部屋いっぱいに、シチューの良い香りが漂う。まだ真新しい皿に取り分けながら、阿笠は哀に声を掛けた。
「哀君、麻理亜君を呼んで来てくれるかの」
哀は無言でうなずく。地下への階段を下りて行こうとして、立ち止まった。薄暗がりの中、下から足音が聞こえていた。
「ちょうど上がってくるみたいよ。匂いでも察知し……て……」
光の届く所まで上って来た麻理亜に、哀の言葉が途切れた。麻理亜はにっこりと笑いかける。
「やっと近い材料が揃ったから、ちょっと試してみたの。久しぶり過ぎて、何だか不思議な感じだわ。博士は私だって分かるかしら?」
哀はただ目を見開いて、その場に立ち尽くしていた。怪訝に思った阿笠が台所からやって来て、彼もまたその場に立ち尽くした。
「麻理亜君……なのか……?」
「ええ。あっ、服は、元々私がいた学校の制服だったの。これしかなかったものだから……」
麻理亜の姿は、小学生ではなかった。身長こそ低いが、それでもせいぜい小学校高学年から中学生程度。顔つきや体つきの発達を見れば、平均より身長が低めなだけで更に上の年齢だろうと推測出来た。
着ている服は、濃紺のローブ。紅子の家で目が覚めた時、そして志保を連れ組織から抜け出した時に着ていた服だ。
「元に戻れたのかの? 解毒剤が……?」
言って、阿笠は哀を見る。麻理亜は首を振った。
「解毒剤ではないわ。成長薬……って言うのが、分かりやすいかしら。私達は、『老け薬』と呼んでいたけれど。摂取する量に比例して歳をとる事が出来る、魔法の薬」
「魔法……!?」
阿笠は目を白黒させる。哀が、静かな声で述べた。
「彼女の組織でのコードネームは、ストレガ……イタリア語で魔女を意味するリキュールよ。噂には聞いていたわ……ストレガは特殊な力を使う魔女だって。あのガス室を抜け出した時と言い……噂は本当だったって訳ね……。あの時言っていた『似たような薬』って、これの事かしら?」
「ええ、そう言う事。ただこの世界だとやっぱり丸々同じ材料は手に入らないから、効果の持続性や副作用の有無はさっぱり分からないけれどね。材料の一部に毒性があるから、私以外の人が服用したら命は無いでしょうし……。解毒剤の参考になりそうであれば、調合方法の資料は提供するわ」
「念のため、お願い。仕組みとしては、どうなっているの? テロメアの活性? でも、『老け薬』って名称からすると、例えば博士ぐらいの人が飲んだらお爺さんになってしまうって事よね?」
「効果としては、そうね。仕組みの方は、ちょっと……マグル的……科学的見地からの事柄については、専門外なもので……」
タハハ……と苦笑し、麻理亜は頬をかく。
「……博士、大丈夫?」
阿笠は、麻理亜達の話に呆然としていた。麻理亜に問われ、我に返る。
「その、魔法と言うのは……比喩としての意味ではなく……」
「ええ。本当の魔法。ただ、杖を壊されてしまって、今出来るのは魔法薬の調合と、『姿現し』って言う移動魔法と……」
麻理亜は軽く手を握る。その手元が赤く光ったかと思うと、平たい大剣が姿を現した。
「この剣を出す事ぐらいね」
「ほ、本当に魔法が使えるんじゃな……」
「工藤君にはまだ黙っていた方がいいかも知れないわね……例え目の前で魔法を使っても、直ぐには受け入れられないでしょうし。
でも、良かったじゃない? 一時的であっても、本来の自分の姿に戻る事が出来て……」
「……うん、まあね」
麻理亜は笑顔を返す。阿笠と哀の後から食卓へと向かいかけ、窓ガラスに映った自分の姿を見つめた。
幼児化してしまう前は、数百年もずっとこの姿だったのだ。当然、こちらの方が慣れている。
しかし、これが「本来の姿」であるのかどうか、麻理亜には分からない。
『私は毎朝、これを見るたびに寒気がはしる……あなた、いったい誰なの……? ってね……』
先日、映画館に行った時、鏡を見つめるコナンに哀が言った言葉。
「『誰』……か……」
麻理亜は、気がついた時にはホグワーツ城の一室で眠っていた。何処から来たのか、家族はいたのか、何も分からない。自分が一体何者なのか、この数百年ずっと分からないまま。
「おーい、麻理亜君ー」
「はーい」
明るい声を取り繕って、麻理亜は食卓の方へと駆けて行く。
麻理亜。その名前ですら、本当に自分のものなのか分からないのだ。ただ、発見された時に所持していた木札に書かれていたというだけで。
――私はいったい、誰なの……?
