「やったのは僕さ……こいつらは関係無いよ」
 キャビンは、緊張に包まれていた。麻理亜は、固唾を呑んでコナンとテロ集団の頭とを見つめる。
 赤いシャム猫の頭が、ニヤリと笑った。
「いい度胸だ……」
 そして、コナンの後ろ首をむんずと掴む。
 あっと言う間の出来事だった。窓が開け放たれ、コナンの身はその向こうへと放られた。
 麻理亜は、清掃員の手からデッキブラシを掻っ攫う。蘭達の間から割り込もうとした麻理亜を、一人のウェイターが押し退けた。そのまま彼は、コナンの後を追って飛び降りる。
「快斗!」
 彼の腕は、空を掴むばかり。誰も一言も発せずに、ただ彼らを見つめる。
 二人の姿が雲の中に消えた。
 雲の中から、白いハンググライダーが飛び出す。神出鬼没な怪盗の腕には、コナンの小さな身体が抱かれていた。
「キッド!?」
「やったぜ!」
「ナイスキャッチです!」
「さすがはキッド様ね!」
「敵ながら、あっぱれじゃ!」
 麻理亜も、ホッと胸を撫で下ろす。
 しかしそれも束の間。中森警部が、麻理亜を見下ろした。
「そう言やお嬢ちゃん、今『快斗』って……?」
「えっ。あっ。嫌ですねぇ、『怪盗キッド』って言いかけただけですよ〜。『怪と……』ですよ、か・い・と・う」
 ヘラッと笑って、取り繕う。哀が、呆れたように麻理亜を横目で見つめていた。





+++劇場版名探偵コナン「天空の難破船」





 赤いシャム猫の頭が、チッと舌打ちした。
「やはりキッドが紛れ込んでいたか……」
 憎々しげに吐き捨て、部下に爆弾を仕掛け直させる。
 麻理亜はデッキブラシを清掃員に返し、子供達と席に着く。そして、犯人グループの行動を余す事無く眺めていた。彼らが新しい爆弾を用意する様子は無い。三々五々散ってしまったが、爆弾の数が判っていればまだチャンスはある。
 恐らくボスと思われる人物を見つめていると、視界を元太の大きな顔が遮った。元太は、怪訝そうに首を傾げていたた。
「なあ、紫埜。モップなんか持って、何する気だったんだ?」
「えっ。あ……」
 麻理亜は言葉に詰まる。哀が、皮肉るような口調で助け舟を出した。
「何処かの魔女みたいに、ボーイフレンドを助ける為に空でも飛ぶつもりだったのかしら」
 園子がひそひそと口を挟んだ。
「やっぱり子供ねぇ。ああっ、キッド様がいなかったら、どうなっていた事か……! ねぇ、蘭」
「うん……」
 少し嬉しそうに頷く蘭の頬は、心なしかやや紅い。それから彼女は、また何事か考え込んでしまった。
 麻理亜は、目を瞬く。犯人達に新たな動きは見られないのを確認し、園子の腕を軽く突いた。
「ねぇ……蘭お姉さんが好きなのって、新一お兄さんなのよね?」
 園子は突然の質問に目を瞬き、それからニヤリと笑って麻理亜の頭の高さに屈み込んだ。
「そうよぉ……新一君は、蘭の旦那なんだから」
「でも、さっきから様子がおかしくない? さっき蘭お姉さんが見つめていたのって、キッドだったウェイターでしょ?」
 園子はあっと声を上げる。今にも掴み掛からんばかりの勢いで蘭を振り返った。
「蘭! もしかして、あのウェイターがキッド様だって知ってたの? まさか、惚れちゃった!?」
「え!?」
「そこ! さっきから何をコソコソ話してるんだ?」
「あっ、何でも……」
 麻理亜は、園子の傍から身を引く。
 哀がじとっとした視線を麻理亜に向けていた。
「まったく、暢気な人達ね……」
「そうですよ! あまり犯人を刺激しないでください!」
「麻理亜ちゃんまで、コナン君みたいに落ちちゃ嫌だよ……」
「デッキブラシ跨いだって、空なんか飛べねーぞ!」
 子供達にまで、口々に叱られてしまう。
 歩美は、暗い顔で窓の方を見つめた。
「コナン君……大丈夫かな……」
