真夜中の襲撃があった翌日、アンブリッジがサラの前に現れたのは、魔法史の試験が終わった後の事だった。
「ミス・シャノン? わたくしの部屋へ来ていただけるかしら?」
アンブリッジは、薄気味悪い程の猫撫で声で言った。
昨晩何があったかについては、既にリサから聞いていた。きっとアンブリッジは、ハリーかサラが関与していると思う事だろう。そして同時刻、サラが試験を早退していた事を知ったら、疑わぬはずがない事は、サラ自身も同意だった。
「でも――」
サラは、ロンとハーマイオニーを振り返りながら言う。
試験の途中、ハリーは悲鳴を上げて床に倒れた。そのまま試験を途中退場した彼を、これから探しに行くところだった。
「行った方がいいわ、サラ。ハリーの事は、私達に任せて」
ハーマイオニーはアンブリッジに聞こえぬように囁く。ロンも同意するようにうなずいた。
正直なところ、今はアンブリッジどころではなかった。何も、今でなくても良いのに。
ヴォルデモートが神秘部の扉を開けた。シリウスが捕まり、拷問を受けている。しかし、アンブリッジの前でそれを話す事は出来ない。
ハリーは間違いなく、シリウスを助けに行こうとするだろう。サラも、今にもホグワーツを飛び出したい気持ちでいっぱいだった。……でも。
「――彼を止めて。嫌な予感がしてならないの」
詳細を省いたお願いだったが、ハーマイオニーは強くうなずいた。
「分かったわ」
「ミス・シャノン?」
「ええ……はい、今、行きます」
サラは鞄の取っ手をギュッと握りしめ、アンブリッジの後に従った。
大丈夫――何も、問題ない。彼女は何も証拠を掴んでいない。追及の想定と返答の用意は、十分に行った。――日記への書き込みで会話した、リサ・シャノンと。
No.66
「さて、ミス・シャノン。どうして呼ばれたのかは、もちろん理解している事でしょうね?」
部屋に着くなり、アンブリッジは奥に置かれた机の椅子に座り、ニタニタと嫌な笑顔を浮かべて尋ねた。
「いいえ」
サラは無表情で答える。
「あら、そうですか? では、思い出させて差し上げましょう。昨晩、あなたは天文学の試験を途中で退室したと聞きました。それはいったい何のためだったのかしらね?」
「気分が優れなかったためです。トフティ教授からお聞きになっていませんか?」
「天文塔を抜け出したあなたは、いったいどこへ行っていたのかしら?」
アンブリッジは無視して続けた。
「昨晩、とても不思議な事がありましたのよ。わたくしは、部下と共にハグリッドの所へと向かっていました。彼への魔法省からの正式な通知を届けるためにね。そこで、攻撃を受けたのです。わたくし達とハグリッドの他は、誰もいないのに――」
リサは、攻撃はしていないと言っていた。ハグリッドを攻撃していたのは、アンブリッジ達の方だと。仕返しに呪いを撃とうとしたが、ハグリッドに止められたと。アンブリッジらがハグリッドを攻撃したと言う話は、ハリー達から聞いた話とも一致していた。
ハリー達が気付かず、リサが伏せていただけで、一発か二発、やり返していたのだろうか。それとも、アンブリッジが大げさに言っているだけなのだろうか。
どちらにせよ、リサに操られていた間の記憶がないサラには、何も分からない事だった。
「あくまでもしらを切るつもりなのね」
困惑顔のサラを見て、アンブリッジは言った。
「もう一度聞きましょう。天文塔を抜け出した後、あなたはどこへ行っていたの?」
「医務室へ向かおうとしたのですが、酷く具合が悪くなって……歩けなくて、近くの空き教室で休んでいました。視界もグルグル回ってブラックアウトしそうになっていたので、どこの教室だったかまでは……。教室の外から声が聞こえて、試験が終わったのだと思って、誰かに手を借りようと教室を出ましたが、倒れてしまって……気付いたら医務室にいました」
サラの記憶は、試験中で途切れていた。気が付いたら医務室にいたのだ。