No.19
「ええ!? もう十人締め切っちゃったんですか!?」
提無津港に停泊する巨大なクルーザーに乗り込んだところで、背後から男の叫ぶ声がした。振り返れば、トランクを抱えた眼鏡の男が従業員に食い下がっているところだった。
「でも、入口は通してもらえたのに……」
「申し訳ありません……家族連れのお客様を誤って一名様として入口の者が数えてしまいまして……」
家族連れと言う言葉に、麻理亜は辺りを見回す。そして、視界に入って来た三人組にぎょっと身を竦ませた。三人組の内の一人、眼鏡を掛けた小さな少年も麻理亜をまじまじと見つめていた。
「まさか……紫埜、なのか……?」
「アハハ……」
「コナン君、知り合い?」
きょとんとした様子で一緒にいた女の子が尋ねる。彼女が、彼が一緒に住んでいると言う幼馴染の子だろう。言いよどんだコナンの言葉は、彼女の父親によって遮られた。
「これはこれは、こんなお美しい女性とご一緒できるとはありがたいですなあ! 私、名探偵の毛利小五郎と言います」
「ちょっと、お父さん!」
女の子が小五郎を睨みつける。麻理亜は、背後でのやり取りに気を取られていた。
新聞に載っていた小笠原イルカツアーの募集記事。問題の答えを持参すれば、無料で招待してくれると言うものだった。阿笠が見つけたその記事を麻理亜が解き、大乗り気でいたのだが、前日になって阿笠は学会の用事が出来てしまった。二人だけでもと思ったが、哀は「パス」。阿笠に写真を撮って帰ると約束してしまった手前行かない訳にもいかず、麻理亜だけでもやって来たのだ。子供の姿では保護者を求められるだろうから、例の老け薬もどきを服用して。
ツアーの招待は、先着十名。どうやら、麻理亜でちょうど十人目だったらしい。眼鏡の男は、どうしても乗らなければならないのだと従業員に訴えている。麻理亜は、そちらへと歩み寄った。
「あのー……何なら、私、降りましょうか? まだ受付手続きしていませんし……」
「そんな、お客様……」
「ええ!? 降りてしまわれるんですか!?」
従業員に続けて、小五郎が惜しそうな声を上げる。
「いいんです。元々一緒に来る予定だった連れが、来られなくなったので……私一人で乗っても、仕方ありませんし……」
「そんな、どうもすみません……」
眼鏡の男は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
そこへ、奥から別の従業員が駆けて来た。
「大変お待たせしました! そちらの男性の方までご案内します」
「え? いいの?」
「一組家族連れだったおかげで、部屋は空いているから……」
同僚の問いに、駆けて来た従業員は答える。そして、男性客を詫びの言葉と共に受付へと促した。
「えっと、じゃあ私は……」
「もちろん、降りる必要はございません」
従業員は笑顔で答える。麻理亜は苦笑いを返した。
背後から突き刺さる視線が痛い。どうやら、コナンへの説明から逃れる事は出来ないようだ。麻理亜は観念して溜息を吐く。こうなっては、致し方ない。どの道、ここで逃げても帰ったら質問攻めにされるだろう。
「それでは、お客様、お名前を……」
問われ、麻理亜はちらりとコナンの後ろにいる二人を見た。コナンと一緒に住んでいる人達。今後、小学生姿の紫埜麻理亜として出会う可能性は非常に高い。
「お客様?」
「え、あ……小泉和葉です」
思い浮かんだ旧友の名前を混ぜこぜにした適当な名前。まさか、このせいでこの後墓穴を掘る事になろうとは思いも寄らなかった。
