部屋は、いくつものガラス玉に囲まれていた。
予言なのだ、と今のサラには理解出来た。いくつもの予言。でもここは、神秘部ではない。神秘部のあの部屋よりももっと狭く、そして
もっと生活感のある部屋だった。
ガシャンと高い音が重なり合う。部屋の一角で、ガラス玉のうちのいくつかが床に落ちていた。
「君は本当に愚かだね」
部屋には、六人の少年少女がいた。黒髪の少年が、プラチナブロンドの少年に杖を突きつけている。他の四人は彼ら二人を見据え、身動きが取れずにいた。杖を突きつけられた少年は、顔面蒼白だった。
黒髪の少年は、薄く微笑う。
「裏切り者には、死を」
緑の閃光と轟音が、辺りに満ちた。
No.2
薄闇の中、サラは跳ね起きた。日本より緯度も高く湿度も低いにも関わらず、サラは全身びっしょりと汗を掻いていた。
カーテンの隙間からは陽の光が差し込み、階下からは幽かに話し声が聞こえる。部屋には机も箪笥も無く、ベッドが一つと端に寄せられたトランクが一つだけ。トランクの横に置かれた鳥籠の中では、この夏ずっと閉じ込められたままのエフィが恨めしそうな目でサラを見つめていた。
サラは、トランクの上に重ねられた衣服を手に取る。ずっと埃を被っていたブラック家の屋敷とは違って、清潔な洗剤の香りがした。
引っ越して来たばかりでまだ慣れない家。シリウスが亡くなって慌しくグリモールド・プレイスを退去したのか、家具も最低限しか無い。部屋には机もなく、宿題をやろうと思えばリビングの食卓を使うしかなかった。
分厚いカーテンを開けると、陽射しが部屋に降り注ぐ。その眩しさにサラは目を細め、部屋を後にした。
階段を降りるに連れて、階下の会話が明瞭になってくる。カチャカチャと食器の当たる音、テレビから流れるアナウンサーの深刻な声、そして聞き慣れた話し声。
「サマセットってどこだ?」
「西の方だね。ここからそう遠くない……マグルの電車を使ったって、日帰り出来る場所だよ」
「かなり派手に暴れたのね……」
「あ、サラだ。やっと起きたのか」
戸口に立つサラに気付き、エリが声を上げた。ナミが席を立ち、キッチンへと去る。サラは、ナミが座っていたのとは別にもう一つ空いている椅子に座った。
「遅かったから、もう半熟じゃなくなってるよ」
言いながら、ナミはハムエッグとトーストの乗った皿をサラの前に置いた。
「……また死喰人のニュース?」
サラは、部屋の奥のテレビに目を向けながら問う。画面には、折れ曲がった街灯や窓が割れ屋根の吹っ飛んだ家並みが映し出されていた。マグルのアナウンサーは、ハリケーンが街を襲ったと言っているが――
「まあ、死喰人の仕業だろうね。もしかしたら、巨人も関わってるかもしれない。ハグリッド達が会った時はもう、連中の手が回っていたようだし――」
「お母さん、去年、ハグリッドがどこへ行っていたのか、知ってたの?」
アリスが目を丸くして聞いた。ナミは軽く肩をすくめる。
「私もちゃんと聞いたのは後からだけど。でも、ハグリッドがいないってあなた達から手紙で聞いてたぶんそう言う任務かなって予想はついてたよ。リーマスも、狼人間のコミュニティに潜り込む任務についている事だし。……前の時にも、巨人は『例のあの人』に取り込まれていたからね」
サラ、エリ、アリスの三姉妹は黙り込む。
三姉妹の母親であるナミは魔法使いで、もちろん、ヴォルデモートがハリーによって力を失う前、猛威を振るっていた頃を知っている。年齢から考えれば当然の事ではあるが、魔法を使えず、ずっと魔法界との関わりを断絶していた彼女の口から魔法界の話を聞くのは、何とも奇妙な気分だった。
静まり返った室内に、テレビのアナウンサーの声だけが響く。
『――で昨晩発見された女性の遺体の身元について、警察はこの部屋の住人であるアメリア・ボーンズさんであることを確認しました。現場は荒らされた形跡があり――』
「何だって!?」
エリが叫んだ。彼女は立ち上がり、愕然とした表情でテレビを見つめていた。
「今、名前――」
「ボーンズって言ったわね。確か、あなたの友達にも――」
「まさか、スーザンの家じゃ……母さん、手紙出していい?」
「駄目。この家からふくろうを飛ばしちゃいけないって最初に言ったでしょう。隠れ穴へ行くまで待ちなさい」
「でも、だって……」
「落ち着きなさい。被害者は一人暮らしの女性みたいだから、少なくともあなたの友達自身は被害に遭ってない。それにもし親戚だったなら、今頃あれこれ大変な状況でしょう。そんなところに手紙を送ったって、煩わせるだけだよ。他にも大勢手紙を送って来てるだろうし……心配なのは分かるけど、今は抑えて。自分の知りたい気持ちだけを優先したら、ただの野次馬になっちゃう」
