線香の香りが漂う中、低く地に響くような声で経が唱えられる。古い日本家屋は冷え冷えとしていて、いつものローブと異なる黒いワンピースもアリスにはやや窮屈に感じられた。
「合掌。――礼拝」
 僧侶の声に合わせて、手を合わせて頭を垂れる。
 実家に身を寄せていた圭太。祖父との二人暮らしだった。――その二人が、死体で発見された。死因は心不全。マグルの医学では、そうとしか結論付けられなかった。もちろん警察の捜査も入ったが、死体に外傷はなく、毒も検出されなかった。
 ただ、当日家の上空に変わった形の煙――闇の印が、上がっていただけ。

「二人もいっぺんに亡くなるなんて、本当にただの偶然かねぇ」
 火葬を終え、食事の席でふと弔問客のこぼした言葉がアリスの耳に入った。
「ちょっと、あんた」
「皆思ってることだろう。普通じゃないって」
 年老いた夫婦だった。苗字は森井だ。大半がそうだった。名前は何と言ったろうか。親戚との付き合いは薄く、弔問客の誰がどのような繋がりなのか、把握しきれていない。
「ナミさんとは別居状態だったんだって?」
「そうそう。見つけたのは、圭太くんの会社の人だって。それも何だかねぇ」
「派手な人だしねぇ。圭太くんには合わないんじゃないかと思っていたんだよ。まあ、父親の方も再婚相手が金髪の外人さんだったろう? 親子で似たのかね」
 ナミは次の法要が入っている僧侶を見送るため、エリもトイレで席を外していた。
 アリスは何も聞こえていないふりをして、食事に専念する。圭太が親戚と子供達を会わせなかった理由を、今になって理解していた。ただ、リサ・シャノンと再婚した父親を避けていただけではなかったのだろう。
「遺産は全部ナミさんに入るんだろう?」
「悪い付き合いでもあったんじゃないかい。良い年してあんな派手な髪――」
「おやめなさい。子供達のいる前ですよ」
 マクゴナガルがピシャリと言った。ナミの養母として、彼女もアリスたちと共に日本での葬儀に列席していた。
 ややカタコトながらもその威厳はホグワーツにいる時と変わらず、会話は途切れ気まずい沈黙が流れる。
 静寂の中、静かだがよく通る声が響いた。
「彼女の髪の色は、生まれつきよ」
 サラが、下世話な話をする老人たちを睨みつけていた。
「父親は日本人だけど、母親はイギリス人。父親もイギリスの学校に通って、イギリスで働いていた。彼女自身、イギリスと縁があって今回も単身赴任中だった。
 ご心配いただかなくても、お金目当てに人を殺す必要なんて無い程度の貯蓄はあるわ」
「サラ」
 アリスはヒソヒソとサラに声をかける。
 マクゴナガルの叱責で会話は終わった。何も、混ぜ返す必要はないのに。
「何だ、大人に向かってその口の利き方は。躾のなってない――」
「あら。葬儀の場で遺族へ殺害容疑を吹っ掛けるような失礼極まりない会話をなさる方々よりは、ずっとマシだと思うけど?」
「やめなさい」
 背後の襖が開き、ナミの声が割って入った。
 ナミは戸口に立ったまま、親戚たちへと会釈する。
「すみません。よく言って聞かせますので……」
「何を言い聞かせると言うの? 彼らがあなたの事を――」
「サラ。これがシリウスの葬儀だったとしても、そうやって言い返すの?」
 サラは口をつぐむ。戸口へと戻って来たエリが、ナミの後ろで目をぱちくりさせていた。
「……何? どうしたの?」

 葬儀を終えてからも、手続きやら何やらとナミは忙しそうに動き回っていた。
 ナミの実家ほど人里離れた山奥ではないが、車がなければ食料品の買い出しも困難な地方の田舎町。そもそも、サラはあまり外を出歩く訳にはいかない。通夜や葬儀の最中も、その後も、騎士団の者と思われる外国人がちらほらと視界に入っていた。
 圭太と祖父が殺された今、どこまでの関係が狙われるのかも分からない。アリスとエリも葬儀以外で家から出る事を許可されず、マクゴナガルが姿現わしで食料品の買い出しに行ってくれていた。ナミが諸々の雑務に追われる傍ら、家事を手伝って日本で過ごした。
