死喰人が十人も脱獄したと言うニュースは、DAの訓練に明らかな影響を与えていた。全員、以前にも増して熱心に練習に取り組み、特にネビルの成長は目覚ましいものだった。
ネビルを始めとして全員がメキメキと腕を上げているDAとは対照的に、閉心術の訓練の方は相変わらずだった。スネイプの侵入を阻む事は出来ず、反撃の威力だけが日増しに強くなっている気がした。ハリーの方も同じだと言う事は、聞かずとも分かった。毎晩のように夢に出て来る神秘部の扉は、まるで不吉の予兆のようにも思えて、サラはいつその扉が開いてしまうのかと気が気ではなかった。
そして、死喰人脱獄のニュースが与えたのは、良い効果ばかりではなかった。脱獄の手引きはシリウス・ブラックによるものだと言う魔法省の見解が報じられた。シリウスがサラの実の父親である事は、周知の事実だ。
脱獄囚の娘であるサラへの視線は厳しく、まるでサラ自身が脱獄に手を貸したかのような態度を取る者も少なくなかった。
No.57
朝の大広間に、何十匹というふくろうが舞い込んで来る。ここ数日、そのふくろう達のほとんどは一人の生徒の方へと向かっていた。
ふくろう達は、ばさばさとサラの席へと封筒を落として行く。サラは鬱陶しそうに封筒を端へと避ける。瞬く間に、サラの前には封筒の山が出来上がった。
「あーら、シャノン。今日もずいぶんとたくさんのラブレターねぇ」
ドラコの腕にしがみつきながら大広間へと入って来たパンジーが、サラの前に積み重なった封筒を見て嫌味を飛ばす。サラは冷ややかに答えた。
「あら、羨ましいなら差し上げましょうか? 一通と言わず、全部貰ってくれてもいいわよ」
「遠慮するわ。おできまみれになるのなんて御免だし、この通り、私にはドラコがいるもの」
パンジーの隣に立つドラコと目が合う。ドラコはふいと視線を外した。
「行こう、パンジー」
短く言って、ドラコはパンジーを連れてスリザリンのテーブルへと去った。
ヒヤヒヤとサラとパンジーを見守っていたロンは、ドラコとパンジーが十分に離れてからホッと溜息を吐いた。
「また殴り合いが始まったらどうしようかと思ったよ。あの時はたまたまアンブリッジがいなくて助かったけど、今もいないとは言えいつ来るか分からないし……」
「たまたまじゃないわ。彼女、アンブリッジがいない時を見計らって絡んで来ているのよ。アンブリッジから見れば、彼女は特に問題も起こさない大人しい監督生でしょうね。
それに、殴り合いはあの一回だけでしょう。魔法薬学や魔法生物飼育学の授業でだって、これまでにも何度も絡んで来ているのだし……」
「でも、今回は……ほら……マルフォイの事とか……」
「どうしてマルフォイの事が私を怒らせる事に繋がると言うの? 私と彼は、もうとうに別れたのよ。彼が今、誰とどんな関係であろうとも、私の気にする事じゃないわ」
サラは淡々と答えながら、パンを手に取る。ハーマイオニーも心配げにサラを見ていたが、何も言わなかった。
「……今日も、ダンブルドアがいない」
教員席の方を見ながら、ぽつりとハリーが言った。
「あの記事が出てから、ずっとだ。ダンブルドアなら、サラに来ているこの手紙もどうにかできそうなのに」
「そりゃあ、来られないでしょうよ。ハグリッドやルーピン先生の時だって、雇用したダンブルドアの所へも抗議の手紙は行っていたのでしょう? 今回だって、私を退学させろって手紙が五万と来ているんじゃないかしら。ダンブルドアまでここにいたら、大広間がふくろうでパンクしてしまうわ」
「……分かっていながら、よく来られるよな。どれだけ面の皮が厚いんだか」
ぼそりと話す声が聞こえて来た。
聞えよがしに嫌味を言われるのは、これが初めてではなかった。シリウス・ブラックは、脱獄した死喰人を連れてまたホグワーツに侵入するのではないか。サラがその手引きをするつもりなのではないか。そんな噂が、まことしやかに囁かれていた。
