「あいちゃんってどう? 可愛いと思うの!」
 麻理亜は瞳をきらきらと輝かせて、志保を振り返る。
 麻理亜らを救ってくれた男性は、阿笠博士と言った。博士と書いて、ヒロシ。皆からは、博士――ハカセと呼ばれているらしい。工藤新一の幼児化についても知っていて、様々な発明品を彼に提供しているのだとか。
 麻理亜は組織の情報やら関係者の記憶やらを操作して来ている。そうでなくとも、麻理亜にはこの世界の戸籍も無ければ、紫埜麻理亜と言う名が本名かどうかも分からない。よって元々の名を名乗っていても問題無いが、志保はそうはいかない。偽名を考えようという事になった。
 無表情の志保。一方、阿笠は大乗り気だ。
「いいのぉ。そうじゃ。新一君を真似て、女探偵の名前から取ると言うのはどうじゃ? ちょうど、アイならV.I.ウォーショースキーがいるしの」
「工藤は、探偵の名前で名乗っているの?」
 ソファの上で髪を拭きながら、麻理亜は尋ねる。志保はテレビのリモコンを手に取り、何かを探すように次々とチャンネルを変えていた。
 阿笠は、三つのグラスをテーブルの上に置く。オレンジジュースが二つと、コーヒーが一つ。
 麻理亜は、コーヒーを手元に寄せて座る阿笠を仰ぎ見た。
「ありがとう。でも私達、子供じゃないわよ?」
「おお、すまんすまん。つい、の。
 工藤君がつけたのは、探偵ではないんじゃがの。推理小説家から取って――」
「江戸川コナン」
 静かな声が、その名を告げる。
 テレビを消し、新聞を広げながら志保は阿笠を振り返った。
「――でしょ?
 今は近所の探偵事務所で暮らしている、眼鏡の男の子……」
 麻理亜は目を瞬く。
 阿笠はやや焦りの色を見せた。
「おいおい、まさか――」
「安心して……。これは、私が個人的に知った情報。組織には知られてないわ……。もちろん、誰にも話していない……その証拠に、麻理亜は知らなかったんじゃない?」
「う、うん……」
 麻理亜は戸惑いながらも頷く。阿笠は大きく息を吐いていた。
「でも、いいかも知れないわね。彼に乗じて、女探偵から名前を取るって案。何かテーマがあると、決めやすいし……」
「では、苗字は『灰原』はどうじゃ?」
「コーデリア・グレイね……。いいんじゃない?」
 志保の賛成意見に、阿笠は嬉しそうに顔を綻ばす。新聞の傍らにあるチラシを一枚取り、裏返した。そこにペンで、『灰原愛』と書く。
「これで良いかの。麻理亜君は、どう書くんじゃ?」
 麻理亜は渡されたペンを取る。『紫埜 麻理亜』と、チラシの裏に書き付けた。
 志保も、ちらりと横目で紙を見る。かと思うと、麻理亜が置いたペンを手に取った。愛に二重線を引き、『哀』と上に書く。
「愛するの愛の方が、可愛いと思うがの……」
 麻理亜もこくこくと頷く。しかし、志保は淡白だった。
「私、愛なんて柄じゃないもの……」
「そんな事無いわよ。可愛いもの」
「……」
 志保は答えず、新聞を折り畳む。辺りを見回し、窓際へと寄った。本棚の上にある新聞を手に取り、そして呟く。
「……あったわ」
 麻理亜は席を立ち、後ろから覗き込む。昨日の夕刊だった。新聞の一面には、燃え盛る建物の写真。横書きの大きな見出しを、麻理亜は読み上げる。
「薬品会社炎上……これって」
 志保は無言で頷く。
 阿笠はきょとんと首を傾げた。
「どうしたんじゃ?」
「私達の帰る場所は、無くなったって事よ」
 志保は静かに答え、新聞紙を棚の上に戻した。
「……尤も、帰るつもりなんてさらさら無いけれど」





No.13





 担任教師の小林が、ガラリと教室の扉を開く。戸口に哀と麻理亜が姿を見せた途端、子供達の間で歓声が上がった。ホグワーツの一年生よりも幼い子供達。愛らしいその姿に、麻理亜は顔が綻ぶ。
 麻理亜も、哀も、転入先は一年B組だった。幼児化した新一と同じクラス。彼も転入だったろうに、哀と麻理亜がまとめて二人同じクラスに転入できるとは。休学中の子がいて他のクラスより人数が少なくなってはいるそうだが、それでも一人分だ。この小学校は、他のクラスにも転入生が多いのだろうか。
 教卓の前まで二人を連れて行って、小林はクラス全体を見渡した。いくつもの瞳が興味津々に輝き、こちらを見つめている。
「今日から皆と勉強する事になった、灰原哀さんと紫埜麻理亜さんです! 皆、仲良くしてあげてね!
