地下牢教室に窓は無い。太陽の光を取り込む事ができないのは去年と同じはずだが、ごてごてと装飾品が置かれたり、鍋の種類が黒意外にも金や銀、形も様々にあるだけでずっと明るい印象に変わっていた。一日の授業を終えた教室の片隅ではぐつぐつと大鍋が煮立ち、紫色の煙が立ちこめていた。
 アリスはキュッと下唇を噛む。淡いピンク色になるはずの薬は、濃い紫色から一向に変わる様子がなかった。
「ふむ……少し、催眠豆の汁が少なかったのかもしれないね」
 アリスの大鍋を覗き込み、口髭をなぞりながらスラグホーンが言った。
「なーに、君の歳でこれだけの調合ができれば上出来だ! 生ける屍の水薬は本来、ふくろう試験を終えた生徒達に教えるレベルのものだからね。六年生でさえ、ここまで完成に近づける事ができたのはミス・グレンジャーぐらいだ――もちろん、ハリーとエリを除いた場合だが。あの二人は格別だ!」
「……ありがとうございます」
 失礼の無いよう、心の内の醜い感情を見透かされないよう、アリスは微笑む。
 エリが、魔法薬のふくろう試験で「O」を取った。そればかりでなく、今年の魔法薬の授業では最も優秀な生徒の一人として教授から一目置かれている。
 これまでずっと、魔法薬はアリスの専売特許だった。少なくとも三姉妹の中では、アリスだけが魔法薬の調合を得意とし、何かと秀でたところのある姉達に負けない唯一の特技だった。
 今はもう、違う。
 スネイプから個人授業を受けていることは知っていた。フレッドやジョージと共に、悪さをしてはフィルチに追い回されていることも知っていた。
 ハリーと同率とは言え、魔法薬に限ればハーマイオニーをも凌ぐ勢いだと聞く授業での成績。実際に売り買いされる商品への貢献。
 運動神経は良いが勉強は苦手で難しいことはよく分からない――そう思っていたエリに、いつの間にか追いつかれ……そして、追い抜かれていた。アリスの得意分野で。
 学年を考えれば妥当なのかもしれない。エリはふくろう試験を乗り越えた六年生。アリスはこれからふくろう試験を迎える五年生。
 でも、アリスにはこれしか無いのだ。
「気を落とすことは無い」
 黙々と片付けをするアリスを見て調合失敗に落ち込んでいると思ったのか、スラグホーンは励ますように言った。
「先日の授業で君が調合した安らぎの水薬は完璧だった。きっとふくろう試験でも『O』間違いなしだろう」
 当然だ。エリだって、Oを取っていた。魔法薬学での「O」、それはアリスにとって最低ラインだ。
 ――問題は、他の科目。
 今も、アリスは魔法が使えない。実技試験での得点は望めない。果たして、どれだけの試験に合格することができるのだろう。
「あの……先生? 先生は、母をご存知なんですよね?」
「もちろん知っているとも! 君の母親も、魔法薬の調合は得意だった。彼女達三人はいつも――ああ、そうだ。ちょうど君のお姉さん達と同じだな。ハリーの目の付け所も、彼とどこか似ている――」
「母のふくろう試験での成績は、ご存知ですか?」
 いつもの如く過去に受け持った輝かしい生徒達の昔話を始めようとするスラグホーンの話を遮り、アリスは尋ねた。
 ナミも、魔法が使えなかった――今も使えないと聞く。彼女は、どれだけの科目を合格できたのだろうか。
「魔法薬学以外の授業の様子は分からないが――だが、呪文が苦手だとは言っていたな」
 昔を思い出すように天井を仰ぎ見ながら、スラグホーンは言った。
「六年生で取った科目も、座学が中心だったらしい」
「そう……ですか……ありがとうございます」
 スラグホーンにお礼を言って、アリスは地下牢教室を後にした。

