夜の通りをパトランプの赤い光が照らす。スーパーの袋を片手に歩く麻理亜の横を、何台ものパトカーが連なって通り抜けて行った。
「物々しいわねぇ……事件かしら」
 ぽつりと麻理亜は呟く。組織に潜入したり、コナンと一緒にいたりする中で、事件が起こる事自体にはすっかり慣れてしまっていた。殺人事件での血の匂いだけは、一向に慣れそうにないが。
「まったく……博士ったら、カレーを作るのにルーを買い忘れるなんて……あっ」
 歩きながらしまおうとしたおつりとレシートが、道を転がって行く。慌てて小銭を拾い集めたが、最後に拾おうとしたレシートは麻理亜の手から逃れるように風に吹かれて飛んで行った。
 飛ばされたレシートは生垣の下をかいくぐり、道沿いの建物の敷地内へと入ってしまった。麻理亜は小さい穴を見つけて潜り込み、レシートを追う。
 幸い、建物まではさして遠くなかった。すぐに壁に当たり止まったレシートを拾い上げると、建物を見上げる。相当大きなビルだ。麻理亜のいる位置はちょうどビルの裏側に当たるらしくせいぜい阿笠邸の庭ほどの広さだが、総面積は学校ほどはありそうだ。一部に宮殿のような屋根が付いている点からして、美術館か何かだろうか。
 ふと、星空の一部に影がかかった。影は徐々に大きく――下に、落ちてくる。
 次の瞬間、それは何かに引っ張られるように向きを変え、すぐそばの茂みに墜落した。
 白いスーツに、白いマント、右目のモノクル。風に煽られ遅れて落ちてきたシルクハットが、ぽすんと麻理亜の頭に乗る。

 空から、白いカラスが降って来た。





N0.21





「ちょっと……大丈夫!?」
 茂みを掻き分け、慌てて声を掛ける。幸いにも、命に別状はないようだった。
「痛て……ニャロー……」
 白いマントに身を包んだ人物は、ビルの屋上を振り仰ぐ。そして、麻理亜と目が合った。
 暗闇とモノクルではっきりとは判別出来ないが、幼さの残る顔。明美か……あるいは、紅子や平次らと同じくらいかもしれない。
「あれ……」
 麻理亜は、目を瞬く。
「あなた……どこかで、会った事がある?」
「え……」
 その時、ぞくっと悪寒が麻理亜を襲った。鼻をつくような血の匂いに、麻理亜は振り返る。
 ビルの裏へと現れた人物の出で立ちを見て、麻理亜は凍り付いた。
 黒いスーツ、黒い帽子、黒いコート。身にまとうは、血の匂い。まるで――
 不意に腕を引かれ、麻理亜は茂みの中へと引き倒される。ばさりと白いマントが眼前を覆い、何も見えなくなった。
 暗闇の中、聞こえて来たのは男の声。
「ありませんね、死体……」
「探せ! この辺りに落ちたはずだ」
 麻理亜が目にした男以外にも、複数人いるらしい。ばらばらと足音が散らばる。麻理亜はマントの下で身を縮め、息を潜めていた。
 彼らが捜しているのは、この人物だろう。落下した彼の死体を確認しに来たのだ。
 見つかれば、無事では済まない。しかし、このままでは見つかるのも時間の問題……。
 足音の一つが麻理亜達の隠れる茂みへと近付いて来る。まずい。見つかってしまう。
 いっその事、彼もつれて「姿くらまし」した方が良いのではないか。そう思い起き上がろうとしたが、麻理亜が魔法を使えるなど知る由もない少年によってがっちりと押さえつけられてしまう。
 足音が茂みの前で止まる。彼が身を乗り出せば、闇に目立つ真っ白な姿はすぐに見つかってしまうだろう。
 麻理亜は息を詰め、マントの下で彼のスーツを握りしめる。何か起これば、直ぐにも引っ張って姿くらましできるように。
 沈黙は、長くは続かなかった。
「よし、すぐに地上班と合流! キッドの位置を確認だ!」
 間一髪、今度は別の声が、やや遠くから聞こえて来た。
「ちっ、警察か……ずらかるぞ!」
「しかし、怪盗キッドは……」
「フン……弾丸は確かに心臓に当たったんだ……無事なはずがない……」
 ばたばたと足音が遠ざかって行く。足音が聞こえなくなってからようやく、麻理亜はマントの下から解放された。
 白いマントの少年は、男達が去って行ったのであろう方向をじっと見据えていた。
「……怪盗キッド?」
 麻理亜は、尋ねるように声を掛ける。恐らくそれが、彼の呼び名なのだろう。
「お怪我はありませんか、お嬢さん」
 彼は口元に笑みを湛え、麻理亜を見下ろす。
 麻理亜は、こくんとうなずいた。その頭から、シルクハットが外される。キッドはそれをかぶりなおすと、立ち上がった。
「では……」
 去ろうとしたキッドの服の裾を、麻理亜はぎゅっと掴んだ。キッドはきょとんと振り返る。
「……彼らを、追うのね?」
「ハハ、まさか……そんな危ない真似……」
「嘘。あなた、彼らが去って行った方向を確認していたじゃない。彼らを追うなら、私もつれて行って」
 今しがた見た男の姿が、脳裏に浮かぶ。黒に身を包んだ姿。人を殺めた者の匂い。彼らは、まさか……。
 キッドは困ったように笑っていた。
「そんな事できませんよ。あなたには危険な争い事よりも、きれいな花の方がお似合いですよ」
 ポンッと軽い音を立て、白い手袋をはめた手に一輪のバラの花が現れる。
「まあ、ありがとうー」
 麻理亜は顔を輝かせる。
 しかし、麻理亜が掴んだのはバラではなく、キッドの肘だった。ぴくりと一瞬、彼の片頬が動く。
「……なーんて、誤魔化さないでくれる? あなた、怪我してるでしょう」
「何の事だか……」
「子供だと思って見くびらないで。動きを見れば分かるわ。腕だけじゃない。あんなに高い所から落ちて来て、無傷なはずない。そんな状態の人を、一人にしておける訳ないじゃない」
 麻理亜はうつむく。
 落下する途中、まるで引っ張られるかのように方向を変えたキッド。
「……私がいたから……ね?」
「……」
「あなた、落下する手前で急に茂みの方に動いたわ。空中で方向転換なんて、空でも飛べない限りできるはずがない。あの動きだと、ワイヤーか何か――そんな物があるなら、壁に引っ掛けて勢いを殺して真っ直ぐ着地する事だってできたはず。それをしなかったのは、真下に私がいたから……」
 あの距離では、せいぜい勢いを殺す程度。空中停止はできない。ぶつかったところで死にはしないだろうが、子供に怪我を負わせてしまうかもしれない。だから彼は、その場への軟着陸をあきらめて、クッションとなる茂みへと墜落した。
 キッドが口を開こうとしたその時、再び声がした。
「どこだ、キッドー!」
「げっ、やべっ」
 先程より、声が近付いている。
 麻理亜はにやりと笑みを浮かべると、大きく息を吸った。
「おまわりさー……」
「ちょっ……!」
 キッドは慌てて麻理亜の口をふさぐと、彼女を抱えたまま逃げ出した。