 えーっと、二人の席は……」
 小林はきょろきょろと教室を見回す。ふくよかな男の子が、大声で言った。
「先生! ここ、ここ! 俺の隣が……空いてる……」
 彼の声は、唖然としたように消え入っていった。
 哀が小林の案内を待たず、子供達の中へと歩いて行ったのだ。その先を見て、麻理亜は納得する。
 哀が椅子を引いたのは、眼鏡の少年の隣の席。
 ――工藤新一……否、江戸川コナン。
 無言で席に座り教科書を準備し出した哀を、コナンは呆然と見つめている。哀は前を向いたまま、素っ気無く言った。
「よろしく……」
「あ、ああ……」
 戸惑いながらも、彼は頷いた。
 我に返ったように、小林は麻理亜を見下ろした。
「そ……それじゃあ、紫埜さん。小嶋君の隣に座ってくれる?」
「はい」
 生徒達はまだ、哀の方に気を取られていた。隣の席の空きを主張していた少年は、つまらなそうに叫ぶ。
「なんでぇ。ツンツンしちゃってよー!」
「そういう事、言わないの」
 ガタ、と麻理亜は彼の隣の席を引く。座席に座り、彼に笑いかけた。
「私、紫埜麻理亜。よろしくね、小嶋君」
「さあさあ、皆! 授業始めるわよ!」
 小林が手を叩き、生徒達の注目を集める。子供達は、「はーい!」と大きく返事した。
 当然だが、麻理亜にマグルの小学校の経験は無い。記憶を失う前にマグルの中にいたとしても、それは何百年も前の事だ。当然、今の教育制度とは異なるだろう。組織で必要とされる知識は学んだが、教育係を任された一人の組織員に教わるだけであった。魔法なんて無いマグルが学校で何を学ぶのか、なかなか興味深い。
「算数の教科書の八十三ページを開いてください」
 小林の言葉に、どっと不安が押し寄せる。コナンや哀は、一度学んだ内容なのだから問題ないだろう。だけれど、麻理亜は。八十ページ分ものハンデを、麻理亜は取り戻せるだろうか。
 新品の教科書をパラパラとめくって行き、八十三ページを開く。緑の森と、何本かの茶色の道。左上に一文、平仮名だらけの文章が書かれていた。
『ながさをくらべてみよう!』
 麻理亜は目を瞬く。
 小林は、明るい声で生徒達に問うた。
「どの道が一番長いか、分かる人ー!」
「はーい!」
 何人もの手が上がる。指されたのは、隣の席に座る少年だった。
「2番の道!」
「他の道だって人はいるかなー?」
 次に指されたのは、そばかす顔の少年。
「3番です。蛇行している分、距離も長くなっている筈ですからね」
「でも、3番はスタートとゴールが2番より近いじゃんかよ!」
「6番ほど短いわけじゃないでしょう。蛇行はその分、表面積を取ります。2番は、直線距離だけに囚われた人物を陥れるための、引っ掛けですよ!」
「それじゃあ、2番と3番を比べるには、どうすればいいか分かるかなー?」
 子供達は考え込んでしまう。
 麻理亜は授業のレベルに呆然としていた。真剣に考え込む子供達。背後を振り返ると、哀は無表情で真っ直ぐに前を見つめていた。コナンはその隣で、いかにも退屈そうだ。
「紫埜さん。分かるかな?」
 呼ばれて、麻理亜は振り返る。
「紐か何か切って、合わせればいいんじゃないですか……?」
「そうですね。じゃあ皆、やってみようか!」
「はーい!」
 教室中から元気な声。麻理亜は完全に、脱力していた。

 授業が終わり、麻理亜は大きく息を吐いた。これからは、ビンズの授業以上に眠気との戦いになるかも知れない。教師の話し方ではなく、難易度の問題で。
 算数の教科書とノートを、机の中にしまう。ノートは殆ど白紙状態。単元のタイトルと教科書のページ数を書いて、長さ比べに使用した紙紐を貼っただけだった。書けと言われた事以外は、何も書きようが無い。
「麻理亜ちゃん! 私、吉田歩美! よろしくね」