 エリがスラグ・クラブに加わってからというもの、増え続ける宿題の合間を縫ってアリスは魔法薬学の教室を借り、自主学習を続けていた。エリとハリーだけが完璧に調合したという「生ける屍の水薬」。同じようにこなしてやろうと思うも、何度調合しても上手くいかなかった。スラグホーンも助言をくれるが、それでも難しい。今日の催眠豆だって、煮詰めすぎないよう時間内に搾り取れるのはあれで精一杯だったのだ。事前に切っておけば良いのだろうか。絞り出した状態で置いておいて、成分が変わったりはしないだろうか。ハリーは男子だし、エリも女子としては飛び抜けて力がある。だから、ハーマイオニーを負かしてあの二人が完成させられたのだろうか。
 ――魔法薬。
 ふと、アリスの脳裏を、もうずっと寝室の鞄の底で眠らせている魔法薬が過ぎる。魔法省でヴォルデモートから渡された小瓶。アリスは未だに答えを出せずにいた。応じもせず、誰にも知らせず。ふくろう学年の課題で忙しいから。魔法薬の調合をしたいから。そう、自分に言い訳して。
「アリス!」
 スリザリンの談話室に戻るなり、ハーパーがアリスの元へと駆け寄ってきた。
「良かった、探しに行くところだったんだ。今週末のクィディッチの試合の事で」
 そう話すハーパーは、どこか興奮した面持ちだった。
 彼が話し出す前に、アリスは先手を打って言った。
「そうね。いつも通り、皆で応援に行きましょう。パンジー達とも一緒に行く約束をしているわ」
 ぱあっとハーパーの顔が明るくなる。そして、彼は額に手を当て大袈裟に残念そうにした。
「アー、僕は駄目なんだ。一緒に行けない。でも、そうだね。絶対に見に来てくれ」
 二人で観に行こうとでも言われるのかと思ったが、違ったらしい。
 そして彼は、おもむろに真面目な顔をして言った。
「……それで、試合の後に話したい事があるんだ。試合後、更衣室の前に来てくれないか」
 それから彼は急に課題を思い出し、男子寮へと駆け去って行った。アリス達の会話に聞き耳を立てていた近くの下級生達が、クスクスと冷やかすように笑っていた。
 アリスは、かわしきれなかった嫌な予感を抱きながら、その場に佇んでいた。






No.19





 クィディッチの初戦が近付くにつれ、ハリーとロンは練習で忙しくなっていった。ケイティがチームに戻らず、ハリーは再びサラに選手に戻らないかと打診して来たが、当然断った。クィディッチ選手の選抜には、多くの希望者がいた。立候補した生徒達を優先するべきだ。授業の課題も増え、サラとハーマイオニーは図書室に入り浸りになる事が増えていた。
 これは、サラにとって非常に都合が良かった。――図書室では、ほとんど喋らなくても不自然ではない。
「次は数占いの授業だわ。サラも占い学よね?」
「ええ」
 二人は連れ立って図書室を出て、階段の途中でそれぞれの教室へと別れていく。ハーマイオニーが廊下の向こうへと消えたのを確認して――サラは、踵を返した。
 足早に階段を降り、三階の女子トイレへと向かう。嘆きのマートルのいる、誰も近寄らない女子トイレへ。
「あら、今日は早いのね?」
 奥の個室の扉から半分だけ顔を覗かせたマートルは、来訪者がサラだと分かるとすーっとそのまま扉を通り抜けてサラの横へと並んだ。
「今回はまだ爆発してないわよ」
「大いにありがたい話だわ」
 アニメーガスになるための魔法薬。変身術の能力の底上げや必要な呪文の方はどうにかなったが、この調合がサラにとっては鬼門だった。いったい何度、失敗を繰り返した事か。
 ハリー、ロン、ハーマイオニーの誰とも一緒にならない占い学の授業の前後だけが、理由も問われず単独行動できる唯一の時間だったが、サラはその時間のほとんどをこの薬の調合に費やしてきた。
「……よし」
 個室に隠すようにしまっていた瓶の中身がきれいな赤色に変わっている事を確認し、サラは小さく呟く。――ようやく、成功だ。