 一週間で、アリス達三姉妹とマクゴナガルはホグワーツへ戻る事になっていた。ナミは、騎士団の警護と共にもうしばらく日本に残る事になるらしい。
 最後の夜、早朝の出発に向けて早く床に就いたアリスは、こっそりと布団を抜け出した。
 キッチンの方からは、ナミとマクゴナガルの話し声が聞こえていた。まずはナミだけのつもりであったが、もう致し方ない。これ以上人の少ないチャンスはもう無いだろう。
 アリスは深く深呼吸し、細く灯りの漏れる扉へと歩を進める。
 ナミの居場所――サラの帰る場所となる現在の居住地を探るため、圭太と祖父は死喰人に拷問されたのだろう。それが、魔法省の見解だった。死因は、死の呪文。磔の呪文まで使われたのかどうかは分からない。二人はナミの居場所は知らなかった。用済みとして殺されたのだろう。そう、警護に来ていた魔法使いは言った。
 ――違う。これは、きっとアリスへのメッセージだ。
 神秘部の戦いから抜け出した先で遭遇した、ヴォルデモート。彼は、アリスを仲間に誘った。その気があるなら、小瓶の中身を器に垂らすように言って。
 小瓶のコルク栓は、蝋付けされたまま。ずっと返事をしないアリスに、痺れを切らしたのかもしれない。
 対等に扱われているなんてのは、まやかしだった。何の力もないアリスを慮る理由など、彼には無い。こうもあっさりと、彼はアリスの親や親族の命を奪うことができるのだ。
 キッチンの扉を開けようと手を伸ばして、アリスは手を止めた。
 聞こえて来る話し声の合間には、鼻を啜るような音が混ざっていた。
「ずっと、ずっと不安なんだ……。次は誰が……私がいなければ……国外なら、大丈夫だと思っていたのに……子供達だって、いつ……」
「大丈夫、大丈夫ですよ。ホグワーツにはダンブルドアがいます。サラも、エリも、アリスも、手出しはさせません」
 ナミは泣いていた。母親の涙ぐむ声を聞くのは、いつだかの医務室以来だった。
 アリスは後ずさる。
 ――今更、言えない。
 もう手遅れなのだ。父も祖父も殺されてしまった。話したところで、帰っては来ない。
 今更、アリスのせいで二人は殺されたなんて、どうして言えよう。
 翌朝、ホグワーツへ帰る迎えにはスネイプが訪れた。彼の顔を見るなり、エリは抱きつき、恐らく泣いていた。葬儀に合わせて日本へ来てから、彼女が初めて見せた泣く姿だった。
 この全ての悲しみがアリスの迷いによって引き起こされたなんて、とてもではないが言い出せなかった。





No.20





 日本から戻ると、あっと言う間に冬がやって来た。
 ヴォルデモート、あるいは死喰人の被害に家族が遭ったとして、サラのみならずエリとアリスも注目の的となった。エリは度々どこかへいなくなり、アリスも表面上はそつなく対応しながらもつらそうだった。見かける度にサラは間に割って入り、野次馬たちを蹴散らした。
 寝る前の祖母とのおしゃべりだけが、唯一、一切のストレスも無い時間だった。祖母は未だに紙面上の文字でしかやり取りができない状態が続いていたが、サラの相談や他愛もない愚痴に親身に耳を傾けてくれた。日本での親戚とのいざこざも、祖母はサラと同じように親戚たちに怒っていた。
『とんでもない人たちだね。ナミが遺産目当てに自分の夫と義父を殺害しただって? サラ、君は何も悪くない。ナミを庇ってくれてありがとう』
『でも、彼女自身はそうは思わなかったみたい』
『……きっと、突然の不幸で憔悴していたんだろう』
 少し考えるような間があって、リサはそう述べた。
『深い悲しみと疲れに襲われると、怒る気力もなくなって衝突の回避を選ぶようになる。そういう状態だったんじゃないかな。
