「えーっ!? 怪盗キッドを見たあ!?」
帝丹小学校の校庭に、元太、光彦の声が響く。
昨晩、歩美の家のベランダに怪盗キッドが降り立ったと言うのだ。気障な怪盗さんは、歩美の手の甲にキスをして飛び去ったらしい。
麻理亜は、以前に一度だけ出会った事のある彼を思い起こす。あの後、彼が世界的に有名な怪盗だと言う事を知った。尤も、海外での活躍は八年前までばかりで、最近復帰してからは日本国内が中心のようだが。
歩美は、彼がとても格好良かったと話す。八年前にも活躍していたと言う割には、なかなか若かった。確かに、歩美の好みかも知れない。
子供達は、怪盗キッドの話で盛り上がる。
「まさに、平成のアルセーヌ・ルパンですね!!」
麻理亜は時々、光彦が本当に小学一年生なのか疑わしくなる。
哀が、からかうようにコナンの顔を覗き込んだ。
「……で? 平成のホームズさんはどうする気?」
「バーロ! いつか捕まえてやるに決まってんだろ!」
コナンの足元にあったボールは、弧を描いて校庭の向こう側まで飛んで行った。
+++劇場版名探偵コナン「世紀末の魔術師」
博士の家で、子供達は口々に文句を言っていた。コナンは小五郎らの連れとして、キッドを捕まえるべく大阪へ行った。彼らに何も告げずに、大阪旅行。それも、キッドの捜査に加わる為。それが、彼らには気に食わないらしい。
哀は雑誌を読んでいる。
麻理亜はパソコンで、工藤達が守りに行った宝石を調べていた。インペリアル・イースター・エッグ、通称メモリーズ・エッグ。先月、鈴木財閥の蔵から発見された、ロマノフ王朝の秘宝だそうだ。
「志保ー、ロマノフって?」
「ロシアの昔の王朝よ……。昔と言っても、今世紀にもかかっていたと思うけど」
哀は、子供達に軽く眼をやり、じとっとした視線を麻理亜に向ける。
「あ、はは、ごめんごめん……どうにも慣れなくって」
幸い、子供達はコナンについての愚痴に夢中になっていた。
子供達をなだめるようにして、博士がスイカを持ってきた。子供達は歓声を上げ、スイカを手に取る。
しかし、食べようとしたところで博士の制止が入った。
「食べるのは、クイズを解いてからじゃ!」
博士の言葉に、子供達からは不満の声が上がる。
「何を言っとる! 子供の内から楽に物を手に入れる癖つけてどうする! いくぞぉ……。
ワシには多くの孫がおる……ズバリ、何歳かな?」
……駄洒落だ。しかも、やや苦しい気がする。
子供達は首をひねって考えている。見かねた哀が、口を開いた。
「〇歳よ……」
「え?」
「まだ卵なのよ……」
「『ワシ』は鳥の鷲。『多くの孫』ってのは、漢字だけを残して『多孫』。鳥だから、それを『たまご』って読むって訳。卵は〇歳でしょ?」
麻理亜が、後から説明を付け加えた。
「大正解じゃ! 流石じゃな。君達なら解けると思っとったぞ!」
「へー……」
「灰原さんと麻理亜ちゃん、スゴイ……」
「麻理亜は意外だよな」
その言葉に、麻理亜はムッとする。
「ちょっと元太! それ、如何いう意味よっ」
「だって、麻理亜って寧ろ頭良くなさそう……」
「なんなら、哀と二人で少年探偵団から抜けちゃってもいいけど? そしたら、スイカが食べられないわよ〜」
「げっ」
元太は慌ててスイカにかぶりついた。
麻理亜はクスクスと笑い、ブラウザを閉じると皆の座るソファへと向かった。
「麻理亜。いつも思ってるんだけど……それ、一体何なの?」
「へ?」
麻理亜はテレビの前で、杖の修正を試みていた。
数百年もの間、使って来た杖。ホグワーツで眼を覚ました時から持っていた、数少ない物の一つだ。今や、真っ二つに折れてしまい、何の効力も無い。
「その木の残骸よ。いつも、それと睨めっこしているじゃない?」
「大切な形見」
適当に言っておいた。
強ち、間違いではないだろう。これは失われた記憶に繋がる物であり、これを作った者も麻理亜に渡した者も、とうに亡くなっているのだろうから。
「……壊れたの?」
「ええ。銃で粉々にね……」
「組織ね。……あっ。私が牢につれて行かれた時……? ごめんなさい。私の所為だわ……」
「別に志保は関係ないわ。それに、不便ではあるけどまた帰った時に作り直せば済むもの」
「でも、大切な形見だったのでしょう?」
麻理亜は、哀から見えない角度でちろりと舌を出す。確かに、そう言ってしまった。
「大切って言っても、便利だからって意味よ。それに、物だけがその人が生きていた証ではないでしょう?」
「便利? 一体それ、何だったの?」
墓穴を掘った。さて、どう答えたものか……。
会話が途切れ、テレビのニュースのアナウンサーの声が耳に入ってきた。
「目撃者の話では、キッドは何者かに撃たれたようです。現場には、キッドのモノクルと今回盗まれた『メモリーズ・エッグ』が落ちていました。
大阪県警は現在もキッドを捜索していますが、生死は確認できていません」
麻理亜、哀、阿笠は息を呑んでテレビ画面を見つめた。
――怪盗キッドが撃たれた……!?
