『例えサラと別れたって、ドラコは私のお兄ちゃんみたいな存在だもの』
 恋人として眼中に入らない存在となっても。「サラの妹」から逃れられなくても。それで、彼の「特別」でいられるならば。そう思っていた。
「君に話せるような事も、君が協力できるような事も、何も無い」
 淡々と吐き捨てられた台詞。
 それは、確かな拒絶だった。
 アリスには話せないと。アリスでは、何の力にもなれないと。
 寝室に運び込まれた荷物の傍らで、アリスは膝をつく。
 いっそ、紛失してしまえば良いとすら思った。意図せず起こった事なら、仕方がない。自分で選ぶには、あまりにも大きな選択だった。
 しかし、そんな甘い夢が現実に起こる事はなく、それは無事、スリザリンの寝室へと届いていた。
 ダイアゴン横丁から新品の教科書や鍋と共に送った、小瓶。
 卑怯なコウモリは、ずっと卑怯なままではいられない。
 ――どちらかを、自分で選ばなければならない。





No.12





 六年生の授業は、去年までとは比べ物にならない程に難易度が上がっていた。履修科目が減った事による自由時間はほとんど宿題に取られ、去年のようなスネイプの追加課題が無くても、アニメーガスの特訓に掛けられる時間は大して変わらなかった。
 スネイプとエリの件はもうナミ達やあの時グリモールド・プレイスにいた面々にはバレてしまったが、スネイプが追加課題を課してくる事はなかった。もっとも、入学前から思い通りに魔法を使っていたサラにとって、無言呪文は苦ではなく、闇の魔術に対する防衛術においては例えスネイプでも文句の付けようがなかった。
 サラにとっては当たり前のように使えるものだが、大半の生徒はそうでは無いらしい。エリのみならず、ハリーも、ロンも、ハーマイオニーでさえも多大な時間を無言呪文の練習に費やす事になり、サラもそれを手伝わざるを得なかった。
「こう……イメージするのよ。呪文を唱える時と、特に変わりないわ。ただ、口に出すか出さないかの違いだけ」
「やってるよ。他にコツとか無いのか? 振り方とかさ」
 口を尖らせて不貞腐れるロンに、サラは軽く肩をすくめた。
「正確に、としか。でもそれって、唱える時も一緒でしょう?」
 四人は大広間へと入る。自然、視線が教職員席へと向いた。
 壇上に置かれた長いテーブル。その中でも一回り大きく幅のある椅子は、空っぽだった。
「訪ねて行って、説明するべきよ」
 ハーマイオニーが言った。
 結局、サラも魔法生物飼育学は選択しなかった。サラ達が授業に来ないことを知る前のあの朝以降、ハグリッドとは会話をしていない。廊下ですれ違ってもなぜかハグリッドは四人に気付かず、更には挨拶をしても聞こえない様子だった。
 この状況が実にまずい事は、サラも同感だった。
「午前中はクィディッチの選抜だ! なんとその上、フリットウィックの『アグアメンティ』を練習しなくちゃ!
 それに、何を説明するって言うんだ? ハグリッドに、あんなバカくさい学科は大嫌いだったなんて言えるか?」
「大嫌いだったんじゃないわ!」
「君と一緒にするなよ。僕は『尻尾爆発スクリュート』を忘れちゃいないからな」
「あら、あの生物は結構面白かったと思うけど。法律的にクリアしているかは心配だったけど……でも、三大魔法学校対抗試合で使われていたのでしょう?」
 サラはハリーを一瞥しながら話す。ハリーはうなずいた。
 墓場に飛ばされる前に、彼らは怪我をしていた。それは尻尾爆発スクリュートによるものだったのだと、後から聞いていた。
「ダンブルドアも、魔法省も、違法な生き物を課題に採用するとは思わないわ。課題に選定される程度の危険はあれども、十分に生徒でも対処し得る生物だったって事よ」
「じゃあ、グロウプの事は? 僕達実は危うい所を逃れたんだぞ――あのままハグリッドの授業を取り続けていたら、僕たちきっと、グロウプに靴紐の結び方を教えていたぜ」
「ハグリッドと口もきかないなんて、私、嫌だわ」
「クィディッチの後で行こう」
 萎れた様子のハーマイオニーに、ハリーが言った。それからハリーは、サラの方へと目を向けた。
「そう言えばサラ、選手の応募がまだ出ていないみたいだけど。まあ、サラは間違いなく選手でいいと思うけど……一応、ケイティからも、既存選手も公平に選抜を受けさせろって言われてるからさ。これまでと同じ、チェイサーでいいんだよね?」