 それに、日本のマグルの葬儀は遺族の仕事が多く、とても忙しいと聞いた事がある。学生の頃の記憶である私にはモリイの家の慣わしは分からないけれど、きっと大変だったんじゃないかな。
 君がいてくれて良かったよ、サラ。その場で理不尽に対して怒り、日本語で伝えるのは、君にしかできない事だったろうから』
 少し、意外だった。ナミの気持ちも考えろと言われるのではないかという疑いが、僅かにあったのだ。
 ――でも、そうよ。おばあちゃんはずっと、こうだったじゃない。
 ずっと、サラの唯一の味方だった。サラの周りで何か不思議な事があっても、それでサラを叱るような事はなかった。
 きっと、サラが気付かなかっただけで祖母がどうにかしてくれていた事だって、たくさんあったのだろう。祖母がいなくなった途端に問題だらけになった事を思えば、いかに祖母が尽力してくれていたかは想像に難くない。
『ありがとう、おばあちゃん。――おやすみなさい』
 サラは書き込み、日記をパタンと閉じた。

 そうこうする内に外には雪が舞い、城にはクリスマスの飾り付けがそこかしこに現れた。クリスマスが近づくにつれて、これまで話したこともない男子生徒から声をかけられる事が増えた。ハリーは思った以上に隠し通路や隠し部屋を知っていて、彼と一緒にいる時はその知識の恩恵に預かった。
 しかし、ハリーの取っていない授業への移動やハリーがクィディッチの練習に行っている時は、そうもいかなかった。サラは透明マントとアニメーガスとを駆使して、ヤドリギの下でお近づきになろうとする男子達の接近をかわした。
 忌引き明けでホグワーツに戻った時こそロンはサラを気遣う言葉をかけたが、ハーマイオニーとの仲は相変わらずで、ハーマイオニーといるとそれ以降はあまり話せる機会は無かった。ラベンダーがそうはさせなかった。大広間でたまに落ち合うも、ロンがいればラベンダーがどこからともなく現れた。イギリス人同士のカップルというのはこんなにもスキンシップが多いものなのかと驚くほどで、サラもハリーもハーマイオニーの方へと逃げる事が多くなった。
「気をつけた方がいいわよ」
 静かな図書室の中、ひそひそとかけられたハーマイオニーの声にハリーがぎくりと肩を揺らした。
「何度も言うけれど、この本を返すつもりは無い。プリンスから学んだ事の方が、スネイプやスラグホーンからこれまで教わって来た事より――」
「私、その馬鹿らしいプリンスとか言う人の話なんてしてないわ」
 サラは上級魔法薬から少し視線を上げ、横目でハリーを見た。ハリーは今日も、運良く手に入れたプリンスの教科書の書き込みを読み耽っていたらしい。
 ハーマイオニーの忠告は、ロミルダ・ベインとその仲間の十人ほどの女子生徒たちが、ハリーに惚れ薬を盛ろうとしているというものだった。
 スラグホーンのクリスマス・パーティーは明日へと迫っている。ハリーに誘ってもらおうと、なりふり構わなくなっているのだろう。
「どうして取り上げなかったんだ?」
「あの人たち、トイレでは薬を持っていなかったの。戦術を話し合っていただけ」
 ハーマイオニーはじろりと蔑むようにハリーの手元を見た。
「さすがの『プリンス』も、十種類以上の惚れ薬が一度に使われたら、その解毒剤をでっち上げる事なんて夢にも思いつかないでしょうね。私なら、一緒に行く人を誰か誘うわね――そうすれば他の人達は、まだチャンスがあるなんて考えなくなるでしょう」
「誰も招きたい人がいない」
 サラは最初に知らない生徒からの誘いがあった時点で、たまたまその場を通りかかったネビルを捕まえて彼と一緒に行く約束をしていると言って断った。特に誰かと約束がある訳ではないようなので、そのままネビルと一緒に行く事になっている。
「本への書き込みと言えば」
 ふと思い出したように、ハーマイオニーは言った。やや取ってつけたような言い方だった。
「サラ、この前の夜、寝室で何か書いてなかった?」