「結局、ここまでついて来てるし……」
 石塀の上から庭を覗き込みながら、キッドはひとりごちる。
 隣にもう一つ、小さな頭が石塀から突き出した。
「何か言った?」
 麻理亜はきょとんとキッドを見上げる。キッドは不服気な様子だった。
「別に何も。それよりオメー、いいのか? もう夜も遅いのに、親御さんが心配するんじゃ……」
「そこは、大丈夫。さっき、遅くなるって連絡入れといたから。どうせまたちょっと事件に巻き込まれでもしてるんだろうと思うだけよ」
「ちょっと事件にって、大事じゃねーか。普段、どんな生活送ってんだよ……」
「怪盗なんてやってるあなただって、似たようなものでしょう」
 人がいないのを確認し、キッドは塀の内側へと降り立つ。くるりと振り返ると、不本意そうながらも麻理亜へと両手を伸ばした。
「ん」
「あら、ありがと」
 自分一人で降りられなくもないが、ここは好意に甘えておく。
 地面に下ろされたその時、再び血の匂いが鼻をついた。
「……っ」
 麻理亜はハッとその方向を振り返る。
 麻理亜がキッドを突き飛ばすのと、銃声が鳴るのとが、同時だった。
「く……っ」
 尚も撃とうとする男の手元に、キッドはトランプ銃を向ける。銃身がトランプに切断される。武器を失った男は、踵を返すと建物の中へと逃げ去った。
「おい! 大丈夫か!?」
 キッドは麻理亜を助け起こす。しかし、麻理亜に傷はなかった。ころりと、麻理亜の身体の上に乗っていた銃弾が地面に転がる。
「平気よ……私に、普通の銃や刃物は効かないから」
「な……」
 麻理亜は涼しい顔で髪を払うと、立ち上がる。
「さ、彼らを探さなきゃ。今の男が、ボスへ侵入者の存在を伝える前にね……」
 キッドは、真剣な顔で麻理亜を見据える。その頬を、一筋の汗が伝った。
「オメー……一体、何者なんだ?」
 空高く上がる白い三日月。その月光を背に、麻理亜は振り返る。
 光の加減か、麻理亜の髪が白く輝いたように見えた。
「さあ……化物ってところかしら?」
 そう言って、麻理亜は薄く笑った。

