後部車両まで念入りに見て周り、麻理亜は深く息を吐く。安堵からか、疲れからか、自分でも判らなかった。
人目を盗み、周囲に耳塞ぎ呪文を施した上で姿くらましをする。
降り立ったのは、一本次の新幹線。ずれた帽子をしっかりと被り直し、団子にした白髪を隠す。サングラスを人差し指で上げ、先頭車両から順々に乗客を見て歩く。この程度の変装で彼らの目を誤魔化せるなんて、当然思っていない。向こうに気づかれる前に見つけ出し、離れた所から様子を伺うしかない。いざとなれば忘却術もあるが、ウォッカは兎も角ジンをそれで騙しきれるとは限らない。
昨夜の電話でジンは、新幹線の爆破を仄めかした。景色を見下ろし、ほくそ笑みながら消え去るだろうと。大勢の死傷者が出ようと、麻理亜には何の関係も無い。彼にはそう言ったが、もちろん見逃す訳にはいかない。彼らは、無関係の一般人までも巻き込んで取引相手を抹消しようとしているのだ。
罠かも知れない。
しかし例え罠だとしても、ジンが言った新幹線爆破予定は事実だろう。彼らは、それを平気でするような奴らなのだ。
爆破が事実である限り、罠であっても麻理亜は食い止めに行かざるを得ない。何とか、彼らには見つからないようにして。
そして若し見つかったとすれば、その時はもう、麻理亜は誰の元へも帰る事が出来なくなるだろう。
No.10
昼を過ぎ、また次の新幹線へと姿現しをして、漸く目的の二人組みは見つかった。
咄嗟に扉の影へ身を隠す。
鼓動が波打っていた。背にした壁越しに、そっと彼らの様子を伺う。揃いも揃って黒ずくめの服に、目深に被った黒い帽子。――ジンとウォッカ。彼らに間違い無い。
麻理亜は静かにウォッカを見つめる。開心術は高度な技だが、時にマグルでさえ「閉心術」をこなす事がある。例えば、ジンがその部類だ。他にも組織の者達にはそう言った人物が多い。
「……レジリメンス」
杖を向け、そっと呟いた。
眼を合わせていない。予想はしていたが、完全な成功とは言えなかった。断片的な映像が、麻理亜の脳内に流れ込んでくる。どれも麻理亜の記憶ではない。何処かの研究所、東京駅構内、新幹線の停まっているるホーム、食堂車、愛用の煙草、突然立ち上がる子供、黒いアタッシュ・ケース、山々の向こうから頭を覗かせる富士山、東京ばな奈、雷おこし、ごまたまご、リーフパイ、何種類かの牛肉弁当、また何種類かの海鮮弁当――
麻理亜は呆れて溜息を吐く。とりあえずはっきりと判ったのは、駅弁や土産物に非常に興味があったらしいと言う事だった。まるで子供のようなラインナップに、麻理亜はこめかみを押さえる。
「――おい。どうした、ウォッカ」
麻理亜は即座に杖の照準を外す。
ウォッカは慌てた様子だった。
「すいやせん。突然、頭がぼーっとして――」
ジンが立ち上がった。麻理亜は身を引き、息を潜める。
ウォッカが困惑したように問う。
「どうしやした? 兄貴……」
ジンはこちらへと足を踏み出した。
麻理亜の鼓動は最高潮だ。壁にぴったりと身を寄せる。目くらましの呪文をかけるか。否、駄目だ。もう遅い。少しでも動けば、見つかってしまう。
気絶させ、記憶を消す――上手く行くだろうか。手早くやらねばならない。二人のどちらかが、仲間へ連絡を取ってしまう前に。他の大勢のマグルの客には見えないように。
杖を握る手に力を込める。あと三メートル――二メートル――一メートル――
新幹線が停止した。足を踏ん張り、意地でも壁に寄って立つ。
「名古屋ー、名古屋ー。お降りのお客様は――」
「おい! ずらかるぞ……」
言って、ジンは引き返して行った。席へ戻り、白いスーツケースを転がすウォッカと共に、反対側の扉から出て行った。
深い息を吐き、麻理亜はずるずると壁に寄りかかりながらしゃがみ込む。
