降り出した雨から逃げ込んだ生徒達で、三本の箒はごった返していた。
「バタービールを買って来るわ。席をお願い」
サラは頷き、店の奥へと進む。奥の方の席はまだ、ちらほらと空いている所があった。
「こんにちは、サラ」
掛けられた声に、振り返る。ルーナ・ラブグッドが、「ザ・クィブラー」の最新号を小脇に抱えて立っていた。確か、DAでアリスがよく組んでいる子だ。
ルーナの大きな目は、まじまじとサラを見つめていた。
「泣いたの?」
サラはドキリと肩を揺らし、袖口で顔を拭う。降り出した雨で頭から濡れ、どこまでが雨でどこまでが涙なのか分からない状態だった。
「泣いてないわ。雨に降られただけ」
「お待たせ、サラ。あら、ルーナ。もう来ていたのね。こちらも、今そこで彼女と会ったところだったのよ」
ハーマイオニーが、バタービールのジョッキを二つ持ってやって来た。リータ・スキーターも一緒だ。
サラは目をパチクリさせて尋ねた。
「ルーナも呼んだの? 後はいったい誰が来るの?」
「後はハリーだけよ」
「サラ、眼が赤いようだけど、何かあったのかしら? 良ければ……」
「ただの埃アレルギーよ。分かったら、そのペンをしまいなさい。今日は、サラのプライベートについてあれこれ突っつかせるために呼んだんじゃないわ」
ハーマイオニーがピシャリと言い放った。スキーターは不承不承、自動速記羽ペンを鞄にしまう。
四人は席に着いた。妙な面子で、気まずい沈黙が満ちていた。
「ねえ、ハーマイオニー。いったいこれから、何を始めるつもりなの?」
サラはひそひそ声で問う。
「ハリーが来たら、説明するわ」
ハーマイオニーは得意げな表情で話すだけだった。
No.58
三大魔法学校対抗試合最終決戦。あの晩、いったい何があったのか。セドリックはどのようにして亡くなったのか。ハリーとサラによる具体的な話が、『ザ・クィブラー』に掲載された。アンブリッジは即座にお得意の教育令を発して『ザ・クィブラー』の所持を禁止したが、圧倒的な逆効果だった。掲載された記事は瞬く間に学校中に知れ渡る事となった。
「『ザ・クィブラー』の記事なんか、誰も真に受けるもんか」
夕食の席でグリフィンドールのテーブルの方を睨みつけながら、ドラコは言った。パンジーが大きくうなずいた。
「その通りだわ。あんな雑誌のインタビューを受けるなんて、ポッターもシャノンもいよいよおかしくなったって、皆そう言っているわ。本当に酷い侮辱よ。シャノンを殺害したのが、ドラコのお父様だなんて……フラれた腹いせかしら」
ドラコは何も答えなかった。
――ここで、間を作ってはいけない。ドラコの様子に気付かせてはならない。
アリスはすかさず口を挟んだ。
「ワールドカップの時にちらっと見たけれど、死喰人って皆、仮面を被っているのでしょう? もしかしたら、それで人違いしたのかもしれないわ。髪の長さとか、杖とか……何か、特徴的なものが似通っていて、思い込んじゃったのかも」
「自信過剰な彼女の事なら、あり得るわね……」
ドラコもサラも双方をフォローする助け舟をアリスは出す。幸い、パンジーはドラコの表情が翳った事は指摘しなかった。
ハリーやサラに対しては言わずもがな、生徒や教員が反発する度に、アンブリッジはますます権力を強めていった。『ザ・クィブラー』にハリーとサラの話が掲載された二週間後にはトレローニーが占い学の教職を解雇されるという事件があった。アンブリッジはトレローニーをホグワーツ城から追い出そうとしたが、これはマクゴナガルとダンブルドアによって阻止された。
トレローニーの始末がつけば、次はハグリッドだ。一応、停職からは復帰したようだが、彼も正直なところ、いつ解雇されるかはもう時間の問題だと思えた。
