襲った試合だ」
ハリーは答えた。忘れようのない試合だった。
「それで、僕達は箒から落ちて、ロックハートに骨を消された」
「ああ、災難な試合だったな」
「ねぇ、ロン。ブラッジャーと試合でそれどころじゃなかったハリーはともかく、あなたは見ていたでしょう。マルフォイがスニッチを取れなかったのはどうして?」
「さあ? 覚えてないよ。あいつがマヌケだったんだろう」
「サラを助けに行ったからよ」
ハリーは息をのむ。
「それじゃ――それじゃあ、サラは、自分が助けてもらった時の事を、あんな風に言ったの?」
「マルフォイが突っ掛かって来たからだろ。サラは、僕をかばって言い返したんだ。何が悪いんだ? マルフォイの自業自得だろ?」
「好きな人との大切な思い出を、そんな風に言う?」
「じゃあ、サラはもうマルフォイを好きじゃないんだ。良かったじゃないか、吹っ切れて」
ロンは朗らかに言う。ハリーにも、ロンの言う事はもっともに思えた。しかし、この蟠りは何だろう。
「――怖いのよ」
ハーマイオニーはペンを置き、手を机の上で組む。
「サラがマルフォイを本当に何とも思わなくなったら、そこに残るのはおばあ様の仇に対する、憎悪だけだわ。――凄く、まずい事なんじゃないかって思うの」
「おいおい。それじゃ、サラは仇として恨んでる相手を、ずっと愛していなきゃいけないって言うのか? それって、凄く残酷じゃないか?」
「それも、そうなんだけど……」
ハリーは、女子寮の方へと目を向ける。もうそこには、サラの姿はない。
トム・リドル・シニアの墓で、ルシウス・マルフォイの処遇を取引材料に出され、迷っていたサラ。ドラコの存在が、彼女のストッパーになっていたのだろうか。もし、ドラコへの好意が本当になくなったのなら、彼女は――
「少なくとも、別れてからもサラの方はずっと、未練を抱えていたわ。ロンでも気付くくらいにね。最近、彼と何かあったのかしら……お互いに避けているようだから、これ以上は良くも悪くも変わりようがないと思っていたのだけど……」
「そんなに気にする事ないだろ。下手なジョークに挑戦してみたり、奴と付き合っていた頃の事を怒らずにい話せるようになっていたり、いい傾向じゃないか。ルシウス・マルフォイに対して何かぶっ飛んだ事をしでかすようなら、僕らが止めればいい。それだけの話だろ?」
ロンはあっけらかんとして言ったが、どこか自分自身に言い聞かせているようでもあった。
寝室へと戻ったサラだが、もちろん直ぐに眠った訳ではなかった。誰も戻って来ないのを念入りに確認し、鞄の底から一冊の日記を取り出す。そして、短い一文を走り書きした。
「おばあちゃん、来て」
書いた文字は光り、そして染み込むように消えていく。
そして、開かれたページが光った。眩い光が部屋に満ちる。そして、光が収まると、サラの目の前にはもう一人、サラとよく似た女の子が立っていた。サラとよく似た顔立ち。しかしカチューシャはなく、髪の色もナミと同じ金髪だ。
「こんばんは、おばあちゃん」
サラは微笑みかける。祖母は「こんばんは」と返し、それから寝室を見回し、話し声のする壁の向こうを心配げに見やった。
「大丈夫なのかい? まだ皆起きてる時間のようだけど……」
「平気よ。たぶん、もうしばらくは誰も戻って来ないわ。いつもの特訓、お願い」
「オーケー。それじゃあ、着ている服を変える魔法をおさらいしようか」
日記の中の祖母は、今や、日記から出て来て直接話が出来るようになっていた。
サラの脳裏には秘密の部屋のトム・リドルがよぎったが、サラはジニーのようにぐったりとはしなかった。それに、この日記は祖母のものだ。リドルのものではない。祖母には、悪意はない。
最近では、変身術の勉強について、祖母にも習っていた。学生時代の祖母と言えどもその能力は相当なもので、一人で本を元に勉強するよりも、ずっと捗った。
「サラ? 何かあったかい?」
少しぼんやりしていたサラに、祖母が尋ねた。サラは取り繕うように笑う。
「いいえ。何でも。さあ、服を変える呪文ね。任せて」
――ハリーは、サラを避けている。
本音を話して、それで、誤解は解け、彼らとは元通り一緒にいられるようになった。そう思っていた。
しかし、ハリーについては、まだサラを避けているような気がしてならなかった。別に、会話をしない訳ではない。チョウとの話を打ち明けるのも、サラがそこにいる事を嫌がる様子はなかった。
だが、ロンとハーマイオニーがいなくなり、サラと二人きりになると、何かと理由をつけてサラから離れようとした。会話が続かなかった。
そもそも、ハリーはサラが明かさなかった事を怒っていた訳ではない。明かすも何も、ハリーはサラと一緒に、ヴォルデモートの口から血筋についての話を聞いていたのだ。ロンやハーマイオニーとの諍いの原因は、ハリーには当てはまらない。