以前出会った時も、彼は警部に銃撃されていた。けれども、シルクハットが蜂の巣になりながらも彼は平然としていたのだ。その彼が、捜索される状況に陥った。それは、どう言う事だろう。目撃者は、どのような状況を見たのだろう。
麻理亜の胸がざわつく。
……紅子は、彼を知っているようだった。このニュースを聞いたら、彼女はどう思うだろう。
八月二十三日。
コナンは、いつもながら更なる事件に巻き込まれていた。
「何っ!? 右目を撃つスナイパーじゃと? わかった! 調べてみる!
……っと、麻理亜君! 起きておったのかね?」
戸口に立つ麻理亜を見て、阿笠は驚いて声を上げる。
「ええ。如何したの? スナイパーって……事件?」
「そうなんじゃ。一緒に船に乗っとったカメラマンの男性が何者かに殺されてしまったらしい」
「それで、右目を撃つスナイパーって訳か……」
「ああ」
電話の向こうから、コナンの声がする。
「被害者は右目を撃たれて死んでいたんだ。それに、キッドが何者かに撃たれた現場に……!?」
コナンの言葉が、途中で途切れた。
麻理亜は電話口に問う。
「如何したの、工藤?」
「……いや、誰かの視線を感じたんだけど……気のせいか……?
それで、キッドが撃たれた現場には、奴のモノクルが割れて落ちていたんだ。キッドのモノクルは、右だろ?」
問いかけられても、麻理亜はキッドのモノクルの向きまで覚えていない。相変わらず、記憶力の良い奴だ。
感心しつつも、麻理亜は調べた事を伝えた。
「右目……それって、スコーピオンじゃない?」
「スコーピオン!?」
阿笠とコナンの声が重なる。
麻理亜は頷いた。
「私、工藤達が護りに行った『メモリーズ・エッグ』について、調べてたのよ。宝石について調べている過程で、その名前を見たの。
世界中に渡って盗みを働いていて、狙うのはロマノフ王朝の財宝ばかり。そして、いつも殺す相手の右目を狙って撃っているわ。ICPOの犯罪情報にも載っていたわ。年齢も性別もわかっていない。現在、国際手配中よ……」
「博士、まだ見つからないの? 免許証……」
「確かこの辺に置いたんじゃがのう……麻理亜君、そっちにはあるかの?」
「無いわね。まったく、ちゃんと整理してないからよ」
「早くしないと江戸川君、先に着いちゃうわよ……」
哀が痺れを切らし、家の中に入ってくる。
「麻理亜。私、変わるわ。全然見つかりそうにないんだもの」
「じゃあ、車の所で待ってるわね」
車の鍵は開けたままだ。無人で放置は、無用心過ぎる。
門まで辿り着く前に、哀と阿笠は出てきた。麻理亜は途中で立ち止まって、二人を待つ。
「免許証、見つかったわよ」
阿笠が鍵を掛けるのを待ち、車へと向かう。
麻理亜は後部座席に乗り込もうとし、固まった。……この子達は、何をしているのだろう。ぎょっとしたように眼を見開いて麻理亜を見つめる三人を、麻理亜は呆れた視線で見る。
「ん? どうかしたかね? 麻理亜君」
「別に……」
麻理亜は一番こちら側の光彦に奥へ行くよう合図し、乗り込んだ。ぎゅうぎゅう詰めだ。
車は発車する。
子供達は毛布を被ったまま、ひそひそ声で話しかけて来た。
「麻理亜ちゃん、ありがとうございます」
「ばれちまったから、ヒヤッとしたぜ」
「これから、コナン君達の所に行くんだよね?」
「ええ、そうだけど……くれぐれも、危ない真似はしないでよ?」
「はーい!」
元太、歩美、光彦の三人は元気良く、それでも声を潜めて返事をした。
いくら声を小さくしても、哀には聞こえたらしい。後部座席を振り返り、麻理亜の横のこんもりと盛り上がった毛布に眼を留める。
前に向き直ると、呆れたように言った。
「どうやら、もう一つトラブルが見つかったみたい……」
阿笠はきょとんとして振り返る。
「イェーイ!!」
見つかった三人は、開き直って毛布を撥ね退けた。突然現れた子供達に、阿笠はワッと叫ぶ。