「私、今年はクィディッチやらないわよ」
 ハリーも、ロンも、ぴたりと動作を止めてサラを見た。ハリーのフォークからポトリとソーセージが落ちて、彼のグラスの中に入った。
「……まさか。冗談だよね?」
「ジョークにしては、面白みも何も無いと思うけど」
 サラはしれっと返す。
「だって、ようやくアンブリッジもいなくなって、復帰できるんだぜ? サラがいなかったら、チェイサーはケイティだけになっちゃう!」
 ロンが悲痛な叫びを上げる。
「ならないわよ。今日の選抜で新規メンバーを追加するんだから。応募、たくさん来ているんでしょう?」
「それは――まあ、そうだけど――」
 ハリーは困惑気味に答える。
「ねえ、本当に? 選手にならないって事は、これから一年、またクィディッチができないって事だよ」
「ええ。私、勉強に専念する事にしたの」
「誰かから、そうした方がいいって言われたの?」
 そう尋ねたのは、それまで黙って話を聞いていたハーマイオニーだった。サラはきょとんと目を瞬く。
「いいえ。私の考えだけど……どうして?」
「アー、ううん。それなら良いの。そうね、いもり学年だもの。一緒に勉強しましょう」
 ハーマイオニーは慌てて取り繕うかのような話し方だった。いったい、どうしたと言うのだろう。
「冗談じゃないよ! アンジェリーナも、アリシアも、卒業しちゃったんだ。その上、サラも抜けるなんて……考え直してみないか? とりあえず、今日の選抜は受けておいて……それからまた考えればいい」
「もう、ロン。無理強いするものじゃないわ。選抜への応募はたくさんあったのでしょう。その中から選べば良い事じゃない。どう、ハリー? これまでのチェイサーがケイティしかいなくても、足りそうなぐらい応募はあるの?」
「まあ、人数的には……午前中いっぱいかかりそうなぐらいの応募が来てるよ。どうして急に、こんなに人気のあるチームになったんだか……」
「まあ、ハリーったら。クィディッチが人気者なんじゃないわ」
 ハーマイオニーは、驚いたような呆れたような声で言った。
「あなたよ! あなたがこんなに興味をそそった事はないし、率直に言って、こんなにセクシーだった事はないわ」
 サラは目を白黒させてハーマイオニーを見る。ハリーも困惑顔だった。ロンは、口に入れたニシンの燻製でむせ返っていた。
「あなたの言っていた事が真実だったって、今では誰もが知っているでしょう? ヴォルデモートが戻って来た事も正しかったし、この二年間にあなたが二度もあの人と戦って、二度とも逃れた事も本当だと、魔法界全体が認めざるを得なかったわ。そして今は、皆があなたの事を『選ばれし者』と呼んでいる――さあ、しっかりしてよ。皆があなたに魅力を感じる理由が分からない?」
 ハリーの顔が、カーッと紅くなっていく。緑色の瞳が左右に泳いでいた。
「でも……それは、サラだって……」
「ええ、そうね。サラも色んな人から熱い眼差しを向けられたり、ラブコールを送られたりしているわ。全部切り捨てているみたいだけど」
 突然の流れ弾を喰らい、サラは慌てて割って入る。
「ま、待って。ヒソヒソやられたりはしてるけど、それは入学した頃からの生き残った女の子やら何やらでそう言う類のものじゃないし、ラブコールなんて、全然――」
「あら、サラ、それじゃあ本当に全然気付いてなかったの? どうしてテリー・ブートがあなたに声をかけて来たのだと思う? 彼だけじゃないわ。今年は随分と知らない人に話しかけられるとは思わなかった? つい昨日だって、図書室でハッフルパフの人に本の事を聞かれたでしょう?」
「あれは、私が本に詳しいから――」
「あなたと話す口実よ! あなたと仲良くなれるんじゃないかって、彼は期待していたのよ!」
「アー……えーと、今はハリーの話よね?」
 サラは、思わずスリザリンのテーブルへと視線を走らせた。大広間の反対側まで話し声が届く事はなく、ドラコはいつもと変わらず、ビンセントとグレゴリーに何やら得意げに話していた。
 サラの指摘で、ハーマイオニーの矛先はハリーへと戻っていた。サラはホッと息を吐く。
 そもそも、汽車でテリー・ブートに話しかけられた時、ハーマイオニーはいなかったはずだが、どうして知っているのだろう。そんな些細な事まで、あちこちで噂されているのだろうか。
「あなたを情緒不安定な嘘つきに仕立て上げようと魔法省が散々迫害した時も、あなたは耐え抜いた。あの邪悪な女が、あなた自身の血で刻ませた痕がまだ見えるわ。でもあなたは、とにかく節を曲げなかった……」