それでは、どうして? 何故、ハリーはサラを避けるのだろう。何か他の理由があるなら、何故、何も言ってくれないのだろう。
祖母との練習を終え、布団に入りながらも、サラの胸中にはぐるぐると靄が渦巻いていた。
ハグリッドとの会話でさえも、ハリーはロンに便乗していた。自分には当てはまらないだろうに、自分自身がサラを避ける理由は一言も話そうとはしなかった。
ハーマイオニーがサラを分からないと言っていたように、サラもハリーが何を考えているのか分からなかった。誰かに相談しようにも、ハリーの態度は曖昧過ぎて、説明が難しい。祖母にさえも、相談出来ずにいた。
何か言ってくれればいいのに。誰か、どうしてなのか教えてくれればいいのに。
『それは、サラ、お前が自分で気付かなくてはならない。私がいくら言葉で説明したところで、それは表面上の理解にしかならない。それでは、お前はまた繰り返してしまうだろうから』
シリウスは知っているのだろうか。ロンとハーマイオニーの理由だけでなく、ハリーの事も。分かっていて、あのように言っていたのだろうか。ハリーがどうしてサラを避けるのか、何も手がかりが掴めないこの状況で、自分で理由を探し当てるしかないのだろうか。
もやもやとしながら眠りにつき、そして、サラは夢を見た。
そこは、天井の高い何処かの廊下だった。まるで何かの視界を模した映画でも見ているように、景色は進む。視界の下の方にチロチロと細い舌の端が見え隠れして、視界の主は蛇なのだと分かった。
前方に、男が座り込んでいた。何かの扉の前だ。サラはふと、フラッフィーを思い出した。賢者の石への扉を守っていた、三頭犬。
十分に近付いて、サラはその男がよく知る人物だと言う事に気付いた。燃えるような赤い髪。かけられた眼鏡。――ロンのお父さんだ。
ふいに、ウィーズリー氏は立ち上がった。膝に乗っていた銀色のマントが滑り落ちる。ベルトから杖を引き抜く――
――駄目!
そう、叫びたかった。しかし、言葉は声にならなかった。
視界が高くなる。蛇が鎌首を持ち上げたのだ。杖が向けられるよりも早く、視界が彼の首へと迫る。そして、飛び散る血飛沫。
苦痛の叫び声が響き、そして、静かになった。ウィーズリー氏の身体が、ドサリと床に落ちる。
戻らなければ……皆に、伝えなければ……。
「サラ……サラ!!」
ほとんど悲鳴のような叫び声に、サラは現実へと呼び戻された。
ハーマイオニーの心配そうな顔が、サラをのぞき込んでいた。サラは飛び起き、辺りを確認する。そこはグリフィンドールの寝室で、パーバティとラベンダーは隅に縮まって怯えるようにサラの様子を伺っていた。
「凄くうなされていたのよ。大丈夫?」
頭が割れるように痛かった。視界がぐるぐると回る。手足は震え、身体中から冷汗が噴出していた。
「……ハリーに会わなきゃ」
何故、そう思ったのかは分からなかった。ダンブルドアでもなく、被害者の息子のロンでもなく、どうしてハリーなのか。しかし、彼に会って確認しなければならないとサラは確信していた。
布団をはぎ、立ち上がる。目まいがして、ふらりと身体が傾いた。咄嗟にハーマイオニーが支える。
「大丈夫? 無理は――」
「ありがとう。でも、大丈夫。急がなきゃ」
サラはハーマイオニーから離れると、寝室を飛び出し、螺旋状の階段を降りて行った。
談話室へと飛び出し、迷わず男子寮へと駆け上がる。男子寮の方でも、廊下に出て階段の上を見上げている生徒が何人かいた。やはり、こちらでも何かあったのだ。
そう確信した時、階段の上からハリーとロンがマクゴナガルに連れられて降りて来た。
「ごめんなさい、マクゴナガル先生。でも、緊急で――見たんです、私――ロンのお父さんが――」
マクゴナガルは驚いた顔をしたが、ハリーに目をやり、それからうなずいた。
「あなたも一緒においでなさい、シャノン」
サラはマクゴナガルの後に続いて階段を引き返す。マクゴナガルは三人をつれて、グリフィンドール寮を出た。
隣に並んで夜の廊下を歩きながら、サラはハリーに小声で聞いた。
「もしかして――ハリーも見たの?」
「うん。それじゃ、サラもなんだね?」
ハリーの緑色の瞳が、サラを捉えた。きちんと目を合わせて話をしたのは、随分と久しぶりな気がした。
サラは、悟った。すれ違っていても、何を考えているのか分からなくなっても、何があっても――個の人としての感情とは全く無関係に、彼とサラは「同じ」なのだと。
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2016/12/29