ホグワーツへ帰る日の朝、アリスはサラを呼び出した。日記は休暇中に返すと、約束していた。
「ありがとう、サラ。あの、日記だけど……もう少し、借りていてもいいかしら?」
アリスの申し出に、サラは眉をひそめた。
「どうして? 休暇中に返すと言っていたのに」
やはり、駄目か。
必要以上に粘るのは、得策ではない。アリスは、少し困ったように笑った。
「やっぱりそうよね。ごめんなさい。約束通り、返すわ」
「――何か、悩み事でもあるの?」
日記を受け取ったサラは、やや緊張した面持ちだった。アリスには知られたくない事を、祖母に色々と相談でもしていたのだろう。……もしかしたら、ドラコの事も。
何も悟っていないふりをして、アリスは素直に答えた。
「日記の仕組みについて、シャノンのおばあさんに聞きたかったの」
「仕組み?」
サラは尋ね返す。アリスはうなずいた。
「でも、シャノンのおばあさんの日記も作ったのはリドルなんですって。詳しい事までは、おばあさんでも分からないみたいで……。だから、シャノンのおばあさんと一緒にもう少し調べられたらなって思ったんだけど」
「そうなの? ――おばあちゃんの日記を、リドルが?」
サラの顔に一瞬、不安が過った。
「でも……私、何ともないわ」
そう話すサラは、自分に言い聞かせているようでもあった。
「おばあちゃんもリドルみたいに日記から出て来られるようになったけど、私は倒れたりしていない」
「日記から出て来られるように?」
アリスは目を丸くしてサラを見る。
「ええ。でも、おばあちゃんはもちろん、リドルみたいに私を操ったりなんてしないでしょうし……ほら、私、この通り何ともないわ」
「それは、サラだからじゃない? 子供の頃から杖なしで魔法を操っていたくらいだもの。あなたの力は並大抵じゃないでしょうし、血縁関係なんだから力も取り込みやすかったりするのかも――」
アリスの言葉が、ハタと途切れた。
大した書き込みもしていないのに、操られたドラコ。秘密の部屋で、力を奪う対象をジニーからエリへと切り替える事を承諾したリドル。
力の強い者が――それも、同じ血を引き同じ力を持つ者が日記に力を注いでいたとしたら。
突然黙り込んだアリスに、サラは怪訝そうにしていた。
「アリス?」
「……ねえ、サラ。まさかとは思うけど……秘密の部屋の年よりももっと前に……シャノンのおばあさんが亡くなるよりも前に、リドルの日記に書き込んだ事なんてないわよね?」
「まさか。ある訳ないじゃない。もしあの日記を見た事があったなら、二年生の時に日記を見た時点で警戒してダンブルドアに持って行っていたわよ」
「そうよね……」
「それに、日記はルシウス・マルフォイが持っていたのでしょう。私が手にする機会なんてないわ。おばあちゃんの日記なら、小さい頃に書き込んだ事があったみたいだけど」
「え」
アリスは顔を上げ、サラをまじまじと見つめる。
「おばあちゃんから聞いたの。私は覚えていないくらい、小さい時の事なのだけど――」
「おーい、サラ! アリス! そろそろ出発だよ!」
「今、行くわ!」
階下からロンの呼ぶ声に答え、サラはくるりと背を向けた。
「さあ、帰りましょう。ホグワーツに」
「ええ……」
アリスは取り繕って微笑む。
『日記に、遠隔から書き込む方法? そんなものを知って、どうするつもりだい?』
アリスの質問に、祖母は不思議そうに尋ね返した。
『これから、新学期が始まるでしょう? サラはグリフィンドール、私はスリザリン。それに、サラから聞いているかも知れないけど、「例のあの人」の復活と魔法省のハリーとサラへの糾弾で、二つの寮の軋轢は酷くなっているわ。会って話をするのも大変だから、貸し借りする手間が省ければって思ったの』