「大丈夫よ。大空は、キッドの独壇場だもの」
 麻理亜はにっこりと笑って言った。
 彼が一緒であるからには、命に別状は無いだろう。しかし、ハンググライダーでは飛行船まで上昇出来ない。コナンなら、何としても戻って来ようとするだろうが……けれどもここは、遥か上空を飛ぶ飛行船の船内。そう易々と戻れる乗り物だとは思えなかった。

 キャビンは沈黙に包まれていた。
 麻理亜は、テロ集団の方へと油断無く視線を走らせる。この場には、二人。時折、ボスが部下を一人連れて出入りする。
 爆弾は再び仕掛けられた。とにかくそれを、解除しなくてはならない。
 麻理亜は、大袈裟にそわそわし始めた。哀が気付き、尋ねる。麻理亜の意図には当然気付いているようで、棒読みだった。
「……どうしたの、麻理亜」
「ト……トイレ」
 もじもじと言う。男の子二人が、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
 阿笠博士は困惑していた。
「困ったのぉ……」
「またお前らか。今度は一体何だ」
 キャビンを任されていた男の一人が、麻理亜達の方へと近付いてくる。蘭が立ち上がりかけたが、銃をチラつかされ大人しく席に着いた。先程までの物憂げな表情は何処へやら、男をキッと見据えている。
「この子が、トイレに行きたいそうでのぉ」
「我慢しろ」
「無理だもんっ。漏れちゃうよぉ……」
 ぐずり気味に言ってみる。男は舌打ちしつつも、了解した。
 赤いシャム猫の一人に連れられ、キャビンを出て行く。トイレの前で、男は立ち止まった。
「さっさと済ませろよ」
 麻理亜は無言で頷き、小走りで個室に駆け込む。
 それを見届けて、男は傍の壁に寄りかかった。五分、十分と待つが、子供は一向に出て来ない。まさか、逃げられたか。ボスが窓から投げ捨てた、妙に頭の切れる少年を思い出す。少年が啖呵を切ったあの時、後ろの子供達は怯えていた。しかし白髪の少女だけは、他の三人とは違い、寧ろ少年に似た表情をしていたのだ。
 男は中へと大声で話し掛ける。
「おい! まだか!?」
「紙が無いのーっ」
 半泣きの声が聞こえ、安堵する。また子供にしてやられる訳にはいかない。
 女子トイレだが、いるのは子供だけだ。男は中へと入って行く。トイレットペーパーは何処にあるのだろう。
 バケツやホース、ぞうきんの入った用具置き場に予備を見つけ、それを持って一番奥の個室をノックする。
「ここ置いておけばいいか」
 返事は無い。
 代わりに聞こえたのは、扉の動く音と足音だった。振り返った視界から、白い影が角を曲がって見えなくなる。咄嗟に撃った銃弾は、かすりもしなかった。
「くそっ!」
 トイレットペーパーを放り出し、駆け出す。やはり、彼女も少年と同タイプだったか。一番外側の扉が、反動で揺れていた。その裏に隠れていたのだろう。
 トイレから飛び出した所で、脛に強い衝撃が走った。デッキブラシを持った小娘が、憎々しい笑顔で見上げる。
「この餓鬼……っ」
 子供の癖に、何と言う力か。軽い足取りで駆け去る子供を、痛む足で慌てて追い駆ける。
「舐めた真似しやがって……!」
 発砲するが、またも少女は曲がり角へと逃げ込んだ。
 続けて角を曲る。突き当たりは大きな窓。その手前には、また曲がり角。
 男は、少女を足止めしようと銃撃する。外れた弾が、窓を撃つ。曲がり角の所で、少女は押し飛ばされたように窓の方へ吹っ飛んだ。――当たった。
 起き上がろうとする少女を、猶も銃撃する。立ち上がりかけた少女の身体が、ぐらりと大きく傾いた。そのまま窓に倒れ込む。
 銃弾を浴びた窓は、少女の重みに耐え切れず粉砕した。
 あっと言う間の出来事だった。白髪の少女は、青い空の中へと姿を消した。男は、通信機のスイッチを入れる。