「魔法省で脳みそが僕を捕まえた時の痕、まだ見えるよ。ほら」
 ロンが腕を振り、袖をまくった。
「それに、夏の間にあなたの背が三十センチも伸びた事だって、悪くないわ」
 流石にそんなには伸びていないと思うが、再び矛先がこちらへ向くのを恐れ、サラは黙っておいた。ロンが挫けずに、事も無げに言った。
「僕も背が高い」
 サラやハリーを鈍感だとでも言いたげな剣幕だが、ハーマイオニーもなかなかのものではないだろうか。それとも、気付いていながら放っておいているのだろうか。

 ふくろうが大広間へと続々と到着し始めて、この話題は終わってくれた。ナミの住む家はふくろうが禁止されている。それでも今日は、日刊予言者新聞の他にも届け物があった。「上級魔法薬」の教科書が届いたのだ。
 新品の教科書を見てハーマイオニーは上機嫌になったが、束の間の事だった。ハリーはプリンスの「上級魔法薬」を取り出すと、新旧二冊の教科書の表紙に切り裂き呪文をかけ、表紙を入れ違いにして「レパロ」を唱えた。
「スラグホーンには新しいのを返すよ。文句はないはずだ。九ガリオンもしたんだから」
 またハーマイオニーが爆発するかと思ったが、日刊予言者新聞の到着がそれを止めてくれた。急いで一面を広げるハーマイオニーに、ロンが冗談めかして問う。
「誰か知ってる人が死んでるか?」
 ハーマイオニーが新聞を広げる度、ロンはこの質問をしていた。
「いいえ。でも、吸魂鬼の襲撃が増えてるわ。それに、逮捕が一件」
「良かった。誰?」
「スタン・シャンパイク」
「えっ?」
 上げられた名前に、ハリーが目を瞬いた。
「知り合い?」
 サラは問う。騎士団の中にも、そんな名前はなかったはずだ。
「ナイトバスの車掌だよ――そんな人には到底見えなかったのに」
「『服従の呪文』をかけられてたかもしれないぞ。何でもアリだもんな」
「そうじゃないみたい」
 記事を読みながら、ハーマイオニーが言った。
「この記事では、容疑者がパブで死喰人の秘密の計画を話しているのを、誰かが漏れ聞いて、その後で逮捕されたって。もし『服従の呪文』にかかっていたなら、死喰人の計画をその辺りで吹聴したりしないじゃない?」
「あいつ、知らない事まで知ってるように見せかけようとしたんだろうな。ヴィーラをナンパしようとして、自分は魔法大臣になるって息巻いてた奴じゃなかったか?」
「うん、そうだよ」
 ロンの言葉に、ハリーがうなずく。サラは首を傾げた。
「捜査攪乱――業務妨害とか、その辺りって事なのかしら。聞いてる話じゃ、撹乱させるような信憑性なんて無さそうだけど。ちょっと調子の良いタイプの人がいつもの法螺を吹いたってだけじゃない」
「たぶん、何かしら手を打っているように見せたいんじゃないかしら。皆、戦々恐々としているし――パチル姉妹のご両親が、二人を家に戻したがっているのを知ってる? それに、エロイーズ・ミジョンはもう引き取られたわ。お父さんが、昨晩連れて帰ったの」
「だけど、ホグワーツはあいつらの家より安全だぜ。そうじゃなくちゃ! 闇祓いはいるし、安全対策の呪文が色々追加されたし、何しろ、ダンブルドアがいる!」
 ロンは明るく言ったが、ダンブルドアもここのところ、全く姿を見せていなかった。ハリーと共に受けた個人授業、あの晩が最後ではないだろうか。
 昨日は、エリの友達のハンナ・アボットが薬草学の授業中に呼び出されていた。母親が亡くなったらしい。
 学校の外で、何かが起こっているのは確かだった。





 サラはハーマイオニーとスタンドに並んで、競技場でクィディッチの選抜が行われる様子を眺めていた。
 ハリーが話していた通り、立候補者は途方も無い人数だった。軽く五十人近くはいるのではないだろうか。
「いくらなんでも、多過ぎじゃない? グリフィンドールの七割以上が集まってるわよ、これ」
 サラは呆れ果てて呟いた。クィディッチ自体は人気競技だと思う。しかしさすがにここまでの人気となれば、ハリーが訝しんでいたのもうなずける。
 十人ずつに分けられたグループが、順々に競技場を箒で一周する。正確に言えば一周できた生徒はほとんどおらず、やっとこさ浮く事ができたり、浮いてはいるが互いにしがみついてキャッキャと騒いでいたり、まともに飛び始めたかと思えば玉突き事故を起こしたりといった始末だった。