いくら祖母相手と言えども、ドラコの事は話すつもりはなかった。
サラから祖母の日記を借りたアリスは、適当な理由をでっち上げて書き込んだ。
『残念だけど、そんな方法に心当たりはないな。ページを破ってみた事もあるが、破ったページはただの紙切れだった。そもそも、それぐらいで分身可能だったら、トムの日記もいくらでも量産可能だという恐ろしい事になってしまう。この日記を作った張本人なら、もしかしたら何か知っていたかも知れないけれど』
『日記を作ったのは、あなたじゃないの?』
『いいや、違う。この日記を作ったのは、トムさ。卒業して、行方をくらました後、いきなり送り付けて来たんだ。もちろん、私もダンブルドアも、彼の罠を疑った。破壊も試みたが、私を傷付けると、本体も同じ痛みを伴うみたいでね。……自殺する事は、出来なかった』
「自殺……」
アリスはつぶやく。そして、質問を文にした。
『どういう事?』
『トムの日記はハリーが破壊したと、君は言っていたね。この日記は彼の日記とは違い、傷を付けられるのは私だけだったんだ。――いや。正確には、恐らく私とトムの二人だったのかな。トムと一緒に試した訳ではないから、わからないけれど。ただ、血が関係するのだろうとダンブルドアは言っていたらしい』
……血。
『ダンブルドアの推測が正しければ、今の時代なら……ヴォルデモートと、ナミ、サラ、エリ、そしてアリス。君達だ』
アリスは息をのむ。
――自分達にだけ……アリスだけに、出来る事。
祖母の文章は続いた。
『いや、サラとエリの二人かな……ナミの力は本体の私が封印してしまった。彼女に、自分やトムのような運命を背負わせたくなかったんだ。その魔法は、今も解けていないと言う。そして、魔力をナミからしか受け継いでいない君も、封印されている。そうだったね』
『……ええ』
少し間を置いて、アリスは答えた。
また、あの二人。サラとエリ。――アリスはいつも、置いてけぼりだ。
『君には本当に申し訳ない事をしたと思っている。魔法を使えなくて、つらい思いをしている事だろう。私を恨んでも無理はない――』
『いいえ。私、あなたを恨んでなんていません』
アリスは急いで書き込んだ。
『ありがとうございます。質問に答えてくれて。サラに、返さなきゃ――』
『それなんだけど、このまま君が持っている事は出来ないかな? あるいは、あの家に帰すか、ダンブルドアに渡して欲しい』
「え?」
アリスは、浮かんできた文字をまじまじと見つめる。
『サラは、私に依存し過ぎだ。少し、離れた方がいいんじゃないかと思うんだ。さっきも言った通り、この日記はトムが作ったものだ。私自身には悪意はないが、警戒し、隔離していたものなんだ。孫である君達と話せた事は私も嬉しいよ。しかし、こうも当たり前のように毎日会話する今の状況は、おかしいんじゃないかと思うんだ。……時々、怖くなる』
『毎日? サラは、毎日この日記に書き込んでいるの?』
『うん。ハリー達と仲違いしている間は、話し相手もいなかったようだから仕方ないかと思ったけど……』
『でも私、休暇中にサラに返すって約束してしまったわ。ダンブルドアも学校に行かないと会えないでしょうし、いきなり取り上げるなんて、私には……』
『分かっている。それとなく、期間を延ばすとかしてみてもらえないかな?』
結局、期間延長は出来ず、日記はサラの手へと戻ってしまった。彼女に警戒される訳にもいかなかった。ダンブルドアに渡すなんて言い出せば、彼女は何としてでもそれを阻止しようとした事だろう。彼女に抗えるほどアリスは強くないし、またいざこざを起こしてサラが危険視される状況を作るのも避けたかった。
トム・リドルが作った、祖母の日記。
幼少期、祖母の日記に書き込んでいたサラ。