「うん……」
エリは、ストンと席に座った。
「人が死んだ時って、何もできないもんなんだな……」
エリの虚無感に満ちた声に応えられる者はいなかった。遺体の無残な様子を伝えるアナウンサーの淡々とした声だけが流れる中、サラの脳裏にはもう一人、別の声が思い起こされていた。
――裏切り者には、死を。
あの夢は、ただの夢だったのだろうか。――それとも。
夏の長い陽も沈む頃合いになって、四人は暖炉の前に並んだ。
「それじゃ、あたしから」
エリが真っ先に煙突飛行粉を暖炉に投げ込んだ。緑色に染まった炎へと、エリは素早く消えて行った。
「次は、サラ、アリス、どっちが行く?」
「アリス、先にどうぞ」
サラは妹を促す。アリスはにっこりと微笑った。
「それじゃ、お先に。お母さん、また手紙書くわね。キングズ・クロス駅へは来るの?」
「行ければ行きたいけど、騎士団や魔法省も今は忙しいだろうからねぇ……」
ナミは苦笑する。
「そっか。ホグワーツへ行く前に、また会えるといいわね」
言って、アリスは緑の炎の中に消えて行った。
次は、サラの番だ。
炎が赤色に戻る。サラは煙突飛行粉を振りまく前に、ナミを振り仰いだ。
「――どうして、イギリスに残ったの?」
ナミは、目をパチクリさせていた。
「まだ保護呪文も十分にかけられていなくて、ふくろうも飛ばせない。手紙も出せなければ、新聞を取ることだって出来ない。情報源はマグルのテレビと、騎士団の護衛の人だけ。それも普段は目立たないように外で隠れていて、いつでも接触できるわけじゃない。不用意に外を出歩く訳にもいかない。こんなの、監獄とほとんど変わらないじゃない。
夫と一緒に彼の実家に行く方が、まだ他の人もいるし家も広くて気が紛れたと思うのだけど」
ヴォルデモートの復活が明るみになり、彼らは身を潜めるのをやめて動き出した。魔法も使えず、特に彼らの標的であるマグルを国内に置くのは危険が過ぎる。圭太は日本に留まり、一時的に彼の実家へと身を寄せる事になった。
ナミは苦笑する。
「あー……私、あの家ではあまり歓迎されてないから……圭太とお義父さんは良い人たちなんだけど、他がね……。
それに今こそ不便だけど、ふくろうはその内通せるようになる予定だし……あなた達も、ホグワーツに通うなら移動は少ない方が良いでしょう」
「別にそれなら、私たちだけでも……」
「馬鹿ね、こんな危険な場所に子供達だけで住まわせる訳にはいかないでしょう」
サラは、まじまじとナミを見上げた。ナミは少し困ったように微笑んでいた。
「今更母親面なんてと思うかもしれないけど、それでも、私に出来ることはしたいから」
サラはふいと彼女から視線をそらした。六年前、家族との仲が険悪だった頃は、彼女の口からこんな言葉が出て来るなんて予想できただろうか。
「……魔法も使えないあなたに、何が出来るって言うの? 結局は、あなたも閉じ込められて守られる対象になるだけじゃない」
「盾になって時間を稼ぐぐらいは出来るよ。……あなた達のお祖父さんも、そうやって私を守ってくれた」
サラはうつむき、黙り込んでいた。
……この人は、本気で言っている。
緑色の光。自分を守る背中。自分はただ、守られるばかりで。戦う術も、守ってくれる人を助ける術も無くて。
サラは、拳の中の粉を暖炉にぶちまける。暖炉に萌える炎の色が、ぼうっと緑色に変わった。
「いってらっしゃい。心配してくれて、ありがとう」
「……同じ経験をしたなら分かると思うけど」
サラはぐるりと身体ごとナミを振り返る。そして、キッと彼女を見上げて言い放った。
「私、もう目の前で誰かが死ぬのなんて御免だから」
フイっと背を向けると、サラは緑の炎へと足を踏み入れる。燃え盛る炎の中、幽かに遠ざかる声が聞こえた。
「……うん、そうだね」
隠れ穴に着いた途端、暖炉の前で待ち構えていた人物にサラは強く抱きしめられた。
「サラ! ああ、良かった! 遅いから何かあったのかと……」
「遅いって、ほんの数分だろ? 大げさだよ」
「だって、エリとアリスは続けて来たのよ?」
ハーマイオニーはサラを解放し、ロンに噛み付く。サラは立ち上がり、辺りを見回した。
何度か訪れ、見慣れた景色。隠れ穴で待っていたのはハーマイオニーとウィーズリー一家だけではなく、もう一人、思いがけない人物がいた。
「久しぶりじゃの、サラ」
「ダンブルドア先生!?」
サラは目を瞬き、ロンとハーマイオニーを見る。二人とも、何も聞いていない様子だった。
「着いたばかりのところ悪いが、少々付き合ってはくれんかの。これから、ハリーの迎えに行くところでの。彼の住む家は、煙突飛行粉にはあまり向いていないようじゃからのぅ」