「なんじゃ! お前ら!!」
「博士! 前! 前ーっ」
車が大きく蛇行し、麻理亜が叫ぶ。
騒々しい一行を乗せて、ビートルは横須賀へと向かっていく。
「見えてきました! あのお城ですね!」
「わぁ〜。素敵〜」
城が見えてきてから走る事数分、車は開け放された門をくぐり、城の前に止まった。
途端に麻理亜は車から降りる。全員子供とは言え、四人での後部座席は狭い事この上ない。
皆も、次々に降りてきた。
「よぉ! コナン!!」
「コナンくーん!!」
「博士、如何してここへ?」
蘭が、目を丸くして尋ねる。
博士がその問いに答えた。
「いや、コナン君から電話をもらってな……。ドライブがてら、来てみたんじゃよ……」
そしてこっそり、コナンに頼まれていた眼鏡を渡す。
子供達は大はしゃぎしている。
「まるでおとぎの国みたい!」
「この中に宝が隠されているんですね!?」
「うな重、何杯食えっかな?」
はしゃぐ子供達を、毛利氏が一喝した。
「いいかお前たち! 中へは絶対入っちゃいかんぞ!!」
「は〜い!! 分かってまぁす!」
物分りが良いような返事をしているが、この顔は絶対に入る気だ。
そこへ、派手な赤い車が入ってきた。左ハンドルだから、外車だろうか。
降りてきたのは、大きな荷物を背負った年老いた男だった。
「やー、悪い悪い! 準備に手間取ってな……」
「何です? その荷物……探検にでも行くつもりですか?」
「なぁに、備えあれば憂いなしってヤツですよ!」
哀がコナンに近付き、こっそりと話す
「用心する事ね……スコーピオンは意外と身近にいるかもよ……」
「ああ、わかってる……」
「ねぇ、工藤……あの女性、何て名前?」
麻理亜もそちらへ近寄り、そっと尋ねる。コナンはきょとんと振り返った。
「え? ――浦思青嵐さんだよ」
そしてコナンは、他の人の名前も教えてくれた。
「浦思青嵐さんは中国人で、『ホシセイラン』ってのは、日本語読み。中国語だと、プース・チンランっていうらしいぜ」
「プース・チンラン……」
「青嵐さんが如何かしたのか?」
尋ね、そしてハッとした顔になる。
「まさか、組織の……?」
「違うわ。……物的証拠は無いけど、彼女がスコーピオンね」
「アナグラムか? でもそれは、偶然の可能性も――」
「彼女、血の臭いがするのよ」
それも、恐詛ある血の臭い。
彼女は、人を殺した。それだけは間違い無い。
コナン達は城の中へ入って行き、玄関扉には鍵をかけられた。
元太が意気込む。
「よし! それじゃ、俺達も!!」
「……ん? 何をする気じゃ?」
「先に宝を見つけるのよ!」
「別の入り口が何処かにある筈です!」
阿笠が止めるのも聞かず、子供達は駆け出す。
麻理亜も、一足遅れてついて行った。隠し扉探しなら得意だ。ホグワーツで長年過ごしていた麻理亜が、楽しまない筈が無い。
扉はいくつも見つかるものの、どれも鍵がかかっている。
「駄目です! ここも鍵がかかっていますよ!」
「クソォ! グズグズしてたら、先に宝を見つけられちまうぞ!!」
「う〜。 この城、中に入る隠し扉なんて無いみたいね……」
「おーい! 哀君!! 何処行くんじゃ?」
阿笠が呼びかける先を見れば、哀が小さな塔への階段を降りていっている
「ちょっと、あの塔を見てくるだけ……」
麻理亜達は哀の後を駆けて行く。
「灰原ーっ! 何かあんのか? あそこに!」
「宝よ、きっと!」
麻理亜達は哀を抜かし、真っ先に着いた元太が扉に手をかけた。開いたものの、中は薄暗く何も無い部屋だ。
「何だよ灰原、何もねーぞ!」
「何かあるなんて言ってないわよ……」
阿笠が階段を駆け下りてきた。
「おーい! もう諦めて帰った方が……」
壁に手をつき、肩で息をする。
途端、博士が手をついていた部分がボコッと凹んだ。
足元が無くなる。
「うわあッ!!」
浮遊感の後、麻理亜達は穴を転がり落ちて行った。