「また何か悪巧み? ハリーは来ないの?」
「今度聞いてみるわ。あなたが寂しがってるって。……まずは、ここを綺麗に片付けておかなくちゃね」

 その日の放課後もいつもと同じように何食わぬ顔でハーマイオニーと二人で図書室で過ごし、夕飯の時間になると大広間へと向かった。珍しくハリー達の方が先だったようで、大広間に着いたサラ達を迎えたのはロンの怒鳴り声だった。
「そんな生意気な態度だと罰則を与えるぞ!」
 怒鳴りつけられた下級生達の二人組が、逃げるように大広間を出て行く。
 ハーマイオニーはマートル達ゴーストにも引けを取らない速さでその場から消えていた。先日急にロンがハーマイオニーを無視するようになってからというもの、ここ数日ずっとこの状態が続いていた。
「ずいぶんと模範的な監督生様だこと」
 皮肉たっぷりに言いながら、サラはロンの隣に座った。ハリーとサラで挟み込んでおいた方が、他の子達が犠牲になるよりはマシだろう。
「今日は早かったのね」
「この天気じゃあね」
 ハリーが肩をすくめて言った。
「ギリギリまで練習を続けるか迷ったけど、試合直前にこれ以上選手に何かあってもいけないし……」
 今夜は嵐が来るらしい。授業中もガタガタと窓が不穏な音を立てていた。
「明日はちゃんと練習できるといいんだけど」
「試合前最後だものね」
 ロンが不機嫌にグラスを置き、中のかぼちゃジュースが辺りに飛び散ったが、サラはサッと「スコージファイ」を唱えるだけで何も言わなかった。ここでまたロンに攻撃のきっかけを与えれば、また面倒な事になる。
「いいよな、選手を投げ出した奴はお気楽でさ」
 ジュースを撒き散らす迷惑に口をつぐんでも、ロンの攻撃は止まなかった。
「あら、今年のクィディッチの選手って立候補制だったと思っていたけど。NEWTを控える学生が進路を見据え、その本分に打ち込むことに何か問題でも?」
「僕は監督生としての仕事だってあるんだ」
「そうね。最近は特に忙しそうだものね。権力を振りかざして下級生を脅すお仕事で」
 口を開きかけたロンに、サラは追撃する。
「あなたがここ最近やってること、去年のドラコ・マルフォイと一緒よ?」
 開きかけたロンの口からは何も言葉が発せられず、ただぽかんとサラを見つめていた。ロンの白い肌が、みるみると彼の髪と同じくらい赤くなっていく。
 一瞬、ロンが殴りかかってくるのかと思って身構えたが、彼はただ席を立っただけで、何も言わずに大広間を出て行った。
「サラ、君まで喧嘩しなくても……」
「売って来たのは彼の方よ」
 頭を抱えているハリーには悪いが、いっそ試合で大敗してしまえば尊大な態度を取ることもできなくなるのではないかと思ってしまう。……いや、既に状況は悪く、その上で当たり散らしているのであれば、敗北程度ではより酷くなるだけかもしれない。

 ロンはサラと顔を合わせたくないだろうという口実で、サラはハリーだけを先に寮へと帰らせた。デザートが無くなっていく中をだらだらと過ごし、大広間を後にする。
 サラの心臓は、早鐘のように鳴っていた。各自が寮へと向かう流れの中、人混みを外れて城の奥へと向かう。空き教室の連なる廊下で、サラはその一室へと入った。窓の外では、強い風が木々を揺らしている。
 どれほどそうして外を眺めていただろう。空に稲妻が閃き、サラは杖を自身の胸へと向けた。
「アマト・アニモ・アニマト・アニメーガス!」
 ここ一週間、朝晩ひっそりと唱え続けていた呪文を唱え、マートルのトイレから回収した瓶の中身を一気に飲み干す。
 ドクンと心臓の音が響く。鳴り続けるその音はまるで自分の物だけではなく、二つの心臓が重なっているかのようだった。身体が焼けるように熱く感じたが、汗が滴る感覚は無かった。
