時間が経つごとに、窓の外は白くなっていった。途中、サラやハリー達が三本の箒へ入って来た時にはヒヤッとしたが、どうにか無事見つからずに済んだようだ。
約束の時間が近付き、エリは三本の箒を後にする。強風の中、吹きつける風と霙に、ぶるりと身を震わせる。マフラーをしっかりと巻きつけると、村の外れへと歩き出した。
メインストリートの方は、今日は少なめとは言え人通りもあったが、村の中心から離れると、足場はひどいものだった。雪も多少降ったのか、道の隅の方は水分を多く含んだ雪がそこかしこにぐちゃりと溜まっている。
さすがにこんな日に、叫びの屋敷に近付こうとするような物好きは他にいなかった。立入禁止の札の前で、エリは立ち止まる。
(一応変装してるんだし、どこか店の中での待ち合わせにした方が良かったかなあ……)
あるいは、叫びの屋敷の中にでも入っていようか。そう思い、屋敷の周りをぐるりと一周してみたが、外から開けられそうな窓や扉は見つけられなかった。レパロで直せるとは言え、さすがに破壊してまで押し入る気にはなれない。
諦めて、せめて吹きっさらしは避けようと玄関扉の前の軒先へと入り、扉に背を預ける。小さな屋根では大した役にも立たず、頭からかぶるよりはマシ、程度でしかなかった。
マントの袖をまくり、腕時計を確認する。三時まで、あと十分ちょっと。
思わず小さな笑みが漏れる。弾む気持ちを抑え、エリは道の先を見つめていた。
No.15
ケイティを抱えて走り去ったハグリッドは、もう城へと着いたのか、校庭には見当たらなかった。サラはネックレスを宙に浮かべ、先頭に立って歩を進める。後ろを歩くハリーとロンが何か話しているようだったが、強風とリーアンの啜り泣く声とで聞き取る事はできなかった。
「――マクゴナガルが来る!」
ロンが声を張り上げた。
大きな樫の扉へと続く石段を、マクゴナガルがこちらへと駆け降りて来ていた。
「――これが例の?」
サラ達の所まで辿り着き、宙に浮かぶネックレスに目をやってマクゴナガルが問う。サラは重々しくうなずいた。
「預かりましょう」
マクゴナガルが杖を取り出し、サラは杖を下ろした。さすがの緊急事態で、校外での魔法使用についてとやかく言われる事はなかった。
「五人とも、私の部屋へとおいでなさい。ハグリッドの話では、ケイティ・ベルがあのようになったのを、あなた達五人が目撃したと――ああ、いえ、いえ、フィルチ! この生徒達は私と一緒です!」
詮索センサーを片手に掲げドタドタと走ってくるフィルチに、マクゴナガルは言った。
「このネックレスを、スネイプ先生に――」
言いながら何か手近な物は無いかと探すマクゴナガルに、ハリーがマフラーを首から外し、サッと広げて差し出した。マクゴナガルは慎重に、ネックレスをマフラーの上に下ろし包み込む。
「ありがとうございます、ポッター。フィルチ、これをスネイプ先生の所へ持って行きなさい。決して、中身には触れないよう。包んだままですよ!」
マクゴナガルの部屋は暖炉が焚かれていたが、それでも寒さは完全には打ち消せていなかった。サラ達と合流するまでの話をリーアンが話すと、マクゴナガルは彼女を医務室へと向かわせた。それから、続きをサラ達へと問うた。
「先生、ダンブルドア校長にお目にかかれますか?」
何が起こったのか手短に説明するなり、ハリーが尋ねた。
「ポッター、校長先生は月曜までお留守です」
「留守?」
ハリーは「こんな時に」とでも言わんばかりに繰り返した。
「そうです、ポッター。お留守です! しかし、今回の恐ろしい事件に関してのあなたの言い分でしたら、私に話しても構わないはずです!」
ハリーは言葉を詰まらせる。
部屋に一瞬の沈黙が下りる。霙が強く吹きつけ、パラパラと言う音と共に窓がガタガタと鳴った。
ハリーは、ゆっくりと口を開いた。
「――先生、僕は、ドラコ・マルフォイがケイティにネックレスを渡したのだと思います」
サラはパッとハリーを振り返る。
ドラコ・マルフォイ死喰人説自体に懐疑的なハーマイオニーとロンは、ハリーが「遂にやらかした」とでも言いたげに、気まずそうな態度を見せていた。
実際、ハリーの説明は根拠が弱過ぎるとサラでも感じた。彼がボージン・アンド・バークスの店で何かを指示し、詰め寄っていたのは確かだ。しかし、その時の買物と今回のネックレスを結びつけるには同じ店の商品というその一点しか繋がりが無いし、確たる証拠も無い。それどころか、あの日、ドラコは何も店から持ち帰りはしなかったのだ。ハーマイオニーもそれを指摘した。