前を落ちていっていた元太、光彦、歩美が消えた。段差があるようだ。けれど、スピードを押し殺そうにも間に合わない。
麻理亜が落下した先には、三人が折り重なっていた。慌てて立ち上がる。
「大丈夫っ? 皆」
哀はスピードを如何殺したのか、そろそろと降りてくる。
歩美と光彦も起き上がって、元太はむっくりと体を起こした。
「痛ぇな、お前ら!」
「柔らかいお腹ですね」
「怪我しないで済んだわ」
元太は足元の何かを拾い上げる。
「何だ? これ……」
何やら細長く、くねくねとした物体だった。
「わっ!! 蛇!!」
元太は手に持っていた物を投げ飛ばし、子供達はパニックに陥る。
哀が腕時計型ライトを点けた。そこに映し出されたのは、ロープ。
「蛇じゃないわ……縄梯子よ。かなり古いわね……。元々上の方から付いてたのが切れたみたい……」
「チェッ! 脅かしやがって!!」
元太は決まり悪そうにそっぽを向く。
「で、如何するの? ここで博士が助けに来るのを待つか、先に進むか」
穴を登っていく事は、不可能だろう。麻理亜一人ならば何とかなるかも知れないが、子供が三人もいるのだ。特に元太は、到底登れそうに無い。
元太、歩美、光彦は顔を見合わせる。
「そりゃ……」
「もちろん……」
「レッツ・ゴーっ!!」
三人は声を合わせて、拳を振り上げた。
暫く暗闇の中を歩いていると、前方から光で照らされた。
眩しくて、思わず目を覆う。聞こえてきたのは、コナンの声だった。
「ああっ!! お前ら!!」
喜ぶ子供達とは対照的に、コナンは呆れ顔だった。
麻理亜達はコナン達の一団に加わって進んだ。
浦思からは、血の臭いがする。どうやらこの人は、また殺したらしい。
子供達は歌を歌いながら、意気揚々と歩いていく。
暫く歩いて、壁に行き当たった。――否、違う。突き当りには扉のような物があった。
ただの行き止まりではない。何か、ある筈だ。
白鳥刑事が、壁に光を向けた。
「わあっ! 鳥がいっぱい!」
「……あれ? 変ですね……。大きな鳥だけ、頭が二つありますよ!」
「双頭の鷲……皇帝の紋章ね……」
哀の呟きに、コナンが頷く
「ああ……往還の後ろにあるのは、太陽か……太陽……光……もしかしたら……」
そう呟くと、コナンは白鳥刑事を見上げた。何か解ったような顔だ。
「白鳥さん! あの双頭の鷲の王冠に、ライトの光を細くして当ててみて!」
「あ、ああ……」
白鳥は気圧されたように頷くと、ライトの光を細くした。それを王冠に当てると、その部分がカアっと光った。
地響きがする。
「皆、下がって!!」
コナンの言葉で、麻理亜はパッと後ろに飛びのいた。
床の一部が、コナンだけを乗せて下へ下へと下がっていく。それが止まったかと思うと、その手前の床が両側に開きだした。
現れたのは、更なる地下への階段。
「スッゲー!!」
「な、何て仕掛けだ……」
地下へ下り、たどり着いた先は円形の広間だった。
「まるで卵の中にいるみたい……」
歩美がぽつりと言う。
部屋の中心には、台がある。台の中央には、丸い穴。一体、何だろう。
置かれていた蝋燭に、小五郎がライターで火をつける。途端に、辺りがぽうっと明るくなった。
白鳥は奥の箱に近付いていく。
「棺のようですね……」
「造りは西洋風だが、桐で作られている……。それにしても、でっかい鍵だな……」
小五郎の言葉に、コナンが「あっ」と声を上げた。
背後の香坂夏見を振り返る。
「夏美さん! あの鍵!!」
「……え? ……そっか!」
彼女は、鞄から大きな鍵を取り出すと、棺へ近付いていく。
鍵を差し込むと、ピーンと金属独特の高い音を立て、開いた。
「この鍵だったのね……」
「開けてもよろしいですか?」
小五郎の言葉に、香坂は頷く。
小五郎はぐっと力を入れ、重そうに棺を開けた。
「遺骨が一体……それにエッグだ! エッグを抱くように眠っている!
