ハッフルパフ寮からほど遠くない場所に掛けられた、一枚の大きな果物の絵。そこに描かれた梨をくすぐると、扉が開く。開いた扉の向こうはちょうど大広間の真下に当たり、厨房になっている。
エリが厨房へと足を踏み入れた途端、大勢の屋敷僕妖精達が集まって来た。屋敷僕妖精達は、お菓子や紅茶を用意し、エリを席に座らせもてなそうとする。エリに限らず、誰が訪れても、ここの妖精たちはいつもこうだった。
中でも一人、ひと際目立つ屋敷僕妖精がいた。他の屋敷僕妖精達がシーツを身にまとっている中、この屋敷僕妖精だけはセーターやら帽子やらをいくつも被り、更にはいつも左右別の色の靴下を履いていた。服を与えられ、自由の身である彼を他の屋敷僕妖精達は遠巻きにしているようだが、エリは彼の事が気に入っていた。彼もまた、ハリーの友人と知ってエリにとても懐いていた。
「今日はお一人ですか、ハリー・ポッターのご友人! 紅茶はいかがですか? 新しい茶葉がおありになって――」
「ありがとう、ドビー。でも、ごめん、今日は物取りに来ただけなんだ。チョコ、そろそろ固まったかな?」
「ええ、できていますとも! ただいま持って参ります!」
ドビーは一目散に厨房の奥へと駆けて行く。物を取りに来ただけだと言ってもなおお菓子を勧めようとする他の屋敷僕妖精達に、エリは言った。
「えっとそれじゃあ、何かデコレーションに使えそうな材料って分けてもらえないかな? 金箔とか、チョコとか砂糖の粒々したやつとか……」
屋敷僕妖精達は大張り切りで、道具や材料を集め始める。ドビーも、卵型に固められたチョコレートを持って駆け戻って来た。
「きれいに出来上がっています、エリ・モリイ! イースター・エッグですか?」
「うん。いつもウィーズリーおばさんから貰ってるし、あたしも人にあげてみようかなーって」
ドビーは飛び出すような大きな目をパチクリさせた。
「下級生へのプレゼントですか?」
「え?」
エリも目を瞬き、ドビーを見下ろす。そして、思い当たった。クリスマスやバレンタインと同じような感覚でいたが、思えばウィーズリー夫人から子供達に贈られて来るぐらいで、その他の間柄では聞いた事がない。
「……もしかして、イースターエッグって親が子供に贈るもの?」
「魔法使いの習慣にはドビーめはそこまで詳しくいらっしゃいませんが、奥様が坊ちゃまに毎年お贈りになっていました」
ダンブルドアには当然妻などいないのだから、奥様や坊ちゃまと言うのはもちろん、ドビーがホグワーツに来る前にいた家の者達の話だろう。
「まあ、いっか。食べられれば、それで良し!」
甘さも彼の好みに合わせて苦みを強めにした。不思議がられるかもしれないが、嫌がられると言う事はないだろう。
……そう、思っていたのだが。
一度玄関ホールまで上がって、ハッフルパフ寮へ降りる階段とは反対側の扉から地下へ。
ハリーやサラとの閉心術の訓練もあるためか、最近は研究室にいる事の方が多かった。いつもと変わらないと分かっていても、「セブルス・スネイプ」と書かれた扉に手をかけるのは、どうにもドキドキしてしまう。さすがに個人の部屋をいきなり開ける気にもなれず――もっとも、たいてい鍵が掛かっているのだが――エリは、控えめに扉をノックした。
ややあって顔をのぞかせたセブルスは、酷く不機嫌そうな顔をしていた。
「やっほー、セブルス。イースターエッグ作ってみたんだ。あと、他にもお菓子とかお茶っ葉とか色々お土産貰ったから、お裾分け――」
「すまないが、帰ってくれ」
「あ、忙しかった? じゃあ、また後で……」
「いや、しばらく来ないでほしい」
エリはビックリしてセブルスを見つめ返す。セブルスはふいと視線をそらした。
「今はその顔を見たくない」
「……へ?」
パタンと目の前で扉が閉じられる。
エリはなす術もなく、その場に立ち尽くしていた。
No.62
スネイプの閉心術訓練の後、ちょうどイースター休暇に突入したのは幸いだった。ハリーもサラも、お互い、憂いの篩で見たものについてはその後一切触れなかった。
自分の父親がスネイプをいじめていたと言う事実は、サラの心に重く圧し掛かっていた。スネイプには同情心を抱かずにはいられなかったし、これまで散々嫌味を言われ嫌がらせをされ憎んでいた相手にそんな感情を抱くのは、自分でも戸惑わざるを得なかった。
