階段を昇り大広間へ向かおうとするアリスを、背後から呼び止める声があった。アリスは立ち止まり、振り返る。一緒にいる同級生達を先に朝食へ行かせ、その場で待った。
 階段を駆け上がって来ているのは、ハーパーだった。
「おはよう、アリス」
「おはよう。何の用?」
 アリスは、彼と並んで歩き出しながら尋ねる。
 早く行って、ドラコ達の近くの席を取りたいのに。学年の違うアリスが彼と一緒にいられるのは、食事の時間ぐらいだ。
 ハーパーは暫し言いよどみ、それから意を決したように言った。
「今年から、ホグズミードへ行けるだろ――一緒に行かないか?」
「なんで?」
 アリスはきょとんとして返す。
 是でも否でもない、思いがけない返答にハーパーは目をパチクリさせていた。
「なんでって……早い内に誘っとかないと、君、またウィーズリーやなんかと一緒に行くだろ?」
「あら、心外ね。私、今はもうスリザリン内にだって友達ぐらいいるわよ。ホグズミードへ一緒に行くかどうかは分からないけど」
 ホグズミード、と言う言葉が妙にアリスの胸に引っかかった。
 一体、何だろう? 何かを忘れている気がする。
「だから――結局、決めておかないとウィーズリーかクリービーと行く可能性もあるって事だろ? 昨日なんて、ルーニーなんかと一緒だったそうじゃないか……」
「そんな呼び方、良くないわ」
 アリスはピクリと眉を動かす。
 二人は階段を昇りきり、玄関ホールに入っていた。大理石の階段や、向かい側の扉、色々な場所から他の寮の生徒も集まって来ている。
「白々しい。どうせ、君だって彼女と親しくなりたいとは思ってないだろ?」
「馬鹿にしようとも思ってないわね」
 ホグズミード……ホグズミード……何だろう……。
「僕、ブレーズから色々聞いたんだ。ホグズミードを案内してやるよ。色々あるんだ。三本の箒とか――叫びの屋敷とか――」
「あっ!」
 思い出した。あれ以降警戒態勢やら何やらで話す機会も減って、すっかり忘れてしまっていた。
 アリスは一人、人ごみを掻き分け、大広間に飛び込んで行った。





No.8





 昨晩の嵐はなりを潜めたが、空はまだどんよりとしている。大広間の天井には、鈍色の雲が垂れ込めていた。
 エリ、ハンナ、スーザンの三人が朝食の席に着くと、セドリックがテーブルの向こう側から紙を差し出して来た。
「おはよう。これ、四年生の時間割だよ。他にも来たら、渡しておいてくれるかい?」
「オッケー。サンキュ」
 エリは受け取り、ハンナとスーザンに一枚ずつ渡す。セドリックは席を立ち、次に来た二年生のグループの方へ歩いて行った。
 一時間目は、薬草学だった。グリフィンドールとの合同だ。次に、変身術。午後には、魔法薬学の文字があった。それを見て、エリの気持ちがやや高揚する。
 ふと視線を感じ、エリは隣を振り返った。スーザンが、こちらを向いていた。無意識の内に頬が緩んでいるのに気付き、エリはハッと押さえる。
 しかし、スーザンは何も言わなかった。エリは、誤魔化すように言った。
「よし、よし! 今年も、スリザリンとの合同は無いな!」
「選択科目も、合同するクラスは変わらないみたいね。『魔法生物飼育学』がレイブンクローと一緒だわ」
 エリの言葉を受けて、ハンナが時間割を指で辿りながら言った。
 エリは時間割を鞄に突っ込み、トーストとジャムを引き寄せる。ハンナもファイルに綴じる。それから、机の上に置いた残りの時間割表を取った。
「これも、いったん仕舞っておくわよ」
「ああ、はほむ」
 トーストを口に含んだまま、エリは頷く。
 スーザンが取っている科目に印をつけ終えた時、頭上でバサバサと激しい羽音がした。百とありそうなふくろうが、開け放した窓から入って来たのだ。エリはトーストを齧りながらじっと見上げていたが、とうとうエリの所へ降りてくるふくろうはいなかった。
「今日も無し、か……」
「誰かからの手紙でも待ってるのかい?」