夏美さん、この遺骨は曾お祖父さんの……?」
「いえ……多分、曾祖母の物だと思います……横須賀に曽祖父の墓だけあって、ずっと不思議に思っていたんです。もしかすると、ロシア人だった為に先祖代々の墓には葬れなかったのかもしれません……」
オフチンニコフと浦思が棺の方へと近付いていく。
「夏美さん、こんな時にとは思いますが、エッグを見せて戴けないでしょうか?」
「はい……どうぞ」
香坂からオフチンニコフへと赤いエッグが手渡される。
「底には小さな穴が開いていますね……え!?」
エッグを開いたオフチンニコフは、目を丸くした。
「空っぽ!?」
「そんな馬鹿な!?」
「如何いう事かしら?」
小五郎と浦思も横から覗き込む。
歩美が身を乗り出した。
「それ、マトリョーシカなの!?」
「え?」
「マトリョーシカ?」
「私ん家に、その人形あるよ! お父さんのお友達が、ロシアからのお土産に買ってきてくれたの」
マトリョーシカ――人形の中に人形が入った、ロシアの民芸品……。
「確かにそうなのかもしれません……」
「見てください! 中の溝は、入れたエッグを動かないように固定する為の物のようです」
小五郎が、悔しそうに手を打つ。
「くそっ!! あのエッグがありゃ、確かめられるんだが!」
「エッグならありますよ……」
皆、驚いて声の主を振り返る。
白鳥は鞄から、鈴木財閥のメモリーズ・エッグを取り出した。
「こんな事もあろうかと、鈴木会長から借りてきたんです……」
そう言う白鳥に、小五郎は詰め寄る。
「お前……黙って借りてきたんじゃねぇだろうな!?」
「や、やだなあ……そんな筈無いじゃありませんか……」
「早速試してみましょう!」
オフチンニコフが手を差し出し、エッグを受け取る。
二つのエッグは、カチッと音を立てて合わさった。
「ピッタリだ!」
「つまり、喜市さんは二個のエッグを別々に作ったんじゃなく、二個で一個のエッグを作ったんですね……」
何だろう。何かが引っかかっている。
――穴……。
麻理亜はハッと顔を上げた。
エッグの穴に、もう一つのエッグが嵌ったなら――
「ちょっと見せて!」
「おい、コラ!」
小五郎が叫ぶのも構わず、麻理亜は大人達の間に割って入った。
今や中に緑のエッグを入れた、赤いエッグ。その曲面には、キラキラした――これは、ガラスだろうか。如何して、せっかくこんな物を作ったのに、ガラスをはめたのか。それに、意味が無い筈が無い。
穴と言えば――
「借りるわよ」
麻理亜は、オフチンニコフの手からエッグを取ると、台の所まで走っていく。
「あっ!! この餓鬼!!」
小五郎が捕まえようとするが、麻理亜はさっと退ける。
白鳥が、小五郎を押さえた。
「まぁ、まぁ……何か考えがあるのでしょう。まさか、持っていってしまう訳でもないのですし」
エッグの底を見れば、ガラスがはめられている。大きさは、台の穴とピッタリだ。
台の所まで持って来たは良いが、何をすれば良いのだろう。
「そうか!!」
コナンが叫んだ。
「白鳥さん、ライトの光を細くして台の中に!」
「わかった!」
――そっか!
光だ。
赤いエッグの蓋に付いた飾りはガラス。緑のエッグも同じくガラスが付いている。と言う事は……。
「……なるほどね」
コナンは、オフチンニコフと浦思に蝋燭の火を消すよう言う。
「一体、何をやろうってんだ?」
「まあ、見てて。……紫埜」
麻理亜は頷くと、エッグを穴から天井へと伸びた光の中に置いた。
ゆっくりと、エッグの中が透けてくる。中の金の模型がキリキリと動き出す。
「ネジも巻かないのに、皇帝一家の人形がせり上がっている!!」
「エッグの内部に、光度計が仕組まれているんですよ……」
ライトの光はエッグの中で複雑に屈折し、カッと光った。
エッグのガラスから、四方八方へと光が溢れる。
「な、何だあ!?」
「こ、これは!!」
「おお……っ」
「うわ〜っ!」
天井に、家族で撮られた写真が何枚も映し出されている。
「二、ニコライ皇帝一家の写真です!」
「そうか……エッグの中の人形が見ていたのは、ただの本じゃなく、アルバム……」
「だからメモリーズ・エッグだったって訳か……」
「もし、皇帝一家が殺害されずに、このエッグを手にしていたら……」
「これほど素晴らしいプレゼントは無かったでしょう……。まさに、世紀末の魔術師ですな、貴女の曾お祖父さんは……」
「それを聞いて曽祖父も喜んでいる事と思います……」
家族……思い出……。
麻理亜にも、こんな暖かそうな家族がいたのだろうか……。
「ねえ、夏美さん……あの写真、夏見さんの曾お祖父さんじゃない?」
「え? ……ホントだわ! じゃ、一緒に映っているのは、曾祖母ね!