ハグリッドへの攻撃に憤ったリサは、親友を助けるべく、サラの身体を乗っ取った。透明マントを被って、ホグズミードの自宅からリサ自身の古い箒を呼び寄せて、校庭へと向かった。
『ごめん……本当に悪い事をしたと思ってる。君の身体を勝手に使ったりして……でも、どうしても許せなかったんだ。助けずにはいられなかった……校庭の様子は、君を通して私も認識していたから……ハグリッドに、ミネルバに、あんな仕打ちをするなんて……』
『謝らないで。私、おばあちゃんの事を怒ってなんていないわ。当然の事よ。おばあちゃんが乗っ取らなかったら、私が自分で暴れ出していたわ』
『我が孫ながら、おっかないな。――それじゃあ、昨晩サラを乗っ取った後の事を、順を追って説明するね』
サラは目を瞬く。そして、日記に書き込んだ。
『日記の中に引き込んで見せてくれる訳じゃないの? 今も、ずっと文字で――外へは出て来ないの?』
『昨晩で力を使い切ってしまったんだ。しばらくは、文字だけのやり取りにさせてくれるかな』
白いページに浮かんだ文字はすうっと光り、消えて行った。
試験官には体調不良だと告げたらしいが、当然、医務室へなんて向かっていない。アンブリッジの事だ。その時間、そこにサラがいなかった事は、既に調べ上げている事だろう。リサと相談して作り上げた話だった。
サラにアリバイは無い。しかし話の筋は通っていて、嘘を吐いていると断定できる証拠も無い。
アンブリッジは苦々し気な表情を浮かべる。サラが「真っ直ぐ医務室に向かった」と偽証するのを期待していたのだろう。
「わたくしは声を聞きました」
アンブリッジは「これならどうだ」とばかりに言った。
「『久しぶりだね、ドローレス』と――あなたによく似た声でした――」
「私に? ――つまり先生は、私がその場にいて、先生を攻撃し、お名前を呼んだと、そうおっしゃるのですか? 『アンブリッジ先生』?」
サラは目を瞬いて畳みかけるように尋ねる。
サラならば、頼まれたってアンブリッジを「ドローレス」と呼んだりはしないだろう。
「そう聞こえましたか? もしかしたら、『あなた』ではないかもしれませんね……そうそう、あなたのおばあ様も、私の事を『ドローレス』と呼んでいたのですよ」
「……祖母は……九年前に……」
「死喰人に殺された。そう言われていますね。でも、それを目撃したのはあなただけ。その前にも、彼女は亡くなったと思われていました。あなたと二人、『例のあの人』に殺されたのだと。しかし、実際には逃げおおせていた。もし、九年前の件も事実とは異なるとしたら……亡くなっていると思われている人物、ダンブルドアの手駒としても便利な事でしょう……」
「……おばあちゃんが、生きているかもしれない?」
サラは目を見開き、アンブリッジを見上げる。
今回ばかりは、驚くふりなどではなかった。考えてもみなかった。昨晩現れたのは、サラの身体を乗っ取ったリサだ。
とは言え、本体のリサが生きていないだなんて、どうして断定できる? 日記が残っていたりもしたのだ。もし、もし生きているなら――
「で、でも……遺体が確認されたと言うお話も……」
「ええ。魔法省のバッジをルシウス・マルフォイが確認しました。杖も彼女の物と一致。でも、顔は判別できる状態ではなかった――」
「――ルシウス・マルフォイが?」
サラの声がひやりと冷たいものになる。アンブリッジは一瞬、気圧されたような表情を見せたが、取り繕うようにツンとした声で言った。
「え、ええ。つまり、もし、彼女が生きていて、ダンブルドアに手を貸しているのであるとすれば――」
サラはもう、アンブリッジの話など聞いていなかった。
死体の確認をしたのは、ルシウス・マルフォイ。リサに死の呪文を放った当人だ。嘘を吐くことも容易なのではないか?
――何のために? サラは確かに、緑の閃光が彼女に当たるのを見た。
でも、死体の顔は判別できない状態だったそうではないか。生きている可能性がゼロだなんて、どうしてそう言える?