「ダンブルドアはどうしてシャノンを退学にしないんだ? 日本での前科もあるんだし、今すぐアズカバンに放り込むべきだろう」
「父親が死喰人を逃がしたって事は、やっぱりシャノンの所に集まるのかしら」
「あいつがいるせいで、僕らまで危険なんだ」
「第二の例のあの人として君臨するつもりなんじゃ……」
次々と聞こえて来る敵意を含む声。サラは、膝の上で拳をぎゅっと握る。――息が苦しい。身体が震える。
バキン、と頭上で嫌な音がした。何の音だろうと、何人もの生徒たちが上を見上げる。そして、一気に彼らは立ち上がった。
大広間に悲鳴が響き渡る。ぐらりと揺れたシャンデリアは、朝食の並ぶテーブルへと落下し、皿やグラスの割れる激しい音を響かせた。――サラへの嫌味が聞こえて来た辺りだ。
サラは、よろりと立ち上がる。息は上がり、まるで過呼吸のように浅い息を繰り返していた。
「サラ……!?」
異常に気付いたハーマイオニーが、心配そうな顔で見上げる。
次は、スリザリンの席の方でパリンとグラスの割れる音がした。聞こえた悲鳴は、パンジーのもの。
――駄目だ。ここにいてはいけない。
サラは駆け出していた。ハリー達の呼ぶ声がしたが、振り切るようにして大広間を飛び出した。
サラが駆け抜けるのと共に、次々と近くの窓が割れていく。玄関ホールにいた生徒達が悲鳴を上げる。
――抑えなきゃ。
癇癪を起して、自分でも意図せずに魔法を使うのなんて、いつぶりだろう。サラは入学前から、自分の意志で魔法を使っていた。自分の意志で、悪意を向ける者に「報復」を行っていた。
今は違う。駄目だと、分かっているのに。そんなつもりはないのに。
自分で自分が、制御出来ない。
樫の木の扉を押し開き、外へと飛び出す。屋内にいたら、周りの人達を巻き込んでしまう。壊れるような物のない所に行かなければ。人のいない所に行かなければ。
ただでさえ息が乱れた状態で全速力で走るのは、途方もなく苦しかった。温室を越え、森の淵まで来て、サラは足がもつれてその場に倒れこんだ。
鼓動が波打つ。魔法の暴走は、よりいっそう酷くなっているように感じられた。周囲の木々に、深く抉られたような傷がつく。細い枝は折られ、降って来る。
サラは、ぎゅっと両腕で自分の肩を抱く。どんなに心を落ち着かせようとしても、呼吸は乱れ、暴走は治まらなかった。
誰もいない所に行かなければ。誰も巻き込まないように。誰も傷付けないように。
(誰も巻き込まずに済む場所……)
サラは、ハタと手元の鞄に目を留める。
鞄の中に入った日記。リドルの日記は、その中に人を呼び込む事が出来た。同じように、祖母の日記の中に入ってしまえば。祖母ならきっと、何とかしてくれる。例え学生時代の祖母にそんな力がなかったとしても、日記の中は祖母のテリトリーだ。自分が傷付かない手段ぐらいは持ち合わせているだろう。日記の中なら、破壊されて二次被害を起こすような障害物もない。
祖母に頼んで、日記の中に閉じこもってしまえば――
「サラ!」
遠くから叫ぶ声に、サラはハッと顔を上げた。ハリ、ロン、ハーマイオニーの三人が、こちらへと走って来ていた。
「――来ないで!」
サラは叫ぶ。三人は、ぴたりと立ち止まった。
来てはいけない。嫌だ。彼らを傷付けたくない。
ハーマイオニーはスッと杖を抜く。そして、緊張した面持ちで前へと踏み出した。
サラは、ぞっと背筋が凍るのを感じた。何をしようとしている? どうしてこちらへ来る? 今のサラは、自分の力を制御出来ていない。これ以上近付けば、ハーマイオニー達であろうとも攻撃してしまう。
「やめて……来ないで……!」
ハリーとロンも、ハーマイオニーに並んで歩み寄って来る。
駄目だ。どうして。来ないでと言っているのに。――傷付けたくないのに。
「プロテゴ!」
杖を上げ、ハーマイオニーが叫んだ。自分の意志に反するサラの攻撃は、盾の呪文に弾かれる。