 アーニーとジャスティンがやって来た。エリは頷く。
「八月入ってから、親父と連絡が取れなくて……」
「エリのお父さん、単身赴任でもしてるんですか? あっ、出張でしたっけ? まだ今も?」
「え。……あっ、ウン、そう」
 エリは慌てて話を合わせる。
 七月まで、シリウスは殆ど毎日のように手紙を送って来ていた。それはもう、隠れているのではないのかと疑問に思うほどの量だ。それがぱったりとやみ、エリが出した手紙への返信さえも返って来ない。
 何かあったとしか思えなかった。
 サラやアリス、ナミは、エリほど心配していないようだった。捕まったのならば、『日刊予言者新聞』に何か書かれる筈。三人共、そう言っていた。魔法省は今、スキータの記事で叩かれている。何かしらの手柄を立てたなら、それを誇示しない筈が無いと。
 ハンナが、ファイルにしまっていた時間割表を取り出した。アーニーとジャスティンは受け取り、目を通しながら席に着く。
 そこへ今度は、アリスが姿を現した。エリの周りに座るハンナ達と挨拶を交わすと、アリスはエリの服を少しつまんで引っ張った。
「何だ? どうしたんだよ、アリス?」
「ね、サラに話した? ホグズミードの事」
 アリスはやや声を落として言った。エリは目を瞬く。
「ホグズミード?」
「ほら、シャノンのおばあさんの――」
「ああ!」
 そこまで言われて、エリは合点がいった。ホグズミードで見つけた、祖母の別宅や墓。それを、サラに教えようと二人で話した事がある。
「悪い。すっかり忘れてた。
あたしが言っとくよ。ちょうどこの後、グリフィンドールと合同だからさ」
 言って、エリは残りの一口を口に放り込んだ。

 第三温室に着いたエリは、その衝撃に危うくアリスとの一件を忘れてしまうところだった。ハンナがぎょっとして後ずさる。アーニー、ジャスティン、スーザンも動きこそしないものの、あまり気分が良さそうではなかった。
 一瞬、魔法生物飼育学に来てしまったかと思った。スプラウトが準備していたのは、植物と言うよりもまるで黒い大きなナメクジのようだった。ただし身体にはブツブツとした腫れがあり、その中に液体が入っているのが見て取れた。天に向かって直立し、ぐねぐねと蠢いている。
「ブボチューバー――腫れ草です」
 スプラウトはいつもの如く、植物の美醜など何でもないというように話す。
「搾ってやらないといけません。皆、膿を集めて――」
「えっ、何を?」
「膿です。フィネガン、『膿』。
これはとても貴重なものですから、無駄にしないよう。膿を、良いですか。この瓶に集めなさい。ドラゴン革の手袋をして。原液のままだと、ブボチューバーの膿は皮膚に変な影響を与える事があります」
 作業に入り、温室はブボチューバーの膿の石油みたいな臭いで溢れかえった。
 エリは、入り口際の作業台へ行った。そこでは、ハリ、ロン、ハーマイオニー、そしてサラが気味の悪いブボチューバーと格闘していた。
 案の定、サラは近づいて来たエリを見て露骨に嫌そうにした。
「わざわざ何の用?」
「やあ、エリ」
 サラとはうってかわって、ハリー達三人はにこやかに声を掛けて来る。そちらに軽く手を挙げ、エリはサラに視線を移した。
「サラに教えておきたい事があって。――シャノンのばあさんの墓、見つけたかも知れない」
「……え?」
 サラは作業の手を止め、ぽかんとエリを振り返った。
「知ってたか? ホグズミードにさ、あったんだ」
 サラは答えなかった。放心状態で、ただエリを見つめている。
 他の三人は押し黙り、こちらの様子を伺っていた。ハリーはずっと視線をこっちに向けたまま、やけに手際良く膿を搾取している。
 ふい、とサラは顔を正面に戻した。小さな声で呟く。
「ホグズミードに……そう……」
 その声はやけに落ち着いていて、何処か物悲しさを漂わせていた。視線はブボチューバーに戻したものの、手は動いていない。