何らかの形で力を与えられ、ドラコを操るに至ったリドルの日記。
何か、関係があるのだろうか。もし、リドルの日記に力を与えていたのが、サラだったとしたら――
アリスはぞっと背筋が冷えるかのようだった。前を行くサラを、そっと盗み見る。
――もしそうであれば、祖母の死の原因はサラにある事になる。
(……まさか。サラが書き込んだのは、あくまでもシャノンのおばあさんの日記よ。いくら作成者が「例のあの人」とは言え、日記同士が繋がっている訳でもあるまいし……)
祖母を殺害したルシウス・マルフォイに、並々ならぬ憎悪と殺意を抱いているサラ。
もしもそれが、ドラコが操られ人質に取られたためだと知ったら。ドラコを操るために何者かがリドルの日記に力を与えたのだとしたら。
――サラは、その人物を決して許さないだろう。
No.55
スネイプとの閉心術授業は気が重かったが、度重なるサラとハリー二人だけの不幸な共通項は、ハリーとの間にあった見えない溝をわずかに狭めてくれた気がした。少なくとも、クリスマス休暇前に比べ、ハリーがサラを避ける様子は無くなっていた。とは言え、これからスネイプとの課外授業だと言うのに楽しくお喋りをするような気分には到底なれず、スネイプの研究室へ向かう間、サラもハリーも終始無言だった。
薄暗い研究室でサラ達を出迎えたスネイプは、いつにも増して嫌悪感を露わにサラとハリーを見下ろしていた。特にサラの事は、今にも殺してやると言うような形相で睨んで来た。
「……ドアを閉めろ」
サラは気が進まないながらも、後ろ手に扉を閉めた。彼に背を向けたら、本当に殺されてしまうのではないかと思えた。
扉はギィィと不吉に軋み、閉ざされた。……後戻りは出来ない。
「さて、ポッター。シャノン。ここにいる理由は分かっているな」
スネイプは、グリモールド・プレイスで話したのと同じように、再び閉心術について説明を行った。
なぜ、ハリーが閉心術を学ばなければならないのか。ハリーとサラが見た夢は、いったい何だったのか。
サラは、注意深くスネイプの話を聞いていた。ハリーが見た、ウィーズリー氏の夢。サラがあの夢を見たのは、ハリーが見たからだ。――ハリーに、危険が迫っている。
ダンブルドアも恐らく、それを悟ったのだろう。あるいは、彼にはそれ以上に何か分かっている事があるのか。
「君は蛇の心に入り込んだ。なぜなら、闇の帝王があの時そこにいたからだ。あの時、帝王は蛇に取り憑いていた。それで君も蛇の中にいる夢を見たのだ」
「それで、ヴォル――あの人は――僕があそこにいたのに気付いた?」
ハリーはちらりとサラの方を見て、スネイプに尋ねた。サラが夢を見た意味についての見解は、ハーマイオニーから説明済みだ。
「そうらしい」
「どうしてそうだと分かるんですか? ダンブルドア先生がそう思っただけなんですか? それとも――」
「言ったはずだ。我輩を先生と呼べと」
「はい、先生。でも、どうしてそうだと分かるんですか――」
「そうだと分かっていれば、それで良いのだ」
サラは油断なく、スネイプをじっと見据えていた。
残念ながら、サラは開心術を習得していない。彼の冷たい瞳をいくら見つめたところで、直接彼の心を覗くような事は出来ない。それでも、分かった。子供の頃からの得意技だ。――彼は、何かを隠している。ダンブルドアは、サラが同じ夢を見たと言う事だけでなく、別の手がかりも以てして、閉心術を学ばせるべきだと判断したのだ。
「重要なのは、闇の帝王が、自分の思考や感情が君に入り込めると言う事に今や気付いていると言う事だ。更に帝王は、その逆も可能だと推量した。つまり、逆に帝王が君の思考や感情に入り込める可能性があると気付いてしまった――」
