オグデンとゴーントの問答は、外から聞こえて来た高らかな笑い声と蹄の音に遮られた。
 トムとセシリアと違いを呼び合う若い男女は、ゴーントの家を笑いながら近くの小道を村へと去って行った。
 彼らの出現に怒り心頭のゴーントを、更に怒らせる事実をモーフィンは告げた。
「こいつは、あのマグルを見るのが好きだ」
 怯える妹を見つめながら、モーフィンは蛇語で話した。
「あいつが通る時はいつも庭にいて、生垣の間から覗いている。そうだろう? それに昨日の夜は、窓から身を乗り出してあいつが馬で家に帰るのを待っていた。そうだろう?」
「マグルを見るのに、窓から身を乗り出して見ていただと?」
 モーフィンの呪文の哀れな被害者となったのは、あの男だったらしい。ただの無差別なマグル襲撃ではなく、妹の恋慕が絡んでいたようだ。
 ゴーントはメローピーへと襲いかかった。娘の首を両手で絞め、吠え猛る。オグデンは杖を上げて妨害し、今度はオグデンがゴーントの襲撃対象となった。
 ナイフを振り回すゴーントから、オグデンは命からがら逃げ出す。
「後を追わねばならん」
 ダンブルドアが短く言い、オグデンの後を追って駆け出す。サラとハリーも慌ててその後に続いた。
 去り際に部屋の中を振り返る。
 汚れと埃が溜まった床と壁、煤けた竈門。純血主義で暴力的な父親と息子、彼らに抑圧されたスクイブの妹。
 いつの時代の事か分からない。ヒントになるような物も部屋の中には見つけられなかった。ただ、ボブ・オグデンが亡くなったのが最近だと言うのであれば、そう遠い昔の事ではないだろう。
 オグデンは両腕で頭を守るようにして、転がるように路地を抜け小道へと出た。小道に出るなり栗毛の馬に衝突して、オグデンはもんどりうって跳ね飛ばされる。
 馬に乗っているのは、若い男だった。その隣にもう一頭、別の馬に乗った若い女。笑いながら話すその声から、先程ゴーントの家のそばを通りかかったトムとセシリアなのだと分かった。
 サラは、黒髪の男をまじまじと見つめる。その男の顔は、どこかで見た事があるような気がした。
「もう良いじゃろう」
 ダンブルドアの言葉とともに、彼の手がサラの肩に置かれた。次の瞬間、辺りが無重力の暗闇へと変わり、そして、三人はダンブルドアの部屋へと着地していた。