三月が終わり、四月になった。アンブリッジの締め付けが厳しくなる学校生活の中、ハリーやサラ達にはDAが心の支えとなっているのがありありと伝わって来たが、アリスにとって実技訓練を主とする時間はただただ、苦痛でしかなかった。アリスが一切魔法を使えないと言う事はさすがにDAのメンバーも気付いて来ているようだったし、ハリーは教える立場として責任を感じているのか、何かとアリスを気遣い、どうにかアリスにも防衛術を成功させようと四苦八苦していた。その度にアリスは申し訳なくなり、ただただ惨めな気持ちだった。
ドラコ達が目を光らせている事はハーマイオニーに警告し、実際に動きがある日は「偶然にも誰も捕まらない」ように画策を続けていたが、時折、自分はいったい何のために一人で東奔西走しているのかと疑問が沸き起こる事があった。
「アリスがスクイブのはずはないのよ、絶対」
ある日のDAの訓練後、ハーマイオニーは言った。ハリー、ロン、ハーマイオニー、サラの四人はいつものごとく片付けのために残り、アリスだけが呼び止められて他のメンバーは帰った後だった。
「だって、スクイブはホグワーツには入学する事が出来ないはずなんだもの!」
「アリスって、これまで何も呪文を使った事がないの? 本当に何も? ルーモスとか、その程度も?」
「ロン」
ハリーが咎めるように口を挟む。アリスは苦笑した。
「いいのよ、ハリー。大丈夫。事実だもの。……そうね、ルーモスも使えた事はないわ。私の杖は、ただの木の棒でしかない」
「でも、魔法薬の調合は得意なのよね? ジニーから聞いたわ。学年で一番だって……それに、ダイアゴン横丁への入口を開けた事は? 親もマグルで初めての場合は、『漏れ鍋』にいる誰かに開けてもらう事もあるけれど……」
ハーマイオニーが問う。アリスは答えた。
「開けた事があるわ」
「それじゃ、杖に問題があるって訳でもなさそうね……。でも、こんなにも魔法が使えないなんて……」
ハーマイオニーは考え込む。
無駄な時間だった。アリスは、その答えを知っている。そして「それ」が実際にどのように存在しているのかも、もう分かっている。
『封印が解かれるは、かけた本人が解くか、もしくはかけた本人がこの世からいなくなった時じゃからの』
アリスは、サラに目を向ける。彼女は蒼い顔でうつむき、鞄の取っ手を強く握りしめていた。
明白だった。昨年度の末に聞いた、ダンブルドアの話。ナミに封印の魔法がかけられ、アリスが封じられた魔力のみを受け継いでいるという事。そして、かけた本人が解くかこの世からいなくなった時にのみ、封印が解かれるという事。
これまで、目を背けていたのかもしれない。考えないようにしていたのかもしれない。しかし、こうして話題に上がって、彼女が気付かないはずがなかった。
――アリスが魔法を使えないのは、祖母の日記が存在しているせいだ。
しかし、アリスは何も言わなかった。ハーマイオニーが知れば、マクゴナガルに伝えるだろう。祖母の日記は、ダンブルドアに取り上げられる事になるだろう。祖母も、サラから日記を引き離す事を望んでいた。日記がなくなれば、アリスは魔法を使えるようになるかもしれない。
それでも、何も言えなかった。
サラが、自ら日記を手放す気になればいいのに、と心の内で思うだけだった。
それは優しさでも何でもなく、ただ、怖かったのかもしれない。祖母の日記をサラから取り上げる事で、何が起こるのか――何か重大な事柄を、自分自身が引き起こしてしまうのが。
残念ながら、サラが自ら祖母の日記を差し出すような事はなかった。祖母は、サラが毎日日記に書き込んでいると話していた。祖母の事となれば、異常なほどの執着を見せる彼女の事だ。日記がよほど邪悪な存在だったりでもしない限り、自ら破棄する事などないだろうという事は、予想がついていた。
夕食後、ガリオン金貨の数字に従いいつものごとくスリザリン寮を出ようとしたアリスは、ちょうど談話室に戻って来たドラコに呼び止められた。
「アリス! 今日は行かなくていい」
アリスはピタリと足を止める。ドラコは、意気揚々とした表情で、ソファの所にいるパンジーやノット達も呼ばわった。
「いったいどうしたの、ドラコ?」
