『最近書き込みが無いと思ったら……まったく無茶をするね、君は。でも、無事で良かったよ。犠牲は大きかったけれど、ヴォルデモート卿の存在を魔法省にも認識させる事が出来た。それは大きな成果だろうね』
「ええ……そうね」
 神秘部の戦いがあってから、サラは祖母の日記への書き込みをしていなかった。書こうとしても何を話して良いか分からず、神秘部の事、更にはシリウスの事を話す気には到底なれなかった。
 ホグワーツ特急で学校を離れる日の朝、サラはようやく、リサに神秘部での戦いの事を話した。
『つらかったろうね』
 躊躇いがちに、白紙に浮かび上がった短い一文。これまで何人もに掛けられて来た言葉だったが、不思議と知らない人々に掛けられた時とは違う感情が胸の奥にうずいた。
『無理はしなくていい。私には、いくらでも弱みを見せて、甘えてくれていいんだよ。きっと君の事を一番解ってあげられるのは、私だろうから』
「ありがとう。でも、もう大丈夫」
 綴った言葉は、嘘ではなかった。
「シリウスの死は悲しい事よ。今でも嘘だったならって思ってるし、おばあちゃんみたいに彼ともこうしてまた話せれば良いのにとも思う。
 でも、私はもう、独りじゃないから」
「サラー、まだ準備が終わらないの? もう皆、ホグズミード駅に向かってるわよ!」
「今行くわ! ――じゃあ、またね。おばあちゃん」
 廊下の方から聞こえて来たハーマイオニーの声に応え、サラは日記を鞄の中へとしまい込み寝室を出て行った。





No.76





 帰りのホグワーツ特急は、ハリー、ロン、ハーマイオニー、それからジニー、ネビル、ルーナの神秘部参戦組が一緒だった。彼らと汽車の席を共にしなかったのは去年の二回だけのはずだが、最後に一緒に座っていたのがもう何年も昔の事のように感じられた。ハーマイオニーは日刊予言者新聞を読み上げ、サラはトイレに立ったハリーの代わりにロンとチェスをしていた。
「そう言えば、DAってもう終わりになっちゃうのかな?」
 アンブリッジがホグワーツの教授職を降りた記事が読み上げられた時、唐突にネビルが言った。
「だって、アンブリッジの授業だとちゃんと呪文を学ぶ事が出来ないからって理由で始まったんだよね?」
 伺うようにネビルはハーマイオニーを見る。ハーマイオニーは新聞を畳みながらうなずいた。
「そうね。もっとも、この科目は呪われてるって噂だから、何とか就いてくれたのがまともな人じゃなかった、なんて事になれば話は別でしょうけど……」
「ネビルはまたやりたいの? ――チェックメイト。ハリー、遅いな。『出』が悪いのかな」
「下品よ、ロン」
 サラは弾き出されたクイーンを拾って片付けながら、顔をしかめた。
「でも、そうね。私も同じ気持ち」
「ハリーが大きい方だって?」
「ネビルの話よ。守護霊の呪文を練習している途中で乱入されちゃって、そのままじゃない? 私も使えるようになりたいし……」
「あら! サラ、まだ守護霊の呪文を使えるようになってなかったの?」
 ハーマイオニーが目を丸くしてサラを見た。その隣で、ネビルが肩を落とす。
「僕もだよ。盾の呪文は使えるようになったのに……」
「とっても高度な呪文だもの、悲観する事じゃないわ」
 ハーマイオニーは慌てて言った。
「でも、エリは使えるようになってた。大きな、あれは……犬かな? 直ぐ消えちゃったけど」
 ネビルの言葉に、ロン、ハーマイオニー、ジニーがサラを見た。ネビルもルーナも、彼が未登録のアニメーガスだった事までは知らない。
 サラは微笑んだ。
「そう……たぶん、犬で合ってると思うわ」
 守護霊。吸魂鬼や闇の魔術から、術者を護る存在。ハリーの守護霊は牡鹿、エリの守護霊は犬、サラの守護霊はいったい何の動物の姿になるのだろうか。サラもアリスも、DAの時間中、杖先から靄の一欠けらすら出る事はなかった。
「こんにちは。車内販売はいかが? かぼちゃジュースにカエルチョコ、百味ビーンズ、激辛ペッパーもありますよ」
 各々がゴソゴソと財布を出し始めたその時、後方の車両からすさまじい量の呪文が飛び交うような音と、大きな衝撃音が聞こえた。一人黙々と『ザ・クィブラー』を読みふけっていたルーナですらも、顔を上げた。
「何かしら?」
 ジニーが眉をひそめてコンパートメントのガラス戸から外の様子を伺う。廊下側の席に座っていたロンが立ち上がった。
「僕、様子を見て来るよ。トイレもあっちの方だろ。ハリーも何か買うかも知れないし」
 しばらくしてハリーと共に帰って来たロンは、隣のコンパートメントでドラコ達による襲撃があった事を明かした。
「でも、連中も間抜けだったな。ダンブルドア軍団のメンバーばかりの車両だったんだ。エリとかアーニーとか……あと、レイブンクローのメンバーもいたな。皆の呪文が集中して一網打尽さ。今は、お仲間のクラッブとゴイルと一緒に、網棚の上でクネクネしてるよ」
「クネクネって、どう言う事?」
 ネビルが首を傾げる。ハリーが軽く肩をすくめて説明した。
「ナメクジの姿になったんだ。どんな呪文が混ざりあったのか分からないけど」
「ナメクジの姿で網棚の上って、自分達じゃ降りられないんじゃない?」
「そんなの、僕達が知った事か? ――あ、おい、ハリー」
 ガラス越しに通路を見て、ロンがハリーを小突いた。ロンが何を見つけたのかは、すぐに分かった。チョウ・チャンが友達のマリエッタ・エッジコムと共に通りかかるところだった。ハリーはガラス戸を振り返り、チョウもこちらを見たが、互いに言葉を掛ける事はなく、チョウは過ぎ去って行った。
「いったい――えー――君と彼女は、どうなってるんだ?」
「どうもなってないよ」
「私――えーと――彼女が今、別な人と付き合ってるって聞いたけど」
「えっ……ハリー、チョウと別れたの?」
 尋ねたサラの脇腹を、ハーマイオニーが肘で突いた。サラは首をすくめる。思わず声を上げてしまったが、確かに今のは単刀直入過ぎたかも知れない。
「抜け出して良かったな、おい。つまりだ、チョウはなかなか可愛いし、まあ色々。だけど君にはもう少し朗らかなのがいい」
「チョウだって、他の誰かだったらきっと明るいんだろ」
 そう答えるハリーは、特に傷付いた様子でもなかった。
「ところでチョウは、今、誰と付き合ってるんだい?」
 ロンがハーマイオニーに尋ねる。
 答えたのは、ジニーだった。
「マイケル・コーナーよ」
「マイケル――だって――だって、お前があいつと付き合ってたじゃないか!」
「もうやめたわ」
 ジニーはきっぱりと言った。
「クィディッチでグリフィンドールがレイブンクローを破ったのが気に入らないって、マイケルったら、物凄く臍を曲げたの。だから私、棄ててやった。そしたら、代わりにチョウを慰めに行ったわ」
「まあね、僕は、あいつがちょっと間抜けだって、ずっとそう思ってたんだ」
 そう話すロンは、嬉しそうだった。
「良かったな。この次は、誰かもっと――良いのを、選べよ」
「そうね、ディーン・トーマスを選んだけど、マシかしら?」
「なんだって!?」
 ロンは前のめりになってチェス盤に手を突いた。到底耐え切れない荷重に、チェス盤は大きな音を立てて引っ繰り返った。