「……何の話?」
 思わずそう返し、それから言った。
「ああ……そう言えば、そんな事もあったかも。エリから聞いた調合のコツを、忘れない内にメモしておきたくて。それが何か?」
「別に。ちょっと気になっただけよ」
 表面上は何でも無い事のように取り繕いつつも、サラは内心ぎょっとしていた。――祖母の日記に書き込んでいるところを、見られたかもしれない。
 祖母に話しかけるのはなるべく誰も寝室にいない時、ベッドのカーテンもきっちりと閉めるようにしている。それでも、頁の擦れる音やペンの立てるカリカリと言う音、本を閉じた時の音などが聴かれた可能性はある。カーテンを閉めて祖母との会話に没頭していれば、気づかない間にルームメイトが部屋へ戻って来ている事もあるのだから。
 ハリーとハーマイオニーは再び惚れ薬の話へと戻り、どうやって持ち込んだのか、ロミルダ・ベインがフィルチの目を掻い潜る事ができるならドラコにも可能なのではないかという議論をかわしていた。――もっとも、ハリーが一方的に主張しているのを議論と呼ぶのであれば、ではあるが。
 ドラコを八階の廊下で見つけた事を、サラは誰にも話していなかった。話せば当然、ハリーはドラコへの疑念を更に募らせるだろうし、必要の部屋を調べに行く事だろう。
 ホグズミード駅での会話にしても、サラはハリー達に詳しく話してはいなかった。いつも通り、ハリー達もよく知るマルフォイだった。ただ、そう告げただけ。
『どちらが間違っていたかは、いずれ分かる』
 ルシウス・マルフォイは、死喰人だ。ドラコはそれを知っているし、知った上で父親を肯定している。父親をアズカバンへと追いやったサラ達を恨んでいる。
 当然、ヴォルデモートと敵対するサラたちを間違った者達と考えることだろう。ドラコ自身が死喰人ではなかったとしても。あの会話だけでは、判断材料としては乏しい。
 ――本当に? 答えが出る事を、恐れているだけではないか?
 ――恐れている? そんな、まさか。
 彼の父親が、サラの祖母を殺したのだ。ドラコ自身が死喰人であろうと、なかろうと、その事実は変わらない。
 幾度となく思い返したその事実を、サラは胸中で反芻する。
 準備は整った。――あとは、時を待つだけ。
 サラは、窓の外へと目をやる。凍りついた窓の向こうは、今日も降り続く真っ白な雪が覆っていた。





 クリスマス休暇は「隠れ穴」に誘われていたが、ホグワーツに残ると言って断った。しかし、ホグワーツに残る名簿に、サラは名前を書かなかった。
 隠れ穴に行ってしまえば、そこから出る事は叶わないだろう。休暇中であれば、授業も無い。サラがどこで何をしているかなんて、誰も気にする事がない。アズカバンへの侵入計画を果たすなら、この機を逃す訳にはいかない。
 ハーマイオニーの耳にこの話が入れば、残留名簿にサラの名前が無い事を問い詰められたかもしれない。けれど、ロンに話した誘いの断りがハーマイオニーの耳に入る事はなかった。二人の仲直りは今や絶望的で、休暇前最後の変身術の授業は、それを更に確固たるものにした。
 変身術の授業は、物を動物に変身させるフェーズを終え、人の姿を変える段階へと進んでいた。アニメーガス習得のために何学年分も先取りして学んでいたサラにとっては眉の色を変えるぐらい朝飯前だったが、多くの生徒にとってはそうではなかった。
「うわっ」
 横の方から声が情けなく狼狽する声が聞こえて、サラとハーマイオニーは振り返る。サラの眉はブロンド、ハーマイオニーの髪は黒へと見事に変色していた。ハーマイオニーの方は、余った時間で髪質の変化に応用できないかと調べているところだった。
 何も変わらなかったり、片方だけ変わったり、何故か毛量が増えたり。惨憺たる生徒達の向こうに、髪と同じ赤色のカイザル髭を豊かに生やした姿が見えた。
 周りの生徒達と一緒にハーマイオニーも笑ったが、これがロンには気に食わなかったらしい。