イースター休暇が終わると、五年生は順番に寮監と進路指導の面接を行う事になる。休暇の最後の週を、サラ達は職業紹介の資料を読んで過ごした。
「NEWT試験で、魔法薬学、薬草学、変身術、呪文学、闇の魔術に対する防衛術で、少なくとも『E・期待以上』を取る必要があるってさ。これって……おっどろき……期待度が低くていらっしゃるよな?」
聖マンゴのパンフレットを眺めながら、ロンが言った。
「でも、それって、とっても責任のある仕事じゃない?」
「ロックハートみたいな人の相手もしなきゃいけないけどね」
サラは答えた。ロンは、サラの持つパンフレットを横からのぞき込む。魔法省のパンフレットだった。
「サラ、いつも魔法省のパンフレット見てないか? 役人志望なの?」
「私はもう決めてるのよ。闇祓いと予見者になるって。ただ問題は、どうしたら二つの役職を掛け持ちなんて事が出来るのかって事なのよね……おばあちゃんはいったい、どうやっていたのかしら」
「おばあさんがやってた職業をそのままやるって事? でも君、占い学は……」
ロンは躊躇いがちに話す。サラはムッとしてパンフレットから顔を上げた。
「能力はあるわ。水晶玉なら、視える事があるもの。他の方法は合わないってだけで……」
「仕事にするなら、いつでも好きな時に視えるぐらいじゃないと駄目なんじゃないか?」
「分からないわよ。マクゴナガル先生だって、占い学は魔法の中でも最も不確かな学科だって仰っていたわ。魔法省の予見者だって、そんな感じなのかも」
ハーマイオニーが助け舟を出す。しかし、サラの希望に全面的に賛成と言う訳ではなかった。
「とは言え、おばあ様がやっていたからってそれだけに絞る必要はないと思うけれど。一応、他の職業も見てみたら? もちろん、闇祓いも素晴らしい職業だとは思うけれど……」
ハーマイオニーは、占い学を信用していない。だから、あまり勧める気にはなれないのだろう。
「オッス」
進路について話し合う四人のところへと、フレッドとジョージがやって来た。フレッドはロンの隣に座り、ハリーを見て言った。
「ジニーが、君の事で相談に来た。シリウスと話したいんだって?」
「ええっ!?」
声を上げたのはハーマイオニーだった。サラはパッとハリーを振り返る。
ここ数週間、ずっと胸に蟠っているもの。それは、ハリーも同じだった。ハーマイオニーは厳しい声で言った。
「馬鹿な事言わないで。アンブリッジが暖炉を探り回ってるし、ふくろうは全部ボディチェックされてるのに?」
「まあ、俺達なら、それも回避出来ると思うね」
ジョージがニヤリと笑った。
「ちょっと騒ぎを起こせばいいのさ。さて、お気付きとは思いますがね、俺達はこのイースター休暇中、混乱戦線ではかなりおとなしくしていたろ?」
「せっかくの休暇だ。それを混乱させる意味があるか? 俺達は自問したよ。そして全く意味はないと自答したね。それに、もちろん、皆の学習を乱す事にもなりかねないし、そんな事は俺達としては絶対にしたくないからな」
フレッドが白々しいほどに真剣な顔で言った。
「しかし、明日からは平常営業だ。そして、せっかく騒ぎをやらかすなら、ハリーがシリウスと軽く話ができるようにやってはどうだろう?」
ハーマイオニーは当然、大反対だった。しかしハリーは控えめながらも乗り気で、話はトントン拍子に進んでいった。結局、明日の放課後にフレッドとジョージが騒ぎを起こす事が決定し、ハリーはその間にアンブリッジの部屋に忍び込んでシリウスに連絡を取る事になった。
翌日、一日中、ハーマイオニーはハリーを説得し続けた。こんな作戦は危険だ。アンブリッジに捕まったりすれば、退学処分だけでは済まない。シリウスの居場所だって吐かされる事になるかも知れない……。
ハーマイオニーの言い分はもっともだった。
「サラ、あなたはどう思っているの?」
昼休み、進路指導から帰って来たハリーにハーマイオニーは説教を再開し、そしてサラへと尋ねた。突然話を振られ、サラは驚いて目を瞬いた。
「失敗すれば、あなたの父親が捕まる事になるのよ? サラだって嫌でしょう」
「私は……」
「僕は、サラも一緒に来るべきだと思ってる」
ハーマイオニーは目を丸くしてハリーを見る。