まるで、見て来たかのような話し方だ、とサラは思った。可能性の推測ではなく、彼の話し方は断定的だった。
そう思い、ふとサラの脳裏を一つの噂が過った。前に不死鳥の騎士団が結成された時、スネイプはスパイとして死喰人の中に潜り込んでいたと言う。そして、今回もそうなのではないかと言う噂――
「ヴォルデモートから直接聞いたの? あなたは、死喰人のふりをしてヴォルデモートの下に潜り込んでいるの? ――先生」
サラはぞんざいに付け加えた。ハリーはハッとした顔でサラを見て、それからスネイプを見た。
スネイプの表情に動揺は見られなかった。
「我輩の任務については、君の知るところではない、シャノン。今は、閉心術の話をしている」
冷たく言い放ち、彼は杖を取り出した。サラはポケットのそばに手を添える。
しかしスネイプはサラやハリーに何か仕掛ける訳ではなく、自分の額に杖を押し当てただけだった。銀色の糸のようなものが、彼の杖にまとわりつくように吸い上げられる。本で読んだ事がある。あれは、スネイプの「記憶」だ。
スネイプは抜き取った記憶を、部屋の奥に置かれた「憂いの篩」へと落とした。その動作を更に二回繰り返し、それから彼は二人の生徒を振り返った。
「立て。まずはポッターからだ。杖を取れ」
スネイプの授業は、酷いものだった。彼は防御方法を一切説明する事なく、ハリーへと開心術を放った。
ハリーの身体がぐらぐらと揺れる。目は焦点が定まっていなかった。スネイプは嘲りの表情を浮かべて、そしてやや優越感さえも得たようにハリーを見つめていた。酷く不快感を募らせる表情だった。――彼は、ハリーの記憶を面白がっているのだ。
ハリーの口から、恐ろしい悲鳴が迸った。バチンと何かに弾かれたように、スネイプの杖がハリーからそれる。ふらふらと安定しなかったハリーの身体が、その場に崩れ落ちた。
「ハリー!」
サラはハリーへと駆け寄る。ハリーは荒い息を吐きながら、辺りを見回した。まるで、突然この場に放り込まれて自分がどこにいるのか確認しているかのようだった。
「大丈夫? ハリー」
「『針刺しの呪い』をかけようとしたのか?」
ハリーがサラの質問に答える前に、スネイプの声が問うた。彼は杖こそ取り落とさなかったものの、手首に出来た焦げたように赤く爛れたみみず腫れを揉んでいた。
「いいえ」
ハリーは答え、それからサラに囁いた。
「……大丈夫だ。何ともない」
強がるように言って、彼は立ち上がった。
「違うだろうな。君は我輩を入り込ませ過ぎた。制御力を失った」
「……先生は、僕の見たものを全部見たのですか?」
「断片だが」
スネイプはにたりと笑った。
「あれは誰の犬だ?」
「マージおばさんです」
ハリーは恨めし気に答えた。屈辱に満ちた表情で、スネイプを睨みつけていた。
「初めてにしては、まあ、それほど悪くはなかった。君は大声を上げて時間とエネルギーを無駄にしたが、最終的には何とか我輩を阻止した。気持ちを集中するのだ。頭で我輩を撥ね付けろ。そうすれば杖に頼る必要はなくなる」
「僕、やってます。でも、どうやったらいいか、教えてくれないじゃないですか!」
「態度が悪いぞ、ポッター」
スネイプは冷ややかに言い、それからその暗い瞳をサラへと向けた。
「――ではシャノン、次は君だ。机上の知識を得意げに披露してくれたシャノンの事だ、さぞかし良い手本を見せてくれる事だろう。――もっとも、実践の才能が魔法薬学よりマシであればの話だが」
サラはスネイプを睨み返し、立ち上がる。ポケットから杖を引き抜くと、ハリーから離れるように一歩、前に出た。
「さあ、構えるのだ。行くぞ――レジリメンス!」
ぐらりと視界が揺れた。まるでポートキーを使った時のように、ぐるぐると視界が回り、断片的な映像が浮かび上がる。それらはあまりにも鮮明で、まるでその場にサラ自身がいるかのようだった。