パンジーがそそくさとドラコのそばへと寄り添う。
「ポッターの尻尾を掴んだ。連中の一人が、アンブリッジ先生に白状したんだ。今夜八時、違法な会合が行われる――八階、あいつらはそこを「必要の部屋」と呼んでいるらしい」
くらりと眩暈がするかのようだった。
バレた。知られてしまった。いったい誰が、告げ口なんて面倒な真似をしてくれたのか。
ドラコは勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「これまでご苦労だったな、アリス。もう遠回しにあいつらを探る必要なんてないんだ」
「そうね……これで私も、楽になるわ」
アリスは何とか動揺を押し殺し、微笑む。
駄目だ、これはどうあっても誤魔化せない。ドラコの話では、アンブリッジの方で魔法大臣にも連絡が行っているらしい。これから、現場に突撃する。ドラコは、その手伝いをアンブリッジから言いつけられたそうだ。
「さあ、行こう。アンブリッジ先生がお待ちだ」
ドラコはクラッブとゴイルを従え、スリザリンの談話室を出て行く。パンジー、ノット、モンタギュー、ワリントンがドラコの後に続く。ダフネの姿は見えなかった。アストリアの姿も見えないから、また妹の調子が良くないのかも知れない。ザビニは窓際で話しかけて来る女の子達の相手に忙しく、こちらの面倒事には気付いていないふりをしていた。廊下に出た所で出会ったミリセント・ブルスロードもその体格を見込んでメンバーに加え、アリス達は大所帯で玄関ホールへと続く階段を上がって行った。
(……どうしよう)
合流のためアンブリッジの部屋へと向かいながら、アリスはただただ、焦りを募らせるばかりだった。
このままでは、DAの皆が捕まってしまう。今夜の会合に参加せず、ドラコ達と共にいたアリスは、裏切り者のレッテルを貼られる事だろう。
どうにかして逃がさなければ。でも、どうやって? 夕食も終わり、もう大広間から出て来る生徒もいない。皆、寮に帰ったか、門限直前まで図書室で課題を片付けているか。そう言う時間だ。
何かこの状況を打開する手段がないかと、アリスはポケットの中を探る。杖と何本かの魔法薬が入った小瓶、それからガリオン金貨が指先に触れた。
アリスに魔法が使えれば。魔法が使えたなら、この金貨を使ってハリー達に危機を知らせる事が出来たかもしれないのに。
談話室を出る時、リアを遣いにやる事も一瞬考えたが、駄目だ。猫一匹が部屋に辿り着いたところで、今すぐ逃げなければならないこの状況を伝える事は出来ない。メモを書いて預ける隙など無かったし、そもそも、現場でリアが見つかればそれこそ困った事になる。
アンブリッジの部屋に寄る前に誰かに伝言でも頼めれば良いが、ドラコ達と一緒にいるこの状況では、それも望みが無い。そもそも、もし誰かとすれ違い、伝言を託すようなチャンスがあったとしても、DAメンバー以外にあの部屋の場所を知っている人なんて――
アリスはハッと目を見開いた。
玄関ホールには誰もいない。大広間の扉は開け放たれ、手を付ける者のいなくなった食器が次々と姿を消していた。
パンジーの後に続いて階段を上ろうとしたアリスのポケットから、ポロリと金貨が落ちる。金貨はコロコロと転がり、大広間へと入っていった。
「あっ……」
落とした金貨の後を追うようにして、アリスは大広間へと駆け込む。誰も追って来ていないのを確認すると、足元の金貨には目もくれず小瓶を取り出した。中の液体を細く垂らし、手近にある空いた皿へとかける。
「アリス、大丈夫?」
「ええ」
コルク栓をしっかりと閉め、アリスはしゃがみ込んでガリオン金貨を拾い上げた。小走りで戸口にいるパンジーの所まで駆け寄る。
「ごめんなさい」
何食わぬ顔で言って、再びアンブリッジの部屋へと向かう列へと加わる。
大広間に残された皿には、文字が浮かび上がっていた――『アンブリッジが、部屋を知った』。