「――こちら、キャットB。白髪の餓鬼が、逃げ出そうとして外へ落下した」





 リーダーを含む赤いシャム猫の者達が去って暫くして、割れた窓の穴にひょこっと小さな顔が覗いた。
 白髪の髪を風に靡かせ、少女の橙色の瞳は廊下を慎重に見渡す。誰もいない事を確認し、麻理亜は再び飛行船内へと乗り込んだ。その手にあるのは、トイレから拝借したデッキブラシ。
 魔法界以外での箒で飛ぶのは、なかなか骨だった。それも、この高度で飛行船の速度に合わせるだなんて。
「さて、と……行きますか」
 壁に張り付くようにして辺りを見回し、小走りで廊下を進む。
 向かったのは、キャットウォークだった。柱に備え付けられた梯子を上り、飛行船上への扉のロックを開ける。コナンが何処から戻って来るかは分からないが、入口が多いに越した事は無い。
 気嚢の下を歩き回り、喫煙室の裏側に回る。しかしそこに、爆弾は無かった。細い鉄骨の上を壁に沿って歩くが、何処にも爆弾は見つからない。室内に仕掛けたのだろうか。だとすると、厄介だ。喫煙室には既に、水川が閉じ込められている。当然外から鍵を掛けているだろうし、逃げ出さないよう犯人達も気を配っている筈だ。そこに潜り込み探し出すなど、不可能に近い。そもそも、喫煙室には例の殺人バクテリアが散布されている。
 ――殺人バクテリアの散布。本当に、そうなのだろうか?
 麻理亜は喫煙室を諦め、コナンが見つけに行った方へと向かう。
 殺人バクテリアで脅すにしては、妙に引っかかる事が多い。考え込みながら燃料タンクの裏側に回る。しかしそこにも、爆弾は仕掛けられていなかった。
「あっれー?」
 結局、見つかったのは全く別の場所にあった二つだけだった。元太、光彦、歩美の見つけた箇所。喫煙室や燃料タンクと言った要所からは、幾分か離れている。
 麻理亜は見つけた爆弾を両手に持ち、キャットウォークを歩く。
 ふいに頭上の扉が開き、麻理亜は身を潜めた。けれども入って来た人物を見て、立ち上がり大きく手を振る。
「工藤! おかえりーっ」
「紫埜!?」
「予想以上に早かったわねぇ」
「ああ……奴にもちょっと手を借りてな……」
 言いながら、コナンは梯子を降りて来る。
「え? それじゃ、若しかしてキッドも一緒?」
 麻理亜の声が聞こえたのか、快斗が顔を覗かせた。ニッと笑い、軽く手を振る。
「よぉ、麻理亜。ただいま」
「おかえりなさい。ありがとね」
「礼は『天空の貴婦人』でいいぜ」
「馬鹿、大き過ぎでしょ。それに私のじゃないわ」
 麻理亜は笑って言う。快斗は「じゃあな」と頭を引っ込めた。
「貴方は降りて来ないのー?」
「俺は別に、探偵やりに来た訳じゃねーからなー」
 声がして、それから扉はご丁寧にも再び閉められた。
 コナンは梯子を降り切る。少し先に降り立った彼は、じとっとした目で麻理亜を見つめていた。
「オメー、あいつとどう言う関係なんだ?」
「何? 妬いてるのかしら?」
 くすりと笑って言う。コナンは、ぷいとそっぽを向いた。
「バーロ! 別に、そんなんじゃねぇよ」
 麻理亜はクスクスと笑う。それから、片手を振りかぶった。
「工藤!」
 呼びかけ投げた四角い物を、コナンは軽々とキャッチする。キャッチしたそれが何なのかを見て取り、顔色を変えた。
「バーロォ!! これ、爆弾じゃねーか! 解除されてねーし!」
「ええ。見つけといたわ」
「そうじゃなくて! 今ので爆発したらどうすんだよ!?」
「……あ、そっか。
 まあ、良かったじゃない。爆発しなかったんだもの。結果オーライ」
 語尾にハートマークを付けた調子で言う。コナンは、がっくりと肩を落としていた。