サラは8歳だった。給食の時間だ。班ごとにいくつかのグループに机が合わされる中、サラの机は向きだけ合わせた状態で、皆とは隙間が空いている――クラスメイト達がお喋りする中、サラは誰とも話していない――
正月だ。玄関先には門松が飾られ、部屋には鏡餅が置かれている。お雑煮の後に、エリの名前だけがプレートに書かれたケーキが出て来る。サラも、昨日誕生日だったのに――
景色はまた教室に戻った。とぼとぼと歩くサラを、クラスメイトが突き飛ばした。転んだサラを笑いながら走り去って行くクラスメイトの足が、見えない手に掴まれたように引っ張られ、彼は転んだ。強く頭を打ち、泣き出す。彼の足は引っ張られた勢いで、脱臼していた――サラは初めて気付いた。自分は、特別な力を持っている――
化け物。クラスメイト達がサラを糾弾する。広がる「出て行け」コール。押し寄せる生徒達の波。ベランダへと押し出されるサラ。宙に放られる身体。サラは「力」を使って着地する。そして、ベランダを睨み上げた――
再び、「出て行け」コールが鳴り響いた。しかし今度は英語で、場所も小学校ではなくホグワーツ城だった。その場から逃げ出したサラを、ドラコが追って来て捕まえた。彼の青灰色の瞳が、真っ直ぐにサラを見つめている――
ハーマイオニーとアリスが石となり、医務室のベッドに横たわっていた。トム・マールヴォロ・リドルが、冷たく微笑う――これは、サラのせいだ――
大理石の階段を、サラは降りていた。少し下の段には、ドラコが立っている。いつもは白い頬を、紅潮させて。驚き答えないサラを見て、彼は自分の発言を訂正し逃げるように大広間へと向かう。サラはその後を追い、彼を引き止める。
――反撃しなきゃ。
次々と映像が巡る中、ふとサラは思った。これ以上のぞかせてはならない。これ以上、見たくない。
ふと、記憶の波が途切れた。視界に、スネイプの研究室の風景が戻って来る。スネイプは何か魔法を弾いた後のように、杖を上げていた。
「マグルを襲撃していたのか?」
スネイプは、疑るような目つきでサラを見下ろしていた。
「見たのであればお分かりかと思いますが、彼らが攻撃して来たからです」
サラはつっけんどんに答えた。今思えば、小学生の頃の行いは、少々やり過ぎだったものも多かったように思う。制御出来るようになってからも、サラは容赦ない仕打ちを繰り返した。自分をいじめる者達を怯えさせて楽しんでいた節もあった。
しかし、スネイプに対してそれを認めるのは癪だった。
「――なるほど、反撃は得意技か。しかし、根本的な閉心術自体の実現には、ほど遠いようだ。心を空にするのだ。全ての感情を捨てろ……。ポッター、前に出たまえ」
それからスネイプは、ハリーとサラに代わる代わる開心術をかけた。サラは反撃こそすれども、閉心術の会得には程遠いと感じていた。我に返り反撃するまでに、いくつもの記憶をスネイプに晒した。映像に囚われながらスネイプの位置も分からずに繰り出す魔法は、彼の研究室をみるみる酷い有様にして行った。
「怒りを制するのだ。心を克せ! もう一度やるぞ!」
瓶は割れ、壁には幾つもの焼け焦げが残る中、スネイプはハリーへと杖を向けた。ハリーもハリーで、酷いものだった。サラのように本能的に反撃を行おうとはしないハリーは、スネイプの開心術に酷く心を掻き乱されていた。
「――わかった! わかったぞ!!」
研究室の床に倒れ込んでいたハリーは、突然大声を上げた。
スネイプは、ハリーへの開心術をやめていた。サラはまじまじとスネイプを見つめる。彼の目は見開かれ、驚きと怖れを覗かせてハリーを見下ろしていた。――彼はいったい、何を見た?