見つかると思った。まだ何も出来ていない。彼らはこの新幹線内で取引をした筈なのだ。そして、その相手をこの新幹線もろとも吹き飛ばすつもりだ。少なくとも、その爆弾を何とかするまでは見つかってはいけない。
扉が閉まり、新幹線は動き出す。
麻理亜は手を膝につき、立ち上がった。懐中時計を出し、時間を確認する。恐らくジンは、麻理亜がここにいる事を疑った。それを確かめずに降りたと言う事は、次の駅では遅いのだ。京都に着くまで、三十五分。爆発はもっと早いかも知れない。
一先ず、ウォッカの記憶の中にあった食堂車へと向かってみた。
しかし当然、取引相手とはっきり判るような人物などいない。彼の記憶にはアタッシュケースがあった。しかし、彼らが持っていたのは白いスーツケース。恐らく、取引相手と交換したのだろう。しかし、アタッシュケースを持っている人物さえ、食堂車には見当たらなかった。とうに、自分の席へと戻ってしまったようだ。
どうしよう。
手掛かりは、断片的な映像のみ。確かな会話を聞いた訳でもない。土産を見ていたウォッカの事だ、ただの個人的興味の可能性も十分に考えられる。
「ねえ、富士山はー? ここなら見えるー?」
俯いた麻理亜の耳に、子供の声が飛び込んで来た。母親が苦笑する。
「富士山なら、あなたが寝ている内に通り過ぎちゃったわよ……」
麻理亜はハッと思い出す。彼の記憶の中には、富士山があった。あの高さは二階――食堂車からの景色だ。
麻理亜は端の席から順番に、山側の席を見て回る。とうに富士山を通り過ぎてしまった今では、景色を照らし合わせると言う手は使えない。何か、彼らの手掛かりになる物は無いだろうか。取引相手の手掛かりになる物は。
「落し物ですか?」
麻理亜はぎょっとして振り返る。笑顔の好印象な若い男性が、四つんばいになっている麻理亜を覗き込むように立っていた。
「ええ……コンタクトを落としてしまったみたいで……」
咄嗟に口から出任せを言う。
一緒に探し始めてくれた彼に申し訳無く思いつつも、麻理亜は捜査を続行する。
ふと、床に落ちた灰色の物に気がついた。廊下側にある椅子の、左側。指にとり、近くで凝視する。これは――灰。
四つんばいになっていなければ判らないような、ごくごく僅かな量。この席で、煙草を吸った者がいるのだ。それも、椅子の左と言う事は左利きの人物。
「ジン……」
彼も、左利きだ。利き手と喫煙者と言うだけでは、彼らである確固たる決め手にはならない。けれど、他に手掛かりが無い今、これに縋るしかない。
テーブルの上を見れば、灰皿に煙草があった。路上や灰皿の上で見る物に比べ、随分と長い。
「ありがとうございます。コンタクト、見つかりました」
「え?」
麻理亜は早口に言って、食堂車を出て行った。
ジンだかウォッカだか知らないが、吸って直ぐに消す事になったのだ。考えられる理由は、突然席を立つ事になったから――若しくは、やって来た取引相手が、煙草の煙を嫌がる人物だったから。電話でジンは、「景色を見下ろし」と言った。つまりは、二階のグリーン車に乗る人物。グリーン車の禁煙車両は、一つだけだ。
二階の七号車前に着いた途端、扉が開いた。
「二度と来るな!!」
怒声と共に飛び出て来たものを、咄嗟に麻理亜はキャッチする。蹴り出した男は、バタンと勢い良く扉を閉めた。
男に蹴飛ばされて飛んで来たのは、眼鏡を掛けた小さな男の子だった。少年は、慌てて麻理亜の胸から顔を離す。
「あ、ありがとうお姉さん――」
「大丈夫?」
離れたがっている様子の少年を降ろしながら、麻理亜は尋ねる。
「うん、大丈――」
「コナン君!?」
少年は、麻理亜の背後を見てぎょっとした表情になる。
麻理亜が振り返ると、女子高生ぐらいかと思われる女の子が仁王立ちになっていた。
「もーっ、いたずらっ子なんだから!