――生きているなら、どうして隠す必要がある? どうしてサラをあの家に置き去りにした? ヴォルデモートは、もういないのに。
本当は分かっているのではないのか? 彼女は、もう――
「ミス・シャノン。あなた、リサ・シャノンの居場所を知らないかしら?」
――祖母は、死にました。
その言葉を口にする事は、サラには出来なかった。
「……生きているなら、会いたいです。おばあちゃんが何処にいるのか、知りたいです……」
今にも泣きだしてしまいそうだった。涙が零れそうになるのを何とか堪え、震える声でサラは答えた。
ドンドンと言うノックの音に、サラへの尋問は途絶えた。アンブリッジは忌々し気に扉を見やる。
「入りなさい」
恐る恐る扉が開き、緊張した面持ちで入って来たのは、ロンだった。
「ミス・シャノンとのお話なら、まだ終わりませんよ。彼女にはまだ、聞きたい事が――」
「あ、いえ……えーと。大変なんです! ピーブズが、『変身術』の教室をぶち壊していて……」
上手な嘘とは言えなかった。アンブリッジは、ロンがサラを解放するために嘘を吐いたと思う事だろう。
そしてサラは急に、ハリーと夢で見たシリウスの事を思い出した。
ロンがわざわざ来たと言う事は、何かあったのだろうか。クリスマスに見た夢は、事実だった。もし今回もあの時と同じなら、シリウスが危ない。事態は一刻を争うのは確かだ。アンブリッジなんかに構っている場合ではない。
どうにか、ロンをフォローしてこの場を立ち去らねば。証拠は無い。アンブリッジも、サラをこれ以上引き留める手立てなどないはずだ。
「あの――」
「そう。直ぐに行きましょう」
あっさりと言ったアンブリッジに、サラは目をパチクリさせる。ロンは深刻そうな表情を作り、コクコクとうなずいていた。
「さあ、サラ・シャノン、お話は終わりです。お帰りなさい」
「え……あ、はい……」
サラはロンと共に部屋を出る。部屋を離れながら振り返ると、アンブリッジも出て来て扉に施錠しているところだった。
アンブリッジの目が届かない所まで離れ、サラとロンは近くの空き教室へと入った。
「それで? ロン、ハリーの方はいったいどうなったの?」
「どうしたもこうしたも。なんで言ってくれなかったんだ? シリウスが『例のあの人』に捕まったなんて!」
サラは「しーっ」と人差し指を立てる。
「言えるはずないじゃない。アンブリッジがいたのよ? ハリーはやっぱり、助けに行くって?」
「うん。今すぐ魔法省に行こうって聞かなくて――でも、大丈夫だ、うん。サラに頼まれた通り、止めてみせた」
ロンは少し得意げに言った。
「まずはシリウスがグリモールド・プレイスに本当にいないのか確認しようって事になったんだ。そこにいれば、ハリーが見たのはただの夢だ。危険を冒して魔法省に行く必要なんてなくなるだろ?」
恐らく、それを考えついたのはハーマイオニーだろう。
「でも、グリモールド・プレイスになんてどうやって連絡を取るの? ふくろうは検閲対象だし、ホグワーツには電話なんてないし、暖炉も――まさか」
そこまで言って、サラはロンを見上げる。ロンはうなずいた。
「もう一度、アンブリッジの部屋の暖炉を使わせてもらうんだ。ジニーとルーナも協力してくれて、あの廊下から人払いしてる。僕たちが出た時も、誰も通らなかっただろ? ハリーとハーマイオニーが透明マントで忍び込んで――」
「エクスパルソ!!」
突然の呪文を唱える声に、サラはロンを突き飛ばした。
強い衝撃を受け、サラは窓際まで吹き飛ばされる。
「サラ!!」
「教室を破壊する気!?」
「これぐらいしなきゃ、あいつは仕留められないだろ!」
杖を取り出す間もなく、強い力で床に押さえ付けられる。ワリントンがサラに覆いかぶさるようにして杖を突き付けていた。
「目を塞ぐのよ! 彼女は杖なしでも魔法を使えるわ!」
パンジーの叫ぶ声がして、眼前に迫るワリントンの顔は闇の向こうに消え去った。布がサラの目を覆うようにして巻き付けられていた。
「――こいつ!」
