「キャーンプキャンプ、またキャンプー! 明日もキャンプ、明後日もー!」
 子供達の歌声が車内に響く。ふっと左右に生い茂っていた木々が無くなる。山の中、ぽっかりと空いた広場に黄色いビートルは停車した。休日ともあって、キャンプ場にはたくさんの家族連れが見られる。お昼時という事もあってか、そこかしこで湯気が立ち上っていた。
 真っ先に車から降りた元太が、くんくんと鼻を動かす。
「俺達も昼飯にしようぜ! 俺、うな重がいい!」
「うな重はキャンプじゃ作れませんよ」
 麻理亜はクスクスと笑う。
「カレーなら材料持って来てるわよ」
「じゃあ俺、大盛りな!」
 阿笠が荷台から椅子やら机やらのセットを出し、組み立て始める。その傍らで、哀が野菜を切る準備を始める。
 麻理亜は鍋を手にした。
「私、水汲んでくるわね」
「あ、僕も行きます。女の子一人じゃ重いでしょうし……」
「あら、ありがと」
 光彦と連れ立って水道へと向かう。食事の準備をする人々と食事を終え食器や鍋を洗う人々とで、複数の蛇口はそれなりに混み合っていた。
「そう言えば、麻理亜ちゃんと灰原さんって、博士とはどう言った関係なんですか? 二人とも、苗字は違いますし……」
「うーん……遠い親戚……かな?」
 麻理亜は曖昧に答える。確か、そう言う事になっていた筈だ。
「親同士が同じ職でチームで海外派遣される事になったから、私達は博士の家に置いてもらう事になったって訳」
「へぇ……それじゃ、お二人は元々親しいんですね。灰原さんが下の名前で呼び合っているのって麻理亜ちゃんだけですから、薄々そんな気はしてましたけど」
「まあね。博士の家に来る前は、今ほど会ってはいなかったけど。どちらかと言うと、彼女のお姉さんと仲が良かったから」
「灰原さん、お姉さんがいたんですか」
「ええ。――あ、ほら。あそこ、空いたみたい」
 鍋いっぱいに水を入れ皆の方へ戻ると、阿笠を中心に皆何やら車の荷台の所へと集まっていた。
「どうしたの?」
 麻理亜の問いかけに答えたのは、歩美だった。
「テントが見つからないんだって」
「こりゃあ、置いて来たな……」
 コナンが呆れ返った様子で、ぼそっと呟く。
「ええーっ!」
「す、すまんのう……」
 阿笠も遂に、捜すのを諦めたらしい。そもそも、テントなんて大きな物、この狭い荷台で何処かに隠れているはずもあるまい。
「ま、忘れてしまったものは仕方ないんだし……今日は泊まらずに帰るしかないわね……」
 呆れるでもなく、不満を言うでもなく、関心も無さ気な涼しい声で哀が言う。
 答えたのは、ぐうぅ〜と言う腹の虫。元太が腹を押さえ、照れ笑いする。
「な、なあ、カレーだけでも食って行こうぜ……」
「そうね。作る準備も途中までしちゃってるんだし。せっかく来たんだもの。お昼ぐらい食べてから帰っても、夕方には博士の家に着くでしょう」
「やった!」
 再度カレーの調理に取り掛かった麻理亜らは、まさかこの後道に迷うとは思っても見なかった。
 そしてまさか、古城を取り巻く過去の業火から生まれた危険な策略に巻き込まれる事になろうとは……。





No.17





 道に迷った一行が辿り着いたのは、山の中にそびえる小さな孤城だった。城本体も、随所から突き出る塔も、壁は白、屋根は全て青色で統一されている。ホグワーツ城のような荘厳さよりも、ファンシーと言った言葉がぴったり来る様相だった。
 城に住む一家の一人、間宮満の好意で、麻理亜らは一晩城に泊めてもらえる事になり、野宿を免れた。
 庭師の田畑に案内され、一行は門の中へと踏み入る。
 皆の後に続こうとして、麻理亜は不意に足を止めた。庭のチェス盤にはしゃぐ子供達。麻理亜がいない事に気付いた歩美が、きょろきょろと振り返った。
「麻理亜ちゃん、どうしたの?」
「え。あ……な、何でもないわ。ちょっと、門に上着の裾が引っかかっちゃって」
