「闇の魔術に対する防衛術の担当、おめでとうー!」
パァンという破裂音と共に筒が破れ、中から出て来た紙製の王冠が、ぽとりとエリの足元に落ちる。彼女はそれを拾い上げると、セブルスの頭へと載せた。
「……日本から来て、ずいぶんと大きな時差ボケをしているようだな。クリスマスはまだ三ヶ月も先だと思うが」
「あ、やっぱりこれクリスマスグッズなんだ。色がそれっぽいなとは思った。厨房の屋敷僕妖精に『クラッカーある?』って聞いたら、出て来たのがこれだったんだよね。
って言うか、今年はあたし達、日本に帰ってないよ。母さんと一緒に、イギリス南部の――」
言いかけたエリにセブルスは片手を上げ、その言葉を制止する。――その情報は、自分が聞いてはならない。万が一のためにも。
「君達が今どこを住処としているかについては、他言しないよう言われているはずだが」
「あっ、そうだった」
エリは慌てて戸口を振り返り確認する。誰かに聞かれる可能性としか認識していないようだ。
「第三者だけではない。騎士団員と分かっている相手でも、不用意に場所を口にするな。相手が内通者や偽物というケースもあるのだから」
「はーい……」
エリは少し口を尖らせ、おもちゃの王冠と共に床へと散っていた細長い紙切れを掻き集める。
「週末にでもカップケーキ焼いて持って来るね。昨日の今日で時間無かったからさ。ふくろうで教えてくれれば良かったのに。――あー……でも隠れ家、ふくろう駄目だったんだっけ」
渋い顔を浮かべつつ、エリは割った筒の片方へと拾った紙屑を詰め込む。
「イギリスって、紐引っ張る方のクラッカーは無いの? クリスマスだけ?」
「マグルの祝い事など生憎、縁も無――いや、アレか?」
紙屑の紐と筒の半分で再現するエリの姿に、ふと遠い昔の幼馴染の姿が重なる。
――ハッピー・バースデー、セブ。
マグルの中で暮らし、片親がマグルであっても、祝い事とは無縁だった。――ただ、彼女との接点を除いては。
「へえ。セブルス、マグルだかマグル出身者だかでパーティーするような仲の人いるんだ。あ、もしかして、母さん?」
「彼女はよくマグルの道具を持ち込んでいたな……」
肯定も否定もせずに、セブルスはナミについての話に乗る。
否定したところで、彼女の話をするつもりは無いのだから。
――話せない事が、増えていく。
夏休みの他愛無い日常。魔法薬学のふくろうで「O」を取れた事。魔法薬学の最初の授業では課題の調合を完璧にこなし、褒美にフェリックス・フェリシスを貰った事。エリは笑顔で話し続ける。
彼女との時間は、心地良かった。何も話せずとも、彼女は理解ってくれる。ただただ、セブルスを信じてくれる。
……だけど、近い終わりが提示された今、自分はこの時間をいつまで続けるつもりだろう。
No.10
教科書の書き込みに従ったハリーは、魔法薬学の授業で目覚ましい成果を出していた。ハリーは教科書を一緒に使おうと提案してくれて、サラは嬉々として乗っかったが、手書きの文字は思った以上に判読が困難だった。
ハーマイオニーは頑としてハリーの誘いには乗らず、教科書に背いたハリーの方が良い結果を出す度に、不機嫌になっていった。
「悔しいわ。私だって子供の頃からずっと英語ばかりの生活をしていれば、こう言う手書き文字も読めたかも知れないのに……」
「いや、この字は僕も読みにくいよ。ハリー、よく読み取れるな」
ロンもサラと同じくハリーの誘いに乗っていたが、ハリーほどの成果は出せていなかった。怪しまれる可能性を考えるとハリーに読み上げてもらう訳にもいかず、結局、中古の教科書の恩恵に預かれているのはハリーのみとなっていた。
ハーマイオニーにチクチクやられる事もあってかハリーはあまり得意げになる事はなく、ただ困ったような笑みを浮かべるだけだった。
「魔法薬と言えば、エリも意外と凄いよな。エリは『半純血のプリンス』様には頼ってないはずだろ? 同じテーブルだった時に教科書覗いてみたけど、ハーマイオニーと同じ新品だったし。ハーマイオニーよりも凄いんじゃないか?