銀を溶かす魔法薬によって書かれた短い一文。食事の準備や片付けをしているのは、屋敷僕妖精だ。あの部屋をハリーに教えたのは、ドビーだと聞いている。――厨房に回収された皿が、彼の目に付けば。
アンブリッジと合流し、八階の「必要の部屋」に到着すると、ちょうどDAのメンバー達が部屋から雪崩出て行ったところだった。あちこちの曲がり角に、誰かの足やローブの裾が消えて行く。
「さあ、捕まえて! ミス・パーキンソン、あなたは何か残っていないか部屋を確認してちょうだい」
隠れる人影の見えた方向へと、スリザリン生達は駆け出す。
アリスはスリザリン生達と共に走り出した。今はとにかく、彼らと行動を共にしていなければ。ここでハリー達の捕獲を拒んだら、スリザリンに居場所が無くなってしまう。誰かと同じ場所を探すようにして、可能ならその場からそっと逃がして――
「あああっ!!」
叫び声が聞こえて、アリスは振り返る。そして、表情を凍らせた。
ハリー・ポッターが、ドラコに捕まり、アンブリッジに引き立てられて行くところだった。成す術もなく、ハリーが連れられて行く。ドラコの方は何かに気付いたように、駆け出した。ハリーの悲鳴で、誰か戻って来たのかも知れない。
アリスはドラコの後を追って駆け出す。
逃亡者は、見失わせようと考えているのだろう。あるいは、ハリーのように呪文を掛けられるのを防ぐためか。何度も細かく角を曲がった。しかし決して見失う事はなく、ドラコは一目散に走っていた。結構足が速い。でもドラコが見失わないと言う事は、エリやフレッドやジョージでは無さそうだ。その他のクィディッチ選手の誰かか――
追いかけっこは、唐突に終わった。
角を曲がると、ドラコが逃亡者の腕を捕らえて壁に押し付け、もう一方の手で杖を突き付けていた。アリスは息をのむ。ドラコは、自分が追い詰めた相手が誰であるかに気付き、ショックを受けたような顔をしていた。
「……去年と逆ね」
逃亡者は静かに言った。
その顔に焦りはなく、灰色の瞳の奥に見えるのは仇への憎悪。
「ドラコ――あら! シャノンじゃない! やったわね、ドラコ! また大手柄だわ!」
息苦しい程の沈黙は、パンジーの興奮した声に打ち破られた。
パンジーはアリスの横をすり抜け、ドラコの方へと歩み寄る。
「さあ、シャノンを連れて行きましょう。アンブリッジ先生は、校長室へ行ったみたい――」
フッとサラが危険な笑みを見せた。
「――私が大人しく捕まるとでも?」
アリスは身を伏せる。サラが何か魔法を発動させるよりも、ドラコが唱える方が速かった。
「インカーセラス!」
どこからともなくロープが現れたロープに巻き付かれ、サラはその場に倒れ込んだ。サラは、ショックを受けたような顔をしていた。自分が攻撃を受けるなんて、思ってもみなかった。そしてそう思っていた自分に衝撃を受けたような表情だった。
「さすが、ドラコ!」
パンジーはドラコを強く抱きしめる。パンジーに抱き着かれながらも、ドラコは杖の照準をサラから離さなかった。
「杖なしで魔法を使おうとなんてするなよ。今、制御を失ったら、アリスも巻き込む事になるぞ」
サラから完全に反撃の意思が失われたのが分かった。神妙になったサラを、ドラコは立たせる。
サラは、冷たい視線でドラコを睨め付けた。
「……ご満足? お父上様が殺り逃した小娘を捕らえる事が出来て」
ドラコの表情に動揺が現れる。シャノンの死に多大な責任を感じている彼に、この言葉は厳しいものだった。
しかし、ドラコの口から出たのは、謝罪や弁解ではなかった。
「……お前は、父上を雑誌に売った」
「事実を述べただけよ」
サラはドラコを睨んだまま、淡々と答える。
ドラコは、サラと目を合わせようとはしなかった。
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The Blood
第2部
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2017/07/15