ウィーズリーの双子の脱走劇以来、アンブリッジへの反抗が以前にも増して目立っていたホグワーツだが、さすがに試験期間ともなれば大人しくなり、セブルスは安堵していた。度重なる花火や爆発、生徒達の体調不良に、アンブリッジは怒り心頭だった。先週の金曜日にはニフラー侵入騒動があったようだが、それだけしか聞かないのはまだ少ない方だ。
 今のところは生徒達の方が上手なようだが、少しでも尻尾を掴めばアンブリッジがどんな処罰に出るか分かったものではない。そしてもしハリー・ポッターやサラ・シャノンに少しでも疑念の余地があろうものならば、アンブリッジは嬉々として彼らに罪を被せるだろう。彼らをホグワーツから追い出されてはならない。
 いや、セブルスとしては彼らの姿を金輪際視界に入れずに済むと言うなら大歓迎ではあるのだが、ダンブルドアの指示なのだから仕方がない。それに、ホグワーツと言う安全地帯からの追放は彼らを闇の帝王に差し出すのと同義だ。何はともあれ、騒動が無いに越した事はない。
 朝食が終わると、大広間は普通魔法レベル試験の会場として使用される。退出する生徒達を眺めていると、ふと詰まり気味の扉の前に並ぶ一人の女子生徒と目が合った。
 セブルスは、すっとハッフルパフの集団から目を背ける。
 閉心術の訓練でポッターとシャノンに憂いの篩を覗かれて以来、セブルスはエリを避け続けていた。彼らの所業に、エリは何ら関係ない。それは解っている。しかしそれでも、忌々しいあの事件を他者に見られた後に父親似である彼女の顔を見たくはなかった。
 よりにもよって、ポッターとシャノン。どうせ、仲良しのロン・ウィーズリーやハーマイオニー・グレンジャーにも報告したに決まっている。エリにも話してしまっただろうか。確認する気にはなれず、知らないならば説明する気などなく、セブルスはエリの来訪をただ拒絶した。話しかけられれば、例の件について触れられるのではないかと必要以上の会話を拒んだ。
 ……日が経ち、そろそろ彼女の顔を見る事も出来るようになった時には、もう彼女からセブルスに話しかけて来る事はなくなっていた。





No.64





 大広間にはたくさんの大鍋が並び、空を写すはずの天井は鍋からモクモクと立ち上る煙に覆われて完全に見えなくなっていた。出来上がった薬をすくいフラスコへと注ぎながら、エリはそっと大広間を見回した。
 ほとんどの生徒が、まだ大鍋をかき混ぜたり、杖を振って炎を調整したりしていた。
 午前にあった筆記試験も、午後の実技試験も、思いの外あっけないものだった。筆記試験は迷わず回答を埋めていく事が出来たし、実技試験も問題なく調合出来た自信がある。テストをこんなにも楽に感じたのは、初めての事だった。
(それもこれも、セブルスが教えてくれたおかげだよなあ……)
 フラスコにコルク栓をして、エリは前方の砂時計に目をやる。試験終了まで、まだ幾分かの余裕があった。
 セブルスに避けられ始めてからと言うもの、もちろん魔法薬学の補習授業もなくなってしまった。顔も見たくないと言われるほどに彼を怒らせてしまった理由は、未だに分からないままだ。何度か理由を聞こうとはしてみたものの、そもそも会話を避けられてしまってはどうしようもない。
 何かそこまでセブルスを怒らせるような事をして思い当れないエリにも否はあるかもしれないが、それにしたってこの対応はあまりにも酷いではないか。言わなきゃ分からないし、謝らせてもくれないなんて。スリザリンとのクィディッチ戦では、セブルスへの怒りをぶつけるようにしてスリザリンを打ち負かした。ハッフルパフがスリザリンに勝った事など、いったい何年ぶりだった事だろう。
 怒りの期間が収まると、次は不安が込み上げてきた。このまま、セブルスとの仲は壊れてしまうのだろうか。そもそも、一ヶ月も授業以外で口を利かないような状態が続いていて、果たして今も恋人と言えるのだろうか。
『手紙も何も書かかず、帰って来ても大して会おうとしなかったのに?』
 かつての友達の言葉が、脳裏に蘇る。
 ホグワーツに電話はない。まさか、マグルにふくろうを送る訳にはいかない。会えなくても、連絡を取れなくても、友達だと思っていた。恋人だと思っていた。
 そう思っていたのは、エリだけだった。彼らの方は、もうとっくに自然消滅していると認識していた。
 ――セブルスも、同じなのだろうか。
 教師と生徒と言う立場である以上、会いはするが、あくまでも授業のみ。顔は合わせているのに会話が無いと言う状況は、物理的に距離が離れてしまった彼らの時以上に、心は離れてしまっているようにも思えた。