「フレッドとジョージも、墓の位置は知ってるよ。あいつらと一緒の時に見つけたんだ。ハグリッドとマクゴナガルが、手を合わせてた。日本風の墓だったから、直ぐ分かると思う。英語で彫ってあって……多分近くだと思うんだけど、家もあったって」
 サラはゆっくりと、膿を搾り出す作業に取り掛かる。
「次のホグズミード行きで、行ってみるわ……ありがとう」
 エリは、無言で頷いた。
 アリス達が祖母らしき人物を見たという話は、言わなかった。





 魔法生物飼育学の終業を告げるベルが鳴り、生徒達の誰もが安堵の色を露わにした。皆、一刻も早くスクリューとから離れようと城に戻って行く。皆が準備をする中、サラは鞄を置いたままハグリッドとスクリュートの方へ歩み寄って行った。
「ねえ、もうちょっとスクリュートを見て行ってもいい?」
「おお、いいぞ! もちろんだとも!」
 ハグリッドは顔を輝かせ、大きく頷く。
 ロンが、真っ青な顔でサラの肩を強く叩いた。ハグリッドには聞こえないように、ひそひそと耳打ちする。
「正気かい!?」
 ハリーやハーマイオニーの顔にも、「これ以上はご免だ」と書かれている。尤も、ハーマイオニーはスクリュート云々よりも単純に時間を気にしているようだ。
 サラは軽く言った。
「先に行っててちょうだい。直ぐ後から追いつくわ。席を取っておいて」
「ああ、うん。分かったよ」
 帰るよう促された事にホッと息を吐き、三人は頷いた。
 サラは木箱の一つに蓋をし、手を掛ける。ハグリッドは、両腕に一つずつ抱えていた。
「何処に運べばいいの?」
「こっちだ。たまに爆発するから、気ィつけろよ」
 両腕で木箱を抱えた状態でどう気をつければ良いのかと思ったが、口にはしなかった。
 畑の隅を通って小屋の裏手へと周り、裏口の傍らに木箱を置いた。サラも、ハグリッドが置いた横に並べるようにして置く。再び畑を通って戻りながら、サラはぽつりと呟くように尋ねた。
「……ねえ。おばあちゃんのお墓って、ホグズミードにあるの?」
「ああ、そうだぞ。知らんかったのか」
 ハグリッドは驚いたように言った。どうやら、知っているものと思っていたようだ。
「でもそうか、ナミのあの様子じゃなあ……ホグズミードも、魔法使いの村だしな。そもそも、ナミも知ってるかどうか怪しいもんだ。すまんな、今まで気付いてやれなくて」
 サラは黙って首を振る。
「そうか……それじゃ、家の事も知らんのかもな」
「同じように、ホグズミードにあるって聞いた」
 ハグリッドは頷いた。残りの木箱を抱えて、また畑の横を歩いて行く。
 もう運ぶ物は無かったが、サラはハグリッドの後に続いた。
「あいつは、忙しかったからな。それに狙われとった。家に帰れない事も多い……そう言う時に隠れ家にしちょったのが、その家だ。ホグワーツやグリンゴッツには敵わんが、個人の家としてはあそこが一番防衛呪文で守られとるだろうな。あいつ独自の魔法も多くかけられとる。仕事道具は大体、あの家で管理しとったな」
「ハグリッドは入った事があるの?」
「ああ、一度だけだが。良い家だぞ。ただ、入るのが少し面倒だがな」
 サラは首を傾げる。
 ハグリッドは苦笑した。
「家のモンと手を繋がんと、庭にも入れんようになっとるんだ。何も、手を繋ぐんでなくても、腕を引っ張るんでも襟首を掴むんでもええ。兎に角、繋がっちょる必要がある――血ィが重要だと言っとったから、お前達孫娘でも大丈夫だろう。ただ、家ン中入るには鍵が必要だ。『血』を引く者が、鍵で玄関扉を開ける。それしか、方法はねぇ」
「鍵……」
 サラはハッと息を呑む。
 サラは、その鍵を持っている。心当たりがあった。小さな、銀色の鍵。
 ハグリッドと別れると、サラは足早に城へと向かった。あの鍵に違いない。一年生のクリスマスに、差出人不明で贈られた鍵。確か手紙には、三年生になったら見つけられるだろうと書かれていた。ホグズミード行きが許されるのは、三年生から。何もかもが当てはまる。