「それで? なーんで、オメーがここにいて、しかも元の姿に戻ってんだよ」
「あなたこそ。まさか、こんな所で会うとは思わなかったわ」
客室の並ぶ廊下に、麻理亜とコナンは佇んでいた。
「蘭が新聞にあった募集記事を見付けたんだよ。それで、暇だから行こうって……」
「私も同じよ。本当は博士達も一緒だったのだけど、博士は学会の用事が入ってしまって……哀は『パス』って」
「で、何で元に戻ってんだ? 解毒剤が出来たのか?」
麻理亜はニヤリと笑う。
「どう? なかなかのナイスバディでしょ?」
思わぬ返しに、コナンは一瞬言葉を失う。ぽかんと麻理亜を見つめ、そしてフイッと顔を背けた。
「バ、バーロォ。話をそらすんじゃねーよ」
「あら、赤くなっちゃって。可愛いー」
「あのなあ……!」
「この姿は、試薬品を飲んだだけの事。元に戻れた訳じゃないわ。効果は前回と同じであればほんの一時間程度ってところかしら……」
コナンは目を瞬く。幼児化している時には同程度であるコナンの視線の高さは、今や麻理亜の腰の辺りだった。麻理亜は背が低い方だが――と言えども、どの年齢層と比べれば良いのかわからないが――コナンは首を曲げ下から仰ぎ見る体勢だ。
「まさか、それなのにオメー、一人で来たのか?」
「ええ。それが?」
「それがって……」
「いた! コナン君!」
廊下の先に現れたのは、蘭だった。
「もう、目を離すと直ぐにいなくなるんだから……」
「ご、ごめんなさい……」
麻理亜と話していた時よりも幾分か声のトーンを上げ、コナンは謝る。蘭は、麻理亜に目を向けた。
「えーっと、小泉さんでしたっけ……」
「ええ。小泉和葉です」
「和葉さんって言うんですか? 私の友達にも同じ名前の子がいるんですよ」
「へぇ、偶然ね」
「さっきも思ったんですけど、もしかしてコナン君と知り合いなんですか?」
麻理亜はチラリとコナンを見る。
思いがけない遭遇に、二人とも驚きを隠しきれなかった。あのやり取りを見て初対面だと思えと言う方が無理な話だろう。
「ええ、まあ……。親戚の子が、コナン君とクラスメイトで。何度か会った事があるのよ」
「へぇ……」
コナンと蘭と連れ立って、甲板へと出る。そこには小五郎もいた。
太陽は西に傾き、大海原を真っ赤に染め上げている。
「わぁーっ、きれい!」
蘭は歓声を上げ、舳先へと駆け寄り両手を広げる。
「I'm a King of the world!! ――一度やってみたかったんだ、これ」
後をついて行った小五郎とコナンに、蘭は嬉しそうに話す。
麻理亜はその横で、大海原を見つめていた。何処までも続く海面。磯の匂いは、何処か懐かしい気分になる。ホグワーツの周りには、湖はあれども海なんて無かったはずなのに。
夕飯は、レストランに用意されていた。しかし、早い段階で着いていると言う老人と探偵二人は一向に姿を見せない。老人の名前が出た途端、乗客達の顔色が変わった。見れば、コナンも厳しい顔をしている。元警視の鮫崎は小五郎を連れ、老人の部屋へと駆け去って行った。
「四億円強盗殺人事件?」
麻理亜一人、きょとんとして呟く。蘭を見るが、彼女も詳しくは知らない様子だ。答えたのは乗客の一人、磯貝渚だった。
「若いあなた達が知らなくても、無理ないわ。もう二十年も前になるかしらね……銀行強盗があったのよ。その主犯とされているのが、叶才三。銀行員が一人殺されて、犯人一味はまだ捕まっていないわ……。当の叶才三については、事件の後に銃痕と血の付着した上着が発見されて、仲間割れでも起こして亡くなったんじゃないかって言われてるけど……」