 カチューシャを付けた女の子が、麻理亜の席の横に立っていた。麻理亜はにっこりと笑う。
「ええ。よろしく」
「麻理亜ちゃんの前の学校って、どんなところだった?」
「割と大きな学校よ。全寮制で、山の中にある大きな学校」
「ぜんりょーせー?」
「生徒が学校に泊まって学習する事ですよ」
 口を挟んだのは、先ほどのそばかすの少年だった。彼は、麻理亜に尋ねる。
「そうすると、麻理亜ちゃんのいた学校は名門校だったんですか?」
 ホグワーツは、確かに魔法学校としては名門と言えるだろう。魔法使いなら誰でも受け入れる。けれどもその知名度や名声は高い。しかし、マグルの間で知れ渡っている筈が無い。何処だと聞かれてしまったら、当然答えられない。
 麻理亜は、適当にはぐらかす事にした。
「さあ……。殆ど、学校内で暮らしていたから。日本の学校じゃないから、寮がある基準もちょっと変わって来るのよね」
「外国ー!? 麻理亜ちゃん、帰国子女なの!?」
 歩美が声を上げる。いつの間にか集まっていた大衆が、ざわりと大げさにざわめいた。
「そう言や麻理亜、変わった目の色してるもんなー」
 隣の席の少年が何の気なしに言う。麻理亜の瞳は、明るい。茶色を越えて橙色に近かった。髪も本来は白だが、組織に歯向かって以来は黒く染めたままだ。日本人の中で白髪は目に付きやすい。今後も、染めたままでいるつもりだった。
 何処に住んでいたのか、好きな食べ物は何か、転入生と何か話そうと子供達は矢継ぎ早に麻理亜に質問する。ふと、麻理亜は後ろ方の席に目をやった。肘を突き、興味無さそうにこちらを眺めているコナン。その隣で、文庫本を読んでいる哀。彼女を取り囲む子達はいない。哀はいかにも、近寄り難い雰囲気を醸し出していた。
 休み時間も、授業内で活動のある時間も、哀は誰も寄せ付けようとしなかった。
 昼食は、アルバイトで働いたスキー場の食堂に近かった。改方学園とは異なり、給食制だ。当番がよそい、各自が自分の分と当番の分を配膳する。机は、五つ程の班に分かれて向かい合わせに動かした。
 食事も、当然だがホグワーツとは全く違う。紅子の家やアルバイト、組織にいた頃に日本食には慣れたが、大人数用に作っているためかそれらとも若干異なり特徴的だった。
「光彦君、にんじん残しちゃ駄目だよ」
 給食も終わる頃、歩美がそばかすの少年に言った。
 彼は、野菜炒めからにんじんだけを綺麗に取り除いて端に避けていた。
「あれ? 麻理亜も、それ食わねーのか?」
 元太が麻理亜の盆を覗き込んで言う。麻理亜の皿には、しょうが焼きが残ったままだった。
「好き嫌いは良くないんだぞ!」
「好き嫌いと言うか、アレルギー……とは、ちょっと違うんだけど……その場は食べられるんだけど、後で具合悪くなっちゃうのよね。何なら元太、いる?」
「おおっ。まじで!?」
 好き嫌いには説教しつつも、肉が貰えるのは嬉しいらしい。
 給食が終わり、係が「ごちそうさま」の号令を掛ける。盆や食器を片付けると、全体での歯磨きの時間があった。うがいの段になって、麻理亜は一人教室を出る哀の所へと駆け寄った。
「志保! この後、昼休みでしょう? 元太達がね、校庭でサッカーやろうって。志保も来ない?」
「……あなた、随分と溶け込んでるわね」
「そう?」
 哀はうがいをする。隣が空いたので、麻理亜も後に続いた。
「私、サッカーやるの初めてなのよねぇ。組織で高校通ってた時、サッカー部の練習は見た事あるけれど。ああいうちゃんとしたゴールは自分達で準備出来ないから、地面に書いてある白線利用するんだって」
「私、パス」
 哀はあっさりと言い、踵を返す。
 麻理亜は慌ててうがいを済ませ、振り返った。哀は既に、教室へと戻って行ってしまっていた。