 早く鍵を試してみたい。祖母の家に行きたい。けれども、ホグズミードへ行けるのは早くても十月の末。遅いと十一月になる事もあると、パーシーが言っていた。
 大広間に着くと、そこにはハーマイオニーはいなかった。ハリーとロンの隣に座り、グリフィンドールのテーブルをずいっと見回す。
「ハーマイオニーは?」
「図書館さ」
 ロンが、呆れたように答えた。
「宿題もまだだってのに、調べたい事があるんだとさ」
「調べたい事、ねえ……それって、やっぱり今朝言ってたのと関係あるのかしら」
「屋敷僕妖精の? さあ、どうだろう……でも、大いにありうるかもね」
 ハリーはデザートを自分の皿に盛り付けながら言った。
 今朝の会話が思い起こされる。屋敷僕妖精の権利を主張する良い方法が見つかった――ハーマイオニーは、そう言った。本当に良い方法ならば良いのだが。近頃のハーマイオニーは、屋敷僕妖精の事となると神経質過ぎる。嫌な予感がしてならなかった。

 午後の始業ベルを合図に、三人は北棟へ向かった。銀色の梯子を上った先は、相変わらずの様相だった。カーテンは締め切られ、部屋には甘ったるい臭いが立ち込めている。ハリー、ロン、サラの三人は、ぼんやりとした明かりの中を空いている小さなテーブルまで歩いて行った。
 三人が座って間も無く、トレローニーが現れた。今年も、ハリーを悲劇的な予言の標的にするらしい。胡散臭い不吉な予兆とやらを並べ立て、トレローニーは暖炉の前に置かれた肘掛け椅子へと座った。
「皆様、星を学ぶときが来ました」
 トレローニーの話によると、天文学と似たような内容らしい。ただ違うのは、調べた星の動きから未来を見ると言う事。
 サラは、物惜しげに壁際の棚に目をやった。水晶玉はもう終わりらしい。今後、また同じ単元をやる事はあるだろうか。能力があっても良い物を見られる訳ではないが、それでも何も出来ないとこの科目は本当に退屈だ。
 トレローニーは円形チャートを取り出し、手本として計算や表への書き込みを始めた。サラは、その手順をしっかりと頭に叩き込む。トレローニーの話は胡散臭いが、彼女の行う手順は教科書やその他の書物に書かれているのと同じだ。覚えて損は無かった。
 占いの最終段階へ来ると、トレローニーは悲鳴を上げて羽ペンを取り落とした。
「まあ……これは……そんな事が……でも、間違いありませんわ……!」
「……一体、何が?」
 演技がかったトレローニーの様子に、ラベンダーが恐々と尋ねる。お馴染みの光景だった。
 案の定、トレローニーは言った。
「何て事……ポッター、貴方は土星の下に生まれたでしょう」
 土星――占星術において、凶星とされる星。また、毎度お馴染みの『不吉な予兆』だろう。
 しかし、当のハリーは話を聞いてさえもいないようだった。うつらうつらした状態で、ぼーっと前を向いている。ロンが、ハリーの脇を小突いた。
「ハリー!」
「えっ?」
 ハリーは我に返り、教室を見回す。どうしてクラス中の視線が自分に集中しているのか、全く判らないといった表情だ。
 トレローニーは苛立った様子で繰り返した。
「坊や、あたくしが申し上げましたのはね。貴方が、間違いなく土星の不吉な支配の下で生まれた、という事ですのよ」
 それでも、ハリーにはどう言う事か伝わらなかったらしい。やはりきょとん顔のまま、ハリーは尋ね返した。
「何の下に――ですか?」
「土星ですわ――不吉な惑星、サターン! 貴方の生まれた時、間違いなく土星が天空の支配宮に入っていたと、あたくし、そう申し上げていましたの……。貴方の黒い髪……貧弱な体つき……幼くして悲劇的な喪失……あたくし、間違っていないと思いますけど、ねえ、貴方、真冬に生まれたでしょう?」
「いいえ。僕、七月生まれです」
 ロンがぷっと吹き出した。誤魔化すように、げほげほと咳をする。サラも、ひくつく口元を手で覆い隠していた。
 ――ん……?