「そ、それじゃ、船に乗ってるおじいさんって幽霊になって出て来たって事ですか!?」
蘭が青ざめる。
「生きていたって事じゃない? それか、何者かが何らかの目的で彼の名前を名乗っているか……」
言って、麻理亜はレストランにいる一同を見渡す。叶才三の名前で顔色を変えた人々。ただ二十年前の事件を知識として知っているだけとは思えない。
「でも、そんな危ない人が乗っているなら、気をつけないと駄目ですね。コナン君、またふらふらしちゃ駄目よ……って、あれ!? コナン君!?」
「彼なら、さっき毛利さんと鮫崎さんの後について行ってたわよ」
「えーっ」
蘭は席を立つ。麻理亜も後に続いた。
「コナン君を探しに行くなら、私も一緒に行くわ。一人での行動は避けた方がいいでしょうし」
麻理亜と蘭はレストランを出て、客室の方へと向かう。道すがら、蘭は尋ねた。
「でも、意外でした。小泉さんも、事件の事知らないなんて……てっきり、磯崎さんと同じくらいの歳かと思っていたので」
「ああ、私、こっちに来たのつい最近なのよ。日本に来ても、一時は大阪に行っていたし……」
「大阪? へえ、凄い偶然! さっき言ってた和葉って名前の私の友達も、大阪にいるんですよ」
「へえ。もしかしたら、会った事があったりしてね」
「そうですね〜。……あ! いたいた!」
前方に四人の人影が見えて、蘭は声を上げ彼らに駆け寄った。コナンと、小五郎と、鮫崎と、もう一人。コナンらに加わるその人物を見て、麻理亜はその場に立ち止まる。
「あれー、服部君じゃない? なになに? 服部君も、この船に乗ってたの?」
「ああ……部屋で寝とったら、このおっさんに叩き起こされてなァ……」
色黒の少年は、小五郎を指差して蘭に笑いかける。
服部平次。改方学園でクラスメイトだった、西の高校生探偵。どうして、彼がここに。
「小泉さん、こちら服部平次君。さっき話していた和葉ちゃんは、彼の幼馴染で……小泉さん? もしかして、お知り合いでしたか?」
麻理亜はハッと我に返る。怪訝気にこちらを見る平次に、麻理亜は何事も無かったかのように笑いかけた。
「驚いちゃって。西の高校生探偵の子よね?」
「そっか、小泉さん、大阪にいたんでしたっけ。服部君、こちらは小泉和葉さん。船の中で知り合ったの。コナン君の知り合いだって……」
「小泉……和葉……?」
「あなたの幼馴染も同じ名前なんですってね。さっきも彼女とその話で盛り上がっていたのよ」
質問させまいと言う様に、麻理亜は続け様に話す。幸運な事に、蘭が話を変えてくれた。
「今日は、和葉ちゃんは?」
「なんでアイツが出てくんねん? アイツはアイツ、俺は俺、関係ないやろ。いっつも仲ええお前らと一緒にすんな!」
平次は、からかうような笑みを浮かべる。お前らとはもちろん、コナンと蘭の事だろう。コナンは真っ赤になって慌てた様子だった。次いで蘭を見て、麻理亜は目を瞬く。
「お前ら?」
「あ、そやから、ホンマ仲のええ親子やっちゅう意味や!」
小五郎に問い返され、平次は慌てて言い繕っていた。
コナンと平次を連れて、蘭と麻理亜はレストランへと戻った。小五郎と鮫崎は、引き続き叶才三なる人物の捜索だ。
話を聞いていると、平次は謎の人物から依頼の手紙を貰って船に乗り込んだらしい。そしてどうやら、彼はコナンが工藤新一である事を知っているようだ。何度か工藤と言いかけ、その度にコナンから白い目を向けられていた。
磯貝の提案でポーカーをする事になり、彼女は部屋へトランプを取りに行った。
「……ねえ、ポーカーって?」