 周囲から死角になる所を探し、二人は連れ立ってキャットウォークを歩く。歩きながら、麻理亜は爆弾の仕掛けられていた場所を説明した。
「私と貴方が見つけた所には、仕掛けられていなかったわ。子供達が見つけた所はまた仕掛けられていたから、同じ場所を避けた訳ではないと思うのだけど……部屋の中に仕掛けたか、それとも別の場所か……。いくら防護マスクがあるとは言え、喫煙室の中に入るのはハイリスク過ぎると思うのだけど」
「……」
「ハイリスクと言えば、細菌自体がそうよね。爆弾があるなら、態々細菌を盗む事も無かったんじゃない? それも、特製のアンプルに移し変えてるんでしょ? どうして態々そんなハイリスクな事をしたのかしら。犯行声明として残す為だとしても、他にやりようはあるじゃない」
「ああ……俺も、ずっとそれが引っかかってるんだ。爆弾の場所だって、最初の時みたいに喫煙室の所に仕掛けた方が爆破と同時に細菌を外に飛び散らせられるだろうに……」
 蓋を開け、線を切りながらコナンは話す。
「そう言や、オメーは爆弾の解体出来ねぇのか?」
「多少の知識は組織いた時に教えて貰ったけど、専門じゃないもの。中身弄るのはちょっと怖いから、工藤に任せようと思って」
「俺が戻って来なかったら、どうしてたんだよ」
「戻って来るに決まってるじゃない、貴方なら。ね?」
 肩を竦め、ウィンクする。コナンはぼんやり見つめていたが、思い出したように爆弾へと視線を戻した。
 コナンの携帯電話が鳴った。電話の向こうから、幽かに怒鳴る声が聞こえる。
「悪ィ悪ィ、すっかり忘れてた」
 コナンは全く悪びれる様子も無く話す。飛行船に戻った事を話しながらも、手元は爆弾の解体作業を続けていた。
「それより、何の用だ? 今、忙しいんだけどなー……」
 どうやら、電話の相手は平次らしい。
 電話をしながら解体作業を続行する様を見て、麻理亜は感心する。
「手馴れたものねぇ……これも、『ハワイで親父に』?」
「これは違ぇよ。そもそも、ハワイだって爆弾解体なんか体験出来ないだろ……警察の捜査手伝ってる内にだな……。
 ――ん? ああ、こっちの話。それで? どうしたんだ? ――何っ!?」
 コナンは再び電話に戻る。電話の向こうの声が聞こえないかと耳を近づけたが、コナンは驚いて離れてしまった。
 仕方なく、ちょこんと座って電話が終わるのを待つ。
 ふと人の気配を感じ、背後を振り返る。快斗が、足音を立てずにこちらへと歩いて来ていた。
「ありゃ? 名探偵はお取り込み中?」
「ええ。大阪のお友達から電話みたい」
「ふーん」
 しかし構わずに、快斗はコナンの後ろから覗き込んだ。
「よう、名探偵!」
「わっ!? 何だ、オメーか……」
 快斗は身体を起こし、コナン、それから麻理亜を見た。
「来いよ。面白い物が見れるぜ」

 快斗に連れられて向かったのは、飛行船の上だった。後方から、煙が上がっている。
 麻理亜は狼狽して快斗を振り返る。
「な、何あれ? どの辺? エンジン?」
 快斗は麻理亜の問いに答えず、ニヤニヤ笑うだけだ。
 コナンが穴を抜け、発煙箇所を覗き込む。コナンの報告によると、発炎筒が焚かれているだけとの事だった。
「なーんだ。驚いちゃったじゃない……」
 コナンはそのまま、サスペンダーを命綱に船体の横まで降りる。
「この山を越えると奈良だ……」
「飛行船が煙吐いてるんで、奈良の人達はぶったまげるだろうな」
 快斗は何処か楽しそうだ。一方、コナンは真剣だった。
「たまげるだけじゃない、パニックだ! 奴らがネットで細菌の事や爆弾の事を公表したんだよ! 今頃、街中の人が避難させられて――」
「あらら。それは大変ねぇ」
「紫埜、オメー絶対大変だって思ってねぇだろ……」
「だって、実際はただの煙だもの。これだけ騒動になっていながら、人死には一切出ていないしね」