あれが曾お祖母様……やっとお顔が見られた……」
香坂の感動が、ひしひしと伝わってくる。
麻理亜もいつか、家族の顔を見られる日が来るのだろうか。当然、もうこの世にはいないだろう。それでも、写真でも良いから一目見たい。
エッグは、二つとも香坂さんが持っておくべき、とその場全員一致した。
納得していないのは、スコーピオンその人ぐらいだろう。鈴木氏もきっと、分かってくれる事だろう。
「何はともあれ、これでめでたしめでたしだ!」
麻理亜は顔を引きつらせた。
小五郎の背広に、レーザー・ポイントが映っている。その赤い点は、彼の目に重なった。
「危ない!!」
小五郎へと、ライトが飛んで行った。
ライトの落ちる音がする。小五郎は体勢を崩し、床に倒れる。
「何しやがる! コナン!!」
「拾うな! 蘭!!」
麻理亜は血の気が引いていくのを感じた。
光に近付いた事で一人目立つ蘭に、レーザー・ポイントが当たっている。
「蘭ぁ――――――ん!!!」
なんとかコナンは蘭を庇うのに間に合った。
「皆っ!! 伏せろ!!」
皆、叫びながら身を伏せる。
ガランと、エッグが落ちる音がした。
「あっ!! エッグが!」
そして聞こえる足音。
「クソっ! 逃がすかよ!!」
コナンが後を追って走り出す
「志保! 皆をお願い!!」
麻理亜も、後を追って駆け出した。
暗闇の中、前方からの血の臭いと工藤の灯りを頼りに、走って行く。ずっと一本道だ。麻理亜は決して足が遅い方ではない筈だが、少しずつ、コナンとの差が広がっていく。
死臭がする……。
角を曲がった所に、遺体があった。麻理亜はそれを飛び越え、少し差が縮まっている灯りを追う。コナンはきっと、躓いたりでもしたのだろう。乾さんに……。
暫く走って、階段の下に出た。
コナンが階段を下りてくる。その背後は、壁だ。恐らく、扉を閉められたのだろう。
「工藤! スコーピオンは!?」
「外から扉を閉められた! きっと、何処かに中から開けるスイッチがある筈だ!」
「そんなの探している暇、無いわ!」
麻理亜は掌を下にし、軽く握る。手中に、大剣が現れた。
少々手荒い方法になるが、仕方が無い。
「紫埜!? お前、一体……!?」
何か聞こうとするコナンの横をすり抜け、壁に向かう。
「はぁぁああぁあぁああっっ!!」
上に向かって突き刺す。扉に突き刺さった剣を振るい、なんとか大人一人通り抜けられる大きさの穴が開いた。
「行くわよ!」
響く、灯油をぶちまける音。火をつける気か。
前方に、揺らめく灯り。――火。
その中を、浦思は玄関へ向かおうとする。
「ちょっと待ったあ!!」
コナンが、小五郎の声で呼び止める。
慌てて振り返るスコーピオン。
「毛利小五郎!?」
「テメェだけ逃げようったって、そうは問屋がおろさねぇぜ!! あんたの正体はわかっている!」
「中国人のふりをしているが、実はロシア人だ!」
次は、白鳥の声。
「そうだろ? 怪僧ラスプーチンの末裔……青嵐さん!!」
――怪僧ラスプーチン……?