「マルフォイがボージン・アンド・バークスに何かを保管しておいたにせよ、騒がしい物か嵩張る物よ。それを運んで歩いたら人目を引く事になるような、そういう何かだわ」
それに、ネックレスはハーマイオニーが入店した時点で店にあった。店主も売約済みとは言わずに値段を教えてくれた、とハーマイオニーは続けた。
「そりゃ、君がとてもわざとらしかったから、あいつは五秒も経たない内に君の狙いを見破ったんだ。もちろん君には教えなかっただろうさ――どっちにしろ、マルフォイは、後で誰かに引き取りに行かせる事だって――」
「もう結構!」
ハリーとハーマイオニーの論争を、マクゴナガルが遮った。
「ポッター、話してくれた事はありがたく思います。しかし、あのネックレスが売られたと思われる店に行ったと言う、ただそれだけでミスター・マルフォイに嫌疑をかける事はできません。同じ事が、他の何百人という人に対しても言えるでしょう――」
「僕もそう言ったんだ」
ロンが小さな声でつぶやいた。
「いずれにせよ、今年は厳重な警備を施してあります。あのネックレスが私たちの知らない内に校内に入ると言う事は、とても考えられません」
「でも――」
「更にです。ミスター・マルフォイは今日、ホグズミードに行きませんでした」
「本当ですか?」
思わず、サラは聞き返していた。
マクゴナガルはうなずく。
「ええ、本当ですとも、シャノン。彼は、変身術の宿題を二度も続けてやって来なかったため、今日は一日、罰則を受けています」
「宿題を? 何か理由は言ってましたか?」
「正当な理由があるのであれば、私だって考慮はしていたでしょう」
必要無いと判断されたのか、マクゴナガルはそれ以上ドラコの宿題忘れについて話そうとはしなかった。
「そう言う事ですから、ポッター。あなたが私に疑念を話してくれた事には礼を言います。しかし私はもう、ケイティ・ベルの様子を見に病棟に行かなければなりません。四人とも、お帰りなさい」
寮へと戻る道すがら、ハリー、ロン、ハーマイオニーがネックレスのターゲットについて話す間、サラはマクゴナガルの話を思い返していた。
ドラコは、ホグズミードへは行っていなかった。罰則を受けていたから。
それはいい。問題は、罰則を受ける理由だ。ドラコは間違っても、二度も続けて宿題を忘れるような生徒ではなかった。もっとも、魔法生物飼育学における授業外での生物の世話は別であったが。
それでも、生物の世話は身の危険を口実に堂々とサボっても、レポートはでっち上げていたぐらいだ。マクゴナガルの授業でそんな態度を取るとは思えない。
――宿題に取りかかれない程に、何か他の事で手いっぱいになっている? あるいは、ハリーの疑念の通り今回の事件にドラコが関わっているとするならば、アリバイ作りのために敢えて罰則を受けた?
「サラだって、そう思うだろう?」
急に声を掛けられ、サラは我に返る。
「え――あ……ごめんなさい、ハリー。何?」
「マルフォイ本人がホグズミードにいなくても、ケイティに渡す役割は、仲間に任せればいい。クラッブかゴイル――あるいは、死喰人だったかもしれない。マルフォイにはクラッブやゴイルよりもマシな仲間がたくさんいるはずだ。もうその一員なんだし――」
「他の死喰人を実行犯として仮定した場合、それはもうその死喰人の犯行で、ドラコも絡んでいるとは限らない話にならない?」
サラから反論を喰らうとは思っていなかったのだろう。ハリーは目を丸くしていた。
「君は同じ意見なのだと思っていたけど――」
「彼がボージン・アンド・バークスの店絡みで何かを企んでいたのは確かだし、死喰人として動いている可能性もあるとは思うわ。でも、今回の事件を彼と紐付けるには、根拠が弱過ぎる」
「まさか、ヴォルデモートが腕に印を与えてお使いを頼むだけだとでも思っているのかい?」
「そんな事思っていないわ。それぞれ別件の可能性もあるって話よ。少なくとも、ボージン・アンド・バークスでの話だけじゃ、ドラコが犯人だと断定する事はできない。マクゴナガル先生にもそう言われたでしょう。今後、全ての事件をドラコによるものと仮定してしまう方が、危険だわ。死喰人は、たくさんいるのだから」