「今回の呪文と類似して、髪の色を変える呪文をすでに皆さんは習得していますね。この呪文は何――」
 出題の気配を察知するなり、ハーマイオニーの腕が隣ですっと伸びる。
 ちらりと横へ目をやった拍子に、その向こうで動く姿が視界に入った。ロンだ。マクゴナガルが見ていない間に、片手を小さく上げてアピールするようにぴょこぴょこと上下に動く。サラは眉を潜める。腕こそ伸ばしていないが、当てられようとする時のハーマイオニーの真似だと言う事は直ぐに分かった。
 ロンの悪意ある物真似は一度で終わらず、マクゴナガルが質問し、ハーマイオニーが手を上げる度に続いた。クスクスと密やかな笑いがサラの耳にも入る。当然、サラの隣に座るハーマイオニーが気付かないはずがなかった。ハーマイオニーの顔がカーっと赤くなり、目が潤む。
「ァイタッ!」
 ロンの声が上がり、ラベンダーとパーバティの小さなクスクス笑いは短い悲鳴に変わった。ロンの腕に、小さな引っ掻き傷ができていた。
「ミス・シャノン!」
 マクゴナガルの声が朗々と響く。サラは杖をローブの内ポケットにしまいながら、彼女の顔を挑戦的に見つめ返した。
「今は呪文の練習時間でもなければ、呪文学の時間でもありません。授業の後、残るように」
 授業が終わるなり、ハーマイオニーは教室を走り去って行った。後を追おうとしたサラを、マクゴナガルの厳しい声が呼び止めた。
「ミス・サラ・シャノン。残るように言ったはずです」
 ハリーがサラに目配せして、ハーマイオニーの後を追って走って行った。
 サラは二人の背中を見送り、こそこそと立ち去るロンをひと睨みして、マクゴナガルに向き直る。
「はい、先生?」
 ハーマイオニーの真似をするロンを、結局マクゴナガルは一言も咎めなかった。先生が止めていれば、ハーマイオニーも傷つく事はなかったろうに。リサならば、きっとサラの行いを咎めたりしなかっただろう。むしろ、「よくやった」と日記の彼女ならば言ってくれるはずだ。
 マクゴナガルは、罰則として教室の片付けをサラに手伝わせた。
 クリスマス休暇の所在予定が不明になっている事に何か突っ込まれるかと警戒していたが、特に言及される事はなかった。どうやらロンは、ラベンダーといちゃこらするのに忙しくて、サラが隠れ穴に行かない事を母親に共有し忘れているらしい。

 スラグホーンのパーティーの時間に被せるほどマクゴナガルは鬼ではなかったが、それでも学期最後の教室の片付けを全て終えてから夕飯に駆け込み、パーティーの準備までとなると開始には間に合わなかった。
「今からパーティーの準備をするの?」
 グリフィンドール寮へと戻ると、ちょうどハーマイオニーが出て来るところだった。サラは、なるべく何でもない事のように答えた。
「ええ、まあ。ちょっと夕飯を取るのが遅くなっちゃって」
 ハーマイオニーが気にしないようにと思って曖昧な言い方をしたのだが、それだけで彼女が気付くには十分だった。
「罰則を与えられていたのね? 私のために……ごめんなさい」
「ハーマイオニーが謝る事はないわ。ハーマイオニーのせいじゃない、ロンのせいよ」
 ハーマイオニーは申し訳無さそうな顔から一点、すっと真顔になる。
「そうね……」
「あれは無いわよ、本当に。またやろうものなら、今度は擦り傷で済まさずに腕ごと切り落としてやるんだから」
 ふふっと短くハーマイオニーは笑う。
「ありがとう。準備、手伝える事はある?」
「大丈夫。ネビルにも、さっきちょうど大広間で会えたから話してあるし……」
「それじゃあ、悪いけれど先に行くわね。パートナーとの待ち合わせもあるから」
「誰と行くの?」
 サラは思わず聞き返した。
 ハーマイオニーはロンを誘おうとしていた。けれど、今は到底一緒にクリスマスパーティーへ行けるような仲では無い。少なくとも、他に誰かと約束しているような様子をサラの前では見せていなかった。