 鈍る足を無理矢理動かして、敷地の中へと踏み入る。
 途端にふっと鼻を突く怨嗟の臭い。その元を辿るようにして視線を動かせば、焼け爛れた象牙色の塔が目に入った。
「あの塔は、四年前の大火事で焼けてしまったんだ」
 麻理亜の視線に気付いた田畑が、そちらを振り仰ぎ言った。それから、阿笠を振り返る。
「今話した奥様も、その火事で亡くなられてしまってね……」
 その他、友人や使用人十数人が大火に飲まれたと、田畑は話す。
 ――なるほどね……。
 麻理亜はちらりと塔を横目で見て、視線を外す。この身の竦むような怨嗟の念は、その火事のためか。そして麻理亜が臭いとして感じ取ると言う事は、恐らく故意に起こされたもの。
 四年前の火事で助かったのは、僅か数名。田畑を始めとする雇われて日の浅かった使用人、大奥様と呼ばれる間宮マス代、麻理亜達を迎え入れた満、そして奥様と元の亭主貞昭の一人息子貴人。満も貴人も火事の日に初めてこの城を訪れ、それ以来ずっと城に留まり続けていると言う。
 大旦那が亡くなる前に城に謎を残していたと話を聞き、コナンは庭のチェス盤を見下ろせる部屋へと向かった。もちろん、麻理亜らも一緒だ。
「わー、すごい!! 駒がきれいに並んで見えるよ!」
 部屋の奥の窓から見下ろし、歩美が完成を上げる。コナンはペンと手帳を取り出し、一心不乱に書き写していた。
「おい! 何処だよ。見えねーぞ!」
「ちょっと、押さないでよ。元太君!」
「こっちの部屋からも見えますよ!」
 隣の部屋の窓から叫ぶ光彦の声に、元太は隣の部屋へと駆けて行った。
 コナンもしゃがみ込み、空いたスペースから麻理亜も庭を見下ろす。チェス盤のように升目状に刈り込まれた芝生。その上に散在する駒。その妙な配置は、チェスのゲームを再現した訳では無い事は確かだ。黒い駒の並びは、アルファベットの「G」のようにも見える。
「グランマ、グランパ、グリーン、グラス、ゲート……」
 考えながらも、視線は庭から塔の方へと移動する。四年前、多くの人々が死した塔。数十と言う人数のためだろうか。その死臭は城全域に残り、怨嗟の対象であるはずの犯人を臭いで特定する事が出来ない。
 ぶつぶつと呟く麻理亜を、歩美はきょとんとした目で見ていた。
 麻理亜の連想ゲームを断ち切ったのは、「うわっ」と言う叫び声。見れば、身を乗り出し過ぎた元太が隣の窓から飛び出すところだった。間一髪、窓枠にしがみ付き難を逃れる。
 歩美の悲鳴で気付いたコナンが、部屋を飛び出して行く。直ぐに隣の部屋から、彼が叱り付ける声がした。
「麻理亜は何か判った?」
 哀が麻理亜の横に並び、静かな声で問うた。麻理亜は肩を竦める。
「まだ、何も。この庭が大旦那様によって造られたって言うなら、江戸川の睨んだ通り何かを示しているんでしょうけど……。黒い駒の並びがGみたいだなとは思うのだけど、それだけじゃあ……」
 ひょこっとコナンの顔が向こうの窓から覗く。歩美が嬉しそうに手を振っていた。
「……でもよく考えてみれば、視点がこの部屋とは限らないわよね。チェス駒に即した向きとなると、Gが横倒しになっちゃうか……。
 やっぱりここは、名探偵さんの出番ね」
 麻理亜は隣の部屋へと向かう。哀と歩美も、後について来た。
 隣の部屋にいたのは、元太と光彦。円卓と本棚が置かれているだけのがらんとした部屋の中、コナンの姿は見当たらない。円卓の所にあったのだろう椅子は壁際で倒れ、本がその周りに散乱していた。
「あ、麻理亜! コナン、そっちに行ってねーか?」
「へ? あなた達、一緒じゃなかったの?」
「それが、いなくなってしまったみたいで……」
「ええ? コナン君がいなくなった?」
 歩美が声を上げる。
「でもさっき、そっちの部屋にいたじゃない!」
「知るかよ……」
「余所見してたら、急に消えちゃったんですよ……」
 麻理亜は壁際の椅子へと視線を移す。哀が部屋へと入り、真っ直ぐにそちらへと向かった。