鈍い音がして、ワリントンがサラから離れた。ロンが殴り掛かったようだ。
しかし不意打ちの二対一では勝ち目もなく、サラとロンは二人に拘束され、再びアンブリッジの部屋へと戻る事となった。
最後の試験を終えたエリは、セブルスの研究室へと来ていた。
「今日で試験も終わったのではないのか」
慣れた手付きで二人分の紅茶を用意するエリに、セブルスは尋ねた。
「終わったよー。他の学年の試験は先週で終わってるだろ? セブルスも、そろそろ採点終わって出入りして大丈夫な頃かなーと思ってさ。ほら、夏の予定とか、聞いておきたいし」
エリはセブルスの机にティーカップを置き、自分も机の前に置かれたソファに座る。
セブルスは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「奴への挨拶の話か……。すると、エリは夏休みもあの家か?」
「たぶんね。だって、サラがいるし。母さんも、隠れた方が良いんだろ? そしたらやっぱ、騎士団のアジトにもなってるあの家じゃないかな。セブルスは、いつなら来られそう?」
「――現時点では、はっきりとは分からん。状況によって変わる。立ち寄った時に急遽、と言う事になるだろう」
「あー……そっかあ……ダンブルドアはともかく、ヴォルデモートがここって決めたお休みくれたりはしなさそうだもんなあ……」
セブルスは、ギクリとエリを見つめる。
「その名前を軽々しく口にするな。……誰から聞いた?」
「皆噂してるよ。セブルスは、スパイの任務に就いてるんだろうって。それじゃ、本当なんだ?」
「君が知る必要はない」
「はいはい」
気難しく突っぱねるセブルスに、エリは軽く返す。
任務に関しては、何を言ったって彼がエリに仔細を話す事はないだろう。エリも、不用意に詮索して彼の任務に支障を来す事はしたくない。
「――そう言えば、今朝、マーチバンクス教授と会ったのだが」
「えーと、ふくろうの試験官で来てる人だっけ?」
「そうだ。……ミス・モリイの調合の手際は完璧だったと、言っていた。アー……その……よく、やった」
しんと室内は静まり返る。エリはぽかんと口を開けてセブルスを見つめていた。セブルスは決してエリを見ようとせず、居心地が悪そうに左右に目を泳がせていた。
「わああああああっ!!」
エリは急に叫ぶと、両手で顔を覆いゴロゴロとソファの上をのた打ち回った。びくりとセブルスの肩が揺れる。
「な、何事だ」
「ウッソ! 今! 褒めた? セブルスが? 褒めた!?」
エリはピタリと回転を止めると、がばっと起き上がり目を輝かせてセブルスを見上げた。
「もっかい! もう一回言って! 頭撫でてもいいよ! あ、何なら、スリザリン以外相手に点数入れちゃう!? ミス・モリイが叩き出した素晴らしい魔法薬学の成績を祝して、ハッフルパフに百てーん!!」
「やかましい」
セブルスはバサリと切り捨てると、紅茶を一気に飲み干し、そのままティーカップを流しへと持って行く。いつもは、エリに任せているし、何なら杖一振りできれいにして片付けられるだろうに。
猫背気味な後姿を、エリはニヤニヤと見つめる。顔が綻んで仕方がなかった。
「ところでエリは、薬草学の方の成績はどうなんだ」
ガチャガチャと乱雑にティーカップを洗いながら、セブルスは尋ねた。
「薬草学? うーん……まあまあかなあ……。なんで?」
「ノクターン横丁に、我輩がよく行く店がある――位置としてはノクターン横丁だが、ダイアゴン横丁から入って二、三メートル程度の場所だ。その程度の出入りなら、そう危険でもないだろう。恐らく、そろそろ卒業後の進路も考え出しているだろうと思うが……薬草を取り扱う店には、興味は無いかね? 主に魔法薬の材料だ。君の成績なら、問題ないだろう」
ティーカップ一つに随分と長い洗い物を終え、セブルスは振り返る。
「あー……なるほど……そう言う手もあったか……」
「進路指導があったと思うが、何か目指している職などはあるのか?」