「まあ、ハリー! いったい何を……一人でも見つかるリスクが高いのに、二人で……それもサラとなんて……分かっているの? あなた達二人とも、アンブリッジに目を付けられているのよ? それなのに――」
「……心配しなくても、私は行かないわ」
「当然だわ。ハリー、あなたもやめるべきよ。夏休みまで待てないの?」
「……サラは、気にならないの? どうしてあんな事をしたのか――理由があれば――」
「どんな理由があっても程度を間違えれば許されない事があるって、今の私は理解しているわ」
サラはきっぱりと言い放った。ロンとハーマイオニーは不思議そうにハリーとサラを交互に見て、顔を見合わせていた。
サラは、自分がどうしたいのか分からなかった。
スネイプの研究室で見た過去の出来事。シリウス達が行っていた、スネイプへの仕打ち。スネイプは嫌な奴だ。学生時代だって、同じように嫌な奴だったのだろう。でも、だからと言って集団で不意打ちを食らわせ、大勢の前で笑い者にするような理由なんてあり得るのか? シリウスとジェームズの表情。サラには分かる。あれは、確実にスネイプへの所業を楽しんでいる顔だった。憎い相手を手玉に取り、惨めな目に合わせる喜び。小学生の頃のサラと同じだ。
今、シリウスと話をする気には到底なれなかった。かと言って、積極的にハリーを止める言葉も出て来なかった。こんな事はやめた方がいい。捕まっては大変どころではない。ハーマイオニーは正論だ。頭では、分かっているのに。
授業が終わり、廊下に出て間もない内に上の方の階から叫び声が聞こえて来た。――陽動作戦の開幕だ。
アンブリッジが教室を飛び出して来て、ドテドテと叫び声の方へと走って行った。それを見送り、ハリーは反対方向へと駆け出した。
「ハリー――お願い!」
ハーマイオニーの声は、果たしてハリーに届いたのだろうか。ハリーの姿は、辺りの教室から出て来た生徒達に紛れて、瞬く間に見えなくなってしまった。
「どうしましょう……こんな事……正気の沙汰じゃないわ……!」
騒ぎ声は、徐々に下へと下がって行く。どうやら階段を降りて行っているらしい。ロン、ハーマイオニー、サラの三人は喧噪の方へと向かった。少なくとも、ここでじっとしているよりはマシなはずだ。
「おーい、サラ! ハーマイオニー! ロン!」
人波に乗じて階段の方へと向かうサラ達を、大声で呼ばう声があった。エリが、人ごみを掻き分けて三人の前に姿を現した。
「そっちに行くのは止めといた方がいいよ。大きな沼になってるから」
「沼?」
「下に降りるなら、こっちだ」
エリは三人を連れて人ごみを抜け、一つの絵画の前で立ち止まった。絵画に描かれた湖の表面を、エリは杖で突く。水面が波打ち、渦巻いて、そして絵画もくるりとドアノブのように百八十度回転し、奥へと開いた。
「さ、こっち」
絵画の奥には下へと続く細い階段があった。エリの案内に従って、三人は階段を下りて行く。恐らくこの隠し通路を知っているのは、エリとフレッドとジョージぐらいなのだろう。もしかしたら、「忍びの地図」になら描かれているかもしれない。階段の入り口の扉が閉ざされると、廊下の叫び声もあまり聞こえなかった。
「あたしも図書室に向かおうとしたら、通れなくてさ。フレッドとジョージの奴、こんな面白い事するならあたしにも声掛けてくれれば良かったのに」
エリは不貞腐れたように話す。ロンが茶化すように言った。
「エリから『図書室に向かう』なんて言葉が出ると、何だか新鮮だな」
「あたしだって図書室ぐらい行くよ。試験勉強だってしなきゃだし……」
「でも、魔法薬学はスネイプが付いてるんだから無敵だろ? ほんと、エリも物好きだよな。あのスネイプと……」
「……最近は、会ってない」
エリの声は沈んでいた。ロンは驚いて問う。
「喧嘩でもしたの?」
「それが分かんないんだよな……休暇の始まりに会いに行ったら、顔も見たくないって言われて、それきり。あたし、何かやらかしたのかなあ……」
「心当たりはないの?」
ハーマイオニーが優しく尋ねる。エリは肩をすくめた。
「それが分かれば苦労しないよ」
サラは黙り込んでいた。やらかしたのは、エリではない。サラとハリーだ。
憂いの篩の事件以降、スネイプはサラとハリーを無視する事に決めたようだった。恐らく、嫌味を言うために関わるのも嫌なのだろう。これはサラとハリーにとってはネチネチと嫌がらせを受けるよりもずっと良かったが、どうやら顔が父親似のエリにも影響が出てしまっていたらしい。