 放課を告げるチャイムが学校中に鳴り響く。麻理亜が給食の件について担任に申告している内に、哀は教室を出て行ってしまっていた。
 下校する生徒達の間を縫って、麻理亜は廊下を駆ける。昇降口まで来て、麻理亜は哀に追いついた。コナン、元太、光彦、歩美の四人も一緒だ。麻理亜は、哀のランドセルへと軽く突進した。
 哀は驚いたように振り返る。
「……麻理亜」
「酷いわよ、志保。置いて行っちゃうなんて」
 哀はじとっとした視線で麻理亜を見て、軽く背後に目配せする。視線の先を辿ると、コナンらがいた。
「あ……えと、哀。一緒に帰ろう? 元太達も一緒なの?」
 取り繕うように言って、コナンらを振り返る。
 元太、光彦、歩美が親しいのであろう事は、教室での様子を見ていれば分かった。しかし、ここにコナンもいるのは予想外だ。
「あなた達四人、仲良いの?」
「ああ! 俺達少年探偵団なんだぜ!」
 元太が胸を張って言う。麻理亜も哀も、目を瞬いた。
「少年探偵団? あなた達が?」
「ええ! 皆から依頼される難事件を解明するために、日夜活動してるんです!」
「灰原さんと麻理亜ちゃんも、一緒にやろーよ!」
「へーっ。面白そうね!」
「……江戸川君も入ってるの?」
 哀の問いかけに、コナンは苦笑して頷く。元太がその頭に手を乗せぐしゃりと撫でた。
「まあこいつは、俺の子分みてーなもんだけどよ!」
 依頼受付は、元太の下駄箱。そこに、依頼を投函するらしい。本人達は先生に内緒だと言ったが、下駄箱には「難事件大募集!」と書かれた紙が堂々と貼られている。内緒に出来ているとは到底思えなかった。まあ、小学一年生ならそんなものだろう。
 元太は下駄箱に手を掛ける。
「毎日毎日すげーんだぜ! 謎を抱えた奴らの手紙がどさーっと……あれ?」
 下駄箱にあるのは、元太の靴のみ。
 一同沈黙する。それを押し破るようにして、元太は笑った。
「アハハハハ……いつもはもっと入ってんだけど、今日はたまたま……」
 他の三人も、笑顔で取り繕う。
 コナンがふいと背を向けた。
「さ、早く帰って公園でサッカーでもやろーぜ!」
「いいですねえ!」
「やろやろ!」
「あ、それ私もいい?」
「もちろん!」
 歩美は麻理亜に頷きながら、哀のランドセルを押す。元太は慌てて靴を履いていた。
 そして、彼は叫んだ。
「あった! 依頼書だ!」
 麻理亜達は一斉に、元太を振り返る。元太は靴から取り出したその紙を広げ、読み上げた。
「放課後、一年A組の教室で俺達の事を待ってるってよ!」
「では、早速一Aの教室に!」
 皆一斉に駆け出した。歩美が振り返り、手招きする。
「ほら、灰原さんと麻理亜ちゃんも早く早く!」
「……」
「行くわよ!」
「あっ。ちょっと!」
 麻理亜は哀の手を引くと、歩美達の後に続いて駆け出した。

 依頼主は、俊也と言う小学一年生の男の子。依頼内容は、一週間前から行方不明の兄を探して欲しいと言うものだった。子供宛に来た依頼だと軽く見ていたが、話を聞けば予想外に深刻な様子。家には警察も調べに来ている程だった。
 兄の部屋には、財布が残ったまま。自発的に出て行ったとは考えにくい。そして俊也が話した黒い服の女性の話に、コナンは異常な反応を示した。
 家を飛び出し、近所を駆け回る。歩美の希望で寄ったコンビニで、偽札を払う黒服の男を発見した。コナンはすぐさま彼の後を追う。子供達は慌てて、またコナンを追い駆ける。
 麻理亜はその後を歩きながら、隣を歩く哀に小声で尋ねた。
「ねぇ、どう思う? 志保。この事件……」
「彼らじゃないわね。彼らなら、あの俊也って子も無事では無いはずよ……。消すなら、関わった人物ごと全て。それが彼らのやり方だもの……私が関わった研究所のようにね」