サラは目を見開き、彼らを見つめていた。
DAの訓練。ハーマイオニーは、既に会得していたサラやハリーを除けば、一番に盾の呪文をマスターした。そして、ハーマイオニーを含め、皆にその呪文を教えていたのはハリーだ。
ハーマイオニーは駆け出す。そして、サラを強く抱き締めた。
「大丈夫……大丈夫よ。私達は、あなたの力で傷付いたりしない。逃げたりもしない。ほら、大丈夫。落ち着いて、ゆっくり深呼吸して」
言われるがままに、サラはハーマイオニーの腕の中でゆっくりと呼吸をする。昂っていた心が徐々に落ち着いて来るのを感じた。
バキ、と頭上で音がした。サラはハッと顔を上げる。
サラの攻撃を受けた太い枝が折れ、サラとハーマイオニーの頭上へと落下して来ていた。サラは咄嗟に、ハーマイオニーの頭を守るように抱え込む。
「おっと!」
枝がサラ達に到達する前に、頭上に伸びて来た腕がそれを弾き飛ばした。
「ナイスキープ」
ハリーが少し冗談めかしてロンに声を掛ける。ロンは少し得意げにサラとハーマイオニーを見下ろしていた。
「危ないところだったね」
サラはクスリと笑う。
「ありがとう、ロン。ハーマイオニーも、ハリーも。ありがとう。たぶん、もう、大丈夫。こんなつもりじゃなかったの。私……急に抑えられなくなって……」
「無理もないわ。あなた、今、とっても弱っているのよ。スネイプの授業で、その上、死喰人の脱獄だとか、あなたへの疑いだとかで……」
「でも、おかしな話だよな。ハリーも、スネイプの授業のせいで前より酷くなってるんだろ? まるで……」
ロンの疑問は、サラの心中を代弁するかのようだった。まるで、わざと弱らせているかのよう。しかし皆まで言わぬ内に、ハーマイオニーが遮った。
「やめて、ロン。いったい、何度スネイプを疑ったら気が済むの? 一度でも合っていた事があった? スネイプ先生の事は、ダンブルドア先生が信頼しています。それで十分じゃない。ダンブルドアを信じられないなら、私達、誰の事も信じられなくなってしまうわ」
「……私、怖いの」
ぽつりとサラは言った。
「自分で自分の感情が制御出来なくなってる。小さい頃から反撃するのが当たり前だったから、最近、その頃みたいに身体が勝手に反応してしまうの。私……私、このままじゃ、本当に噂通りになってしまうのかも知れないわ。ヴォルデモートみたいに――」
「サラは『例のあの人』みたいになんてならないよ! 『例のあの人』の人となりをよく知ってる訳じゃないけど、でも、少なくとも友達に嫌われるのを怖がって泣いたりとかするような奴じゃないだろ?」
「ロンの言う通りだわ。それに、強い力を恐れる事が出来る内は大丈夫よ。噂は噂だわ。あなたの血筋を知って、好き勝手言っているだけ。何も気にする事なんてないわ」
ふと、ハリーが温室の方を振り返った。そして、そのまま温室の方へと歩いて行く。
「ハリー?」
ロンが疑問符を投げかける。ハリーは温室の角を覗き込んでいたが、腑に落ちないような表情で戻って来た。
「物音が聞こえたような気がしたんだけど……サラ、誰かの気配とかない?」
サラは目を閉じ、意識を集中させる。そして、首を左右に振った。
「今は、特には……。さっきまでは、そんな余裕なかったから、分からないけど……」
「動物か何かじゃないか? 森のそばだし」
ロンがあっけらかんと返す。
ハリーは、誰も見つける事の出来なかった温室の角をじっと見据えていた。
二月になり、ホグズミード休暇がやって来た。今回のホグズミードは、ハーマイオニーと二人きりだった。ロンはクィディッチの練習だし、ハリーはチョウ・チャンとのデートだ。ハーマイオニーに言わせれば一目瞭然だったらしいが、全く気付かなかったサラにとっては、ハリーとチョウが恋仲だと言う事実は未だに実感が沸かず不思議な気持ちだった。