――あー、えっと、そうでもないかな。一昨日の授業では、大失敗してたもんな」
ハーマイオニーの視線を受けて、ロンは慌てて付け足す。
エリの教科書には書き込みこそないが、彼女もどうやら度々教科書の指示に無い事をしているらしい。ハリーのように他の生徒達から頭ひとつ飛び抜けた出来栄えを見せる事もあれば、惨憺たる結果に終わる事もあった。成績の事は頭に無いのか、失敗してもエリは楽しそうだった。スラグホーンからの評価もハリーほど高くはないが、間違いなくエリも彼の「お気に入り」の一人に加えられつつあった。
「本当、凄い書き込み量よね。これ全部、教科書と異なる調合の指示なの?」
「いや、魔法薬だけじゃないみたい。彼自身の創作した呪文も書かれてるよ。ほら、これとか」
「彼女自身かもね。女性だったかも知れない。その筆跡は、男子より女子のものみたいだと思うわ」
ハーマイオニーが苛立ち気味に口を挟んだ。
改めて教科書を覗き込んでみるが、正直なところ、サラには筆跡で性別の区別などつかなかった。
「『プリンス』って呼ばれてたんだ。女の子のプリンスなんて、何人いた?」
アニメや漫画の世界ならそこそこいそうだと思ったが、サラは口をつぐんでいた。意味の無い茶々を入れてハーマイオニーの機嫌をこれ以上損ねるのは得策ではない。触らぬ神に祟りなし、だ。
「あっ」
腕時計を見たハリーが不意に声を上げた。慌てて「上級魔法薬」を鞄にしまい、サラを振り返る。
「八時五分前だ。もう行かないと、ダンブルドアとの約束に遅れる」
「あら」
サラも教科書を閉じ、立ち上がる。
ロンとハーマイオニーに見送られ、談話室を後にする。ハーマイオニーも、それまでの不機嫌をけろりと忘れたように、興奮気味にサラとハリーを励ましてくれた。
二人は可能な限り急いで校長室へと向かったが、途中、トレローニーが廊下の先に現れた時には近くの銅像の影へと隠れなければならなかった。彼女に見つかれば、また不吉なお告げで時間を取られるのが落ちだ。
トレローニーは紙の束をシャッフルしながらぶつくさと呟いていた。授業で使っているタロットカードかと思ったが、どうやら今回はトランプのようだ。
「スペードの2、対立……スペードの7、凶……スペードの10、暴力……スペードのジャック、黒髪の若者……恐らく悩める若者で、この占い者を嫌っている――まさか、そんな事はありえないですわ」
サラとハリーは銅像の陰で顔を見合わせた。正気の時のトレローニーは基本的に胡散臭いが、妙なところで正解を引き当てる。
トレローニーが遠ざかるのを十分に待ってから、二人は銅像の陰を出て八階へと急いだ。一見何も無い壁の前に立つガーゴイル像。その前に立ち、ハリーが合言葉を告げる。
「ペロペロ酸飴」
ガーゴイルが飛び退き、背後の壁が二つに割れる。その奥に現れたのは、螺旋階段。サラとハリーが階段に乗ると、エスカレーターのように上へと二人を運ぶ。
扉をノックすると、すぐに返答があった。
「お入り」
「先生、こんばんは」
「こんばんは……すみません、遅れてしまいました」
「ああ、こんばんは、ハリー、サラ。心配せずとも、わしの時計ではちょうど今八時じゃよ」
ダンブルドアは微笑み、言った。
「さあ、お座り。新学期の一週目は楽しかったかの?」
「はい、先生。ありがとうございます」
「たいそう忙しかったようじゃのう。もう罰則を引っ提げておる!」
「アー……」
ハリーが罰の悪そうな声を漏らす。
闇の魔術に対する防衛術の授業でスネイプに反抗的な態度を取ったハリーは、彼から罰則を言い渡されていた。スネイプの罰則も土曜の夜だったのでダンブルドアの個人授業により潰れた訳だが、そう甘くはなく、来週へ延期となったらしい。
ダンブルドアは何か特別な呪文を教える訳でもなければ、戦闘の訓練を行う訳でもなかった。
彼がサラとハリーの目の前に出したのは、平たい石の水盆だった――憂いの篩、ペンシーブだ。
サラはちらりと隣のハリーを横目で盗み見る。ハリーは不安げな顔をしていた。
去年、この道具を使った時の事は記憶に新しい。スネイプの研究室で中を覗いて――そして見たのは、あまり喜ばしくはない記憶だった。
結局、あの場で見た記憶について、サラはシリウスと話せていない。シリウスに連絡を取る企てにサラも誘われたが、サラはそれを拒否した。
話しておけば良かった。