「ポッター、何があったのだ?」
スネイプは慎重に問うた。その顔にもう動揺の色はなく、探るようにハリーを見据えていた。
「わかった――思い出したんだ」
ハリーは、サラを振り返って言った。
「今、気付いた……」
「何を?」
スネイプは鋭く詰問する。
ハリーは今や、スネイプを完全に無視した。何かを掴んだ喜びに浸り、謎を解いた達成感に表情を輝かせていた。
ハリーは、今度はスネイプの方を振り返った。
「『神秘部』には、何があるんですか?」
「何と言った?」
スネイプが再び動揺を見せた。その様子に、ハリーはますます気分を良くし、優越感さえも漂わせてゆっくりと尋ねた。
「『神秘部』には何があるんですか、と言いました。先生?」
「ハリー、どう言う事なの? いったい何に気付いたの?」
サラは困惑して問う。
今、ハリーが見たものを、サラは見ていない。つまり、ウィーズリー氏の時のようにヴォルデモートとの繋がりがあった訳ではない。開心術によって思い起こされた記憶の中に、ハリーの不可解な言動に繋がる何かがあったのだ。
「ウィーズリーおじさんが襲われた廊下を見た」
ハリーはサラに答えたが、その目は些細な反応も見逃すまいとスネイプに向けられていた。
「あの廊下は、この何ヶ月も僕の夢に出て来ていた――それがたった今、分かったんだ――あれは、『神秘部』に続く廊下だ――そして、ヴォルデモートの望みは、そこから何かを――」
「闇の帝王の名前を言うなと言ったはずだ!」
スネイプが激昂して叫んだ。スネイプは息を落ち着かせ、努めて冷静に話していたが、動揺を隠しきれてはいなかった。
「ポッター、『神秘部』には様々なものがある。君に理解出来るような物はほとんどないし、また、関係のある物は皆無だ。これで、分かったか?」
「はい」
ハリーは額の傷痕をさすりながら答えた。
「水曜の同時刻に、またここに来るのだ。続きはその時に行う」
「わかりました」
今度はハリーとサラ、二人の声が重なった。
「毎晩寝る前、心から全ての感情を取り去るのだ。心を空にし、無にし、平静にするのだ。分かったな?」
「はい」
「警告しておくが、訓練を怠れば我輩の知るところとなるぞ……」
「はい」
サラは答えた。ハリーはと言うと、完全に上の空だった。
二人は、急いでスネイプの研究室を後にした。薄暗い廊下を足早に歩きながら、ハリーは話した。
「夏休みに懲戒尋問で魔法省に行っただろう? その時に、あの扉を見たんだ。どうして今まで、気付かなかったんだろう……!」
「それじゃ、ヴォルデモートが手に入れようとしている『武器』は、魔法省にあるって事? 魔法省の、神秘部に?」
「うん。間違いない。早くロンとハーマイオニーに話さないと。ロンなら、父親から神秘部について何か聞いてたりするかも――」
二人は廊下を飛ぶように歩き、図書室のある階まで来た。そこでふと、ハリーは足を止めた。サラは怪訝に思って振り返る。
「どうしたの? 急ぐんじゃ――」
「聞いておきたい事があったんだ。――サラ、シリウスとは仲直りした?」
サラは顔をしかめる。
「スネイプの授業の後に、あなたの説教を聞かなきゃならないの? そんな事よりも、今は神秘部の事でしょう?」
ハリーは歩き出す。サラも、その横に並んで歩いた。
「ロンとハーマイオニーの前では、話されたくないだろうと思ったから。余計な世話だと思うかも知れないけど、早く仲直りした方がいいよ。ほら、手紙を書くとかさ――」
「ふくろう便は見張られているのよ。こんな事に使うべきではないわ。いったい何なの? グリモールド・プレイスの時と言い、やけに首を突っ込んでくるじゃない。ハリーには関係ないでしょう?」
ハリーは、シリウスを慕っている。それこそ、本当の親のように。だから、サラが彼に言った言葉が許せず、シリウスの肩を持つのだろう。
それにしても、わざわざ蒸し返してまで世話を焼いてくるのは珍しい事だった。
「僕はただ、家族がすれ違ったままになるのが嫌なんだ」
ぽつりと呟くようにハリーは言った。
サラは隣を歩く彼を見上げる。その横顔は、どこか少し寂しげだった。
「……君は、お父さんが生きているんだから」
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The Blood
第2部
真実の扉開かれて
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2017/04/30