「サラ、あなた、何か知っているの?」
「え? 何の事?」
サラはきょとんとした顔で返答した。ハーマイオニーは疑るようにサラを見ていたが、憂いの篩で見た事を話す気はなかった。そんな事をすれば、今度こそサラはスネイプに殺されてしまう。
やがて、足元から光が差し込んで来た。エリはしゃがみ込み、慣れた手つきで床を杖で叩く。一人分が通れそうな穴がぽっかりと開いた。
「この下が玄関ホールになってるんだ。んじゃ、お先っ」
エリはひょいと穴から飛び降りて行った。その後に、ロンが続く。そして悲鳴を上げた。
「えっ!? うわっ、ちょ、高っ……」
サラとハーマイオニーは、恐々と穴をのぞく。遥か下に、ひしめき合う生徒達の姿が見えた。どうやら、ここは玄関ホールの天井裏らしい。真下にはエリがいて手を振っていて、その横でロンがうずくまっていた。
「この高さを飛び降りろって言うの?」
「箒があれば、大した事じゃないのだけどね……」
残念ながら、ニンバスはハリーやフレッド、ジョージの箒と共にアンブリッジの手元だ。
サラとハーマイオニーは穴のふちに膝をつき、玄関ホールを覗き込んだ。ホールで何が起こっているかは、飛び降りずとも見て取る事が出来た。
玄関ホールの中央にぽっかりと空洞が空いていて、フレッドとジョージが立ち尽くしていた。追い詰められ、それを大勢が見物していると言った様子だ。
「さあ!」
大理石の階段に立ったアンブリッジが、獲物を見下ろしながら勝ち誇ったように叫んだ。
「それじゃ――あなた達は、学校の廊下を沼地に変えたら面白いと思っている訳ね?」
「相当面白いね、ああ」
窮地にありながらも、フレッドは全く恐れている様子がなかった。
フィルチが階段を駆け下りて来た。喜びに満ちた表情で、羊皮紙を掲げる。
「校長先生、書類を持って来ました……! それに、鞭も準備してあります……ああ、今すぐ執行させてください……」
「いいでしょう、アーガス。――そこの二人。私の学校で悪事を働けばどう言う目に遭うかを、これから思い知らせてあげましょう」
「ところがどっこい、思い知らないね」
軽い調子で言って、フレッドは相棒を振り返った。
「ジョージ、どうやら俺達は、学生稼業を卒業しちまったな?」
「ああ、俺もずっとそんな気がしてたよ」
「俺達の才能を世の中で試す時が来たな?」
「まったくだ」
そして二人は杖を上げ、同時に唱えた。
「アクシオ! 箒よ、来い!」
ガチャンと大きな音が狭い隠し通路に響いた。どこかで扉を突き破るような音がして、それからアンブリッジの後ろから二本の箒が持ち主の方へと飛んで来た。片方は、重い鎖と鉄の杭を引きずったままだ。箒は階段を猛スピードで下ると、フレッドとジョージの前でピタリと止まった。
「またお会いする事もないでしょう」
「ああ、連絡もくださいますな」
二人は箒に跨り、そして最後に集まった生徒達を見回した。
「上の階で実演した『携帯沼地』をお買い求めになりたい方は、ダイアゴン横丁九十三番地までお越しください。『ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ店』でございます。我々の新店舗です!」
「我々の商品を、この老いぼれババアを追い出すために使うと誓っていただいたホグワーツ生には、特別割引をいたします」
ジョージがアンブリッジを指差して言った。
「二人を止めなさい!」
アンブリッジが叫んだ時には、二人は床を蹴り高々と飛び上がっていた。尋問間親衛隊が二人の下へと駆け寄る。宙ぶらりんになった鉄製の杭が襲い、ドラコが慌てて床に伏せた。
「ピーブズ、俺達に代わってあの女をてこずらせてやれよ」
角度がついて気付かなかったが、天井に近い高さにピーブズが浮かんでいた。ピーブズは帽子をさっと脱ぐと、敬礼の姿勢を取った。ピーブズが生徒の命令を受けるなど、初めて見る光景だった。
フレッドとジョージはくるりと向きを変え、生徒たちの喝采の中、開け放たれた正面扉から広い夕空へと飛び出して行った。
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2017/10/29