「そう言やオメー、珍しく元気なままだな……」
「まあ、これで人がいなくなれば、泥棒にとっちゃ大ラッキーだけどな」
「バーロォ。人がいなくなっても、今は何処でもセキュリティが――」
 コナンの言葉が途切れる。麻理亜は船体に肘をつき、口の端を上げて笑う。
「この山を超えると奈良、だっけ?」
 快斗も、口元に笑みを湛えていた。
「そう言う事か……!」
 コナンは前方を振り返り、笑みを浮かべた。





 ズシンと音が響き、通信機から慌てた様子の声が呼びかける。
「キャットB! どうした!? 何があった、キャットB!?」
「キャットBなら屋根の上で伸びちゃってるよ。おかしいねぇ、猫は背中から落ちたりしないのに」
 リーダーの悔しげな唸り声が聞えて来る。その後ろでは、子供達が歓声を上げていた。
「コナンだ!」
「戻って来たんですね!?」
「キッドさんも一緒ね!?」
「キッドさんはいねーよ……」
 麻理亜はクスクスと笑い、通信機にも声が入るように話し掛ける。
「それじゃ、江戸川。先行くわよ」
「ああ」
 麻理亜の無事にも、子供達が喜んでいるのが分かった。
 スケートボードやサスペンダーを駆使し、コナンは上へとテロ集団を誘導して行く。エレベーターの中から銃撃される。しかしコナンには当たらない。間には麻理亜が立ち、大剣を構えていた。
 エレベーターが死角に入り、コナンの後を追って螺旋状の階段を駆け上る。
 また別の所から来た銃弾を、麻理亜は剣で弾いた。
 やがて二人はスカイデッキへと辿り着いた。ここでもやはり、一人、また一人とテロ集団をのして行く。
「おいおい、マジかよ……」
 頭上から間の抜けた声が降って来る。そして、白いマントをはためかせ快斗が降りてきた。
「なあに、これ?」
「次郎吉さんがオメーのために用意した、三つ目の仕掛けだ……」
「そうか……。俺が宝石を奪って、あの窓から逃げようとワイヤー銃を撃ったらビビビっと……あっぶねぇ危ねぇ、とんでもねー爺さんだなあ」
 麻理亜はクスリと笑う。
「あら。怪盗キッドともあろう者が、仕掛けに気付いてなかったの?」
「調べてる最中に、あのお嬢さんが来ちゃったんでね……」
「あのお嬢さんって……まさか蘭か!?」
「あ、ヤベ……」
「てめぇ、蘭に何か――」
 突然の銃撃に、コナンの言葉は遮られた。三人は、咄嗟に飛びのく。
 麻理亜は剣の切っ先を彼に向けた。
「インペディメンタ!」
 赤いシャム猫のリーダーの動きが鈍る。
 剣で銃弾を弾きながら、リーダーの方へと立ち向かって行く。
「く……っ」
 コナンの動きに気付き慌ててそちらへ銃口を向けたが、遅かった。コナンの蹴ったサッカーボールが、クリーンヒットする。彼は壁まで吹き飛ばされ、気を失った。
 物陰から、快斗が出て来る。手を叩きながら、こちらへ歩いて来た。
「お見事、お見事。さっすが名探偵」
「お前なあ……」
「あ。工藤、血ィ出てる」
「えっ?」
 麻理亜はにっこりと笑った。
「舐めたげよっか?」
「えっ、あのっ、えぇ!?」
「バーロ。麻理亜が血苦手なの、忘れたか?」
 快斗が、コナンの頬に絆創膏を貼る。
「戦士の勲章だな」
「……」
「何だ? もしかして、期待したか?」
「バーロォ! 誰が……っ」
「あら? この絆創膏……」
 麻理亜は顔を近付け、まじまじと見る。絆創膏には小さく、文字が書かれていた。
 ニンマリと笑い、快斗を振り返る。
「もしかしてこれ、あの子から?」
 無言の笑みは、肯定の印だった。
「あらあら。妬けちゃうわねぇ……」
「お前、言うなよ?」
 麻理亜と快斗は、ニヤニヤとコナンを見つめる。
 コナンは困惑するばかりだ。蘭がコナンにとでも渡していたのだろうか。だが何故、麻理亜に分かる?