麻理亜は首を捻る。
コナンは物陰から飛び出そうとする。その腕を、麻理亜は掴んだ。
「おい……っ」
弾の数を減らす作戦だろうけど、危険過ぎる。
麻理亜は手に持った剣を軽く持ち上げ、にっと笑った。これがあれば、たった一人が銃を持っているぐらい、何でもない。
コナンは理解したのか、作戦実行はやめた。次々と声を変え、推理を語る。
「――執拗に右目を狙うのも、惨殺された祖先の無念を晴らす為だろう?」
「い、乾……」
コナンは、物陰から出て、スコーピオンの前に姿を現わした。
「小五郎のおじさんも、白鳥刑事も、大人は誰もいないよ……」
「何っ!?」
「これ、蝶ネクタイ型変声機って言ってね……色々な人の声が出せるんだ……」
麻理亜はタイミングを逃し、出そびれてしまった。
「お、お前……一体……っ」
「江戸川コナン……探偵さ!」
コナンは、推理を語った。なるほど、そういう経緯でラスプーチンの末裔だと分かった訳か。
「ふ……よく分かったねぇ、坊や……」
「乾さんを殺したのは、その銃にサイレンサーをつけている所でも見られたってトコかな?」
「おやおや、まるで見ていたようじゃないか……」
「でも、おっちゃんを狙ったのは、ラスプーチンの悪口を言ったからだ! そして……蘭の命までもを狙った!!」
「あら、江戸川はそっちだと思ったの? 彼女、皆殺しにするつもりじゃないかと思うけど。この通り、皆を地下に閉じ込めて火を放ってる事だしね」
「なっ!? 誰だ!!」
麻理亜はさっきコナンがしたように、物影から姿を現わす。
「マリア・グリフィンドール・シノ……魔女よ。
……駄目だな〜。江戸川の真似してみたけど、字足らずだわ」
「お前、よくこんな状況でふざけられるなぁ……」
コナンがじと目を向けてくる。
麻理亜はいつでも本気だ。その前に、突っ込むのはそこなのかと思う。麻理亜としては、気にしないでいてくれる方が嬉しいが。
「まったく、次から次へと……可哀想だけど、あんた達には死んでもらうよ!」
「それは如何かしら?」
麻理亜はすっと、コナンとスコーピオンの間に立つ。
コナンがそっと、麻理亜に言う。
「紫埜、お前、本当に大丈夫なのか?」
「まぁ、見てなさいって」
「おや、おや……女の子が男の子を庇うのね……立派な剣ね。それもこの城の物かしら? でも、あんたには大きすぎるわ……お望み通りお嬢ちゃんから、あの世へ送ってあげるよ!」
「工藤、兆弾するから下がって」
銃が連射される。
連続して響く、キィンという高い音。
「く……っ」
五発、終わった。
麻理亜は剣を降ろす
「その銃は、ワルサーPPK/S……マガジンに込められる弾の数は、八発よね」
「紫埜! 違う!!」
「馬鹿な子……」
麻理亜は眼を見開く。
咄嗟に、かかとでクルリと回転する。移動したのは、スコーピオンの後ろ。
そして、青ざめた。コナンが――
しかし、コナンは無傷でその場に立っていた。
「ど、如何して!?」
スコーピオンは狼狽するが、麻理亜は直ぐに理由に思い当たった。博士に頼んだ眼鏡だ。
コナンはキック力増強シューズのダイヤルを回す。
スコーピオンは新たなマガジンをセットする。麻理亜は剣を向けた。杖ほどの安定性は無いが、ただの剣では無い。
「インペディメンタ!」
「っ!?」
スコーピオンの動作が鈍る。
何かが飛んできて、動きが鈍ったその手に当たった。
続いて、工藤が蹴った鎧の頭がスコーピオンの腹に命中。うっと呻き声を上げ、スコーピオンは床に倒れた。
麻理亜は横に避ける。コナンが、こちらへゆっくりと歩いて来た。
「生憎だったな、スコーピオン! この眼鏡は、博士に頼んで特別製の硬質ガラスに変えてあったんだ!!」
「かっこつけてるとこ悪いけど、聞こえてないと思うよ」
と突っ込みたい衝動を抑える。
「コナン君! 麻理亜ちゃん! 大丈夫かい!?」
「はーい! 大丈夫で〜す」
白鳥が駆けつけて来ていた。
さっきスコーピオンの手に当たったのは、トランプだった。麻理亜は炎の中に消えていくそれを見つめ、白鳥を見上げる。
白鳥は、スコーピオンを抱え上げる。
「さあ、ここから脱出するんだ!」
しかしコナンはまだ、火に飲まれたトランプを見つめたままだ。
「コナン君!!」
ガラガラと、城の内部が崩れ始めた。
炎によって、互いが見えなくなってしまった。
辺り一面の炎……。昔、麻理亜はこの状況で悲鳴を上げた。助けを求めた。けれどもう、麻理亜はあの頃とは違う。
剣の柄を握り締め、大きく振るう。
「アグアメンティ!!」
叫び、麻理亜は炎を切り払った。