 キングズ・クロス駅へと到着し、ホームへと降りる間際、サラは立ち止まった。
「サラ?」
 汽車を降りようとしないサラを、ハーマイオニーが振り返る。サラは言った。
「さっき読んでいた本、コンパートメントに置いて来ちゃったみたい。先に行っててちょうだい」
 サラはカートを引いて、通路を戻って行く。どのコンパートメントの生徒も既に出払っていて、降車口前に短い列が残っている程度だった。
 無人のコンパートメントの前を通り過ぎ、先ほどまで座っていたコンパートメントの前も通り過ぎ、次の車両へと移る。その車両にはもう、出口前で降車の番を待つ生徒すらいなかった。一つ一つ、順番にコンパートメントを覗いて行く。一つ後ろの車両の中程に、それらはいた。
 網棚の上で蠢く、三匹の巨大なナメクジ。サラは他の二つより一回りほど小さなナメクジへと、杖を向けた。
「レパリファージ」
 ナメクジの身体がピクリと震え、回転するようにして人の姿へと変わる。形が変わってバランスを崩した彼は、網棚から転げ落ちた。
「痛っ!」
「ビンセントとグレゴリーはあなたが解けるわよね。それじゃ……」
「待て、サラ!」
 背を向けたサラに、ドラコは叫んだ。
 サラの足が止まる。ドラコが立ち上がるのが、音で分かった。
「どうして助けたんだ? 君は、僕を――父上を、恨んでいるんじゃないのか」
 サラは振り返り、横目でドラコを見る。青灰色の瞳が、乱れたプラチナブロンドの向こうからサラを見つめていた。
「……先生方に見つかると厄介だから。ただ、それだけよ。それとも、自ら泣きつきに行く? 返り討ちにされたけど、私に助けられたって」
 ドラコは言葉を詰まらせる。
 自分達では文字通り手も足も出ない状況を発見され、問い詰められたなら、ハリー達の仕業だと答えるだろう。でも、既に人の姿に戻っていたなら。当然、どうやって戻ったのか問われるだろう。
 自分の失態を自ら報告なんてしない。彼はそう言う人だ。
「話はそれだけ?」
「もう一つ聞きたい事がある」
 そう言って彼のポケットから取り出された物に、サラは目を見開いた。
 立ち去ろうとしていたのも忘れ、まじまじとそれを見つめる。細い金の鎖に、小さな丸い宝石を三日月が挟むようなワンポイント。