「うーん……進路とか言われても、イマイチまだイメージ湧かなくて……好きな事って言ったらクィディッチだけど、選手になれるかって言うと厳しいってのはさすがにあたしでも分かってるし、かと言って別に運営やりたい訳でもないし……」
「去年、大々的に三校合同のクィディッチ大会を催していなかったか?」
「スプラウト先生にも言われたけどさ、あれ、ただクラム誘ったら色々付いて来て大事になっただけなんだって。それはそれで楽しかったけど……あたしさ、ホグワーツで働けないかなーって思っていて」
「ホグワーツで?」
「だって、セブルスは一年のほとんどずっとホグワーツにいるだろ? セブルスがよく来る店ってのも有りだけど、学校なら毎日会えるじゃん」
エリは照れくさいのを誤魔化すようにニッと笑う。
セブルスは袖口で口元を隠し、視線をそらした。
「まったく、君は――」
研究室の扉を叩く音に、エリとセブルスの表情は瞬時に凍った。
エリはパッと立ち上がると、セブルスの机の裏へと飛び込む。セブルスは杖を振り、ソファの前のローテーブルに置かれていたカップは流しへと片付けられる。
「……あたしの声、聞こえちゃってたかな」
「マフリアートくらいかけてある」
ヒソヒソ声の質問には、短い答えが返って来た。「マフリアート」が何なのかは分からないが、とりあえず何か対策は施されていたらしい。
セブルスはエリが机の下に完全に隠れているのを確認すると、扉を開いた。
エリは、机の下の細い隙間から扉の方を伺いみる。セブルスの向こうに隠れてしまって顔は見えなかったが、何か素晴らしいおもちゃでも見つけたように弾んだ声は、マルフォイのものだった。
「スネイプ先生。アンブリッジ校長がお呼びです」
「――すぐに行こう。何かあったのかね?」
部屋を出ながら、セブルスは問う。マルフォイは興奮気味だった。
「ポッターを捕らえたんです。グレンジャーや他の仲間も一緒です。校長の部屋の暖炉から、誰かに連絡を――」
バタンと扉が閉まり、マルフォイの言葉は途中で途切れた。エリは、机の下から急いで這い出る。
「……大変だ」
校長の部屋とは、もちろん校長室ではなくアンブリッジの部屋の事だろう。ダンブルドアがいなくなった後、校長室を守るガーゴイル像は頑としてアンブリッジを受け入れず、その入口を固く閉ざしていた。
セブルスとマルフォイに追い付き過ぎないように注意しながら、エリはアンブリッジの部屋へと向かう。扉は当然閉められていたが、フレッドとジョージから「伸び耳」を譲り受けていたエリには関係なかった。扉があらゆる侵入に対策されているのは確認済みだが、「音を拾う」事に対しては抜けていたらしい。室内の会話は、はっきりと盗み聞きする事が出来た。
話を総合すると、どうやらアンブリッジは、ハリーに飲ませる真実薬を得るためにセブルスを呼び出したらしい。しかしセブルスは、のらりくらりとアンブリッジの追及をかわし、彼女の手に真実薬が渡るのを防いでいた。研究室の棚に在庫があるのを見た気がするが、セブルスは以前アンブリッジに渡したので全てだと言い張っていた。
「――あなたは停職です!」
アンブリッジの一際大きな金切り声に、エリは伸び耳から顔を話した。その状態でも、彼女の声は聞こえるほどだった。
「あなたはわざと手伝おうとしないのです! もっとマシかと思ったのに。ルシウス・マルフォイが、いつもあなたの事をとても高く評価していたのに! さあ、わたくしの部屋から出て行って!」
「……おっと、やべ」
エリは伸び耳を引き、回収する。伸び耳の先が廊下から消えエリのいる隣の教室に収まったと同時に、アンブリッジの部屋の扉が開き、伸び耳を通さない叫び声が聞こえてきた。
「あの人がパッドフットを捕まえた! あれが隠されている場所で、あの人がパッドフットを捕まえた!」
「……え?」
エリは、扉を細く開けて、アンブリッジの部屋の方を覗く。ハリーの声だった。
あの人がパッドフットを捕まえた――シリウスが捕まった? あの人――まさか、例のあの人? ヴォルデモートに?