 マーチバンクス教授の「試験終了です。大鍋から離れてください」と言う声で、大広間には試験終了後特有の安堵と諦めと落胆の入り交ざった空気が流れた。
「エリ、どうだった?」
 玄関ホールへと出るところで、ハンナが後を追って来てエリに尋ねた。エリはニッと笑ってVサインする。
「結構出来たかも。Oをとれるかは分からないけれど……」
「本当に? ああ、私も補習を受ければ良かったかしら……。エリは、明日は丸一日空き?」
「いや、午前中にマグル学の試験。ま、これは解答欄一つずつズレるみたいな間違いでもしない限り、大丈夫だろ」
「当たり前じゃない。あなた、マグルの中で生活していたんだから。いいなあ。私もそういう教科取っておけば良かったかしら……」
 ハンナは小さく呻く。スーザンも大広間を出て来て、二人に追いついた。
「この後はどうする? 図書室に行く? それとも談話室?」
「あ。あたし、ちょっと用事が……」
「用事? まさか、試験期間に何か仕掛けるの?」
 スーザンが目を丸くして尋ねる。エリは首を振った。
「いくらあたしでも、そんな無茶な事しないよ。えっと……スネイプ先生の所に、行こうかなって。ずっと魔法薬見てもらってた訳だし……試験終わったから、報告にさ」
「エリにしては珍しく律儀ね。ここ一ヶ月は補習もなかったんでしょう? 試験直前になって投げ出されたって怒ってたじゃない」
「いや、まあ、そうだけど。でもその前の補習が無かったらたぶん、こんなにうまくいかなかったろうし……」
 意外そうに顔を見合わせるハンナとスーザンをその場に残し、エリはハッフルパフ寮とは反対側の階段から地下へと向かった。





 会いに行ったところで、また追い返されるだけかも知れない。セブルスがエリを避ける理由は未だに分かっていないし、理不尽さを感じていないと言えば嘘になる。
 でも、お礼くらいは。セブルスはもしかしたら、エリとの関係を終わらせたいのかも知れない。だから避けているのかも知れない。だけど補習については、あくまでも教師と生徒としての関係だった。そのお礼を言うくらいなら、セブルスも聞いてくれるだろう。
 ほの暗い廊下を奥まで進む。一瞬首がもげているのかと思ってしまうほど腰の曲がった老人の像を通り過ぎ、その奥の通路に入って直ぐの扉の前でエリは立ち止まった。木製の扉には、セブルス・スネイプの文字。彼の研究室だ。ハリーとサラの閉心術訓練を行うようになってからは、こちらにいる事の方が多くなっていた。教室よりは、研究室の方が他の生徒が来る可能性が低い。人目を避け、閉心術の訓練をこちらで行っていたためだろう。
 ゆっくりと深呼吸し、エリはコンコンと礼儀正しく扉をノックした。
 静寂の中、自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。そもそも、今ここにいる確信はない。他の学年の生徒だって、授業が終わった後だ。まだ教室の方にいるかも知れない。あるいは職員室かも。
 幽かに物音が聞こえ、目の前の扉が開いた。エリは身を固くして部屋の主を見上げる。セブルスは、来訪者がエリだと分かり硬直していた。
「あ……やあ、セブルス、その、久しぶり」
「……今朝も朝食の席にいたと思うが?」
「いや、でも、ほら。こうやって話す事って、しばらくなかったなーって」
 セブルスは答えない。視線は足元に落ち、エリを見てはいなかった。
「……何か用か?」
 尋ねながら、セブルスの手は扉の取っ手へと伸びる。それに気付き、エリは咄嗟に扉の淵を掴んで閉じられないように身体を割り込ませた。
「今日、魔法薬学の試験だったから! お礼! 言おうと思って!」
 セブルスの黒い瞳が、エリを見つめる。驚いている時の顔だった。
「お礼……?」
「そう! あたし、たぶん、今日の試験、結構出来たと思う。セブルスが教えてくれたおかげで……だから、ちゃんとお礼言わなきゃって」
 エリは、セブルスの瞳を真正面から見つめ返す。いつも見透かすようにエリを見つめ返してくる双眸は、何かを迷うように揺れていた。
「君は……我輩に、怒っていたのではないのか」
「……へ?」
 エリはポカンと目を瞬く。
 怒っていたのは、むしろセブルスの方ではないのか。
「君は関係ない。生まれついた顔など、どうしようもない事だ。分かっているのに、君に八つ当たりのような真似をしてしまって……」
「え……ちょっと待って、え……? 何の話?」