「サラ、本当に良かったの?」
 立候補の中に紛れ込んでいたハッフルパフのグループが追い出されるのを眺めながら、ハーマイオニーが尋ねた。
 正直なところ、あまりにも散々な選抜を見ていて、グリフィンドール・チームの今後に不安が湧かないと言えば嘘になる。しかしそれでも、決めたのだ。ただでさえ多い課題。これから不定期的に行われるであろうダンブルドアの授業。この上クィディッチの練習もあっては、アニメーガスの取得が進まない。ルシウス・マルフォイは監獄に入った。これ以上、先延ばしにはできない。
「――ええ。ハリーは頑張るつもりみたいだけど、私はそこまでどれもこれもなんて、できないもの。もう少し勉強の方に比重を置きたいわ」
 ハーマイオニーはサラをじっと見つめていた。何かを迷っている様子だった。
「どうしたの?」
「あ……いえ……お昼過ぎには、ハグリッドの所へ行けるかしら」
 ピッチへと視線を戻しながら、ハーマイオニーは言った。
「さあ……だいぶ減ったとは言え、この人数だもの。何時までかかるか……」
「ねえ、色々あって聞き損ねていたけれど、天文学の試験の日――ハグリッドを守っていたのって、サラ?」
 サラは目を瞬く。そして薄く笑った。
「こんなに人の目のある場所で聞く?」
「誰も責めはしないわよ。周りはグリフィンドール生だし、相手はあのアンブリッジだもの」
 そう言いつつも、ハーマイオニーは少し声を潜める。
「突然の救援に、アンブリッジもたじたじだったわね。彼女の味方の役人がやられちゃって――」
「え……私、攻撃はしていないはずよ? ハグリッドに止められて……」
 答えながら、サラはドキドキと胸が鳴るのを感じた。
 アンブリッジも、攻撃されたと言っていた。彼女は大袈裟に言っていた可能性があった。
 しかし、ハーマイオニーも同じ事を言うなんて。リサが嘘を吐いていた? 嘘を吐けば、事実と話が合わず、かえってまずい事になる。リサだって分かっているはずだ。しかし、ハーマイオニーが嘘を吐く理由も見えない。
「アー……そうだったかもね。あんまり驚いたものだから、思い違いかも」
 ハーマイオニーは思いの外あっさりと引いた。ただ、彼女の記憶が曖昧なだけだったのだろうか。言葉の綾だったのだろうか。
「天文塔から、よく間に合ったわね?」
「箒を呼び寄せたのよ。私の箒はアンブリッジに取り上げられていたけれど、ホグズミードにあるおばあちゃんの箒は無事でしょう?」
「全部、覚えているのね……」
 ぽつりとハーマイオニーは言った。ぞわりと全身の毛が逆立つ。
「……どう言う意味?」
 慎重に、サラは尋ねる。
 まさか、鎌をかけていたのか。試験を抜ける時に、様子がおかしいと気付かれでもしたのか。
 ハーマイオニーはけろりと言った。
「あなた、あの後、天文塔の階段で倒れていたそうだから。この前の監督生の集まりでパドマ・パチルから聞いたの。彼女の友達が見つけたって……どうしてわざわざ戻って来たの?」
「その辺りはもう、意識も朦朧としていたからよく覚えていないけど……天文塔から医務室への道を辿り直そうとしたんじゃないかしら。全然別の所で見つかったら、後が厄介でしょう?」
「見つけた子に何を話したか、覚えてる?」
「さあ……もしかしたら、何か戯言でも言っていたかもしれないけど……まずい事でも口走っちゃってた? 騎士団の事とか……」
 リサから何も聞いていない部分だった。倒れているのを目撃され、医務室へ運ばれた。そう聞いていた。まさかまだ意識があって、目撃者と何か言葉を交わしていたのか。
 ハーマイオニーは肩をすくめて言った。
「いいえ。大した事は、言ってなかったみたい」
「……そう。良かった」
 サラはピッチへと視線を戻す。ビーターの選抜に落ちた生徒が癇癪を起こし、ハリーがうんざりしながらなだめつつ突っぱねているところだった。これでもう、何人目だろう。
 天文学の試験の日の事。リサと、もう一度すり合わせをしておいた方が良いかもしれない。対アンブリッジ用の口実作りではなく、実際に何があったのか、サラの記憶として話せるように。
 ハーマイオニーがまだこちらを見ている気がしたが、サラは振り返らず、箒に慣れない生徒たちがフラフラと飛ぶのを見つめていた。


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2021/12/31