 ハーマイオニーはにっこりと微笑んで言った。
「コーマックよ」
 ドレスローブに着替えていたサラの動作が、ぴたりと止まる。
「コーマックって……コーマック・マクラーゲン?」
「ええ。ロンに一番ダメージが入るのは誰かしらって考えたの」
 サラやハリーにも道連れでダメージが入るだろうと言う事に気づいてほしかった。サラの表情を読み取ってか、ハーマイオニーは軽く肩をすくめた。
「心配しなくても、今夜一晩限りよ。ロンの今後の態度次第では、彼の前でだけもう少し続くかもしれないけど。待ち合わせ場所も、談話室にしているの」
 この時間、ロンはいつも談話室でラベンダーと過ごしている。もっと具体的に言えば、物理的に貼り付いた状態でいる。
 午後の授業からの数時間で、それも落ち込みを経てから整えたにしては、これ以上なく徹底された復讐だった。
 ハーマイオニーを見送り、サラはあまり急がずにパーティーの支度をして向かった。
 四年生の頃に一度だけ着たドレスローブはだいぶ丈が短くなっていた。ドレスなのでロングから膝下に変わった程度だが、これが通常のローブだったら明らかに丈が足りない状態に見えていただろう。肩周りもやや窮屈だが、見た目上は分からないのでセーフだ。今夜一晩くらいなら、問題ない。
 腕時計の針は、もう八時を過ぎていた。談話室にはスラグクラブのパーティーに参加しない生徒達が休暇前最後の寮での時間を過ごしていたが、廊下に出るともう誰もいなかった。
 燭台の灯りが照らす中を、慣れない靴で歩き出す。階段へと向かう途中で、廊下の前方に現れた人物にサラは足を止めた。相手もこちらに気付き、立ち止まる。
 忘れていた訳ではなかった。でも、クィディッチのあの日以来、記憶の片隅へと追いやった状態になっていたのも事実だ。彼の方は、その間も何らかの企てを続けていただろうに。
「また、監督生様が夜のお散歩? ――ドラコ」
 月に掛かっていた雲が晴れたのか、窓からの灯りが二人を照らす。ドラコはサラをじっと見据えていた。
「……スラグホーンのパーティーは、とうに始まっていると思っていた」
「ええ。所用があって遅れてしまったの。あなたもお呼ばれしたのかしら? 今のルシウス・マルフォイは、先生の好みとはずいぶんとかけ離れると思っていたけど。
 ――ああ、失礼。ルシウス・マルフォイが死喰人なのは今だけじゃなくて、ずっと昔からだったわね。その所業が白日の下に晒されていなかっただけで」
 ドラコはふいと視線をそらす。何か、後ろめたいことでもあるかのように。
「どちらが間違っていたか――あなたは、そう言った」
 サラは、ゆっくりとドラコへと歩み寄る。ドラコはそっぽを向き立ち尽くしたままだった。
「ねえ、本当にそう思うの? 死喰人が……あなたの父親が正しいって……。ルシウス・マルフォイは、私のおばあちゃんを殺した。きっと、おばあちゃんだけじゃない――」
「それは……っ、そうするしか……!」
「『服従の呪文をかけられていた』? 知っているわよ、そう言って逃れていたって。だけど、おばあちゃんを殺した件は言い逃れできない。ヴォルデモートが力を失った後にも彼は、死喰人として動いていた」
 ドラコの目の前で立ち止まり、サラは真正面から彼を見上げる。
 ドラコは強張った表情でサラを見つめていた。お馴染みの、蒼白い顔。――そして、暗がりでも判る程の眼の下の隈。顔の白さも、元々の色白だけでなく病的に見えた。
「……大丈夫?」
 思わず、そんな言葉が口をついて出ていた。
 ドラコの張り詰めた表情が、ふっと崩れる。驚くように目を見開き、そして、次の表情は見えなかった。サラは、ドラコに固く抱き締められていた。
 息が詰まりそうになる。鼓動が高鳴る。
 ……彼は、敵なのに。
「……ごめん」
 短く、ドラコは言う。