他の人もテーブルに集まれるよう席を詰めながら、麻理亜はコナンの頭越しに蘭に尋ねる。
「やった事ないですか? じゃあ、最初は見てます? 教えますよ」
「ありがとう」
視線を感じてふと蘭の向こうに目をやると、平次がじっとこちらを見ていた。
「……なあに? 私の顔、何かついてる?」
「あ、いや……」
組織を抜ける時、麻理亜は自身の記憶を周囲から失わせる魔法をかけた。年をとる事の無い麻理亜は、毎年七年間のサイクルでホグワーツの生徒に紛れ込んでいる。再び一年生に戻っても誰も不審に思わぬよう、麻理亜が七年生を終えると人々の記憶から麻理亜は消え失せるようになっている。それと同じ魔法を使ったのだ。改方学園の生徒達も、例に漏れない。平次が麻理亜を覚えているはずはない。
麻理亜の隣にも椅子が置かれる。
次いで鼻を突いた血の匂いに、麻理亜は振り返った。
血の匂い。怨嗟の臭い。人を殺した怨詛はその人物を取り巻き、消える事はない。先ほどまではなかった臭い。叶才三の名前が出てコナンら、そして麻理亜らがレストランを後にした短時間に、殺人が行われたと言う事。
「隣、失礼するよ」
麻理亜の内心など気付こうはずもなく、彼は笑いかける。麻理亜も、うなずくしかなかった。
磯貝が戻ってきて、トランプが配られる。麻理亜は、蘭にルールを説明される傍ら、テーブルの周りに集まる面々を順々に確認していた。
この場にいないのは、叶才三を探す小五郎と鮫崎。それから、船酔いして部屋に戻ったきりの亀田。その中の誰かか、船の従業員か……。
「小泉さん、大丈夫?」
コナンが、麻理亜の顔を覗き込んでいた。コナンの言葉に、視線が麻理亜に集まる。
「大丈夫ですか? 真っ青ですよ!」
「私もちょっと、酔っちゃったみたい……せっかく教えてもらったのに悪いけど、抜けさせてもらうわ」
言って、麻理亜は席を立つ。
どうしよう。ここで犯人を見張っているか、それともこの場にいない三人を探しに行くか……。
考えあぐねていると、小五郎がレストランへと戻って来た。叶才三と思しき老人は一向に見つからず、鮫崎一人で今は探しているらしい。
麻理亜以外の面々も、次々にポーカーを抜けて行く。件の人物が動いたのを見て、麻理亜も立ち上がった。
「小泉さん?」
「ちょっと、部屋で休ませてもらうわ……」
心配そうな蘭に一言言って、麻理亜はレストランを後にした。
もちろん、向かう先は部屋ではない。彼は、何処へ行ったのか。頼りは、彼が纏う血の臭いのみ。
探し始めて十分と立たぬ内に、銃声が鳴り響いた。外……上のデッキの辺りか。麻理亜は重い足を引きずり、そちらへと駆け出した。
銃声によって駆けつけたデッキでは、旗が燃え犯人からのメッセージが残されているのみだった。その直ぐ後に船尾で爆発が起こり、燃え盛る死体が発見された。
犯人からのメッセージにあからさまな反応を見せていた鯨井を鮫崎は尋問していたが、亀井が見当たらないとの報告を受けると自ら探しにレストランを出て行った。磯貝、海老名、鯨井も、小五郎による待機命令を拒否しレストランを出て行く。
後を追おうとした麻理亜は、蘭に呼び止められた。
「コナン君、戻って来てませんか? あと、服部君も……」
「彼らなら、あなた達と一緒に亀井さんを探しに行ったっきり戻って来てないけど……一緒じゃなかったの?」
「それが、いなくなっちゃったみたいで……」
「彼らの事だから、事件の手がかりを探したりでもしてるんじゃない? 心配しなくても大丈夫よ。二人一緒にいるんでしょうし……。
それじゃ、私も部屋に……」