空は晴れ渡り、少し風のある爽やかな日だった。こんな日に、箒に乗って飛ぶ事が出来たら、どんなに気持ち良いだろう。クィディッチ競技場の横を通り過ぎながら、サラは少し惨めな気分だった。ハリーは結局何だったのか分からないままだが、少なくとも関係は修復された今、クィディッチが出来ないのはただただ残念でしかなかった。
「サラ、行きたい店はある? 今日は忙しいわよ。お昼からは三本の箒だから、用事があったらそれまでに済ませなきゃ」
ハーマイオニーの声に我に返り、サラは視線を前へと戻した。足早に歩くハーマイオニーは、少し前を行ってしまっていた。小走りして彼女の横に並びながら、サラは尋ねた。
「三本の箒って、今朝の手紙の相手? ハリーも呼んでいたわよね。いったい、何の手紙だったの? まさか、パッドフットじゃないわよね?」
「いいえ、違うわ。未登録って意味では同じだけど――リータ・スキーターよ」
「リータ・スキーター?」
サラは思いっきり顔をしかめた。
リータ・スキーターは、サラがもう二度と会いたくない人物の一人だ。去年、どれほど彼女の記事に振り回された事か。今だって、死喰人の脱獄でサラに怒りの矛先が向いているのは、サラがシリウスの娘である事を彼女が公にしたからだ。
「まあ、あなたが彼女を嫌がるのは当然の事だわ。私だって、大嫌いだもの」
「あんな人とわざわざ会う約束なんてして、何をするの? 私に報復の機会でも与えてくれたのかしら?」
「魔法でこっそり椅子を引いて転ばせたりするよりも、もっと労力を使わせて、もっと社会のためになる話よ」
サラの洒落にならない冗談も物ともせず、ハーマイオニーは言った。
校門を抜け、ハイストリート通りまで来ると、相変わらずホグワーツの生徒で溢れかえっていた。インクや羊皮紙、エフィーの餌、クルックシャンクスのおもちゃなどを買って回ったが、どこへ行っても脱獄した死喰人の手配書がサラ達を出迎えた。
「予想はしていたけど、吸魂鬼はどこにもいないわね」
生徒ばかりが溢れかえる通りを見回しながら、ハーマイオニーが言った。
シリウスが脱獄した時、ホグワーツもホグズミードも、吸魂鬼の捜索の手が回っていた。数々の不祥事でホグワーツはダンブルドアが拒否していたとしても、ホグズミードまではそうもいかないはずだ。
……吸魂鬼は、そもそも死喰人を捜していない。
「雨が降ってきそうだわ。少し早いけど、三本の箒に行きましょうか。席も取っておかなきゃならないし……」
ハーマイオニーが空を見上げる。サラはうなずいた。
その時ふと、視界の端に何かが映った。
サラの顔のすぐ横に伸びて来たのは、手。その手は、飛んで来た何かを掴んでいた。
「え……」
「ここでクィディッチの練習をするのは、避けた方がいいな。人が多過ぎる」
艶やかなプラチナブロンドに、緑色のマフラーを巻いた後ろ姿。
彼は軽い調子で言って、掴んだ石を地面へと捨てた。サラの方は振り返ろうともせず、彼はビンセントとグレゴリーを従えてあっと言う間に人ごみの中へと消えて行った。サラは言葉を発する間もなく、ただその場に立ち尽くしていた。
何が起こったのか、理解するのは容易だった。
――クィディッチの練習? まさか。あの石は、サラに向かって投げられたのだ。悪意を持って、サラに攻撃を仕掛けた者がいた。
それを、ドラコが寸での所でキャッチした。
サラがまた暴走してしまわないように、瞬時に攻撃だと認識しないように、クィディッチの練習をしている者がいたなどと嘘を吐いて。
――ドラコ・マルフォイは、敵だ。……敵、なのに。
ぽつり、ぽつりと冷たい雨が降り出す。
サラの頬を、雫が流れ落ちて行った。
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第2部
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2017/06/05