果たしてそう思うのか、サラは今でもわからなかったし、あの時何を話したのか、ハリーには聞けていないままだった。
ダンブルドアがサラとハリーを誘ったのは、ボブ・オグデンという魔法省に勤めていた男の記憶だった。降り立ったそこは広い畑や屋敷に囲まれた、どこか郊外の小道だった。
小道にはサラ達三人の他には男が一人しかおらず、彼がボブ・オグデンなのであろう事は明白だった。マグルに溶け込もうとする魔法使い特有の奇妙な着こなしをした彼は、案内板を確認し、そしてリトル・ハングルトンと書き示された方へと歩き出した。
ボブ・オグデンはリトル・ハングルトンまで歩く事なく、その途中で舗装のされていない細道へと入って行った。道の両側の生垣は高く生い茂った姿となり、道は岩や穴だらけだった。この道を歩いていると、他に住んでいる人もいなさそうなナミの実家への山道は、ずいぶんと整っている方だと思えた。何か状態を保つような魔法でもかけられていたのだろうか。
獣すら通らなそうな道はついに、茂みの中へと消え行き止まりとなった。オグデンは立ち止まると杖を取り出した。彼が再び動き始めて、サラは初めて木々の向こうにほとんど隠れるようにして建物がある事に気付いた。
大きさとしては郊外の民家のようだが、人が住んでいるかは怪しいものだった。壁は苔むし、屋根瓦はごっそりと剥がれ落ちている。ほとんど廃墟も同然だ。
ガタガタと物音がして、小さな窓が開いた。開いた窓の隙間から、湯気と煙が細々と流れ出て来る。
サラ達の存在は記憶の中の者達には認識できないはずであるが、それでもサラ達も思わずオグデンに従って息を潜め慎重に後を尾行ていた。
太陽が雲に覆われ、影が落ちる。オグデンは再び立ち止まり、玄関扉を見つめていた。そこには、蛇の死骸が釘で打ち付けられていた。
ガサ、と木の葉の擦れ合う音がして男が降って来た。木から飛び降りて来たその男は、オグデンの前に立ちはだかった。髪はボサボサと伸び放題で、顔も泥まみれだ。どだい、社会的な生活を送っている者とは思えなかった。
「おまえは歓迎されない」
男の発した言葉に、サラはハッと息を呑んでダンブルドアを振り返った。ダンブルドアはサラに何か応えるでもなく、ただ真剣な瞳でオグデンの前に現れた男を見つめていた。
オグデンは当然、男の言葉を理解していない様子だった。同じ言葉を繰り返し小刀を振り回す男に、困惑するばかりだ。ダンブルドアが、口を開いた。
「君達にはきっと分かるのじゃろう、ハリー、サラ」
「ええ、もちろんです。オグデンはどうして……?」
「蛇語よ」
困惑気味のハリーに、サラが答えた。
蛇語。サラザール・スリザリンが話せたという言語。彼の末裔であるトム・リドル、そしてサラやエリもその言葉を話せた。ヴォルデモートに力の一部を移されたというハリーは、言語は分かれども自分では普通に話しているのと同じように聞こえるらしいが。
ハリーのように、また他の誰かへも力を移していたなんて事があり得るだろうか。
そうでないのであれば、彼は。
「モーフィン!」
また別の男が、家の中から飛び出して来た。こちらは年老いた男で、背丈もモーフィンと呼ばれた最初の男よりも低かった。背丈の割には肩幅は広く腕も長く、サラは小学生の頃に教科書か何かの本で見た大昔の人間の姿を思い出した。
「魔法省だと?」
オグデンを見下ろし、年老いた男は言った。
「その通り! それで、あなたは、察するにゴーントさんですね?」
「そうだ。その顔はどうした。こいつにやられたか?」
「ええ、そうです!」
オグデンは抗議するように叫んだが、ゴーントは鼻で笑うだけだった。
「前触れなしに来るからだ。そうだろうが? ここは個人の家だ。ズカズカ入ってくれば、息子が自己防衛するのは当然だ」
モーフィンは、獰猛な野生生物のようにギラギラと瞳を光らせオグデンを警戒していた。
「何に対する防衛だと言うんです? え?」
「お節介、侵入者、マグル、穢れたやつら」
言って、ゴーントは蛇語で息子へと話しかけた。
「家の中へ入れ。口答えはするな」
モーフィンは何かを言おうとして口を閉じ、肩を怒らせながら屋内へと入って行った。オグデンはモーフィンにやられた鼻に治癒魔法をかけると、ゴーントへと向き直った。
「ゴーントさん、私はあなたの息子さんに会いに来たんです。あれがモーフィンですね?」