 サラは、今し方トレローニーの言った言葉を思い返す。
『黒い髪……貧弱な体つき……幼くして悲劇的な喪失……』
『真冬に生まれたでしょう?』
「……」
 罰が悪そうに戻って行くトレローニーの背に、サラは問いかけた。
「若しハリーが真冬生まれだったら、何かあったんですか?」
「夏生まれならば、関係の無い事です。あたくしとした事が、少し調子が悪かったようですわ……」
 誤魔化し、トレローニーは授業の続きに戻った。
 まあ、どうせ「更なる不幸が」とか何とかだろう。配られた円形チャートを受け取りながら、サラは思った。
 それからは、まるで天文学のような作業だった。寧ろ、外で実際に星を眺める分、天文学の方が数倍も良い。蒸した部屋で年代表や計算式を扱っていると、何だか眠くなって来そうだった。暫くして羊皮紙が埋まって来た頃、ハリーが言った。
「僕、海王星が二つあるよ……。そんな筈無いよね?」
 サラは、ひょいとハリーの羊皮紙を覗き込む。ハリーはサラにも見えるよう、羊皮紙を少しずらした。
 ロンが、トレローニーが悲嘆するときのような声を上げた。
「海王星が二つ空に現れるとき。ハリー、それは眼鏡をかけた小人が生まれる確かな印ですわ……」
 近くにいたシェーマスとディーンが声を上げて笑った。幸い、同時にラベンダーが興奮した叫び声を上げ、トレローニーの耳に入る事は無かった。
 サラはハリーの計算式を目で辿り、その一つを指差した。
「ここ。計算ミスしてるわよ」
「うわ……前半の方じゃないか……」
 ハリーはげっそりとしたように呟く。その部分から計算をし直す気にはなれないらしく、無理やり帳尻合わせを始めた。
 ロンはロンで、自分の作業はそっちのけでトレローニーの言葉尻を拾ってふざけている。これが運悪くトレローニーの耳に入ってしまったらしく、授業の終わりには大量の宿題が出された。

「真冬生まれだと、何だって言おうとしたのかしらね」
 夕食へと大広間に向かいながら、サラが出し抜けに言った。
 ハリーとロンはきょとんとした顔でサラを振り返り、ハッとする。
「あ……そう言えば、サラって……」
「年の暮れ――完全な真冬ね。他の条件も、ぴったり合致するし」
 サラは肩を竦める。
「でも、あんな奴の言う事なんて当てにならないだろ?」
「まあ、そうね」
 ロンの言葉に、サラは頷いた。
 ハリーは、やや心配げな表情だった。
「それにしても、あのババアめ」
 ロンが毒づく。
「週末いっぱいかかるぜ。マジで……」
「宿題がいっぱい出たの?」
 数占いを終えたハーマイオニーが、サラ達に追いついて来て言った。
「私達の方は、ベクトル先生は何にも宿題出さなかったのよ」
「じゃ、ベクトル先生バンザーイだ」
 ロンはあからさまに不機嫌だった。サラは肩を竦める。
「別に、さっき作った自分の表を元に調べればいいだけじゃない。――尤も、さっきの授業中に自分の表が完成してなければ時間もかかるでしょうけど」
「どうせ、僕らにはサラみたいな才能なんて無いさ」
「あら。今回のは能力云々って関係無い単元だと思うわよ。ひたすら計算じゃない。まあ、だからつまらないって言うのは同感だけど」
 玄関ホールには、大広間へ入る行列が出来ていた。サラ達がその最後尾に並んだ途端、背後で大声がした。
「ウィーズリー! おーい、ウィーズリー!」