 二人は放って置き、コナンは赤いシャム猫のリーダーの方へと歩み寄る。彼の襟元にある無線を奪い、残る犯人達に呼びかけた。
「残りの人、聞いてる? リーダーやっつけちゃったよ。他の三人も……」
 間も無く、コナンと麻理亜の持つDBバッジが鳴った。哀からの、残りを片付けたと言う報告。
 コナンは携帯電話を探り履歴について問うが、目を覚ました男は何も口を割らない。彼が所持していたアンプルの蓋に、コナンは手を掛けた。
「素直に白状しないと、この中身を掛けちゃうよ?」
「好きにしろ……」
 コナンは不敵な笑みを浮かべ、立ち上がった。
 後ろを振り返ると、まだ麻理亜と快斗は話し込んでいた。麻理亜の表情から、何の話をしているのかは大体見当がつく。
「おい、紫埜!」
 麻理亜と快斗が振り返る。何かからかわれる前にと、コナンは早口で言った。
「こいつら、任せていいか? 俺は、喫煙室の二人を出しに行くから……」
「オーケー、任せて。彼女の事、心配だものね」
「……」
 銃やアンプルを麻理亜に預け、コナンはエレベーターに乗っていなくなった。
 リーダーの前に立ち、麻理亜は隣に手を差し出す。
「縄」
「はいよ」
 リーダーと、他伸びている二人を手分けして引っ括る。それからまた、リーダーの前に集まった。
「何かコレ、俺も手伝うように仕向けられた?」
「あら、か弱い女の子一人で、大の男三人を拘束しろって言うの?」
「あの探偵坊主……」
 麻理亜は、預かったアンプルを眺める。
「さて……これ、どうしようかしらね」
「わざわざ渡されたんだから、そりゃやっぱ、少しぐらい懲らしめとけって事じゃねーか? 掛ける場所によっちゃあ、面白い事になるよな……」
「おい待て! 貴様何処見て言ってる!? 重要な参考品だろ!? 警察に――」
「残念ながら、俺は探偵じゃないんでね」
「探偵とか関係無いだろ!」
「胸に掛けるのも捨て難いわよ。あ、でも腫れとは違うんだっけ」
「この糞餓鬼!」
 エレベーターの回数表示が動くのが見え、赤いシャム猫のリーダーは無事、難を逃れた。
 エレベーターの扉が開いた時には、既に快斗はスカイデッキから姿を消していた。

 赤いシャム猫――否、ハイジャック集団は、中森らに連行された。
 キャビンに姿を現した麻理亜に、歩美が抱き着いた。元太と光彦も駆け寄って来る。
「良かったわ、無事で!」
「犯人達から落ちたって聞かされましたけど、どうやって助かったんですか?」
「俺達にぐらい、教えてくれれば良かったのによ!」
「あっはは、ゴメンゴメン」
「本当、大変だったのよ。貴女は助かったところを誰も見ていないんだもの……」
 哀も、麻理亜の所に歩み寄る。
「もしかして、貴女も心配してくれた?」
「馬鹿」
 哀は短く言っただけだった。
 歩美がキョロキョロと辺りを見回す。
「ねぇ、コナン君は?」
「あの坊主なら、喫煙室を飛び出して行ったぞ」
 答えたのは、小五郎だった。いつの間にか起きたらしい。
 犯人達は、壁に括り付けられて行く。皆がそちらに気を取られている内に、麻理亜はそっとキャビンを抜け出した。
 廊下に出て直ぐの所で、たった一人でいるウェイターを見つけた。麻理亜はにんまりと笑い、厳しい声を出す。
「怪盗キッド!」
 ぎょっとした表情でウェイターは振り返る。それから、ホッと息を吐いた。
「何だ、オメーか……。よく分かったな、俺だって」
「だって他の従業員達、まだキャビンから出てないもの」
 麻理亜はトテトテと快斗の所まで駆け寄る。
「今日はありがとう。それだけ、言おうと思って」
「特に何かした覚えはねーけどな」
「したじゃない。工藤助けてくれたり、戻って来てくれたり。貴方いなかったら、あの子、死んでたわよ」
「で、その探偵坊主は?」
「それが分からないの。喫煙室から、突然出て行ったそうで……。彼の事だから、また何かに気付いたんじゃないかと思うけど――」
 キャビンから銃声が聞こえて来た。麻理亜と快斗はハッとそちらを振り返る。
「逃げ出したのかしら」
