競技場の声援が、一際大きくなる。ゴールポスト前へと打ち上げられた白黒のボール。飛び込んで来た選手がヘディング、ボールはキーパーの腕の下を掻い潜るように跳ねてゴールへと飛び込んだ。
 ワッと歓声が爆発する。麻理亜も、例に漏れず手を叩き喜んでいた。
「飛ばなくても、なかなか面白いものね」
「飛ぶ?」
「あ、いや。こっちの話」
 元太に怪訝な顔を向けられ、麻理亜は慌てて言い繕う。
 正月早々、麻理亜達は国立競技場で行われる天皇杯の決勝戦を見に来ていた。麻理亜には親しみの無いスポーツ。ルールぐらいなら、前にいた世界で聞いた事がある。改方学園でサッカー部の練習風景を目にした事もある。しかし、こうして試合をじっくりと見るのは、先日子供達と一緒に阿笠邸のテレビで見たのが初めて。今回でまだ、二回目だ。
「ねえねえ、今決めたの、誰? 誰?」
 携帯テレビで実況中継も同時に視聴している光彦に、歩美が問う。
「スピリッツのヒデですよ! ナオキのセンターリングにヒデがヘッドで合わせたんです!」
 子供達の話題は、先日テレビで見たワールドカップ予選にまで波及する。ワールドカップをいまいちよく解っていない子供達に、コナンが澄ました顔で説明していた。日本の勝利で、飛び跳ね走り回って喜んでいたのはコナンの方だろうに。あの時ばかりは、子供達さえもコナンのはしゃぎように唖然としていた。案の定、歩美にそれを指摘される。
 クスリと、背後で笑い声がした。
「名探偵さんも、サッカーが絡むとただの少年になっちゃうのね……」
 哀は子供の顔には大きなサングラスを掛け、組んだ足の上に雑誌を広げていた。
「哀はいいの? 試合」
「ええ……私は付き合いで来ただけ……。それに、奴らは私の小さい頃の顔を知ってるのよ? 万が一、テレビカメラで私の顔撮られて、放送されでもしたら……」
 哀の言葉に、麻理亜は手すりから乗り出していた身を僅かに引く。麻理亜の幼少期は、誰も知らないのではあるが。
 ふと、コナンが哀のサングラスを取り上げた。慌てる哀に、代わりに自分の青い帽子を被せる。
「どーだ? それなら、撮られても平気だろ?」
 コナンは笑顔で、哀の手を引く。
「ホラ! 今は奴らの事なんか忘れて、試合、試合! サッカーの試合は、生で見るのが一番なんだからよ!」
「あら。随分と優しいのね?」
 麻理亜はクスリと笑う。コナンはじとっとした視線を麻理亜に向けた。
「バーロ。俺はただ、せっかくサッカー見に来てるのに試合を見ないなんてもったいないと思って――」
「ありがと、江戸川」
 組織の女達として最初こそ警戒されていたが、ある程度は信用してくれていると言う事だろうから。
 何への感謝か分からず怪訝気な表情をしていたコナンは、子供達の「あーっ!」と言う叫び声に慌ててピッチへと視線を戻す。
「わっ、やべえ! 止めろ止めろ――」
 ボールを操るのは、ビッグ大阪の選手。ゴール前で、激しい競り合いが行われる。
 麻理亜は、ぐるりと観客席を見渡す。カメラの位置は、あそこと、あそこと――警戒すべきは、麻理亜達のちょうど正面にあるカメラか。観客の様子を撮ろうと、ゆっくりとレンズを横に振っている。帽子を被っているとは言え、可能な限り映らないに越した事は無い。