そう話しつつも、ドラコにアリバイがあると聞き、安堵した事に気付かざるを得なかった。――事件の犯人がドラコでない事を、願ってしまっている。
「――ホグズミード駅で会った時の方は? 何か今回と繋がりそうな事はなかった? ホグズミードに何か隠していたりとか――」
「そんな時間は無かったわよ。彼が汽車から降りて来たところで、かち会ったんだもの。もちろん、鎌をかけてみたりもしたけれど、それで尻尾を出すほど彼も馬鹿じゃないわ」
――どちらが間違っていたかは、いずれ分かる。
そう、彼は言っていた。サラ達と敵対する意思なのは明らかだ。しかし、それがただの学校でのライバルとして、家族がそちら側という事で言ったのか、彼自身がサラ達と命のやりとりをする気でいるのかは、判別がつかない。
ただ、一点確実な事が言えるとすれば――
「彼は、セストラルが見えていなかった。それは、間違いないわ」
吹きつける風に、エリは身を震わせる。午後も遅くなって霙こそ止んだものの、寒さは変わらない。立っているのも疲れるので階段に腰掛けたが、それはそれで尻から身体が冷えていくようだった。
約束の時間を過ぎたが、セブルスは来なかった。
ふくろうも無しとなると、何かあったのだろうか。出掛けようとして、誰かに疑われでもしたのだろうか。騎士団の任務絡みなら、命に関わる可能性だってある。誰かに捕まって――それこそスラグホーンとか――ただ身動きを取れなくなっているだけならば良いのだが。
(今日はもう、来ないかなあ……)
もし、遅れてでも来たら。様子を見に来たら。入れ違いになっても、彼の場合はそのまま待ったりはしないだろうが、でも、もし来たなら、少しでも時間が許されるなら、デートのチャンスは逃したくない。そう思って待ってはみたものの、そろそろ夕食の時間だ。
……帰ろう。
そう、心の中でつぶやいてみても、腰は重く、立ち上がる気にはなれなかった。
もう少しだけ。もしかしたら。そんな風に思い続けて、もう何時間も経っていると言うのに。
(……なんだか毎回、こんなのばっかだな)
改めて話し合おうと、シリウスにも認めてもらおうという約束は、結局、叶わなかった。
ちゃんと、話し合いたかった。もっと一緒にいたかった。もっと色々な話を聞きたかった。
エリ達が、魔法省に行っていなければ。
(あー……ダメだ)
考えないようにしているのに。寒さのせいか、不安のせいか、思い出してしまう。暗い気持ちに沈んでしまいそうになる。
ふと、ぬかるんだ道を踏む足音がして、エリは顔を上げた。
一瞬の眩しさに、目を細める。雲が晴れ、山際から西日が差していた。そして、夕焼けの中に浮かび上がる黒いシルエット。
パチパチと目を瞬き、ゆっくりと開く。彼はバシャバシャと水溜りを踏みつけ、駆け寄って来た。
「エリ。すまない――」
「良かった。無事来てくれて。何かあったのかもしれないって心配してたから」
安堵に顔が綻ぶ。一気に立ち上がると、かじかんだ足が言う事を聞かず、少しよろめいた。
「おっと……ありがと、セブルス」
支えてくれた腕から離れ、セブルスを見上げる。
さすがに学校を出てからは姿現しも使っているだろうとは思うが、急いで来たのか、珍しく彼の息は上がっていた。
「門限までもうちょっとあるけど、セブルスは大丈夫そう? 少し歩かない?」
セブルスは困惑した顔をしていた。
「責めないのか? 約束は三時だった。今は――」
「セブルスが約束忘れてたとは思わないし。任務絡みだったら、聞いたところで話せないでしょ?」
エリはきょとんと返す。そして「あっ」と声を上げた。もう太陽は西の山へと隠れ始め、森の木々や村の屋根は夕焼け色に染まっていた。
「セブルス、もうちょい走れる? こっち!」
「な……」
返答も聞かぬ間に、エリはセブルスの手を取り走り出す。
林へと入り、獣道を登る。泥の上に枯れ草や落ち葉が何層にも重なっていたが、それはそれで滑りやすく、走り続けるのは困難だった。
「いったいどこへ行くつもりだ?」
「上! 高い所!」
「まさか、人知れず何か魔法生物を拾って世話をしているなどではあるまいな?」
「そんなハグリッドみたいな事しないって。そういうのじゃなくて――着いた!」
木々が途切れた先は、崖になっていた。その向こうに広がる、ホグズミード村。村の向こうには、赤く染まる湖、そしてそり立つホグワーツ城が見える。霙に濡れ夕陽を浴びた景色は、いつもよりいっそう、キラキラと輝いて見えた。