 男達は、広い庭に集まっていた。和服を着た男が一人と、麻理亜が見た黒服の男が一人、他の男達は白いコートと白い帽子を身に着けている。
 麻理亜が目撃した男は、スネイクと呼ばれていた。
(どうやら、組織とは別だったみたいね……)
 庭先に立つ松の大木の裏に隠れながら、麻理亜は溜息を吐く。その溜息は、安堵か落胆か。自分でも判断しがたかった。
 男達の狙いは、ビッグジュエルの中に隠された命の石「パンドラ」。なるほど、怪盗である彼は獲物が重なって命を狙われたと言ったところか。麻理亜は、隣に立つキッドを盗み見る。キッドは、じっと彼らを睨み据えていた。
「……あなたも、不老不死とやらを狙っているのかしら?」
 小さな声で、独り言のように麻理亜は呟く。
「まさか。そんな物に興味はねーよ」
「そう。それならいいけど」
 キッドはぽんと軽く麻理亜の頭に手をやった。
「さっきはありがとな。今度は大丈夫だから、ここで大人しくしてろよ?」
 キッドは地面を強く蹴ると、枝から枝へ跳ぶようにして木の上へと登って行った。





「私は別に、警察から逃げる必要なんてなかったんだけど……」
 月明かりの照らす夜道。
 男達よりも先にこの怪盗キッドが『パンドラ』を手に入れ、ぶっ壊す。そう宣戦布告し、二人は屋敷を後にした。
 キッドが盗んで来た宝石には、発信機が付いていたらしい。今頃、屋敷は警察で溢れ返っているだろう。その警察に彼らも取り押さえられていれば良いのだが、そこまでは望めなさそうだ。
「バーロ。ガキなんてとっくに補導対象の時間だよ」
 麻理亜の態度のせいもあるだろうが、麻理亜に対して紳士スタイルはやめたらしい。
「ああ、そっか。それは確かに面倒ね」
 麻理亜はうなずき、それから横に立つキッドを見上げた。
「これからも怪盗は続けるのでしょう?」
「まーな。目当ても判明した事だし」
「……気を付けるのね……。不老不死なんてものが絡んで来ると、多くの人は豹変する……そうして身を滅ぼした人達を、たくさん見て来たわ」
「奴らの事なら、心配いらねーよ。俺は絶対に死んだりしない。あいつの泣き顔は見たくないしな」
「違うわ。石よ。いずれ、その『パンドラ』とやらを手に入れた時……ただ壊すだけで済むかしら?」
「オメー、まさか、何か知って……?」
「知らないわ。ただの、経験談。……不老不死なんて、そんなに良いものじゃないのにね」
 麻理亜は目を伏せる。
 終わりの見えない時の旅。たくさんの出会いがあるが、同時にたくさんの別れがある。親しくなった者達が年老い、亡くなる中、麻理亜はいつまでも同じ姿のまま。
 ポンと目の前に、一輪のバラの花が現れる。
 顔を上げれば、ニッと笑ったキッドの顔があった。
「可愛い女性には、笑顔の方がお似合いですよ」
 麻理亜は目をパチクリさせる。不意打ちだった。もう、その扱いはやめたと思っていたのに。
「もし、何かあったらいつでも呼んでください。私があなたの悩み事を盗んで差し上げますから」
 クスリと微笑がこぼれる。そして今度はキッドの腕ではなく、花を受け取った。
「ありがとう。そうね、暗い顔をしていたら、可愛い顔が台無しよね」
「ハハ……自分で言う……」
 麻理亜は腕時計を見る。
「そろそろ帰らなきゃ。博士達が心配しちゃう」
 その言葉で、ハッとキッドは我に返った。これまでほとんど動かなかったその顔に、焦りの色が浮かぶ。
「今、何時だ!?」
 問いながら、麻理亜の腕を引き自分で時計を確認する。
「……やべぇ! じゃーな! 気を付けて帰れよ! もう寄り道するんじゃねーぞ!」
 早口でまくし立てながら、キッドは住宅の間を駆けて行った。
「怪盗キッド……か……」
 麻理亜は夜空を見上げる。満点の星の中に浮かぶ、白い三日月。
 どこかで会ったような気がする彼。いつでも呼べと言われても、どう呼ぶと言うのだか。――でも。
「……もう、盗まれちゃったかな」
 小さく呟いた声は、夜の静寂の中に消えて行く。
 どこか遠くから、花火の上がる音が響いていた。


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2014/10/25