No.16





 どうにも、彼らと行動を共にしていると事件への遭遇率が高い。コナンが競技場内での発砲に気付き、彼について競技場の外に行ってみると警察が集まっていた。日売テレビ局に、脅迫電話がかかって来たらしい。先程の発砲は、悪戯でない事を証明するための威嚇だったという訳だ。
 犯人は二人。麻理亜達の傍のボールを撃った者と、麻理亜達の正面に位置するバックスタンドから日売テレビのディレクターに電話をかけた者。ピッチを挟んだ反対側から麻理亜達を見ていたからには、犯人は双眼鏡なり何なりを持っているはず。
 コナンが目暮の置いた無線機に手を伸ばす傍ら、子供達はひそひそと何やら話し合っていた。
「……でも、外に出てきちゃいましたよ……」
「もう入れないかなあ……」
 どうやら、中に戻りたいらしい。同じく彼らの話を聞いていた哀が、口を挟んだ。
「チケットの半券を見せれば、再入場出来るわよ」
「本当ですか!?」
「よーし、戻ろうぜ!」
「……」
 バタバタと駆けて行く元太、光彦、歩美。麻理亜は無言で彼らを見つめていたが、ふっと後を追って駆け出した。
「試合の続き?」
 入場口で追いつきながら、麻理亜は尋ねた。三人は、ムッとした表情になる。
「違うよ! 私達も、犯人を捜すんだよ!」
「犯人って……相手は、拳銃を持ってるのよ?」
「でも、俺達だって犯人捕まえるのに協力したいんだよ!」
 まあ、探すだけならば問題無いか。それに、子供達が相手なら犯人も油断しそうである。
「こちら元太! こちら元太! 怪しい奴は見つかったか!? どーぞ!!」
「こちら光彦! 不審人物はいません。どーぞ!」
 何らかの遠くを見られる道具を所持、麻理亜達が先程までいたのとは対角線上に位置するバックスタンド。そこまで分かっていても、大勢の観客のなかからただ一人の犯人を見つけ出すのは至難の業だった。子供の背丈では人垣が大きな壁となって視界を塞ぎ、尚更探しにくい。四人で手分けして怪しい人物を探すも、それらしき人は見当たらない。
 ふと、DBバッジの呼び出し音が鳴った。歩美が弾んだ声で応答する。
「はい! こちら歩美」
「『こちら歩美』じゃねえ――!!」
 バッジから流れて来たのは、元太の声でも光彦の声でもなく、怒り心頭のコナンの怒鳴り声だった。
「何やってんだ、おめーら!? 相手は拳銃持ってんだぞ!? 撃たれたら死んじまうんだぞ!! 犯人は俺や警察に任せて、おめーら子供は今すぐ競技場から外に……」
「やだ!」
 子供達は、喧々轟々とコナンに食って掛かる。折れたのは、コナンの方だった。
 犯人も見つけても決して一人で行動するな、コナンに連絡を入れろと念を押され、捜索は再開した。DBバッジを持たない麻理亜は、歩美の傍について辺りを見回す。
 そうこうしている内に、試合はハーフタイムに入った。観客達が続々と立ち上がり、尚更見通しがきかなくなる。
 再び、ピピピ……と受信音が鳴った。
「おい、元太、光彦、歩美! オメーら今、バックスタンドにいるって言ってたな? 近くに双眼鏡か何かを覗いてる奴いねーか?」
 コナンの話では、現在犯人は観客席を見渡し電話を使用しているとの事。いくら人数が多いと言えども、そこまで特徴的な動きをとる者は犯人以外にそうそういないだろう。
「あ!」と、歩美が声を上げた。
「麻理亜ちゃん、あの人かな?」
 歩美が指差した先には、双眼鏡で客席をきょろきょろと見回す男の姿。
「いたか!?」
「う、うん……バックスタンドの真ん中の一番上の出口のトコに、双眼鏡で辺りを見回してる変な人がいるよ! でも、電話じゃなくて音楽聴いてるみたい……」
「イヤホンマイクかもね……。顔を隠すような帽子に、体格を曖昧にするロングコート……間違いなさそうね」
 麻理亜も、横から口を挟む。
「そいつから目を離すな! 俺も直ぐそっちに行く!!」
 当然だが、外にいるコナンよりも元太と光彦の方が先に到着した。歩美は急いで二人を手招きする。
「こっち、こっち! あの人よ!」
 大きな声に、当の本人が振り向く。そして何を血迷ったか、元太と光彦は真っ直ぐに彼に突進して行った。
「ちょ、ちょっと、あなた達!!」
 相手は拳銃を所持しているかもしれないのに。
 麻理亜は利き手を軽く握る。背に腹は変えられない。万が一となれば、魔法の剣で応戦するしかあるまい。今の身体で、あの大剣が扱えるかは不安であるが。
 三人が揉み合っているところへ、コナンと哀も駆けつけてきた。
「バ、バカ離れてろ! 今、そいつを眠らせてやっか……ら……?」
 腕時計型麻酔銃を出しながら、コナンの足が失速する。元太、光彦、歩美の三人も、目を瞬いていた。元太が首に飛び掛り、ずれた帽子。その下に隠れていた顔を見て、彼らは叫んだ。
「た、高木刑事!!」