「クィディッチの試合……スリザリンに向けていたあの荒々しいプレイは、我輩に対する怒りによるものだろう」
「あ、うん、まあ、それはそうだけど……だって、当たり前だろ。なんで避けられるのか全然分かんねーし、何かやっちゃったなら謝りたいのに、口も効いてくれないし……!」
 話していると、フツフツとまた怒りが湧いてきた。
 いったいどうして口も効いてくれないのか。分からなければ、謝りようもない。エリの怒りにすら気付いていながら、それでも避け続けていたと言うのか。
「顔も見たくないとまで言われるような事、いったい何をしたって言うんだ!?」
「……何も、していない」
「……え?」
 セブルスは、バツが悪そうに視線をそらした。
「エリは、何もしていない。何も悪くない。……君の顔を見るとブラックを思い出すから、見たくなかった」
「……は?」
 エリはセブルスをまじまじと見つめる。エリよりずっと年上で、頭も良くて、魔法や調合の腕も確かで。時折遠い存在にさえ感じる、大人の魔法使い。しかし今目の前にいるのは、まるで駄々を捏ねて叱られた子供のようだった。
「まあ、確かにあたし、母さんより親父似なのかもしれないけどさ……顔なんて、これまでだって見てたよね? なんで、急に……」
 セブルスは黙したまま、扉から手を放す。背を向け、部屋の奥へと向かうセブルスの後に続き、エリも部屋へと入った。
 扉が閉まると同時にセブルスが杖を振り、ガチャリと鍵の閉まる音がする。
「……ポッターやシャノンから、話を聞いたか?」
「何の話?」
 エリは困惑して尋ね返す。ここ一ヶ月の事を必死に思い起こしてみるが、ハリーやサラから何か大切な話を聞いた覚えなどなかった。
 セブルスは大股でエリの元へと歩み寄ると、エリの両肩に手を置きのぞき込むようにして問うた。
「本当に、聞いていないんだな?」
「えっ、え……ご、ごめん。何の話だか……」
 間近に迫る顔にドギマギしながら、エリは答える。セブルスは頭を下げ、ふーっと長い溜息を吐く。その顔は見えなくなったが、手はエリの肩に置かれたままだった。
「あの……えっと、セブルス……?」
「……すまない」
 ぼそりと消え入りそうな声でセブルスがつぶやいた。やはり顔は下げたままだった。
「えーと、ごめん。全然話が見えてこないんだけど……とにかく、セブルスは怒ってあたしを避けていた訳じゃないんだな? なんでか知らないけど、急に親父への憎しみを募らせて、顔が似ているあたしの事も見たくなかった、と……?」
「……そんなところだ」
 セブルスは身を起こす。ようやく、セブルスの手がエリの肩から離れた。
「エリも、うんざりだろう……もし、君が嫌だと言うなら――」
「良かったぁ……」
 エリはホッと息を吐く。急に全身の力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになる。セブルスが咄嗟にエリの身体を支えた。
「大丈夫か?」
「ああ、ごめんごめん。大丈夫……ホッとしちゃって。ずっと、セブルスに嫌われたんだと思ってたから……顔が似てるからやっぱり嫌いなんて事はないよな?」
「我輩が君を嫌いになる事など、あるものか。エリはエリだ……分かっていたつもりだったのだが。……え、ほ、本当にすまない」
 エリの瞳から流れる涙を見て、珍しくセブルスは焦りの色を露わにする。エリは笑った。
「嬉しくても、涙って出るんだな」
「……嬉しい、のか?」
「うん。もしかしたら、セブルスは別れたいのかなとか思ってたから。違って、良かった」
 セブルスは驚いたようにエリを見つめていたが、それから急に暗い顔になった。
「君は……どうして、そんなに我輩の事を想える? うんざりしないのか? ブラックの事を引きずって、関係の無い君に当たって……。なのに君は、理由も聞かずに、ただ良かったなどと……我輩にそこまでの価値があるか? どうして我輩なんだ? 顔が良い訳でもない、人気がある訳でもない、ユーモアなど知らん、クィディッチが上手い訳でもない、純血でもない、知性や魔法なら劣らぬと自負はしているが奴らだって――」
「ごめん、奴らって誰?」
 セブルスはハッと我に返ったように口をつぐむ。
 以前にも、こんな事があった。普段なら絶対にしないだろうに、エリの頭を撫でたりして。自分が何をしているのか分かっていなかったに違いない。
 セブルスは、昔のようにヴォルデモートの元にスパイとして潜り込んでいるのではないかと騎士団の中で噂されている。もしその噂が事実なら、きっとその心労は計り知れない事だろう。