 ドラコだった。ビンセントとグレゴリーを引きつれ、彼は嬉しそうにこちらへと駆け寄って来た。
 何かと思えば、ドラコが出したのは『日刊予言者新聞』だった。魔法省――ウィーズリー氏についての記事を、ドラコは大声で読み上げた。先日、ムーディーが暴れた際の事だ。一体何処が失態なのかと思うが、記者にはそんな事どうでも良いのだろう。
「写真まで載ってるぞ、ウィーズリー! 君の両親が家の前で写ってる――尤も、これが家と言えるかどうか! 君の母親は少し減量した方が良くないか?」
「失せろ、マルフォイ」
 ハリーが言い捨てた。ロンを引っ張って去ろうとするが、ドラコは更に話しかける。ハリーもそれに応戦し、サラとハーマイオニーはロンが飛び掛らないよう押さえていた。
 ハリーがドラコの母親について言い返すと、嬉しそうに笑っていたドラコの表情が歪み僅かに怒りで赤くなった。
「僕の母上を侮辱するな、ポッター」
「それなら、その減らず口を閉じとけ」
 そう言って、ハリーは背を向けた。サラもその後に続こうとし、ふと目を見開いた。咄嗟にハリーの腕を強く引く。よろめいてサラにしがみ付いたハリーの頭上を、赤い閃光が通り過ぎて行った。
 叱責しようとしたサラの声は、二つ目の呪文の音で遮られた。
 サラは目を瞬く。叱責しようとした対象は、何処にも見当たらなかった。ムーディーが杖を掲げながら、大理石の階段を降りてきていた。その杖先を辿り、サラは唖然とする。ドラコが立っていたちょうどその位置で、白いケナガイタチが震えていた。
「やられたかね?」
 サラ達の前まで降りてきたムーディーは、普通な方の目をハリーに向けて言った。もう一方は、ケナガイタチの方をじっと見つめている。
 ハリーは首を振った。
「いいえ、外れました」
「触るな!」
 ムーディーが叫んだのは、背後に対してだった。ビンセントが、ケナガイタチを拾い上げようとしているところだった。凍りついた彼らの方へ向きを変え、ムーディーはコツッコツッと義足と杖の音を立てて歩いて行く。途端に、ケナガイタチが逃げ出した。
「そうはさせんぞ!」
 ムーディーは杖をケナガイタチに向けた。白いケナガイタチは二、三メートルほど飛び上がり、バシッと激しい音を立てて床に落ちた。その勢いは凄まじく、反動で再び跳ね上がるほどだった。
 サラはハッと我に返った。ムーディーは再度ケナガイタチを飛び上がらせる。サラは杖を抜き、ムーディーとドラコの間に割って入った。ケナガイタチは弾むのをやめ、床にくてっと転がる。
「そこを退け、シャノン」
「退きません。やり過ぎです、やめてください」
「敵が背中を見せたときに襲う奴は気に食わん」
「自分より遥かに弱い者に不意打ちを食らわせるのは、お気に召すんですか?」
 サラは挑戦的に言い返す。ムーディーは、真っ直ぐにサラを睨みつけていた。ケナガイタチは怯え、サラのローブの裾を引っ張る。サラは杖を持っていない方の手でそれを抱き上げ、ムーディーを睨み返した。
「聞いているぞ。君は、その小童と随分と親しい――」
「関係ありません。話を差し替えないでください」
 サラはケナガイタチを包み隠すように抱き、杖を握り締める。ムーディーは、冷たい瞳でサラを見下ろしていた。
「知っているのか? そやつの父親が何をしたか――」
「ムーディー先生!」