「ふん、あれがモーフィンだ。――お前は純血か?」
「どちらでも良い事です」
この回答は、ゴーントのお気に召さなかったらしい。ゴーントは目を細めてオグデンを舐め回すように見ながら、嘲るように言った。
「そう言えば、お前みたいな鼻を村でよく見かけたな」
「そうでしょうとも」
二人の会話から察するに、モーフィンは村のマグルにも今しがたオグデンにかけたような魔法をかけて暴れ回ったらしい。オグデンは、その処分のために魔法省から派遣されたと言う訳だ。
根気良く説明を続けたオグデンは、家の中へと通された。
住宅地なら然程珍しくもない広さの家だが、周囲の田舎具合にしては小さい方かもしれない。部屋は三つ、キッチンと一体になったリビングに、一同は入って行った。そこには先程のモーフィンの他に、ボロボロの服を纏った若い女性が一人いた。先程、窓を開けたのはこの女性らしい。彼女は汚れた鍋をかき混ぜていて、細い湯気がそばの窓から外へと流れ出ていた。
「娘だ。メローピー」
「おはようございます」
オグデンの挨拶に女性は答えず、おどおどと父親を見て、すぐに背を向け棚の鍋釜を動かし始めた。
「さて、ゴーントさん。単刀直入に申し上げますが、息子さんのモーフィンが、昨夜半過ぎ、マグルの面前で魔法をかけたと信じるに足る根拠があります」
ガシャーンと激しい音が響き渡り、サラは台所の方を見た。メローピーが鍋を落としたらしい。
「拾え!」
ゴーントが怒鳴った。
「そうだとも、穢らわしいマグルのように、そうやって床に這いつくばって拾うがいい。何のための杖だ? 役立たずのクソッタレ!」
サラはハッと息をのみ、メローピーを見た。目が左右違った方向を向いた彼女の表情は変化に乏しかったが、それでも彼女が打ちひしがれて屈辱と羞恥に今にも泣きそうなのは分かった。
彼女は、スクイブなのだ。
魔法族の――それも間違いなく、マグルやマグル出身者を厭う純血主義の家庭におけるスクイブ。それがどんなにみじめで惨たらしい立場か、サラは初めて眼前にしていた。
モーフィンの罪状と魔法省への召喚をオグデンは告げたが、ゴーントは簡単には応じなかった。この家では父親が圧倒的な権力を奮っていた。彼を説得しない事には、モーフィンを連れ出す事はできない。オグデンもそれを察し懇々と説明を繰り返すが、彼の態度は頑なだった。
「魔法省が来いと言えばすっ飛んでいくクズだとでも? いったい誰に向かって物を言ってるのか、分かってるのか? この小汚ぇ、ちんちくりんの穢れた血め!」
「ゴーントさんに向かって話しているつもりでおりましたが」
「その通りだ!」
ゴーントが手を振り上げた。殴りかかるのかと思ったが、そうではなかった。彼は、中指にはめた指輪をオグデンの目の前で振って見せていた。小さな黒い石が付いているだけのシンプルな指輪だが、その深い黒色と艶は妙に引き込まれるものがあった。
「これが見えるか? 見えるか!?」
ゴーントは興奮気味に叫んだ。
「何だか知っているか? これがどこから来たものか知っているか? 何世紀も俺の家族の物だった。それほど昔に遡る家系だ。しかもずっと純血だった! どれだけの値段を付けられた事があるか分かるか? 石にペベレル家の紋章が刻まれた、この指輪に!」
「まったくわかりませんな」
ゴーントの勢いに目を瞬きつつも、オグデンの姿勢は一貫していた。きっと、このような手合いには慣れているのだろう。
意に介さないオグデンの態度に、ゴーントは怒りを募らせ、今度は娘へと飛びつきその胸元に輝くネックレスを掴んでオグデンの前へと引き摺り出した。
「これが見えるか?」
首にかかったままのロケットを強く引っ張られ、メローピーがむせ返る。オグデンは慌てて叫んだ。
「見えます。見えますとも!」
「スリザリンのだ!」
ゴーントが叫んだ。
サラは、身体の両脇に下ろした拳をぎゅっと握りしめた。
「サラザール・スリザリンだ! 我々はスリザリンの最後の末裔だ。何とか言ってみろ、え?」
やはり、そうなのだ。
蛇語を操る父と息子。根強い純血主義思想。――サラザール・スリザリンの末裔。つまりは、ヴォルデモートの――そしてサラの、血縁者。
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2021/10/29