ウィーズリー一家が煙突飛行粉でハリーを迎えに行った時の大惨事については、ハリーからだったかロンからだったか聞いた事がある。しかし、それだけが理由ではないだろうと言うことは容易に想像がついた。
「はい、先生。もちろん、お供させていただきます。――エリは?」
辺りを見回し、サラは尋ねた。
この場にいるのは、サラ、ハーマイオニー、ロン、ダンブルドア、ウィーズリー夫人、アリス、ジニー、フレッド、ジョージ。真っ先に着いたはずのエリの姿は、この場にはなかった。
「エリなら、手紙を出しに行ったわ」
答えたのは、ジニーだった。
「アリスから聞いたわ。友達の家族が殺されたかもしれないって……」
朝のニュースを聞いてから、エリは今日一日中ずっと落ち着かない様子だった。時間も経って、ふくろうも送れる場所に来て、いてもたってもいられなかったのだろう。
「さて、それではモリー、わしらはこれで失礼するとしよう。ハリーを連れて来るのは、夜が明けてからになるじゃろう」
サラはハーマイオニーとロンと顔を見合わせた。ただのハリーの迎えだけでないことは明らかだった。これから夜明けまで、まだ何時間もある。まさか、マグルの交通機関でのんびり迎えに行くと言うわけではあるまい。
「さあ、サラ。大事な物は手元に持っておきなさい。それからもちろん、杖は出しておくようにの」
日記を元々授業用の手提げ鞄の方へ入れておいて良かったとサラは思った。鞄へ更に透明マントを押し込み、サラはダンブルドアに促されて外へと出た。
「魔法省が配布したパンフレットは読んだかの? 君はまだ十六じゃ。であれば、付き添い姿現しで向かう事となる」
「あの……いいえ、先生。今の家はまだ、ふくろうを通す事ができなくて……日刊予言者新聞も読めない状況だったので。でも、付き添い姿現しは分かります」
「ならばよろしい」
ダンブルドアは左腕を差し出す。
サラはしっかりとその腕を掴む。途端に、サラは腕を振り払われるかと思った。ダンブルドアの腕がねじれ、掴む手に力を込める。
次の瞬間、強い圧迫感がサラを襲った。暗闇の中、頭も胸も手足も、まるでマグルの教科書で見た工場の機械でプレスされているかのようだ。
冷たい空気が肺に流れ込んで来て、サラは目的地に着いたのだと気付いた。そこはきれいな一軒家が立ち並ぶ通りで、その雰囲気はダーズリー家とよく似ていたが該当の家は見当たらなかった。
「私、プリベット通りに行くものだとばかり思っていました」
「プリベット通りの隣の通りじゃよ。たまには、少し散歩を楽しむのも良いかと思ってのう。とは言っても、楽しい散歩の時間も直ぐに終わってしまうわけじゃが」
サラは怪訝に思いダンブルドアを見上げる。
ヴォルデモートの復活が知れ渡り、死喰人たちはそこかしこで事件を起こしている。ただでさえ危険なこの時に、ほんの通り一つ分とは言え危険を冒してまで時間を取るだなんて、ダンブルドアはいったいどういうつもりなのだろう。
「星が綺麗じゃのう」
「はぁ……」
「もうすぐ散歩の時間も終わりじゃ。わしがこのライターで街灯を消せば、ハリーは直ぐにわしの到着に勘付くじゃろう。――サラ、君はわしに何か話しておきたい事はないかの?」
サラは口を真一文字に結ぶ。
今朝見た夢。ふくろう試験で見た光景。この鞄に入っているもう一つの「大事な物」。着々と進めているアニメーガスの習得――互いの牽制になっているかと思っていたが、スネイプはダンブルドアに話してしまったのだろうか。
……それでも。
「いいえ、先生」
これは、サラの戦いだ。サラの復讐だ。
誰にも邪魔はさせないし、誰も巻き込むつもりはない。
ヴォルデモートには対抗する。柱となりし者として、選ばれし者を支える。だけど、それとこれとは別の話。
世界の命運を背負うヒーローになったからと言って、「個」を失うつもりはない。
ダンブルドアは何も言わなかった。彼が無言でライターを掲げると、通りに並ぶ街灯の灯りが、文字通りライターに吸い込まれるように消えていった。
星明かりの下、サラとダンブルドアはダーズリーの家へと歩を進める。
呼び鈴に応じたのは、たまげた様子のダーズリー氏だった。バタバタと駆ける足音がして、階段の下に丸い眼鏡をかけた少年が顔を出す。
サラは小さく手を振って微笑った。
「こんばんは、ハリー」
サラ個人の話は置いておいて。悟らせぬよう内に秘めて。
さあ、ここからは「生き残った女の子」としての時間だ。
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The Blood
第3部
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2019/08/01