 一年生の頃にドラコから贈られ、去年のクリスマスに失われたネックレス。
 
「どうして、それを……」
 何が起こっているのか分からなかった。
 どうしてそのネックレスを彼が持っているのか。
「君の自宅に落ちていたそうだ。……冬まで、持っていたのか?」
 目を背ける事が出来なかった。何も考える事が出来なかった。
 サラはただ、ただ、ネックレスを見つめていた。
 初めて呼ばれた友達の家。祖母を喪って以来、初めて楽しいと思えたクリスマス。クィレルに連れ去られた時、リドルに日記の中に囚われそうになった時、授業で「アバダ ケダブラ」を目にした時。いつも、サラを支えていた。
 クリスマスの日に失われ、永久に戻って来る事などないのだと思っていた。良い機会だと、これでサラを留めようとする物は無くなったのだと、そう思っていた。思い込んだ。
 でも、捨てられていなかった。
「……何を、期待しているの?」
 やっとの事で、サラは言葉を捻り出した。
 ドラコは答えない。青灰色の瞳が、すっと伏せられた。どうして、そんな顔をする。
 彼は仇なのに。祖母を殺されたのは、サラの方だ。なのに、どうして、ドラコがそんな顔を。
「冬と言えば……クリーチャーに、会わなかった?」
 震えそうになる声を何とか抑え、サラは問うた。クリスマスに、マルフォイ家へ行っていたクリーチャー。クリスマス休暇――ドラコも、その頃、家にいたはずだ。
 サラはぎゅっと両の拳を握る。
 そうだ、彼らは敵だ。祖母を手に掛けたルシウス・マルフォイ。クリーチャーに罠の幇助を唆したナルシッサ・マルフォイ。
「おばあちゃんだけでなく、父親をもあなた達は奪ったのよ……!」
「君だって、僕の父上をアズカバン送りにした!」
「当然の報いでしょう」
 サラはふいと顔を背けると、ドラコに呼び止める間も与えず、その場を立ち去った。それ以上、何も聞きたくなかった。何も言葉を交わしたくなかった。
 結局のところ、平行線なのだ。サラにとってリサやシリウスが大切な存在であるのと同じように、ドラコも家族を大切に想っている。例え彼らが、ヴォルデモートに与し非道な行いに手を染めていようとも。
 どうして、サラは彼らを助けようと思ったのだろう。わざわざ嘘まで吐いて、後部車両を探してまで。
 どうして、クリーチャーの事を知っていたか確認しようとしたのだろう。それを知って、どうするつもりだったのか。知らない事を期待でもしていたのか。
 そして、どうして、ネックレスが捨てられていない事を安堵したのか。
 ネックレスを目にした時、ホッとしている自分がいた。それが、サラには理解が出来なかった。
 どうして。どうして。
 彼は、仇なのに。

「おーい、サラ!」
 掛けられた声に、サラはハッと我に返った。
 気が付けば、もうホームの壁を通り抜けてマグルが行き交う通路に出ていた。正面に、見慣れた人々が集まっていた。
 義眼を隠すための山高帽が目を引くムーディ、明るいピンクの頭にダメージジーンズと派手な紫色のTシャツを着たトンクス、遠目にも分かるほどに白髪が増え擦り切れたコートを羽織ったルーピン、マグルの服から一張羅を選んで着込んだウィーズリー夫妻、ドラゴンの鱗に違いないと思われるジャケットを着たフレッドとジョージ。そして、大きなカートを押し、ふくろうやら猫やらを連れた子供たち。明らかに周囲から浮いた一団は、通りすがるマグル達の目を引いていた。
 集団の中、顔面蒼白で周囲を気にするダーズリー一家が小さくなっていた。どうやら、ムーディに脅されているところのようだ。
 エリが大きく手を振っている。ハリー、ロン、ハーマイオニーも振り返り、サラに笑いかける。
 ――私はもう、独りじゃない。
 今もまだ悲しみは癒えなくても。憎しみと困惑を抱えていても。この先に、「柱」としてどんな運命が待ち構えていようとも。
 祖母がいる。友達がいる。姉妹がいる。親がいる。決して友達ではないけれど、本気でぶつかり合えるライバルがいる。
 サラは微笑み、皆の集まる中へと小走りに駆けて行く。
 ――私は、幸せだ。



 ……ねえ、そうでしょ?


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2018/09/16