どうもすみません、何かご迷惑かけてませんか……?」
少年に叱り、彼女は麻理亜に尋ねる。麻理亜は微笑った。
「いえ、大丈夫ですよ」
「今度やったら承知しないわよ!」
「あ、でもまだ中に用が――」
「駄目よ!!」
少年は、彼女に引きずられるようにして一階へと降りて行ってしまった。
七号車の二階に、黒いアタッシュケースを持った人物は四人いた。その内一人は、何があったのか床に散乱した下着を慌ててケースに詰め込んでいたから違う。しかし、残る三人の内、誰が該当の人物なのか判らない。一人一人確かめるしかないか……あまり目立った行動はしたくないのだが。
物陰に隠れて、メモ帳を一枚破り取る。そして、軽く杖で突いた。
まず、一人目。麻理亜は四人の中で一番前に座っている、サラリーマンと思われる男の所へと行った。
「あのー、すみません」
仕事のデータを作っている最中の男は、やや迷惑そうに麻理亜を見上げた。
「食堂車へ行きましたか? 切符が落ちていまして……」
「切符なら、席番号が書いてあるんじゃないですか?」
「それが、汚れで一部欠けていて。この車両と言う事は判ったのですが」
麻理亜は、物陰でこしらえた偽者の切符を見せる。
男は淡々と言った。
「何にせよ、私はそんな所行っていませんよ。そんな暇ありません」
棘々と言われ、麻理亜は引き下がった。
「お邪魔してすみませんでした……」
続いて、その直ぐ後ろの女性。
先程の男性に尋ねたのと同じように、食堂車へ行ったかと尋ねる。彼女の返答も、否だった。
「若しかして、さっきの男の子もその切符を見かけたのかしら」
女は、独り言のように呟いた。
「さっきの男の子?」
「ええ。さっき、眼鏡の男の子にも聞かれたのよ。食堂車へ行ったかって。あ、でも、私と似た人を見かけたって言っていたから違うかしら――切符なら、そう言う筈だものね」
女性は、定期入れを出し中身を確認する。
「――大丈夫よ、私の切符じゃないわ。
切符なら、車掌さんにでも預けた方が早いんじゃない?」
「見つけられなかったら、そうします。もうここまで来てしまったので」
それから、少し離れた所に座ったお爺さん。
しかし、彼は会話にならなかった。耳が遠いのか、見当違いな答えばかり返ってくる。
麻理亜は車両を出て行き、扉の隙間から杖で狙いを定める。三人とも、麻理亜程度では、目を合わせただけでは開心術は不可能だった。杖も向けなくてはならない。それならば、断片的になろうとも隠れて杖を向けた方が確実だ。
しかしその時、ポケットに入れていた携帯電話が震えた。
麻理亜は急いで、周囲に耳塞ぎ呪文をかける。そして、その場でくるりと回転した。
降り立った麻理亜の背後には、通天閣。携帯電話を取る。相手は、ジンだ。
「――遅かったな」
彼の一言は、不信感を露にしていた。
「学校の友達と一緒だったのよ……。
珍しいじゃない。いつもは短い時間で切って、こちらからかけ直す事になっているのに……」
「こっちも暇じゃない。お前がかけ直すのを待っている時間がなかったからな……。お前にビッグニュースを教えてやろうと思ってな」
「あら。楽しいものだといいんだけど」
言いながら、麻理亜は懐中時計を開く。京都に着くまで、もう時間が無い。長電話だとアウトだ。かと言って、大阪を出れば逆探知でばれかねない。
ジンの冷たい声が、麻理亜の思考を停止させた。
「――シェリーの処分が決まった」
すーっと身体の芯から冷えていくようだった。
シェリー……宮野志保。明美の、妹。絶対に守ると誓った少女。
「な、に……? 処分って……どう言う事?」
麻理亜の動揺する声に、彼が電話の向こうでほくそ笑んでいるのが見えるようだった。
「ここ最近、奴は薬の研究を拒否していてな……。組織に逆らう奴を、生かしておく理由は無い」
「研究拒否? どうして、また……」
「納得の行く答えが得られないから、だそうだ。――姉の死について」
麻理亜はぎゅっと両手で携帯電話を握る。
彼女も同じだったのだ。明美の死の真相を、調べようとしていた。守ると胸に誓いながら、麻理亜は傍にいてやれなかった……。