言って、麻理亜は軽く手を振る。去りかけた背中に、再び声がかけられた。
「あの……小泉さん、コナン君の事、よく知っているんですか?」
「え?」
麻理亜は振り返り、目を瞬く。
不安げな表情の蘭。同じような表情を、最近麻理亜は見た事があった。台詞も、彼女達の年齢も違うけれども。
「……親戚の子が、彼とクラスメイトだから。よく事件に巻き込まれるみたいで、話にはよく聞くわよ」
「……」
「それじゃ、私も少し休ませてもらうわ。彼らの事を見かけたら、あなたが心配していたって伝えておくわね」
腑に落ちない様子の蘭を残し、麻理亜はレストランを出て行った。
犯人と思しき人物を追おうにも、既に彼の姿は廊下になかった。また何が起こるか知れない。事件の捜査はコナンらに任せて、ここは宣言通り休んだ方が良いかもしれない。
波の音は心が落ち着く。潮風に当たれば具合も良くなるかと、麻理亜はデッキに出た。夜の海は、真っ暗だ。闇と溶け合い、何処から海面なのか判断がつかない。
「何しとんねん、こない所で」
振り返れば、平次が懐中電灯を片手にデッキへと出て来たところだった。怪訝気な彼に、麻理亜は微笑む。
「少し、夜風に当たりたくて……どう? 何か分かった?」
「犯人の目星はもうついてんで。ただ、俺と工藤の推理が食い違てて……。
せや。ちょうどエエわ。あんたに、聞きたい事があったんや」
麻理亜は無言で、首を傾げる。平次は真剣な瞳で、麻理亜を見据えていた。
「あんた、俺と何処かで会うた事あるか?」
潮風が、麻理亜と平次の間を吹きぬける。黒く染められた麻理亜の髪が、風に吹かれて揺れた。
「……あらあら。随分と古典的なナンパ台詞ね」
「はぐらかすな。工藤から聞いたで、あんたの事。あんたも工藤と同じように、普段は薬で小っさなってるってなァ。小泉和葉っちゅう名前も、もちろん偽名なんやろ? 大阪におった事があるみたいやし、知ってる名前から適当に拝借したっちゅートコか?」
「そうね……小泉和葉が偽名だって点は、正解。紫埜麻理亜。それが、私の名前よ。その様子だと、工藤から聞いてるかも知れないけど……」
「紫埜……麻理亜……」
平次は、心当たりがないか考え込んでいるようだった。
麻理亜は再び、平次に背を向け真っ黒な海を見渡す。組織やコナンの正体を既に知っているならば、彼に隠す意味はあまり無い。しかし、通常の忘却術と違って個別に魔法を解く事は不可能。後は、本人にゆだねるしかない。
再び、強い風が吹く。視界の端で何かが動いた。
「何かしら、あれ……」
「ん?」
麻理亜の呟きに、平次は懐中電灯を片手に縁まで来る。麻理亜は、左下方を指差した。
「今、舳先の方で何か……」
「おったか!?」
平次は舳先の方へと駆けて行く。
懐中電灯で船の外を照らした平次は、ぴたりと動きを止めた。麻理亜も、そちらへと歩いて行く。
「何だった?」
振り返った平次は、顔色を変えた。覗き込もうとした麻理亜は、強く突き飛ばされる。
床に転げながら見えたのは、平次に向かって振り下ろされる鉄パイプ。
「――平次!」
起き上がり伸ばした腕は、虚しく空を掴んだだけだった。
一つの情景が、暗い海に重なる。浮遊する身体。手を伸ばすも、差し伸べてくれる腕などなく。崖の上に立つのは、着物に似た形のくたびれた服を着た女性。
――あなたは、味方だと思っていたのに。
麻理亜は、手すりにすがり崩れ落ちるようにその場に膝をつく。
激しい水音が辺りに響いた。
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2013/06/30