 熱さは暖かさへと変わり、やがて薄れていった。まだ鼓動は強く鳴り続けている。それがアニメーガスとなった印なのか、ただの緊張なのか、サラには判断がつかなかった。
 ただ、アニメーガスになれたのだと、動物の姿へと変身できるのだという確信が今のサラにはあった。
 廊下へと頭を突き出し、誰もいない事を確認する。それからサラは、変身した。背筋が屈むように曲がり、視界が下がっていく。床についた手は、最早手とは呼べず、黒々とした毛に覆われた前足だった。
 少なくとも、蛇ではない。サラはホッと安堵の息を吐く。トンクスのような七変化とは違い、変身する動物の種類は選べず、術者に合った動物へと変わると言う。もしここでスリザリンの象徴である蛇にでもなろうものなら、ずっと悩み続ける事になっていただろう。
 どんな動物になったのだろう。姿見のある部屋を探しておくべきだった。窓ならあるが、今の姿では位置が高過ぎる。壁に前足をつき覗き込もうとしてみたが、到底届きそうになかった。小型な動物になったらしい。
 そっと、教室を抜け出す。近くに鏡か、せめて低い位置のガラス窓でもあれば良いのだが。見当たらないようならば、今日のところは諦めてまた後日の確認としよう。ホグズミードに行けば、祖母の部屋なら大きめの手鏡が洗面台に置かれていた。あれを床に移動させれば確認も容易い。どうやって一人でこっそり祖母の家へと行くかという課題があるが。
 アニメーガスになるための魔法薬は複雑で、材料も手間のかかるものが多かった。その一つが、術者自身が一ヶ月間口に含んだマンドレイクの葉。当然喋りにくいし、食事も取りにくい。夏休みには、うがいと共に口から出てしまって失敗した。新学期に入ってからの、増大した宿題と図書室への入り浸りは、絶好の環境だった。
 人の感情を敏感に察知する吸魂鬼も、動物に対しては鈍感になる。シリウスは犬の姿に変身する事で、アズカバンからの脱獄を果たしたと言っていた。
 脱獄ができたのであれば、その逆も然り。
 動物の姿に変身して、アズカバンへと潜入する。ルシウス・マルフォイも、まさかアズカバンへと追って来るとは思うまい。囚人である彼に、逃げ場は無い。
 ふと前方に人影を認めて、サラは足を止めた。爪の音が鳴らないよう、忍び足で壁へと寄る。背中の毛も手と同じく闇に溶け込む色である事を祈りながら。
(――ドラコ?)
 人の姿より視力が落ちているのか、慣れない視界の広さだからか、暗闇のせいか、ハッキリとは見えないが、プラチナブロンドも背格好も、間違いなかった。
 スリザリンの談話室は、地下だと聞いている。授業も夕飯も終えたこんな時間に、こんな上の方のフロアに何の用だろう。
 物陰へと隠れ、一定の距離を取りながら、サラはドラコの後をつけて行く。
 八階の廊下を曲がると、既にドラコの姿はなかった。急に速い。気付かれたのだろうか。一本道の廊下を抜け、その先にある階段をそろそろと登って行く。もし鉢合わせたら――人間に驚いたふりをして逃げれば良いか。日本の住宅地で見かけた猫の動きを頭の中でシュミレートする。今、何の姿をしているかは分からないが、毛が生えている事と言い、大きさと言い、そう遠くはないはずだ。
 階段を登りきった先にも、ドラコの姿は無かった。見失ってしまったようだ。
 ドラコは、こんな時間にいったいどこへ向かっていたのだろう。





 ドラコの行き先を突き止める機会は、意外と早く訪れた。
 クィディッチのグリフィンドール対スリザリン戦の当日、ピッチへと入って来た敵チームのシーカーは、ドラコ・マルフォイではなかった。
 ハリーによるフェリックス・フェリシスでのドーピング疑惑など、サラの脳裏からはすっかり消え去ってしまっていた。
 ハロウィーンの晩に、一人で校舎内をうろついていたドラコ。本日の欠場。これは、ただの偶然だろうか?