何が起こっているのか分からなかった。シリウスは、グリモールド・プレイスにいるはずではないのか。ダンブルドアが、シリウスがそこから出るのを許さなかったはずだ。ナミだっている。シリウスが魔法を使えば、ナミでは敵わないかもしれないが、それでも監視の目が全くないと言う訳ではない。シリウスが抜け出したのなら、セブルスだってあんなにのんびりと過ごしてはいなかっただろう。
そもそも、ハリーはどうやってそれを知ったのか。アンブリッジの暖炉から――まさか、グリモールド・プレイスに?
ぴしゃりとアンブリッジの部屋の扉が閉められる。セブルスはマントを翻すと、反対方向へと廊下を駆けて行く。それを追い駆け、アンブリッジの部屋の前まで来た所で、扉の向こうから悲鳴が聞こえた。
「やめてーっ!」
ハーマイオニーの声だ。いつもの彼女とは思えない悲痛な叫び声は、エリの足を止めるには十分だった。
「やめて――ハリー――白状しないといけないわ!」
エリは扉を見て、セブルスが去って行った廊下の先を見る。
シリウスが捕まった。そう、ハリーは言っていた。セブルスは確認に向かったのだろう。エリも行きたい。シリウスの無事を確認したい。
でも、ハリー達も見捨てる訳にはいかない。
(大丈夫だ……セブルスなら、きっと)
セブルスなら、きっとどうにかしてくれる。例えシリウスが捕まっていたとしても、彼なら助けてくれる。
彼がシリウスを助けるなら、自分は――
エリは、アンブリッジの部屋へと向き直った。
部屋の中は、乱闘騒ぎだった。赤や青の光線が飛び交う。壁に掛けられた皿は落ちて割れ、ピンク色のカーテンは引き裂かれ、窓は砕ける。ソファの陰に隠れたアリスの頭上を、誰が放ったのか分からない赤い閃光が通り抜けて行った。
ハリーとハーマイオニーがアンブリッジに連れられて部屋を出て行った後、エリが部屋へと飛び込んで来た。戸口から一番近い場所にいたスリザリン生に殴り掛かり、ジニーが解放された。エリを狙うドラコにジニーがコウモリ鼻糞の呪いを掛け――後はもう、てんやわんやだった。
アリスのそばで一人抵抗せずぼんやりと窓の外を眺めているだけだったルーナが、突然走り出した。全員が、解放されたのだ。
「行くぞ!」
ロンが叫ぶ。まだ動ける尋問官親衛隊の面々は、捕らえようと呪文を放つ。
「インペディメンタ!」
ネビルの呪文が、スリザリン生達に当たった。強い衝撃に彼らは吹っ飛ばされ、倒れる。起き上がり追おうとするも、到底彼らを止められるような速さではなかった。
――待って。
行ってしまう。サラ、エリ、ロン、ネビル、ジニー、ルーナ。六人は、アンブリッジの部屋を出て行こうとしている。
尋問官親衛隊の中、動けるのは、アリスだけだった。
シリウスが捕まった。ハリーとハーマイオニーはアンブリッジと共に、禁じられた森だ。尋問官親衛隊の中、まだ攻撃を受けず無傷なのはアリスだけ。きっと、サラ達がアリスは攻撃して来ないと信用してくれたからだ。
アリスは今、どうすれば良い?
彼らと共にシリウスを助けに行ったならば、それはスリザリンやアンブリッジへの裏切りとなるだろう。スリザリンにいながら、冷たい視線を浴び続ける事になる。
ここにいれば、スリザリンでの地位が悪くなる事はないだろう。失敗の大目玉は食らっても、それはドラコ達も同じ事。
でも、シリウスが捕まったと聞きながらそれでも「スパイだから」と親衛隊に残り続けるアリスを、サラ達はどう思うだろう? 仕方ないと思うだろうか。それとも、アリスが口ばかりで実際には自分の立場を守る事しか考えていない事に気付いてしまうだろうか。
行ってしまう。
――選択の時は、来た。
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2018/03/03