 急にシリウスとの事でエリの顔を見たくなくなったのだって、何かあったに違いない。騎士団の任務でシリウスと顔を合わせて、また喧嘩でもしたのだろうか。セブルスもお互い様なのでどちらかの肩を持つ事は出来ないが、シリウスはセブルスに容赦無い。自分を卑下してしまうほど、何か古傷を抉られでもしたのだろうか。
「あのさ。あたし、別に、頭の良さとか、強さとか、そんなんでセブルスを好きになった訳じゃないよ。もちろん、血筋とか他の人がどう思ってるかなんて、どうでもいい」
 エリはセブルスを真っ直ぐに見つめ返す。
「なんで好きになったのかなんて、自分でもはっきりこれが理由ですなんて言えないけどさ。嫌味だったり、生徒によって対応変えたり、顔が似てるからってあたしとかハリーに父親の事重ねたり、どうしようもないところもあるけど、でも、ちゃんと話を聞いてくれたり、生徒に憎まれたり自分にも苦労振りかかったりしてでも割と真面目に授業の事考えてたり、いざって時には守ってくれたり……誰かと比べたりしなくたって、セブルスにも良いところはたくさんあるんだよ。駄目なところだって、憎めないって言うか……何て言えばいいんだろ。可愛いもちょっと違うし……でも、まあ、それも含めてセブルスだなって思う。あたし、そのままのセブルスが大好き!」
 照れ臭さを誤魔化すように、エリは笑う。セブルスは、呆然とエリを見つめていた。
「何か、恥ずかしいな、こう言うの。改めて告白したみたい。
 まあ、そう言う事だからさ、セブルスがあたしを嫌う事なんて無いって言ってくれたように、あたしだってセブルスを嫌う事なんて無いよ。何があったとしても、絶対に。
 そりゃ、何かあったら話を聞きたい、説明してほしいって気持ちが無い訳じゃないけど……でも、話せない事だってあるんだろなってのは理解してるし、それでセブルスを責めるつもりなんてない。あたしだって散々甘えて支えてもらって来たんだからさ、セブルスもあたしには甘えちゃってよ。他に甘えられるような相手なんていないでしょ?」
 セブルスはじっとエリを見つめていたが、再び深々と頭を下げた。
「本当に、君には申し訳ない事をした……」
「えっ。いや、だから、それはもういいって!」
「我輩の気が済まない。完全に八つ当たりだった。なのに、君は理由を深く聞くこともせず……どうすれば許してもらえるだろうか」
「いや、もう許してるって……」
 エリは「あ」と声を上げた。
「えーっと。じゃあ、どうしてもお詫びに何かしなきゃ気が済まないって言うなら……一つだけ、お願いしてもいい?」
 セブルスは表情を引き締め、うなずく。
 エリは言った。
「親父と――シリウス・ブラックと、仲直りしてくれないかな」
 セブルスは、見るからに嫌そうな顔をしていた。エリは慌てて言い直す。
「いや、仲良くしろとまで言うつもりはないんだ――ただ、父親と認めてくれたらなって。ケイタ・モリイも、シリウス・ブラックも、あたしにとっては両方とも父親なんだよ。やっぱり、親にはちゃんと認めてもらいたいって思うじゃん?」
 エリは苦笑する。
 こんな「お願い」、セブルスは良しとしないだろう。そもそも、シリウスと何かあってエリを避けていたぐらいだと言うのに。でも一つだけ、叶う叶わないは別として、本心を、我儘を言わせてもらえるならば。
「まあ、無理にとは言わないよ。ただ、あたしにとってはどっちも大切なんだって事は、知っていてくれればそれで――」
「分かった」
「え」
 エリは目をパチクリさせる。
 セブルスはやはり忌々し気ではあったが、渋々と言った。
「正直、クリスマス休暇の時の事については、我輩も大人げなかったと思っている。エリはどう思っていたのか……ずっと、気になっていた。それが君の望みなら、我輩も善処しよう」
「え……ほ、本当に? 大丈夫? 無理はしなくていいんだよ?」
「我輩のせいで君が大事にしている関係性を壊すような事はしたくない。夏休みに入ったら、またあの家へ帰るのだろう? その時に、改めて奴にも挨拶をしよう」
「……うん! ありがとう、セブルス」
 例えセブルスがシリウスをエリの父親として認めたところで、シリウスは簡単には首を縦に振らないだろう。また喧嘩になるかもしれない。
 でも、それでもエリは心から嬉しい気持ちでいっぱいだった。

 ――ただただ、夏が来て再びシリウスとセブルスが対面するのを心待ちにしていた。


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2017/12/17