 グリフィンドールの選手陣へと視線を移す。ハリー、ロン、ジニー、デメルザ・ロビンズ、ジミー・ピークス、リッチ・クート、そして不幸なケイティの代打としてディーン・トーマス。
 ケイティの持たされたあのネックレスがドラコによる企みとは限らない。何より彼には、アリバイがある。
 しかし、彼が何かしていることは確かだ。ボージン・アンド・バークスの店で脅しをかけたり、深夜に校内を徘徊したり。マクゴナガルの宿題よりも、クィディッチよりも優先する何かを。自身の寮とは遠い階まで上がって――
 そこまで考えて、サラはハッと息をのんだ。
「……ハーマイオニー。私、ちょっと急用」
「えっ?」
 言うなり、サラは駆け出していた。
 ハロウィーンの晩。八階の廊下で、サラはドラコを見失った。どうして忘れていたのだろう。
 八階の廊下。そこには、必要の部屋がある。
「さあ、始まりました。今年ポッターが組織したチームには、我々全員が驚いたと思います――」
 リー・ジョーダンとは対照的な、いまいちテンションの上がりきらない声色の解説と歓声を背後に聞きながら、サラは城へと駆けて行った。

 クィディッチの試合中でも、意外と城内にも人はいた。普段より少ないと言えば格段に少ないのだが――それでも、クィディッチは全校生徒が楽しみにしているスポーツだと思っていたサラにとっては、予想していたよりもいるという印象だった。
 思えば、一年生の時に選手に選ばれてからこの方、クィディッチの試合の日はピッチを飛んでいるか、観戦しているかのどちらかだった。一度だけ、観戦中にハグリッドにグロウプを紹介された事を除けば。
 階段も廊下もその多くは人気が無かったが、八階の廊下には二人の小さな女子生徒が何をするでもなく壁にもたれて立ち尽くしていた。
 女の子の片方と目が合う。彼女の抱えていた重そうな真鍮の秤がするりと彼女の手から滑り落ちた。サラは咄嗟に杖を振る。無言呪文による浮遊は無事間に合い、秤は破壊を免れた。
 女の子は困惑するように秤とサラを見て、それから隣に立つ友達を見た。友達の方も怯えた表情で顔を見合わせ、それからきょろきょろと辺りを見回していた。
「……秤、受け取ってほしいのだけど」
 ハーマイオニーなら、この不可解に怯える下級生達にもう少し優しい言い回しができたかもしれない。サラには、浮かせる高さを調節して受け取りやすいようにしてやるぐらいしかできなかった。
 手渡した方が良いだろうか。近づくと更に怖がってしまうだろうか。思い悩んでいる間に、彼女達の背後の壁が動いた。みるみると模様が変わり、扉が現れる。
 驚きというよりも焦りと怯えを見せる二人の様子で、サラはようやく彼女達の態度の意味を理解した。
 彼女達は、ただ無愛想な上級生に怯えていたのではない。――この入り口を、見張っていたのだ。女の子はきょろきょろと辺りを見回していたのではない、この壁の向こうが何であるかを理解し、壁と仲間とを交互に見ていたのだ。
 扉が開く。廊下へと出て来た彼は、数メートル先に立つサラを見て顔を強張らせた。
 サラは口の端を上げて微笑む。
「ごきげんよう。面白い所から出て来るのね――ドラコ・マルフォイ」
 無言の間が、廊下に満ちる。
 秤をドラコ達の足元へと下ろす。杖をふさがれた状態にはしたくなかった。
「クィディッチの試合まで休んで、見張りまで立てて、いったいどんなご用事かしら」
「……君には関係無い」
 ドラコは二人の女子生徒を乱暴に押し、立ち去ろうとする。サラは声を張り上げた。
「監督生が深夜徘徊なんて、あまり褒められたものじゃないわねぇ」
 ぴくりとドラコの肩が揺れ、立ち止まる。
 それから彼は苦々しげに振り返った。
「態度には気を付けるんだな。僕には、君に罰則を与える権限がある」
「あら、まあ。本当に深夜徘徊なんてしていたの?」
 大げさに驚いた素ぶりで言ってやれば、彼は言葉を詰まらせるように口をつぐんだ。
 彼に、サラを咎めることはできない。それは、彼自身も夜に寮の外へいた事を認めることに繋がる。夜に――ここで、何かしていた事を認める事に。