「東京のガス室で、明日にも始末する予定だ。お前は宮野明美と親しかったから、伝えておこうと思ってな」
「……そう。それは態々どうも」
電話を切ってからも、麻理亜は暫く呆然とその場に佇んでいた。
志保が捕らえられた……。殺される……。
今にも、東京へ飛んで行きたかった。麻理亜には魔法がある。ジンは場所を明確に言った。組織が所有する中で、ガス室がある東京の設備は、ただ一つ。あとは、その中のどの牢に志保が捕らえられているかだ。見つけ次第、連れ去れば良い。状況が変わった。組織を中から潰すだの何だの言っている場合ではない。志保まで失ってしまったら、組織に関わり続ける理由が何処にあると言うのか。ただ復讐だけの為に、心配する紅子を危険に晒さぬように突き放して。
今直ぐ東京へ行きたい。
しかし麻理亜は、懐中時計を取り出した。三時八分。駅到着まで時間が無い。実際爆破は、それより前なのだ。
けれど、誰が取引相手だ? 無理矢理にでも、三人からケースを奪おうか。目立った事をしなくても、この後直ぐに志保の所へ行くつもりだ。きっとこれは罠だ。だが、それが逆に好都合だ。組織が麻理亜を捕らえるまで、志保の命は保障される。貴重な人質なのだから。
その時不意に、麻理亜は一人の人物の動作を思い出した。
――あの人だ。
「アフリアート」
唱え、麻理亜はその場で回転した。姿くらましの際の騒音は、マグル達の耳には聞こえない。
麻理亜が声をかけた三人の人物。内、一人は、自分の切符の所在を確認した。普通に考えれば、何も不自然な事は無い。けれど麻理亜は、それを食堂車で拾ったのだ。彼女は、食堂車へは行っていないと言ったのに――
新幹線内に着地し、七号車の二階へと駆ける。
車両の外のデッキに、女性は佇んでいた。手には携帯電話。ピピピと彼女の足元のケースが鳴る。彼女は気付いていない。
麻理亜は懐に手を突っ込み、駆け寄る。爆弾のスイッチが入ったのだ。到着までも時間が無い。恐らく、残された時間はあと数秒。
反対側からは、眼鏡の少年が駆けて来ていた。近くにいた彼の方が先に辿り着き、ケースを蹴飛ばした。アタッシュケースは新幹線の窓を突き破り、外へと放り出される。子供の物とは思えないキック力。しかし、このままでは電線に爆破が掛かる。
「ドレンソリピオ!」
杖を向け、麻理亜は叫んだ。アタッシュケースは弾かれたように加速する。
爆音が辺りに響き渡った。
麻理亜は杖をポケットにしまい、一息吐く。隣では、ケースを蹴飛ばした少年が座り込み、同じように溜息を吐いていた。
女性は腰を抜かし、へたり込んでいた。
「あ、あなた達一体……」
「江戸川コナン――探偵さ!」
少年が答える。
麻理亜は自分も尋ねられたのを忘れ、唖然と少年を見下ろした。眼鏡を掛けた、小さな男の子――先程、七号車から蹴り出されていた少年だ。恐らく、女性に食堂車へ行ったかと尋ねたのもこの子だろう。
そして、思い出した。十億円強奪犯自殺――明美の死を知った、あの新聞記事。その写真に、この子供の姿はあった。
こんな子供が探偵? あのキック力は、一体何処から? こんな子供が、爆弾に気付いたと言うのか。どうして?
疑問ばかりが浮上する。
駆け上がってきた女の子に、少年は首根っこを掴まれ持ち上げられた。
「コラ! また貴方、何か――」
「た、ただの小学生だけどね……」
女が繰り返しかけ、少年は慌てて言った。麻理亜も女性も、目をパチクリさせていた。
あの女は、組織と一体何の取引を行ったのか。
少年は一体、何者なのか。
疑問はあったが、麻理亜は事情聴取が始まる前にどさくさに紛れて姿くらましをした。何か聞かれたら、不味い事ばかりだ。
続けて降り立った先は、東京。
組織が麻理亜を捕まるのが先か。麻理亜が志保を連れ出すのが先か。
――命を賭けた勝負の始まりだ。
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第3部
黒の世界
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2010/03/23