 まるで、泣いているかのような声だった。
「僕は父上を見捨てる事なんて出来ない……大切な家族なんだ。父上も、母上も……でも、僕には出来ない……二人共、あの人の手の内なのに……!」
「……」
 何も、言葉を発する事は出来なかった。
 泣いていた。彼には大切な家族。大切な両親。大切な父――ルシウス・マルフォイが。
 動けずにいるサラを、ドラコはそっと放す。そしてまた、呟いた。
「ごめん」
 出て来るのは、贖罪の言葉。
 彼は家族を選んだ。サラも家族を選んだ。――故に、二人は引き裂かれた。
「そこにいるのは誰だ?」
 意地の悪そうな声と共に、ランタンの灯かりが階下から廊下を照らした。ドラコは陰に隠れて涙を拭く。
 現れたのは、フィルチだった。彼はサラとドラコを交互に見て、獲物を見つけたとでも言うようにニタリと笑う。
「これはこれは……生徒が揃いも揃って、こんな時間に外出か。門限はとうに過ぎているぞ」
「私は、スラグホーン先生のパーティーにお呼ばれしているので」
「僕もだ」
 即座にドラコは続けた。
 しかし、フィルチは信じない。
「見え透いた嘘だ! 何だったら、ご本人に直接確かめようじゃないか」
「ええ、そうしてちょうだい。直ぐに事実だと判るわ」
 サラは堂々と言い放ったが、ドラコは違った。さっと彼の顔が青くなる。
「教授に聞いたところで無駄だ。パーティーにはパートナーを呼べるようになっている。全ての生徒が誰を呼んだかなんて、把握してるかわからない」
 ザビニからでも聞いたのだろう。苦し紛れに、ドラコは言った。
 フィルチはサラに視線を移す。
「彼は君のパートナーか?」
「いいえ。私のパートナーは、ネビル・ロングボトムよ」
 ドラコは一瞬、驚いたような表情を見せた。誰の名前が出ると思っていたのか、容易に想像はつく。
 フィルチは再びドラコに目を戻した。
「違うそうだな?」
「誰も、サラだとは言ってない」
 ドラコは慌ててフィルチに言い返す。
 サラは、隣にいるドラコにしか聞こえないような小さな声で言った。
「……何も私、いつもハリーと一緒って訳じゃないわ。彼とはずっと、親友であり仲間であって、恋愛感情なんて抱いた事は無かった。お互いに」
 ドラコは、図星をつかれたような表情。
 そして、フィルチがドラコの腕を掴んだ。ドラコは抵抗するが、やはり振り払えない。
「来い! 直接確かめてやる!」
「放せ!」
「逃がさんぞ!」
 ぎゃあぎゃあと喚く二人の後ろに続いて、サラはパーティー会場へと向かった。
 ――ドラコは、父を見捨てる事が出来ないと言った。
 ルシウス・マルフォイは逮捕され、一家の地位も叩き落された。……けれどもきっと、彼が言ったのはそう言った意味ではない。
『二人共、あの人の手の内なのに……!』
 手の内。それは、手駒であり――人質。
 ドラコは、両親を人質にとられた。そして、死喰人となり任務を言いつけられた。それは恐らく、非常に危険な任務。成功率の極めて低い、ただ彼ら家族を甚振るためだけの任務。
 家族を選んだがために。
 サラは、そっと横目でドラコを盗み見る。ドラコは、どうにかスラグホーンの部屋に連行される前にフィルチを振り払おうともがいていた。
「ルシウス・マルフォイの方は……もう心配する必要はないわ」
「えっ?」
 ドラコが振り返る。そのまま、スラグホーンの部屋へと引き摺り込まれて行く。
 サラはそれ以上何も言わず、ドラコがフィルチの手によってスラグホーンとスネイプの元へと運ばれるのを戸口から眺めていた。
 ルシウス・マルフォイの安否を気にする必要なんてない。だって、もう直ぐサラの手に掛かっていなくなるのだから。
 ――もう、「遅かった」なんて嘆いたりはしない。迷ったりはしない。


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2026/07/31