 ふっと麻理亜の脳裏を、親しい人々が横切っていった。紅子との関係は、組織は知らないはず。東洋大学前の喫茶店、改方学園……麻理亜の記録や記憶を消したのだから、彼らは安全なはず。それでもやはり、不安は残る。今となってはもう、彼らの現状を窺い知る術は無い。
 ――まあ、その方が彼らは安全なのでしょうけど……。
 建物の角で、立ち止まったコナンと子供達に追いつく。コナンは、今追っている人物が偽札を使ったのだと説明していた。
 突然別の事件が転がり込んできて、慌てた俊也が抗議する。
「で、でもそれ、お兄ちゃんがいなくなったのと全然関係ないじゃない!」
「関係大有りだよ! あっただろ? 兄さんが書いた絵の中に、ある人物の肖像画が……」
「夏目漱石……」
 呟いたのは哀。光彦がハッとする。
「そう言えば、千円札って夏目漱石……」
 麻理亜は日本円の絵柄などあまり覚えていないが、その名前は先ほど俊也の兄の部屋で聞いたものだった。
「じゃ、じゃあお兄ちゃんは……」
「ああ……。もしかしたら、画力に目をつけられ何処かに監禁され、偽札作りを手伝わされてるかも知れねーな……。
 あの男がそうだとはまだ言えねーけど……ひょっとすると、俺の身体を薬で小さくした……あの黒ずくめの……」
 黒ずくめ。
 やはり、コナンは組織の関連を疑っているのだ。――そしてやはり、彼は工藤新一が幼児化した姿。子供達の中に溶け込んでいて、どうにも彼が高校生探偵だという実感は沸かなかった。けれども、俊也の兄を探すこの推理力、洞察力、行動力。どれを取っても、並みの小学生とは思えない。
 彼が、工藤新一であるからこそ。
「か、身体を小さく……?」
 唖然とする子供達に、コナンは慌てて取り繕った。
「なーんて、ウソウソ! ちょっとおめーらをからかっただけだよ!」
「へ?」
 コナンはごそごそと千円札に何か仕掛けると、角を飛び出していった。
「ねぇ、そこのお兄さーん! 落し物だよ! この千円札、お兄さんのでしょ?」
 男は顔色を変える。引っ手繰るようにして、コナンの手から紙幣を奪い取った。
 コナンは、後を追ってきた麻理亜らを振り返る。
「ホラな! あの人がお金を落としたから、渡すために追い駆けてたんだよ!」
「なんでぇ……」
「つまんないの……」
 元太らは意気消沈する。そして、困ったように言った。
「でも、どーすんだ? お兄さん探し……」
「日も暮れちゃったし……」
「また明日、出直すしかないですね……」
 それを聞いて、コナンは横断歩道を駆けていく。
「じゃー、おめーらは先に俊也君家にランドセル取りに戻ってろよ! 俺、ちょっと寄るとこがあるから……」
 コナンが手を振り渡り切ったと同時に、信号は赤に変わった。
 子供達は元来た道を引き返して行こうとする。麻理亜は口元に笑みを浮かべて、コナンの背中を見やった。
「なるほどねぇ……。はぐらかすの、上手いじゃない」
「灰原さーん! 麻理亜ちゃーん! 置いてっちゃうよー!」
「いいの? あなた達……」
 哀は子供達を振り返り、フッと笑みを浮かべた。
「彼、一人であの男性を追い駆けるつもりよ?」
「危険だからってあなた達を追い払って……ね」
 哀と麻理亜の言葉に、元太、光彦、歩美は顔を見合わせる。
 そしてキッと眉を吊り上げ、麻理亜達に向き直った。
「そんなの、もちろん!」
「許していいはずがありません!」
「抜け駆けなんて、許さないもん!」
 麻理亜は腕を組み、通りの向こうを見やる。駅の方へと掛けて行く背中。
 三人がコナンへの不満を言い合う中、小さく呟く。
「――高校生探偵工藤新一。お手並み拝見といきましょうか」


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2011/07/31