「ふーっ。やっと出れた〜。暑かったー!」
外に出て、麻理亜は張り付くTシャツを引っ張り、汗を拭う。
「では、私は彼女を暑に連れて行きます」
「……」
白鳥刑事が浦思を車に乗せるのを、コナンは無言で見ている。
そしてふと、麻理亜を振り返った。
「それで? 紫埜、お前、一体何者だ?」
「さあね」
「魔女とか言ってたな。あれは全部、魔法だって言うのか? そんな物、実際にある筈が――」
「麻理亜ちゃんも来てくれるかな? 一応、参考人にね。二人ともつれて行っちゃうと、皆心配するだろうから」
「は〜い」
麻理亜は白鳥刑事の車の助手席に乗り込む。
「じゃあね、工藤〜」
「おい、待っ――」
コナン一人をその場に残し、車は発車した。
車は街中を走っている。
後部座席の浦思は起きる様子が無い。
「ありがとね、キザな怪盗さん」
「はは。やっぱり、ばれてたか」
白鳥刑事――否、怪盗キッドは苦笑する。
「当たり前でしょ。トランプ銃使った時点で、覚悟してたんでしょう?」
「まあな。必要なかったみてーだけど」
信号が赤になり、車は止まる。
「ああ、それと、その長い剣はしまっといた方がいいと思うぜ。立派な銃刀法違反だからな。
それにしてもそんな物、一体何処で手に入れたんだ?」
「ずーっと遠くにあるお城で手に入れたのよ。大切な仲間達と一緒にね」
剣は、すぅっと消えて無くなった。
信号は青に変わり、車はまた走り出す。時間は遅く、殆どの店や住宅の電気は消えている。
「……聞かないのね」
「何を?」
「さっきの事とか、今の事とか、全部。貴方、マグルでしょう?」
「マグル?」
「あら。言葉は知らないのね。魔力を持たない、普通の人間の事よ」
「魔力を持たないってのは、確かにそうだな。でも、普通ってのは分からない。怪盗をしているような奴が普通か?」
その言い方に、麻理亜はくすっと笑う。
「でも……如何して、聞かないの? 不思議じゃない訳?」
「俺も、知り合いに魔女がいるからな……まさか、あいつ以外にいるとは思わなかったけどよ。あいつに比べりゃ、お前はずっとましな魔法の使い方だし、何も問いただす事は無いと思うけど?」
麻理亜は眼を見開いて運転席の彼を見上げていた。
――紅子の事だろうか。
以前、紅子はキッドを殺そうとした事があった。キッドの方も紅子を知っていても、何ら不思議は無い。
麻理亜は、恐る恐る尋ねた。
「その子の名前……聞いても良い?」
ちらりと、キッドは麻理亜を見る。
一拍の間があって、彼は言った。
「……嫌だ」
「如何してよ!」
「だってそんな事すりゃ、俺の素性を明かすって事だろうが。お互い、素性は明かしたくねぇだろ……。
……お前、戸籍ないだろ」
「……」
「紫埜麻理亜。――どう言う訳か、誰も覚えてない」
「な、に……?」
麻理亜は驚いてキッドを仰ぎ見る。
覚えていない。それは、麻理亜がかけて回った忘却術を髣髴とさせた。
「俺は魔法についちゃあ門外漢だけど、おめー、人の心操る類のは慣れてないんじゃねーか?」
やはり、紅子の知り合いなのか。
幼児化する前の本名の記憶は、全て消して回ったのに。マグルであろう彼が、それを破ったと言うのか。
「何が言いたいのか、はっきりしてくれるかしら……」
「紅子が心配してたぜ」
麻理亜は俯き顔を覆う。
紅子は確かに、手強かった。彼女も魔女なのだから。それでも、何とか成功させたと思ったのに。
「――貴方の言う紫埜麻理亜は、私みたいな子供だったの?」
「そこはよく分からないけれど、工藤新一と同じなんじゃねーか?」
「工藤の事も知ってるの?」
「花火だよ」
キッドは、初めてコナンと出会った時の事を話した。
珍しく、キッドを追い詰めた少年。四月一日、エイプリルフールの日。
「あまりにも子供離れしてたからな。その時奴が持ってた花火を持ち帰って、知り合いに調べてもらった」
「貴方、誰なの?」
紅子を通じて、麻理亜を知る人物。紅子や麻理亜が魔女だと、知っている人物――
ふと、一人の少年を思い出す。しかし、麻理亜が尋ねる前に彼は口調を白鳥刑事の物に戻した。
「もう着きますよ」
警視庁が近付いて来ていた。
麻理亜は口を噤む。不用意に聞くのは、止めておこう。互いに知ってしまったら、彼も巻き込む事になりかねない。そして、紅子も。
「でも、無事で良かったわ……キザな怪盗さん」
彼は、目を瞬いて麻理亜を見つめる。
そして、二カッと笑った。それはキザな怪盗の微笑ではなく、とある少年の笑顔だった。
「 Different World 第3部 黒の世界 」 目次へ
2010/04/01