 マクゴナガルが、腕いっぱいに本を抱えて階段を降りて来た。サラは、そろそろと杖を降ろす。
 マクゴナガルはムーディーとサラを交互に見て、眉をひそめた。
「何をなさっていたのですか?」
「教育だ」
「マクゴナガル先生、ドラコ――ミスター・マルフォイが……」
 マクゴナガルはムーディー、サラ、そしてサラの腕の中で震えるケナガイタチに視線を移した。
「まさか――それがマルフォイなのですか!?」
 マクゴナガルの腕から、本がボロボロと零れ落ちた。ムーディーは威勢よく肯定する。
「さよう!」
「そんな!」
 マクゴナガルは叫び、階段を駆け下りながら杖を取り出した。次の瞬間、ドラコは元の姿に戻っていた――サラの腕の中で。
 しがみ付くドラコが突然元の重さに戻り、サラはその場に倒れ込んだ。
 マクゴナガルは真っ直ぐにムーディーに詰め寄る。
「ムーディー、本校では、懲罰に変身術を使う事は絶対ありません! ダンブルドア校長がそう貴方にお話しした筈ですが?」
「そんな話をしたかもしれん、フム。しかし、わしの考えでは、一発厳しいショックで――」
「ムーディ! 本校では居残り罰を与えるだけです! さもなければ、規則破りの生徒が属する寮の寮監に話をします」
「それでは、そうするとしよう」
 ムーディーの目が、こちらへ向いた。ドラコは直ぐに離れたが、サラはあまりにも突然の状況にまだ床に座ったまま呆然としていた。
「……父上に言いつけてやる。そしたら、お前なんか直ぐに辞めさせられるぞ」
 隣で、ドラコの声が聞こえた。けれどもいつものような得意気な調子は微塵も無く、その声は屈辱に満ちていた。
「フン、そうかね? いいか、わしはお前の父親を昔から知っているぞ……父親に言っておけ。ムーディーが息子から目を離さんぞ、とな……わしがそう言ったと伝えろ。……さて、お前の寮監は確か、スネイプだったな?」
 ドラコは悔しそうに肯定する。その薄青い目は、痛みと屈辱にまだ潤んでいた。
「奴も古い知り合いだ。懐かしのスネイプ殿と口を利くチャンスをずっと待っていた……来い。さあ……」
 ムーディーはドラコの上腕を乱暴に掴み、引っ張り上げる。サラは慌てて立ち上がった。
 しかし、声は出て来なかった。ドラコを心配しながらも、声を掛ける事は出来なかった。ムーディーとドラコは、地下への階段へと消えて行った。
「あーあ。放っておけば良かったのに。君、僕の人生最良の時を台無しにしたぜ?」
 マクゴナガルが立ち去り、ロンはサラに言った。
「ドラコ・マルフォイ。脅威の弾むケナガイタチ……」
 ハリーもハーマイオニーも笑った。けれどもハーマイオニーは、直ぐに真剣な顔つきになった。
「でも、あのまま放っておいたら、本当にマルフォイを怪我させてたかも知れないわ。でも、サラも無茶よ。直ぐにマクゴナガル先生がいらっしゃったから良かったものの……」
「サラごと殺ってやるって勢いだったよな。馬鹿だよ、マルフォイごときに――」
 サラは何も答えなかった。
『知っているのか? そやつの父親が何をしたか――』
 知っている。ドラコの父親は、死喰人だと言われている。そしてきっと、それは真実なのだろう。
 知った上で、好きなのだ。
 そう、思っていた。


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2010/08/09