「は、灰原さん?」
「このお城、嫌な曰くだけじゃないみたいね」
 面白くなって来た。麻理亜は大乗り気で、哀の後に続く。
 椅子の上に当たる位置に、ちょうど時計がある。蓋は開き、時間も狂っている。散らばった本を椅子の上に重ねると、ちょうど哀でも時計に手が届く高さになった――つまりは、コナンも届いたはずだ。
 しかし、コナンの後に続く事は叶わなかった。哀が針に手を掛けたところで、貴人が邪魔に入ってしまったのだ。コナンなら一つ下の階のトイレにでも行ったのだろうと言う田畑の言葉で、麻理亜らは已む無く部屋を離れる事となった。
 もちろん、トイレにコナンの姿は無かった。それどころか、夕飯の時間になっても彼は一向に姿を現さない。
 入口は見つかっても、出口が見つからないか。それとも――
「あの塔に迷い込んでなければいいが……」
 そう呟いたのは、満だった。何でも二年前、突然姿を消した新米の使用人がいたのだと言う。彼は火事のあった塔を気にしていたため、まずは塔を捜索した。警察が出動し、森の中も。しかし、何の手掛かりも見つけられず――四日後、森の中で餓死した彼が見つかった。
 塔の呪い? ここはマグルの世界だ。そんなもの、あるはずが無い。捜した場所にいなかった人物が四日後に現れた――それも死んでいたと言うのならば、それは何者かに殺されたのだ。そして、姿を消した後未だ帰って来ないコナンも恐らくは。

 夕食の後、手分けして城中を捜索する事になった。雨の降る庭を、麻理亜は皆の後について走り回る。
 彼が何者かの手に落ちたのだとすれば、恐らく、外になどいない。
 案の定コナンは見つからず、捜索は明日への持ち越しとなった。諦めきれずにコナンの名を呼び続ける歩美を哀がなだめすかし、城へと戻って行く。彼女の手には、パンの入ったビニル袋。腹を空かせているだろうコナンにと歩美、そして元太と光彦が自分の夕飯から残したものだ。
 哀と歩美の後を歩く麻理亜と阿笠には、二人の会話がはっきりと聞こえていた。
「……好きなの? コナン君の事……」
 ――あらまあ。
 麻理亜と阿笠は、思わず顔を見合わせる。
 哀はちょっと驚いたように目を見開き、それからフッと笑みを浮かべた。
「……だったらどうする?」
「え……こ、困るよ……」
 哀はふいとまた前を向く。
「安心して……。私、彼の事そういう対象として見てないから……」
「ほ、本当ー!? 良かったー!」
「ホントにホントだねー!」と嬉しそうに念を押しながら、歩美は元太と光彦の方へと駆けて行った。阿笠が、取り繕うように咳払いする。
「まったく、最近の子供は……」
「うふふ。可愛いわねぇ」
「……」
「でも哀君の言う通り、新一君なら大丈夫! 便りが無いのは無事な証拠って言うし……」
「何寝ぼけた事言ってるのよ……」
 暢気な事を言う阿笠を、哀が言い諭す。恐らく、コナンは犯人の手に落ちたであろうと。
「まあ、二年前の被害者は餓死だったらしいから、犯人自らその場で手を掛けて殺害よりもまだ何処かに監禁されてる可能性の方が高いと思うけどね……」
 あまりにネガティブな予測をする哀の話に、麻理亜は苦笑しながら付け加える。
「とにかく、城の人に気付かれないように、直ぐに警察を呼んで虱潰しに捜索する事ね……。
 そう……捜すのは森の中じゃなく、この城の中……もう目星はついてるわ……」
 哀と目が合い、麻理亜は頷く。コナンが消えたあの部屋。あの時計が入口のスイッチで、まず間違い無いだろう。
 阿笠に警察への連絡を任せ、麻理亜と哀は階段を昇る。コナンが見つからないのに、置いて帰る訳にもいかない。一先ず今晩は、この城に泊めてもらえる事になっていた。
「まさか、あの江戸川が犯人の手に落ちるなんてね……。まったく、後先考えずに何でも首を突っ込んだりするから……」
 哀は口を噤んだまま、言葉を返さない。彼女が無口なのはいつもの事だ。構わず、麻理亜は続けた。