 歩美の見つけた不審人物は、一般人に紛れて潜り込んだ刑事だった。コナンらも、顔見知りらしい。
 ハーフタイムの間の取引は失敗し、犯人は更に十億円を要求して来たそうだ。もちろん、短時間でそんな大金など用意できるはずもない。恐らく目的は、「用意できなかった場合の脅迫」として述べた銃殺。
 ――十億円、ね……。
 どうしてこうも、金銭を狙うものは同じような額を求めるのか。
 警察は皆犯人に見つかり、スタンドから追い出されてしまった。残る手がかりは、前半に撮影された犯人の一人が映る映像のみ。警察の前に姿を現した彼が仲間とやり取りしているところが映っていれば、もう一人の犯人も割り出せる。僅かな可能性に賭け、警察も、麻理亜達も、画面を凝視する。
 しかし、競技場に集まる観客は約五万六千人。例え運良く映り込んでも、ただ通路を歩いているだけの姿。何の手掛かりも掴めぬ内に、フレームアウトしてしまう。
 時間だけが刻々と進み、ロスタイムが迫る。犯人が提示したのは、試合終了直後。もう、猶予が無い。
「あせっちゃダメ……」
 ふと、哀が呟いた。麻理亜、そしてコナンも彼女を振り返っていた。哀はずらりと並ぶ画面を見つめながら、静かに話す。
「時の流れに人は逆らえないもの……。それを無理矢理捻じ曲げようとすれば……人は罰を受ける……」
「な……何言ってんだ? お前……」
 コナンがきょとんと尋ねる。
 ――時の流れに逆らえば、罰を受ける……か。
 哀自身の真意は麻理亜にも分からない。けれどもその言葉は、麻理亜への戒めにも感じられた。
 数百年前から時が止まり、老いる事の無い身体。年月が流れるにつれて周りとの生きた時間の差は開き、考え方や感じ方にズレが生じて行く。親しかった友は卒業と共に麻理亜を忘れ、そして老い、死んで行く。麻理亜だけが、動かない時間の中に取り残されたまま。
「あーっ、惜しい!」
「これでもう、三回目ですよ!」
 子供達の声で、麻理亜は我に返る。
 もう、時間が無いのだ。今は、犯人を捜す事に集中しなくては。
 子供達の話では、犯人が映り込んでも直ぐにフレームアウトしてしまうとの事だった。彼らの指差す画面を見てみれば確かに。端に犯人が映っても、直ぐにカメラが動いてしまう。
 麻理亜はハッと目を見開く。
「三回って……全部、この画面なの?」
「うん。あっ、ほらまた……」
 麻理亜らの会話を近くのスタッフも耳にして、顔をしかめる。
「これ、十三カメの蛭田だろ?」
「ついてないな……」
 麻理亜はうっすらと、口元に笑みを浮かべた。
「ついてないんじゃなくて、わざと……だったりして♡」
「え?」
 元太、歩美、光彦はぽかんと麻理亜を振り返る。
「警部!! ロスタイムに入りました!」
「仕方ない。一応十八番ゲートにカムフラージュのバッグを置いて、監視しろ! 残った者は、試合終了と共に観客席に突入だ! ――急げ!!」
 刑事達が一斉に駆け出した時には、既にコナンの姿はロケ車の中に無かった。





 コナンによって犯人は捕らえられ、警察に連行された。
 試合はビッグ大阪の勝利。何事も無かったかのように行われるフィナーレを、麻理亜達は再び観客席に戻って眺めていた。
「……にしても、あんな手掛かりで目的の人物を探し当てるなんて、さすがね。工藤君……。ますます、興味深い魅力的な素材だわ……。もっとも……麻理亜も気付いていたみたいだけど? 子供達と一緒になって騒いでばかりだと思ったら、そうでもないのね……」
「んー? 何の事ー? 私、子供だからわかんなーい」
 甲高い声で言い、麻理亜はキャッと頬に手を当てる。
 あからさまな子供演技をする麻理亜を、コナンと哀は冷めた目で見ていた。
「ハハ……」
「まあ、そう言う事でも構わないけど……」
「ま、八十四歳のババアに言われたかねーしな……」
 コナンの言葉に麻理亜は目を瞬く。
「八十四? 誰が?」
「え? だって、灰原が……」
「あら……。私、ホントは……あなたとお似合いの十八歳よ……」
「え?」
 今度は、コナンが目を瞬く。
「なーんてね……」
 誤魔化すようにそう言って、哀はピッチへと視線を戻してしまう。
 ぽかんとするコナンに、麻理亜はニヤリと笑って言った。
「ちなみに私は、数百歳ね。こっちはホント」
 哀が振り返る。コナンはあきれた顔をしていた。
「ハイハイ……」
「あーっ。その顔は、信じてないわね!?」
 麻理亜はムスッと口を尖らせる。
 コナンは、あきれたようなから笑いを浮かべていた。


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2012/06/23