No.11





 校長室へと戻ったダンブルドアは、あの父親の名前がマールヴォロ・ゴーントである事を告げた。ヴォルデモートの祖父。
「それじゃ、あの兄妹は……」
 ハリーが尋ねた。
「メローピーとモーフィンは……先生、あの二人は――」
「然様。メローピーはヴォルデモートの母親、そしてモーフィンはリサ・シャノンの父親――サラ、君の曽祖父と言う事になる」
 サラはうつむいたまま答えなかった。何と答えて良いのか、どんな顔をして良いのか分からなかった。
「それに、偶然にも我々は、ヴォルデモートの父親の姿も垣間見た。果たして気が付いたかの?」
「モーフィンが襲ったマグルですか? あの馬に乗っていた?」
「よくできた」
 マグル襲撃と魔法省役人を傷つけた咎でモーフィンとマールヴォロは投獄された。父親と兄から解放されたメローピーは、ようやく自身の能力に目覚め、自由の身となる事ができたのだとダンブルドアは推察していた。
 オグデンの来訪と父子の逮捕から数ヶ月後、リトル・ハングルトンの大地主の息子トム・リドル・シニアは、メローピー・ゴーントと共に姿を消した。そして数ヶ月の後に、「騙された」と言って戻って来た。
 恐らく、使われたのは愛の妙薬。メローピーは身篭り、そして、薬を使うのをやめた。愛の妙薬に頼らずとも、彼も自分を愛してくれているだろうと信じて。
 話す内に陽は完全に沈み切り、外はマールヴォロの手に嵌められていた指輪のような深い闇に覆われていた。
「今夜はこれくらいで良いじゃろう」
「はい、先生」
 サラとハリーは答え、立ち上がる。サラは足早に戸口へと向かい、振り返る。
「では……」
 挨拶をしかけ、口をつぐむ。ハリーは隣にはおらず、まだ椅子から立ち上がったその場にいた。
「先生……こんな風にヴォルデモートの過去を知る事は、大切な事ですか?」
「非常に大切な事じゃと思う」
「そして、それは……それは、予言と何か関係があるのですか?」
「大いに関係しておる」
「そうですか」
「ハリー」
 サラは急かすように彼を呼ぶ。ハリーはうなずき、動きかけたが、再びダンブルドアを振り仰いだ。
「先生、ロンとハーマイオニーには、先生からお聞きした事を全部話してもいいでしょうか?」
「よろしい。ミスター・ウィーズリーとミス・グレンジャーは、信頼できる者たちである事を証明して来た。しかし、ハリー、そしてサラも。この二人には、他の者には一切口外せぬようにと、伝えておくれ。わしがヴォルデモート卿の秘密をどれほど知っておるか、または推量しておるかという話が広まるのは、望ましくないのでの」
「はい、先生。ロンとハーマイオニーだけに止めるよう、気をつけます。おやすみなさい」
 今度こそハリーは歩き出し、戸口まで来た。そして、足を止めた。彼の視線の先を辿り、サラはハッと息を呑んだ。
 銀製の繊細な器具がたくさん乗ったテーブル。そこに、大きな金の指輪があった。指輪に付いているのは、黒い大きな石。ただ記憶の中で見たのと違うのは、その石が割れていると言う事だった。
「先生、あの指輪は――」
「何じゃね?」
 ハリーの問いに答えるダンブルドアの声は、どこか白々しく感じられた。まるで、悪戯が見つかった子供のような。
「スラグホーン先生を尋ねたあの夜、先生はこの指輪を嵌めていらっしゃいました」
「その通りじゃ」
「でも、あれは……先生、あれは、マールヴォロ・ゴーントがオグデンに見せたのと、同じ指輪ではありませんか?」
 代々家に伝わる物だと、マールヴォロは話していた。マールヴォロの指輪。サラの、高祖父の。
 割れた石は、記憶の中で見た物に比べてどこかくすんで見えた。何か、魔力を宿した物なのだろうか。
 ぐい、と腕が強く引かれ、黒いローブが目の前に割り込みサラの視界から指輪を隠した。
「おやすみなさい、先生。行こう、サラ」
 ハッとサラは我に返る。
 ダンブルドアに別れの挨拶を告げ、サラ達は校長室を後にした。
「サラ、大丈夫?」
 グリフィンドール塔への帰路を辿りながら、ハリーがおずおずと尋ねた。
 サラはハリーをちらりと横目で見上げ、うつむく。
「……正直なところ、どう受け止めていいか戸惑いはあるわ」
 ヴォルデモートと重なる血筋だ。どうせ純血主義だろうと期待はしていなかった。しかし、記憶という形で見た親族は、あまりにも強烈だった。祖母が生まれたと言う事はモーフィンの相手となった女性がいるはずだが、いったい何が良くてあの男を選んだのか、サラには理解できなかった。あるいは、彼もメローピーのように、魔法で――あるいは暴力によって子孫を遺したのだろうかと、おぞましい疑念すら浮かんだ。
「ハーマイオニーとロン、談話室で待ってるのかしら」
「待ってるんじゃないかな。そんなに遅い時間でもないし……」
「彼らへの説明、あなたの口からお願いしてもいい?」
「……うん」
「ありがとう。悪いけど、任せるわね」
 今夜見た光景を再び詳細に思い出す気には、少なくとも今はなれなかった。だが、二人への説明はあまり時間を置かない方が良いだろう。また妙な誤解を生んでも困る。ハリーが話せるなら、彼に任せてしまった方がいい。
「……シリウスも、ああいう人達と暮らしていたのかしら」
 ぽつりとサラはつぶやいた。ハリーはサラを振り返ったが、何も言わなかった。
「きっと、つらかったでしょうね……」
 喚き叫んでばかりだった、シリウスの母親の肖像画。彼は心底、あの家を嫌っている様子だった。
 長らく人のいなかった家の肖像画と言う事もあって壊れたおもちゃ程度の認識でいたが、もし生前もああして侮蔑の言葉を叫んでばかりだったなら、彼女の息子でいるのはさぞかし苦痛だったろう。
 サラは、ローブの内ポケットに入れた使わぬ杖に、そっと布地の上から触れる。
 ……今こそ、彼と話したい事がたくさんあるのに。

 まだ時間の早い談話室では、グリフィンドール生達が宿題をしたりチェスをしたり、就寝までの時間を思い思いに過ごしていた。ロンとハーマイオニーも宿題を広げながら、暖炉のそばのソファを確保していた。
 手を振る二人の下へと、サラとハリーは歩いて行った。
「お疲れ。どうだった?」
 興味津々な様子を隠そうとするかのように、白々しいほど軽い調子でロンが尋ねた。
「あー、うん。授業といっても特訓とかじゃなくて、話を聞くだけだったよ。それとも、『見る』かな……」
「サラ?」
 机の上に重ねたままだった教科書や羊皮紙の束をまとめるサラに、ハーマイオニーが怪訝げに問う。
「ごめんなさい。私、今日は疲れちゃって。何があったかは、ハリーから聞いてちょうだい。じゃあ、お願いね、ハリー」
「うん」
 当惑する二人と心配そうなハリーを残し、サラは寝室へと階段を上っていった。
 部屋に戻るなり、ベッドに倒れ込む。もぞもぞと靴を足で脱ぎ落としながら、枕まで匍匐前進で辿り着く。
 ゴーント一家。祖母の父親の家系。
『非常に古くから続く魔法界の家柄じゃが、いとこ同士が結婚をする習慣から、何世紀にも渡って情緒不安定と暴力の血筋で知られていた』
 校長室に戻った後にダンブルドアから聞いた説明が、脳裏に響き渡る。
 その血を引く本人も前にしながら、辛辣な説明。しかし事実は事実なのだろうし、サラ自身も思い当たる節があり過ぎた。
 マグルだった父は、母を捨てた。そう話していた彼は、自身の母親がどういう家で育ったのか、どういう仕打ちを受けていたのか、知っていたのだろうか。スリザリンの血筋だと自認していると言う事は、全く知らない訳ではなさそうではあるが。
 サラは、ベッド脇の棚の上に置いた日記へと目をやる。
(……おばあちゃんも)
 彼女も、果たして知っていたのだろうか。自身の出自を。父親がどのような人物だったかを。
 手を伸ばせばすぐ届く場所に日記はあったが、今夜は、聞いてみる気にはなれなかった。


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2021/11/13