「一回、セブルスにも見せたかったんだよね、これ」
エリはスゥッと大きく息を吸う。そして、叫んだ。
「あたしは、セブルスが大好きだー!」
「な……っ、こら! やめんか!!」
珍しく慌てる様が少しおかしくて、エリは笑う。
「別に、誰も聞いちゃいないって。……あたしはね、いつでもセブルスの味方だよ。任務の事は話せなくても。セブルスの事、誤解する人が多くても。この先、何があっても、あたしはセブルスを信じてる」
セブルスの手がゆっくりと上がる。エリへと伸びた手は一瞬宙に止まり、それから、ぽんとエリの頭に乗せられた。
撫でた、のだろうか。不器用に頭へと触れた手は、直ぐに降ろされる。
「……今日の件は、任務ではない。明日には生徒の間にも知れるだろうから話すが、ケイティ・ベルが呪いの道具の被害に遭った」
「……え。ケイティ・ベルって、確かグリフィンドールのクィディッチ選手の?」
直接話す機会はほとんど無かったが、DAで一緒にハリーの訓練を受けた仲だ。全くの他人とも言い切れなかった。
セブルスはうなずく。
「呪いの道具って……何があったの? 今、ケイティは? えっ、それじゃ、調査だか処置だかの合間に連絡に来たって事? ごめん、ここまで引っ張って来ちゃって……!」
「我輩にできる手は尽くした後だから、その点は気にしなくていい。連絡だけのつもりなら、ふくろうを飛ばしている。
ホグズミードから帰る途中、呪いの品に触れたらしい。呪いが広がるのは食い止めた。今は、聖マンゴ病院の癒者が診ている」
セブルスは、「大丈夫だ」とは言わなかった。
「ホグズミードから帰る途中……?」
ホグズミードから城までは、林の間の小道が続くばかりだ。間違っても、怪しい品がその辺に転がっているような道ではない。
「品自体は、ホグズミードで手に入れたらしい。三本の箒で、トイレから戻って来た時には持っていたのだとか」
「三本の箒? 今日、あたしも行ったよ。トイレも借りた……」
「何か不審な点は無かったか?」
「特に……何も無かったと、思う……」
思い返してみるが、これと言って気になるような事はなかった。尻を出すのは寒かった、ぐらいしか思いつかない。さすがにそんな事をセブルスに言ったりしない程度の分別はついている。
「どんな些細な事でもいい。もし、何か気づいた事があったら、すぐに報告するよう」
言って、セブルスは辺りを見回す。
「そろそろ城へ戻った方が良いだろう」
陽は山の向こうへ落ち、辺りは急速に暗くなっていた。よく滑る道を、エリとセブルスはえっちらおっちら降りて行く。
村の外れまで戻り、セブルスは言った。
「ここからは別々に帰った方が良いだろう。我輩はネックレスの件で三本の箒へ寄らねばならんし、君は元の姿に戻る必要があるだろうし……」
言われて、老け薬で大人の姿になっていたのを思い出す。寒さやらケイティの事やらで、すっかり忘れていた。
特に何も言われなかったのは、少なくとも変ではなかったと考えて良いだろうか。もっとも、ケイティの処置から急いで来て、それどころではなかっただけというのもあるかもしれないが。
直接感想を問うほどの勇気はなく、エリは笑って手を振った。
「そうだね。じゃあ、また学校で――」
「――今は」
向けた背にセブルスの声がかかり、エリは足を止めて振り返る。
セブルスは黒いマフラーを鼻の頭まで引き上げながら、もごもごと言った。
「今は、こうして人目を避けて会う事しかできないが……また、来よう。君が卒業したら――」
エリは、まじまじとセブルスを見つめ返す。セブルスは、エリの視線から逃れるように目を逸らした。
セブルスはいつも、どこかエリとの未来は諦めているような節があった。任務のためか、年齢の違いのためか、エリが繋ぎ止めていなければ、すぐに黙って去っていってしまいそうで、彼の方から長い先の約束を口にする事は無かった。
卒業したら。それは、この先も、卒業してからも共にいたいという彼の意志。
「――うん!」
エリは大きくうなずく。
卒業してからだって、任務の状況次第では、そう簡単にデートとはいかないかもしれない。
でも、少なくともエリも大人になって、一人前の魔法使いになれば、教師と生徒という枷が外れたら。
――その時はきっと、普通の恋人らしいデートを。
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2022/03/01