「いや。若しかしたら――」
 足音を立てずに駆けて行き、そっとキャビンの中を伺う。皆、床に座らされ、順々に括りつけられていた。
 銃を持つ彼らを見て、麻理亜は息を呑む。
「嘘――彼らも仲間だったの?」
「みたいだな。道理で、お前らの不在を態々教えた訳だ――」
 麻理亜は軽く拳を握り、再び大剣を出す。犯人は二人――銃を持っている事、皆の傍にいる事が厄介だが、魔法を使えばタイミング次第でいけない人数でも無い。
 皆を縛り上げ終え、ハイジャック集団の一人が声を上げる。
「おい! 俺達のも解いてくれ!」
 しかし、彼らは解こうとはしなかった。予定が変わった、お前達にもここで死んでもらう――と言って。
 今だ。キャビンに踏み込もうとしたその時、船体が大きく揺れた。
「うわっと」
「きゃ!? 何――」
 体勢を整えようとしたが、それは叶わなかった。船体は大きく傾き出す。
「え……え、ちょっ、待――っ!!」
 麻理亜と快斗は全速力で船首方向へと駆け出す。船体の角度はきつくなって行くばかりだ。
「何これ何これ!? 何が起こってるの!?」
「黙って走ってないと、反対側まで転がって頭打つぞ!!」
 麻理亜の大剣は、後方へと落下して行った。
 快斗は懐から銃を出す。麻理亜はパッと横っ飛びになり、快斗の足にしがみついた。
 ワイヤー銃にぶらさがり何とか後方落下を免れ、快斗は大きく溜息を吐く。
「これ、今日二回目だな……」
「本当便利ね……。一家に一人欲しいくらい」
「俺は収納箪笥か何かか?」
 再び、船体が水平に戻り出した。
 天井沿いにぶら下がっていた二人は、ドスンと大きな音を立てて床に落ちる。目の前に星が飛んだ。
「痛た……もっと床の方に撃てば良かったのに」
「じゃあ、お前あの状況で狙い定めてみろよ……」
 快斗はぐったり疲れた調子で言った。そして、体勢に気付きぎょっとする。眼の前にあるのは、麻理亜の顔。快斗は彼女に覆いかぶさるようにして、床に倒れていた。
「わ、悪ぃ――」
「そうだ、皆は!?」
 麻理亜はあっさりと快斗を跳ね除け、キャビンへと駆け込む。
 括りつけられていた皆は、垂直になった状態でも落ちずにいたようだ。犯人の二人は、先程の垂直で勝手にノックアウトされている。
「麻理亜ちゃん!」
 子供達が顔を輝かせた。
「やあ、皆さんお揃いで」
「おのれ怪盗キッド!」
 麻理亜の後から、快斗が悠々と入って来た。何事も無かったかのような様子で、彼は鈴木次郎吉の方へと歩いて行く。
「いやぁ、驚きましたよ。ホールまで様子を見に来たら、いきなり床が傾くんですから……」
「ハハ……」
 麻理亜は乾いた笑いを漏らす。
 快斗は『天空の貴婦人』を奪い、それから蘭の縄を解いた。
「皆の縄を解いてあげてください」
「あっ、キッド様! 私も……!! ああ……」
 快斗が離れて行ってしまい、園子は肩を落とす。
 通りがかった快斗に、中森は噛み付こうとする。だが当然、括られた状態では届く筈が無い。快斗はぎょっとして避け、蘭を振り返った。
「ああ、もちろん警部のロープは最後でよろしく。では、皆さん……お約束通り、お宝は頂いて参ります。
 ――そうそう、お嬢さん」
「え? 私?」
 麻理亜はきょとんと快斗を見上げる。快斗は、廊下を目で示した。
「落し物は拾っておいた方がいいですよ」
「え? ――あっ」
 大剣が廊下の突き当たりに転がったままだ。皆に見られては面倒な事になる。
 快斗は優雅に礼をした。
「それでは私は、これで失礼します」
「待ちなさい、キッド!」
 中森や次郎吉に便乗して叫び、麻理亜は快斗を追うふりをして駆け出す。
 廊下に出て、麻理亜は速度を緩めた。角を曲る快斗を見送る。外は夜。いつもみたいに、獲物を月に翳しにでも行くのだろうか。
 麻理亜はふいと背を向けると、廊下の端に転がった大剣を拾いに行った。


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2010/05/05