「江戸川、大丈夫かしら……殺されてはいないだろうとは言っても、それはあくまでも希望的観測だものね……」
「……あなたも、大丈夫なの?」
「え?」
 哀は、ちろりと横目で麻理亜を見た。
「顔色、悪いわよ」
「え、ああ……それは、心配で……」
「この城に来た時から」
「……」
 今度は、麻理亜が口を噤む。哀はそれ以上、深く突っ込む様子も無かった。
 別に何も、隠している訳ではない。怨嗟の臭いが、死者の怨詛がと無暗に誇示したところで、胡散臭いだけだろう。マグルの世界とは、そう言うもの。だから、麻理亜も不用意に主張しないだけ。
「……あの、塔」
 ぽつりと、麻理亜は話す。いつもなら、哀はただ視線を麻理亜に向けるだけ。しかし今日は、先を促すように訪ね返して来た。
「塔?」
 麻理亜は頷く。
「火事で焼けたって言う、あの塔……なんだか、嫌な感じがするのよね。来た時も、それで身が竦んじゃって」
 哀は何とも返さなかった。肯定するでもなく、否定するでもなく。
 なので麻理亜は、再びコナンの話へと戻す。
「ねえ、警察ってどれくらいで来ると思う?」
「そうね……まず、事の事件性を何処まで警察が認識してくれるか……。面識のある刑事に相談した方が、早いかも知れないわね。私、博士に言ってくるわ。先に部屋へ戻っていてちょうだい」
「あ、うん……」
 哀は踵を返し、阿笠の向かった方へと去って行った。
 麻理亜達にあてがわれた部屋は、コナンが消えた部屋の一つ上の階だった。否、この城は中央で階にズレが生じているから、〇、五階上と言った方が正しいか。普段使われていないと言うあの部屋側に比べ、こちら側は間宮家や住み込みの使用人達の部屋として使われていて寒々としたイメージは無かった。
 コナンが消えた部屋に残されていた、椅子と本。光彦の「急に消えた」と言う台詞も踏まえると、隠し扉は時計のスイッチで自動的に人を放り込む仕掛けになっていたのだろうか。落とし穴のような造りだとすれば、出口は別にある事になる。よもやすると、隠し扉はあの部屋だけではないのではなかろうか?
「あ、いたいた。麻理亜ちゃーん!」
 階上から、子供達が駆け下りて来る。
「寝床の用意が出来たってよ!」
「博士と灰原さんは一緒じゃないんですか?」
「え、ええ、まあ……」
 曖昧に頷き、そして麻理亜はハッと階下を振り返る。
 コナンは犯人の手に落ちた。もちろん、犯人としては警察など呼ばれたくはないだろう。……もし、阿笠が警察を呼ぼうとしてる事を犯人に気付かれていたら?
 確信があった訳ではない。虫の知らせ、と言う物だろうか。嫌な予感がしてならない。
「あ、おい、麻理亜!?」
 麻理亜は転がるように階段を駆け下りていた。
 犯人の手に落ちたコナン。哀まで、そんな事になってしまったら。誓ったのだ。彼女を守ると。今度こそ、守りきるのだと。
「――志保!!」
 角を曲がった先には、電話の前に佇む哀の姿。そしてその手前に、屈み込むようにして満が立っていた。
「あ……哀……皆、捜してたわよ」
「麻理亜ー! どうしたんだよー!」
「待ってくださいよー!」
 後から送れて、元太、光彦、歩美も麻理亜に追いつく。
「もー! 急に走って行っちゃうんだもん!」
「あ、灰原さん。ここにいたんですね」
 息を切らしながら、歩美と光彦が話す。元太は壁際にへたり込んでしまっていた。
 満の横をすり抜けこちらへと歩いて来る哀に、麻理亜は恐々と尋ねた。哀は無事だった。しかし、嫌な予感は消えない。
「ねえ、哀。博士は……」
 哀は薄っすらと挑発的な笑みを浮かべ、ちらりと背後の満を振り返る。
「さあ……。このお城の宝でも、探してるんじゃないかしら……」
 ――コナンに続き、阿笠が消えた。


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2012/07/21