 自分の行動を認める事ができない以上、サラが何をしていたのか問うこともできない。何より、彼はサラの姿を見ていない。万が一見たとしても、それは黒い毛むくじゃらの何かだ。それがサラだと彼には分かるはずもない。
「……行くぞ」
 ドラコはサラとの会話を拒絶する事を選び、女の子達を従えてその場を立ち去った。
 サラは、彼が出て来たタペストリーの前に立つ。扉はすぐに消えてしまい、今はただの石壁でしかなかった。
(ドラコがさっきまでいた部屋……何かを人知れずできる場所……)
 強く願いながら壁の前を往復してみるが、扉が現れる様子はなかった。やはり、具体的な用途が分からなければ部屋は姿を見せてくれないらしい。
 校外へと繋がる通路、闇の魔法道具が並ぶ部屋、決闘の練習場――具体的な用途を思い浮かべればどれも実現する事ができたが、果たしてそれがドラコが先ほどまで使っていた用途と同じか判別する手がかりは無かった。

 しばらく色々な部屋を出現させてはドラコのいた痕跡がないかと探った末、サラは八階の廊下を後にした。
 もう、試合はとうに終わっているだろう。競技場へは向かわず、直接寮へと赴く。
 太った婦人の肖像画に合言葉を告げ談話室へ入ると、祝勝パーティーの真っ只中だった。全グリフィンドール生が談話室にぎゅうぎゅうに集まって、興奮した大声で喜びを分かち合っている。
 この勝利をもたらしたのが何であるか、朝食の時のハリーの行いを思い出し、サラはもやもやと罪悪感を抱きながらもハリー達の姿を探す。
 ハリーとハーマイオニーの姿は見つからず、見つかったのは部屋の隅でラベンダー・ブラウンと熱いキスを交わすロンの姿だけだった。
 サラはポカンと二人を見つめる。いったい、何がどうしてこんな状況になっているのだろう。
 そしてその二人の姿は、ハリーとハーマイオニーの姿が見当たらない原因でもあるのだろうと察せられた。
「今までできなかったキスの経験を、今夜一晩で取り返そうとしているみたいね」
 嘲るように言いながら、ジニーがバタービールを両手に持って現れた。
「どうぞ、サラ。どこへ行っていたの? 試合にも来ていなかったみたいだけど」
「……魔法薬学の課題が、明日だけじゃ終わりそうになくて」
 差し出されたバタービールを受け取りながら、サラは答える。ジニーは特に深く追求しようとはしなかった。
「まあ、これで人の恋愛にどうこう言うのをやめてくれる事を祈るわ」
「それは、兄として心配なだけじゃない?」
「彼が何て言って来たか知らないから、そんな風に言えるのよ。それに私の相手は、贔屓の酷い陰険な性格でもなければ、著しく歳の離れた相手でもないわ」
「まあ、そうね……。それはそうと、クィディッチ、勝ったのね。おめでとう、ジニー」
「ありがとう」
 ジニーもエリの相手には否定的だと分かり反対意見を共有したいところだったが、ここでこの話を掘り下げるのはまずいと思い、サラは試合へと話を切り替えた。
 ジニーの度重なる恋人変更について、サラが知っている以上にロンとやり合っていたらしいとは分かったが、それにしたってこれはいったい何があったのか。ここしばらくは突然の無視からの喧嘩状態にあったとは言え、ハーマイオニーと良い雰囲気になりつつあったのではなかったのか。
 何か知らないかジニーに尋ねようとしたところで、再び談話室の入り口が開いた。入って来たのは、マクゴナガルだった。ハーマイオニーがいないのを良い事に校則に触れる何かを出していたと思われる生徒達が、いそいそと服の下やクッションの下へと隠す。
「ミス・シャノン。私と一緒に来なさい」
 サラは身を強張らせる。
 ハリーが朝食の席でロンに盛った、フェリックス・フェリシス。サラも共犯だと判断されたのだろうか。
 まさか、アニメーガスの件の方ではないと思うが――
 勝利の馬鹿騒ぎとはそぐわぬ真剣な面持ちで、マクゴナガルはサラを見下ろしていた。彼女の口が、重々しく開かれる。
「ミスター・モリイ――あなたの養父であるケイタ・モリイとその父親が、殺されました」


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2026/06/05